ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
スポーツの法律入門 知らないと損をする指導者のリスクマネジメント
入澤 充
体育と人権
わが国は法治国家である。法治国家とは、教科書的に言えば「国家統治権の発動が、あらかじめ議会の議決を経た法律に基づいて行われるべきであるとした国家」ということになるが、これは同時に「国が国民の自由と権利を法のもとに保障する」ことをも意味する。
そして、この国民の自由と権利の保障において、現在最も重要だと考えられているのが「人権の保障」である。
だが、わが国のスポーツ界ではこの人権保障、特に被教育者(生徒、選手)への人権保障についてはいささか意識が低いように思える。そこには、明治以来わが国がスポーツ=体育とし、スポーツの教育的側面ばかりが強調され、教育者が被教育者に対して絶対的優位な立場をとることを国民が甘受してきた歴史があることが原因としてみてとれる。
しかし、ここ数年のスポーツをとり巻く環境は著しく変化した。アマチュアリズムは崩壊し、スポーツでお金を稼ぐことは半ば公然となった。また、トップ選手がマスコミに対しスポーツを楽しんでいるという姿勢を強調するようになった。その結果、国民にはスポーツとは自らが楽しむために行うものという自己権利意識が常態化し、付随して人権意識も確実に高まった。
こういった中で、もしも体育が従来通りのスポーツ指導を継続しようとするならば、世間とのギャップは広がり、結果的に体育のアイデンティティーを失うことになるであろう。
わが国のスポーツの屋台骨を支える体育がそうならないためにも、スポーツにおける「人権の保障」問題は是非おさえておくべきだと思うのである。
新しい人権としてのスポーツ
本書はさまざまなスポーツ指導場面で起こったトラブルを例に挙げながら、当事者 の法的責任の所在を明らかにしている。
例えば、体育授業でバレーボールの支柱が倒れて頭に当り、その結果重い後遺症を患った生徒の両親が学校に損害賠償を請求した事件では、「学校には被教育者の生命・身体の安全保障義務があるので、このバレーボールの支柱が設置上及び管理上において通常の安全性を欠いていれば、損害賠償を請求できる」としている。
また、「教師は教育活動中には、生徒が危険な目に会わないよう常に注意をする義務があります。(中略)これを怠っていたとしたら教師の注意義務違反」とも指摘する。 また、柔道の部活動で顧問不在中に先輩の無謀な稽古の結果1年生部員が前頭部を畳に強打し、脳内出血、脳軟化症の傷害を受けた例では、「判決では、教師は練習の指導・監督義務を放棄したのに等しいと厳しい判断をされます。(中略)放課後、指導者が不在であった場合には、練習を中止させることも注意義務の一つ」と結論づけている。 この例では、傷害を受けた1年生のスポーツすることによって幸福を追求する基本的人権(憲法13条)が先輩の無謀な稽古によって不当に侵害され、その責任が監督者である学校と顧問教諭にあるというわけである。このほかにも本書には、スポーツクラブやイベント会場でのトラブル例やクラブ内で起こったいじめやセクシャルハラスメントに対する法的解釈等についても数多く言及している。
どのトラブルも身近で起こる可能性があり、読んでいて身につまされる。
しかし、本書の本当の狙いはどうやら各種トラブルに対する対処の仕方や転ばぬ先の杖的なハウツー本ではないということが、読み進めていくうちにみえてくる。
「新しい人権としての“スポーツ権”を主張していくことが、文化としてのスポーツがより深化していくことにつながるのです」この言葉に、著者の思いのすべてが集約されているようだ。
新しい人権としてのスポーツ、スポーツ権はまさに新しい時代のキーワードだと思う。
(久米 秀作)
カテゴリ:法律
タグ:法律 損害賠償
出版元:山海堂
掲載日:2004-05-10