ATACK NET ブックレビュー
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フランス現代思想史 構造主義からデリダ以後へ
岡本 裕一朗
本書は、フランス現代思想を通史的に描くことを目的とする新書である。特筆すべき点は、著者も述べているように「それぞれの思想を、いわば外から眺めるような態度で相対化している」(p.iii)ところだと言えるだろう。その利点は、本書を読み進めていく中で明らかとなってくる。
まず一際目を引くのは、「ソーカル事件」を踏まえて、いわば「ポストソーカル事件」的な視点を持ってフランス現代思想を捉え直そうとしているところである。著者は、1995年に「ソーカル事件」を起こしたソーカルが、その2年後にブリクモンとの共著として出版した問題作『「知」の欺瞞』から、彼らの次のような言葉を引いている。「われわれの目的は、まさしく、王様は裸だ(そして、女王様も)と指摘することだ。しかし、はっきりさせておきたい。われわれは、哲学、人文科学、あるいは、社会科学一般を攻撃しようとしているのではない。それとは正反対で、われわれは、これらの分野がきわめて重要であると感じており、明らかにインチキだとわかる物について、この分野に携わる人々(特に学生諸君)に警告を発したいのだ。特に、ある種のテクストが難解なのはきわめて深遠な内容を扱っているからだという評判を『脱構築』したいのである。多くの例において、テクストが理解不能に見えるのは、他でもない、中身がないという見事な理由のためだということを見ていきたい」(本書p.5-6に引用されている文章を再引用)。
著者は、このようなソーカルとブリクモンによる重要な問題提起を引き受け、次のように述べている。「フランス現代思想を問題にするならば、『ソーカル事件』は何よりも出発点に据えるべきであろう。なぜなら、『ソーカル事件』を真剣に受け止めなければ、フランス現代思想は『ファッショナブルなナンセンス』として、全く意義を失うように見えるからだ」(p.5)。このような筆致からは、現代における「フランス現代思想」の持つアクチュアリティを語ろうと奮闘する、著者の決意が感じ取れるだろう。
そして著者は、マルクスがヘーゲル哲学にとった態度を参考に、フランス現代思想を浄化する方法を見つけようとする。その試みから「“濫用された数学や科学的な概念” を取り除いて、その “合理的な核心” を引き出」すという試みへと繋がり、フランス現代思想の「精神」を見定めることになる(p.7)。そこで明らかとなるのが「『西洋近代を自己批判的に解明する』態度」であり、筆者はこれを「フランス現代思想の『精神』」と呼ぶ(p.8)。本書はいわば、このような「精神」を補助線として展開されているフランス現代思想史なのである。
本書の構成は、「フランス現代思想をどう理解するのか」を問い直すプロローグから始まり、第1章から順に、レヴィ=ストロース、ラカン、バルト、アルチュセール、フーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダというように、構造主義からポスト構造主義への構造主義的運動が思想史的に記述され、第6章では「ポスト構造主義以降」の思想の展望として、新たに現れてきた「転回」について述べられている。そして最後には、そのような転回が開く可能性と我々に残された課題について語るエピローグを置くという形で締められている。
第1章では、レヴィ=ストロースの構造主義について記述されているが、それは「一般の入門書では定石となっているが、ハッキリいって、実像とはかけ離れている」構造主義のイメージを解体することから始まっている(p.14)。「ソシュール言語学が構造主義の起源とみなされていいのか」や「『実存主義から構造主義へ』という流れは本当なのか?」、「構造主義の四銃士、あるいは五人の構造主義者たちを十把一絡げにしていいのか」などの問いが検討されている。
この中で最も注目に値すると考えられるのは、最後の問いについてである。「構造主義」や「ポスト構造主義」が語られる際、ともすればそこに含まれる思想家たちの差異は無視され、同じような思想を持つものたちとして一挙に語られがちである。入門書ともなれば、よりそのような事例も増えることだろう。しかし、本書はそのような傾向に警笛を鳴らし、より実像に即した理解を提示している。例えば、第1章から第2章にかけて、レヴィ=ストロースが初期の頃に提示していた(つまり、最初期の構造主義でイメージされていた)「構造」とソシュール言語学の影響を受けたその後の構造主義者達が語る「構造」の違いを明確にしている。こういった点を詳述できるのが、いわば相対化して俯瞰的に見ることの利点だと私は考えている。その意味では、本書は「懇切丁寧」な入門書なのである。
この書評を読んでくださっている方々は、もしかすると自分たちの分野と本書の繋がりが希薄であると感じられているかもしれない。しかし、その点については改めて検討してみる必要がある。
著者も述べているように、現代を理解するためには西洋近代への問い直しが必要になってくる(p.8)。まさしく、それを試みたのがフランス現代思想の思想家たちだったのであり、その仕事から我々が学び取れることは、現在においても数多く残されていると考えられる。医学の文脈においても、近代医学との影響関係は頻繁に指摘されているし、それらはさらに「科学」という営みにまで拡張できるかもしれない。あらゆる決定において「Evidence-based(証拠に基づく)」ということが優先されるようになってきた現在、改めて「フランス現代思想」を眺めることで何かしらのヒントを得ることができるだろう。その見通しを通史的に描いた本書は、医療やスポーツの関係者にとっても必読の書なのである。
(平井 優作)
カテゴリ:その他
タグ:現代思想
出版元:中央公論新社
掲載日:2024-01-16