ATACK NET ブックレビュー
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本を読めなくなった人のための読書論
若松 英輔
本は決して、速く多く読むことによって情報を得ることだけが目的ではない、と著者はいう。
それは、「情報」を入手することで終わる読書ではなく、「経験」としての読書。さらに、「生活のための読書ではなく、人生のための読書」であるという。
息を深く吐けば、自然に深く吸えるように、読めなくなったときは、書くことから始めるとよいと、著者は教えてくれる。そして、書くという経験でもっとも重要なのは、「うまい」文章を書き上げることよりも、自分という存在を感じ直してみること、であるという。
著者は、「言葉」と「コトバ」という表現をする。あたりまえだが、「言葉」は言葉である。それに対して「コトバ」は、画家にとっての線や色であり、音楽家にとっての旋律であり、舞踏家にとっての動きである。文章にも、言葉のあいだにコトバがある。言葉は、つねに言葉にならないコトバと共にある、という。
ふと思い出して、祖母の歌集を手にとった。家族や友達のこと。田畑や飼っていた鶏のこと。毎年家に巣をつくる燕のこと。戦争中、校庭の二宮金次郎まで招集されたこと。自分の分身とまでいう原付を、引きとられるまで何度も何度もなでたこと。夫である祖父が亡くなった後も、愛用の時計は遺影の前で動き続けていたこと。侘しくて、その遺影の前で茶漬けをすすったこと。津波に家財を流されて、残る位牌に涙する父をみて家をつぐと決めたこと。
津波にあひ命拾ひしその日より吾の一生決まりたるらし
此の家と位牌と老いたる親をみて当り前のこと過ぎてはるけし
地震くる津波くると言へど此の里に生きていつまでも世話なりたし
子どもの頃、潮の匂いがするその町に、遊びに行くことが楽しみだった。躓いたことを必死に隠す叔父のことを、2人でお腹がよじれるくらい笑ったことを思い出す。
(塩﨑 由規)
カテゴリ:その他
タグ:読書
出版元:亜紀書房
掲載日:2024-02-17