ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
女性アスリート・コーチングブック
宮下 充正 山田 ゆかり
出産する身体
今年はオリンピック・イヤー。日本選手団における女子選手数は男子の数を上回り、いざオリンピックが始まればこぞって国民は女子の活躍を祈り、勝利に歓喜したことは未だ記憶に新しい。
そんな時代だからこそなのか、ここに「女性アスリート」に対するコーチングブックが登場した。著者の一人が“あとがき”にこんなことを書いている。「ところがまわりを見回しても、女性ならではの『からだとこころ』を解説するコーチングブックはこれまで存在していません。(中略)だからこそ、女性アスリートたちのよりよいスポーツ環境を目指すための本が、どうしても必要だと思ったのです。」そうだったのか。そう言われれば少ないのかなぁーと思いつつ筆者の拙い記憶を辿るに、女性とスポーツというテーマ自体はそれほど新しくもないことに気づく。とすれば、本書は何が“新しい”のか?
今回特に興味深く読ませていただいたのは「第2章こころ」の部分だ。というのは、従来の女性とスポーツのテーマは“からだ”の部分に主に焦点が絞られていて、その結果月経や妊娠といった女性の生殖機能とスポーツの関係はかなり一般的理解が得られるようになってきた。が、女性のこころ、特に社会的存在としての女性のこころの部分へのアプローチは十分とは思えないからである。実は、ここのところの問題解決が、女性アスリートをコーチングする際の鍵となることを本書は教えてくれている。「女性とスポーツの歴史をひも解いてみると、そこにはいつも『女性としての』あり方を問う声が充満していました。(中略)いずれにせよ、女性がスポーツをする際には常に生殖機能や外見・容姿に対する美醜の観点から捉えられてきたことがわかります。つまり、女性の身体はいつも『妊娠―出産する身体』としてみられ、スポーツは将来『母体』となる身体にダメージが及ばぬように禁止され」た歴史が長かったというわけだ。その一方で「『母体』となるからこそ身体を鍛えよと奨励もされてきた」のも事実であると本書は指摘する。ということは、この社会的呪縛から女性が真に解き放たれるときに新しい女性とスポーツとの関係が構築されると言えるが、ここのキーワードは実は“男性”なのだということにも強く気づかされるのである。性としての男女と社会的存在としての男女。それぞれにおける男女の役割分担は必ずしも一致しない。ことスポーツに関してはあくまでも社会的存在としての男女を基本として成り立つ文化であることを改めて理解する必要を読後に強く感じた。
弱者としての身体
もうひとつ女性とスポーツを考えるうえで大切な問題が存在する。それは「セクシャルハラスメント」である。本書は、サブタイトルに「コーチのモラルとマナー」と題して、この今日的問題に対して「男性コーチの女子アスリートに対するわいせつ行為やレイプ、セクシャルハラスメント行為は、『身体の接触をともなう』『精神性を重んずる』などの線引きがあいまいなうえ、絶対的な主従関係が被害の表面化を阻んでいます」と厳しく指摘する。これもいわば社会的存在としての男女という考え方への“男性側”の認識不足と人権に対する意識の希薄さを露呈している格好である。
オリンピックの余熱がまだ残る今こそ、スポーツが持つ社会的、文化的役割を社会全体で再認識するチャンスである。是非ともこのチャンスに多くの問題への取り組みがなされることを切に期待したい。本書の女性アスリート問題への取り組みは、スポーツ社会に限らず、一般社会の枠組みへの挑戦という意味でも斬新な切り口であると思う。
(久米 秀作)
カテゴリ:指導
タグ:女性
出版元:大月書店
掲載日:2004-11-10