ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
日本人はなぜシュートを打たないのか
湯浅 健二
どれだけcommitできるか
以前私がトレーナーとして帯同していた高校ラグビー部には2人のニュージーランド人留学生がいた。その年、彼らは地区新人戦から選抜大会優勝、そして全国高校ラグビー大会準決勝で同点抽選の末、決勝進出権を逃がすまで、公式戦無敗でシーズンを終えた。留学生がいることで批判もあった。確かにゲームプランを考えるうえで彼らは核となることができたが、2人の存在だけで強いチームがつくれるかと言うと、それほど単純な話ではない。逆にスター選手がチームをつぶしてしまうことも往々にしてある。
この2人は自分の力を誇示することなく、チームのために自分の役割を果たすことを理解していた。周りの選手も彼らを中心に、各々の持ち味を活かした攻撃や防御を展開することができた。何より多くの選手が、何故そうするのか、いつ何をすべきだということを、高校生としてはよく理解していた。このような状況をつくり出すことができれば、チームは指導者の思惑を超える力を発揮するようになる。このチームの理念の1つにCommitmentという言葉があった。「覚悟」と訳していたが、己を賭けた物事にどれだけcommitできるのか、これは自分自身の生き方を問われることでもある。
有機的な連鎖
さて、本書「日本人はなぜシュートを打たないのか?」では題名にある問いに狭義で答えるものではない。「さまざまな意味で何が起こるかわからないサッカー。だからこそ選手個々の判断力、決断力、そして勇気と責任感にあふれ、誠実でクレバーな実行力が問われ」、そしてそれらのプレーがオフェンス、ディフェンスにかかわらず「有機的に連鎖」したときに、シュートを放ち得点するという目的に向かってチームがハイレベルで機能する、ということを、自身のドイツ留学体験を中心に説いている。年来のサッカーファン、サッカー関係者にとってはとくに目新しいことはないかもしれない。しかし、当たり前のことを当たり前にできるようになるということは、競技レベルが高くなるほど、そして実力がある個性の強い選手が集まるほど困難になる。そしてこの理念はサッカーだけではなく、ほかのあらゆるチームスポーツに共通する。そのことを再認識するにはいい本かもしれない。
伝統的な精神論を語るつもりは毛頭ないが、体力、スキル、戦術といった試合でのパフォーマンスを左右するどの要素も、突き詰めれば総合的なメンタルマネージメントがその原動力になる。つらいフィットネストレーニングにどれだけの目的意識を持って「誠実に」取り組めるのか、ゲームで最大活用するための創造力をどれだけ持ってスキルアップに努められるのか、どれだけの「責任感」を自覚して「勇気」を持って戦術を「クレバーに」遂行し、またその戦術に囚われることなく臨機応変の「判断力、決断力」を発揮できるのか。優秀な選手、そして優秀な指導者はこの土台が安定しているのだろう。この点、メンタルトレーニングなどでその一部を鍛えることもできるだろうが、結局は個々の生き方、人生哲学が色濃く反映されるように思われる。そしてそれがフィットする仲間に巡り会ったとき、「有機的な連鎖」は生まれるのだろう。
生き方を問い続ける
これは試合に出場する選手だけの問題ではない。ゲームに出場できない大多数の選手たちが、それでもチームの一員としての自覚と責任感、そしてモチベーションを保つことができるのか。指導者にとってもチャレンジすべき難しい問題だろう。試合中や練習中に、そして普段の生活の中でも、チームにおいて果たすべき責任を自覚せずに「汗かきプレー」や身体を張ったプレーなどできるべくもない。よくも悪くも己の行動が周りにどのような影響を及ぼすのかを自覚し、自分のやるべきことにいかにcommitするのか。これは自分の生き方を問い続けることと同義である。
人生の中で、真にcommitできることに出会い、仲間やライバルの存在も含めてお互いを刺激しあい、生き方のレベルで「有機的に連鎖する」巡り合わせは、そう度々お目にかかるものではない。スポーツが人々に感動を与えるのは、実社会では忘れがちなそんな姿をストレートに見ることができるからなのかもしれない。
(山根 太治)
カテゴリ:その他
タグ:サッカー 日本人
出版元:アスキー
掲載日:2012-10-12