ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
わたしが冒険について語るなら
三浦 雄一郎
私にとっての最近の冒険
医学部では上級生になると臨床実習(Bed Side Learning:BSL)で学ぶことに多くの時間が費やされるようになる。BSLに出る前には全国の医学部で共通して用いられる“共用試験”に合格する必要がある。これは臨床前教育の成果を、コンピューターを利用した試験(Computer Based Testing:CBT)と、客観的臨床能力試験(Objective Structured Clinical Examination:OSCE:通称・オスキー)で計るもので、進級(留年)がかかった非常にプレッシャーのかかる試験である。
CBTは、多くの試験がそうであるように“問われたことについて答える”という形態のものである。ところがオスキーでは、学生が医師役となって模擬患者を診察室に呼び入れ、医療面接(問診)したり身体所見(検査:視診・聴診・触診・打診など)をとったりと、これまでとは逆の立場に身をおいた振舞いをしなければならなくなるのである。教わったことについて“聞かれたら答える”というのは難しいようでいて案外簡単なものである。それに比べ“自ら問いかけ、相手の状況を正確に聞きだす”というのは難しい。ぺーパー試験では優秀な成績を修める学生が、オスキーではしどろもどろになったりすることがしばしば起こる。
実は先般のオスキーでこの模擬患者役を仰せつかり、サトウタロウさん(仮名)となって、「うぅぅ、背中から腰にかけて痛いんです、先生、うぅう」などとやった経験が私にとっては大変な冒険だったので早速誰かに話したくなった次第である。
だいたいはベテランのボランティアが模擬患者になるのだが、ほとんどの方が学生との面識はないはずである。そんな中で、グラウンドや体育館でしょっちゅう顔を合わせている私などがヌッと現れる(学生は誰が模擬患者なのか知らされていない)のだから面食らったに違いない。全員そろって4月からBSLに無事出られることを祈るばかりである。
命を懸けてついて行く
さて本書の著者、三浦雄一郎は言わずと知れた大冒険家である。業績を挙げればきりがないが、富士山直滑降、世界七大陸最高峰でのスキー滑降、父(100歳)・子どもたち・孫たち(1歳と5歳)とともに4世代でロッキー山脈をスキー滑降、エベレスト登頂の最年長男性(75歳7カ月)としてギネスに認定され、77歳になる現在は「『80(歳)でそんなことができるのか?』ってことに挑戦してやろう」ということでエベレスト登頂を目指しているという、なんともはやスゴい方なのである。 やはり“オヤジの背中”を見て育ったことが大きく影響しているようだ。100歳でロッキー山脈をスキーで滑った父・敬三は、雄一郎が少年だったころ頻繁にスキーや山行に同行させている。当時のスキー場は交通の便がよいわけはなく、ゴンドラもリフトも現在のように整備されていないから「山中を歩いてはスキーで滑る」わけだ。もとより野遊びが好きな雄一郎少年ではあったが「いっしょに歩いているのは大人たちばかり」の山行では「その群をはずれたら死んでしまう」とばかり、文字通り必死についていかなければならない。普段は「物静かであまりしゃべらない」が、ここぞというときには「口を開いてキッパリと自分の考えを述べ」護るべきものを護ってくれる父の背中を見ながら命を懸けてついて行く。そして今、自身の背中を皆に見せ、先頭を駆け続けているのである。
誰もが冒険し、次世代に背中を見せる
「はじめて行くところはどんなところでもドキドキするものです。そこにふみこんで行くことが、冒険の原点なのです」
少し拡大して解釈すれば、初めての立場やいつもとは違う立場に立って考えてみること、振舞ってみることも、1つの“冒険”にほかならない。
誰もが、先達の背中を見て育った命をここに生き、次世代に背中を見せつつ歩み続けている。ただ1つ懸念することは、果たして子どもたち、学生たちに見せるだけの背中があるのか…。自問を繰り返す日々である。
(板井 美浩)
カテゴリ:人生
タグ:冒険
出版元:ポプラ社
掲載日:2010-04-10