ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
スポーツ医学常識のうそ
横江 清司
人体に関する普遍性
常識とは、一般の人々が共通に持つ、それが普通だと考える知識や考え方のことである。しかし、それが普遍的な真理だとは呼べない。社会的常識というものは国や地域、また時代によって大きく異なる。さらに突き詰めれば、個人の捉え方でその様相は別物になってしまう。法とは個人の捉え方に左右されない、いわば強制力を伴う常識であるが、これですら地域や時代で変化する。ただ、人間という身体の機能に関する常識は、人種により多少の違いはあれど、本来普遍的なものであるべきだろう。うれしいときに喜び、悲しいときに嘆くといった根本的な精神活動もしかりだ。しかし、いまだその真理の多くが解明されていないということも現時点での真実であるし、個々の人間性という複雑な精神活動を加味した場合、絶対的真理というものは存在し得ないのかもしれない。
「常識」への警鐘
本書ではスポーツ界に「常識」として普及している情報の中で、問題のあるものを取り上げてわかりやすく解説している。これら人間の身体に関する「うその常識」は、スポーツ医学を専門に学んだ者にとってはすでに「常識」たり得ないことばかりで、陳腐な感は否めない。しかし、世間一般の読者が持つ「常識」への警鐘が今なお必要だということであろう。次々に生み出される目新しいダイエット本がベストセラーになり、減量用サウナスーツが今なお売れているくらいだから、この問題が解決されることは、あるいはないのかもしれない。商売上手な業者に誤った「常識」をすり込まれて顧客化する、あるいは誤った「常識」の流行に如才なく棹さす商売上手が儲ける仕組みは、この先もなくならないのだろう。
仮に真理というものがあるとしても、気づいてしまえばつまらないことが多く、当たり前のことを当たり前にすることなど、面白みがないという側面も理解はできる。人は刺激的なこと、目新しいこと、楽に目的達成できる方法や自分が納得するのに都合がよいことに理由なく心奪われやすい。このことは責められないし、個々人が健康を害しない程度で取り上げるのであれば、日々の生活に何か変化をもたらすという意味で、罪のないことなのかもしれない。
常識を更新し、人間と向かい合う
ただ、それが人体に害をなすことであれば話は別である。医学界でエビデンス(科学的根拠)に基づく医療(EBM)という概念が唱えられて久しい。現時点での医学界での良識を打ち立てていくこの考え方は、スポーツ界や健康業界でももっと広がるべきだ。現場で働くアスレティックトレーナーも常に研究者や臨床家が苦労の末得たエビデンスに敏感でいる必要がある。もちろん、その質にもさまざまな議論があり、時に覆されることもあるこの言葉に単純に踊らされることはないが、現時点での「常識」を常に更新しなくてはならないのだ。それには実体験に基づく有用な経験則と思い込みとを区別し、本来持つべき新しい「常識」の会得を阻害することがないような心構えも必要だ。
そしてEBMも、盲目的に患者や選手に押しつける材料にしてしまっては、その本来の意味を見失うことになる。複雑な精神活動が加味された人間である選手や患者と向かい合ったときには、やはりそれを話す側の人間的な力が必要になるのだ。勇気を持って選手の考えにノーを突きつける姿勢や、リスクの質、大きさを可能な限り正確に理解し、伝え、選手が望むチャレンジに覚悟を持って付き合い、ギリギリで戦い続ける姿勢も必要なのだ。そこに真理はないかもしれないが、何らかの真実があるはずだ。
(山根 太治)
カテゴリ:スポーツ医科学
タグ:学び
出版元:全日本病院出版会
掲載日:2010-09-10