ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
スポーツ障害から生き方を学ぶ
杉野 昭博
「自分のやるべきこと」
もう10年近く前になる。全国高校ラグビー大会3回戦、ある高校のキャプテンが膝の靭帯を完全断裂した。徒手テストだけでも以降の試合への出場は絶望的だった。病院での検査後、そのチームのトレーナーは涙を流す彼を真っ直ぐ見つめこう言ったという。「自分のやるべきこと、わかってるやろな」。彼は言われるまでもないと力強く頷いた。2回戦ですでにエースプレイヤーを骨折で欠いていたそのチームは、次の準々決勝で昇華したといってよい状態に高まった。そして、その大会でのスーパースターを擁する優勝候補校を制したのだ。この試合では、チームに何かが起こっていた。それはこのキャプテンを中心に1年を通じて育まれてきたことだった。
本書では、スポーツ障害を医学的に見るのではなく、心理的側面や社会環境的側面から捉え、とくにケガが治らない選手に役立つべく行われた研究をまとめてある。全体として焦点が絞れておらず、研究の方向性も曖昧で、まとまりの悪い感じは否めない。しかし、ここに集められた断片を目にするだけでも、指導者やトレーナーなどスポーツに関わる人にはさまざまな気づきをもたらすだろう。スポーツ障害(傷害)の定義1つとっても、「努力して獲得してきたものが、できなくなる感覚」や「今まで当たり前にできていたことができなくなるという経験」とすれば、スポーツ障害により選手は身体のみならず心理的にも社会的にも傷つけられていることを簡潔に表すことが確かにできる。
生々しい言葉
冒頭から、選手や指導者がケガという経験をどう捉えているかを聞き取り調査した内容が続く。インタビュー内容をそのまま文章にしているので、その拙い言葉が生々しさを増している。「ピッチングマシンのボールが頭を直撃し、血を流して倒れているところに顧問の先生がきて、最初に発した第一声が『ええかげんにせえよ!』で、普段あまり怒らない先生にかなり怒鳴りつけられました」といった自分のために選手を怒る指導者の話や、「全員がよい指導者になれるような指導をしようと」「ケガをした人間にも誰にでも役割があるというチームマネジメント」を目指す指導者の話。ドクターも含む一般的な「スポーツ障害の専門家はしばしば「このまま競技を続けると日常生活でも取り返しのつかないことになるぞ」と言って、試合に出たがる選手を叱責することがある」「こうした考え方には、ケガ人は競技に参加すべきでないという『排除の理論』へと転化する危険がともなっている」との指摘もされている。
また、北海道浦河町にあるという精神障害者の社会復帰事業所「べてるの家」の取り組みからスポーツ障害を考え、「ケガによって、どんなに思い通りに競技ができなかったとしても、競技を続ける工夫をしなさい、あるいは、競技を通じた人間関係を持ち続けなさいというのが、スポーツ障害における『右下がりの生き方』であり、『降りていく人生』だ」との表現もみられる。
トレーナーというピース
全編を通じて、ある存在がそばにいれば、選手本人も、指導者も、チームも多少なりとも変わったのではないかとずっと感じていた。アスレティックトレーナーという存在だ。そのトレーナーによるコメントもいくつかみられるが、さまざまな問題が山積する環境で心あるトレーナーというスポーツ傷害の専門家がどのように取り組んでいるのかということについて本編のどこにも触れられていない。非常に残念である。トレーナーの普及度や認知度の低さあるいはレベルのばらつきも問題なのだろう。「ケガによって孤立してしまった選手がいて、その選手がチームを去らなければならないとしたら、それはケガのせいではなくて、おそらく、レギュラーも含めて、そのチームに居場所がある選手は、最初からほとんどいないのではないか」との考えも紹介されているが、チームの中で障害について普段から選手の自覚を促すべく教育し、その発生を最大努力で予防せんとし、発生してしまった後も選手が心身ともによりよい状態に向かうべく、ともに歩むトレーナーは、チームの中での負傷者の立ち位置を明確にする上でも重要な役回りを担っているはずだ。スポーツ傷害による挫折からトレーナーを目指す人も多く、「ケガした人にしかわからんことも体験できた」トレーナーも多い。トレーナーというピースを組み込むことで、選手の傷害に対する考え方や取り組みは大きく変わるはずなのである。
冒頭の高校ラグビーチームは準々決勝で勝利したとはいえ、大小取り混ぜてほとんどの選手が負傷しており、満身創痍という表現は大げさではなかった。中心選手の一人は足関節に中等度の捻挫を負ったが、準決勝の出場を強く希望していた。「選手の悪あがきやじたばたすること」につきあうのもトレーナーの仕事である。そのトレーナーはできる限りのことを施し、彼は準決勝の舞台に立った。どの選手もボロボロの身体で懸命にプレーするが、少しずつ点差を引き離される展開だった。彼は試合終了間際に相手選手を引きずるように強引にボールを持ち込み意地のトライを挙げた。
ラグビーのような競技で選手は常に傷害と隣り合わせでプレーしている。社会人ともなれば手術跡も生々しい選手が少なくない。例に挙げた2人も大学から社会人ラグビーまでキャリアを積んで引退した。そのキャプテンは今、社会人チームの指導者にまでなっている。彼らは右下がりでも右上がりでもなく、ただ前を向いて進んでいたのだと思う。あのときのトレーナーの言葉も、選手たちが常日頃から自らの心身に対する心構えをつくっていたからこそ出たものだ。そして厳しい教育をする一方では、折れた骨を、切れた靱帯を、どうにかつないでやれないものかとの想いで選手たちに向き合っていたからこそ伝わるものもあったのだろう。スポーツにコミットするすべての人々にそのような存在がそばにいることを願うばかりである。
(山根 太治)
カテゴリ:人生
タグ:ケガ 教育
出版元:生活書院
掲載日:2010-11-10