ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
サッカーという名の神様
近藤 篤
2011年7月18日。日本中が未明から熱狂と感動に包まれた日であり女子サッカーの歴史が動いた日でもある。サッカー女子ワールドカップでの日本代表の世界制覇。私自身も早朝からテレビの前で熱くなった1人だ。
準々決勝で強豪ドイツを破ってから、日本中がなでしこジャパンフィーバーに包まれた。テレビ局は急遽、準決勝と決勝を中継し、情報番組も日本代表や対戦相手のデータなどの話題でもちきり。優勝して凱旋帰国をした彼女たちを待っていたのは、出発時とは全く異なる待遇だったはずだ。ワールドカップという大会を経て、日本中の注目が選手たちに向けられている。しかし、この注目は、一時的なものであってはならない。
本書は、サッカーの写真家である近藤氏が、過去に50カ国以上で撮影してきた経験の中から、それぞれの国でのサッカーにまつわるエピソードを綴った短編エッセイ集である。
町中の至るところでサッカーが行われ、プロサッカー選手になることが貧困を脱する一番の方法となっている国。サポーターが大きな賞賛も激しい罵声も選手に向ける国。民族の壁に阻まれながらも、誇りの為にサッカーをする国。どんなに負けが続いても、地元チームを愛して応援しつづける文化の根付いた国。仕事前にサッカーをして履いたスパイクが、運転席下に置いてあるタクシードライバーのいる国。
世界にはさまざまなサッカーがあり、人々の生活の一部となっている。著者が触れた世界のサッカーが、文章を通して伝わってくるので、私はすぐに引き込まれてしまった。
あるサッカー選手の言葉で、「サッカーは世界の共通言語だ」というのは本当だなと、本書を読んでいて強く感じた。著者が出会った人々にとって、サッカーは生きがいであり、生活の中になくてはならない存在となっている。サッカー強豪国だけでない。ワールドカップに出場したことのない国でも、サッカーを中心とした生活がある。
著者が見てきた世界の国々のように、日本人の生活の中に、サッカーはどれだけ根づいてきているのだろう。サッカーだけでなくても、スポーツが常に生活の重要な一部になり、町中の至る所で老若男女がスポーツを楽しむ光景が見られる世の中になればいいなと、私は強く思う。
(山村 聡)
カテゴリ:人生
タグ:サッカー エッセー
出版元:日本放送出版協会
掲載日:2012-02-07