近代スポーツのミッションは終わったか 身体・メディア・世界
稲垣 正浩 今福 龍太 西谷 修
スポーツ史、文化人類学、哲学というそれぞれ異なる分野から、スポーツの果たしてきた役割について語り合うもの。複数回のシンポジウムでの発言をもとに書籍化している。メディアとの関係性、世界情勢の影響をどのように受けるかなどが立場が違う分、広がりを見せている。
「近代スポーツは、すでにその役割を終えているのではないか」といった指摘もあり、興味深い。エッセイ的なコラムや、各人の思い出として語られた部分から、考える手がかりは身体そのものにあるということが読み取れる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:平凡社
(掲載日:2010-01-10)
タグ:スポーツ史 文化人類学 哲学
カテゴリ その他
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近代スポーツのミッションは終わったか 身体・メディア・世界
稲垣 正浩 西谷 修 今福 龍太
一見、スポーツ科学の専門家が科学的な見解から書いている著書だと思いきや、著者は文化人類学者、フランス文学者、外国語大学のスポーツ史学者といった文系の専門家が近代スポーツとその向かう方向性について討論した内容が載っている本であった。
1章は「スポーツからみえる世界」、2章は「オリンピックからみえる世界」、3章は「21世紀の身体」、4章は「グローバリゼーションとスポーツ文化」と、幅広いテーマで語られているが、討論形式である為、各章のタイトル以外にも様々な点について言及されており、読者の世界をどんどん広めてくれる構成といえる。
私は従来、トレーナーとして、また医療従事者として、身体を科学し、クライエントや患者の抱えている問題を解決し、目標を達成させる立場にある。つまり、かなり理系の思考回路をもって人の身体やスポーツを見つめてきた。しかし、この明らかな文科系の第一線級の著者たちは、全く違う考え方でスポーツや人の身体を捉えており、彼らが論じたスポーツや人の身体の世界は、私に新たな考え方を提供してくれた。
とくに、近代化、科学的根拠に裏付けられ過ぎたサイボーグのような近代アスリート、勝ちにこだわり過ぎたことでエンターテイメント性を失った戦略、スポーツが本来持つべきナショナリズムや政治性をはき違えた放映の仕方をするメディア、平和性や安全性を高めすぎた結果のリアリティ喪失について、危機感を持つ考え方は非常に新鮮であった。
本書はスポーツ観戦をもっと楽しむためのアイデアだけでなく、この国のスポーツ産業活性化のヒントを与えてくれている。スポーツに関わる様々な職種(トレーナー、スポーツマーケティング関係者、監督、政治家など)の人にぜひともお勧めしたい。
(宮崎 喬平)
出版元:平凡社
(掲載日:2018-01-15)
タグ:スポーツ史 文化人類学 哲学
カテゴリ その他
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サッカー批評原論 ブラジルのホモ・ルーデンス
今福 龍太
2008年に出版された著書の再編である。タイトルの「ブラジル」は国名でなく、人間の身体を野生に向けて解放するユートピア。「ホモ・ルーデンス」は文化史家のホイジンガがヒトに与えた、遊ぶ人という意味の学名だ。ブラジルのホモ・ルーデンスが遊ぶサッカーに対して、近代スポーツとしてのサッカーは教育や政治やマーケティング、テクノロジーといった小世界に閉じ込められている。本書は、文化人類学者の今福氏が、起源、伝播、戦術、ファンダムなど 9 つの原論から、サッカーの遊び心や美学を探求し、考察していく。すっきり「わかった!」とはならないかもしれないが、「あれがそうだったのか」という発見がある。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:コトニ社
(掲載日:2021-01-10)
タグ:サッカー
カテゴリ その他
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