人種とスポーツ 黒人は本当に「速く」「強い」のか
川島 浩平
近年、陸上短距離界でのジャマイカ選手の躍進などにより、黒人の身体能力への関心が高まっている。実際に、近年の世界大会において、男子100mの決勝に進んだ選手はすべて黒人であり、NBA選手も8割近くが黒人である。本書はそうしたことを学術的観点から明らかにしようとするものである。
大学教授である筆者の研究成果および国内外の学術論文による知見がふんだんに盛り込まれており、奴隷制や人種差別などの歴史的背景や文化的背景から慎重に読み解こうとするものである。
この手のタイトルによくある、「骨格が…」や「日常生活で走る量が」といった一面的な背景から書かれたものではないため、答えを急いてしまうと少し退屈するかもしれない。しかしながら非常に読み応えがあり、多方面からの考察と事実に基づいた豊富な知識を得ることができる。そしてあとがきにあるように、「人種と知能」という面にも同時に答えようとしている。
黒人に対して身体的な偏見を持ちがちな我々にとって、非常にバランスのとれた見方を提供してくれる一冊である。
(山下 大地)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2015-04-28)
タグ:人種
カテゴリ 身体
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人種とスポーツ 黒人は本当に「速く」「強い」のか
川島 浩平
19世紀にさかのぼって探る
「人種が違う...。」オリンピックの陸上短距離走での勇姿やNBAバスケットボールでのスーパープレイを見ていてそうつぶやいた人は少なくないだろう。大腰筋の太さや下腿三頭筋からアキレス腱の形状などを説明されて、さもありなんと納得した人も多いだろう。黒人は生まれつき身体能力の優れた「天性のアスリート」だと考えることに確かに抵抗は少ない。
しかし、本書はそのステレオタイプや生得説でことを断じる姿勢に疑問を投げかけている。そして解剖生理学的な側面で全てを捉えるのではなく、黒人を取り巻いてきた歴史や文化などの環境的要因について再検討している。著者の川島氏はアメリカの歴史、社会、文化の専門家である。
かつて「人種間の生存競争で、黒人種に勝ち目がないことは明らかである」と「滅び行く人種」とされていた黒人が、いかに「生まれながらのアスリートと」表現されるようになったのか、本書では19世紀まで時をさかのぼりそのルーツを探る。19世紀後半にはすでに野球選手や騎手、またボクサーとして、黒人の中にもわずかながら優秀なアスリートが存在していたようだ。しかし人種関係が悪化していた黒人「不可視」の時代では、彼らは「不当な仕打ちによって黙殺される運命を共有」するしかなかった。
その後も「黒人劣等」を確固たるものとされていた時代は続く。白人至上主義世界で行われていた20世紀初頭の近代オリンピック黎明期にも、黒人はほとんど目立たない存在でしかなかった。アメリカ国内でも、優秀な黒人アスリートは、黒人が身体能力が優れている象徴にはならず、黒人という劣等人種の中の例外的に優秀な存在として「白人化された黒人」と表現されていたという。しかしオリンピックが「国家間、人種間の優劣を決定する競争」としての存在感を増やす中、「多種多様な人々からなる」アメリカが「多種多様な競技種目で最高の成績を収める」必要に迫られたことで、1930年代により多くの優秀な黒人アスリートが頭角を現すことになった。それでもまだ「黒人は劣る」という認識が「白人と同等に」運動能力があると改められただけである。では、この100年ほどで黒人はスーパーアスリートにミューテーションでも起こしたのだろうか。
活躍の舞台
「アフリカ大陸からアメリカ大陸への厳しい航路を生き延び、過酷な奴隷環境を耐え抜いた黒人達はこれまで人類が味わったことのない淘汰を受けて遺伝子を残した」という説も生まれた。その真偽はともかく、これ以降、黒人は生まれながらに運動能力に長けているというステレオタイプが萌芽し拡大する。劣った人種である黒人に後塵を拝した白人の慰めにもされたこの認識は、黒人が自分たちが飛翔する大きな舞台の1つを手に入れたことを意味した。アメリカンフットボール、ベースボール、バスケットボール、というアメリカ三大スポーツを初め、ボクシングや陸上でも、ようやく黒人アスリートの台頭が始まる。
では黒人が全員生来の優れたアスリートか。もちろんNOだ。華やかな場所で輝かしい活躍ができるのはごく限られた人間だけだ。その陰で埋もれ消えゆく数え切れない人間がいるのだ。スポーツのみが出世する唯一の方法と信じ、本当にやるべきことを見失い、自分自身を袋小路に追い込む多くの黒人の若者たちがいることも忘れてはならない。
川島氏は言う。「スポーツでの有利、不有利とは、競技が誕生してから今日までの歴史的な過程の中にある。それは第一に競技の特徴や規則、第二に競技者個人の素質、才能、精神力および運。第三に指導者と競技者、そしてプレイを観戦し、視聴する一般の人びとによって培われた競技に対する見方、期待、価値観、こうしたものが相互的に作用するなかで決定されるものである」と。そして黒い肌という共通点を持つ黒人は本当は簡単に「黒人」と括れないことも意識すべきである。実は「遺伝的な多様性」を持ち、「厳密には定義不可能」とさえ言えるのである。その中で自分の強みを適合した競技特性や規則の中で最大限の努力を払って磨き上げた人間が、適切な時代に適切な場所において、他の様々な要因を味方に付けて初めて輝きを放つのだ。
足枷に気づくために
物事を理解するときに自分が得心しやすいところだけに目を奪われ、それでわかったつもりになることはよくある。先入観が邪魔をして核心に近づけないこと、いや隠れた核心が存在することにすら気づかないことが多い。こんな考え方が己を前に進めることの足あしかせ枷になる。
本書はステレオタイプに振り回されず、物事の本質を追求する姿勢を正すきっかけにもなるはずだ。水泳、陸上競技という黒人の対照的なステレオタイプの象徴となる競技についても1つの章を割いて興味深い考察がなされていることも付け加えておく。読了後は「黒人だから」という一言で済ませようとする発言がいかに浅薄で軽率なものかが理解できるだろう。
日本人も、平泳ぎでの潜水、背泳でのバサロスタートを封じるルール改正やノルディック複合でのルール改正など、スポーツが純粋に身体能力だけで決しないものであることは痛みを持って知っているはずだ。そして様々な形で存在するステレオタイプや既成概念に苦しむとともに、それらを雄々しくブレイクスルーすることで新しい価値を見い出すことに挑戦してきたはずだ。自分自身を縛るような思い込みは捨ててしまったほうがいい。そこに気づくだけでも価値がある。
( 山根 太治)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2013-01-10)
タグ:人種
カテゴリ スポーツ医科学
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