逆風満帆
朝日新聞be編集部
それぞれの事情
人は、皆それぞれの事情でピンチを迎える。たとえば、スケートの岡崎朋美の場合はこうだ。「岡崎はその朝、ベッドから起き上がれなかった。腰から両足へ針で刺されたような激痛が走る。(中略)椎間板ヘルニアだった。緊急の手術を要した。腰にメスを入れることはアスリートの終焉を意味する。髪の毛一本の感覚の違いを氷上で追及するスケーターは、筋肉が回復しても末梢神経の切断のダメージははかりしれなかったからだ」。こういったケガはドクター、トレーナーの間では障害に分類される。突発的な事故によって起こる外傷と違い、慢性的な原因がこのケガを誘発しているからだ。一種の金属疲労と言ってよい。そして、この種のケガのいやらしさは、大抵の場合重要な試合を目の前にして起こることだ。ぎりぎりのところでの調整に、最も弱いところから悲鳴を上げていく。
マラソンの高橋尚子の場合は、ピンチはケガだけではない。2000年シドニー五輪で優勝。しかし、続くアテネ五輪の選考からは漏れる。ここに彼女のピンチがありそうだが、実は違うと言う。「(女子マラソンでは)まだ誰もやったことがない2大会連続金メダルの目標はなくなってしまったけれど、大会は五輪だけではないし」と考えていたようだ。だが、「アテネでは野口みずきが金メダルを取った。高橋は日本女子2大会連続金メダルを喜んだ。そして自分も秋にマラソンを走るつもりだった。ところが9月、練習中に足首を骨折してしまう。それから1年以上もレースから遠のくことになる。逆風が吹き荒れる」。師匠である小出監督との考え方の微妙なズレ、マスコミの執拗な高橋限界説。あらゆる逆風の中、高橋は「小出からの独立は、勇気を振り絞った結論」を出す。
人間万事塞翁が馬
こんな諺が思わず口から出てしまいそうな人生の波間を泳いだ人もいる。吉原知子2005年アテネ五輪女子バレー代表、主将。1988年に妹背牛商高から日立バレー部に入部した彼女は1994年「当時在籍していた日立バレー部の部長に呼ばれた。突然の解雇通知だった。(中略)『ほんとにエッという感じでした。優しい言葉もかけてもらえない。その日のうちに寮から出て行け、荷物はほかの選手がいないときにとりに来いって……』」。その後彼女は「人間不信でした。たたかれて、たたかれて、日本にいられない状態」でイタリアのプロリーグに飛び込む。しかし、1996年アトランタ五輪のメンバーとして再び日本からオファーが届きだす。「吉原は迷った。イタリア残留に気持ちが傾きかけたとき、チームメイトに説得された」。結局、1995年ダイエーで第二のバレー人生が始まる。吉原は再び急峻な人生の道を登り始める。しかし、1996年のアトランタ五輪は史上最低の9位に沈む。やはりここでも逆風に晒されることになる。さらに、これに追い討ちをかけたのが日本バレーボール協会が「若手主体」をお題目にとった年齢制限。彼女は「もう全日本は関係ない」と割り切る。ところが、再び人生は彼女を奮い起こす。「若手主体の全日本はシドニー五輪予選で敗退してしまう。史上初の屈辱だった。(中略)日本バレーは窮地に陥った。実力も人気も下降線をたどる。だが昨春、再建を託された柳本晶一監督から主将として全日本復帰を打診された。『何で今ごろ、私なの。ふざけないでよ』。初めは、反発する気持ちが強かった」。だが結局、「33歳、(再び)使命感が頭をもたげる」のだった。
「スポーツや芸能、文化の各分野の第一線で活躍し、成功をおさめている人たちは、どんな苦難や失敗があり、それをどのように克服してきたのか、直接、聞いてみよう」ということで始まった本書に収められている各々のインタビューは、「ほんとうに大きな困難を克服して今の地位に辿り着いた人たちは、実に冷静に自分を分析していました」という結論を導き出す。だがそれだけではないことに読者は気づくだろう。それは、苦難に勝ち、失敗を克服した人たちが結局今も同じ道を歩み続けている、という事実である。「継続は力なり」。この言葉を今一度強く噛み締めてみる必要を感じる。
(久米 秀作)
出版元:明治書院
(掲載日:2006-07-10)
タグ:インタビュー
カテゴリ 人生
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逆風満帆
朝日新聞be編集部
本書は、第1章「頂点からの転落、そのとき自分は…」、第2章「挫折の中から自分の可能性を切り拓く」、第3章「逆風あればこそ見えてくるものがある」、第4章「たゆまぬ努力と職人魂で1つ上をめざす」、第5章「逆境でも自分を貫く強さが人を惹きつける」によって構成され、各分野で活躍する20名の人物が登場する。
私たちは活躍する人物を見ると、順風満帆に人生を歩んでいるように見える。しかし実際には、外からは見えない陰の努力やさまざまな思いが存在する。さまざまな苦難に遭遇しながらも、その過程で前向きに取り組むことで状況を打開しているのである。見ているようで見えていなかったことや、気づかないでいたことを本書から感じ取れる。そして、多様な角度からものごとを見ることで、スポーツに関わる私たちにも多くのヒントを得ることができるだろう。
本書のあとがきには、次の1文でまとめられている。「ほんとうに大きな困難を克服して今の地位に辿り着いた人たちは、実に冷静に自分を分析していました。自分の失敗や逆境を見つめ直して、他人に率直に語れる人というのは、やはり一流の人だと実感しています」ということである。本書は、謙虚な姿勢や心が大事であり、それが後になって、自分自身に返ってくることを教えてくれる。
(辻本 和広)
出版元:明治書院
(掲載日:2012-10-16)
タグ:アスリートの言葉
カテゴリ 人生
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一流を育てる
朝日新聞be編集部
いったい、人を育てるっていうのはどういうことだろう。そもそも人が人を育てることができるのだろうか?
指導者の端くれとしてそんなことを考えるときがある。もちろん、指導者次第で選手やチームは大きく変わるのは間違いない。しかし、指導者は決して自分が育てたから選手が強くなったなどとは思うべきではない。
言葉を変えて言えば、勝手に選手が育ったのである。そう思うべきであると私は思う。だから、こういうやり方をしたら一流選手を育てられるなんていうマニュアルはないのだと思う。あるとすれば、そこに本気で選手のことを考えている指導者がいて、そこに本当に強くなりたいと思っている選手がいる。それだけのことなのだ。
その数々の、現場での指導者と選手の試行錯誤を紹介してくれている。この本を読み改めて思う、「一流を育てる」ハウツーなどはないってことを。
(森下 茂)
出版元:晶文社
(掲載日:2013-12-18)
タグ:選手育成 指導
カテゴリ 指導
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