「東洋の魔女」論
新 雅史
産業社会学を専攻する著者ならではの視点で、「東洋の魔女」と呼ばれた日紡貝塚女子バレーボールチームが再分析されている。
レクリエーションとして始まったバレーボールが、繊維業界の変遷や東京オリンピック開催、テレビの普及といったさまざまな要素を経て「東洋の魔女」という必然を生んだ。国中に切望された金メダルを獲ることこそが魔法を解く鍵、つまり一女性としての出発であったというのは、彼女らをバレーボール選手として捉えるだけでは見えてこないもので、新鮮だ。
それから時代は大きく変わったが、アスリートであると同時に学生・社会人でもあり、場合によっては母や妻でもある「女子選手」がどうバランスを取るべきかは、現代にも共通するトピックではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:イースト・プレス
(掲載日:2013-11-10)
タグ:バレーボール 東洋の魔女
カテゴリ スポーツ社会学
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野球と暴力 殴らないで強豪校になるために
元永 知宏
冒頭、いきなり衝撃を受けた。「野球と暴力はいまだに親和性が高い」という文章が目に入ったからだ。「親和性」という言葉は一般的にポジティブな意味で使われるはずだ。
本書は10名以上の監督・コーチ・選手の「暴力経験者」へのインタビュー形式で進行する。指導者から選手に対する暴力はもちろん、選手間での暴力(上級生による下級生いびり)や罰としての練習(罰走)などその内容は様々だ。
なぜ、ハイリスク・ノーリターンとも言える暴力に手を染めてしまうのか? 指導者・選手ともに、暴力が発覚すれば謹慎、解雇、活動停止などの措置は免れないはずだ。著者はその理由を様々な角度から考察しているが、結論として、①監督な絶対的な権力、②指導者から選手への一方通行のコミュニケーション、③受身姿勢の選手、④甲子園という聖域、の4つにまとめていた。
…が、私はさらにその「根源」があると考えている。
本書の流れと逆転して中盤に「野球界という閉鎖空間」という言葉が出てくるが、これこそが暴力を根絶できない根源要因ではないだろうか。
外部からの指摘を受けない閉鎖空間ではひとたび暴力に手をつければ、その魔力(本文にも「うまく手なずけることができればものすごい効果を生み」とある)に取りつかれ、歯止めが効かなくなる。殴ることが「正義」となり、指導者が「強くなってほしい」と思って殴ることは正しく、また選手は「期待されているから殴られる」ことは正しいと信じるようになる。となると、似たようなことは他の集団でも容易に起こりうるのではないだろうか。男子バスケの強豪校で起こったことも、大手広告企業で起こったことも…あなたの今いる場所はどうだろうか。
本書の問題提起は、野球界のみならず、閉塞感に包まれた今の日本全体に向けられているのだ。
(川浪 洋平)
出版元:イースト・プレス
(掲載日:2020-11-30)
タグ:野球 暴力
カテゴリ 指導
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