チューブトレーニングとリハビリテーション
山本 利春
もっと手軽にトレーニングができたら…。もっと手軽に負荷を調節できたら…。もっと楽な姿勢でトレーニングができたら…。そう感じた方は少なくないのではないでしょうか。
トレーニングやリハビリテーションの効果を上げるためには、日常生活より少し強い負荷をかけ、かつ少しずつ負荷を強くして継続していかないといけません。この「負荷をかける」「負荷を強くする」「継続しやすい」というポイントが手軽にできるのがチューブトレーニングということです。
本書はチューブの基礎知識やストレッチや種目別のトレーニング方法などについて書かれています。私自身、指導の中で1つのポイントにしているのが継続しやすいかどうかです。いくらよいトレーニングでも、継続できなければ効果を上げることはできません。その点において、チューブは手軽に多方向に負荷をかけることができます。これから始める人も、すでにされている人も新しい方法を見つけることのできる一冊です。
(大洞 裕和)
出版元:河出書房新社
(掲載日:2011-12-02)
タグ:アスレティックトレーニング チューブトレーニング
カテゴリ トレーニング
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マウンドに散った天才投手
松永 多佳倫
結果的に一瞬の輝きに
病気や故障がなかったら、どんな大投手になっていただろうか。あと10年遅く生まれていたらメジャーリーグでどんな大活躍をしただろうか。諦めきれない、整理しきれないものを心の奥にしまい込み、「悔いはない」と言いきる。そんな男たちの苦闘を取材したのが本書である。
筆者は本書のテーマを「一瞬の輝きのためにすべてを犠牲にし、壮絶に散った生き様」としている。だがそれは、今さえよければ、ということではない。本当は長く一線級で活躍したかった。しかし結果的に、「一瞬の輝き」となってしまったのだ。
登板機会が与えられればうれしい。全力で投げる。ひときわ輝く才能を持っているだけに、与えられる機会も多い。それが結果的に酷使されることになる。“150キロのダブルストッパー”元中日の上原晃は言う。「潰されたとは思っていない。投げさせてもらえるのはとても嬉しいことだし、あくまでも自己管理の問題。昔はロングリリーフっていうのが頻繁にあって、決まった状態で投げていない。ロングリリーフはブルペンで準備する作業が多い。つまり、何回も肩を作らなきゃいけないので、かなり負担も大きい。でもあの当時はそれが普通だった。首脳陣に対して何の悪感情も持っていないよ」
そのフォームは正しいか
持って生まれた才能だけでやっていると、いつか故障する。だが、そのことに気づくのは、故障してからだ。
すごい球を投げている今のフォームが、無理があるのかないのか。故障につながりそうなら直さなければならないが、それを見極めるのはとても難しいと思う。うまくいっている状態をいじるのはとても勇気がいるものだし、ましてや、ずば抜けた才能を持っている者に対しては、指導者も口出ししにくいだろう。その投げ方だからこそ投げられる球なのか。それともフォームをいじったらもっとよくなるのか。もしかして持ち味を殺してしまい、ただの平凡な投手になってしまうのではないか。
元ヤクルトの“ガラスの天才投手”伊藤智仁のスライダーは、鉄腕・稲尾和久(元西鉄・故人)をして「伊藤のは高速スライダーじゃない。本物のスライダーだ」と言わしめた。その伊藤のフォームを、江川卓がテレビ中継での解説で「あの投げ方では絶対に肘を壊します」と言い、本当にそうなってしまった。江川の慧眼か、コーチの蒙昧か。それとも仕方のないことだったのか。“江夏二世”近藤真市は、現在中日の一軍ピッチングコーチをしている。彼は言う。「いいモノがあって入ってきているのだからフォームはいじらない。本人が悩んだ時やこのままでは危ないと感じたり、勝負をかけるタイミングの時にフォームのことを言う」「一番大事なのは、怪我をする前にいかにストップをかけてやれるか。これさえ念頭に置けば、あれこれいじらずブルペンで気持ちよく投げさせてやるだけでいい」、確かにその通りなのだろうが、それこそが難しいんだよなぁ、とも思う。
野茂のトルネード投法やイチローの振り子打法など、個性的なフォームで成功した選手もいる。それらを矯正しようとした当時の指導者を笑うこともできるし、やりたいようにやらせた指導者を褒め称えることもできる。だが、それはあくまでも結果を知っているから言えることなのだ。
迷いを抱えて
私は地域の陸上クラブで小学校1〜3年生の指導を担当している。その中にはめちゃくちゃな走り方なのに速い子もいれば、走り方は悪くないのに遅い子もいる。とにかく自分の走り方で気持ちよくたくさん走らせよう、と思ってはいるのだが、本当にそれでいいのか。早い段階から徹底的にドリルを行って、正しい走り方を身につけなければならないのではないか、という迷いをいつも抱えている。
私には才能を見抜く目などない。子どもたちが、いつか競技を辞めるときに「やり切った」と思えれば、それでいいと思っている。そのためには、頑丈な身体が何より大切。私は400mハードルをやっていたが、アキレス腱を痛め、思うように走れなくなって競技から遠ざかっていった。子どもたちにはそんな思いをしてほしくない。そうならないためにはどうしたらいいのだろう。
そんなことを思いながら、本書を読んだ。
(尾原 陽介)
出版元:河出書房新社
(掲載日:2013-12-10)
タグ:野球
カテゴリ スポーツライティング
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メンタル革命
高畑 好秀
新しいことに立ち向かうときに、困難を恐れて闘う前に気持ち(精神)で負けてしまう人は多い。自分の弱さと真正面から向き合うための「こころを鍛える方法」を紹介。有名・著名スポーツ選手30人の実践例を収録。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:河出書房新社
(掲載日:2004-05-10)
タグ:メンタルトレーニング
カテゴリ メンタル
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伊能忠敬 日本を測量した男
童門 冬二
言わずと知れた、日本を測量し、地図をつくった人。生い立ちは決して明るくない。
母を亡くしたあと、婿養子だった父は、家を追い出されるように実家へ戻る。そのとき、上2人の兄弟は連れて帰るが、忠敬は置いていかれる。その後、父親に呼び寄せられるが、忠敬に対する態度は冷たいままだ。置いていかれた庄屋では、年貢の取り立てなどのために、役人の出入りが多くあった。そこで忠敬は、そろばんの使い方を教わり、計算を覚える。夜になれば空を見上げ、星を眺めた。悪いことばかりではなかったのかもしれない。
やがて忠敬は伊能家に婿養子として迎えられる。不幸が続き、跡継ぎがいない状態で切羽詰まり、白羽の矢が立ったのが忠敬だった。伊原村では、伊能家は永沢家と並び、ご両家と呼ばれる名家だった。しかし、姓を名乗り帯刀が許される永沢家に遅れをとっていた伊能家は焦っていた。最初こそ白眼視されていた忠敬だったが、次第に頭角を表し、伊能家のみならず、地域のひとびとにも感謝され、信頼されるようになる。この過程を興味深く読んだ。
奉行所との折衝では伊能家3代前の景利が残した膨大な資料に助けられながら、自身の主張の正しさを証明する。天明の大飢饉では、非常時のためにプールしていた財産をすべて吐き出し、佐原村のひとびとだけでなく、放浪者のために炊き出しも行う。伊能忠敬は、世のため人のためにしなければいけないことは、率先して行わなければならない、という考えを生涯持ち続けた。
その公僕精神が災いしてか、日本測量の旅では、まわりのひとびとと、摩擦や軋轢を生むこともあった。それは52歳の伊能忠敬が、31歳の高橋至時に師事してからの話になる。サムエル・ウルマンの青春の詩がぴったり。
(塩﨑 由規)
出版元:河出書房新社
(掲載日:2022-07-25)
タグ:地図
カテゴリ 人生
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