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人生改造 生活習慣病を防ぐ本

著者は、今話題の人、『生き方上手』という本を著した聖路加国際病院理事長である。

この本を読んで初めて知ったが、「生活習慣病」という言葉について、著者は四半世紀も前に、「大人の慢性に経過する疾患」をそう呼ぶべきだと主張してきたという。

「その理由は、大人の慢性病の多くは若い時からの生活習慣の誤りによってつくられるということを、健康である人にも理解してもらい、生活習慣病をどのように予防し、健康に対しどう責任を持つのかを、社会一般の人々に認識してもらいたかったからです」

従って、本書で述べられていることは、医学的なことばかりではない。

「私の習慣論では、友達の持ち方、医師の選択の仕方も習慣によるものであり、良き選択習慣をつけることによって人生はさらに豊かになると思っています」と記されているように、食べる習慣、睡眠の習慣、運動の習慣のほか、考える習慣や医師の問診の受け方なども含まれている。

「人生のすべては、努力して体得した習慣の産物だと思います」と言い、「自分をデザインする」というキーフレーズも登場する。

すぐに読めるし、何度でも読める本である。
(月刊スポーツメディスン編集人・清家輝文)



日野原重明著、A5判 222頁 1,300円+税
幻冬舎

自分の頭と身体で考える

99年に単行本として出版されたものの文庫。
養老氏と甲野氏の対談は比較的多いが、解剖学者と武術家という対比から生まれる世界が面白いからだろう。

「体の各部分がなるべく細かに割れるようにして、その割れた身体をちょうど泳いでいる魚の群れが瞬時に全員が方向転換しているような感じで体じゆうを同時に使うんです」。
抜刀術での甲野氏の説明である。
従来の型にはまらない、自分なりに到達した境地を語っている。
そしてその言葉を、養老氏は自分なりに理解し、解剖の分野から目と脳の働きと合わせながら説く。
「同時並行でいくつかのものが動いているわけでしょ。それは目が一番得意にしていることなんですね」

養老氏はこうも言っている。
「今、教育をしていて、僕も一番因るのは『先生、説明して下さい』という学生ですね。
『説明して下さい』ということは、説明されればわかると思っているということですよ」。

説明と理解、その構図では言葉が神様である。
身体、からだはどこにあるか。解剖学の身体、武術でのからだ。
対談をきっかけに、自らの身体で考えていくのも面白そうだ。
(月刊スポーツメディスン編集人・清家輝文)



養老孟司・甲野善紀書、文庫判 247頁 514円+税
PHP研究所

病院の内側から見たアメリカの医療システム

著者は、日本の薬学部を卒業後、製薬会社に勤務したのち、ワシントン大学大学院医療経営学部を卒業、病院経営のプロとしてアメリカで様々な経験を積んだ。その経験から書名通りの内容を記したのが本書である。

日本は多くのことをアメリカに学んできた。
現在でも、経済や政治はもちろんスポーツでもアメリカが最大の情報源であり、「お手本」にもなっている。

アメリカに偏りすぎるという批判が多く出てきているが、アメリカの医療システムを学ぶことは日本の医療を考えるとき必ず参考になる。
「病院の内側から見た」というところがミソで、「医療においてアメリカはどうなっているのか」という疑問を持つ人には、とても面白く、ためになる本である。
(月刊スポーツメディスン編集人・清家輝文)



河野圭子著、B6判 248頁 2,200円+税
新興医学出版社

からだことば

身体感覚と、言語、文化との結びつきを、豊富な例を駆使しながら話し言葉で解説している。
民族独自の身体感覚が表れている例として、日本人は肩がこり、アメリカ人は首がこり、フランス人は背中がこると言う。肩に対しての意識は、日本人において強い。
「肩にかかる、肩身が狭い、肩を持つ、肩書き」など。
こうした問題を、歴史的に分析し、現代社会を読み解いている。

痛みについての表現でも、日本では擬態語を使ったズキズキ、キリキリ、シクシクという表現を共有している。
そして、痛みがあって初めて内臓や骨を強く意識する。
痛み自体が、身体からの自己表現手段になっている。
痛みそのものは、他人には理解できない。自分が痛みの体験をもっているから、他者の痛みを理解できるのである。
その感覚をお亘いに知っているからこそ、人間的な関係が築けるのではないかと言う。

しぐさや言葉の使われ方を丁寧に観察し、考えを進めていくことで、これほど豊かな世界が広がっていたという新鮮な発見が得られる書である。
言葉の使い方や目の向け方に少し気を使うことで、相手とのコミュニケーションは豊かに円滑になるかもしれない。
それは医療でもスポーツでも会社でも同じである。
著者は、医療では患者に専門用語を使うべきではないと言っている。
せめて看護士が、医師の言葉を翻訳して伝えたほうがよいだろうとも言い、「医療が変わるには、まず医療の言葉がかわらなくてはなりませんね」。

言葉と身体感覚については、もつと切実な思いを持っている方も多いだろう。
現代社会でだんだんと失われていった身体に関する知恵が、今もなおしぐさや言葉に色濃く残っている。
それは文化の財産としてこれからも生かすことができるはずである。
(月刊スポーツメディスン編集人・清家輝文)



立川昭二 文庫判 313頁 660円+税
早川書房

武蔵とイチロー

天才の世界
 湯川秀樹という方を皆さんは覚えておられるだろうか。1949年に日本人初のノーベル賞受賞者となった物理学者である。その彼が、晩年になって出した本の中に『天才の世界』というのがある。これは、古今東西の歴史に残る偉業を成し遂げた人々、いわゆる天才と言われた人々の創造性の秘密を解明しようという意図の下に書かれた書物である。彼は、この本の「はじめに」の中で天才について次のように述べている。「(天才に)共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。それは外から見て異常かどうかということでなく、当人の集中的な努力が異常なまで強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである」
 では、今回の主人公のひとり、武蔵は天才か。私が知っている武蔵は、小説家吉川英治氏が描いた武蔵のみであるが、これを読んだ限りでは、どちらかといって愚直なまでの努力家タイプに思える。むしろ、彼と巌流島で決闘した佐々木小次郎のほうが天才タイプではなかったか。しかし、前述した湯川氏の天才論で言えば、異常なまでに強烈に剣術を持続して磨いたという点では、間違いなく武蔵は天才だ。  もうひとりの主人公イチローはどうか。これには誰もが天才と口を揃えるだろうが、ではなぜ? おそらく、皆イチローのセオリーを無視したようなバッティングフォームとその結果を見て、いわゆる天才肌的なものを覚えるからであろう。しかし、ここでも湯川論に従えば「外から見て異常かどうか」が天才の判断基準になるのではない。あくまでも異常なまでに強烈な集中力がイチローには見て取れるところに彼の天才たる所以があると、この筆者は見たようだ。

ユルユルとトロー
 筆者がこの二人に共通して着目したものに「脱力」がある。筆者は、まず武蔵については、彼の肖像画から類推して、彼の剣を構えたときの身体には無駄な力が入っていないと指摘する。刀はユルユルと握られ、全身は脱力されている。しかし、その脱力はフニャフニャしたものではなく、トローとした漆のような粘性を持った脱力だと言う。武蔵が残した有名な書物に『五輪書』があるが、この中で武蔵は「漆膠(しっこう)の身」ということを書いていると言う。そして、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないこと」だとも書いていると言う。つまり、相手の動きに粘り強く着いていくには、トローとした脱力が必要だと言うわけである。これはイチローにも当てはまる。本来、バッティングとは投手が投げてくる球に対して自分のヒッティングポジションが合致すれば、クリーンに打ち抜けるものだ。従って、投手は打者の得意なヒッティングポジションに球が行かないように、球種を変えコースを変えてくるのである。しかし、イチローはトローと脱力した身体で、あらゆるコースの球に密着してくる。だから、イチローには特に待っているコースもなければ決まったヒッティングポジションも存在しないと言うわけである。

天才と凡人の違い
 私は、今回この本を読んでいて、どうも近年のスポーツ科学者は、私も含めて客観的事実というマジックに捕らわれすぎたようだ、という反省を覚えた。客観的事実の積み重ねの上に真実が現れるという科学的分析手法は、誰もが理解し納得いくという点では優れた手法であることは認める。しかし、簡単に言ってこの手法で明らかになるのは、大方が同じ結果になるから真実だという結論にすぎない。果たして、それは真実なのか。大方とは違う結論の中にも真実はないか。データでは見えてこない真実。ここを見て取れるか否かが天才と凡人の違いではないか。特に、指導者には耳を傾けていただきたい。「日本スポーツ天才学会」や「日本スポーツ異端児の会」などあってもよくないか。
 最後に、再び湯川氏の天才論をご紹介したい。「――、私たちは天才と呼ばれる人たちを他の人たちから隔絶した存在と思っていない。(中略)ほとんどの人が、もともと何かの形で創造性を発現できる(つまり天才的)可能性を秘めていると考える」
(久米秀作・帝京平成大学情報学部福祉情報学科助教授)



高岡英夫著 文庫判 224頁 495円+税
小学館

スポーツマンシップを考える

ちょっとお耳を拝借

さて、冒頭から恐縮ですが、ただいまより「すべてのスポーツ・コーチに捧げる、――コーチ必読!知ってるようで知らないスポーツ用語解説集――これを読めば貴方も明日から一流コーチの仲間入りだ!編」を始めたいと思います。(ずいぶん大袈裟なタイトルだなぁ……)

(1)「スポーツとは何か」
 遊びであり、競争です。

(2)「スポーツマンシップとは何か?」
 スポーツを通じて身につける人格的な総合力のことです。

(3)「フェアプレーという考え方はどうしてでてきたのか?」
 スポーツが単なる遊びから、勝利を求めるものに変化していったからです。

(4)「なぜスポーツマンシップを教えなければならないのか?」
 スポーツマンシップなしにはスポーツは成り立たないからです。

(5)「なぜ戦う相手を尊重するのか?」
 素晴らしい勝利を得るためには、素晴らしい対戦相手が必要だからです。

(6)「なぜ審判を尊重するのか?」
 審判がいなければゲームが成り立たないからです。

(7)「なぜゲームを尊重するのか?」
 スポーツの素晴らしさが、そこに集約されているからです。

(8)「ルールを守ればスポーツマンか?」
 必ずしもそうではない。伝統や慣習を尊重することも重要です。

(9)「勝負に徹するなら“スポーツマンシップ”はきれいごとか?」
 きれいごとではなく、それこそが本質です。

(10)「“スポーツマンシップ”を教えると強くなるか?」
 はい、その通りです。

さぁ、いかがでしたか。
あんなに長年指導しているのに、なぜうちのチームはちっとも強くならんのだと、やたらこの頃酒量が増えている古株コーチも、ともかくスポーツは若さと情熱で教えていますという、どちらが選手かわからない新米コーチも、ちょっとこの辺で「スポーツの本質」について、上の「用語解説集」を参考にして改めて考えて見ませんか。
きっと、絡んだ糸がほどけるように、一味違うコーチングが見えてくるはずです。
えっ、まだよくわからない? そういうコーチは、本書をお読みください。
因みに、ここに掲げた用語とその解説は、本書の目次とそのサブタイトルそのままなのです。

本書にはこの他に、元サッカー日本代表監督岡田武史氏と元ラグビー日本代表監督平尾誠二氏による対談「世界と戦うために」が収録されており、選手に望まれるメンタリティや判断力等について興味ある意見が交換されています。
ただいまコーチ真っ只中の人にはたまらない内容ではないでしょうか。

きっと、本書を読み終えた後の貴方の顔は、一流コーチの顔になっていますよ。
(久米秀作・帝京平成大学情報学部福祉情報学科助教授)



広瀬一郎著 A5判 183頁 1,500円+税
ベースボール・マガジン社

ここ一番!の集中力を高める法

いろいろな局面での「ここ一番!」に強い人と弱い人がいるが、その差は「集中力」によって異なるという。
一流のスポーツ選手からビジネスマンに至るまで、具体的な例を挙げ、集中力を高める方法が満載の実践書。



児玉光雄著 四六判並製 182頁 1,300円+税
東洋経済新報社

史上最も成功したスポーツビジネス

はっきり言って歴史の違い

私の蔵書の中に「THE PICTORIAL HISTORY OF FOOTBALL」というのがある。
要するに、アメリカンフットボールの歴史を写真で追ったものだ。
そして、この本の最初に「CAMP」なるタイトルのついた章があって、そこには口ひげをはやし、左手を後ろに回して直立姿勢で立っている男の写真が大きく掲載されている。
その男こそが現在のフットボールの原型となるルールを確定したウォルター・キャンプその人である。
その写真の説明には「ウォルター・キャンプは1878年にエール大学のキャプテンとなった。
彼は革新的なアメリカンフットボールのルールを背景に、大いに活躍した」と記されている。

1878年は、日本で言うと明治11年である。
この年、日本では明治新政府の立役者であり、版籍奉還や廃藩置県を断行した参議兼内務卿の大久保利通が東京紀尾井町で刺殺されている。
まだまだ国の存亡ままならぬ状況の中で、ましてスポーツなんぞという時代であった。

1892年、米国ではアメリカンフットボールは人気スポーツとなり、初のプロプレーヤーが誕生したと本書に書かれている。日本では明治25年に当たる。
この年日本には本格的テニスコートが東京・日比谷の英国公使館の中庭にでき、これをきっかけにテニスが盛んになったという。
でも、フットボールではないのだ。

日本で初めてアメリカンフットボールの試合が行われるのは、それから43年後の1935年(昭和10年)。
東京・明治神宮外苑で横浜選抜と在日外人チームの試合が第一戦であった。
そのころ、米国では現在のNFLは既に組織されていたし、1934年にはNBCラジオで全国向けに初めて放送が行われたという。
そして、1935年には現在も行われているドラフト制度ウェーバー方式を導入したという。
やはり、はっきり言って歴史が違うのだ。


スポーツと体育の違い

本書は、新市場開拓の原則として次の2つを挙げている。
(1)ファンデベロップメント、即ち顧客の開拓、(2)メディア展開、即ち如何にしてメディアへの露出度を増やすか。

両方とも納得だが、特に(1)の顧客の獲得には大変な時間を要するという。
つまり「特にプロスポーツの場合、人々がファンとなるスポーツは、自分が過去にプレーしたことのあるスポーツであることが多い」という。
これも納得。
つまり、日本の場合、過去におけるスポーツ経験とはイコール学校体育でのスポーツ経験となるので、NFLジャパンでは現在日本でのNFLファン獲得作戦の一環としてフラッグフットボールという安全で誰もがフットボールゲームを楽しめるプログラムを全国小学校に展開中という。
これも納得。
因みに、何を隠そう私もこのフラッグフットボール経験者の一人で、年齢、男女混合チームでゲームをやる気分は格別です。 読者諸君、一度経験すべし。

閑話休題。
しかし、これらのNFL顧客獲得作戦には大事なものが抜けている。
それは、スポーツはやるものと同時に観るものだとういう視点だ。
残念ながら、今までの日本のスポーツ教育には、ここが決定的に欠けていた。
つまり、教育・教材としてのスポーツ、体育だったのである。
事実、全国の小・中学校のグラウンド、体育館に観覧席が用意されている学校が何校あるか? あるのはスポーツをやるためだけの施設ばかりだろう。
私自身、もう10年以上前になるが、娘のミニバスケットボールの試合を体育館の外から、狭い出入り口に沢山群がる他の保護者に混じって立ちながら応援したのを覚えている。
観覧席があったら、もっと楽しめただろうに。

NFL関係者の皆さん、そんなに史上最もビジネスを成功させた余力があり、あくなきビジネス精神の元、さらに日本、そしてアジアとビジネスチャンスを目論むなら、全国の小・中学校に観覧席を寄付して下さい。
そうすれば、必ずや日本人はスポーツを観る楽しみを理解します。
そして、アメリカのように、会場近くでバーベキューパーティーもやるようになります。
なんせ、史上最もマネがうまい国民ですから。
(久米秀作・帝京平成大学情報学部福祉情報学科助教授)



この本ではNFLがいかにアメリカ国民にとっての文化となりえたか、そのためのブランディング戦略について書かれている。ブラックアウトやマンデーナイトフットボールといった、日本のプロ野球やJリーグでは行われていないNFL独自のものが紹介され、大変興味深い。
本の中で、強い感銘を受けた点はNFLが、ブランディングやスポンサーシップの獲得に際して、アメリカンフットボールというスポーツの持っている要素を、商品やサービスに込められたコンセプトと結びつけて考えている点だ。たとえば、ボールを敵陣に運ぶために戦略や情報を用いるというアメリカンフットボールの特性を物流企業のコマーシャルに提供するといったことを行っていたり、フラッグフットボールのキットを日本各地の中学校に寄贈し、スポーツが苦手な子でも戦略を考える役ができるといったようなアメリカンフットボールの特性を提供したりしている。日本人選手がNFLに誕生するのはまだ先のことと見るや、日本人でNFLチームに所属するチアの方のドキュメンタリーをつくり、異国での生活や家族との葛藤を描いたりしている。
スポーツ団体にとって、そのスポーツを普及させるために行っていることは、そのスポーツがいかに面白いかを訴えているケースが多い。しかし、NFLは、アメリカンフットボールの面白さを訴えるだけではなく、世の中にNFLというブランドの持つ価値を投げかけている。
このように、スポーツを通じた何かで社会に訴えるという点が日本には欠けており、野球やソフトボールが五輪競技に復活できなかった理由もこの点に一因があるのではないかと私は考えている。スポーツビジネスを勉強している方だけではなく、スポーツを普及させたいと願っている方にもぜひ読んでもらいたい。(松本圭祐)



種子田穣著 本庄俊和訳 B6判 207頁 1,400円+税
毎日新聞社

究極の身体(からだ)

運動進化論が解く人類究極の身体能力とは? カラダが持つ能力を様々な視点から解説。カラダの素晴らしさや巧みさ、面白さを再確認する現代身体論のバイブル。



高岡英夫著 A5判上製 331頁 2,800円+税
ディレクト・システム社

ミラクルトレーニング 7週間完璧プログラム

スポーツ・サイエンス開闢への期待

2002年7月6日に始まった第89回ツール・ド・フランスは、21チーム総勢189名の選手がひしめき合う中、23日間のフランス一周の旅に出た。
コース全長が3,277kmに亘るこのレースは、まさに人間が持ち得る叡智と体力のすべてを結集して挑戦する「世界でもっとも過酷なスポーツ・レース」といっても過言ではない。

この「世界でもっとも過酷な」レースを今大会を含めて4年連続で制した男がいる。
その男の名はランス・アームストロング。
アメリカ・テキサス州生まれ、30歳。
彼は幼い時からサイクリングに親しみ、そしてごく自然にロードレースに出るようになったという。

さて、今回のもう一人の主役クリス・カーマイケルが、ランスと出会ったのは1990年ランス17歳のとき。
当時、アメリカ自転車競技連盟の男子ロードナショナルチームコーチになったばかりのクリスは、ランスの走りを見て、彼が秘めている大変な潜在能力に気づくとともに、彼は走り方について何も知らないと感じたという。

ところが、順風満帆に見えたランスの競技人生に大きな転機が訪れる。
それは、ランスの身体が癌によって蝕み始めているという事実から始まる。
彼は、睾丸癌と診断されたのだ。1996年7月のことであった。

しかし、本書でこのことに触れられているのは、ほんのわずかだ。
むしろ、本書のテーマはこんなところにあるのではないと言わんが如く、第一章から「自転車の基本」といきなり本質にフォーカスを絞って、機材のフィッティング、コンポーネント、メンテナンスと修理、ライディングポジション、ハンドリングなどの項目が並ぶ。
玄人好みのハードな出だしだ。

そして、本書の心臓部はなんと言っても第二章「カーマイケル・トレーニング・システム(CTS)」。
まさにこれがタイトルにある「ミラクルトレーニング」の本性であるわけだが、このシステムの中核をなす心拍トレーニング法やターゲット心拍数、有酸素運動領域の上限ぎりぎりでトレーニングするための乳酸閾値(LT)の概念などは、日本ではまだあまり一般的ではない。
このようなスポーツ・サイエンス領野の専門用語がごく普通のトレーニング用語として頻繁に文中に出てくるところに、スポーツパーフォーマンス(競技成績)とスポーツ科学の米国における親和性を羨ましく思うのは私だけであろうか。

極めつけは、本書後半に出てくる「ペダリングの科学」。
アメリカ・オリンピック・トレーニング・センターのスポーツ科学技術部門が行ったバイオメカニクス・サービス・プログラムによるテストを分析した結果、ランスたちアメリカナショナルチームのペダリング・ストロークが画期的に変わったという。
まさかこの結果が、その後のランスの強さのすべてとは思わない。
しかし、こういった記述をみて、わが国でも一日でも早く、一般のスポーツ書籍の中に競技成績とスポーツ科学の相関が当然の如く記述され、それをまた当然の如く読者も受け入れられるようになってもらいたいものだと感じた。
これこそ、まさにわが国のスポーツ・サイエンスの開闢というものではないか。
本書は、そんな期待を抱かせる一冊であると、私は思う。
(久米秀作・帝京平成大学情報学部福祉情報学科助教授)



ランス・アームストロング、クリス・カーマイケル共著 本庄俊和訳 四六判上製 272頁 2,400円+税
未知谷

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