トキザネ先生
今回は“脳”の話である。タイトルには「脳百話」とあるが、正確には101話の話題がそれぞれ読み切り方式で出てくる。
しかしすべてが脳の話ではない。脳にまつわる話と言ったほうがよいかもしれない。
ところで、脳の話となると、私は個人的に時実利彦著「脳の話」(岩波新書・青版)を思い出さずにはいられない。
このトキザネ先生の名著と出合ったのはまだ夢もチボー(希望)もあった大学院生のときと記憶している。
私はこの単行本のおかげで研究室に通う電車の中、ひたすら脳の神秘に浸り、ヒトの動きの妙に感嘆し、自身の将来の研究に大いなる野望を抱いたものだったが、果たして・・・。
話を戻そう。
トキザネ先生は本書の第一章に「心のすみかを求めて」と題して、脳研究小史をお書きになっておられる。
それによると、人間の“精神”というものが整った形で考えられるようになったのは西暦紀元後のローマ時代になってからだと言う。
この時代のヒポクラテスとともに古代医学の祖と呼ばれているガレノスが、それまでのアリストテレス流の心臓に心の座を求める考え方を否定して、人間の精神を想像、理性、記憶、感覚と運動の4つに分類し、それらが脳でつくり出されると主張したのだという。
しかし、ガレノスの死後約1300年の中世暗黒時代には、彼の主張はマホメット教やキリスト教の教義に反するという理由で歪められてしまったのである。
しかし18世紀に入ると再び脳の実質そのものに精神の働きを求めようとする考え方が出てきて、19世紀には実験脳生理学の黎明期を迎える。
その結果、大脳皮質の働きが徐々に明らかにされていったのである。
そして20世紀に入ると、麻酔法の発達と脳外科手術の進歩によってより精密な脳研究が進められるところとなったのである。
動く“脳”と栗5かい“脳”
このトキザネ先生の著書を読み進めていくと、さかんに“働き”という言葉に出合うことに気づく。
「大脳皮質の“働き”」とか「頭頂葉の領域では判別や認識の“働き”がある」と言った具合である。
しかし、本書にはこのような言葉使いはあまり出てこない。
本書では、「呼吸や咀嚼・歩行といった生存のための基本運動は(中略)脳幹で制御される」「(指のタイピンク運動など)を効率的にするためには、(中略)一次運動野への入力が重要である」となる。
こう言った言葉の使い方ひとつにしても、そこから現代の脳科学の進歩が窺い知れる。
そう言えば、本書のサブタイトルは「動きの仕組みを解き明かす」であった。
脳機能の動きの解明、多分トキザネ先生なら“脳の働きを解き明かす”としたであろう。
さて肝心の内容であるが、これが極めてユーモアのセンスに富んだ内容なのである。
例えば、タイトルだけ追ってみると「黙って座ればぴたりと当たる--脳地図と脳機能地図」とか「宇宙で筋肉はどうなる」「休めば痩せる筋線維」「うさぎとかめの筋線維」さらには「夢は目玉を駆け巡る--REM睡眠の話」「アガる人・キレる人--感情の運動作用」などなど。
この本の執筆者たちは相当“柔らかい脳”の持ち主である。
本書にはこの他に「名人への道のり」と題した中枢の運動学習についての記載もある。
それによると、中枢は訓練によって運動の効率化を‘学習”すると言う。
多分柔らかい脳の持ち主は、この効率化によって得た余裕をユーモアに当てるのであろう。
読者諸君にも是非本書に触れて“柔らかい脳”とユーモアを学習してもらいたいものである。
(久米秀作・帝京平成大学情報学部福祉情報学科助教授)
松村道一、小汚伸午、石原昭彦編著 B5判 224頁 3,000円+税
市村出版
|