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50歳からはじめる あなたにピッタリ! ウォーキング

本書は、日常生活の歩く動作を通して人間の健康寿命をより長くしていくため、図や絵を用いわかりやすく解説したウォーキングの手引書である。副題は『長持ちするカラダをつくる〈湯浅式〉歩き方術』。テイク1の「体のしくみとウォーキング」では脂肪燃焼や筋力低下の予防など、歩く運動効果を解説し、テイク2の「ウォーキングの約束ごと」では、歩く際のシューズ選びから、基本姿勢、ウォーキングエクササイズ時の留意点や知識を科学的にアプローチし、ウォーキング入門者にもわかりやすくまとめている。その応用編「さぁあなたにぴったり!ウォーキング」では、骨粗鬆症の予防・改善や、全身体力の向上、肩こり予防、生活習慣病予防など、目的別にウォーキングエクササイズを紹介し、通常の歩きに加えて、変則的なフォームも紹介している。ウォーキングは、無理なく簡単に50代からでも実践できる。「歩く」は効果的なエクササイズとなるだろう(M)



湯浅景元著、A5判 141貢、2006年6月30日刊、1470円
山海堂(03-3816-1617)

はり100本

「指一本でも楽になってもらうために全力をつくせ」。師事していた関卓郎氏のこの教えを実践している鍼灸師の竹村氏の著書。鍼灸の効用、実際の治療の流れをから、これまで鍼を刺してきた人々の話、恩師の言葉、鍼灸師のあり方まで多岐にわたって綴っている。副題は『鍼灸で甦る身体』。
竹村氏は、現代人は鍼応えがないと言い、そのからだを「鬱の身体」と表現する。本来、適度な抵抗があるはずの身体が「まるで豆腐に鍼を刺すように、ぷすぷすと何の手応えもなく鍼が通ってしまう。あるいは、逆に、生ゴムのようにネチネチとした、きわめて不快な必要以上の抵抗感がある」とのこと。腰痛や肩こり、胃もたれ、女性の生理不順など、治療に訪れる人が持つこれらの症状は、いずれも身体の鬱が原因と指摘する。
その鬱を取り除く最も効果的な手段の1つが鍼灸であり、本書には各界の著名人を含めた治療の実例も紹介されている。著者のからだへの深い洞察には驚かされるばかりで、ぜひ読んでほしい一冊である。(H)



竹村文近著、新書判 204頁、2006年5月16日刊、714円
新潮社(03-3266-5111)

遺伝子が解く! 万世一系のひみつ

動物行動学を専門とする竹内氏が素朴な疑問に答える週刊文春の連載をまとめた本。読者が寄せた55の質問とその回答を収めている。
最初に取り上げられている43歳男性の“(前略)男にとって女性のくびれは、いったいどんな意味を持っているのでしょうか”という質問では、「くびれたウエストは、妊娠していない(あるいはした経験がない)ことの証」という説をきっぱりと否定、くびれている女性が受胎しやすいこと、男性にとってくびれている女性が圧倒的に人気があることを示した研究を挙げ、「そもそも人間の女は、脂肪を如何に体にめりはりつけて蓄えるかを魅力にする動物なのです」と説く。38歳女性の飼い主とペットが似ているのがなぜかとの疑問には、人間が似たもの同士で惹かれる現象(アソータティブ・メーキング)を引き合いに出し「ペットとの間にも出てしまったということ」と回答。顔写真からペットの飼い主を当てるクイズが収められているが、正解を見ると思わず納得してしまう。 遺伝子がいかに私たちのからだに作用しているか、読めば読むほど実感できる。(H)



竹内久美子著、四六判 280頁、2006年5月15日刊、1500円
文藝春秋(03-3265-1211)

99.9%は仮説

光文社新書の1冊。副題は「思いこみで判断しないための考え方」。プロローグで「飛行機がなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない」ときた。「ン? 本当に?」と誰でも思うが、本当。一応説明はされているが、科学的根拠はない。
しかし、著者はこう言う。「よく『科学的根拠』がないものは無視されたりしますが、それはまったくナンセンスです。なぜなら、科学はぜんぶ『仮説にすぎない』からです」。したがって、仮説だから、ある日突然くつがえる。
もうひとつ、本誌の読者なら「局所麻酔についてはメカニズムが詳しくわかっているのですが(もちろん、根本原理まではわかっていませんが)、驚いたことに、全身麻酔については、ほとんどわかっていないのです!」という箇所にうなずく人もいれば、驚く人もいるだろう。教科書には、いかに全身麻酔が効くか、いかに全身麻酔薬を用いるべきかは書いてある。しかし、なぜ効くかについてはほとんど書かれていない。
どんどん恐ろしい話になっていくが、天才物理学者リチャード・ファインマンの「科学はすべて近似にすぎない」という言葉も含め、本書を読めば、「世の中はすべて仮説でできていること、科学はぜんぜん万能ではないこと、自分の頭がカチンカチンに固まっていること」を知ることになる。科学が身近になり、首をかしげることの大切さがわかります。(S)



竹内薫著、新書判 254頁、2006年2月20日刊、735円
光文社(03-5395-8114)

持続力

ひとりの父親として……
「父親が息子に残せるものは、いったいなんだろう」。2004年に開催されたアテネオリンピックで見事銀メダルに輝いたアーチェリーの山本博が、今一番心に宿している懸念はこのことだ。
「“的”は自分の心を映す鏡」だと、彼は言う。「標的に刺さった矢を見ると、その選手がどんなことを思いながら射ったかがわかる。(中略)私自身も的に刺さった矢を見ながら、自らの心と向き合ってきた。(中略)ときには『誇らしく』、ときには『怒り』、誰と殴り合うわけでもないのに、心が痛いほどつらくなった日も数えきれない」。
山本の“矢”は、実は彼自身にも向けられて射られていたに違いない。「私のオリンピックにおけるアーチェリーの成績は、1984年のロサンゼルスオリンピックでの銅メダルを頂点に、以後、ソウルオリンピック8位、バルセロナオリンピック17位、アトランタオリンピック19位、そしてシドニーオリンピックは国内選考会で敗退するという、完全に“右肩下がり”の悲惨なものであった」。しかし、山本は“どん底の16年間”と呼ぶこの時期を越えて、再び4年後のアテネに照準を合わせて始動し始める。
「山本の時代はすでに終わっている」「何度挑戦してもダメなものはダメだ」という周囲の強烈なアゲインストを受けながら、山本はいったいこの時期何を考えていたのだろうか。「やる前から結果を考えてなにもしないなんて、そんな後ろ向きな人生でいいのであろうか」「成功や勝利が向こうから勝手に来てくれることなどないのだ。獲りに行った人だけが、勝ち取るチャンスを得られるのである」。教育者としての顔も持つ山本は、自分が日ごろ生徒に対して指導している内容からも学ぶものがあったという。「生徒たちは転び続ける中で、転び方を覚えていく。『受け身』が取れるようになるのだ。(中略)転んだら自分で起き上がる。当たり前のことを当たり前にするだけで、決して難しく考えてはいけない」。
選手の前に教育者であり、教育者の前に父親である彼は、さらに父親である前にひとりの人間であるという、まことにシンプルな事実を愛する息子の前に正すことで、冒頭の“懸念”に答えようとしているように見える。

生涯一アーチャー
山本は生涯一アーチャーでいたいと言う。「私は、生涯現役を貫き通すつもりでいる」という彼は、「本当の実力ではなく、二次的な力や過去の経緯、地位によって栄誉や役職を獲得している人たち」に強い嫌悪感を表明する。「アーチェリーという種目であるがゆえに、いくつになっても、選手としての力が公平明白に評価されるのだ。私は、その明白な自分自身の力量を日々、実感しながら生きていきたい」。
山本がメディアで“中年の星”と呼ばれていることは多くの方がご存知であろう。若さの代名詞のような“スポーツ”分野にあって、40歳を超える男がいまだに世界のトップにいるという事実を日本流に解釈すると、実年齢的には“中年の星”ということになるのかもしれない。しかし今回本書を手にとってみて、私は実に新鮮な感動を覚えた。つまり彼、山本博の“中年”ではなく“少年”の部分に感動し、それを自分自身に置き換えたときに、自分の中にも“少年”の部分があることに気づかせてくれた彼の数々の言葉に、私は正直感動を覚えた。「強き敗者こそ真の勝者」、「なにもしない批判者より、失敗し続ける職人であれ」といった言葉などは、私が感動した言葉のほんの一部にしかすぎない。
「心に隙間ができたら終わりだ。つねに心に語りかける、『自分を見つめろ』と。(中略)私が戦っているのは、『だれか』でも『なにか』でもない。自分の心なのだ。その心に打ち克ったときに、自らの心に神が宿るのだ。五感に心揺さぶられずに自らを見つめ続けた心には、第六感なる、神から与えられた力が宿ることを知ることとなる」。長い引用をお許し願いたい。私が最も気に入っている部分なのである。
(久米秀作・帝京平成大学現代ライフ学部人間文化学科助教授)



山本博著、新書判、205頁、840円
講談社+α新書

神戸スポーツはじめ物語

4つの兵庫県立高校に勤務し、各校でラグビー部監督・顧問を歴任した著者が定年退職を機にまとめた本。当時の神戸におけるスポーツの「はじめ」を歴史的にアプローチし、ゴルフ、テニス、バスケットボール、ラグビーなどの競技を通して日本と諸外国との関係を描き出している。
「スポーツ」は明治初期に日本へ入ってきたとされ、その後、日清・日露戦争を経て「体育」に変容した。当時の神戸ではスポーツ本来の形が存在していたとされ、それは自分たちで会費、会員制を用いることによってクラブを運営する取り組みであり、その教育理念も「アスレティシズム」(スポーツによる人格の育成)の影響を受けていた。
日本においてスポーツ=体育と認識されがちであるが、本書は両者の異なる点を再考することができる。(H)



高木應光著、四六判 254頁、2006年4月17日刊、1,575円
神戸新聞総合出版センター(078‐362-7140)

好きになる睡眠医学

講談社サイエンティフィックが編集する「好きになるシリーズ」の最新刊。早稲田大学スポーツ科学学術院教授で日本睡眠学会睡眠医療認定医師でもある内田氏が、眠りについてさまざまな視点からわかりやすく解説している。
副題は『眠りのしくみと睡眠障害』。第1部「睡眠のメカニズム」では夜間の睡眠の質や時間帯、昼間起きている際の行動が夜間の睡眠にどう影響しているかなど基礎的な知識を、第2部「睡眠の臨床」では、現在知られている睡眠障害の原因やメカニズム、治療法を取り上げている。
本書に紹介されている「国民生活の時間・2000 NHK放送文化研究所・編」によると、1960年当時8時間13分だった日本人の平均睡眠時間は、2000年には7時間23分と50分も短くなっている。必ずしも長く眠ればよいという話ではないが、健康づくりに休養が欠かせないことを考えると、運動、食事と合わせて睡眠にも気を配る必要がある。本書は、眠りの質を高め、睡眠障害を予防・改善したい人におすすめである。(H)



内田直著、A5判 152頁、2006年6月1日刊、1,890円
講談社(03-5395-3622)

身体の文化史

近代フランスの文学と文化史を専門とする著者の『<女らしさ>はどう作られたのか』(法蔵館、1999)に次ぐ身体に関する著作が本書である。副題は『病・官能・感覚』。
「女性の身体とジェンダー」「身体感覚と文化」「病はどのように語られてきたか」の3部構成からなるこの本の特徴は、文学への身体論的アプローチを試みているという点である。主に近代フランスにおける身体とそれにまつわる欲望や快楽、感覚、病について、文学作品、回想録、医学書、衛生学関係の著作、歴史書、礼儀作法書などを基に考察している。日本の文学作品についても随所に出てくる。
文学において身体は常に取り上げられる要素であり、さまざまな作品を通じてその時代の身体の捉えられ方を知ることができる。病のくだりで「健康という、本来は私生活上の配慮であったものが、現代ではさまざまな行政と政治のメカニズムによって引き受けられるようになった」とあるが、そこに至る背景を読み解くうえでも参考になる。(H)



小倉孝誠著、四六判 251頁、2006年4月10日刊、2,730円
中央公論新社(03-3563-1431)

身体知

内田樹(うちだ・たつる)氏は、フランス現代思想、映画論、武道論を専門とする神戸女学院大学教授。三砂(みさご)ちづるさんは、疫学を専門とする津田塾大学教授。この2人の対談集。副題は『身体が教えてくれること』。帯に「女は出産、男は武道!? 危険や気配を察したり、場の空気を読んだり。身体に向き合うことでもたらされる、そんな『知性』を鍛えよう」とある。
まず、女性の出産の話から始まる。お産のときはエンドルフィンハイの状態になり、産んだ直後はアドレナリンハイになっている。だから、産んですぐお母さんが「ありがとうございました」と冷静になっているのはよい出産ではない。助産婦さんの含蓄に富んだ言葉、助産婦さんと家で出産する意義を考えざるを得ない。
次に武道の話。「武道の場合だと、ほんとうにたいせつなのは、筋力とか骨の強さではなくて、むしろ感度なんです。皮膚の感度じゃなくて、身体の内側におこっている出来事に対する感度。あるいは、接触した瞬間に相手の身体の内側で起きている出来事に対する感度」(P.33の内田氏の発言)
きわめつけが以下のやりとり(P.170より)。
三砂 女性はパンツとかGパンをはいているから股に布がピタッとあたっているのですよ。それを、もう不快だと思わない。
内田 たぶんその部位の感覚がオフになっているんでしょうね。
三砂 主電源がオフになっていると思うのです。
内田 「主電源」ですか。
日常から着物で過ごす三砂さんの感覚のすごさがわかる。興味を持った人は読んで下さい。ソンはしません。(S)



内田樹、三砂ちづる著、四六判 245頁、2006年4月24日刊、1,365円
バジルコ(03-3516-8467)

逆風満帆

それぞれの事情
人は、皆それぞれの事情でピンチを迎える。たとえば、スケートの岡崎朋美の場合はこうだ。「岡崎はその朝、ベッドから起き上がれなかった。腰から両足へ針で刺されたような激痛が走る。(中略)椎間板ヘルニアだった。緊急の手術を要した。腰にメスを入れることはアスリートの終焉を意味する。髪の毛一本の感覚の違いを氷上で追及するスケーターは、筋肉が回復しても末梢神経の切断のダメージははかりしれなかったからだ」。こういったケガはドクター、トレーナーの間では障害に分類される。突発的な事故によって起こる外傷と違い、慢性的な原因がこのケガを誘発しているからだ。一種の金属疲労と言ってよい。そして、この種のケガのいやらしさは、大抵の場合重要な試合を目の前にして起こることだ。ぎりぎりのところでの調整に、最も弱いところから悲鳴を上げていく。
マラソンの高橋尚子の場合は、ピンチはケガだけではない。2000年シドニー五輪で優勝。しかし、続くアテネ五輪の選考からは漏れる。ここに彼女のピンチがありそうだが、実は違うと言う。「(女子マラソンでは)まだ誰もやったことがない2大会連続金メダルの目標はなくなってしまったけれど、大会は五輪だけではないし」と考えていたようだ。だが、「アテネでは野口みずきが金メダルを取った。高橋は日本女子2大会連続金メダルを喜んだ。そして自分も秋にマラソンを走るつもりだった。ところが9月、練習中に足首を骨折してしまう。それから1年以上もレースから遠のくことになる。逆風が吹き荒れる」。師匠である小出監督との考え方の微妙なズレ、マスコミの執拗な高橋限界説。あらゆる逆風の中、高橋は「小出からの独立は、勇気を振り絞った結論」を出す。

人間万事塞翁が馬
こんな諺が思わず口から出てしまいそうな人生の波間を泳いだ人もいる。吉原知子2005年アテネ五輪女子バレー代表、主将。1988年に妹背牛商高から日立バレー部に入部した彼女は1994年「当時在籍していた日立バレー部の部長に呼ばれた。突然の解雇通知だった。(中略)『ほんとにエッという感じでした。優しい言葉もかけてもらえない。その日のうちに寮から出て行け、荷物はほかの選手がいないときにとりに来いって……』」。その後彼女は「人間不信でした。たたかれて、たたかれて、日本にいられない状態」でイタリアのプロリーグに飛び込む。しかし、1996年アトランタ五輪のメンバーとして再び日本からオファーが届きだす。「吉原は迷った。イタリア残留に気持ちが傾きかけたとき、チームメイトに説得された」。結局、1995年ダイエーで第二のバレー人生が始まる。吉原は再び急峻な人生の道を登り始める。しかし、1996年のアトランタ五輪は史上最低の9位に沈む。やはりここでも逆風に晒されることになる。さらに、これに追い討ちをかけたのが日本バレーボール協会が「若手主体」をお題目にとった年齢制限。彼女は「もう全日本は関係ない」と割り切る。ところが、再び人生は彼女を奮い起こす。「若手主体の全日本はシドニー五輪予選で敗退してしまう。史上初の屈辱だった。(中略)日本バレーは窮地に陥った。実力も人気も下降線をたどる。だが昨春、再建を託された柳本晶一監督から主将として全日本復帰を打診された。『何で今ごろ、私なの。ふざけないでよ』。初めは、反発する気持ちが強かった」。だが結局、「33歳、(再び)使命感が頭をもたげる」のだった。
「スポーツや芸能、文化の各分野の第一線で活躍し、成功をおさめている人たちは、どんな苦難や失敗があり、それをどのように克服してきたのか、直接、聞いてみよう」ということで始まった本書に収められている各々のインタビューは、「ほんとうに大きな困難を克服して今の地位に辿り着いた人たちは、実に冷静に自分を分析していました」という結論を導き出す。だがそれだけではないことに読者は気づくだろう。それは、苦難に勝ち、失敗を克服した人たちが結局今も同じ道を歩み続けている、という事実である。「継続は力なり」。この言葉を今一度強く噛み締めてみる必要を感じる。 (久米秀作・帝京平成大学現代ライフ学部人間文化学科助教授)



朝日新聞be編集部 編、四六判 242頁、1,050円
明治書院

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