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小・中学生のための走り方バイブル

タイトルにあるように、本書は小中学生を対象とした走り方のバイブル。著者は100mの日本記録保持者である伊東浩司・甲南大学教授。
最近は運動会のリレーで勝つために、スポーツ塾のようなものがあるが、走ることはとても技術が必要となる。ましてや、この年代、理想どおりに走らせるにはどうしたらよいのかと悩む保護者もいるのではないだろうか。
本書は次のような項目が設けられている。1. 体に力がみなぎる!ウォーミングアップ。2. 今より速くなれる“ステップアップドリル。3. 運動会でスターになろう。4. 走りを武器にいろいろなスポーツで活躍する。5. さらに上を目指す! 補助トレーニング。それぞれカラー写真や、イラストを用いて説明されているが、これに加えて120分のDVDつき。チャプター1. きれいな“走り”を身につけよう、2. 今の自分より速くなれる! ステップアップドリル、3. 運動会でスターになろう、4. もっとレベルアップしたい!補助トレーニング、と内容も盛りだくさん。また運動会などの一発勝負にどのように挑めばよいかの心理的なアドバイスもあり、子どもの可能性を広げるバイブルとなるだろう。(M)



伊東浩司、山口典考著、A5判、128頁、2008年5月2日刊、1,575円
カンゼン(03-5295-7723)

トレーニング科学 最新エビデンス

本書は昨年11月に開催された日本トレーニング科学会の記念・教育講演での発表「トレーニング科学はどこまで解明したのか」の内容をまとめたものである。
執筆者は安部氏をはじめ、大河原一憲、岡本敦、荻田太、小倉裕司、金久博昭、川上泰雄、佐藤義昭、田中茂穂、田中孝夫、内藤久士、永井成美、沼田健之、深代千之、藤田聡、政二慶、宮武伸行、森谷敏夫の各氏と、そうそうたる顔ぶれである。
内容は第1章『健康・体力づくりのトレーニング』、第2章『競技力向上のトレーニング』、第3章『肥満の予防・改善とトレーニング』、第4章『未来のトレーニング』と分けられ、未来のトレーニングでは加圧トレーニングを中心とした、短期集中型加圧トレーニングの効果について触れられている。
全体的に図やデータ表を用いているので、非常にわかりやすい内容になっている。
また各執筆者ごとに参考文献も並べられており、これからスポーツ科学を勉強しようという人にも、さらには先行研究の検討にも本書は役立ちそうだ。トレーニング科学はどこまで解明したか、是非一読願いたい。(M)



安部孝編著、A5判、182頁、講談社(03-5395-3622)、2008年4月30日刊、2,940円
講談社(03-5395-3622)

運動・認知機能改善へのアプローチ――子どもと高齢者の健康・体力・脳科学

それって本当?
科学的態度とは、常に疑問を持つということだと思う。定説となっている理論でさえ、むやみに信じてしまうことなくニュートラルな立場で情報と向き合う態度が、私たちスポーツ科学の発展を願う者には必要だ。
たとえば、子どもの体力低下が叫ばれて久しい。このことについて証明するデータは枚挙にいとまがないし、直感(あるいは刷り込み?)的には素直に同感してしまうのだが。体力とは環境への適応結果として現れたものが測定されるのだから、昔のような体力が今の社会には必要なくなったための必然的結果である、とも考えられないだろうか。なのに、子どもの体力が劣った劣ったと叫ばれているところに違和感を感じる。
はたまた授業の場において、現在の体力について感想を学生たちに書かせると “平均より強くてよかったです”、“落ちてて悲しかった”、“やっぱ体力は必要です”、“歳をとっても動けるよう部活ガンバリマス”などなど、判を押したように“体力あることはよいこと”のオンパレードとなることに違和感を覚える。
違和感ついでにもう1つ。“健全なる肉体に健全なる精神が宿る”という表現がいろいろな場でなされますね。この言葉に違和感を覚える人は少なくないと思うのだがいかがだろう。病んだ人には健全な精神が宿らないの? と、突っかかりたくなってしまう。まあ、これ自体じつは誤用で、本来は“健全なる肉体に健全なる精神が宿るように祈りなさい(傍点筆者)”というのだそうで、こちらの表現ならまだわかる気がするけれど。

目的? 手段?
さて、上記3例に共通して感じる私の違和感とは“体力がないのは悪いことなの?”という点だ。なぜなら、運動できない子は“ダメな子”なの? という連想を禁じ得ないからだ。極論すれば、病気があったり何かの理由で運動ができない人たちの存在を否定することになりかねないという危惧さえ感じるのだ。
体力があることは、確かに日常生活の場において便利だと思う。しかしその測定値が平均から外れていることに一喜一憂し、本来、人それぞれの多様なQOL(Quality of Life、生活の質)を高めるための手段であるはずの体力や運動が目的化し、体力の“大小”を人の能力の“優劣”として短絡的に捉えてしまうことがないようにしたいものである。老いも若きもトップアスリートも、人それぞれに応じた“幸せな体力”のようなものがあると思うのだ。

やはり運動はよい
本書は、これらのヒネクレた疑問に対して、解決するためのヒントを多大にもたらしてくれる。「ウォーキングやジョギングなどのリズミカルな運動は、筋はもとより脳の働きを活性化」し、「片足立ち」や「旗あげ」遊びなどの比較的緩やかな運動でも「前頭前野」の働きが活発になるそうで、「発育期に身体運動を行うことによって、大脳皮質のネットワークが強化され」「前頭前野」の機能が維持されると考えられるようだ。
前頭前野とは、いわゆる“良識”を司る脳の部位だそうだから、子どものときに運動を“実体験”するのはよいことなんだな。それも、緩やかな運動でも活性化するのだとすると、運動が苦手だったり、身体が弱かったりする子どもでも大丈夫そうだな。「コンピュータゲームに慣れてくると、前頭前野の活動は、ゲーム中に低下」するので好ましくないらしい。だけど、ゲームをしている時の子どもの集中力ってのもスゴいんだよなあ。α波がいっぱい出るみたいだし、別の解釈が成り立たないもんかなあ。
子どもの「体力低下の直接的要因は、身体活動量の減少であるが、間接的要因には就寝時刻・起床時刻の遅延化、睡眠時間の短縮化、朝食欠食などの生活習慣があげられる.それらが影響して低体温、自律神経失調、貧血などが惹起され、体調不良の子どもが激増している」のだという。
なるほどなるほど。測定された体力には環境に適応した結果が表れるのだとすると、体力測定値が下がるということは、裏側に好ましくない生活習慣があるということなのか。
などと考えながら読み進めるうちに、実はこれらのほとんどのことは私の“身体”がすでに知っていることに気がついた。さらに、本書の著者たちが考える手がかりとして自分の身体を見つめ、身体のイマジネーションによって研究を重ねてこられたのであろうことに気づかされた。やはり運動ってスゴい!
(板井美浩・自治医科大学医学部保健体育研究室准教授)



藤原勝夫編、178ページ B5判、3,780円(税込)
市村出版

OTSUKA 続まんがヘルシー文庫 食べて、遊んで、ねる子は育つの巻(全5巻)

漫画で健康についてを解説するシリーズ。今回は以下の5巻。
「1 体はどうして大きくなるの」。「体重が増えるひみつ」(まんが・二階堂正宏)と「身長がのびるひみつ」(幸月さちこ)、「2 きちんと食べて元気ハツラツ」。「食べたものは、どうなる」(秋竜山)と「栄養のバランスと健康」(所ゆきよし)、「3 体動かせ いっぱい遊べ」。「外あそび、運動の大切さ」(間部正志)と「運動不足で体はどうなるの?」(赤塚不二夫)と「スポーツは楽しいぞ」(あべさより)、「4 ぐっすりスヤスヤ 元気にオハヨー」。「ぐっすりねむるためのくふう」(鈴木太郎)と「ねむるのは、なぜ」(柚月ナナ)と「早ね・早起きと夜ふかし・ね不足」(ちばてつや)、「5 朝ごはんで脳のスイッチ、オン!」。「朝ごはんと脳、勉強、運動」(百田まどか)と「食事は規則正しく1日3回」(やなせたかし)
それぞれその分野の専門家がまんがとともに解説。一流の漫画家がそれを楽しい漫画で示していく。市販はしないが、連絡すれば実費で入手することができる。
詳しくは、「OTSUKA 続まんがヘルシー文庫事務局」(電話0467-23-9188)まで。



(社)日本医師会、(財)日本学校保健会監修、(社)日本小児科医会推薦、B5判 48ページ、2008年3月29日刊
大塚製薬(株)


OTSUKA 続まんがヘルシー文庫 食べて、遊んで、ねる子は育つの巻(全5巻)
健康とスポーツを科学する

本書は長尾光城・川崎医療福祉大学教授が監修を務められ、副題は「これからの幸せを求めて」。その内容は以下の通りである。1章・健康とスポーツ、2章・スポーツと身体、3章・スポーツと栄養、4章・スポーツとこころの健康、5章・スポーツと安全、6章・スポーツと健康問題。1章では健康とスポーツを定義し、またヘルスプロモーションとは何か、など概略的な部分についての詳細をまとめている。そして身体の構造については、その構造と役割についてをスポーツと関連付けながら整理し、図や表、写真を用いて解説している。一般的にスポーツと関連付けて考えることが難しいとされる栄養の知識については競技毎に、また障害者スポーツの場合にはどのような問題点があるのかについてもふれられている。こころの健康については、ストレス・コーピングの具体的な方法をまとめ、その種類と分類も説明している。 本書はまさに健康とスポーツを科学する、その基本的なところをしっかりと押さえている。(M)



長尾光城監修、B5判、211頁、2008年4月1日刊、2,625円
中央法規(03-3379-3861)

ルポ 貧困大国アメリカ

日本でも問題になったサブプライムローン。これは単に金融界の話だけではなく、過激な市場原理が経済的「弱者」を食い物にした「貧困ビジネス」の一つだ、と著者は述べている。つまりこれは貧困層をターゲットにして市場拡大するビジネスを指すが、現在のアメリカでは大学に行きたくても行けない若者たち、ローンの返済に追われる人々、健康保険がないために病院に行けない人々、移民法を恐れる不法移民たちなど、こうした人々が今、戦争ビジネスのターゲットになっている。 問題は戦争だけではない。たとえばニューヨークの医療費は、盲腸手術の1日入院で平均243万円という高額。中流階級と呼ばれる層においても安心な生活も脅かされかねない。そして学校の民営化がもたらす子どもたちの食事の内容は、ジャンクフードなど加工食品に頼らざるを得ない状況で、小さいときから肥満になりやすい環境下におかれやすくなる。とくに貧困層の地域ほど給食の内容は栄養価の低い高カロリーの食事傾向にあり、調理器具のない家庭ではお弁当を持たせることも困難。 アメリカだけでなく、日本でも起こりつつあるこの現実。是非一読願いたい。(M)



堤未果著、新書判、207頁、2008年1月22日刊、735円
岩波新書(03-5210-4954)

野球の見方が180度変わるセイバーメトリクス

本書はスポーツのデータを集積し分析を行う(株)データスタジアムの企画編集。
野球ゲームなどでも優れた選手を選択する際の目安となる、打率や打点、本塁打。投手ならば防御率や、勝利数、奪三振数など、こうした明確な数字は記憶にも残りやすい。
実際に野球選手の多くは、こうした成績で査定され年棒へと置き換えられることが多いが、しかしながら必ずしもそれがチーム編成を考えた場合にベストな選択とは言えない。
そこで、これまでとはまったく異なるアプローチでの戦略補強を行うというのがセイバーメトリクスである。たとえば出塁率に目を向けてみるととても優れた選手がいる。ヒットで出塁しなくても、結果的にはベースを踏む確率の高い選手ということだ。つまりヒットと四死球で出塁することの価値は、数字的に見れば同等。セイバーメトリクス的な考えでは、総合的に出塁率が高い選手がよい選手ということになる。
このようにセイバーメトリクス的な考えならば、ちょっと違った見方で一味違うベースボールを観察できるかもしれない。(M)



データスタジアム・企画編集、B6判、191頁、2008年3月22日刊、979円
宝島社(03-3234-4621)

泳ぐことの科学

コーチやトレーナーは科学の目で物事を捉え、科学の頭で考えるべきである。しかし実際に対象となる選手に、この方法は科学的だからという理由だけで納得させ、実際のパフォーマンスに結びつけることは容易ではない。科学的に「わかっている」ことをいかに咀嚼(ルビ:そしゃく)し、個々人にあった方法に消化し、効果的に伝え、落とし込むことができるか、これはコーチ、トレーナーという人間の力に大きく左右される。科学的な基礎の上に経験に裏打ちされたさまざまな工夫を重ねるうち、壁を越えて成長し、それを改めて科学的に解析した結果、今までよりもさらに効果的な方法が一般化されることも少なくない。そこにバランスの妙がある。
本書『泳ぐことの科学』では、「普通の選手でも天才のレベルまで感覚を高めることができる」方法として「ビルド・トレーニング」が紹介されている。科学の目を持ったうえでの体験を通し、試行錯誤のうえで完成したというこのトレーニングは、「考えている動作と実際に行う動作を近づけていく練習方法」である。科学的にみて効率のよい泳ぎに近づけるための秘訣が紹介されているわけである。しかし「ビルド・トレーニング」をただ知っているだけではその100%の効用は期待できないだろう。設定したゴールを分節化し、段階的に達成すべく指導することはコーチングやアスレティックリハビリテーションなどにおける基礎であるが、個々人の問題点を正確に分析し、効率的に改善するには科学的知識として「わかっている」部分と、経験などから「納得できる」部分との適切な融合が必要になる。ここがまさにコーチとして面目躍如たるところであり、この存在が介在することでそのトレーニングの効果は最大限に引き上げられるはずだ。
トレーナー業務でも、たとえば膝の前十字靭帯損傷再建術後のリハビリテーションでは、今までの臨床例の積み重ねから大まかなプロトコルはできあがっている。しかし1分1秒でも早く復帰したいアスリートとの半年以上にわたって続く綱引きは、そんな定められた流れでは抑えきれない。変化に富んだプログラムを、いかにアスリートが納得しながら取り組めるか。アスリートの覚悟が問われるところでもあり、トレーナーの人間性や信頼度、腕の見せどころである。
さて、科学的といっても、昨年からメジャーリーグを震撼させている薬学は、その使用方法を大きく誤った例である。日本のJリーグでも話題になったケースがあったが、ドーピングコントロール規定の認識不足といった議論はされても、試合前に高熱や脱水症状を呈する体調になったという本人やメディカルスタッフの問題、またそのような体調の選手を試合に出場させないという決断ができなかったことに対する議論はあったのだろうか。サッカーではごくまれにではあるが試合中に心不全と思われる死亡事故が報告されている。ドーピングという明らかな違反行為に至らなくとも、高地トレーニング中の事故や、サプリメントの濫用など、科学という名の下にひずみが起こっていないわけでもない。科学とは最大限利用すべきであるが、絶対的な正解ではないことを理解する必要もあるだろう。
いずれにせよスポーツの世界ではヒトが積み重ねた経験と弛(ルビ:たゆ)まざる努力を科学が追い越し、追い越され、少しずつ進化していく。そこがおもしろいところである。
(山根太治・日本体育協会公認アスレティックトレーナー、鍼灸師)



吉村豊・小菅達男 著、201ページ B6判、966円
日本放送出版協会

裏方の流儀――天職にたどりついたスポーツ業界の15人

スポーツ科学の主役は誰か
骨格筋は無数の筋線維の集合体である。筋線維には速筋線維と遅筋線維があって各人固有の割合(筋線維組成)を持っている。“速・遅”二大タイプの比率は生まれつきのもので変えることはできないが、速筋線維のサブタイプ間では持久力に優れた筋線維へと、後天的なトレーニングにより移行することがある云々、というような話は皆さんご存知のことと思う。 各種スポーツにおける一流アスリートの筋線維組成についての研究が1970~80年代にかけて大いに流行した。とくに陸上競技などは筋の出力特性と競技成績が結びつきやすいため盛んに研究された。若いうちに筋線維組成を調べ、好き勝手な種目を選ぶより、より適性の高い種目を選ぶべきであるというような空気も一部の研究者の間にはあった。「バカを言っちゃ困る。科学の名を借りてそんな横柄なことはやめてくれ」と思ったものだ。どんな一流アスリートでも最初は初心者なのだし、あるスポーツをやってみたらうまく行ったとか、何か感じるところがあったとか、血が騒いだりしたことがそもそもの始まりだと思うのだ。たまたま人に勧められて始めたスポーツがいつの間にか好きになって、どんな苦労があってもなぜか続いてしまったなんてこともあるかもしれない。
ほぼ“自然選択”で適性のあるスポーツを選んで強くなった人たちの筋線維組成を調べて平均を出したら、たまたま種目ごとの差が生じたというだけのことである。個人間のバラツキは非常に大きいし、筋の出力特性はトレーニングによって多様に変化するものなのだ。スポーツの成績は1つの素質だけで決まるものではない。そして何より種目の選択にいたっては、筋線維組成がどうとかいう以前に個人の自由の問題だ。そこを履き違え“科学原理主義”に陥ってはならない。スポーツ科学の主役は誰かをよく考えてデータや理論の解釈をして行くべきだ。好きな種目をトコトンやればいいじゃないか。向いているのいないのと他人から言われる筋合いはないのだ!

教科書ではない指南書として
さて、スポーツはアスリートだけで成り立っているのではない。これもご存知のことと思う。本書は、さまざまな「裏方」と呼ばれる人たちにスポットを当てたものだ。
「スポットライトを浴びるアスリートたちが最高のプレーをするために、人生を賭ける。脇役に徹して、粛々と己の仕事をやり遂げる」人たちのことを裏方という。中には、今まで日本にはなかった職業とか、日本人では初めてその職業に就いた人もいる。既存の制度の有無を問わず、いずれ劣らぬ“クリエーター”ばかりが登場する。
登場人物の誰もが“好きで”自身の仕事を選び、独自の工夫を凝らしながら仕事にいそしんでいる。アスリートたちにとって、なくてはならない役割を担い業務を超えて己を律するその姿は、立場こそ裏方ではあるけれども表とか裏とかの区別を超えた存在として輝いている。
経緯はそれぞれ異なるが、ほとんど皆“まわり道”をして現在の職業に至っている。その経験が今の“好きな仕事”の礎になっているようにも思える。最小の努力で最大の効果を得ようということ、すなわち“効率”のよいことが科学的トレーニングなのだと学校の授業や理論書の多くで教えてくれる。しかし、まわり道の重要性とか、どうやって食っていったらよいのかということは教えてくれない。でもまあ考えてみれば、まわり道という“有機的無駄時間”の過ごし方など、そもそも誰かに教えてもらうものではなかった。
本書は、そうやって天職にたどりついた15人が、まわり道は決して無駄道ではないこと、スポーツの喜びは舞台の表側にだけ存在するものではないことを教えてくれる。しかし教えてくれるのはそこまで。その先は、これを読んだ若者が自身の未来をどう展開させて行くのか、自らの力で切り開いて行きなさいと励ましているように思う。
(板井美浩・自治医科大学医学部保健体育研究室准教授)



小宮良之 著、222ページ B6判 1,470円
角川マガジンズ

すべては音楽から生まれる

著者は近年、脳科学者としての活動の場を広げている茂木氏。同氏は音楽愛好家としても知られるが、本書ではシューベルトをはじめとする音楽家たちの作品と向き合うことを通して、音楽について書いている。
本書の中で「耳をすます」ことと、新しいことを「発想する」ことは同義とある。それは下界からの音を聴きながら、自分の内面に耳をすませ、何がしかの意見や考えを発しているという。換言すれば、「聴くこと」とは、自分の内面にある、いまだ形になっていないものを表現しようとする行為に等しいということ。またそこから生まれてくる解放感こそ、心が脳という空間的限定から解放される過程であり、(私)という個が「今、ここ」という限定を超え、普遍への道に舞い降りた瞬間だと言えると、独特の言いまわしで語っている。
音楽と脳を繋げて語る視点は、音楽を愛する脳科学者、茂木氏だからこそかもしれない。読み進めていくと、改めて「耳をすます」ことの大切さに気がつく。是非一読願いたい。(M)



茂木健一郎著、新書判、189頁、2008年1月7日刊、714円
PHP新書(03-3239-6298)

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