まんざらでもない“歳をとる”
“人は誰しも歳はとりたくないものである”とはよく聞く言葉である。“歳をとる”という言葉は、どちらかというと否定的な使われ方をする言葉である。しかし、いざ歳をとってみると“あれ? まんざらでもないな”などと思っている人も多いのではないだろうか。“歳をとったからこそできること”、“歳をとってみてわかるようになったこと”が結構多く、歳を重ねることで、若いときには気づかなかった新しい世界が開けたりするものだ。
むしろ二十歳前後の学生たちのほうが歳をとった歳をとったと嘆いていたりして、私の半分にも満たない歳のクセに何を言っておるのだ! などと目くじらを立てたりもしてはみるものの、なんてことはない、彼らはいわゆる“自虐ネタ”で盛り上がっているだけなのだ(果たして私も学生時代似たようなことを言っていたものだ)。
“早く歳をとりたい”
一方、“早く歳をとりたい”とはマスターズ陸上の競技会に参加するとよく聞く言葉である。マスターズ陸上とは、ベテランズ陸上とも呼ばれ、男女ともに35歳以上になると参加できる競技会である。5歳刻みでクラスが分かれており、たとえば35~39歳の男子ならばM35、女子の場合はW35というように頭に性別を表す記号を入れて示す。年齢クラスが上がるときは、今までのクラスを“卒業”したとか、新しいクラスに“進級”したなどと内輪では言っている。
各クラスの選手同士で競われるので、同じクラスの中でなら“進級したて”の若いほうが有利に違いないと考え、たまに調子のよいときなど決まって“記録はこのままで早く歳とって次のクラスに進級したいなあ”などとアサハカにも皆同じことをつぶやくのである(果たして私もこのまま早く次の年齢クラスに進級したい)。
若々しい老人
“歳をとった人”つまり“高年齢者”のことを一般に“老人”と呼ぶようだが、老人とは“若さがない人”のことではない。誰が言ったか知らないが“人は歳をとるから老いるのではなく、人は希望を失ったときに老いるのである”という考え方をしてみると納得がいくと思う。そういった意味で、マスターズ陸上界には“若々しい老人”がウジャウジャといる。
本書の主役であり著者でもある日本最高齢のアスリート、下河原孝氏もその一人だ。“M100”クラス、投てき三種目(ヤリ投げ、円盤投げ、砲丸投げ)の世界記録保持者である。
「101歳で、マスターズ陸上で世界記録を出した体力と健康の秘密」についてさまざまなエピソードを絡めて紹介されている。エピソードと言ってもただごとではない。たとえば、下関市(山口県)で行われた全日本マスターズにおいて、ヤリ投げで世界新記録を出したときのものだ。釜石市(岩手県)に住む氏は「在来線で新花巻まで二時間かけて行き、そこから新幹線に乗り換えて東京までまた数時間。東京から姫路まで行き一泊して、翌日、下関へ。二日かけてようやく辿り着く長旅」を経て初めて競技に参加できるのである。
柔軟な考え方
「くよくよしていたら長生きなんてできません」とは言うが鈍感になれということではない。「歳とともにだんだん動かなくなってくる」身体には「年寄りならではの感覚」を大切にして「体力をつける発想ではなく体調を整えるという発想」に「思い切って切り替えて」いく柔軟な頭を持ち、「よく動いて、動きすぎず」「なんでもパクパク」「よく噛んで」食べる。ビールだって毎晩飲む。「何がよくて何が悪いか」より家族と「食卓を囲んでとって」いることが「とても幸せなことです」と説く。耳が遠くなったのをいいことに「都合の悪いことは聞こえないふり」をし「呆れられることもあるのですが、それさえ聞こえないふりをして」しまうというのには笑った。
いくつもの大病をさえ乗り越えたにもかかわらず「ただあるのは、曲がりなりにも100年以上生きてきて、今も健康という事実だけ」という謙虚さの前にはただただ恐れ入るしかない。
(板井美浩・自治医科大学医学部保健体育研究室准教授)
世界記録ホルダーの「カッコいい」生き様
男子たるもの、いくつになっても「カッコいい」と言われたいもの。高齢化社会の危機が叫ばれているとは言え、世の中にはその夢(?)を実現しているダンディで伊達者のおじ様、おじいちゃんが立派に存在しているのもまた事実である。
そもそもダンディや伊達の定義とはいかなるものだろうか? 辞書やインターネットによれば、Dandyとは、「身体的な見た目や洗練された弁舌、余暇の高雅な趣味に重きを置く男性」のこと。伊達とは「好みがしゃれていること。考え方がさばけていること。また、そのさま」とある。すなわち、自身の内面・外面はもちろんのこと余暇の過ごし方に至るまで洗練されている、さばけている、と思わせる何かを感じさせる(とくに男性としての)生き方、とも言えるだろう。
本書の著者、下河原孝氏はそういった意味ではまぎれもなく「カッコいい」老人である。御年99歳にしてマスターズ陸上へ初参加、さらには101歳にして投擲系2種目においてマスターズ世界記録を樹立し、103歳の現在は3種目の世界記録ホルダー。1世紀を生きてなお、競技の世界にチャレンジし記録を打ち立てている人、ということでさぞやストイックな求道者を想像するかもしれないが、さにあらず。「自分の身体をよく知ること」「やり過ぎないこと」を信条とし、年を取るほど記録が伸びる自らの身体を「自分でもおかしいと思います」とサラリと言ってのける。行きつけのスナックでは100歳過ぎであることをネタにただ酒をご馳走されることを楽しんでしまう。かと思いきや、趣味を持つことや感謝の心といった普遍的なものの大切さをこれまたサラリと述べることもできるその姿には、文字通り洗練され、さばけている「ダンディで伊達」な男ぶりを垣間見ることができると言えるだろう
老いも若きも、「カッコいい」生き様の参考となること請け合いの一冊である。
(伊藤謙治)
下川原孝 著、189ページ、B6判、1,470円
朝日新聞出版
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