スポーツの醍醐味
みんな黙ったままうつむいていた。薄暗いロッカールームのこもった空気に、戦い終わった男たちの汗の匂いが溶け込んでいた。少しの涙も混ざっているようで、それが空気をやや重たくしていた。通路を挟んで反対側にあるロッカールームで歓声が上がった。幾人かの男たちの目からみるみる涙がこぼれ出し、嗚咽が洩れた。男たちのキャプテンが、男泣きに泣きながら、ロッカールームに戻ってきた。監督に支えられながら、やっとのことで立っていた。
少し経って落ち着きを取り戻した彼は「俺たち無敗ですよね」と笑顔を見せた。その笑顔は素晴らしい男の顔だった。私がトレーナーとして帯同していた高校ラグビー部が、全国大会の準決勝で同点抽選の上決勝進出を逃したときの出来事である。この成長こそがスポーツの醍醐味だ。その顔を見て心の底から実感させてもらった。
嘆きではなく
さて「子どもにスポーツをさせるな」と銘打った本書はスポーツライターである小林信也氏の著作である。もちろんこのタイトルを額面通りに受け取るわけにはいかない。知れば知るほど突きつけられるスポーツの闇の部分に、懐疑的になりそして悲観的になり、そこに飛び込んでいく無垢な子どもたちに不安を感じることは確かにある。
しかし本書は、今さらその嘆きを世に叫ぶものではない。小林氏は42歳のときに男の子を授かった。上の娘さんとは14歳違い。そのお子さんの成長過程で、「悲観的なスポーツライターは、確かな指針を得て前向きなスポーツライターに生まれ変わった」という。そう考えるに至った過程が、本書のテーマになっている。
勝利へのこだわりは悪いものではない
WBC 決勝の国歌斉唱の際にガムをかむ選手。勝つためには手段を選ばない指導者。言動と行動にギャップのあるお偉い様。麻薬に手を出す選手。スポーツの本来持つ恩恵から見放された例は数多い。その一方でスポーツを通じて己の心身と向き合うことに気づくものがいる。生と死を実感し命の尊さを知るものがいる。困難を克服してできなかったことができることの喜びを知るものがいる。礼儀や感謝の気持ちを知るものがいる。「スポーツ」というひとくくりでは到底考えられない。この社会に起こるすべての事象にはプラスとマイナスの顔が混在しているのだ。
たとえば、勝利にこだわる姿勢を勝利至上主義という言葉にしてしまうと、それが悪いことであるかのような印象を受ける。しかし勝つためにありとあらゆることに努力することは決して悪いことではない。勝つために何をしてもいいということではなく、勝つという目標に向かって、己を磨き、仲間と力を合わせ、スポーツを離れた日常生活におけるすべての取り組みを見直す。そうして磨き上げたもの同士が戦えば、自分のことも、相手のことも自然に尊重できるようになるだろう。理想論ではあるが、それこそがスポーツを通じて可能な、大人への成長ではないだろうか。本書でも好例としてプロゴルファーの石川遼選手のことが取り上げられている。確固たる自分自身の核を持ち、マスコミの無責任な馬鹿騒ぎっぷりを実力で何と言うこともなく制してしまったあの若者は瞠目に値する。
男の顔を
実は私も42歳のときに初めての子どもとして男の子を授かった。彼はこれから混沌とした世界の中でさまざまな人々に出会い、喜びや悲しみを知り、誰かを傷つけては誰かに傷つけられ、馬鹿な夢を持っては希望に溢れ、時にどうしようもない絶望という壁にぶち当たるだろう。そんな現実に立ち向かっていく若い力を、その可能性を信じたいと思う。先回りして段取りしすぎることは控えたい。いざというときにはガツンと軸を正してやらなければならないし、また時には強く抱きしめてやらなくてはならない。そして自身で自分をつくり上げるべく努力し、男の顔を手に入れてくれればいい。
スポーツはその成長のために、唯一とは言わないが非常にいい手段だ。いつか自分の息子が男の顔になったと実感できるまで、親父にできることは、男の目で見つめられても恥ずかしくないよう己を鍛え続けることくらいだ。
(山根太治・日体協AT、鍼灸師)
小林信也 著、198ページ、新書判、777円
中央公論新社
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