強烈な原体験
高校時代に所属していたラグビー部は弱小の割に練習は厳しく、毎日早朝練習も行っていた。その日もあくびをこらえながら最寄り駅から電車に乗り込もうとしていたら、近くに住むチームメイトの母親がそんな時間に電車から降りてきて、私の姿を見るなり泣き崩れた。そしてそのチームメイトが明け方に泡を吹いて全身痙攣を起こし、病院に救急搬送されたと聞かされた。
彼はその1週間ほど前に練習で頭を打ち脳震盪を起こしていたが、その後も頭痛をこらえて練習に参加させられていた。慢性硬膜下血腫、と今ならわかる。この仲間としての罪悪感を伴う強烈な事件が、アスレティックトレーナーを目指した私にとっての原体験と言っていい。
重篤な傷害への処置
さて、埼玉医科大学総合医療センター救急科の輿水健次氏による本書は、基礎から学ぶスポーツシリーズの一冊で、RICE処置を中心にした応急手当の本とは一線を画し、選手の命に関わる重篤な傷害に対する救急処置に多くのページが割かれている。「基礎から学ぶ」シリーズとはいえ、CPRの方法やAEDの使用法、突然死や心臓振盪などその内容は、少なくとも日本赤十字社や消防署が主催する救急救命講習会に参加したうえで読むほうが、なるほどとうなずくことは多いはずだ。あるいは本書に出会うことでそのような講習会に参加しようと考える人が増えればなおいい。また、事故防止についての一節も必読である。
確かに、スポーツ現場で起こる傷害のほとんどが、簡単な創傷の手当やRICE処置でまかなえるものである。しかしスポーツ現場に関わるものは、本書に書かれた内容は熟知しておくべきである。冒頭の話は今から30年近く前の話であり、真夏の炎天下でも水分補給がほとんどないまま練習していたあの頃に比べれば、選手の健康や運動に伴うリスクに留意する指導者が圧倒的に多いと言えるだろう。しかし時折報道されるように不幸な事故はいまだに起こり、指導者にもっと知識と自覚があれば、あるいは準備されるべきものがあれば、もしかしたら防ぎ得たのではないかと感じることもあるのだ。
アスレティックトレーナーの役割
アスレティックトレーナーはそのようなアクシデントを未然に防ぐことがその重要な役割であり、何か起こったときには最善の対応ができなければならない。そのためには知識と技術を身につけることは言うまでもないが、さらに重要なことはそのような状況において最善の判断をし、よどみなく動けるかということだ。
1989年、NHLのあるゲーム中にゴールキーパーであるClint Malarchukの喉元を対戦チームの一選手のブレードが襲い、頸動脈が損傷されるという事故が発生した。
吹き出した血液が氷上にみるみる血溜まりをつくる中、彼のチームのアスレティックトレーナーは一瞬の迷いもなく、出血部に手を入れ止血を試みた。そして他の幸運も重なり、奇跡的に同選手は命を取り留めた。
この事故について学んだとき、果たしてこの動きが自分にできるかどうか、戦慄を持って覚悟させられた。そして現場にいるときには、先の原体験も併せて、良くも悪くも常にある種の怖さを感じていた。一生このような状況に出会わない指導者やトレーナーのほうが多いだろう。しかし選手の命を預かっているという自覚の元に最善の対策を講じておくことが必要だ。
蛇足ながら、緊急開頭手術をうけた冒頭のチームメイトだが、結婚を2回もし、子どもを3人ももうけているくらい元気に過ごしていることは幸いである。
(山根太治・日体協AT、鍼灸師)
輿水健治 著 176ページ、A5判、1,680円
ベースボール・マガジン社
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