免疫・「自己」と「非自己」の科学
多田 富雄
『免疫の意味論』『生命の意味論』で知られる著者のNHKブックスの1冊。
能にも通じる著者は最近『脳の中の能舞台」(新潮社)という本も出しているが、本書は『免疫の意味論』をかみくだいた書とも言える。
1998年春に放映されたNHK教育テレビ「人間大学」での12回の講義がべ一スになり、大幅な加筆改訂に3年を費やして完成。
「『人間大学』は、一般の市民の方に学問や文化の現在をわかりすくお話しするというのが目的である。お引き受けしたとき私は、長年研究してきた免疫学なのだから、高校卒業ていどの若者や、文科系の人たちにも充分わからせることができるという自信を持っていたが、放送が始まってみたら、そうはいかなかった」(あとがきより)と記し、著者はこの反省から、学生やパラメディカル、生命科学に興味を持つ文科系の学生に必要で充分な免疫学の基礎知識を伝えることができる本になったと言う。
とは言え、免疫はそう簡単ではない。細かなところはわからなくても、いかに複雑で多様な系であるかがわかるだけでも見方が変わる。インフルエンザにかかって、治るまでを免疫学的に解説したところなどは、今度かかったらじっくり観察し、ヘタなことはしないでおこうと思わせる。生命のすごさ、それを発見してきた人間のすごさを知ることができる。
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2001-11-25)
タグ:免疫
カテゴリ 生命科学
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多田富雄詩集 寛容
多田 富雄
優しさに満ちた文章
本書の著者、多田富雄は国際的な免疫学者である。しかし活動は一科学者の枠にとどまらず、さまざまな分野での執筆活動のほか、能への造詣深く、いくつもの新作を編み出したりもしている。2001年、旅先で脳梗塞を起こし、一命を取り留めるも重度の右半身マヒと摂食・言語障害の後遺症を持つ身となる。以来、2010年に亡くなるまでの間に物した全ての詩を集成したものである。
この間、ほかにも『落葉隻語ことばのかたみ』(青土社)、『残夢整理昭和の青春』(新潮社)などなど、単著共著を含め何冊もの書籍を出版している。それ以前にももちろん多くの書籍がものされているが、いずれもその風貌よろしく紳士的で優しさに満ち、感情を極力抑えた文章で貫かれている。
悟りではない
しかし、この「寛容」の文だけが他のものと全然違っているのである。免疫学者としてずっと“いのち”を見つめてきた著者の、“死”に直面し、そのことを思わぬ日はない生活の中で書かれた詩集だから、きっと“悟り”の境地からの言葉が紡がれているのだろうと興味津々で読み始めたら、いきなりカウンターパンチをくらった。
死ぬことなんか容易い
生きたままこれを見なければならぬ
よく見ておけ
地獄はここだ
(「歌占」2002より)
なんだか、やたら烈しいのだ。「寛容」という書名、あるいは“免疫寛容”という言葉と関連づけても、およそ連想できないような強い口調で書かれていて面食らってしまった。“悟り”どころか、生に対する執着、自由がきかないことへの不満やイライラがぶちまけられているように思え、何とも言えない、胸にザラつく読後感を覚えたものだ。あの優しい風貌、文体にあって、実は鬼のような人だったのかなどと思ったりもした。
超越といっても何を超えるのか
聖というも非人の証し
下人も超越者も変わりない
生者は死者を区別するが
生きるも死ぬも違いはない
空なるものは求めても得られない
そうつぶやくと精神が蓮華のように匂った
背中に取り付いた影は飛び去った
(「卒都婆小町」2004より)
くじけそうになりながらも読み進めるうちに、上記のような一節が出てきた。もしやと思ったが、結局最後まで、“死”に対して烈しく挑みかかり、まるで強いアレルギー反応を起こしているようだった。
死への礼儀は生きること
悔しいので何度も読み返してみたら、ヒントはほんの初めのほう(2編目)にあった。
未来は過去の映った鏡だ
過去とは未来の記憶に過ぎない
そしてこの宇宙とは
おれが引き当てた運命なのだ
(「新しい赦しの国」2002より)
“死”を受け入れることが“悟り”だと思っていた私が甘かった。いまある“生”を精一杯生きることこそ、実は“死”を受け入れることであり、それこそが“死”に対する礼儀なのではないか。そう思って全編読み直してみたら、やっと著者の意図するところがわかったような気がした。
“からだ”を見つめることは究極的には“いのち”を見つめることである。などと、日頃学生を前にしたり顔でしゃべっている自分を戒め、反省しなければ、と思った。
なお、免疫寛容とは、自己あるいは、ある条件下での非自己(抗原)に対して、免疫反応が起こらないこと、また、その状態のことを指す。
(板井 美浩)
出版元:藤原書店
(掲載日:2011-08-10)
タグ:詩 死生観
カテゴリ 人生
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寡黙なる巨人
多田 富雄
著者は、世界的に知られた免疫学者。『免疫の意味論』『生命の意味論』などのご自身の専門の著書のほか、新作能の作品も多い。
その著者が2001年5月2日倒れた。その前に乾杯のとき、「ワイングラスがやけに重く感じられた」。「重くてテーブルに貼りついているようだ。なんだかおかしい。それが後で思えば、予兆だったのだ」。
脳梗塞で右半身不随になり、しかも嚥下障害と言語障害を伴った。動けない、話せない、食べたり飲んだりできない。何かしてくれた人に「ありがとう」とも言えない。
この本の最初の章、書名と同じ「寡黙なる巨人」はその闘病録である。著者はもちろん医師でもある。奥様も内科医。自分のからだについて、リハビリテーションの内容について、詳細に、時に厳しく記していく。その文章も入院してから教わったワープロで1字1字打って書いたものである。その闘病生活、リハビリテーションのなかで、著者の内部に「巨人」と呼ぶべきものが生まれてくる。
理学療法、作業療法、言語療法についても著者の経験から、鋭い意見が述べられる。医療とその制度についても真摯な意見が述べられる。誰しも他人事ではない。ぜひ、ご一読いただきたい。
2007年7月31日刊
(清家 輝文)
出版元:集英社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:闘病 リハビリテーション
カテゴリ 身体
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免疫・「自己」と「非自己」の科学
多田 富雄
「免疫」という言葉は、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。本書は、免疫の持つ“自己か非自己かを判断し、非自己(自分以外)を排除する”という特徴を、全体のテーマとして掲げている。
一言で「免疫」といってもその実態は実に複雑で難解である。ついつい敬遠しがちな分野であることは確かだ。だが、本書では一般の読者でもわかりやすいよう専門用語を極力減らし、細かくテーマ分けすることで少しずつ無理なく読み進めていけるような工夫がされている。生理学の教科書に書いてあるような少々お堅い内容だけではなく、「インフルエンザ」や「アレルギー」といった比較的身近な話題や、「臓器移植」・「クローン」など非常に興味深い内容も盛り込まれており、文系人間の私でも割り合いとっつきやすい一冊であった。
(藤井 歩)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2012-10-16)
タグ:免疫
カテゴリ 医学
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脳の中の能舞台
多田 富雄
何のこっちゃ? 私にとって大変インパクトのあるタイトルで、頭の中にはいくつかの疑問符が浮かんだ。私が存じ上げている多田富雄氏は著名な免疫学者であったので、「脳の中の能舞台」というタイトルからラマチャンドラン氏の『脳のなかの幽霊』のような、神経系と運動系を結びつけるような医療系の話なんだろうか、とも思われた。
だが、本を読み始めるとその疑問はすぐに氷解する。多田氏は免疫学者としてだけでなく、白州正子氏をはじめとして多くの文化人と交流があり、能に深い造詣をお持ちであった。
本書は氏がこれまでお書きになってきた数々のエッセイを集めたもので、書かれた当初からこのような形で編集されることを意図されていたわけではない。それにもかかわらず本書全体として能に対する姿勢が明確に浮かび上がってくる。
対象とされる読者は、能に興味を持った人、能を観劇した経験はあるものの「能は一体何を楽しんだらいいんだろう」「この古典芸能は何を訴えているんだろう」という類の疑問を持った人であろう。本書はそのような人に対して非常に有効なアドバイスをくれる。
能の舞台を実際に目にして感じること、初心者が疑問に思うであろうことが丁寧にフォローされる。次いで多田氏と交流のある文化人との能に関してやり取りされた書簡や、実際にご覧になった舞台の曲目紹介、そして氏が書き下ろした新作能が取り上げられている。
能はどのようなものなのか、どのように接していくことを勧められているのか、また古典芸能としての能に新作があることの意味は何か、氏は順番にその回答を進めている。詳細な内容は本編に譲るとして、はしがきからいくつか抜粋してみる。
「この本は、読者といっしょにその舞台を眺め、何かを読み取ろうとする試みである」
「脳の中の能舞台で再演されるさまざまな劇の流れに、ごいっしょに参加して頂くのが目的である」
「古典芸能といっても、能が現代人に語りかけなくなったら、芸術としての生命はない。ここに集められたエッセイは、何らかの形で脳の現代性を探る試みになっていると思う」
本書を一読してから、はしがきに戻ると、その意味が改めて伝わってくる。私は近年まで能との接点をまったく持たずに過ごしていたが、ふとしたきっかけで、日本人として先人が築いてきた文化に触れないままでいることに疑問を持ち、自分なりに能と接してきた。本書は私のような「能初心者」にとっては大変ありがたい指導書である。素敵な出会いであった。
(脇坂 浩司)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:能 脳
カテゴリ 身体
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マンガ分子生物学 ダイナミックな細胞内劇場
萩原 清文 谷口 維紹 多田 富雄
生命の本質が分子であるということを本書を読んで初めて知った。その事実を知るということを、私は避けてきたのかも知れない。なぜなら分子というものが、筋肉や骨、内臓のように見て触れることができないもので、存在感を感じないからだ。しかし、本書を読むことで私たちの身体の成り立ちは分子の集まりだということを改めて理解することができた。
治療やトレーニング、リハビリなどのトレーナー活動をするに当たり、なぜそれが効果的なのかを理解するには、解剖学以前に目に見えない部分で何が起こっているのかが大切になってくる。そもそも、理由もわからないのにトレーナーとしてクライアントの身体に対する行為を漫然と行うのはよくない。しかし、見えない部分を学ぼうと思っていても、取っ付きにくいのが正直な思いだ。
本書は、分子生物学という分野を取り上げている。細胞、DNA、タンパク、病気の仕組みから治療方法などをマンガを使って説明しているので、物語として頭に入ってきやすい。あっという間に読めてしまう一冊である。正直言うと物足りなさもある。マンガのまま、身体について学びたい思いが強くなる。もっと続きが読みたいぐらいだ。
文章だけで学ぶ教科書、参考書はどうしても想像がうまくできない。そんなとき本書が、分子生物学や身体にまつわる知識について、わかりやすく解釈するヒントとなる。この本を参考にして、自らの知識を、マンガや物語にしてみるのも面白そうだ。理解力と表現力が試されそうである。
本書をお勧めするには、医療関係の方では簡単すぎて物足りないかもしれない。なので、そもそも遺伝子に興味があって学びはじめの方、あるいは分野を掛け離れて学び方、伝え方を変えたい方。そんな方々が読むことで、何かきっかけをつくれるのではないかと思える一冊である。
(橋本 紘希)
出版元:哲学書房
(掲載日:2016-06-04)
タグ:分子生物学
カテゴリ 生命科学
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