100km・ウルトラマラソン
夜久 弘
ウルトラマラソンのランナーでもある著者が出場した「丹後100kmウルトラマラソン」の体験記とウルトラマラソンを介して出会った8名のランナーの物語をまとめた書籍。ウルトラマラソンの持っている魅力が様々な視点から語られている。
競技となると勝敗やタイムにこだわる必要はある。しかしどうやらウルトラマラソンの魅力はそこではないらしい。景色を楽しみ、空気を楽しみ、出会いを楽しむ。マラソンと名前は付いているが、競技とは全く別物のようだ。
もちろん途中で制限タイムも設定されているので、それをクリアできなければ強制終了となってしまう。しかしそれをクリアするために、速さを求めているわけではない。
本書の中には途中の制限タイムに間に合わないのが確実だが、そこに向かって歩みを進める方の話も出てくる。10時間以上走り続け、それでも途中で強制終了させられる。決して良い結果は待っていないのがわかっていながら、そこに向かって歩みを進める彼ら。彼らの脚を動かす原動力はいったい何であろう。
(澤野 博)
出版元:ランナーズ
(掲載日:2012-02-07)
タグ:ウルトラマラソン ノンフィクション
カテゴリ 人生
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決定版!! 100kmウルトラマラソン
夜久 弘
「知能」としてのランニング
人は一体いつ頃から、自らの「本能」という呪縛から開放されて「知能」としての走りを満喫できるようになったのだろうか。――生きているものは、すべて動くと言っても過言ではない――生命科学における生体運動に対する知見である。その分野の専門書によれば、神経細胞などがまったく見られない原生動物でさえ、細胞中に運動支配中枢が存在し運動すると言う。
しかし、決してむやみやたらと動き回っているのではない。自らの生存に不適合な環境を避け快適な環境下に移動するための、いわゆる適応的行動を起こしているのである。これを走性(taxis)と言う。
この「走性」と似たものに「反射」がある。反射は遺伝的神経機構の産物という点で、生まれつきの行動と定義できる。つまり、本能の一種である。人間が立ち、歩き、走る、という一連の二足直立運動は、この反射機能によるところが大きいことは周知の事実である。
つまり、人間の行動の本来的に意味するものは、外界からの刺激に対する単純適応行動反応と見ることができる。しかし、これだけでは人間の行動を説明するのには十分とは言えない。なぜなら、人間の行動を理解する場合、学習に基づく行動反応を無視できないからである。学習に基づく行動反応とは、知能のことである。つまり、「走る」という行為とは違い、「ランニング」という行為は、マズローの欲求段階説に従えば、生理的欲求や安全欲求を満足させるための行為ではなく、さらに高位の、自己実現を可能とさせるための行為と言える。人間独特の知能あってこそ可能な行為が、ランニングと言えるのだ。
ランナーの数だけあるランニング
ところで、私事で恐縮だが、このランニングとは私自身何を隠そう20年来の友(?)なのです。この20年間、太ったと言っては走り、うまい酒が飲みたいと言っては走り、旅行先で走り、引っ越したと言っては走っている次第です。知らない町を走るのは、案外楽しいのだ。しかし、今回初めてこの本を手にしたときは、タイトルや目次などをざっと見て正直言って驚嘆してしまった。なにしろ、著者を筆頭に100km、200km、果ては4200kmも走った人も出てくるではないか。
多くとも10km程度のジョギングしか経験したことのない私にとって、本書を精読するまでは、ここに出てくるランナーの皆さんは別世界に住む方のように思えた。ところが、読み進むに従って、これは間違いであることに気づく。みんな普通に生活している人々なのである。著者の文章の優れているところが大きいが、行間のあちこちから、本書に出てくる人々の走る姿が見え、走っている沿道の応援する人々の声が聞こえてくる。読んでいて、何かとても美しい小説に出会ったような錯覚を覚えた。
それと、本書のもうひとつうれしいところは、出てくるランナー皆さんのそれぞれのトレーニング方法が紹介されていること。要は、みんな自分の好きなようにやっていて、それがこのランニングの一番大切なところだという筆者のメッセージがよくわかる。ランナーの数だけランニングの方法があるということなのだ。
本書を読んでウルトラマラソンに目覚める方も多いのではないだろうか。そう書いている私もなにやらお尻がムズムズしてきました。
(久米 秀作)
出版元:ランナーズ
(掲載日:2002-10-10)
タグ:ウルトラマラソン
カテゴリ 運動実践
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メロスたちの夏
夜久 弘
マラソンを走る人は、精神力が強いのだと思っていた。ましてやウルトラマラソン(100㎞)である。しかし、どうもそうでもないらしい。
以下著者の言葉である。
「レース前にはトレーニング不足は精神力で乗り切ってみせる、と意気込み、本気でそう思っている。実際には疲れ切った身体の中からは精神力は湧き上がってはこない。精神力はトレーニングに比例して培われていくものなのだ。精神力が身体のどこかの引出しに別個にしまわれていて、いざというときに取り出して使うというシステムにはなっていない」
強い精神力は、当たり前だが努力した結果生まれる。そういえば、プロゴルファーの青木功さんは、「体・技・心」であると言う。まずは練習する体力をつくる。するとたくさん練習できるから、技術力が上がる。そして初めて、強い精神力がつくのだと。
トップアスリートもスポーツ愛好家でも、等しく流れているものがある。それは時間である。そして、時間のかかった分だけの、見返りの量も等しく流れているようである。
ウルトラマラソンからもらえる見返りを、著者はこう表現する。
「今日という1日は単独では存在しない。つらかったあの日、悲しかったあの日、努力したあの日の連なりの中にやってきた日なのだと」。いつでも、近くにおいておきたい言葉である。
(森下 茂)
出版元:ア-ルビ-ズ
(掲載日:2012-10-14)
タグ:ウルトラマラソン
カテゴリ エッセイ
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メロスたちの夏 夜久弘のウルトラマラソン
夜久 弘
最初は病から逃れるように走っていたのが、やがて100kmを走破するウルトラマラソンにまで出場するようになるほどのめり込んでいく。ベテラン市民ランナーならではの視点で綴られ、トレーニング観も経験に裏打ちされた独自のものがあり、たとえば「うどん打ち」のたとえにあらわれている。これはトレーニング量という小麦粉をたくさん集め、それを打って細く長く麺にしていくことが完走の秘訣であるというもの。
ランナー仲間に励まされる様子も描写され、孤独に走っているのではないことがよくわかる。読み終えたとき、筆者の走り続けた27年間をともに走った気持ちになる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ランナーズ
(掲載日:2008-10-10)
タグ:ウルトラマラソン
カテゴリ 人生
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