からだを作り直す山中毅の水中運動
山中 毅
タイトルに水中運動とありますが、水中運動=プールへ行って泳いだりするんやろ、というイメージありませんか?
本書は初めに、運動=スポーツではないというところからふれられており、水中運動の特徴を、これから運動を始めようとされている方や、高齢者の方へ、山中毅さんの実体験を踏まえたアドバイスや実践方法が載せられています。
水中というのは陸上では得られないポイントがあります。膝や腰が痛くて運動がしにくいなど、運動に対して不安を持たれている方も多いのではないでしょうか。陸上ではやりにくいことでも、水中であれば非常にやりやすくなる運動も多く、また効果も上がりやすいこともあります。
自分で運動されている方はもちろん、現場で指導されている方も、アプローチ方法を増やすことのできる1冊だと感じます。
(大洞 裕和)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2012-02-07)
タグ:水中運動 トレーニング
カテゴリ トレーニング
CiNii Booksで検索:からだを作り直す山中毅の水中運動
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:からだを作り直す山中毅の水中運動
e-hon
史上最も成功したスポーツビジネス
種子田 穣 本庄 俊和
この本ではNFLがいかにアメリカ国民にとっての文化となりえたか、そのためのブランディング戦略について書かれている。ブラックアウトやマンデーナイトフットボールといった、日本のプロ野球やJリーグでは行われていないNFL独自のものが紹介され、大変興味深い。
本の中で、強い感銘を受けた点はNFLが、ブランディングやスポンサーシップの獲得に際して、アメリカンフットボールというスポーツの持っている要素を、商品やサービスに込められたコンセプトと結びつけて考えている点だ。たとえば、ボールを敵陣に運ぶために戦略や情報を用いるというアメリカンフットボールの特性を物流企業のコマーシャルに提供するといったことを行っていたり、フラッグフットボールのキットを日本各地の中学校に寄贈し、スポーツが苦手な子でも戦略を考える役ができるといったようなアメリカンフットボールの特性を提供したりしている。日本人選手がNFLに誕生するのはまだ先のことと見るや、日本人でNFLチームに所属するチアの方のドキュメンタリーをつくり、異国での生活や家族との葛藤を描いたりしている。
スポーツ団体にとって、そのスポーツを普及させるために行っていることは、そのスポーツがいかに面白いかを訴えているケースが多い。しかし、NFLは、アメリカンフットボールの面白さを訴えるだけではなく、世の中にNFLというブランドの持つ価値を投げかけている。
このように、スポーツを通じた何かで社会に訴えるという点が日本には欠けており、野球やソフトボールが五輪競技に復活できなかった理由もこの点に一因があるのではないかと私は考えている。スポーツビジネスを勉強している方だけではなく、スポーツを普及させたいと願っている方にもぜひ読んでもらいたい。
(松本 圭祐)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2011-12-10)
タグ:スポーツビジネス NFL アメリカンフットボール
カテゴリ その他
CiNii Booksで検索:史上最も成功したスポーツビジネス
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:史上最も成功したスポーツビジネス
e-hon
史上最も成功したスポーツビジネス
種子田 穣 本庄 俊和
はっきり言って歴史の違い
私の蔵書の中に「THE PICTORIAL HISTORY OF FOOTBALL」というのがある。要するに、アメリカンフットボールの歴史を写真で追ったものだ。そして、この本の最初に「CAMP」なるタイトルのついた章があって、そこには口ひげをはやし、左手を後ろに回して直立姿勢で立っている男の写真が大きく掲載されている。
その男こそが現在のフットボールの原型となるルールを確定したウォルター・キャンプその人である。その写真の説明には「ウォルター・キャンプは1878年にエール大学のキャプテンとなった。彼は革新的なアメリカンフットボールのルールを背景に、大いに活躍した」と記されている。
1878年は、日本で言うと明治11年である。この年、日本では明治新政府の立役者であり、版籍奉還や廃藩置県を断行した参議兼内務卿の大久保利通が東京紀尾井町で刺殺されている。まだまだ国の存亡ままならぬ状況の中で、ましてスポーツなんぞという時代であった。
1892年、米国ではアメリカンフットボールは人気スポーツとなり、初のプロプレーヤーが誕生したと本書に書かれている。日本では明治25年に当たる。この年日本には本格的テニスコートが東京・日比谷の英国公使館の中庭にでき、これをきっかけにテニスが盛んになったという。でも、フットボールではないのだ。
日本で初めてアメリカンフットボールの試合が行われるのは、それから43年後の1935年(昭和10年)。東京・明治神宮外苑で横浜選抜と在日外人チームの試合が第一戦であった。そのころ、米国では現在のNFLは既に組織されていたし、1934年にはNBCラジオで全国向けに初めて放送が行われたという。そして、1935年には現在も行われているドラフト制度ウェーバー方式を導入したという。やはり、はっきり言って歴史が違うのだ。
スポーツと体育の違い
本書は、新市場開拓の原則として次の2つを挙げている。
(1)ファンデベロップメント、即ち顧客の開拓、(2)メディア展開、即ち如何にしてメディアへの露出度を増やすか。
両方とも納得だが、特に(1)の顧客の獲得には大変な時間を要するという。
つまり「特にプロスポーツの場合、人々がファンとなるスポーツは、自分が過去にプレーしたことのあるスポーツであることが多い」という。
これも納得。つまり、日本の場合、過去におけるスポーツ経験とはイコール学校体育でのスポーツ経験となるので、NFLジャパンでは現在日本でのNFLファン獲得作戦の一環としてフラッグフットボールという安全で誰もがフットボールゲームを楽しめるプログラムを全国小学校に展開中という。これも納得。
因みに、何を隠そう私もこのフラッグフットボール経験者の一人で、年齢、男女混合チームでゲームをやる気分は格別です。 読者諸君、一度経験すべし。
閑話休題。しかし、これらのNFL顧客獲得作戦には大事なものが抜けている。それは、スポーツはやるものと同時に観るものだとういう視点だ。残念ながら、今までの日本のスポーツ教育には、ここが決定的に欠けていた。つまり、教育・教材としてのスポーツ、体育だったのである。
事実、全国の小・中学校のグラウンド、体育館に観覧席が用意されている学校が何校あるか? あるのはスポーツをやるためだけの施設ばかりだろう。私自身、もう10年以上前になるが、娘のミニバスケットボールの試合を体育館の外から、狭い出入り口に沢山群がる他の保護者に混じって立ちながら応援したのを覚えている。
観覧席があったら、もっと楽しめただろうに。
NFL関係者の皆さん、そんなに史上最もビジネスを成功させた余力があり、あくなきビジネス精神の元、さらに日本、そしてアジアとビジネスチャンスを目論むなら、全国の小・中学校に観覧席を寄付して下さい。
そうすれば、必ずや日本人はスポーツを観る楽しみを理解します。そして、アメリカのように、会場近くでバーベキューパーティーもやるようになります。なんせ、史上最もマネがうまい国民ですから。
(久米 秀作)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2002-12-10)
タグ:スポーツビジネス NFL アメリカンフットボール
カテゴリ その他
CiNii Booksで検索:史上最も成功したスポーツビジネス
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:史上最も成功したスポーツビジネス
e-hon
町人学者
増田 美香子
副題は「産学連携の祖 淺田常三郎評伝」。大阪大学理学部物理学科の教授、淺田常三郎氏について、その門下に学んだ人が「人となり」を記したもの。
淺田教授は、大阪府堺市に生まれ、きわめて優秀で、旧制中学5年のところを4年で卒業、難関の第三高等学校にトップで合格、その後東京帝国大学理学部物理学科に入学、実験物理学を専攻した。
大阪帝国大学を創立するとき、先生である長岡半太郎が総長になる。そのとき、淺田氏も物理学の教授として阪大に移っている。その講義は大阪弁、正確には堺弁であった。講義の第一声はこんなふうだった。
「一銭銅貨を置きましてな、かかとで踏んでキリーッとまいまんねん(回るのです)」。
「すと、こないなりまんねん」
二枚の銅貨の間には模造品のルビーがあったが、粉々になる。次に天然のルビーで同じようにすると銅のほうがへこんだ。
「それ、なんでだんねん?」が口癖だったとも言う。その淺田氏は、常に人々の役に立つ研究を心がけた。当時大学教授は雲の上のような存在だったが、えらそぶるようなことは決してなかった。むしろ、ユーモアにあふれ、面倒見のよい教授として慕われた。
広島に投下された新型爆弾が原子爆弾だと科学的に確認した人でもある。多数の逸材を輩出した淺田研究室。その教授の姿を知ると、学問のあり方、研究者のあり方、人を育てるということなどを味わい深く学ぶことができる。
2008年4月4日刊
(清家 輝文)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:研究
カテゴリ 人生
CiNii Booksで検索:町人学者
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:町人学者
e-hon
学校スポーツ ケガをさせずに強くする
森部 昌広
フィジカルトレーニングやコンディショニングの重要性を訴える内容の一冊。
スポーツの指導者の中で、身体能力を向上させるトレーニングや体調管理について、「必要ではない」と思っている人はどのくらいいるのだろうか? おそらく、ほとんどの指導者は、「必要だ」と認識しており、何らかの取り組みをしていると思う。
ところが最近、ちょっとした異変が起きている。「フィジカルトレーニングは必要ない」という意見が台頭してきたのだ。サッカー指導者のジョゼ・モウリーニョ(2010年現在イタリア・インテル監督)の流儀が注目され始め、日本でも『テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人』(村松尚登著、ランダムハウス講談社)が出版され、売れ行きも好調らしい。もちろんこれは、身体能力の向上やコンディションを整えることを軽視するものではなく、実際に起こりうる状況を想定した練習を繰り返すことで、それに必要な身体能力も必然的に向上するという考えで、フィジカルトレーニングとプレー練習を別々に行わないという点がこれまでの主流と違っている。
ただ、フィジカルトレーニングについて、どのように考えていようとも、競技スポーツにおいて身体能力の向上やコンディショニングが重要事項であることには変わりはない。
本書のタイトルの「ケガをさせずに強くする」ことは、種目や国やレベルが違っても、スポーツの現場における共通の命題なのである。ところが現状では、フィジカルトレーニングやコンディショニングの重要さが繰り返し叫ばれている。
なぜか。おそらく、それらが正しく理解・実践されていないせいであり、本書がそれを基礎からわかりやすく丁寧に解説してくれている。スポーツ指導に携わる人は、本書の内容をよく理解したうえで、各現場に合ったアプローチ法を研究してほしい。
(尾原 陽介)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:トレーニング
カテゴリ スポーツ医科学
CiNii Booksで検索:学校スポーツ ケガをさせずに強くする
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:学校スポーツ ケガをさせずに強くする
e-hon
それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
高橋 豊
本書は、高校生の時にラグビーの試合で頸椎脱臼・頸髄損傷の大ケガを負って両上肢と両下肢の機能を失い、その後高校復学、医学部入学を経て、現在は精神科医として電動車椅子で診療を行う流王雄太さんについて書かれたものである。
「それでも、前へ」――15歳で四肢の自由を全て失い、自分で動くこともままならない重度の身体障がい者であるにもかかわらず、彼にはこの言葉がとてもよく似合う。とにかくポジティブで、前へ進もうとする姿勢が伝わってくる。一般高校への復学から、2度の大学受験、そして医師へ。身体は動かなくても、心は動く。旺盛な好奇心と、それを支える積極的な行動力と努力。手も足も動かせる自分が負けてはいられないと、こちらが勇気づけられた。
本書を読み終えた後に、車椅子のプロテニスプレーヤー国枝慎吾選手が17年ぶりに自分の足で立ったというニュースをみた。アメリカで脊髄損傷からの回復に関して専門の勉強をしてきた方が、日本に帰国して開業されたとのこと。流王さんをはじめ、このような方々の活躍により、健常者と障がい者が同じように夢と希望を持てる世の中になることを、願ってやまない。
(石郷岡 真巳)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:リハビリテーション
カテゴリ 人生
CiNii Booksで検索:それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
e-hon
14歳の君へ どう考えどう生きるか
池田 晶子
本当に物心がつく年頃
14歳という年齢は、ある意味で“本当に物心がつく年頃”と言えるような気がする。第二次性徴はだいたい済んでいて、自意識過剰で“無心”とは最も遠い距離を置いている。異性にどう思われるかなんていうことが人生最大の悩みごとだったり、それが嵩じて“自分とは何か?”なんてことを考え始め、生意気な割にそれを考える術も知恵も足りないから安易に答えを求めて占いに凝ったりする。生意気盛りで反抗期のくせに、自立できず、保護者のもとでしか生きて行けない自分に腹を立て、日々悶々と暮らしながら大人への第一歩を踏み出そうと模索している。そんな悩める14歳に宛てた“人生を考える”ための手がかりとなる一冊だ。
14歳の頃のことは、大学生あたりよりも、不惑の指導者世代の方がかえって思春期の生々しい記憶をハズカシの彼方から呼び起こすことができるのではないだろうか。その頃に立ち返って競技人生を考え直してみると、競技者(老いも若きも、14歳の君も)その人にとって競技とは何であった(ある)のか意義を深めたり厚みを増したり、現在そして将来に向けてよりよい競技人生を送るため(あるいは、送ってもらうため)に、競技、スポーツとどう対峙していけばよいのか“考えておくべきこと”を本書は教えてくれるように思う。
“解答”は与えてはくれない
知ることより「考える」ことが大切という態度で貫かれているから“考えるヒント”はこれでもかというほど提示してくれる。しかし“解答”は1つも与えてはくれない。まして、これこれこうだと“信じる”ことを強要することなどは絶対にない。むしろ、そうであると信じていることに「これはどうしてなのか、考えたことがあるかな」と問題を投げかけ、さまざまなことを考え直してみなさいということを“考え”させてくれるのだ。
信じなさいと教えを説いたりしない代わり、「そもそも」○○とは「何か」? と考え抜いた末に「それぞれの立場や都合や好き嫌い」に左右されない普遍的に正しい「考え」については断言口調となる。
一例を引いてみれば、「人生の目標」について、「人によってそれぞれ違わない、すべての人に同じ共通している目標だと言っていい。それは何だと思う?」「そうだ『幸福』だ。すべての人が共通して求めているものは幸福だ」といった具合だ。
ちなみに「似ているけれども違うもの」として「将来の夢」をあげている。「将来の夢」は「君の努力や才能によって、実現したりしなかったりするだろう。もし実現したとしたら、それはそれで幸福なことだ。だけど本当の幸福は、実現したその形の方ではなくて、あくまでも自分の心のありようの方なのだ」「もし夢が実現しそうにないのなら」「努力が足りなかったか才能がなかったか、そう思ってあきらめなければならない。だけれども、幸福になることをあきらめる必要なんかない。君はそんなことでは不幸にならない。なぜなら、幸福とは」「形ではなくて、自分の心のありようそのものだからだ」と結んでいる。
“強いこと”“体力のあること”が優れていること、よいことであるとどこか刷り込まれている私たちにとって、競技における成功と失敗、体力の強弱、運動能力の高低、才能のあるなしなど、それらがいったいどういうことなのか考えるうえで重要な示唆を与えてくれる一節だ。
「受験の役には立ちませんが、人生の役には必ず立ちます」とあとがきにもあるように、ハウツー、マニュアル物や安直に答えが書いてある本が多い近年、考えるヒントをくれるだけで何一つ解決策を教えてくれない本書のような書籍を読み解く力が必要であると考える。
(板井 美浩)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2009-02-10)
タグ:考えるヒント
カテゴリ 人生
CiNii Booksで検索:14歳の君へ どう考えどう生きるか
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:14歳の君へ どう考えどう生きるか
e-hon
それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
高橋 豊
医療の谷間に灯をともす
私の勤める自治医科大学は、医療に恵まれない地域における医療の担い手を育てるため、昭和47年に開設された大学である。現在のような医師の都市部偏在によるものと異なり、当時は医師の絶対数不足から、とくに山間へき地や離島、過疎地と呼ばれる地域の医師不足が深刻な時代であり、“医療の谷間に灯をともす”(校歌より)気概ある総合臨床医を育てることを目的に設立されたのである。毎年、日本全国47都道府県から来る入学者(2~3名ずつ)に修学経費を貸与し、卒業後の所定期間(おおむね9年間)知事の指定する公立病院などに勤務した場合は、返還が免除されることになっている。つまり、卒業後それぞれの出身都道府県に戻って地域医療に従事するという“義務”を背負う代わりに学費は各都道府県に払ってもらうという現在の“地域枠”制度に先駆けたシステムだ。それぞれの地域に赴任中は“総合医”の名のごとく、内科系外科系、急性期慢性期、重度軽度の別なく診療にあたる。場合によっては“地域”そのものの活性化のために働くこともあるようである。
義務年限を終了したその後の身の振り方は原則自由だが、地域の診療所に残ったり新たに開業するなど、多くの卒業生は引き続き地域医療の実践に取り組んでいる。もちろん、大学に戻って教鞭をとっている卒業生や、特定科の専門医になっている者も多い。特筆すべきは専門医を名乗るにあたって、地域でのあらゆる診療に対処したことによる幅広い知識と経験があり、その大きな地盤の上に専門科を掲げることができる点である。
地域での診療義務をこなしながら専門医の資格を取らなければならず、ほかの医学部卒業生より時間がかかるし大変だとの不安を在学中に持つ学生も中にはいる。あるいは、中央の情報が届きにくいイナカに飛ばされて不利になるという負の感覚を持つ人も(これは外部の人に多いが)いる。しかし、ハンディキャップのように思えるこの期間が、実は実践を通してモノスゴい力が蓄えられる場になっていることを、頼もしいお医者さんになっている卒業生たちを見るたびに実感するのである。
開拓者として
さて、本書に描かれている流王雄太は、四肢マヒというハンディキャップを持つ医師(精神科)である。15歳、彼が高校1年生のとき、ラグビーの試合中に起こった事故で頸髄損傷を被り、首から下のほとんどが自由に動かせない状態となったのだ。その彼が高校に復学し、短絡でない道のりを歩みながら医師となって活動している現在までの記録を綴ったものだ。
あらゆる「前例のない」問題と対峙し、開拓していかなければならなかった人生には、本文から読み取れること以上に大変な苦労や葛藤があったに違いないと思う。しかし(だから、というべきか)表紙にみられるような柔和な笑顔を浮かべている現在がある。一時の勢いや感情にいちいち流されていては大きいことは成しえない。肚(はら)に秘めた強い意志がある人ほどこういう表情になるのかも知れない。
新たに見えるもの
流王が「肉体的ハンディのためにできないことはたくさん存在しますが」「ハンディを持って社会の中で生きていくという、この状況でしか理解できないことや、共感できないことが数多く存在する」というように、人には何か自由が利かない状況になってこそ見える世界というものがある。とはいえ「自分がハンディを持っているからという、力みがなく、自然な態度で応じられる」かどうか、このことが非常に難しいことであることは容易に想像がつく。その中で発せられる次のような流王の言葉には重みがある。
「成功し続けることだけが、自分の支えで、何かにつまずいたり、失敗したり、地位を失ったりすると、人間としての人格そのものまで否定してしまう人が、最近、多いように感じます」
“自由”とか“幸せ”ということについて考え直してみたくなる一冊。文章のトーンも全編通して抑えた表現になっていて、感動を強要することは決してない。そこのところがまたよい。ぐいぐい引き込まれること請け合いだ。
(板井 美浩)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2009-04-10)
タグ:リハビリテーション
カテゴリ 人生
CiNii Booksで検索:それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
e-hon