ファイブ
平山 讓
バスケットボール稗史(はいし)
「バスケットボール部を今年限りで休部とする」。平成7年から4連覇を含む5度のJBLスーパーリーグの優勝を果たした名門いすゞ自動車バスケットボール部に、平成14年1月30日リストラの風が吹いた。しかしこの事実を頑なに拒否し、「ファイナルで優勝したら、休部の話がなくなることだってありますよね」と執拗に会社幹部に食い下がった男がいる。その男の名は佐古賢一。ポジションはポイントガード。愛称「ミスターバスケットボール」。その名の通り、彼は中央大学時代に日本代表入りを果たし、平成9年にはアジア選手権(兼世界選手権アジア予選)で準優勝し、31年ぶりに日本を世界選手権に導いた中心的人物である。さらに、その間リーグ戦においても6年連続ベストファイブとMVPを3度受賞している。まさに「ミスター」の名にふさわしいこの男が、今リーグファイナルで戦っている。相手は初優勝を狙うトヨタ自動車アルバルク。試合は残り15秒。得点は66対63、いすゞ3点のビハインドだ。「『おい』と長谷川の肩を掴んだ。長谷川が驚いたように振り向き、佐古を見た。(ボールを)『俺によこせ、ぜったい、俺によこせ』」(中略)「長谷川が小さく頷いた。試合が再開された。時計が動き出し、カウントダウンが始まった。」佐古は、残り2秒、シュートを放つ。「入った!これまで幾千、幾万と打ったシュートの経験から、指先の感触で、佐古はそう感じた。」しかし、その感触が間違いであったことに気づくのに、そう時間はかからなかった。
アイシン・シーホース
捨てる神あれば拾う神あり。鈴木貴美一は、休部するいすゞ自動車にとって最後の試合を観客席から見つめていた。彼はアイシン精機という自動車部品メーカーが雇ったプロのバスケットボールコーチだ。当時、JBLにおいてアイシン・シーホースという名はそのまま“弱小”の代名詞となっていた。しかし、鈴木は人材を見定め、虎視眈々と日本一の座を狙っていたのである。佐古は、鈴木の目にとまった5人目の男であった。
この物語は、一人の男が名門チームの廃部によって優勝経験のない弱小チームへ流れ着くノンフィクション・ストーリーであるが、稗史(はいし)つまり小説のような風情を持った物語だ。
そのチームには、佐古と同じように親会社からリストラされて引退の危機にありながら、やはり鈴木に拾われた個性豊かな4人のベテラン選手がいる。「本書は、ある地方の小さなバスケットボールチームから、もう一度自分自身への存在証明を試みたもの達の心の有様を探求した」泥臭い、いや汗臭いスポーツノンフィクションなのである。
現在の日本のスポーツライターの原流は、1980年4月に発刊された「Number」(文藝春秋社)にあるという人がある。その最新号(11月25日号)には、Jリーグ、MBLに混じって“Yuta Tabuse”の特集が組まれていた。日本人初のNBA選手としてフェニックス・サンズの開幕アクティブロスター入りした彼の今後の活躍は間違いなく日本のバスケットボール界に喝を入れてくれるはずだ、と原稿を仕上げようとしていた11月25日の読売新聞朝刊に「バスケにプロリーグ」の見出しが躍った。田臥の喝が早速利いたようだ。
スポーツはよく感動を呼ぶと言われる。その感動は瞬間という時間の中で冷凍され、それがファンの刹那的な情熱によって解凍されたときに初めて得られるものではないか。だとすると、やはりスポーツにファンは欠かせない。“見るスポーツ”同様“読むスポーツ”にも本書を機として多くのファンがつくことを望みたい。我が国のスポーツのさらなる成熟のためにも。
(久米 秀作)
出版元:NHK出版
(掲載日:2012-10-09)
タグ:バスケットボール ノンフィクション
カテゴリ その他
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スポーツ・インテリジェンス オリンピックの勝敗は情報戦で決まる
和久 貴洋
本書は、日本オリンピック委員会(以下JOC)情報・医・科学専門部会委員である和久先生が、オリンピックで成績を上げるためには情報戦略がいかに重要かということについて述べている。
ここ近年、オリンピックにおける日本人メダリストが少ない理由として、中国・韓国人メダリストと比べ20~24歳の選手が台頭していないこと、また世界ランク8位以内の選手が少ないことを挙げている。あらゆるデータを基に解析して、諸外国と比較した結果から、原因を推測し、情報を国や競技団体にフィードバックして競技成績につなげていくという情報戦略である。実際にはこれだけでなく、海外からの有益なスポーツ医科学情報をいち早くキャッチすることが重要である。
スポーツ医科学に関する情報は諸外国を見ても、シークレットな部分であり、多くはオリンピックのプレ大会で発表されることが多いが、その時点で情報を得たところでもう遅い。普段あまり表に出ないシークレットな情報を入手するコツが記載されている。
たとえば、2012年ロンドンオリンピックで有名になったマルチサポートハウス。この存在が日本選手団から多くのメダリストを誕生させるきっかけになったと言っても過言ではない。そのマルチサポートハウスの計画は2004年のアテネオリンピックで、アメリカが実施したという情報からスタートしており、ロンドンオリンピックで日本選手団独自のマルチサポートハウスを実現させるための過程が記載されている。
リオデジャネイロオリンピック、東京オリンピックに向けて日本人メダリストを多く誕生させるためには、この情報戦略がキーであることを本書を読むと理解できる。
(鈴木 健大)
出版元:NHK出版
(掲載日:2015-05-29)
タグ:情報戦略
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スポーツ・インテリジェンス オリンピックの勝敗は情報戦で決まる
和久 貴洋
国立スポーツ科学センターに情報戦略部門が設置されて以来、情報戦略分野において活躍してきた和久氏が、これまでの活動内容や展望をまとめた興味深い一冊だ。
イギリスやオーストラリアを始めとした世界各国の取り組みはもちろん、日本の「マルチサポート・ハウス」についても、設置に至るまでの経緯が裏方のスタッフ視点で紹介されている。これらから言えるのは、現代のトップスポーツは選手発掘やスポーツ医・科学サポート、情報分析など総力戦であるということだ。総合的な強化を行うには時にイノベーションが必要になるが、過去の例をみてもオリンピックの自国開催は大きなチャンスだという。
もちろんオリンピックなどのトップレベルに限った話ではなく、インフォメーション(生情報やデータ)とインテリジェンス(分析・評価された知識)の違いや扱い方のわかりやすい解説は、勝利に向けた戦略を立てる上で大いに参考になる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:NHK出版
(掲載日:2013-11-10)
タグ:情報
カテゴリ その他
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はみだしの人類学 ともに生きる方法
松村 圭一郎
ひとをどんな存在としてとらえるか? それが、世界の成り立ちを理解することであり、現在直面している問題を考えることでもある。この問いを出発点にして、本書は始まる。
ひととひとがいれば、そこには関係が生まれる。これを「つながり」とする。さらに「輪郭が強調されるつながり」と「輪郭が溶けるつながり」のふたつに大別する。
文化人類学は、どちらかといえば後者を大切にしてきた、と著者はいう。自分が揺さぶられ、境界線がわからなくなり、自分自身の変容を迫られる。とくにフィールドワークで異なる文化圏に長期参与する場合は、そうでなければ生活できない、と。
他者に開かれていること。自分を維持しながらも、他者との出会いによって新しい自分が引き出され、つい境界線をはみだしてしまうような関係性、それが正しい、というのではなくて、その方が生きやすいのでは? と著者はいう。
細胞膜を、思い浮かべた。細胞膜は半透膜だ。通すものと通さないものが、条件によって変わる。あるいは、膜の一部とともに物質を出し入れしたりもする。その働きによってホメオスタシス、つまり生体の恒常性は維持される。一定に保たれる、というより、ある範囲でゆらいでいる、というイメージの方が近い。細胞は常に外部と接触し、しなやかな境界面を変化させながら、場合によっては異物を内部に取り入れ、途方もない時間をかけて進化してきた。
もし細胞膜が、硬直した構造と機能しか持たなかったら、いきものは存在しない。そんな、ちょっと飛躍したことを考えた。
(塩﨑 由規)
出版元:NHK出版
(掲載日:2022-08-02)
タグ:文化人類学
カテゴリ その他
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世界は四大文明でできている
橋爪 大三郎
本書でいう世界の四大文明、それは、ヨーロッパ・キリスト教文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、儒教文明のこと。この本のもととなる講義をした時点では、それぞれ25億人、15億人、10億人、13億人を擁し、もろもろ足して世界人口73億人が現在地球で生きているらしい。
まず、自分が小学生のときは世界の人口およそ60億人と習っていたのに……と、少し気になったのでググってみると、なんと今年(2022年)11月15日で世界人口は80億人に達する見込みだという! 恐ろしい。
閑話休題。まず文明とは、というところで、筆者は文化との対比から説明する。文化と文明の違いはなにか。文化は、民族や言語など、自然にできた人びとの共通性にもとづく。対して文明とは、多くの文化をまとめる共通項を、人為的に設定することだという。
人びとが同じように考え、同じように行動するための装置が宗教だ、という作業仮説にもとづき、それぞれの文明を、宗教を補助線にして腑分けしていく。そうすると、現在の世界、ありとあらゆる分野でみられる特徴や傾向に、宗教的といえる思考の鋳型が、見え隠れする。なんとなく当たり前だと思っていることが、どれだけ多いか、そして、自分とは違うバックボーンをもつ他者の目にはどれだけ奇異に映るか。一般的に、ひとの悩みやストレスの原因は、人間関係がほとんどだといわれる。たとえ同じ文化圏であっても、ひととひとがすれ違うのは日常茶飯事だ。他の文化圏同士であれば推して知るべし、といったところだろうか。しかし、もしお互いに納得しあえないことであっても、相手の視座に立つよう想像力を働かせて、対話をやめなければ、今まで見えなかった共通点が浮かびあがってきたり、落としどころが見えてくるのかもしれない。本書のようなものを読み、他者の視点を追体験することも、その一助になると思う。
(塩﨑 由規)
出版元:NHK出版
(掲載日:2022-09-02)
タグ:文明
カテゴリ その他
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NHKテキスト 100分de名著 中井久夫スペシャル
斎藤 環
著者曰く、中井久夫の功績のひとつは、統合失調症の状態を過程と読み替え、回復の希望を見出したことにある。その「希望」は当時、閉鎖病棟の劣悪な治療環境に絶望しかけていた著者にも「処方」された、ともいう。
中井久夫が言ったことを復習すると、S親和者、心の生ぶ毛、普遍症候群に対する文化依存症候群や個人症候群、標準化志向型・近代医学型精神医学SMOPなどが特に印象に残っている。
S親和者は統合失調症的気質を持つひとのことをいう。その微かな兆候を読み取り、感じ取る能力は、時代や状況が異なれば、有益な能力であるという仮説を、中井久夫は提示した。そして誰もがなりうる可能性があり、まるで人類にとっての税のようなものだという。
この本で読むかぎりでは、当時、統合失調症(分裂病)は不可逆的に進行し心理的に荒廃してしまう、治らない病気としてとらえられていたようだ。そのようなスティグマを取り除くことに、中井久夫は尽力した。
中井久夫は、普遍や標準化などの医学モデルに異を唱える。精神科医にはどこか“まっとう”でない医療であるという意識があり、だからこそ、そういった医学的な診断法や体系化された方法論に固執する向きがあるという。しかし、それらの考え方は、正常に戻す、あるいは矯正する、という治療方針と結びつきやすいのではないだろうか。それは暴力的に映ることさえある。心の生ぶ毛を守り育て、やわらかく治す、医師に治せる患者は少ない、しかし看護できない患者はいない、いずれも中井久夫の箴言であるが、改めて治療とはなにか、と考えさせられる。
フロイトは、医者は患者の弁護士である、患者以外の何ものをも弁護してはならない、と言った。徹底的に寄り添うことで、つまり、そのひとの熟知者であるからこそできる治療がある。それが世界の様々な文化とコミュニティのなかで行われていることだ、と中井久夫はいう。著者曰く、中井久夫は一貫して自身の考え方を理論化し体系化することを嫌った。それが権力と結びつくことを懸念したからだ。そのかわり多くの断片的な箴言を残した。体系はしばしば視野を狭くするが、すぐれた箴言には発見的な作用がある。それを著者は、体系知にたいする箴言知、と表現する。
合気道の高位有段者でもある施術家の先生と、身体の使い方についてよく話す。しかしいつも話題になるのは、こうだ、とした瞬間に、いやそうではないという、禅問答のような事態になってしまうことのむつかしさだ。そのコツやカンについて、その先生によれば合気道という型を共有しているひとたちの間でも、感覚は全然違うのだという。体系化した途端に間違えること、言葉にした瞬間ズレていくこと。それってどうすればいいんだろう、といつも思う。
(塩﨑 由規)
出版元:NHK出版
(掲載日:2023-08-03)
タグ:精神医学
カテゴリ メンタル
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