欲望する脳
茂木 健一郎
茂木氏は本書の中で「脳とは、結局は生物が生き延びるために進化させてきた臓器である。生存のための臓器としての脳は、徹頭徹尾利己的に作られている」と述べている。“歴史は繰り返される”という言葉があるが、茂木氏の示す通り、この言葉の根源が人間の脳であるとするならば、私たちはこの欲望する脳とどのように接していけばいいのか。
昨今問題になっている食品会社の食品の安全管理体制や、建設会社の環境アセスメントの裏工作、政治献金や、社会保険庁の年金受給者への怠慢な管理、年金未納、戦争など、さまざまな点において私たちは欲望する脳に疑問視していることになる。しかしながらその欲望する脳も人間の進化のためには十分な役割を果たしてきた。こうして肉食獣がいない安全な居住があるのも、好きなときにコンビニエンスストアで食事を確保できるのも、私たち人間の脳が欲望するままに生きてきたからに違いないからだ。つまり生きるために私たちは欲望し、進化してきた。結局のところ答えは見つからないかもしれない。だが、いろいろな問題が出てきている現代だからこそ、利己の欲と、利他の欲とを協調していくことが大事ではないだろうか。
2007年11月21日刊
(三橋 智広)
出版元:集英社
(掲載日:2012-10-12)
タグ:脳
カテゴリ エッセイ
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すべては音楽から生まれる
茂木 健一郎
著者は近年、脳科学者としての活動の場を広げている茂木氏。同氏は音楽愛好家としても知られるが、本書ではシューベルトをはじめとする音楽家たちの作品と向き合うことを通して、音楽について書いている。
本書の中で「耳をすます」ことと、新しいことを「発想する」ことは同義とある。それは下界からの音を聴きながら、自分の内面に耳をすませ、何がしかの意見や考えを発しているという。換言すれば、「聴くこと」とは、自分の内面にある、いまだ形になっていないものを表現しようとする行為に等しいということ。またそこから生まれてくる解放感こそ、心が脳という空間的限定から解放される過程であり、(私)という個が「今、ここ」という限定を超え、普遍への道に舞い降りた瞬間だと言えると、独特の言いまわしで語っている。
音楽と脳を繋げて語る視点は、音楽を愛する脳科学者、茂木氏だからこそかもしれない。読み進めていくと、改めて「耳をすます」ことの大切さに気がつく。是非一読願いたい。
2008年1月7日刊
(三橋 智広)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2012-10-12)
タグ:脳 音楽
カテゴリ エッセイ
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科学者たちの奇妙な日常
松下 祥子
『ここでちょっと自己紹介を。自分は若いとは言えなくなってきている研究者です。性別は女でございます。いわゆる、どー見ても「科学者」な生活を経て、今は大学で教鞭をとりながら研究室を運営しております。』(第0章より抜粋)
というように、著者は日本大学文理学部物理生命システム科学科専任講師で、日本女性科学者の会の理事を務める女性科学者の方である。決して難しい科学のお話をまとめているというわけではなく、前述のような軽快な語り口で、ご自身の目線からみた科学者の日常生活や大学での教員生活など、さまざまな裏話を交え書かれている。
なかなか科学者の方がどのような生活をされているのか、一般人にはその実態は知り得ないところだが、本書を読み進めていくうちに、科学者の日常に引き込まれていく。とくに本書は、これから科学者をめざしたいと思っている女性に是非読んでいただきたい1冊。女性科学者が直面する結婚と出産についてもその現実が紹介されている。
もちろん科学者を目指さない方にも気軽に読め、参考になるお話も多い。
2008年12月8日刊
(清家 輝文)
出版元:日本経済新聞出版社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:科学 科学者
カテゴリ エッセイ
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子どもにスポーツをさせるな
小林 信也
スポーツの醍醐味
みんな黙ったままうつむいていた。薄暗いロッカールームのこもった空気に、戦い終わった男たちの汗の匂いが溶け込んでいた。少しの涙も混ざっているようで、それが空気をやや重たくしていた。通路を挟んで反対側にあるロッカールームで歓声が上がった。幾人かの男たちの目からみるみる涙がこぼれ出し、嗚咽が洩れた。男たちのキャプテンが、男泣きに泣きながら、ロッカールームに戻ってきた。監督に支えられながら、やっとのことで立っていた。
少し経って落ち着きを取り戻した彼は「俺たち無敗ですよね」と笑顔を見せた。その笑顔は素晴らしい男の顔だった。私がトレーナーとして帯同していた高校ラグビー部が、全国大会の準決勝で同点抽選の上決勝進出を逃したときの出来事である。この成長こそがスポーツの醍醐味だ。その顔を見て心の底から実感させてもらった。
嘆きではなく
さて「子どもにスポーツをさせるな」と銘打った本書はスポーツライターである小林信也氏の著作である。もちろんこのタイトルを額面通りに受け取るわけにはいかない。知れば知るほど突きつけられるスポーツの闇の部分に、懐疑的になりそして悲観的になり、そこに飛び込んでいく無垢な子どもたちに不安を感じることは確かにある。
しかし本書は、今さらその嘆きを世に叫ぶものではない。小林氏は42歳のときに男の子を授かった。上の娘さんとは14歳違い。そのお子さんの成長過程で、「悲観的なスポーツライターは、確かな指針を得て前向きなスポーツライターに生まれ変わった」という。そう考えるに至った過程が、本書のテーマになっている。
勝利へのこだわりは悪いものではない
WBC 決勝の国歌斉唱の際にガムをかむ選手。勝つためには手段を選ばない指導者。言動と行動にギャップのあるお偉い様。麻薬に手を出す選手。スポーツの本来持つ恩恵から見放された例は数多い。その一方でスポーツを通じて己の心身と向き合うことに気づくものがいる。生と死を実感し命の尊さを知るものがいる。困難を克服してできなかったことができることの喜びを知るものがいる。礼儀や感謝の気持ちを知るものがいる。「スポーツ」というひとくくりでは到底考えられない。この社会に起こるすべての事象にはプラスとマイナスの顔が混在しているのだ。
たとえば、勝利にこだわる姿勢を勝利至上主義という言葉にしてしまうと、それが悪いことであるかのような印象を受ける。しかし勝つためにありとあらゆることに努力することは決して悪いことではない。勝つために何をしてもいいということではなく、勝つという目標に向かって、己を磨き、仲間と力を合わせ、スポーツを離れた日常生活におけるすべての取り組みを見直す。そうして磨き上げたもの同士が戦えば、自分のことも、相手のことも自然に尊重できるようになるだろう。理想論ではあるが、それこそがスポーツを通じて可能な、大人への成長ではないだろうか。本書でも好例としてプロゴルファーの石川遼選手のことが取り上げられている。確固たる自分自身の核を持ち、マスコミの無責任な馬鹿騒ぎっぷりを実力で何と言うこともなく制してしまったあの若者は瞠目に値する。
男の顔を
実は私も42歳のときに初めての子どもとして男の子を授かった。彼はこれから混沌とした世界の中でさまざまな人々に出会い、喜びや悲しみを知り、誰かを傷つけては誰かに傷つけられ、馬鹿な夢を持っては希望に溢れ、時にどうしようもない絶望という壁にぶち当たるだろう。そんな現実に立ち向かっていく若い力を、その可能性を信じたいと思う。先回りして段取りしすぎることは控えたい。いざというときにはガツンと軸を正してやらなければならないし、また時には強く抱きしめてやらなくてはならない。そして自身で自分をつくり上げるべく努力し、男の顔を手に入れてくれればいい。
スポーツはその成長のために、唯一とは言わないが非常にいい手段だ。いつか自分の息子が男の顔になったと実感できるまで、親父にできることは、男の目で見つめられても恥ずかしくないよう己を鍛え続けることくらいだ。
(山根 太治)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2009-09-10)
タグ:スポーツセーフティ
カテゴリ エッセイ
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子どもにスポーツをさせるな
小林 信也
かつて、ラグビーの日本代表監督を務めた宿沢広朗さんが、言った言葉がある。「これほどの努力を人は運と言う」。楕円形のラグビーボールが、最後に自分たちに弾んで勝利につながった。素人がやったなら「ラッキーバウンド」である。しかし、何百、何千回と繰り返し練習している者からすればそれは、「ラッキーバウンド」ではない。勝利のための「準備」があったからこその結果なのである。勝利至上主義ではいけない、しかし競技スポーツは勝つことが目的である。勝つことを目指すからこそ、「準備」が大事になってくる。
「準備不足」ではなかったかと、WBCの4番バッターがケガをして帰国したことを著者はこう語る。今、茶髪やモヒカンが悪いと言えば、「考え方が古い」「それと打撃は関係ない」と言われそうだが、真っ直ぐな姿勢は何に取り組むにも基本中の基本だ。普段の姿勢は、スポーツのパフォーマンスにも直接影響する。頭や理屈で言い訳できる分野ならともかく、スポーツは身体でやるものだ。だから、ごまかせない。謙虚さを失い、ひたむきさをなくしたらそれが身体の甘さ、隙につながる。だからこそ、スポーツは貴いのではないか。スポーツ界はいま、もっとこうした原点を見直し、改めて共有すべき時期にきている。
現在、競技スポーツに携わる者の一人として、著者の言う「スポーツの原点」を共有したいと思う。
Chance visits the prepared mind ――幸運は準備した者に味方する。
(森下 茂)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:ジュニア
カテゴリ エッセイ
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メロスたちの夏
夜久 弘
マラソンを走る人は、精神力が強いのだと思っていた。ましてやウルトラマラソン(100㎞)である。しかし、どうもそうでもないらしい。
以下著者の言葉である。
「レース前にはトレーニング不足は精神力で乗り切ってみせる、と意気込み、本気でそう思っている。実際には疲れ切った身体の中からは精神力は湧き上がってはこない。精神力はトレーニングに比例して培われていくものなのだ。精神力が身体のどこかの引出しに別個にしまわれていて、いざというときに取り出して使うというシステムにはなっていない」
強い精神力は、当たり前だが努力した結果生まれる。そういえば、プロゴルファーの青木功さんは、「体・技・心」であると言う。まずは練習する体力をつくる。するとたくさん練習できるから、技術力が上がる。そして初めて、強い精神力がつくのだと。
トップアスリートもスポーツ愛好家でも、等しく流れているものがある。それは時間である。そして、時間のかかった分だけの、見返りの量も等しく流れているようである。
ウルトラマラソンからもらえる見返りを、著者はこう表現する。
「今日という1日は単独では存在しない。つらかったあの日、悲しかったあの日、努力したあの日の連なりの中にやってきた日なのだと」。いつでも、近くにおいておきたい言葉である。
(森下 茂)
出版元:ア-ルビ-ズ
(掲載日:2012-10-14)
タグ:ウルトラマラソン
カテゴリ エッセイ
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スポーツを「読む」
重松 清
本書は、39人のライターと彼らの著書をそれぞれの特徴をもって解説しています。
中でも印象に残ったのは、パソコンを知らない海老沢泰久氏が書いたというNECのパソコンの「マニュアル」。「マニュアルというのは、その機械をよく知っている人が書くから、読み手にわかりづらい。知っている人間は、知らない人間がいるということを忘れがちで、それに気づいたとしても、知らない人間が何を知らないのかがわからないのである」――当然です。そして彼のライティングから、「事実をしっかり伝えていれば読後にはおのずと事実を超えるものがたちのぼる。しかし、あくまでも読者一人ひとりの胸に宿るべきもので、書き手が押しつけるものではない」。
当たり前のことですが、同じものに触れても人によって感じ方が異なれば、伝え方も異なる。この本からは、ただ単にライターの表現方法や、ちょっとしたスポーツの奥深さを知り得るだけではなく、もし伝える側(たとえばライターに限らず指導者のような立場であっても)だとしたら…勉強になりました。
(大槻 清馨)
出版元:集英社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:書籍紹介
カテゴリ エッセイ
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一歩60cmで地球を廻れ 間寛平だけが無謀な夢を実現できる理由
比企 啓之 土屋 敏男
「私が未来について語ったらおかしいかしら?」というような内容を老婦人が語るテレビCMがあった。「否」見た者にそう思わせる独特の説得力があった。
だが還暦を迎えようとする男性が自分の足とヨットだけで世界一周しようとしたら、それは明らかにおかしい。
本書はタイトル通り、芸人・間寛平氏のワールドマラソン挑戦を描いたドキュメントとなっている。氏は現在まだ挑戦を続行中であり、本書ではこのおかしい挑戦スタートに至るまでのプロセスが主に描かれている。
地球一周というのは、たんに約4万kmの距離や途中のケガや病気の危険だけが問題になるのではない。地平線しか見えない場所、剥き出しの岩肌が見える場所、さらには政治的に不安定な紛争地域もある。そのような場所を車や飛行機で迂回することはせずに、自分の体だけで走ってみたい。テレビ局の企画としてはリスクが大きすぎて誰も思いつかなかっただろう。
ただ、間氏はふと「やってみたい」と思いついてしまった。意外にも本気だったので、だんだん周囲が実現に向けて動き、後づけで企画となった。
誰から見ても無謀だと思うことを実現するために1つ1つのハードルを越えていき、各方面多くの人にさまざまな形での応援を受けてスタートにまで漕ぎつけた。無理だと思われるモノへの挑戦はスポーツの真髄であり、実現化へのプロセスは各方面への手本となりうる。とくに“文化”という言葉に頼る一方で、メジャー化できていない競技の関係者にとっては一読の価値があろう。
(渡邉 秀幹)
出版元:ワニブックス
(掲載日:2012-10-16)
タグ:テレビ 企画 マラソン
カテゴリ エッセイ
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隠居学 おもしろくてたまらないヒマつぶし
加藤 秀俊
「脈略のなさ」それが本書の真骨頂なんでしょう。興味深い話題が延々と続くわけですが、それら1つひとつにつながりはありません。なんとなれば隠居にはこれをやらなければいけないという目的がないからです。
「現役」にはそれぞれすべきことがあります。現役を退いた隠居という立場においてはそういった義務的な縛りがありません。だからこそ思い浮かぶままに好きなことを考えられるし、他愛もない事柄に興じることもできるのでしょう。
それでも、今まで人類が築き上げてきた科学的知識の一片一片は思いつきから始まり、それらが連鎖して人類の財産とも言える知識に膨れ上がったのであるという主張に、筆者の隠された気概を感じずにはいられません。
本書に漂う一種の解放感は現役の私たちから見ればこの上なく自由にも見えますし、あるいは話の展開の身勝手さに辟易する人もいるんじゃないかと想像してしまいました。本書をどう捉えるかも自由。いずれくるであろう自分の隠居生活を頭に描きながら筆者の世界に没頭するもよし。雑学を身につけたいという目的を持って読むのもよし。自分なりの筆者とのスタンスで楽しめると思います。
目的があり必要に迫られて覚えようとしたことより、興味本位で調べたことの方が案外覚えているもの。そういった知的好奇心をくすぐる内容が盛りだくさんの一冊です。
(辻田 浩志)
出版元:講談社
(掲載日:2014-02-04)
タグ:隠居 好奇心
カテゴリ エッセイ
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