サプリメント健康バイブル
日本サプリメント協会 帯津 良一
著者となっている日本サプリメント協会は、2000年10月から現代人の健康とサプリメントに問題意識を持つ医師、文筆家などが集い、活動を開始、2001年6月にサプリメント関連では日本で最初(唯一)のNPO法人の認証を得た(http://www.j-sup.com)。
全体は、サプリメントの基礎/新しい栄養学/あなたの悩みにこのサプリメント/栄養素別サプリメント事典/主要サプリメント製品リスト/編集委員からの健康アドバイス/現場ルポ「サプリメント探偵団が行く」の全7章から成っている。
うち3章、4章が全体の約6割を占める。3章では、「これが効く!」「メカニズム」「こんな症状のときは要注意」と各症状へのアドバイスがつく。医師が関わるNPOらしく、内容は医学的なところが多く、これまでのサプリメント書とは趣が異なる。
4章では「なぜ効くのか」という項目もある。これがなかなか勉強になる。読んで面白い。
日本サプリメント協会(NPO)著、帯津良一監修 A5判 262 頁 2002年1月1日刊 1238円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:小学館
(掲載日:2002-05-15)
タグ:サプリメント
カテゴリ 食
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武蔵とイチロー
高岡 英夫
天才の世界
湯川秀樹という方を皆さんは覚えておられるだろうか。1949年に日本人初のノーベル賞受賞者となった物理学者である。その彼が、晩年になって出した本の中に『天才の世界』というのがある。これは、古今東西の歴史に残る偉業を成し遂げた人々、いわゆる天才と言われた人々の創造性の秘密を解明しようという意図の下に書かれた書物である。彼は、この本の「はじめに」の中で天才について次のように述べている。「(天才に)共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。それは外から見て異常かどうかということでなく、当人の集中的な努力が異常なまで強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである」
では、今回の主人公のひとり、武蔵は天才か。私が知っている武蔵は、小説家吉川英治氏が描いた武蔵のみであるが、これを読んだ限りでは、どちらかといって愚直なまでの努力家タイプに思える。むしろ、彼と巌流島で決闘した佐々木小次郎のほうが天才タイプではなかったか。しかし、前述した湯川氏の天才論で言えば、異常なまでに強烈に剣術を持続して磨いたという点では、間違いなく武蔵は天才だ。
もうひとりの主人公イチローはどうか。これには誰もが天才と口を揃えるだろうが、ではなぜ? おそらく、皆イチローのセオリーを無視したようなバッティングフォームとその結果を見て、いわゆる天才肌的なものを覚えるからであろう。しかし、ここでも湯川論に従えば「外から見て異常かどうか」が天才の判断基準になるのではない。あくまでも異常なまでに強烈な集中力がイチローには見て取れるところに彼の天才たる所以があると、この筆者は見たようだ。
ユルユルとトロー
筆者がこの二人に共通して着目したものに「脱力」がある。筆者は、まず武蔵については、彼の肖像画から類推して、彼の剣を構えたときの身体には無駄な力が入っていないと指摘する。刀はユルユルと握られ、全身は脱力されている。しかし、その脱力はフニャフニャしたものではなく、トローとした漆のような粘性を持った脱力だと言う。武蔵が残した有名な書物に『五輪書』があるが、この中で武蔵は「漆膠(しっこう)の身」ということを書いていると言う。そして、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないこと」だとも書いていると言う。つまり、相手の動きに粘り強く着いていくには、トローとした脱力が必要だと言うわけである。これはイチローにも当てはまる。本来、バッティングとは投手が投げてくる球に対して自分のヒッティングポジションが合致すれば、クリーンに打ち抜けるものだ。従って、投手は打者の得意なヒッティングポジションに球が行かないように、球種を変えコースを変えてくるのである。しかし、イチローはトローと脱力した身体で、あらゆるコースの球に密着してくる。だから、イチローには特に待っているコースもなければ決まったヒッティングポジションも存在しないと言うわけである。
天才と凡人の違い
私は、今回この本を読んでいて、どうも近年のスポーツ科学者は、私も含めて客観的事実というマジックに捕らわれすぎたようだ、という反省を覚えた。客観的事実の積み重ねの上に真実が現れるという科学的分析手法は、誰もが理解し納得いくという点では優れた手法であることは認める。しかし、簡単に言ってこの手法で明らかになるのは、大方が同じ結果になるから真実だという結論にすぎない。果たして、それは真実なのか。大方とは違う結論の中にも真実はないか。データでは見えてこない真実。ここを見て取れるか否かが天才と凡人の違いではないか。特に、指導者には耳を傾けていただきたい。「日本スポーツ天才学会」や「日本スポーツ異端児の会」などあってもよくないか。
最後に、再び湯川氏の天才論をご紹介したい。「――、私たちは天才と呼ばれる人たちを他の人たちから隔絶した存在と思っていない。(中略)ほとんどの人が、もともと何かの形で創造性を発現できる(つまり天才的)可能性を秘めていると考える」
(久米 秀作)
出版元:小学館
(掲載日:2003-03-10)
タグ:身体 宮本武蔵 イチロー
カテゴリ 身体
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日本のスポーツはあぶない
佐保 豊
スポーツ業界に関わるものとして、自分の働く環境はもちろんスポーツに関わる人の環境、待遇を改善できればと考えている。それは、著者と同じだと思う。毎年トレーナーという職業からみると、多数の希望者が出てくる中で、夢半ばで去る方々も多い。理由はさまざまにあると思うが、それは“環境”というものに尽きると思う。
本書を読んでいて再確認させられたことを述べたい。それは、NATA(全米アスレティックトレーニング協会)の創設が1950年であることだ。AMA(アメリカ医学会)に準医療従事者として認定されたのが、1990年であることもさらに驚いた。
私はアメリカの施設や環境、それらを支える哲学などについて触れてきたつもりである。あれだけ素晴らしい支援体制は一昼一夜にはできないことはわかっていたが、40年という年月を経て形になったものとは知らなかった。ということは、まだ、アメリカでもAMAに認知されて約20年であり、日本では認知されるまでに相当の時間がかかることは想像できる。
文中では、わかりやすく応急処置の方法が記してある。例を挙げると、心臓マッサージを行う際には、アンパンマンマーチや中島みゆきの「地上の星」SMAPの「世界にひとつだけの花」などと同じペースで行うとよいという。これ以外にも、傷は乾かして治すのではなく湿潤状態を維持して治すようにするなど現場では当たり前に用いられていることを丁寧に記してある。 これからどうしなければいけないのかを考えて行動しなければと思う。
(金子 大)
出版元:小学館
(掲載日:2012-10-13)
タグ:安全 スポーツセーフティ
カテゴリ アスレティックトレーニング
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日本のスポーツはあぶない
佐保 豊
熱中症、脳震盪、心臓疾患など、スポーツ中の事故、ケガなどについて、一般向けにわかりやすく書かれている。著者はサッカーやアイスホッケーの現場でアスレティックトレーナーとしての経験を持つ。海外と比較すると、日本におけるスポーツを取り巻く環境においては、安全面への配慮が足りないということを指摘している。
現場へのAEDの配置、心肺蘇生法を含めた応急処置の普及が早急に求められていると訴えている。なお、これはスポーツの専門職が担っていくべきポイントでもある。
タイトルには「笑顔でスポーツができるように」との思いが込められている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:小学館
(掲載日:2009-05-10)
タグ:安全 スポーツセーフティ
カテゴリ アスレティックトレーニング
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失敗学事件簿 あの失敗から何を学ぶか
畑村 洋太郎
「失敗学」という少し聞きなれない言葉がある。
人は失敗に対しネガティブなイメージを持ち、そしてできる限り失敗を回避しようとする。それがゆえに失敗を「悪」とし、目を背け、時間と共にその失敗を忘れる。そしてまた失敗を繰り返すという悪循環に陥る。
それに対し、失敗を直視し、積極的に学ぶことで新たな知識が得られ、不必要な失敗を減らし、創造につなげられるというものが「失敗学」である。要は「失敗は成功のもと」を証明する分野である。
本書では実際に起こった事故や事件の失敗例をまとめ、その原因を検証している。事故や事件を「負の遺産」として風化させるのではなく、未来に向けて活かしていかなくてはならないと筆者は述べている。
・許される失敗と許されない失敗
・失敗は誰にでも起こる、失敗しない人間はいない
・失敗に対し「責任追及」する組織と「原因究明」する組織の明暗
・大きな失敗の裏には必ず小さな失敗が30近くはあり、さらにその裏にはより小さな失敗が300はある。(ハインリッヒの法則 1:29:300)
・20~30年周期に大きな失敗が起こる
・優れたリーダーは失敗の元となる脈路を探り(=逆演算)、これから起こりうるリスクをイメージできる(=仮想演習)人物である。
・慣れが失敗を招く
・マニュアル通りのことだけ、自分のことだけ、目の前のことだけしか見えてない人間が大きな失敗を招く
など、本書では失敗という事実からさまざまな教訓を提示してくれている。また、筆者自身が現場に出向き、現物をその目で確認し、対象となる人(=現人)に直接話を聞くという「三現主義」をモットーとしているため、非常にリアルな内容を感じることができる。
「失敗しないように行動することが一番の失敗だ」「失敗なんてない。この方法ではうまくいかないという発見だ」失敗に対しての捉え方が変わるだけでなく、人生の考え方も変えてくれる、元気を与えてくれる作品である。
(磯谷 貴之)
出版元:小学館
(掲載日:2012-10-14)
タグ:失敗
カテゴリ 人生
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スポーツオノマトペ なぜ一流選手は「声」を出すのか
藤野 良孝
「ンッガァァァァー!!」「サー!」「シャァァァー!!」
こんな掛け声のような雄たけびのような、言葉とは言えないような「声」をあなたも聞いたことがないだろうか。“ただの気合の声だろう?”そう思っていたその“声”には、とてつもない魔力と勝利へのカギが隠されていた。
著者は、そんなスポーツ中に発せられる「声=オノマトペ」から、その選手の体調(調子のよさ)までわかってしまうという。そんな新しい“スポーツの見方(楽しみ方)”を提案している。
そしてこのオノマトペにさまざまな意味と効果を見出し、その種類と効果を定義づけし、この“声”を言葉の壁を超越した指導方法として有効であると説いている。
オノマトペ? 何だ、それは? そう思った方は、とにかくぜひ読んでもらいたい。オノマトペについて全く知識のない人でも安心して読めるほどわかりやすく丁寧で、そして何より著者の情熱がひしひしと伝わってくる一冊である。
(藤井 歩)
出版元:小学館
(掲載日:2012-10-14)
タグ:オノマトペ
カテゴリ 指導
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チェアウォーカーという生き方
松上 京子
「チェア(椅子)」「ウォーカー(歩く人)」初めて聞く言葉ですが筆者の作った造語のようです。車椅子に乗る身体障害者ということですが、どことなく軽快な印象があります。本書は25歳のときバイク事故で両足が不自由になったひとりの女性の生き様がありのままにつづられています。
突然襲いかかった耐え難い現実を、葛藤の中で素直に受け入れ、そこから自分の価値を見いだし積極的な生き方で自らの幸せを拓いていく様が描かれています。
バリアフリーという言葉は近年になって耳にする機会が増えましたが、段差をなくすことや手すりをつけるなど物理的な物だけではなく、同じ社会に生きる人の手伝おうとする気持ちや共に楽しく過ごそうとする精神にこそ真のバリアフリーだという問題提起がここにあります。 海外におけるバリアフリーということに対する個々の意識については考えさせられます。「手伝ってほしい」「手伝いたい」お互いにそんな気持ちはあっても現実には口にして実行することに気恥ずかしさを感じたり気後れしたりすることも多いはずです。障害者側は出来ることと出来ないこと、さらには手伝ってほしいことを明確に告げた上で積極的に社会参加すれば生き方も拓けていくことを示し、また同じ社会に生きる人がどのように障害者に接したらお互いに気持ちよく手助けできるかのヒントも筆者の体験談から教えてくれます。
本当のバリアフリーとは何か? ともすれば暗くなりがちな話題を力強く明るく展開していく内容には心惹かれるものがあり、読むにつれて勇気がわいてくるようです。それが筆者の人間としての魅力なのだと思います。
理屈ではなく心で読んでみたい・・・。そんな素敵な一冊です。
(辻田 浩志)
出版元:小学館
(掲載日:2012-10-16)
タグ:障害者
カテゴリ 人生
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サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法
池上 正
少年サッカーの指導にあたる著者は、「子どもが困ったとき、大人の顔を見る状況」であることを問題視する。これまでのスポーツ指導は、本当にその選手の成長に結びつくものであったのだろうか。本書で紹介される11の魔法は、一言で集約される「気づかせる」「考えさせる」など。支配ではなく対話によって選手の自立心や表現力を養っていくことが共通している。そのために核となる考え方や具体的な方法を紹介している。今までのやり方を変えることは、ブーイングも起こるし、勇気も必要になるが、子ども、そして自分自身を進化させるためには必要なこと。「中途半端にサッカーを知っているコーチが一番危ない」という指摘には重みがある。本書は著者自身のサッカーの指導や子育ての反省と経験に基づく試行錯誤の産物である。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:小学館
(掲載日:2008-04-10)
タグ:サッカー 子ども
カテゴリ 指導
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コンカッション
Jeanne Marie Laskas 田口 俊樹
コンカッション。日本語で脳震盪を意味する。
脳震盪と言えば一昨年、フィギュアスケートの羽生結弦選手が大会前の直前練習で中国人選手と衝突。その時に脳震盪を起こしていた可能性があり、直後の大会に出場したことの是非について議論を呼んだことは記憶に新しい。
この本はノンフィクションである。主人公であるベネット・オマル氏へのインタビューをもとに彼の視点から描かれている。物語はナイジェリア移民で監察医であるオマル氏が、偶然にもホームレス姿で遺体となって発見された元NFLのスター選手、マイク・ウェブスターを司法解剖することに端を発する。直接の死因は心臓発作であるが、彼の晩年を聞くに及び、ふと彼の脳組織を調べてみることを思い立つ。そうしてみてみたところ、認知症でしか見られない‘黒いシミ’を発見する。引退後、なぜ彼は記憶障害に苦しんだのか。なぜ奇行に走り人格が変わってしまったのか。このせいで彼はすべての財産を失い家庭は崩壊、ホームレスになり、最後は遺体となって発見された。オマル氏はこれを激しいタックルによって起こる脳震盪が原因だとして論文を学術誌に発表するが、これを認めないNFLは論文の撤回を要求するなどオマル氏の排除を画策する、…という風にストーリーが展開される。
かくもスポーツの商業主義ここに極まれり、という感がする。アメリカンフットボールは激しいタックルプレーが一つの売りになっている側面がある。NFLがオマル氏の主張を受け入れるということは、プレーに規制がかかってファンが減少することや、ウェブスターと同じような健康被害を訴える選手たちから集団訴訟を起こされかねないリスクをはらむ。NFLのような全米随一の巨大組織ですら利益のためなら正義に反する過ちを犯すのである。
来月、これを映画化したものが日本で公開される。主演はあのウィル・スミスである。ちょうどいい機会なので、この本と映画を見比べてみることをお勧めしたい。原作とどこが違うのか。まず実在のベネット・オマル氏はウィル・スミスほど二枚目ではない。それに非常に上昇志向が強く、性格的にひと癖ある人間である。しかし、ウイル・スミス演じるオマルと同じく、オマル氏本人も正義感と強い信念の持ち主である。
それから大事な点がもう一つ。原作本も映画も主人公はオマル氏であるが、現実では彼は蚊帳の外に追い出されてしまった。告発者であるにもかかわらずにだ。これはNFLの‘オマル外し’がある程度功を奏したのかもしれない。また功名心欲しさに随分と横やりが入った。そして米国社会の根底に黒人に対する根強い差別感情があるということが伺える。この本にも書いているが、もしオマル氏が白人だったら、今頃違った人生を歩んでいるかも知れない。結局NFLは糾弾されたが、オマル氏自身の待遇については、おそらく本人は納得していないだろう。
さて、映画はどんな感じに仕上がっているだろうか。スクリーンの前に座るとしよう。
( 水浜 雅浩)
出版元:小学館
(掲載日:2016-09-17)
タグ:脳震盪 アメリカンフットボール
カテゴリ スポーツ医学
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コンカッション
Jeanne Marie Laskas 田口 俊樹
言葉すら知らなかった
頭を強くぶつければ危険だということなど誰もが知っていることではないか。しかし弱小高校ラグビー部員だった頃の私は、頭をぶつけるなどラグビーでは当たり前のことだと考えていた。脳振盪という言葉すら知らなかった。脳を激しく揺さぶるのに、頭をぶつけることが絶対的な条件ではないことも認識がなかった。友人が死にかけるまでは。
試合で頭をぶつけた彼は、頭痛に悩みながらも練習を続けていた。1週間以上経った早朝に彼は意識不明に陥り痙攣を起こし、緊急開頭手術を受け生死の境をさまよった。幸い後遺症もなく回復したが、そのことは私がトレーナーを目指す原体験となった。だがその危険性を知った後も私はラグビーをやめようとは考えなかった。そして今までに自身も数回意識を失うような重度の脳振盪を経験した。大学卒業後の専門学校時代、国家試験を3カ月ほど先に控えた時期、クラブチームの試合で重度の脳振盪を起こした。試合会場で自分のカバンや車が認識できなかった。そしてその後しばらく本が読めなくなった。書かれているものが何かの記号としか思えず、意味が全く読み取れなくなった。危険を身をもって学んだ。ラグビーはやめなかった。頭を強くぶつければ、いや脳に強い衝撃が加われば危険だということなど誰もが知っていることではないか。そのリスクを負うか負わないかは自分の判断だ。
長いエピローグ
本書は、年間80億ドル規模を動かす組織でありながら、アメリカンフットボールというコリジョンスポーツで脳に強い衝撃が加われば危険だということを認めず、選手たちに対して負うべき責任を真摯に受け止めてこなかったNFL(NationalFootballLeague)にまつわるノンフィクション小説である。
日本未公開とはいえ映画化された作品である。だからといって、ここに描かれている全てのことが全ての側面から真実だなどとは思わない。ただ、NFL側が推定10億ドル(約1090億円)を支払うという和解にまで至った集団訴訟の引き金になったストーリーはドラマチックである。主人公は、禁断の箱を開けてしまったナイジェリア移民の黒人監察医、ベネット・オマル氏である。
冒頭部分では、オマル氏の家族やナイジェリアの内戦など、彼がアメリカにたどり着くまでの生い立ちが描かれている。メインテーマに至るまでのこの長いプロローグは、その必要性に疑問を持ちながら読み進めることになるだろう。
しかし、アメリカの価値観の中で育ってこなかった異文化の黒人でなければ、アメリカンフットボールという競技はもちろん、それがアメリカの人々にとってどんな意味を持つのか全く知らないナイジェリア移民でなければ、彼が発見したタブーを確固たる決意を持って白日のもとにさらすことはなかったのかもしれない。そしてこのことで、後に彼が物語の中心から「隅っこ」に追いやられることを考えると、父の死にまつわる後日譚であるエピローグとともに理解しておかなければならないように感じる。
知っていたはず
物語の核心は、元NFLピッツバーグ・スティーラーズのスーパースター、「アイアン・マイク」ことマイク・ウェブスターが2002年の9月に心臓発作で亡くなり、オマル氏が検死することになったところから始まる。
彼が死ぬ前にとっていた異常行動を聞いて、オマル氏は脳を検査しようと思いつく。かくして50歳という若さで亡くなったウェブスターの脳には、アルツハイマー患者に見られるような神経原線維変化、タウ蛋白の蓄積が見つかった。
脳に強い衝撃が加われば危険だということなど誰もが知っていることではないか。脳振盪は、テキストに書かれているような一過性の脳機能障害ではないのだ。NFLを引退した選手の中に「正気を失っていく男たち。妻をぶん殴り、自らの命を絶つ男たち」がいることと頭を何度も何度も強くぶつけてきたことと、結びついていなかったわけがない。
私がアメリカに留学していたのは1995年から99年にかけてだが、自らの経験から脳振盪についてはかなり調べ込んだ。事実、段階的復帰のガイドラインやセカンドインパクトシンドロームのことなど、その頃すでにたくさんの文献を見つけることができた。そう、「米国神経学会(AAN)は脳震盪を起こしたスポーツ選手が競技に戻る際のガイドラインまで作成していた」のだ。
しかし、脳外科や神経病理学の門外漢であり、しかも後に判明する経歴詐称をしていた医師をトップにしたNFL軽度外傷性脳損傷(MTBI)調査委員会は不都合な論文の撤回を図るなど、「ほんとに選手たちはこれで大丈夫なのか?」という疑問を「調査結果に不備がある」と打ち消す役割を果たしていたのだ。「複数回脳震盪を起こした選手は臨床的鬱病にかかるリスクが三倍になる」「繰り返し脳震盪を起こしたNFL選手は、軽度認知症(アルツハイマー病の前段階)になるリスクが五倍になる」「引退したNFL選手がアルツハイマー病を患う確率は、通常の男性に比べて三七パーセントも高い」といった調査報告を否定し続けていたのだ。
科学をカネで買おうとする「茶番」だとは誰も思わなかったのか。「アメリカンフットボールのプロ選手は、日常的かつ頻繁に繰り返し脳を強打されているわけではない」などという発表に、えらいセンセイ方がそうおっしゃるなら間違いないと皆思っていたのか。特別番組でフットボールが消耗性脳障害を引き起こす可能性について、ただ「ノー」「ノー」「ノー」と答え続けたMTBIのドクターに、一体いくらもらってるんだと思わなかったのか。いや、脳に強い衝撃が加われば危険だということなど誰もが知っていたはずだ。ただ、それこそがアメリカンフットボールという競技の醍醐味だったというだけだ。
オマル氏は、若くして不幸な死を遂げたNFLの元選手たちに見られた脳の異常を慢性外傷性脳損傷(CTE、chronictraumaticencephalopathy)と命名し、「マイク・ウェブスターは疾患の脳組織分布を通して、私たちに語りかけていた」ことを信じ、この障害に苦しんでいる人を助けたいと活動を続ける。しかし、オマル氏の意図をよそに、別のさまざまな奔流がさまざまな場所から巻き起こっては流れ込み、大きなうねりとなって6000人の集団訴訟となる。「80億ドル規模の組織でありながら、選手たちに対して負うべき責任を真摯に受け止めてこなかった」NFLは、「上限のない和解案」として、今後65年の間に約10億ドルの賠償金を支払うことで合意した。ただし、これに合意しない家族の訴訟はまだ続いている。見えなくさせるものCTEを患った引退選手、そして彼らの家族をも巻き込んだ数々の悲劇には本当に心が痛む。いくら激しいぶつかり合いが競技の本質だと言っても、選手の安全は出来うる限り守られなければならない。当然だ。しかし、頭をぶつけ、脳を揺らし続けて、選手たち自身は本当に問題ないと思っていたのだろうか。「アンフェタミンもステロイドも多種多様なサプリメントも、効き目があるといわれるものは何でも試した」というアイアン・マイクを始め、引退後に異常行動に至った選手たちは、それら全てが起こしうるリスクを、本当に疑っていなかったのだろうか。
営利心や功名心が、それを見ようとさせなかったのではないのか。巨万の富を得ようとする欲が、誰もがうらやむ存在になりたいという欲が、自分の地位を守りたいという欲が、この競技に生きたいと願う欲が、脳に強い衝撃が加われば危険だと誰もが知っていることにも自ら蓋をしていたのではないのか。NFLという組織がそうしていたように。「心が知らないことは目にも見えない」のだ。危険なスポーツを続ける自分自身にも責任はあるはずなのに。
ボクサー認知症のような脳挫傷の痕跡も萎縮も見られなかったウェブスターの脳を薄い切片に切り出し、染色してプレパラート処理し、さらなる調査を決意したオマル氏の判断やその後の行動は、欲と相談したものではなかったように感じる。父の教えに従い、彼は「人々の生活をよりよくするために」「自分の才能と公正さを使わなきゃいけない」という信念をもとに行動したのだ。「知っているなら、進み出て述べよ」と。
彼に功名心や豊かになりたいという願いがなかったわけではないだろう。しかしそれは、化け物のように欲深い世界に生きる輩に比べればごくささやかなものだったろう。彼は自分の信念に基づき、自分が自分であり続けるために、やるべきことをしようとしただけだ。生きるために持つべき信念があるなら、私はオマル氏のようでありたい。
(山根 太治)
出版元:小学館
(掲載日:2016-07-10)
タグ:脳震盪 アメリカンフットボール
カテゴリ スポーツ医学
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教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術
佐伯 夕利子
強豪・スペインのサッカーリーグで指導者として歩んできた佐伯氏。08年より関わるビジャレアルに、久保建英選手が加わったこともあり、トップチームに堅実に選手を輩出する育成方法に注目が集まった。トップチームを除く120人のコーチ・心理学の専門スタッフとともにつくってきた7つのスキルを7章にまとめた。 まず、カメラとマイクをつけて互いの指導を評価し合い自分を顧みる。自分を変え、選手との関わり方を変えると、選手も自分で考えるように変わっていく。もちろん「自然に」ではなく、エビデンスに基づき挑戦とフィードバックを行った結果だ。プロになることも、続けることも非常に厳しいからこそ、サッカーに留まらない育成が行われている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:小学館
(掲載日:2021-04-10)
タグ:サッカー コーチング
カテゴリ 指導
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ドラえもん科学ワールド スポーツの科学
藤子・F・ 不二雄
国民的キャラクターの解説シリーズで「スポーツの科学」を取り上げた。各章の冒頭には運動にまつわる漫画が収録されていて、柱にはQ&Aもあり、子どもが興味を持ちやすい工夫がされている。
陸上、水泳、道具を振る球技などグループ分けして、40を超える種目の成り立ち、ルール、どんなトレーニングをしているか、道具の進化を紹介する。子ども向けといっても、しっかり科学を基に解説されている。のび太くんが得意な射撃などオリンピック種目も収録されていて、観戦の助けになる。さらには自分に合ったスポーツと出会うきっかけにもなるだろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:小学館
(掲載日:2021-05-10)
タグ:スポーツ科学
カテゴリ スポーツ科学
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武蔵とイチロー
高岡 英夫
天才の世界
湯川秀樹という方を皆さんは覚えておられるだろうか。1949年に日本人初のノーベル賞受賞者となった物理学者である。その彼が、晩年になって出した本の中に『天才の世界』というのがある。これは、古今東西の歴史に残る偉業を成し遂げた人々、いわゆる天才と言われた人々の創造性の秘密を解明しようという意図の下に書かれた書物である。彼は、この本の「はじめに」の中で天才について次のように述べている。「(天才に)共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。それは外から見て異常かどうかということでなく、当人の集中的な努力が異常なまで強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである」
では、今回の主人公のひとり、武蔵は天才か。私が知っている武蔵は、小説家吉川英治氏が描いた武蔵のみであるが、これを読んだ限りでは、どちらかといって愚直なまでの努力家タイプに思える。むしろ、彼と巌流島で決闘した佐々木小次郎のほうが天才タイプでなかったか。しかし、前述した湯川氏の天才論で言えば、異常なまでに強烈に剣術を持続して磨いたという点では、間違いなく武蔵は天才だ。
もうひとりの主人公イチローはどうか。これには誰もが天才と口を揃えるだろうが、ではなぜ? おそらく、皆イチローのセオリーを無視したようなバッティングフォームとその結果を見て、いわゆる天才肌的なものを覚えるからであろう。しかし、ここでも湯川論に従えば「外からみて異常かどうか」が天才の判断基準になるのではない。あくまでも異常なまでに強烈な集中力がイチローには見て取れるところに彼の天才たる所以があると、この著者は見たようだ。
ユルユルとトロー
著者がこの二人に共通して着目したものに「脱力」がある。著者は、まず武蔵については、彼の肖像画から類推して、彼の剣を構えたときの身体には無駄な力が入っていないと指摘する。しかし、その脱力はフニャフニャしたものではなく、トローとした漆のような粘性を持った脱力だと言う。武蔵が残した有名な書物に『五輪書』があるが、この中で武蔵は「漆膠(しっこう)の身」ということを書いていると言う。そして、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないこと」だとも書いていると言う。つまり、相手の動きに粘り強く着いていくには、トローとした脱力が必要だと言うわけである。これはイチローにも当てはまる。本来、バッティングとは投手が投げてくる球に対して自分のヒッティングポジションが合致すれば、クリーンに打ち抜けるものだ。したがって、投手は打者の得意なヒッティングポジションに球が行かないように、球種を変えコースを変えてくるのである。しかし、イチローはトローと脱力した身体で、あらゆるコースの球に密着してくる。だから、イチローには特に待っているコースもなければ決まったヒッティングポジションも存在しないと言うわけである。
天才と凡人の違い
私は、今回この本を読んでいて、どうも近年のスポーツ科学者は、私も含めて客観的事実というマジックにとらわれすぎたようだ、という反省を覚えた。客観的事実の積み重ねの上に真実が現れるという科学的分析手法は、誰もが理解し納得いくという点では優れた手法であることは認める。しかし、簡単に言ってこの手法で明らかになるのは、大方が同じ結果になるから真実だという結論にすぎない。果たして、それは真実なのか。大方とは違う結論の中にも真実はないか。データでは見えてこない真実。ここを見て取れるか否かが天才と凡人の違いではないか。特に、指導者には耳を傾けていただきたい。「日本スポーツ天才学会」や「日本スポーツ異端児の会」などあってもよくないか。
最後に、再び湯川氏の天才論をご紹介したい。「──、私たちは天才と呼ばれる人たちを他の人たちから隔絶した存在と思っていない。(中略)ほとんどの人が、もともと何かの形で創造性を発現できる(つまり天才的)可能性を秘めていると考える」
(久米 秀作)
出版元:小学館
(掲載日:2003-03-10)
タグ:指導
カテゴリ その他
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スポーツオノマトペ なぜ一流選手は「声」を出すのか
藤野 良孝
スポーツオノマトペとは、「スポーツ時における擬音語・擬態語」のことである。声の要素が、選手の出す力やメンタル面への果たす役割について科学的に解明していこうというのが著者の基本的な姿勢。さまざまな競技の一流選手の発するオノマトペに焦点を当て、それにどのような意味があるのかを導き出していく。そして競技場面で観察されるオノマトペ以外にも、指導の場面で活用されていることも示している。
なかでも、長嶋茂雄氏、そして井上康生氏の2人がオノマトペについて語った部分が興味深い。「意識しないで使っている」という長嶋氏のコメントに井上氏も同意していることから、著者は「スポーツオノマトペは身体を通して無意識に発声され、また発せられたオノマトペを知覚することによって身体もレスポンスします」とまとめている。これに立脚して、実験・調査を行い、結果をわかりやすく示している。巻末にはアンケート調査に基づくミニ辞典が掲載されている。スポーツの現場において、もっと声に注目し、活用しようというメッセージである。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:小学館
(掲載日:2008-11-10)
タグ:オノマトペ
カテゴリ 指導
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エチ先生と『銀の匙』の子どもたち 奇跡の教室 伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀
伊藤 氏貴
型破りな授業
かつて私立灘高校において、型破りな国語の授業が展開されていた。エチ先生こと橋本武氏が担当する学級では、小説「銀の匙」(中勘助著)を 3 年間かけてじっくり読み、その世界を追体験するのである。それは「なんとなくわかったで済まさない」という徹底したもので、主人公が近所の駄菓子屋に行く場面では、生徒たちに小説と同じ駄菓子が配られたり、凧上げのシーンでは実際に凧を作って校庭であげたり、小説中の「丑紅」の言葉で立ち止まって十干十二支や二十四節気の話に脱線したり、といった具合なのである。そして、その授業ではいつも、ナビゲーターとして、エチ先生が工夫を凝らした手づくりのプリントが配られていた。
本書を読み終え、すごいなぁと感動すると同時に、ある違和感を感じた。本書の帯にこう記されている。
「文庫本1冊×3年間=東大合格日本一」
「21世紀に成功するための勉強方『スロウ・リーディング』の極意に迫る」
これが本書の内容を的確に紹介しているとは、とても思えない。本書で紹介されているデータでは、エチ先生の「銀の匙」の授業を受けたことをきっかけに、生徒たちは東大や京大の合格者数を急増させ、灘高を一流進学校へと押し上げるのだが、それはエチ先生が求めた「結果」ではないことは本文でも触れられている。また、各章の後にある「HASHIMOTO METHOD」というコーナーも違和感の原因だと思う。この授業について解説するというものであるが、「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」というエチ先生の言葉が重要なキーワードとして本文中に記されているのにもかかわらず、「スロウ・リーディング」はこんなに役に立つんですよ、というような内容なのだ。
本当の結果とは
本書にケチをつけようという気は毛頭ない。だが、違和感を感じていることは事実である。私はこの違和感を、エチ先生と本書が投げかけている波紋ではないかと思っている。
知識とは何か。学校の授業は、教師と生徒の関係はどうあるべきか。そして、教育が目指すべき本当の「結果」とは何なのか。そのヒントを本文から引用して紹介したい。卒業文集に編集後記として掲載されたエチ先生の文章の一部である。本書の中で、私が最も好きな一節だ。
「教室での関係はすでに終わつた。授業料でつながれていた束縛はなくなつた。目に見えない校則でしばられていた枷は外された。嘗て教室で国語を手がかりとする教師と生徒であつたという、精神的な連帯感だけとなつた。これから、諸君と私との間に、新しい楽しい関係が生じなければならないと思う。是非、そうしてほしいと思う。しかし、たとえそうならなくても私は嘆かないつもりである。私のために諸君の自由を束縛することはできないからである。私はまた、自分の手許から飛び立つていつた小鳥たちのことは忘れて、新しく“灘”という巣へやつて来た小鳥たちのために、夢中になつて餌ごしらえをすることであろう。その小鳥たちも、私の手の及ばなくなるほど成長した時に、私の手から飛び立つていくだろう。私はだまつて見送るだろう。そうして私は老いていく。それが私の一生である。」
要するに、教師の役割は生徒を巣立たせることだけであり、その仕事は巣立つまでの餌ごしらえなのだ、というエチ先生の腹のくくり方が軽やかでもあり、重くもある。数年後には何の関係もなくなってしまうかもしれない小鳥たちのための餌ごしらえを、休まず丹念に情熱を込めて続けてきたことこそがエチ先生の本当のすごさなのだ。スロウ・リーディングという方法論だけが注目され一人歩きをしてしまっては、肝心なことが見過ごされてしまうような気がする。私が本書に対して感じている違和感は、このことなのだと思う。
親であれ職業教師であれボランティアのスポーツ指導者であれ、小鳥たちの餌は、自分で探し、自分の身体で運び、自分の手で与えるべきだ。きっとそれが、子どもを育てるということなのではないだろうか。
エチ先生の言う「結果」とは、生徒たちが卒業して還暦を過ぎても前を向いて歩いていることであり、そのために小鳥たちに与えた餌が『銀の匙』と授業プリントである。さて、私は小鳥たちにどんな餌を見つけられるのだろうか。そして、私が関わった子どもたちは、どんな大人になるのだろうか。
(尾原 陽介)
出版元:小学館
(掲載日:2011-10-10)
タグ:教育
カテゴリ その他
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命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業
イチロー・カワチ
世界トップクラスの平均寿命を誇る日本。その理由はソーシャルキャピタル(社会関係資本)にある。つまり、人びとの「絆」や「お互い様」といった日本語表現にもみられるような人間関係が、ひとの健康に大きく影響しているという。
パブリックヘルスは川の上流で何が起きているのか、鳥の目で俯瞰することによって、人びとの健康に与える要因を見定める。なぜ、アメリカでは健康意識が高いひとが多いにもかかわらず、不健康なひとが多いのか? という疑問を追ってきた著者は、まず格差の問題を挙げる。所得が健康に与える影響というのはわかりやすいかもしれないが、実は所得が多いひとにとっても、格差があることによって健康に悪影響がある。
所得格差は健康格差に直結する。そして、その影響は次世代にも引き継がれる。低所得の親の子どもは肥満になりやすく、糖尿病、うつ病などの罹患率も高くなる。筆者は所得の再分配は健康政策でもあるという立場だ。
また、12年以上教育を受けた場合と、そうでない場合には死亡率に2倍もの差がつく。幼少期の教育は100万円投資したとすると、年間17万円もの利益が出るらしい。ほかに、マシュマロテストやペリー就学前プログラムなどを引きつつ、早期教育の重要性を訴える。
なぜ不健康なひとが多いのか? 1つには健康に影響を与える民間企業の努力があるという。ここには、ひとは必ずしも合理的にものを考えるようにはできておらず、その時々の直感や感情によって行動を決定している、ということが関わっている。そこを巧みに利用してきた民間企業の広告・宣伝の力が、人びとの不健康に一役買っている。行動変容には個人の思考、心理によるところが多いと思われてきたが、実は身のまわりの人々や、環境によって意思決定していることが少なくない。そこで、社会全体として人びとの健康リスクを下げる取り組み(ポピュレーションアプローチ)が必要になってくる。
さまざまな興味深いデータを示しながら、ひととひととの関係性が、個人の健康、ひいては人生の幸福につながる、という主張と読んだ。すこし日本を褒めすぎな気もした。
(塩﨑 由規)
出版元:小学館
(掲載日:2022-07-20)
タグ:健康 格差 公衆衛生
カテゴリ その他
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