身体感覚を取り戻す
斎藤 孝
1960年代、アメリカのカウンターカルチャーは日本にも大きな影響を与えた。
「大人がつくった社会の抑圧や管理から自分の肉体を解放していくというのが、カウンターカルチャーの軸であった。文字通りそれは、すでにある権威に対してカウンター(対抗)としての性格をもつものであった」(序章より)。
この世代が親の世代になって、「親が親らしくなくなった」。その結果、生きていくうえでの基本をしっかりと躾けるという親の役割が軽視され、身体文化も伝統の継承が行われなくなったと言う。その日本の伝統的な身体文化が「腰肚文化」なのだと言う。
著者は「身体感覚の技化」という表現もとっている。歩く、立つ、坐る、そして息の文化。自ら、身体を用いて、様々な技法を経験したうえで語っていく。明治や昭和の人々の写真も巧みに引用しつつ、21世紀の身体をみる。
現在の日本人のからだには「中心(芯)感覚が喪失」しているという言葉は、身体のみならず社会全般にも言える。からだから考える。その意味がよくわかる本。おすすめ。
B6判 248頁 2000年8月20日刊 970円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2001-03-15)
タグ:身体感覚 伝統
カテゴリ 身体
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江戸人の老い
氏家 幹人
また寿命が延びたそうだ。 100歳を超える人は日本に13,000人以上いるとも言われる。1947~51年の「団塊の世代」もすべて50歳代になった。一方で、老人医療費は、国民医療費の約1/3(約10兆円)を占め、しかも年々増加している点が間題にされている。
では江戸時代はどうだったのか。この本、タイトルそのもので、江戸時代の「老人」を描写する。70歳で約7万字の愚痴に満ちた遺言をしたためた老人(実は、極めて著名人)、ひときわ体格に優れ、圧倒的な筋力もあった徳川吉宗の「中風」後のリハビリテーションの模様、そして老後も「不良隠居」などと言い存分に楽しんだ人たち。文献から浮かび上がってくるこれら「老人」の姿は実に興味深い。
いかなる人も老いていく。そして、確実に死ぬ日を迎える。それは誰もが知っていることである。
では、実際に老いていく自らをどう処していくか。あるいは「平成人の老い」と「江戸人の老い」は何が違うのか。この本を読みつつ、つらつら考えるのもよいだろう。
新書判 212頁 2001年3月1日刊 660円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2002-10-03)
タグ:加齢 江戸
カテゴリ 身体
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ボディ・ランゲージ 現代スポーツ文化論
アンドリュー ブレイク 橋本 純一
ボディランゲージというと、仕種による表現と受け止める人も多いだろうから、副題も同時に掲げた。この副題のほうが内容に則している。英語の副題は"The Meaning of Modern Sport"である。
ボディランゲージとは、ここでは「スポーツは身体によって語られる優れた言語である」という意味である。
多くの身体論やスポーツ論があるが、この1冊は格別読みごたえがある。ドーピング問題1つにしても、すでに単にフェアプレーやスポーツマンシップという概念だけでは論じきれない。生化学始め、遺伝子およびその操作、再生医療などの問題と絡んでくるのみならず、脳のほかは機械でもよいと宣言する科学者も出てきている現在、ことはスポーツに限定して語れない。
著者は、英国キングアルフレッズ大学のカルチュラルスタディーズ学部の教授である。体育・スポーツやスポーツ社会学という分野ではなく、カルチュラルスタディーズという学部からこの問題が提出されたことは、いわば当然であり、われわれはこれまでとは違うスポーツの見方に出会うことになる。これまでとは異なるが、居心地の悪い視点ではなく、むしろすんなり受け入れることができる。
スポーツ新聞やスポーツ雑誌、あるいはテレビのスポーツ番組の報道や論調に腑に落ちないものを感じている人にはぜひ読んでいただきたい。
B6判 352頁 2001年3月30日刊 2800円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:日本エディターズスクール出版部
(掲載日:2001-11-15)
タグ:カルチュラルスタディーズ スポーツの意味
カテゴリ 身体
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声に出して読みたい日本語
齋藤 孝
この著者の本『身体感覚を取り戻す』はすでに紹介した。その本では「腰肚(こしはら)文化」と「息の文化」という言葉が日本の文化の柱として使用されている。
「かつては、腰を据えて肚を決めた力強さが、日本の生活や文化の隅々まで行き渡っていた。腰や肚を中心として、自分の存在感をたしかに感じる身体文化が存在していた。この腰肚文化は、息の文化と深く結びついている。深く息を吸い、朗々と声を出す息の文化が身体の中心に息の道をつくる。……身体全体に息を通し、美しい響きを持った日本語を身体全体で味わうことは、ひとつの重要な身体文化の柱であった」(P.202 より)
本書では、日本の古典、漢詩はもとより、口上、浪曲、いろはかるたなど、様々なジャンルから引用、暗唱、朗誦を勧める。
今、漢詩や芝居の文句を日常の会話にはさむ人は少なくなった。「言ってもわからない」から。平均的素養はかなり低くなったとも言えるし、コンピューターやTVゲーム、ケイタイなどデジタルなものが、その代わりになっているとも言える。
だが、やはり文芸廃れて国滅ぶ、と言いたくなる。なにより、生活での会話がつまらなくなる。先日みたテレビで渡辺貞夫さんが小学生にタイコを教えていたが、まず大きな声を出させた。でも出ない。「もっと大きく」「もっと大きく」と繰り返した。なかなか大声を出せない子ども。やがて大声が出せるようになる。それは必ず、身体と動作のありようと関係しているだろう。
「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」と、朗誦し、やや老いた身体を伸ばしてみた。確かに、声は身体の一部であると納得する。
四六判 214頁 2001年9月18日刊 1200円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:草思社
(掲載日:2001-12-15)
タグ:声
カテゴリ 身体
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思想する「からだ」
竹内 敏晴
『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社新書)などの著書で知られる著者の新著。あれこれ言うより、著者の言葉を引こう。それのほうがわかる。
「いずれにせよ、『からだ』の対極に『ことば」を置くと見えて来る地平に私は生き始めており、『からだとこころ」を対にする地平は私に遠い、というよりは、そこには生きていない、と言うことであろう(P.115)
かつて聴覚言語障害者であり、弓道にも打ち込み、演劇にも深く関わる著者の「ことば」、あるいは「声」への言及は深く身体に問いかけてくる。思いもかけない「からだ」の発見。あなたは、どんな声でどんなことばを日々投げかけているか…。
四六判 238頁 2001年5月10日刊 1800円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:晶文社
(掲載日:2002-01-15)
タグ:身体 言葉
カテゴリ 身体
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からだにはココロがある
高岡 英夫
身体に存在するココロについて書かれた本。ココロを介して人間の身体と心は密接につながっているとし、そのココロの構造を知り、うまくつきあっていくことで、自己の本来持っている能力を引き出す方法を知り、生かす。その方法を登山に見立て紹介。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:総合法令
(掲載日:2002-07-10)
タグ:身体 メンタル
カテゴリ 身体
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からだの日本文化
多田 道太郎
『しぐさの日本文化』や『複製芸術論』で知られる著者の「肩のこらない」からだにまつわる日本文化の話。 頭、顔、肩、背中、腹、ヘソ、ウエスト、ヒップ、腰、尻、足の11項目でまとめられている。
例えば、「少し具合の悪いところができると、日本人は何でも『からだ』のせいにする。カナダ人は『精神』のせいにする」(P.38)。だから、日本人は医者やマッサージ師に駆け込み、カナダ人は精神分析のクリニックに向かうと言う。「屁は尻に出て又鼻に逆戻り」というなかなか味わい(?)のある秀句も紹介されている。どこの国の人であろうと、この身体は同じようなもののはずだが、そこに文化が加わると、どうも同じようではない。鼻を高い、低いと日本語では表現するが、例のクレオパトラの鼻については、フランス語では「もしクレオパトラの鼻がもう少し短かったら」と表現されているとか。
しかし、どうしても私たちはこのからだに染みついた文化から離れることは難しい。それなら、他の文化ではどうかを知り、見方を変えてみるのも、からだによいかもしれない。軽く読めるが、う~んと考えるところは多い。
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:潮出版社
(掲載日:2002-06-15)
タグ:身体 文化
カテゴリ 身体
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究極の身体(からだ)
高岡 英夫
運動進化論が解く人類究極の身体能力とは? カラダが持つ能力を様々な視点から解説。カラダの素晴らしさや巧みさ、面白さを再確認する現代身体論のバイブル。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ディレクト・システム
(掲載日:2002-12-10)
タグ:身体
カテゴリ 身体
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武蔵とイチロー
高岡 英夫
天才の世界
湯川秀樹という方を皆さんは覚えておられるだろうか。1949年に日本人初のノーベル賞受賞者となった物理学者である。その彼が、晩年になって出した本の中に『天才の世界』というのがある。これは、古今東西の歴史に残る偉業を成し遂げた人々、いわゆる天才と言われた人々の創造性の秘密を解明しようという意図の下に書かれた書物である。彼は、この本の「はじめに」の中で天才について次のように述べている。「(天才に)共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。それは外から見て異常かどうかということでなく、当人の集中的な努力が異常なまで強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである」
では、今回の主人公のひとり、武蔵は天才か。私が知っている武蔵は、小説家吉川英治氏が描いた武蔵のみであるが、これを読んだ限りでは、どちらかといって愚直なまでの努力家タイプに思える。むしろ、彼と巌流島で決闘した佐々木小次郎のほうが天才タイプではなかったか。しかし、前述した湯川氏の天才論で言えば、異常なまでに強烈に剣術を持続して磨いたという点では、間違いなく武蔵は天才だ。
もうひとりの主人公イチローはどうか。これには誰もが天才と口を揃えるだろうが、ではなぜ? おそらく、皆イチローのセオリーを無視したようなバッティングフォームとその結果を見て、いわゆる天才肌的なものを覚えるからであろう。しかし、ここでも湯川論に従えば「外から見て異常かどうか」が天才の判断基準になるのではない。あくまでも異常なまでに強烈な集中力がイチローには見て取れるところに彼の天才たる所以があると、この筆者は見たようだ。
ユルユルとトロー
筆者がこの二人に共通して着目したものに「脱力」がある。筆者は、まず武蔵については、彼の肖像画から類推して、彼の剣を構えたときの身体には無駄な力が入っていないと指摘する。刀はユルユルと握られ、全身は脱力されている。しかし、その脱力はフニャフニャしたものではなく、トローとした漆のような粘性を持った脱力だと言う。武蔵が残した有名な書物に『五輪書』があるが、この中で武蔵は「漆膠(しっこう)の身」ということを書いていると言う。そして、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないこと」だとも書いていると言う。つまり、相手の動きに粘り強く着いていくには、トローとした脱力が必要だと言うわけである。これはイチローにも当てはまる。本来、バッティングとは投手が投げてくる球に対して自分のヒッティングポジションが合致すれば、クリーンに打ち抜けるものだ。従って、投手は打者の得意なヒッティングポジションに球が行かないように、球種を変えコースを変えてくるのである。しかし、イチローはトローと脱力した身体で、あらゆるコースの球に密着してくる。だから、イチローには特に待っているコースもなければ決まったヒッティングポジションも存在しないと言うわけである。
天才と凡人の違い
私は、今回この本を読んでいて、どうも近年のスポーツ科学者は、私も含めて客観的事実というマジックに捕らわれすぎたようだ、という反省を覚えた。客観的事実の積み重ねの上に真実が現れるという科学的分析手法は、誰もが理解し納得いくという点では優れた手法であることは認める。しかし、簡単に言ってこの手法で明らかになるのは、大方が同じ結果になるから真実だという結論にすぎない。果たして、それは真実なのか。大方とは違う結論の中にも真実はないか。データでは見えてこない真実。ここを見て取れるか否かが天才と凡人の違いではないか。特に、指導者には耳を傾けていただきたい。「日本スポーツ天才学会」や「日本スポーツ異端児の会」などあってもよくないか。
最後に、再び湯川氏の天才論をご紹介したい。「――、私たちは天才と呼ばれる人たちを他の人たちから隔絶した存在と思っていない。(中略)ほとんどの人が、もともと何かの形で創造性を発現できる(つまり天才的)可能性を秘めていると考える」
(久米 秀作)
出版元:小学館
(掲載日:2003-03-10)
タグ:身体 宮本武蔵 イチロー
カテゴリ 身体
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からだことば
立川 昭二
身体感覚と、言語、文化との結びつきを、豊富な例を駆使しながら話し言葉で解説している。民族独自の身体感覚が表れている例として、日本人は肩がこり、アメリカ人は首がこり、フランス人は背中がこると言う。肩に対しての意識は、日本人において強い。「肩にかかる、肩身が狭い、肩を持つ、肩書き」など。こうした問題を、歴史的に分析し、現代社会を読み解いている。
痛みについての表現でも、日本では擬態語を使ったズキズキ、キリキリ、シクシクという表現を共有している。そして、痛みがあって初めて内臓や骨を強く意識する。痛み自体が、身体からの自己表現手段になっている。痛みそのものは、他人には理解できない。自分が痛みの体験をもっているから、他者の痛みを理解できるのである。その感覚をお亘いに知っているからこそ、人間的な関係が築けるのではないかと言う。
しぐさや言葉の使われ方を丁寧に観察し、考えを進めていくことで、これほど豊かな世界が広がっていたという新鮮な発見が得られる書である。言葉の使い方や目の向け方に少し気を使うことで、相手とのコミュニケーションは豊かに円滑になるかもしれない。それは医療でもスポーツでも会社でも同じである。著者は、医療では患者に専門用語を使うべきではないと言っている。せめて看護師が、医師の言葉を翻訳して伝えたほうがよいだろうとも言い、「医療が変わるには、まず医療の言葉がかわらなくてはなりませんね」。
言葉と身体感覚については、もつと切実な思いを持っている方も多いだろう。
現代社会でだんだんと失われていった身体に関する知恵が、今もなおしぐさや言葉に色濃く残っている。それは文化の財産としてこれからも生かすことができるはずである。
(清家 輝文)
出版元:早川書房
(掲載日:2002-12-15)
タグ:身体 文化
カテゴリ 身体
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自分の頭と身体で考える
養老 孟司 甲野 善紀
99年に単行本として出版されたものの文庫。養老氏と甲野氏の対談は比較的多いが、解剖学者と武術家という対比から生まれる世界が面白いからだろう。
「体の各部分がなるべく細かに割れるようにして、その割れた身体をちょうど泳いでいる魚の群れが瞬時に全員が方向転換しているような感じで体じゆうを同時に使うんです」。抜刀術での甲野氏の説明である。従来の型にはまらない、自分なりに到達した境地を語っている。そしてその言葉を、養老氏は自分なりに理解し、解剖の分野から目と脳の働きと合わせながら説く。「同時並行でいくつかのものが動いているわけでしょ。それは目が一番得意にしていることなんですね」
養老氏はこうも言っている。「今、教育をしていて、僕も一番因るのは『先生、説明して下さい』という学生ですね。『説明して下さい』ということは、説明されればわかると思っているということですよ」。
説明と理解、その構図では言葉が神様である。身体、からだはどこにあるか。解剖学の身体、武術でのからだ。対談をきっかけに、自らの身体で考えていくのも面白そうだ。
(清家 輝文)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2002-12-15)
タグ:身体 解剖 武術
カテゴリ 身体
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呼吸入門
齋藤 孝
息を1つの身体文化と捉え、様々な活動を呼吸の面から考察しているのが本書である。20年にわたり呼吸の研究をしてきた齋藤氏の集大成ともいえる一冊。
齋藤氏が奨励するのは、自ら考案した「齋藤メソッド」という呼吸法である。3秒吸って、2秒止めて、15秒で吐くというもので、誰もが安全にかつ効果的に行える方法と説明する。時に「気」という言葉を用いて神秘的に捉えられ、カルト的な宗教団体に悪用されることもあるが、本書では「気というのは、あくまで呼吸の結果として生じるもの」と定義、意図的に語ることを避けている。呼吸を知ることは、気分のコントロールや集中力の持続、リラックスする方法を得る一方で、危険が伴う誤った認識を回避することにもなる。
呼吸を知り、呼吸を活かす。本書を通して、無意識に行われている呼吸を意識的に考えてみるのはいかがだろうか。
(長谷川 智憲)
出版元:角川書店
(掲載日:2004-07-15)
タグ:呼吸
カテゴリ 身体
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免疫革命
安保 徹
著者は新潟大学医学部教授で1980年に「ヒトNK細胞抗原CD57に対するモノクローナル抗体」を作製、89年、それまで胸腺でのみつくられるとされていたT細胞が、肝臓や腸管上皮でもつくられていることを突き止め、胸腺外分化T細胞を発見。96年、白血球の自律神経支配のメカニズムを解明、00年には100年来の通説である胃潰瘍=胃酸説を覆す顆粒体説を発表という世界的免疫学者である。これは「著者紹介」に記されているところだが、この全体をわかりやすく説明したのが本書でもある。
「免疫療法が注目を浴びる一方で、現代医学は病気の治療に芳しい効果を上げているように思えないのが現状です。遺伝子だ、ゲノムだ、タンパク分子解析だ、と人間の身体のとてつもなく微細なしくみを解明する分野で、現代医学はたしかにめざましい成果をあげてきました。しかし、それらが直接的に、治癒をもたらす医療に反映されたという例が、ほとんど見あたらないのです。現代医学は病気を治せない、と非難されてもしかたがない状況にあると思います」と序文で述べる著者は、病気の本当の原因はストレスだとし、自律神経は、交感神経と副交感神経のバランスで成り立っている。しかし、精神的・肉体的ストレスがかかると、そのバランスが交感神経優位に大きくぶれ、それが白血球のバランスをくずして、体内の免疫力を低下させると説明する。終章「健康も病気も、すべては生き方にかかっている」を読むと、病気にならず、健康に生きるにはどうすればよいかを教えられる。
(清家 輝文)
出版元:講談社インターナショナル
(掲載日:2004-07-15)
タグ:免疫
カテゴリ 身体
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スポーツマッサージ指導論 実習指導者・スポーツ指導者のために
佐藤 揵
仙台大学体育学部教授で、NPO法人ジャパンアスレチックトレーナーズ協会の資格認定委員会委員の佐藤医学博士が手がけた本。副題に「実習指導者・スポーツ指導者のために」とあるように、指導的立場にある人を始め、スポーツ選手や後方支援スタッフを対象としている。
本書は「スポーツマッサージを行う前、指導する前に」に始まり、「マッサージに先立つ基礎的事項」「マッサージ論」「スポーツマッサージ技術論」と続き、「マッサージ関連情報」で締めくくられている。この他、著者が関わった「独特な他者伸張法が体操競技プレイヤーの肩関節柔軟性に及ぼす効果」など2つの研究が実験研究例として取り上げられている。
初心者にはもちろんのこと、指導における注意点や技術の応用法にも言及しているので、上級者も目を通しておくとよいだろう。
金港堂出版部(022-232-0201)
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:金港堂出版部
(掲載日:2012-10-08)
タグ:スポーツマッサージ
カテゴリ 身体
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ナンバの身体論
矢野 龍彦 金田 伸夫 長谷川 智 古谷 一郎
光文社から発行された『ナンバ走り』(矢野ら著)の続編にあたり、前著で紹介されたナンバ的な動きの解説書となる本。副題は「身体が喜ぶ動きを探求する」。この身体論は、ナンバを「難場」と解釈し、身体的に無理のない、より素早い、より自然な動きによって困難なシチュエーションを切り開こうという考え方で、武術研究家の甲野善紀氏が提唱する古武術の身体運用法がもとになっている。
桐朋高校バスケットボール部のコーチを務める著者4氏が言う「ナンバ」は、捻る、うねる、踏ん張るといった動作をできるだけ避けた、広く普及している西洋式の運動とは正反対の動きを指している。第3章「ナンバ的動きの練習法」、第4章「ナンバ歩き、ナンバ走りの練習法」では、写真つきで具体的な練習法が紹介されており、第6章「桐朋バスケットボール部の取り組み」では現場で実践されたナンバ的な動きの効果と課題が金田氏によって語られている。
あとがきには、「否定的な意味であれ、肯定的な意味であれ、すべての人にとって考えるヒントになれば幸いである」とある。普段と異なる発想でからだを動かし、本書でよく使われている「身体との対話」を行うことによって、新しい発見が得られるかもしれない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:光文社
(掲載日:2012-10-08)
タグ:ナンバ バスケットボール 古武術
カテゴリ 身体
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沖縄が長寿でなくなる日
沖縄タイムス「長寿」取材班
沖縄と言えば長寿。「高齢者は元気で明るい」というイメージを持つ人も多いだろう。だが、2000年の厚生労働省調査によると、女性の平均寿命は全国1位を維持しているものの、男性は26位、85年の1位、95年の4位から急落している(本書P3より)。沖縄は今「長寿の島」ではなくなりつつある。本書では、食生活の変化や日常化する心身疲労、高齢者の暮らしなどを綿密に取材、沖縄の現状が当事者の声をもとに綴られている。
副題は「〈食〉、〈健康〉、〈生き方〉を見つめなおす」。第1章「食とは、いま」、第2章「生活習慣の変化」では食と生活の問題、第3章「本当に癒しの島か」では、多発する自殺を主題として心の問題を、第4章「ゼロからの復興」、第5章「お年寄りは幸せ?」では医療・介護におけるこれまでの取り組みと現状を、第6章「新しい生き方」では明るく生きようとする高齢者の姿がそれぞれ取り上げられている。
特に第1~3章に取り上げられていることは、自分に置き換えて読めば思い当たることがいくつも出てくるだろう。糖尿病で職を失った男性の話や自殺者を出してしまった家族の話などは、他人事として片付けることのできない内容である。文中に「本当の『長寿』の意味を考える契機にしたい」(本書「はじめに」より抜粋)とあるが、考えさせられる事例が数多く含まれている。
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:岩波書店
(掲載日:2012-10-08)
タグ:長寿 健康
カテゴリ 身体
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養生の実技
五木 寛之
「角川oneテーマ21」の1冊。副題は「つよいカラダではなく」。五木寛之と言えば『青春の門』や『風に吹かれて』また最近では『大河の一滴』や『他力』などでよく知られているが、二度休筆宣言し、龍谷大学で仏教を学び、現在は『百寺巡礼』という大きな仕事に取り組んでいる。
その五木氏が、新書でみずからの「養生観」を語ったのがこの本。文章の平明さの一方で、思索と経験の深さをみることができる。
弱いことや不安などを「悪いこと」として捉えない著者の言うことは世間とは逆のことも多いが、よく考えられた裏づけがある。
「歩くときは、あまり颯爽と歩かない。反動をつけずに重心の移動で進む」「中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に」「入浴は半身浴にする。体をあまり洗わないことが大事」「一日に何回か大きなため息をつく。深く、たっぷりと、『あーあ』と声をだしながら。深いため息をつく回数が多いほどよい」「あまり清潔にこだわっていると、免疫力が落ちる」「病院は病気の巣である。できるだけ近づかないほうがよい」
これらは巻末に収められた「わたし自身の体験と偏見による養生の実技100」からの引用。仕事に追われ、未処理のものが多い人には「やったほうがよい、と思いつつどうしてもできないときは、いまは縁がないのだ、と考える。そのときがくれば、やらずにいられなくなるのだから」というものもある。
気持ちが楽になる。からだを慈しもうと思うようになる。そういう本だ。最後に著者はこう言っている。「あす死ぬとわかっていてもするのが養生である」。
(清家 輝文)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-10-09)
タグ:健康 養生
カテゴリ 身体
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介護と建築のプロが考えた「生活リハビリ」住宅
三好 春樹 吉眞 孝司
バリアフリーという言葉はすっかり定着し、その意味を知らない人は少ないだろう。だが、ではそのバリアフリーはいかにあるべきかとなるとよくわからない。
この本は副題として「バリアフリーは間違っている」と記されている。著者の三好氏は、特別養護老人ホームの生活指導員となり、その後理学療法士の資格を取り、85年に退職、現在は「生活とリハビリ研究所」を開設している。もう1人の著者である吉眞氏は、県立宇都宮工業高校建築科で建築学を学び、吉眞建設株式会社を設立、本格的木造住宅を数多く手がけ、日本の建築文化を受け継ぐ職人が絶えないようにと、在来工法も重視している。
三好氏は、車椅子が実は段差に強いこと、スロープは上りも下りも脳卒中の人には危ないことなどを挙げ、「介助が大変だからバリアフリーとか、介護対応型など、何か理想に近づけるのではなく、これまでのやり方があり、それをいかにして継続するかをまず考えるべき」という視点を提出する。
吉眞氏はもっと根本の木の家のよさを建築という立場で語っていく。住居や環境となると当然、建築家の出番である。「そりゃ、そのほうがいい」という住む立場で納得できる発言が多い。介護は介護する側も大変だが、される側の身になってこそであろう。住宅の見直しはとても重要と知らされる。
2005年4月30日刊
(清家 輝文)
出版元:雲母書房
(掲載日:2012-10-09)
タグ:暮らし 介護 建築 生活
カテゴリ 身体
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こころと体に効く漢方学
三浦 於菟
東邦大学附属大森病院・東洋医学科教授の三浦氏が、漢方学の基本と実際を紹介した本。第1章「漢方外来へようこそ」では便秘、下痢、風邪、更年期障害、花粉症など症状別に患者との問診のやりとりを再現し漢方の処方例を挙げ、第2章「東洋医学の生命観」ではその考え方を、第3章「Q&Aあなたの悩みに漢方学が答えます」ではさまざまな患者の悩みと、東洋医学的なアドバイス方法を記している。
現代はストレスの多い時代と言われているが、こころの問題がからだに影響を及ぼしていることは多くの人が実感しているだろう。漢方を始めとする東洋医学では、年齢や生活習慣、季節、住環境などの要因から、こころの問題を含めてひとりひとりの体質・症状に合わせた治療を施し、症状を起こさない、つまり「未病」のうちに「養生」して健康を維持する手助けをしてくれる。
からだの不調はあるけど、病院に行くほどではない。しかし、気になる。漠然とした不安やつらさを持っている人には、まず手にとってほしい本である。
2005年5月25日刊
(長谷川 智憲)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-09)
タグ:東洋医学 漢方
カテゴリ 身体
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叢書 身体と文化
野村 雅一
1996年8月、まず第2巻『コミュニケーションとしての身体』が刊行され、1999年に第1巻『技術としての身体』が刊行されたが、第3巻『表象としての身体』(写真)がついに今年7月に出て、全3巻が完成した。野村雅一、市川雅、菅原和孝、鷲田清一氏らが編集、執筆は数多くの研究者らが担当している。
ほぼ10年前からの仕事である。96年というのは阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が起こった翌年、身体や精神、信仰などへの関心が高まった頃でもある。とくに阪神淡路大震災では、わが身のみならず、互いの「からだ」を思いやる状況が自然に生まれ、生きているからだをいつくしむ気持ちの一方で、「透明なぼく」という表現は身体のありかが不明になっている状態も示していた。この時期から、「身体論」が多く世に出るようになった。
この叢書では、第1巻で人間の感覚の様態そのものから身体技術のさまざまな断片とそれらの社会的・文化的な意味について、第2巻で社会・文化的脈絡のなかで身体がおびるコミュニケーションとしての働きとそれを構成する秩序と構造について、第3巻でさまざまな文化の中で身体がどう解釈され表現されてきたかについてそれぞれ解明・検証している。
総じて論じるのは無理があるが、読者は今生きている私の身体を取り巻くものがあまりにも多く、深い層からなっていることに気がつくだろう。楽しみつつ考えつつ、読んでいただきたい。
野村雅一ほか編
第1巻:1999年6月1日刊、第2巻:1996年8月10日、第3巻:2005年7月1日刊、各4,200円
(清家 輝文)
出版元:大修館書店
(掲載日:2012-10-10)
タグ:身体 文化 コミュニケーション 技術
カテゴリ 身体
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武道の心で日常を生きる
宇城 憲治
沖縄古伝空手心道流実践塾・身体脳開発メソッド実践スクール「UK実践塾」を主宰し、由村電器常務取締役、東軽電工代表取締役、加賀コンポーネント代表取締役等を歴任し最先端の技術開発に携わった経験を持つ宇城氏が、自身の経験から日常に生きる武道の心を説いている。
一貫していることは「頭で考えるのではなく身体で覚える」ということ。宇城氏はそれを「身体脳」と表し、随所に武道でのからだの使い方を紹介、ちょっとした違いが与える変化について解説している。また、「知識では器は大きくなりません。偉そうにする人は器が小さい。小さい人ほど器を大きく見せようとします」と言い、自己主張だけでなく哲学を自分の中に持つこと、文化を通して哲学を学ぶことの重要性を指摘する。 本書は、日本の文化である武道をわかりやすく、かつ今に活かせる形で示している。日々の生活を振り返る意味でも、ぜひ読んでほしい本である。
2005年4月20日刊
(長谷川 智憲)
出版元:サンマーク出版
(掲載日:2012-10-10)
タグ:武道
カテゴリ 身体
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子どものからだと心 白書 2005
子どものからだと心・連絡会議
毎年12月に刊行されている白書の最新版。 最初の章「0“子どもの世紀”のために」では、子ども問題に関する年表と2005年9月に国連・子どもの権利委員会一般所見No.7「乳幼児期における子どもの権利の実践」の日本語訳を収録。以下、「Ⅰ生存」「Ⅱ保護」「Ⅲ発達」「Ⅳ生活」の各章を設け、解説と各種データの経年変化の表やグラフで構成されている。また、巻末には2004年度「第26回子どものからだと心・全国研究会議」の講演「子どもを生き生きさせる実践と理論」(小澤治夫・北海道教育大学教育学部教授)がまとめられている。 各データをじっくり眺めていると、今の子どもがどういう状態なのかがわかり、今何をすべきかと考えざるを得ない。たとえば、「子どものからだの調査2005(“実感”調査)」では、「最近増えている」という“実感”ワースト10の上位3つは以下のようになる。保育所:皮膚がカサカサ、アレルギー、背中ぐにゃ、幼稚園:アレルギー、すぐ「疲れた」という、皮膚がカサカサ、小学校:アレルギー、背中ぐにゃ、授業中じっとしていない、中学校:アレルギー、すぐ「疲れた」という、平熱36度未満、高等学校:アレルギー、腰痛、平熱36度未満。 これだけで問題の深さがわかるのではないだろうか。子どもと関わる人には座右に置いていただきたい白書である。
2005年12月11日
(清家 輝文)
出版元:ブックハウス・エイチディ
(掲載日:2012-10-10)
タグ:子ども
カテゴリ 身体
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坐のはなし
森 義明
「歩く」ことについては健康への関心の高さから多くの研究がされているが、それと比較すると「坐る」ことについての研究は少ない。著者の森氏は、膝障害における正座の有効性の有無について明らかにするという医学的な分野から「坐る」ことに着目しているが、本書は坐りの文化について言及、現在の日本人の「坐る」ことの意義についてまとめている。
副題は『坐りからみた日本の生活文化』。「坐る」を“尻(坐骨結節)で上体を支える”ことと捉え、「坐の習慣」「坐の変遷」「国々、宗教と坐り」「『坐』の種類」「坐りと身体」「坐具」「『坐』の分類」の各項目で考察されている。
坐りにはざまざまな型があり、それぞれ休息、礼儀、構えなどの異なる目的がある。現在では移動中でも坐っていることが多い。環境によって変化する坐り方が身体にどのような影響を与えているのか。「坐る」ことにももっと目を向ける必要がありそうだ。
2005年6月20日刊
(長谷川 智憲)
出版元:相模書房
(掲載日:2012-10-10)
タグ:日本文化 坐る
カテゴリ 身体
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老いない体をつくる
湯浅 景元
中京大学体育学部の湯浅教授が、老いない体をつくるためのポイントをまとめている。副題は『人生後半を楽しむための簡単エクササイズ』。体力、持久力、筋力、柔軟性、敏捷性のつけ方を始め、物忘れしない脳やよく見える目、自立できる脚のつくり方について、エクササイズを紹介しながら解説している。
本書で勧められているのが、エンジョイ・エイジング。老いに対抗心を持つことがストレスを強めることもあることから、「老化から完全に解放されることがないのなら、思いきって老化を楽しんでみるのはいかがでしょうか」と提案する。
本書で取り上げられているエクササイズは、日常に無理なく取り入れることができるものばかりである。同氏の老化への捉え方は一貫して前向きであり、一読すれば健康で元気な生活を送るためのヒントが多く得られるはずである。
2005年6月10日刊
(長谷川 智憲)
出版元:平凡社
(掲載日:2012-10-10)
タグ:加齢 健康
カテゴリ 身体
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皮膚は考える
傳田 光洋
皮膚は最大の臓器であるというところからこの本は始まる。皮膚は外界とのバリアであり、他人の皮膚を移植することはできない。だが、それだけではない。「皮膚はそれ自体が独自に、感じ、考え、判断し、行動するものです」と著者は言う。
皮膚表皮は外胚葉由来の器官で、中枢神経系も同様、眼や耳などの感覚器も同様である。1980年代になって、皮膚、とくに表皮は外部刺激によってさまざまな神経伝達物質を合成、放出していることもわかった。たとえばサイトカインも表皮にあるケラチノサイトカイン細胞が合成、放出している。それのみならず、末梢神経系が放出する神経系の情報伝達物質や各種ホルモンすら、ケラチノサイトカインは合成、放出している。
また、著者は皮膚は光を感じて、その情報を内分泌系、神経系に伝えている可能性があると言う。ブラインドサイトという言葉を聞いたことがある人も多いだろうが、視覚を失った人でも外部の光に応じて生理的変化が起こり、光の動きもある程度わかる。
さらに皮膚についての言及が進み、総じて本書のタイトルとなる。その他、「皮膚は電池である」とか、皮膚をきれいにすると体内もきれいになるのではないかとか、興味深い話に満ちている。思わず皮膚を触り、からだを見つめたくなる本である。
2005年11月2日刊
(清家 輝文)
出版元:岩波書店
(掲載日:2012-10-10)
タグ:皮膚
カテゴリ 身体
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身体知
内田 樹 三砂 ちづる
内田樹(うちだ・たつる)氏は、フランス現代思想、映画論、武道論を専門とする神戸女学院大学教授。三砂(みさご)ちづるさんは、疫学を専門とする津田塾大学教授。この2人の対談集。副題は『身体が教えてくれること』。帯に「女は出産、男は武道!? 危険や気配を察したり、場の空気を読んだり。身体に向き合うことでもたらされる、そんな『知性』を鍛えよう」とある。
まず、女性の出産の話から始まる。お産のときはエンドルフィンハイの状態になり、産んだ直後はアドレナリンハイになっている。だから、産んですぐお母さんが「ありがとうございました」と冷静になっているのはよい出産ではない。助産婦さんの含蓄に富んだ言葉、助産婦さんと家で出産する意義を考えざるを得ない。
次に武道の話。「武道の場合だと、ほんとうにたいせつなのは、筋力とか骨の強さではなくて、むしろ感度なんです。皮膚の感度じゃなくて、身体の内側におこっている出来事に対する感度。あるいは、接触した瞬間に相手の身体の内側で起きている出来事に対する感度」(P.33の内田氏の発言)
きわめつけが以下のやりとり(P.170より)。
三砂 女性はパンツとかGパンをはいているから股に布がピタッとあたっているのですよ。それを、もう不快だと思わない。
内田 たぶんその部位の感覚がオフになっているんでしょうね。
三砂 主電源がオフになっていると思うのです。
内田 「主電源」ですか。
日常から着物で過ごす三砂さんの感覚のすごさがわかる。興味を持った人は読んで下さい。ソンはしません。
2006年4月24日刊
(清家 輝文)
出版元:バジリコ
(掲載日:2012-10-11)
タグ:身体 感覚 武道
カテゴリ 身体
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身体の文化史
小倉 孝誠
近代フランスの文学と文化史を専門とする著者の『<女らしさ>はどう作られたのか』(法蔵館、1999)に次ぐ身体に関する著作が本書である。副題は『病・官能・感覚』。
「女性の身体とジェンダー」「身体感覚と文化」「病はどのように語られてきたか」の3部構成からなるこの本の特徴は、文学への身体論的アプローチを試みているという点である。主に近代フランスにおける身体とそれにまつわる欲望や快楽、感覚、病について、文学作品、回想録、医学書、衛生学関係の著作、歴史書、礼儀作法書などを基に考察している。日本の文学作品についても随所に出てくる。
文学において身体は常に取り上げられる要素であり、さまざまな作品を通じてその時代の身体の捉えられ方を知ることができる。病のくだりで「健康という、本来は私生活上の配慮であったものが、現代ではさまざまな行政と政治のメカニズムによって引き受けられるようになった」とあるが、そこに至る背景を読み解くうえでも参考になる。
2006年4月10日刊
(長谷川 智憲)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:身体 フランス 感覚 文化史
カテゴリ 身体
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遺伝子が解く! 万世一系のひみつ
竹内 久美子
動物行動学を専門とする竹内氏が素朴な疑問に答える週刊文春の連載をまとめた本。読者が寄せた55の質問とその回答を収めている。
最初に取り上げられている43歳男性の“(前略)男にとって女性のくびれは、いったいどんな意味を持っているのでしょうか”という質問では、「くびれたウエストは、妊娠していない(あるいはした経験がない)ことの証」という説をきっぱりと否定、くびれている女性が受胎しやすいこと、男性にとってくびれている女性が圧倒的に人気があることを示した研究を挙げ、「そもそも人間の女は、脂肪を如何に体にめりはりつけて蓄えるかを魅力にする動物なのです」と説く。38歳女性の飼い主とペットが似ているのがなぜかとの疑問には、人間が似たもの同士で惹かれる現象(アソータティブ・メーキング)を引き合いに出し「ペットとの間にも出てしまったということ」と回答。顔写真からペットの飼い主を当てるクイズが収められているが、正解を見ると思わず納得してしまう。
遺伝子がいかに私たちのからだに作用しているか、読めば読むほど実感できる。
2006年5月15日刊
(長谷川 智憲)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2012-10-11)
タグ:遺伝子
カテゴリ 身体
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給食の味はなぜ懐かしいのか?
山下 柚実
副題は「五感の先端科学」(先端科学に「サイエンス」とルビが振ってある)。
さて、誤解のないように、まず本書は「給食」の本ではないと言っておこう。副題のほうが正確に内容を示している。第一部「感覚器官のサイエンス」では、味覚(伏木亨・京都大学大学院教授)、嗅覚(高田明和・浜松医科大学名誉教授)、触覚(宮岡徹・静岡理工科大学、井野秀一・東京大学助教授)、聴覚(岩宮眞一・九州大学教授、戸井武司・中央大学教授)、視覚(三上章允・京都大学教授、廣瀬通孝・東京大学教授)との対話。第二部では、「五感・クオリア・脳」と題し、脳科学者・茂木健一郎氏、臨床哲学者・鷲田清一氏との対話が収録されている。
これだけのメンバーだから面白くないはずがない。「感覚」という科学として取り扱いにくかったものが、どんどん解き明かされていく。なぜ、あるものを心地よく感じ、別のものを不快に感じるのか。文字や匂いからある色を感じたりするのはどういうことか。リラックスしたほうがなぜ感覚は鋭くなるのか。
感覚は誰にもあるが、見ても見えていなかったり、聞いても聞こえていなかったり。不思議な世界、五感は「5つの感覚」を超越していく。勉強になることも多いので、おすすめ本です。
2006年7月10日刊
(清家 輝文)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:五感 感覚 記憶 科学
カテゴリ 身体
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人体 失敗の進化史
遠藤 秀紀
獣医学博士、獣医師である遠藤氏は、遺体を文化の礎として保存すべく「遺体科学」を提唱、遺体を知の宝庫と捉え、これまでも数々の著書を出版している。本書では、これまで解剖に携わった数々の動物の遺体から得た知識を基に、人間の身体について考察している。
人間の進化としてはよく二足歩行が取り上げられる。手に自由を与えたことにより脳を発達さえ、言語をも獲得したわけだが、「新しい身体は祖先を設計変更することでしか、生まれてこない。それが地球上で進化を繰り返していく生物たちの、逃れられない運命なのだ」と遠藤氏は記す。先祖となる生き物の身体の設計図が原点になっているからこそ、異なる進化をたどった鳥類や魚類などの身体の設計図を知ることは、ヒトがなぜ今のように進化したのかを知るうえで多くの情報をもたらしてくれるわけである。
では、私たちヒトとは、地球の生き物として、一体何をしでかした存在なのか。本書でも自問しているこの問いに対して、遠藤氏はヒトを前代未聞の改造品と位置づけ、“行き詰った失敗作”と結論づける。そこに至る経緯については本書を一読いただきたいが、読み進めると「そうなのかもしれない」と思わず感じてしまう。
2006年6月20日刊
(長谷川 智憲)
出版元:光文社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:進化 身体
カテゴリ 身体
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上手なからだの使い方
渡曾 公治
今月号(月刊スポーツメディスン__号)の特集でも登場する未病の治に有効と言われている東洋医学。本書は著者がスポーツ医学の臨床や体育教師の生活で気づいたことを書き溜めたもので、副題は「未病の治を目指して」。
なかでもインパクトのあったのは“脳は一生使い続けても疲れない”という項。詳しい内容については本書を参照していただきたいが、全体を通してからだを動かすことの意味にまで疑問を投げかけ、私たちの“身体”とは何かを考えさせられる。
また最後に「これからの医学は疲れや軽い痛みなど微症状をもっと上手に扱うノウハウを研究すべきだと思います」と話している。たしかに日本の医療は一次予防にシフトし始めている。そういった意味でも東洋医学の研究が進むにつれて、今後世界的にも重要な役割を担っていくのではないか。本書は注目されつつあるこの分野の経験的バイブルのような役割を果たすとともに、西洋医学に携わる方でもおもしろく読める内容になっている。
2006年10月20日発行
(三橋 智広)
出版元:北溟社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:未病の治
カテゴリ 身体
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SPAT 超短時間骨盤矯正法
鹿島田 忠史
現代では10時間座りながらパソコン作業や、通勤通学は重い荷物を肩に抱えて働いている人は少なくない。それと同時に自分のからだが思い通りに動かない、痛みがあるなど疑問を感じている方もいるだろう。
骨盤の歪みも人間の生活習慣の歪みから引き起るもので、本書は、誠快醫院院長・鹿島田忠史氏がまとめた豪華版で付録DVDとともに骨盤の矯正とその重要性について触れている。副題は「歪み診断から矯正完了まで5分でできる!」とあり、その内容も専門書のように濃いが、写真や絵を使いわかりやすく説明。著者が故・橋本敬三氏より学んだ操体原理に基づいて開発した簡敏なもので、その成果は現場でも素早く確実な効果が挙がっている。手技療法を専門とする方々はもとより、これからトレーナーを目指す方々の、幅広い知識の獲得また実践の応用にも活かされるのではないだろうか。
(三橋 智広)
出版元:源草社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:骨盤矯正
カテゴリ 身体
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美しい日本の身体
矢田部 英正
本誌(月刊スポーツメディスン)でも何度か登場していただいた矢田部さんの新著。矢田部さんの著書には『椅子と日本人のからだ』(晶文社)と『たたずまいの美学』(中央公論新社)があるが、この新書は、これまでの成果をまとめ、さらに深い考察を加えた感じがする。
1章「和服のたたずまい」以下、「『しぐさ』の様式」「身に宿る『花』の思想」「日本美の源流を彫刻にたずねる」「日本人の坐り方」「日本の履物と歩き方」「基本について」と計7章からなる。つまり、和服、動作、能の「花」、仏像の美、坐位を中心とする姿勢、ぞうりやワラジ、ゲタと靴、それによる歩行など、矢田部さんが研究し、また日々接しておられるテーマが並んでいる。面白いから読んでくださいと言うしかないが、一部だけ引用しておこう。
「一見、何の役にも立っていないようで、あらゆる物事の認識の基盤になっているのが実は人間の身体で、それは自分を取り巻く風や光や光に照らされた世界を感じ取るセンサーの役割を果たしてもいる。その感覚能力に磨きをかける一つの方法として、坐って姿勢を整えることを好んで選択してきた歴史が日本にはあり、その澄んだ感覚で世界を見つめる感受性こそが、実は日本文化を美しく秩序立ててきた基盤にあるものだと私は考えている」(P.148より)
2007年1月10日刊
(清家 輝文)
出版元:筑摩書房
(掲載日:2012-10-11)
タグ:歩行 履物
カテゴリ 身体
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「退化」の進化学
犬塚 則久
副題は「ヒトに残る進化の足跡」。ヒトは進化しているのか、それとも退化しているのか。この問題を本書ではヒトと動物の各器官で比較しその変遷にもふれていく。人類の起源は霊長類、哺乳類、脊椎動物の共通先祖、そして無脊椎動物から単細胞生物、ついには原核生物にまでさかのぼることができる。終章ではヒトのからだに見られる退化器官や痕跡器官を、4億年前から現代に至るまで順に並べているが、いろんな機能がこれまで消えて、生まれていることがわかる。ヒトのからだは生きるために進化していると言ってもよい。捉え方によってはそれを退化と呼ぶこともあるかもしれない。だが本書は哲学本ではなく、何が進化で退化なのかを比較解剖学や形質人類学、人間生物学など多くの資料に基づいており、まさにからだは生命の産物なのだと実感を持たせてくれる一冊になっている。
2006年12月20日刊
(三橋 智広)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:進化 身体
カテゴリ 身体
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脳のからくり
竹内 薫 茂木 健一郎
新潮文庫の1冊。サイエンスライターの竹内薫氏が脳の「超」入門書として書いたもの。うち1章は脳科学者の茂木健一郎氏が書き、全体の監修も行っている。
脳科学は急速に進歩している分野のひとつ。それでもまだわからないことがたくさんある。
今、どれくらいのことがわかっているのか、「超」入門とはいえ、内容は確か。脳の構造はもとより、ゲーム脳、脳の視覚、脳のニューラルネット、壊れた脳、クオリア問題、そしてペンローズの量子論など、最先端科学が解説されていく。
ちょうど真ん中あたりで、チャーマースの「サーモスタットにも意識がある」という言葉が出てくる。「脳のつくりだす意識も、メカニズムは複雑かもしれないけれど、結局は、『ネットワーク上のエネルギーの相互作用』が原因」と科学的に考えていくと、サーモスタットにも意識があり、コンピュータやロボットとなると当然意識があるということになる。これは一部科学者にとっては常識でもあるとか。
それで納得がいくこともいろいろあるのではないか。気になる人はぜひ読んでいただきたい。
2006年11月1日刊
(清家 輝文)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:脳
カテゴリ 身体
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自分の体で実験したい
Leslie Dendy Mel Boring C.B. Mordan 梶山 あゆみ
副題は「命がけの科学者列伝」。人間はいったいどのくらいの暑さに耐えられるのか。ジョージ・ファーダイス医師は、仲間の医師らを4人集めて実験する。その実験で仲間のチャールズ・ブラグデンが127℃まで温度をあげた部屋に入る。4人はそれぞれ高温にさらされても体温に変化がなかった。これがきっかけとなり、ヒトは汗を体外に放出し、体温を調整しているということを後々発見するが、127℃の部屋に入ったブラグデンは「不安になるほどの圧迫感を肺に覚える」と命の危険を感じ1分で部屋を出た。またホレス・ウェルズ歯科医は亜酸化窒素を用い、19世紀当時に困難とされていた抜歯に挑戦する。自ら実験台となって「針で刺されたほどの痛みも感じなかった」と残したが、これらの他にも麻酔薬の恍惚感をもとめて中毒となり、最後まで立ち直れない状態にまでなってしまったという。他にも“地上最速の男”になるため自己犠牲を払ったものや、人間の体内時計は別世界ではどのような影響があるのかと、地下の洞窟で131日間を過ごした女性など、本当か? と思うことが書かれている。このような背景を経て、治癒不可能とされた病気や伝染病などの原因が解明され、現代では多くの人が昔より安心して暮らせるようになったと言える。(M)
レスリー・デンディ、メル・ボーリング著 梶山あゆみ訳
2007年2月17日刊
(三橋 智広)
出版元:紀伊国屋書店
(掲載日:2012-10-12)
タグ:実験 科学者
カテゴリ 身体
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迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか
Sharon Moalem Jonathan Prince 矢野 真千子
「この本に書かれているのは、謎と奇跡の話である。医学と伝説の話である」と意味深に始まる本書は、アルツハイマー病の遺伝的関係の新発見で知られるシャロン・モアレム氏と、クリントン元大統領のホワイトハウス上級顧問・スピーチライターのジョナサン・プリンス氏の著。とくに遺伝子学的な知見に富んでいるので、世界中で知られる疫病の問題やアルコールの問題についても、遺伝子とどう関連をもっているのかについてなど大変興味深い内容である。
シャロン氏は祖父がアルツハイマー病と診断されたとき、アルツハイマーとヘモクロマトーシスの2つの病気には関連があるのではないかと考えた。まだ彼が15歳のときである。
そんな彼の小さなときからの取り組みがさまざまな問題意識を高め、大学院に進みアルツハイマー病を解明するに至った。だがその仮説を証明した後、祖父はアルツハイマー病と診断されてから5年後に亡くなる。
人のために科学があるのであって、それに尽力した科学者の“謎と奇跡”の本。ぜひ読んでいただきたい。
シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス著、訳・矢野真千子
2007年8月25日刊
(三橋 智広)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2012-10-12)
タグ:進化 病気 遺伝子
カテゴリ 身体
CiNii Booksで検索:迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか
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健康問答
五木 寛之 帯津 良一
「スポーツするなら水の代わりに牛乳を飲め」と、私は小さいときに言われたことがあり、疑いなくそのとおりにしていた。“牛は大きい。その牛がミルクを出している。それを飲めば絶対にからだは大きくなるはずだ”と子どもながらに信じていたが、「本当に?」という疑いはあった。
副題は『本当のところはどうなのか? 本音で語る現代の「養生訓」』。目次からその話題を少しだけ引用すると次のようになる。・水はたくさん飲まなければいけないのか、・緑茶はガンを予防するか、・牛乳を飲むのは、いいことか悪いことか、・メタボリック症候群は、ほんとうに危険か、・人間の寿命は、何歳がちょうどいいか、・「命の場」のエネルギーが低下するとどうなるか、などなど。五木寛之・作家と、帯津良一・医者が「本当は、どうなのだ!」について語り合う本書は、巷で言われている考えとはちょっと違う。たしかに水のかわりに牛乳を飲んでもあまり大きくはならなかったし、牛乳をまったく飲まなくなったいま、大きな不自由もなく生活できている。
なによりそういった情報を処理するバランス感覚が大事なのだろうと思う。
2007年4月4日刊
(三橋 智広)
出版元:平凡社
(掲載日:2012-10-12)
タグ:健康
カテゴリ 身体
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動く骨・コツ 野球編
栢野 忠夫
スポーツを指導する際に一番難しいのは動きのコツ。指導者が競技経験を有していても、それをじょうずに伝えることが困難なときがある。たとえば野球における動きのコツとは何か。本書の副題は「骨格操作で〈走・打・投〉が劇的に変わる!」。ここで使われる体幹内操法という言葉は、骨格のじょうずな動かし方。また体幹部を源として骨格を操る感覚で動くメソッドとつけ加えることができる。身体操作の基本動作には屈曲、伸展、側屈の動作を融合したものがあり、それらを融合し進展させたものが2種類の釣り合い歩行。
詳しいことは本書を参考にしていただくとして、ここで紹介されるエクササイズには日常動作からスポーツ領域における動きの要素が集約されている。DVD(50分)も付録し、写真、イラストで紹介しているのでわかりやすい。“野球を何年も続けていても上達しない”、“もっと動きの世界を広げてみたい”という方に読んでほしい一冊だが、指導者にこそ読んでほしい野球の動きの骨・コツ。ぜひ一読願いたい。
2007年6月16日刊
(三橋 智広)
出版元:スキージャーナル
(掲載日:2012-10-12)
タグ:動作 コツ 野球
カテゴリ 身体
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子どもに「体力」をとりもどそう
宮下 充正
本書の前書きの言葉を引用すると、「学力も体力もどちらも成長とともに発達する能力であり、成長する期間は18年間と時間的に制約されている」とある。それだけに学力も体力も成長の過程で密接に関連しているということが言える。
そこで「まずはからだづくりだ!」と副題にある通り、本書では子どもたちの運動不足を深刻な問題と指摘している。本文は9章立てで、さまざまなデータを用い子どもたちの限られた発達段階にアプローチしていく。そのなかでアメリカは日本と異なり学校区ごとに授業のカリキュラムを決めることができるのだが、それが学年進行とともに体育への授業へ参加する割合を減少させる原因であるという。
これに対して「体育の授業を減らしたからと言って、それらの科目の成績が向上するという確かな保証はない。それよりも、たくさんの研究は学業成績とスポーツ活動を含め身体活動量との間には、正の相関があるとし、これを否定する研究はほとんど見当たらない」とある。
社会に貢献できる人に成長するためにはどうあるべきか。体育学という視点から本書を通し再考していくべき時期を迎えていると言えるだろう。
2007年7月10日刊
(三橋 智広)
出版元:杏林書院
(掲載日:2012-10-13)
タグ:子ども 体力
カテゴリ 身体
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からだの“おかしさ”を科学する
野井 真吾
著者は埼玉大学で教鞭をとる野井真吾准教授。1~11章に分けられ、1~10章までは現代のこどもたちのからだの問題事実についてまとめている。副題は「いるいる! そんな子、うちの子」。ページをめくっていくと「前頭葉問題:すぐ“疲れた”という子どもたち」「自律神経問題:すぐ“疲れた”という子どもたち」「体幹筋力問題:“二足歩行”の危機…!?」と現代の子どもたちの問題点が明らかになっていく。
考えさせられたのは「子どものからだと心 ちょっと教えて Q&A」という欄で、「今の子どもたちは、自律神経が心配ということですが、どうすれば自律神経は発達するんですか?」という質問に対し、「正直この質問に対する回答は、持ち合わせていません」と答えているところ。 つまり生活の中で自律神経の発達を阻害する原因を絞りきることが難しく、それは運動不足、テレビやゲーム、さらには食べ物、化学物質と原因を特定することが困難ということ。社会は絡み合った問題が多くなっているし、わからないことはまだまだある。自分のからだへの変化にも気づく感覚と意識が重要になりそうだ。(M)
2007年6月20日刊
(三橋 智広)
出版元:かもがわ出版
(掲載日:2012-10-12)
タグ:子ども
カテゴリ 身体
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アクティブIDストレッチング Active Individual Muscle Stretching
鈴木 重行 平野 幸伸 鈴木 敏和
アクティブIDストレッチング Active Individual Muscle Stretching鈴木 重行 平野 幸伸 鈴木 敏和 今回の特集でも紹介された鈴木重行氏の著書。本書のタイトル『アクティブIDストレッチング』とは、ベッドサイド、自宅あるいはスポーツ現場で行う個々の筋(individual muscle)のストレッチング法を紹介しているため、このように名づけられた。基本事項は「IDストレッチング第2版・(三輪書店)」に網羅されているが、ここでは自ら実践できるよう、その中でもとくに重要な点を再度掲載、新たな知見や考え方についてまとめている。
内容は第1章「アクティブIDストレッチングの概論」、第2章「アクティブIDストレッチングの実際」の2本立て。第1章では特集でふれた器質的変化と機能的変化の考え方や、筋緊張と痛みなどについてもまとめられている。第2章ではストレッチする上肢・下肢の部位80箇所に分けて紹介。筋の起始、停止、神経支配、血管支配、筋連結とそれぞれ詳細にまとめ、ストレッチする際の開始肢位、ストレッチ位、指導ポイントをカラー写真で説明。本書を通して「痛み」というからだの問いに対し、より具現化したアプローチができるだろう。ぜひ参考にしていただきたい。
2007年4月30日刊
(三橋 智広)
出版元:三輪書店
(掲載日:2012-10-12)
タグ:ストレッチング
カテゴリ 身体
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武道vs.物理学
保江 邦夫
科学的かそうでないか
自然科学の範疇で科学的なこととそうでないことを、どう区別するのかと問われれば、科学的凡人であり俗物である私は残念ながらその明確な答えを持たない。次から次へと出版される「科学的専門書」やテレビを始めとするメディアやネット上に氾濫する「科学的」と主張する情報を見れば見るほど混乱するばかりである。惑星物理学者の松井孝典氏は南伸坊氏との対談集「科学って何だ!」(ちくまプリマー新書)で、「科学は「わかる、わからない」、世間は「信じる、信じない」あるいは「納得する、納得しない」」と表現している。これはわかりやすい。私は、「わかる」ことと「納得する」ことでは後者の割合が明らかに高い。
武術を題材に物理の勉強
さて「武道vs.物理学」。「生まれつきの運動音痴で軟弱な上に中年癌患者になった」と自虐的に自分を繰り返し表現する著者は数理物理学者で大学教授。数々の複数領域にわたる著作を持つ。学術的立場にいるこの著者は理論武術家としての顔も持ち「武道の究極奥義」を「特別な努力もせず」に手にしている。そして軽妙というより、どこまで本気なのかわかりかねる遊び心満載の文章で、三船久蔵十段の「空気投げ」と呼ばれる隅落としやマウントポジションの返し方を生体力学や生物物理学を駆使して解説している。武術の技の断片のみを切り出して解説している印象がぬぐえないが、前半は武術を題材に基本的な物理の勉強ができる。学生時代から物理学を基礎レベルから理解する頭を持たなかった私は、学生時代にこういう勉強をすれば多少は物理学的思考を鍛えられていたかもしれない。
「究極奥義」
終盤に「究極奥義」のさらなる深みが顔を出す。なんと離れたところから、人を無力化してしまうのだ。本文中に説明されているある境地に至ることで、「敵の神経システムの機能を停止させ筋肉組織に力が入らなくさせる」可能性を示唆しているのだ。頭の悪い人間が懐疑的になると時として滑稽であり、見苦しいものであることは承知しているが、私はまさにその部類であることも自覚している。そんな私にとっては青天の霹靂であり、「納得できない」展開である。しかし著者はれっきとした物理学者であり、○○理論を銘打って己が唯一「科学的」であるような物言いをする輩とは違う。
懐疑的である一方で、世の中何でも起こり得るというお気楽主義も併せ持つひねくれ者としては、「そんなことないやろー」と思いつつ、ぜひ一度投げ飛ばされたいという欲求も禁じ得ない。科学的であることと、そうでないこと、さてどこに線を引けるのか。
それにしてもラグビー強豪国相手に日本人が圧倒できるような「究極奥義」があればねぇ。
(山根 太治)
出版元:講談社
(掲載日:2008-03-10)
タグ:物理学 武道
カテゴリ 身体
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身体知の構造 構造分析論講義
金子 明友
「わざ」の伝承という難題
スポーツの技を伝えて行くにはどうしたらよいのだろう?「不世出の名選手を次つぎに育てていくコーチ、世界の王座に君臨し続ける選手を生み出す名監督は現実に存在」しているのだが「その固有な評価判断の深層構造」はなかなか語られることはない。「それは先言語的な動感意識の深層にあって言明しにくい」のかも知れないが、一般に「それらは『長年の経験によるのだ』とか『秘伝だ』といわれて、その人固有な能力に帰せられ」、一代限りで終わってしまう場合が多い。
今回紹介する「身体知の構造」は、身体文化における「わざ」の伝承という難題について体系化を試みたもので、恐ろしいほどの忍耐力で書き上げられた一連の書物の最新作だ。「わざの伝承」(2002)に始まり、「身体知の形成 上・下」(2005)に続く4冊目である。
最近私が“身体感”とか“身体知”などといったテツガクの匂いがする分野にめっぽう弱いことを知っている某氏の勧めで手にした。白状してしまうと、これがまた頭にガッツンとくるほど難しい。悔しまぎれに残りの3冊も読んでみたら、ようやく、解るかも知れないこともない…くらいの気持ちにはなることができた。悪口ではない。それほど壮大な内容が厳密な言葉をもって記されているということだ。
現象学的な立場から
この「わざの伝承」という難題を解くにあたり、本書の中では「精密性を本質とする自然科学的立場から身体運動を客観的に分析する」という態度はとられない。ビデオで撮影され映像として客観視された、いわば客体化された身体ではなく「私が動くという自我運動として、現象学的形態学の厳密性に基づいて」身体運動の伝え方を分析しようとしている。
科学の尺度では測れない微細な感覚やコツ、あるいはただの主観として片付けられてしまいがちな事象について、かたくななまでに科学とは別の次元、つまり現象学的な立場から(あらゆる先入見を排除して、とはいえ自分がある特有の立場でしか観察できないことを認識したうえで)の分析を試みているのである。
今さらだが、科学は万能ではない。ある事象を科学的に説明しようとするとき、厳密な実験条件を設定する必要がある。雑音を取り払い、問題点を明確にあぶり出すことで客観的に測定したデータが取り出されるのだが、同時に、ある限られた条件でしかそのことが成り立たないという不便さを背負うことになる。
しかも、そのデータのどの部分に着目して、どう解釈し、どのように考察を進めるかという段階で主観が入り込む可能性があるうえ、科学的理論が広く知れ渡るようになると、尾ヒレが付いたり逆にデフォルメされたりして本来伝えるべき内容とは異なった理論(解釈)が一人歩きしてしまう現象がしばしば生じる。正しい科学的な態度とは、定説をつねに疑うこと、というか、何か一つだけのことを正しいと信じ込むのではなく、いつもニュートラルな態度で物事を見つめようとすることだと思う。科学的な見方が正しい場合もあるが、それが全てではないし振り回されてはいけない。たとえば時計にしたって、瀬古利彦氏は『マラソンの真髄』で、「時計はみんなのタイムを公平に計る機械であって、自分の体調を測るものではない」と述べているが、このような状況が当たり前のように起こる。そこには現象学的なものの見方というのがやはり必要になる。
あくまで“私”
本書が科学的立場をとらないもう一つの理由として、こちらが本義だと思うが、フランスの哲学者 メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908~1961)による心身一元的な身体感の影響があるようだ。昔の教科書を引っ張り出してみた。「メルロー=ポンティは、身体のあり方は、芸術作品に似ていて、そこでは、表現する働きと、それによって表現されるものとが区別されないと云っている。つまり、意識としてのわたしが、身体のうちにいるのではなくて、意識の本性が志向性であるなら、身体こそが意識の根源的なあり方であり、しかもこの意識は『われ思う』ではなくて『われなし能う』ということになってくる」(阿部忍著、体育哲学、逍遙書院、1979)。映像として観察されたものは「物の運動」として捉えられており、精神と一体化した“私”の運動ではなくなってしまう。どんな身体運動も実際に行うのは、あくまで“私”であって、その“私”が“今まさに”行っている運動の感じを自得、伝承しようとする行為を記そうとしているのだ。
齢80になろうとする著者が、今まさに現役の学徒としてこの大作に挑んでおられる姿が思い浮かぶ。私感だけれど、ビデオ画像や動作解析データにも“今まさに私が動いている感じ”を身体に投影できるコーチや科学者も最近はいるのではないかと思う。皆さんの目で確かめて下さい。
(板井 美浩)
出版元:明和出版
(掲載日:2008-02-10)
タグ:身体知 コツ 現象学
カテゴリ 身体
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運動・認知機能改善へのアプローチ 子どもと高齢者の健康・体力・脳科学
藤原 勝夫
それって本当?
科学的態度とは、常に疑問を持つということだと思う。定説となっている理論でさえ、むやみに信じてしまうことなくニュートラルな立場で情報と向き合う態度が、私たちスポーツ科学の発展を願う者には必要だ。
たとえば、子どもの体力低下が叫ばれて久しい。このことについて証明するデータは枚挙にいとまがないし、直感(あるいは刷り込み?)的には素直に同感してしまうのだが。体力とは環境への適応結果として現れたものが測定されるのだから、昔のような体力が今の社会には必要なくなったための必然的結果である、とも考えられないだろうか。なのに、子どもの体力が劣った劣ったと叫ばれているところに違和感を感じる。
はたまた授業の場において、現在の体力について感想を学生たちに書かせると “平均より強くてよかったです”、“落ちてて悲しかった”、“やっぱ体力は必要です”、“歳をとっても動けるよう部活ガンバリマス”などなど、判を押したように“体力あることはよいこと”のオンパレードとなることに違和感を覚える。
違和感ついでにもう1つ。“健全なる肉体に健全なる精神が宿る”という表現がいろいろな場でなされますね。この言葉に違和感を覚える人は少なくないと思うのだがいかがだろう。病んだ人には健全な精神が宿らないの? と、突っかかりたくなってしまう。まあ、これ自体じつは誤用で、本来は“健全なる肉体に健全なる精神が宿るように祈りなさい”というのだそうで、こちらの表現ならまだわかる気がするけれど。
目的? 手段?
さて、上記3例に共通して感じる私の違和感とは“体力がないのは悪いことなの?”という点だ。なぜなら、運動できない子は“ダメな子”なの? という連想を禁じ得ないからだ。極論すれば、病気があったり何かの理由で運動ができない人たちの存在を否定することになりかねないという危惧さえ感じるのだ。
体力があることは、確かに日常生活の場において便利だと思う。しかしその測定値が平均から外れていることに一喜一憂し、本来、人それぞれの多様なQOL(Quality of Life、生活の質)を高めるための手段であるはずの体力や運動が目的化し、体力の“大小”を人の能力の“優劣”として短絡的に捉えてしまうことがないようにしたいものである。老いも若きもトップアスリートも、人それぞれに応じた“幸せな体力”のようなものがあると思うのだ。
やはり運動はよい
本書は、これらのヒネクレた疑問に対して、解決するためのヒントを多大にもたらしてくれる。「ウォーキングやジョギングなどのリズミカルな運動は、筋はもとより脳の働きを活性化」し、「片足立ち」や「旗あげ」遊びなどの比較的緩やかな運動でも「前頭前野」の働きが活発になるそうで、「発育期に身体運動を行うことによって、大脳皮質のネットワークが強化され」「前頭前野」の機能が維持されると考えられるようだ。
前頭前野とは、いわゆる“良識”を司る脳の部位だそうだから、子どものときに運動を“実体験”するのはよいことなんだな。それも、緩やかな運動でも活性化するのだとすると、運動が苦手だったり、身体が弱かったりする子どもでも大丈夫そうだな。「コンピュータゲームに慣れてくると、前頭前野の活動は、ゲーム中に低下」するので好ましくないらしい。だけど、ゲームをしている時の子どもの集中力ってのもスゴいんだよなあ。α波がいっぱい出るみたいだし、別の解釈が成り立たないもんかなあ。
子どもの「体力低下の直接的要因は、身体活動量の減少であるが、間接的要因には就寝時刻・起床時刻の遅延化、睡眠時間の短縮化、朝食欠食などの生活習慣があげられる.それらが影響して低体温、自律神経失調、貧血などが惹起され、体調不良の子どもが激増している」のだという。
なるほどなるほど。測定された体力には環境に適応した結果が表れるのだとすると、体力測定値が下がるということは、裏側に好ましくない生活習慣があるということなのか。
などと考えながら読み進めるうちに、実はこれらのほとんどのことは私の“身体”がすでに知っていることに気がついた。さらに、本書の著者たちが考える手がかりとして自分の身体を見つめ、身体のイマジネーションによって研究を重ねてこられたのであろうことに気づかされた。やはり運動ってスゴい!
(板井 美浩)
出版元:市村出版
(掲載日:2012-10-12)
タグ:体力 身体 認知
カテゴリ 身体
CiNii Booksで検索:運動・認知機能改善へのアプローチ 子どもと高齢者の健康・体力・脳科学
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骨盤力 アスリートボディの取扱い説明書
手塚 一志
臍下丹田という言葉はトレーニング専門家の中でも馴染みがあるだろう。私も「肥田式強健術」についての書物の中で出会った。もう20年ほど前の話だ。創始者である肥田春充氏の、にわかには信じがたい超人伝説に鼻白み、深く追求する気にはなれなかったことを覚えている。しかし氏の唱える「腰腹同量正中心の鍛錬」には、身体の中心を意識し、全身をつなげるトレーニングのヒントが隠されていた。科学的な方法かといわれれば答えに窮するが、それ以降トレーニングの際には腹のあり方を意識するようになった。これは自分のトレーニングのみならず、トレーナーとして指導を行うときにも根幹にあり、工夫を重ねた要素である。
そもそも腹を練るということは武術の世界のみならず、日本人の所作の中に古くから存在していたのだろう。体幹トレーニング、コアトレーニング、スタビライゼーションなどアプローチ法は変わっても、同じところを求めているようにも思える。
さて、本書は野球界で有名な手塚一志氏の著書である。アスリート技能調整技師(パフォーマンスコーディネーター)という肩書きを持つそうだ。著者はアスリートの身体を操作するレバーは骨盤の弓状線だということを説いている。それにしても、「W-スピン」「フローティング・アクシス・スピニング」「クオ・メソッド」など独創的な言葉が飛び交い、面食らってしまった。著者は創造力とユーモアのセンスにあふれているようだ。
ただ気をつけなければならないのは、本書で述べられる解剖学や運動生理学的表現をそのまま理解しないこと。専門的な基礎をつくるためには、他書が必要だ。本書は、あくまでも身体を動かすイメージを、アスリートが理解しやすくするために解剖学的、生理学的表現で伝えていると考えたほうがいい。
うまくいっているアスリートは著者の理論に当てはまり、そうでない者はそこから外れていると捉えられる用例が多い。動作解析やボールの流体解析など共同研究者との科学的研究も行われているようだが、これが万人に共通するとの強引な断定はその結果から飛躍している。読者としては賛否両論がはっきり分かれるだろう。ただ、プロ野球選手から少年野球選手、そして他競技と、数多くのアスリートを指導する中で培われた指導法をアスリートがイメージしやすいように体系化し、指導実績を挙げていることは素晴らしいことである。アスリートが高いコンディションをケガのない状態で獲得し、自らの持てる力を最大限発揮することがコーチやトレーナーの役割なのだから、多くのアスリートがその恩恵を受けているのであれば言うことはないのだ。
それにしても、少し前はうねらない、ためない、ひねらない動きの古武術身体操法がもてはやされ、またこちらではためてうねる動きを説いている。幼いアスリートたちは氾濫する情報に混乱するかもしれない。
あえてアドバイスを送るなら、1つの理論を盲信せず、さまざまな理論から「いいとこ取り」をするくらいのつもりで学ぶこと。多様な考え方を仕入れた後に最も大切なことは、自分自身と向き合い、自分で感じ、考え、追求する姿勢だ。たとえば巷で騒がれているジャイロボールを投げることが名投手の条件ではないように、骨盤の使い方は重要な要素ではあるけれど、全てではない。ほかにもやるべきことはたくさんあるのだ。本書で著者も述べている。「選ぶのは君である」。
(山根 太治)
出版元:ベースボール・マガジン社
(掲載日:2009-03-10)
タグ:骨盤
カテゴリ 身体
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寡黙なる巨人
多田 富雄
著者は、世界的に知られた免疫学者。『免疫の意味論』『生命の意味論』などのご自身の専門の著書のほか、新作能の作品も多い。
その著者が2001年5月2日倒れた。その前に乾杯のとき、「ワイングラスがやけに重く感じられた」。「重くてテーブルに貼りついているようだ。なんだかおかしい。それが後で思えば、予兆だったのだ」。
脳梗塞で右半身不随になり、しかも嚥下障害と言語障害を伴った。動けない、話せない、食べたり飲んだりできない。何かしてくれた人に「ありがとう」とも言えない。
この本の最初の章、書名と同じ「寡黙なる巨人」はその闘病録である。著者はもちろん医師でもある。奥様も内科医。自分のからだについて、リハビリテーションの内容について、詳細に、時に厳しく記していく。その文章も入院してから教わったワープロで1字1字打って書いたものである。その闘病生活、リハビリテーションのなかで、著者の内部に「巨人」と呼ぶべきものが生まれてくる。
理学療法、作業療法、言語療法についても著者の経験から、鋭い意見が述べられる。医療とその制度についても真摯な意見が述べられる。誰しも他人事ではない。ぜひ、ご一読いただきたい。
2007年7月31日刊
(清家 輝文)
出版元:集英社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:闘病 リハビリテーション
カテゴリ 身体
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仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか
山本 ケイイチ
フィットネスクラブでは、「パーソナルトレーナー」とともにトレーニングに取り組んでいる人が目立ってきた。いわば「個人レッスン」である。この本の著者もそのパーソナルトレーナーで、クライアントにはビジネス畑の人、しかも成功している人が多い。そういうクライアントを間近にみてきた経験が書名につながっている。読んでみると、新たに知ったというより、「やっぱりそうなのか」という思いのほうが強い。優秀なビジネスパーソンが、トレーニングでも成功を収めることができるのは、「トレーニングの目的を明確にする」→「有効で現実的な目標を、期限と数値で設定する」→「目標達成のためになすべきことを具体的な行動に落とし込む」→「行動を継続するための仕組みをつくる」→「実行する」。これができているからだという。
また、筋トレの効果は精神面にももたらされ、自分にポジティブになれる、気持ちの切り替えが上手になる、アイデアがどんどん浮かぶ、直観力・集中力が高まる、危機を察知する感覚が鋭くなるなどを挙げている。そうだろうと思うが、多数のビジネスパーソンを指導してきた人から言われると妙に納得がいく。やっぱり筋トレを継続するか。
2008年5月30日刊
(清家 輝文)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2012-10-13)
タグ:トレーニング
カテゴリ 身体
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奇跡の脳
ジル・ボルト・テイラー 竹内 薫
アメリカで50万部の大ベストセラーとなった話題作。NHK BSハイビジョンで、2009年3月24日と4月2日、ハイビジョン特集「復活した“脳の力”~テイラー博士からのメッセージ」という番組も放映され話題となった。本書を一言で紹介するとしたら「脳卒中からの復活記」である。ただし、脳卒中から復活した著者のジル・ボルト・テイラーさんは脳解剖学者(神経解剖学者)だったという点が、より読者の興味をそそる。
脳の専門家が脳卒中になったら、どう感じ、どう復活していくのか、脳卒中の回復には何が必要なのかが、専門家として培った脳に対する知識と脳卒中患者当事者の両視点から書かれている。本書はおおまかに、脳卒中になる前の人生、そして脳卒中になったときの状況、脳卒中からいかに回復して神経解剖学者として復活したか、そして脳卒中が脳について教えてくれたことの4つの話の内容に分けられる。「脳卒中の体験から多くのものを学んだせいか、なんだかこの旅が幸運だったと感じるようになりました」(P.214)とあるように、全編決して悲観的な内容ではなく、自分や身内が脳卒中になっても本書を読んでいれば、脳の再生へ向けて希望を持つことができるように思えてくる。すべての人たちに読んでほしい1冊。
2009年2月25日刊
(田口 久美子)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:脳 脳卒中
カテゴリ 身体
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サッカープレー革命2
河端 隆志 中村 泰介 小田 伸午 常足研究会
二軸感覚というキーワードですべてが語られている技術解説書の第3弾である。
トラップやキック、ヘディングなどサッカー特有のものもあるが、切り返し、フェイントなどは競技を問わずさまざまな場面で活用することができる。
トッププレーヤーの動きも解説されているが、彼らは二軸感覚という言葉は知らないはずだ。ではなぜこの動きになっているのか。その辺りにもう少し根本的なことが隠されているのかもしれない。
(澤野 博)
出版元:カンゼン
(掲載日:2012-10-13)
タグ:サッカー
カテゴリ 身体
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サッカープレー革命2
河端 隆志 中村 泰介 小田 伸午 常足研究会
プレー革命シリーズ第3弾となる本書は、『サッカープレー革命』『サッカートレーニング革命』に続くもので、サッカーにおける各種の動作について、動きづくりの観点から提案をしている。動きの解説には、分解写真とDVDによる映像が用いられている。
プロローグおよびパート1~6で構成され、最初に「二軸感覚」の走りについて説明し、ロナウド、メッシほか世界の一流選手の動きのポイントを簡潔に列挙している。パート1からは走り方について、紙コップを2列に並べてつぶしながら走る、などの具体的なトレーニング方法がある。ここでのポイントは「二軸」と「フルフラット」(足裏全体で着地すること)である。これを基本としてキック、フェイント、ヘディング、トラップなどについて解説している。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:カンゼン
(掲載日:2009-05-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 身体
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先を読む頭脳
羽生 善治 伊藤 毅志 松原 仁
羽生名人と2人の科学者による「先を読む」ことを解明しようという本。羽生氏に行ったインタビューを文章にし、それに対して人工知能的立場の松原氏と認知科学的立場の伊藤氏が解説していくという構成である。
「人間のような知的な振る舞いを機械に代行させたい」というのが人工知能に対する人類の夢で、認知科学は「人間の様々な知的活動のメカニズムを解明しようとする分野」とのこと。この両者の専門家が「先を読む」という視点で、「ハブにらみ」の棋士の協力を得て、本書が成立した。
さて、将棋を科学的にみるとどうなるか。「二人完全情報確定ゼロ和ゲーム」である。詳しくは本書のP.9を参照していただきたいが、お互いに相手の手が明かされているし、サイコロを振るといった不確定な要素がなく、勝敗が明確という意味になる。
それにしても、羽生さんのすごさ、そして将棋の特殊性。それは取った相手の駒を使えるということで、チェスが収束していくのに対し、「将棋は終盤に向かって発散する」。
スポーツにも科学にも関係する本なのである。
2009年4月1日刊
(清家 輝文)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:脳科学
カテゴリ 身体
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運動も勉強もできる脳を育てる「運脳神経」のつくり方
深代 千之
帯に「運動ができる子どもは勉強もできる」「文武両道」とあるように、著者の深代氏は運動ができることと勉強ができることは深く関連しているという。そのうえで著者は、運動を基本動作から鍛えようと提唱する。走り方、跳び方、投げ方などについて、スポーツバイオメカニクスなどの研究から得られた知識を話題として織り交ぜながら解説している。
そして、スポーツ万能になるために大切な「動きの素」は、体幹によるとして、反動動作、反射、捻り、ムチ動作をどのように感じ、利用するかについても解説している。
イラストを用いた「運脳神経」を鍛えるための身体を楽しく動かすワークや、身体のことをより深く知るための問題も掲載されている。簡単な言葉を用いているものの、実際には専門的な内容が多いと感じる。しかし、理解できないというのではなく、わかりやすく伝えるための工夫が感じられる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ラウンドフラット
(掲載日:2009-07-10)
タグ:脳 発育発達
カテゴリ 身体
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運動も勉強もできる脳を育てる「運脳神経」のつくり方
深代 千之
「運脳神経」ってなに? そんな疑問をもつ読者も多いのではないだろうか。
まず、この運脳神経というのは、もちろん造語。著者は運動神経という言葉が意味する誤解や誤った考えを避けたいということから「運脳神経」と言う。この「運脳神経」とはなにか、その運脳神経を鍛えるためのワークがこの一冊にまとめられている。
第1章では「運動が好きな子は勉強も得意! 東大合格を目指すなら運動から」というタイトルがつけられ、子どもをもつ親は思わず手にとってみたくなる。ちなみに東大大学院教授の著者は「東大入試に体育を導入しよう」と本書で主張する。
勉強も運動も「頭」つまり「脳でする」ものであるから、脳を鍛えれば勉強も運動もできるようになる。そのためには、運動だけでも勉強だけでも運脳神経は育たないので、運動も勉強もできる脳を育てよう! ということである。スポーツ科学界の第一人者が語る、文武両道の子どもを育てるためのノウハウ。豊富なイラストとわかりやすい文章で書かれている。運動と学習能力は切り離せないという大事なことを教える一冊。
2009年5月25日刊
(田口 久美子)
出版元:ラウンドフラット
(掲載日:2012-10-13)
タグ:脳 発育発達
カテゴリ 身体
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からだのメソッド
矢田部 英正
元体操選手で、椅子やカトラリーも製作、からだと動き、からだと道具の関係について詳しい。茶道も嗜み、服飾にも通じる。大学で立ち方や歩き方など、立居振舞いの授業も担当している著者。その幅広い活動から、「からだのメソッド」というわかりやすい本が生まれた。
全体は、立ち方の基礎、歩き方の基礎、坐り方の基礎、食作法の基礎、呼吸法の基礎と基礎編が5つ続き、大学での実習レポート、そして最後に身体と運動の論理でまとめられている。
本書を読み終えての一番の感想は、「優れて実践的」ということである。「姿勢をよくする」と言われると、多くの人はできればそうしたいと思う。では、どうすればよいか。たとえば、背骨の上に頭を乗せようとする。それだけで姿勢は変わる。
「成るはよし、為そうとするは悪し」。著者は、日本の禅での表現を紹介しているが、そのあと「からだの扱い」について、「意識して姿勢を整えようとするのではなく、「おのずから整う」心持ちが大事だということです」と記している。 以上は、本書で述べられている「メソッド」のほんの一端でしかない。やさしく書かれているが、その実践と追求のため、長く愛読書になると思う。
2009年5月26日刊
(清家 輝文)
出版元:バジリコ
(掲載日:2012-10-13)
タグ:立ち方 歩き方 呼吸
カテゴリ 身体
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現役力
工藤 公康
引退に至るまで何を考えたか
引き際をどう飾るか。生きていく上で誰もが直面することだ。幸運にも自分の意志で進退を決められることもあれば、否応なくたたきつけられる残酷な現実を受け止めなくてはならないこともある。スポーツの世界でも、まわりの誰もが惜しむタイミングで華やかな引退劇を演出する選手もいれば、最盛期から見れば隠せない衰えに正面から向き合い、現役にこだわり、燃え尽きてひっそりと引退する選手もいる。最も多いのは、無残に切り捨てられていく選手だろう。何がいいとか、悪いとか、誰がどう思うのかということは関係がない。自分がその結果をどう考え、受け止めるのか、いや、これも最も重要な問題とはいえない。やはりそこに至るまでに自分が何を考え、どう取り組んできたのか、それが問題だ。
何をまだ求めての現役か
本書は、2009年で実働28年目というプロ野球記録を更新している横浜ベイスターズ投手、工藤公康氏によるものである。考えてみれば、現時点で人生の6割以上の年月にわたってプロ野球選手を続けている。身体は決して大きくはないが、プロ野球界の怪物のひとりだ。これほど長い期間にわたってプロとしてのモチベーションを維持していることは驚きだ。現在まで在籍した4球団中、3球団でリーグ優勝と日本一を経験しているのだから、球界頂点の極みも十分に味わっているはずだ。何をまだ求めているのだろう。
金でも名声でもなく、己の矜持を持ち得る世界で勝負を続けることが、ただ楽しいのかとテレビのインタビューなどを見ていると、そう思える。偉大な選手に失礼ながら、その童顔と遊び心に、野球少年というか野球大好きな悪ガキがそのまま大きくなったような印象を受ける。ただうまくなりたいという純真な子どもの心が、クリクリした瞳にまだ光っている。もちろんそれだけではここまで一線級でできるはずもない。それを現実のものにするための努力と才能という裏づけがあってのことだ。本当に信頼できる人々(だけ?)の話に耳を傾け、何を学び、いかに考え、どう取り組んできたのか、周りへの感謝の気持ちとともに本書に表さ記されている。
強烈なメッセージ
なかでも若手選手への強烈なメッセージが印象に残る。若いウチには想像もできないことが、年齢を重ねて気づいたときには取り返しがつかなくなって後悔することになる、その怖さをよく知っているのだろう。成功体験を潔く過去のものとして次のステップに進む勇気を持ち続けてきたベテランならではの叱咤激励だ。
「自分を変えるために気づくこと」、そして「自分で考え」「答えを自分で見つけ出すこと」の重要性を説き、そんなことすらわからずに志半ばで去っていく後輩たちに沈痛な思いを持っている。同時にそれを誰かのせいにして自分に同情するようであれば「自分でつぶれただけ」だとプロらしく切り捨てている。
己の哲学を持ち、またそれに必要以上にとらわれず、自らを変化させていく。それが厳しくも楽しく取り組める状況に身を置いている人は幸せなのだろう。そして「自惚れず、でも、へこたれず」本当に充実して生きていれば、その先にある結末だけにとらわれる必要はない、とそう思う。
(山根 太治)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2009-07-10)
タグ:野球 プロ野球
カテゴリ 身体
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ブラッド・ウォーカー ストレッチングと筋の解剖
栗山 節郎 川島 敏生
「ブラッド・ウォーカー」は原書(2007)の著者のこと。表紙に収録図の一部が掲載されているが、見てのとおり、ストレッチングの図に筋が丹念に描かれている。そして、各ストレッチング図には、方法、ストレッチされている筋、効果的なスポーツ、効果的なスポーツ傷害、よくある問題と正しいストレッチングの注意点、追加するとよいストレッチの6項目が記されている。
著者は冒頭こう述べる。
「本書は運動選手とフィットネスの専門家のための図解的な参考書となることを意図しており、ストレッチングの基本と柔軟性の解剖学および生理学についての理論的情報と、114種類の個別のストレッチング運動の実践的なやり方をバランスよく読者に示すものである」
今回このコーナーで紹介している『リハビリテーションのための解剖学』もそうだが、近年、イラストレーションのレベルが画像分析の進歩とともに随分高くなってきたと思われる。「動き」や「動作」「機能」についての関心が高まるにつれ、ビジュアル情報への要求も高まってきた。本書はストレッチングを通じて、筋の解剖を学ぶうえで大いに参考になる。
(清家 輝文)
出版元:南江堂
(掲載日:2012-10-13)
タグ:ストレッチング
カテゴリ 身体
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舞踊・武術・スポーツする身体を考える
中村 多仁子 三井 悦子
身体体験や感覚を言説化・言語化することの難しさは、スポーツに携わる者でなくとも日常生活の中でしばしば感じることである。病院で医師に症状を説明するとき、ブティックで服を試着したときetc…。だからこそ、擬音やボディーランゲージを多用した長嶋茂雄のバッティング指導などがユニークに紹介されたりもするのだろう。
本書はスポーツや舞踊、武術を主な素材に、それぞれのフィールドの専門家がそうした身体感覚の言語化を試み、語り合った14時間に及ぶディスカッションの様子を記録した一冊である。
とくに、女子体操で2度のオリンピックに出場、メダルも獲得しているだけでなく現在は地唄舞の名手としても名高い中村多仁子氏の数々のエピソードやそれに基づく発言は非常に興味深い。金メダリストのベラ・チャスラフスカも評価した、日本的で抽象化された動きの分節や表現、そのチャスラフスカなどとは対極にある「体操の技をする体型」につくり上げられたコルブトら東欧の選手の身体への違和感、そして地唄舞における所作や動作感覚といったものから世阿弥の『風姿花伝』の解釈に至るまで、難しい表現を用いることなく丁寧に解説、言語化してくれている。
素人に毛が生えた程度とは言え、舞踊やスポーツを学んだことのある身としてもそうした作業の難しさをしばしば感じていただけに大いに納得させられる表現が多かった。
また、冒頭から語られ、ディスカッションを通じてのキーワード、キータームともなっている「主体的に○○される」という一見矛盾しているかのような言葉も、スポーツや舞踊のみならず、時には生活全般においても当てはめることができる事象の捉え方として深く印象に残るものである。
いずれにせよ、スポーツ科学、とくにストレングス&コンディショニングやフィットネスと呼ばれる世界に身を置くわれわれ指導者にとって、数字や映像といったデータが重要な事は言うまでもないことだが、こうした「言語」もまた避けて通れない領域なのだと改めて考えさせられる一冊である。
(伊藤 謙治)
出版元:叢文社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:舞踊 武術 身体
カテゴリ 身体
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賢い皮膚 思考する最大の“臓器”
傳田 光洋
皮膚は外界と接しており、内外を区切る役割を持つ。細菌やウイルス、乾燥などから身を守り、熱など危険なものを察知して致命的な事故を防ぐ役割を持っている。サブタイトルにあるように最大の臓器でもあると考えられるのだそうだ。著者は皮膚の研究を続けていく中で考察を深めていくが、それをもとに皮膚の構造や機能について広い視野から最新の研究成果をまとめている。
興味深いのは、表皮にポリモーダル痛み受容器があるという発見である。神経伝達物質の存在やその受容器の存在についても明らかになっており、皮膚が情報処理をしている可能性について示唆している。本書ではさらに一歩踏み込んで東洋医学的なアプローチの有効性についても仮説を示している。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:筑摩書房
(掲載日:2010-03-10)
タグ:皮膚
カテゴリ 身体
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子どものときの運動が一生の身体をつくる
宮下 充正
毎日運動する子どもとほとんど運動しない子に二極化しているという指摘は以前からなされているが、笹川スポーツ財団による調査(「青少年のスポーツライフ・データ2010」など)でも、その傾向はさらに強まっているという。
そういう時代に出たのがこの本。書名でうなずく人も多いのではないか。冒頭、序で著者はまず「“力強さ”、“ねばり強さ”のような身体活動能力は、遺伝と日常的な運動実践や1日中の身体活動量といった環境との2つの要因によって影響を受けるが、人生の初期に見られる身体的特徴が、成人してからの身体活動能力を左右することは否定できない」という報告(誕生後1年間の身体の状態と、成人した31歳の体力を比較したもの)を掲げる。科学的論文なので慎重な表現になっているが、要はこの本の書名が言わんとすることと同じである。それを著者は、たくましさ、巧みさ、ねばり強さ、力強さなどの項目で語り、さらにトレーニングや運動指導の実際にも触れ、生涯スポーツや親の運動習慣についても述べていく。つまりは、子どものときから元気に活動し、その習慣を生涯持ち続けなさいということになる。「体力あっての学力」という指摘も当然のようで忘れられがちの点。まずは体力である。
(清家 輝文)
出版元:明和出版
(掲載日:2012-10-13)
タグ:運動 体力
カテゴリ 身体
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秘する肉体 大野一雄の世界
大野 慶人
洋の東西を問わず、バレエや日舞などクラシカルなものから枝分かれして沢山のモダンなジャンルを生み出してきた舞を「舞踊」とするならば、「舞踏」の世界は何がクラシカルで何がモダンなのか、そもそも進化や変化という時系列ありきの概念が当てはまるのだろうかという疑問すら湧き上がるジャンルである。が、そうした命題をも抱えこみながら、日常に対する非日常(ハレ)を象徴する表現手段としてこちらもまた現代に生き残り続けている。
今年で104歳(!)を迎える大野一雄は、その舞踏の分野において文字通り日本が世界に誇る表現者の一人である。その名は知らずとも、女性ものの衣装を身にまとい、白塗りの姿で鬼気迫る舞を見せる熟年男性の写真などを目にしたことがある人も少なからずいるのではなかろうか。
私はジャズダンスを学んでいたが、映像を通じて初めて目にしたその印象は、「いくらエキセントリックな外見をしていようとも…これは、高度な技術や表現意志を併せ持つ完成された『舞』にほかならないな」というものであった。対極に位置するとも言える西洋舞踊を、それも学びたての若造が今思えば格好つけたコメントもいいところだが、受けた印象は少なくとも的を外れてはいなかった、とこの写真集を見た今、改めて認識している。
舞踊の技術に「アイソレーション」や「軸」というものがあり、前者は、ジャズダンスなどでよく用いられる身体の各パーツを分離して動かすテクニック、後者は読んで字の如し、身体重心としての軸をとらえる技術として知られている。大野一雄の舞は、一目見ただけでそれらがはっきりと見て取れるのだ。そして、それら技術という土台の上に、あるいは逆に技術を支える土台として、写真集からも見られるほとばしるような表現への意志、空間をつかみ、切り取るかのような指先や視線の力が美しく織り込まれているのである。
舞という字は本来、「見え『無』い神のために踊る」ということを表すために、無の下に足を表すつくりを付加したものとも言われる。何もない空間をつかみ取るかのような大野一雄の『舞』は、姿なきものへの祝祭、ハレの表現としてのそれを最もわかりやすく提示してくれているのかもしれない。それを垣間見ることのできる写真集である。
(伊藤 謙治)
出版元:クレオ
(掲載日:2012-10-13)
タグ:舞踏 写真集
カテゴリ 身体
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黒人リズム感の秘密
七類 誠一郎
その呼称が適切かどうかはさておき“黒人”と聞いて世の中の多くの人々が思い浮かべる彼らの長所は、優れた身体能力やリズム感、長い手足と美しいプロポーションなどなどであろう。もちろん実際には千差万別で、黒人でも運動の苦手な者もいれば日本で言うところのメタボリック体型の者もいるわけだが、黒人アスリートやミュージシャンの素晴らしいパフォーマンスを見るにつけ、やはりこうした最大公約数的なイメージは的を射ていると言える。
本書はその中でも、彼らの優れたリズム感を自らの専門分野であるダンスを通じて考察し、『インターロック』や『パルスリズム』という後天的に獲得可能なスキルとして理論化している。実際、とくに後半のスキル解説などはダンスをかじった者としてもうなづける部分が多く、さすがは現場でトップクラスとして活躍するダンサー兼コレオグラファー、と納得させられる。
が、だからと言うべきか、あえてと言うべきか、われわれスポーツ科学分野の人間としてはついつい求めたくなるエビデンスの報告は本書内にはない。数値化・視覚化されたおなじみのデータやグラフといったものは皆無といってもいい。このことは著者であるトニー・ティー(七類誠一郎氏、れっきとした日本人であり、運動生理学の修士号も持っている)自身も断っており、「データを揃えることの大切さも重々承知している。(中略)しかし、これはこれでよいと思っている。私はダンスの実践者だ」という一節が最終章で潔く語られている。
トレーニング指導というジャンルにおいて、同様に現場の「実践者」として活動させていただいている身としては、この潔い一言にこそ大いに共感させられた。研究報告と実践報告の違いをしっかりと踏まえたうえで、それでも「着眼点と発想は我ながら秀逸であると自負している」と、堂々と世に問うスタンスは昨今のトレーニング界でよく見られる、そうした自覚すらなくビジネス優先で喧伝されるメソッドやギアとは一線を画すものではないだろうか。
独特の語り口に好き嫌いは分かれるかもしれないが、ストレートなタイトルも相まって、本当に“潔い”一冊である。
(伊藤 謙治)
出版元:郁朋社
(掲載日:2012-10-14)
タグ:リズム感
カテゴリ 身体
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歴史をつくった人びとの健康法 生涯現役をつらぬく
宮本 義己
「いつまでも若さを保ち、健康的な生活を送りたい」という願いは、人間の持つ根源的な願望の1つであろう。私たちは、抗加齢、老化防止といった「アンチエイジング」に少なからず関心を持っている。そして、身のまわりに目を向けると、歴史的に培われてきた「伝統食(和食)」について、栄養面や生活習慣病の予防などに効果が確認されていることを知ることができる。このような、私たちの持つ思い(誘因)と、それに貢献できる環境(動因)が存在するにもかかわらず、現実にはうまくいかない側面が存在する。なぜなら、それぞれに事情や制約、情報過多による取捨選択の困難さなどが、複雑に入り組んでいるからであろう。
養生の格言に、「薬補は食補にしかず」、「衛生の道ありて長生の薬なし」という言葉がある。前者は、食に勝る薬はないということ、後者は、養生の道こそあれ、長生のための秘法など存在しないという意味に要約される。それでは、薬に頼らず、秘法なるものにも惑わされない養生の道とは、一体どのようなものなのだろうか。本書は、「養生の道」のありようを具体的に検証するために、生涯現役を貫いた各界各層の歴史上の人物たちの取り組みを検討し、健康や長生の真理に迫ろうとしている。
本書の構成は、「気分転換(趣味とレジャーでストレス解消)」「心気調和(気の温存で体力維持)」「節制(抑制の効いた生活で健康保持)」「一病息災(持病と共存して長生を得る)」「求道(探究心と情熱で老化防止)」「保健衛生(専門的養生知識を活かす)」という観点から、歴史上の人物38人の養生心得の実際を紹介している。そして、これらの観点から検討していくなかで、最終的には「健康の条件」という同じゴールに向かっていることを指摘している。それは、「バランスのよい食膳に加え、慰めの励行によるストレス解消や調気(呼吸)による気力の温存、さらには塩断や毒断による体調の維持にあった」ということである。さらに、現代の言葉に言い換えるなら、「活性酸素を除去し、ナトリウムを排泄して血液の循環を円滑にし、カロリー制限を行ってコンディションを整える」ということになり、現代の生活習慣病の予防対策と比べても遜色ないことを指摘しているのである。
このように検討していくと、本書の底流にある著者の思いを何となく感じることができる。それは、「健康の条件というゴールに到達するには、さまざまなルートが存在する」というメッセージなのではないだろうか。そして、「そのルートは個人の現実に応じて多様である」ということである。そして、「健康の条件」と「現状」との間に存在するギャップの実体を見極め、それを埋めるためのさまざまな引き出しの提案をしてくれていることを感じるのである。
われわれトレーニング指導者は、「科学的根拠」という側面から健康を考えることが多いが、本書のように、「文学的側面」からも大変有用な情報を得ることができることを学んだ。そのように考えると、人間の身体とは「全体的」かつ「総合的」なものであることを実感すると同時に、「文理融合」、あるいは「学際的」という観点を持つことの大切さも実感するのである。これは、さまざまな物事の見方や学問領域が存在するものの、対象とする人間の身体は1つであることを再認識させてくれるのである。
(南川 哲人)
出版元:中央労働災害防止協会
(掲載日:2012-10-14)
タグ:健康法
カテゴリ 身体
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命のカウンセリング
長谷川 泰三
小学生のころから自分で稼いでいた著者。それは貧困と暴力、一家離散という状況で育ったことによるもの。暴走族に入るなど、荒れた生活を送る。その後、交通事故で車椅子での生活となり、人生に絶望し、自殺しようと東尋坊へ行くが、その旅の中で誰かに必要とされることが、相手にとって迷惑ではなく喜びなのだということに気づいた。一方で友人からの相談に背を向けたことで友人の自殺を止めることができなった、という罪の意識も背負うことになる。その後も度重なる「逃げる」経験を経て、筆者は自殺しようとする人専門のセラピストになった。
後半部からはグループセラピーを受けているかのようである。心が凍り付いてしまうと、表情が固まり、身体にも影響が出てくるということが実例を通して語られる。他者とのコミュニケーションを取ることに恐怖を感じていたり、きつい状況で「助けて」と言えなくなっている人に対する直接的なアプローチが描かれている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:あさ出版
(掲載日:2012-10-15)
タグ:カウンセリング
カテゴリ 身体
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命のカウンセリング
長谷川 泰三
4歳で一家離散、中学生で暴走族の仲間入り。15歳の時に友人の無免許運転で起きた事故が原因で脊髄を損傷。このような壮絶な経験をした著者が、事故の後遺症による激痛による苦しみ、生きていることの無意味さ、自殺未遂、次々に起こる身近な人の死を経て、現在は心理分析士として苦しい状況に追い込まれて"心の感覚が麻痺"してしまった人達の相談に当たっている。
本書では著者が実際に行っているカウンセリングやグループセラピーの様子を例に挙げて、どのようなキッカケで心身の歪みが出来、どのようにして問題解決していくかを説明している。ともすると異様とも感じるグループセラピーの様子ではあるが、普通には起こり得ない状況を経験してしまった人には必要なことなのかもしれない。生と死とは、それほどに人の心に影響を与えるものなのだと改めて思わされる。
立場上、身体の相談から派生して心の相談に応じることも多いが、心の相談に関してこのような世界もあるのかと衝撃を受けた1冊である。
(石郷岡 真巳)
出版元:あさ出版
(掲載日:2012-10-15)
タグ:カウンセリング
カテゴリ 身体
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気象で読む身体
加賀美 雅弘
「腰が痛むからもうすぐ雨が降る」たまにこんなことをいう人がいますが、雨の日とか寒い日とかには痛みを持つ人は敏感になります。世間一般では漠然とこのような話を聞きます。ところが先端医療の現場で気象との兼ね合いで治療を進めるといった話はあまり耳にしません。基本的に気象という条件は考慮されることがないというのが現状のようです。本書は気象と人の身体の関係をテーマに具体的な問題について多方面から分析をしています。
意外に古くから気象と身体の関係については研究があったそうです。20世紀の初めのころから世界各地でさまざまな試みがされていて、ドイツでは医学気象予報が現実にあるのを知り、驚きました。わが国でも気圧と喘息の因果関係の研究が進み、馴染みの深いところでは天気予報の花粉情報も気象と身体の関係をわれわれに教えてくれます。
このように一部で研究が進む一方、本書では医学者が身体を気象から切り離し天気という条件に目を向けることがないのでさらなる実用化が進まないという問題点を指摘しています。曖昧なものは対象としないという現代医学の性格上やむを得ないかもしれません。また病気を治すということが第一義的になる半面、健康を維持するという予防医学がどうしても遅れがちになるという面も指摘します。
それでもヒポクラテスの時代から気象と身体の関係について考えられ「生気象学」という学問が近年生み出され、気象と身体の関係が科学的に研究され、進行中とのこと。われわれの日常生活とは切っても切れない冷暖房と身体の話、自殺と季節の関係、誰もが知りたい脳卒中になりやすい環境など、読めば読むほど興味深い項目がいくつもあります。
もっと知りたいことがたくさんあります。本書では研究が例示的に紹介されるにとどまり、なるほどと思うような理論や仮説はありません。おそらくまだまだ解明されていない事柄も多いのでしょう。そういう点ではさらに研究が進み体系化することを願わずにはおられません。研究対象があまりにも深遠なので困難な研究なのはわかりますが、まず多くの研究者の意識がそちらを向くことの必要性を感じます。
読み終えたとき、人の身体も自然の一部ならば気象などの自然現象と切り離して考えることが非合理的だとさえ思えてきました。
(辻田 浩志)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-15)
タグ:気象
カテゴリ 身体
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スポーツとフィットネスのためのサプリメントがもっとわかる!
森永スポーツ&フィットネスリサーチセンター
コーチが勉強するためというよりも競技者に読ませて、理解をさせるのによい書籍である。ケース別にわかりやすく説明もされている。
本書にもあるが、サプリメント摂取だけで能力の改善は望めない。目的に沿ったトレーニングをすることが第一。しっかりと食生活をするのが第二。そのうえで補足のためにサプリメントを利用する。
近年の合宿で、とくに中高生アスリートの食事量の少なさは非常に気になる。サプリメントより、体力トレーニングの一環として、食事に気を遣うほうが先ではないか。
(澤野 博)
出版元:森永製菓健康事業部
(掲載日:2012-10-16)
タグ:サプリメント
カテゴリ 身体
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リハビリの夜
熊谷 晋一郎
厳しいリハビリ
体育とは“体で育む”ことである(本欄10月号)。あえて“何を”という目的をつけない。そうすることで、体育の可能性がより大きく広がり、生命の根源に近づくことができるような気がする。本書を読んで、その思いがいっそう強くなった。
著者、熊谷晋一郎は「新生児仮死の後遺症で、脳性まひに。以後、車いす生活となる。幼児期から中学生くらいまでのあいだ、毎日リハビリに明け暮れ」、東京大学医学部卒業後いくつかの病院勤務を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任講師を務める小児科医である。生まれるとき「胎児と母体をつなぐ胎盤に異常があったせいで、出産時に酸欠になり、脳の中でも『随意的な運動』をつかさどる部分がダメージ」を受けたため『イメージに沿った運動を繰り出すことができない状態』となった。そのため「健常な動き」ができるよう、厳しいリハビリを受けることになったのである。
「互いの動きをほどきつつ拾い合う」
人の身体は一般に「これからしようとする運動にふさわしい緊張を加え、制御し続け」るため「たくさんの筋肉がいっせいに協調的な動きをすること」ができる『身体内協応構造』を持っている。しかし彼の場合、「『過剰な身体内協応構造』を持っている」ため、「両足は内股になって、ひざは曲がり、かかとが浮いている。両腕も同じように回内して、ひじ、手首は曲がっている」姿勢になる。「ある部位を動かそうとすると、他の部位も一緒に動いてしまう」ため、パソコンを打つにも「全身全霊で」臨まなければならない。この緊張でこわばった身体を「ほどく」ためにもリハビリは必要なのである。
介助者「トレイナー」と彼「トレイニー」の息が合えば、二人の間にあった「壁のようなものは徐々に薄らいでいき、二つの身体がなじみはじめ」「互いの動きをほどきつつ拾い合う関係」が築かれる。しかしトレイナーが「健常な動き」を彼に与えようとし、さらに彼がトレイナーの思うような動きになっていなかった場合、二人の関係は一変する。「『もっと腰を起こして』。私は自信のないまま腰を起こそうと動かしてみるのだが、すぐに、『違う!ここだよ、ここ!』」と否定され、「命令に従おうともがけばもがくほど」「体はばらばらに散らばって」「私の体は私のものではなくなってしまった」。ここにおいて二人の間柄は「加害/被害関係」となり彼の身体はかたくなに閉じたままになってしまうのである。
始めのうちは“からだで育む”関係ができていたのに、トレイナーが「健常な動き」にあてはめようと“体を育もう”としたことが失敗の原因と思われる。この部分、トレイナーとトレイニーの関係を、教師と生徒・学生、監督・コーチと選手、親と子、これらに置き換えて読んでしまい背筋が凍った。
知力に脱帽
身体感覚のパースペクティブ(遠近法・透視図法)を自在に操り、身体という宇宙を大旅行した気分にさせてくれるところが本書の醍醐味といえる。自身の体を客体化して観察し、または観察した他者の運動を自身の内部の感覚として仮想し、それを言葉におこして他者の身体を借りて再現し、感覚と運動の摺り合わせをする作業から学んだ(感じた)ことをさらに文章化する知力には、ただただ脱帽するしかない。バドミントンなどでメッタメタにやられた後の、快感すら感じるようなあの敗北感にも似ている。
運動やスポーツを行うのは“気持ちいいから”という動機がまずはじめにあると思う。この、“快”、“快感”という身体感覚をキーワードに“体で育む”ということを考えてみると、激しい運動やスポーツでなくとも、伸び(ストレッチ)をする、手を握り合う、身体の一部を触れ合う、場合によっては優しい言葉に触れるだけでも“気持ち良い”を体感することは可能で、それらの身体感覚を通して互いの“体で何かを育む”ことができる。“何か”とは、愛かもしれないし、信頼関係かもしれない。これこそが“体育”をすること、であると思うのだ。
(板井 美浩)
出版元:医学書院
(掲載日:2010-12-10)
タグ:リハビリテーション
カテゴリ 身体
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黒人はなぜ足が速いのか 「走る遺伝子」の謎
若原 正己
ACTN3(αアクチニン3)やACE(アンジオテンシン変換酵素)などの遺伝子のほか、ミトコンドリア遺伝子なども取り上げながら、中・長距離は東アフリカ勢、短距離走はカリブ海勢が強いのはなぜか、を追求している。
たとえば長距離走についてはケニアのカレンジン地方において「酸素の少ない高所で長時間走る」環境により選択された身体内部の生理学的な遺伝要因に加え、手足の長さなどの形質的な要因が組み合わさって、全体として適応進化したのではないかという推論を述べている。
多くの研究にあたって丁寧な解説が加えられており、遺伝子とスポーツに関する数多くの話題が紹介されている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:新潮社
(掲載日:2010-12-10)
タグ:遺伝子
カテゴリ 身体
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皮膚運動学 機能と治療の考え方
福井 勉
指を曲げると、内側に皺ができる。伸ばすと内側の皺は消え、関節の反対側に皺がよる。皮膚を引っ張ればある程度伸びる。たとえば直立して側屈をすると、曲げたほうの皮膚には深い皺ができ、反対の皮膚は引っ張られる。このことを基本として、筆者は「これらの運動の変化は皮膚の物理的抵抗だけとは考えにくく、なんらかの神経作用が関わっているように考えられる」と述べているが、全身の関節運動に皮膚がどのように影響しているのかを解説している。
手技として皮膚を集めてきたり、引っ張りを加えることで、機能障害を受けている関節に対してアプローチができるという。
徒手的な方法のほか、テーピングによって皮膚を誘導する方法も掲載。シンスプリントや肩関節周囲炎も症例紹介として報告されている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:三輪書店
(掲載日:2010-12-10)
タグ:皮膚
カテゴリ 身体
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DANCE Anatomy
Jacqui Greene Haas
著者のJacqui Greene Haas氏はピラティスインストラクターであり、アスレティックトレーナー。著書は9つの章から成り立っています。
1 ダンサーの動き
2 脊柱
3 肋骨と呼吸
4 コア
5 肩甲帯と腕
6 骨盤と股関節
7 脚部
8 足首と足部
9 ダンスのためのカラダ全体のトレーニング
1章は骨や関節の動き、骨格筋(主働筋、拮抗筋、共働筋、固定筋)の説明の他に動きの基本面(矢状面、前額面、水平面)やメンタル面、コンディショニングにおける原則(オーバーロードの原則、特異性の原則、ウォーミングアップ&クールダウンの重要性など)などが記載されていてトレーナーの方にとってはよい復習になりそうな内容になっています。 2章から9章に関しては、各章ごとの筋肉の名前や関節の動きの説明と一つのエクササイズに対して見開き1ページでじっくり説明がされています。
左側のページはエクササイズのイラスト(主働筋が色分けされている)で右側のページが実際にそのエクササイズはダンスのどの動きで使われるのかというのがイラストつきでの解説。そのほかに、エクササイズの注意点やエクササイズのバリエーションの説明がされています。
著者は前書きで以下の言葉を残している。「筋肉がつくりだす動きをわからないままで、あなたはどうやって効率的なコンビネーションをやるんですか?」「間違った筋肉の使い方を続けることは、オーバーユースによるケガの原因になりますよ」
この言葉を聴くと、著書が少し専門的で難しいと(ひょっとしたら)思っているダンサーは身が引き締まるのでないでしょうか。
そして、トレーナーの方は著者のこの力強い言葉に共感を覚えるのではないでしょうか?
(編注:本書は英語で書かれています)
(大塚 健吾)
出版元:Human Kinetics
(掲載日:2012-10-16)
タグ:医学 解剖 ダンス
カテゴリ 身体
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骨の健康学
林 泰史
一般社会で「骨」というものに対してどういう認識を持っているかを考えてみると、体格の基本をなし、身体の形を形成するもの、あるいは身体を守るためのもの、その程度の感覚で捉えられているのではないかと想像します。ところが本書ではもっと多くの役割を持ち、骨以外の存在に対しても深く関わる、そんな骨の知られざる正体に迫ります。多少は骨のことを知っているつもりだった私も、実際は知らないことだらけだったというのが本当のところ。
骨の代謝のメカニズムが実に詳しく解説されています。また骨といえばカルシウムを思い出しますが、カルシウムが骨以外の身体の部分で大活躍するという事実と、そのカルシウムの量をコントロールするのに骨が関わるという重大な機能は世間ではあまり知られていません。
また近年積極的にカルシウムを摂取するという呼びかけもありますが、カルシウムという材料だけでは骨はつくられず、せっせと取りこんだカルシウムも場合によっては排泄されてしまうということは私たちも覚えておかなければなりません。正しい知識で骨をつくる方法を習慣化しなければならないわけです。偏った情報もあり、カルシウムを取り入れることだけに踊らされた方も少なくないように思いますが、骨をつくるためには「カルシウム・ビタミンD・運動」という3つの要素を備えなければいけないことも書かれています。
その上で、骨粗鬆症を予防法や骨の病気などの具体的な骨の問題を紹介してあり、面白そうなトピックスを抜粋して紹介した本というよりも、「骨の基本書」としての性格があります。あるいは豊かな骨を形成し健康に過ごすための指導書といってもいいかもしれません。
私はいつも本を読むとき、重要な個所にはアンダーラインを引き、目印に付箋を貼る習慣があります。本書を読み終えたときの付箋の多さには驚きました。250ページ足らずの本書はあまりにも内容が濃かったようです。今後も骨のことを調べるときにはこの本を開くことから始まりそうです。
(辻田 浩志)
出版元:岩波書店
(掲載日:2012-10-16)
タグ:骨 骨粗鬆症
カテゴリ 身体
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オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す
三砂 ちづる
「オニババ」。この衝撃的なタイトルに、“一体どんなことが書かれた本だろう?”と、興味を惹かれた。
本書で言う「オニババ」とは、「女性性(身体性と生殖)から離れていってしまった女性たち」のことを指している。戦後、女性の社会進出が進むにつれ女性たちは、「女性らしさ」、「女性としての生き方」を忘れ、「オニババ化」してきた。本来の女性としてのエネルギーが、今、行き場を失っている。
本書では、女性の体、性、生殖、出産などをメインに、本来の“女性らしさ”とはどのようなもので、それが現代女性にとっていかに重要であるかを問いかけ、改めて「女“性”として生きること」の意味を考えさせられる一冊になっている。
(藤井 歩)
出版元:光文社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:女性
カテゴリ 身体
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高岡英夫の歩き革命
高岡 英夫 小松 美冬
本書では歩きをテーマにしてコリをほぐすメソッドを紹介している。
興味深いのが高岡英夫氏が展開する身体意識理論についても書かれていること。本書では「センター」と呼ばれる身体意識について書かれている。センターとは、よく言われる正中線や体軸と言われる身体の中心を通る線のことである。この身体意識を生み出すことにより姿勢や歩行の改善、身体のゆるみを得るというものである。詳細については本書または高岡英夫氏が身体意識理論について述べている書籍がいくつかあるのでご参照いただきたい。
一般的なスポーツなどのレッスン書との違いは、自身の身体の内面に働きかけるといったところではないだろうか。この身体の内面が非常に重要だと私も思う。人はどこかが痛いなど、自分の身体に今起きている結果的な不具合には敏感だが、その過程にある痛みの原因に目を向けないことが多い。自分の中にある不具合の原因や状態の変化に気づくことにより、身体を健康に導けるのではないだろうか。このメソッドの前後では自分の身体に対する意識の感覚が変化していることに気づくと思われる。
自分の身体の内面に気づきを与え、身体を改善するためのメソッドが豊富に書かれているのでぜひご一読いただきたい。
(三嶽 大輔)
出版元:学習研究社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:歩行
カテゴリ 身体
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脳の中の能舞台
多田 富雄
何のこっちゃ? 私にとって大変インパクトのあるタイトルで、頭の中にはいくつかの疑問符が浮かんだ。私が存じ上げている多田富雄氏は著名な免疫学者であったので、「脳の中の能舞台」というタイトルからラマチャンドラン氏の『脳のなかの幽霊』のような、神経系と運動系を結びつけるような医療系の話なんだろうか、とも思われた。
だが、本を読み始めるとその疑問はすぐに氷解する。多田氏は免疫学者としてだけでなく、白州正子氏をはじめとして多くの文化人と交流があり、能に深い造詣をお持ちであった。
本書は氏がこれまでお書きになってきた数々のエッセイを集めたもので、書かれた当初からこのような形で編集されることを意図されていたわけではない。それにもかかわらず本書全体として能に対する姿勢が明確に浮かび上がってくる。
対象とされる読者は、能に興味を持った人、能を観劇した経験はあるものの「能は一体何を楽しんだらいいんだろう」「この古典芸能は何を訴えているんだろう」という類の疑問を持った人であろう。本書はそのような人に対して非常に有効なアドバイスをくれる。
能の舞台を実際に目にして感じること、初心者が疑問に思うであろうことが丁寧にフォローされる。次いで多田氏と交流のある文化人との能に関してやり取りされた書簡や、実際にご覧になった舞台の曲目紹介、そして氏が書き下ろした新作能が取り上げられている。
能はどのようなものなのか、どのように接していくことを勧められているのか、また古典芸能としての能に新作があることの意味は何か、氏は順番にその回答を進めている。詳細な内容は本編に譲るとして、はしがきからいくつか抜粋してみる。
「この本は、読者といっしょにその舞台を眺め、何かを読み取ろうとする試みである」
「脳の中の能舞台で再演されるさまざまな劇の流れに、ごいっしょに参加して頂くのが目的である」
「古典芸能といっても、能が現代人に語りかけなくなったら、芸術としての生命はない。ここに集められたエッセイは、何らかの形で脳の現代性を探る試みになっていると思う」
本書を一読してから、はしがきに戻ると、その意味が改めて伝わってくる。私は近年まで能との接点をまったく持たずに過ごしていたが、ふとしたきっかけで、日本人として先人が築いてきた文化に触れないままでいることに疑問を持ち、自分なりに能と接してきた。本書は私のような「能初心者」にとっては大変ありがたい指導書である。素敵な出会いであった。
(脇坂 浩司)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:能 脳
カテゴリ 身体
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金属は人体になぜ必要か
桜井 弘
人体は主要構成元素といわれるC、H、O、N。準主要元素としてCa、P、Mg、Cl、S、K、Na。これら11種類で人体の96~97%を占めるともいわれている。そのほかにもさまざまな元素が組み合わさり、人体が構成されている。
その中でも金属類というものは意外に多く、本書によると体内での役割がある程度解明されている金属でCa、K、Na、Mg、Fe、Zn、Mn、Cu、Se、Mo、Ni、Cr、Co、Vの14種類が確認されている。
エネルギー代謝を考えていく上で、どうしても糖質、脂質、タンパク質、および高エネルギーリン酸結合の構成元素を中心に考えてしまうが、それらを代謝していくにあたって金属類も含めた微量元素の存在は欠かすことはできない。
またそれらは体内合成をすることができないため、食事として補給をするしかない。それをどのような食品から補給していくのか。過剰摂取をすればどのようになってしまうのか。サプリメントとして単一種類だけの摂取が可能になっている現在では摂取不足ではなく、過剰摂取や摂取バランスの乱れが問題になりつつある。
本書ではそれぞれの元素について現段階で解明されている役割をわかりやすく解説してある。とはいえ化学に関する基本的な知識は必要だ。
(澤野 博)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:微量元素
カテゴリ 身体
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身体のホームポジション
藤本 靖
本書はタイトルの通り身体のホームポジションがテーマとなっている。
筆者によるとホームポジションとは「身体の外側にある情報を体の内側で柔軟に受け取り、自然な動きとして反応できる身体の状態」と述べている。その身体の中でも普段当たり前のように使っている耳・目・鼻・口などが身体のホームポジションの鍵となっているのだ。
耳・目・鼻・口が身体と関係していることを知っている人は少ないのではないだろうか。本書を読むとそういった部位が、身体と深くつながっていることに気づくであろう。 日常生活でも使えるエクササイズがいくつか紹介されているのだが、そのエクササイズ内容が面白い。従来の“身体を動かす”といったものではなく自分の意識を使って気付きを与えるようなものが多く、身体のさまざまな発見があり非常に楽しいのである。私の説明だけでは本書の内容を伝えるのは非常に困難である。だが一読すれば自分の身体の中の気付きが高まること間違いなしである。
(三嶽 大輔)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2012-10-16)
タグ:エクササイズ
カテゴリ 身体
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誰でもわかる動作分析
小島 正義
難しいことをやさしく教えるには、相当な知識が必要である。人にものを教えたことがある人ならわかるはずである。
私は理系の人間ではない。したがって、「物理学」「運動学」「人間工学」などは苦手中の苦手である。しかしである、ほんとうに驚くべきほどスムーズにこの本は読み進むことができたのである。
「生物の動きは『ある法則』で説明できる」という。「ある法則」とは「重力」のことだ。「重力」と言っても難しく考える必要はなく、その力はいつも同じ方向に向かっているということ。つまり、重力の方向は必ず下向き(地面方向)であるということを覚えておけばよい。そこさえ頭にいれておけば、あとは「フーン、なるほど」「ああ、そういうことだったのか」のかの連発。そして、「動くことっていろいろと理にかなってるんだなぁ」という著者の思いと同じものを感じるのである。
著者は作業療法士であるので介護に携わる者はもちろん、スポーツに携わるコーチ、選手、トレーナー、トレーニングコーチ、はたまた力仕事に関わる人たち、とにかく「人間の動き」について興味のある方ならどなたでもお勧めしたい本である。とくに、私のように理系はどうも苦手という方にはありがたい。
(森下 茂)
出版元:南江堂
(掲載日:2012-10-16)
タグ:動作分析
カテゴリ 身体
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皮膚は考える
傳田 光洋
いつも見ているヒトの身体って、よく考えてみればその大半が皮膚だったりします。知ってはいるもののそれ以外の組織について目に触れるものは髪や爪、あとは眼球の一部くらいのものかもしれません。我々が視覚や触覚で身体だと認識しているものは皮膚についてだけと言ってもいいでしょう。その皮膚についてもせいぜい身体のパッケージというくらいのイメージしかないのが正直なところであり、それ以外のさまざまな機能についてはあまり関心もなく知らないことが多いのが実際のところ。本書は知られざる「皮膚」の役割からその重要性を教えてくれました。
「内臓」に対して皮膚は「外臓」であると興味深い表現を使われていますが、臓器としての皮膚の役割についての説明により、皮膚に対する認識を新たにしました。「保護膜」としての皮膚は我々も知るところですが、病気で内臓を摘出しても死ぬとは限らないが、皮膚がヤケドなどで三分の一ほど失われると死に至ると説明されます。そういわれると皮膚と内臓の重要性は同等のものとして考えるべきだと再認識しました。ともすれば大切にしまわれた内臓と外界にさらされた皮膚とだったら、どうしても内臓のほうが価値が高いように考えがちですからね。
冒頭から皮膚の重要性を説かれた後に皮膚の機能が明らかにされていきます。免疫と皮膚の関係についてはアトピーなどの問題点に言及します。それだけではありません。ドーパミンなどの神経伝達物質の合成や分解の機能があるといわれたら、まさかと思うのが普通だと思います。そのほかホルモンとの関係に深く関与しているという予想だにしなかった真実が書かれています。さらには皮膚は光を感知する能力があるのではという仮説にも驚きました。
「皮膚は考える」というタイトルですが、脳と同じ機能を持ち精神をつかさどるという要素もわかってきたそうです。当然皮膚は人の心にも影響があるという最後の部分はインパクト十分。軽く見ていた皮膚もあまり知られていなかった役割を理解すれば、その付き合い方も変わり、快適な生活を送ることが可能になるのではと感じました。
(辻田 浩志)
出版元:岩波書店
(掲載日:2012-10-16)
タグ:皮膚
カテゴリ 身体
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子どものからだ 科学的な体力づくり
宮下 充正
副題は「こうすれば科学的に体力がつくられる」といったハウ・ツーを意味しているのではない。体育教育のなかで、科学に基づき、子どもを健全に、発育・発達させようということを広く深くアピールする書である。すでに各紙誌で書評が載せられているので、目を通された人も多いだろう。本書はあとがきによれば『教職研修』(教育開発研究所機関誌)に昭和52年から2年にわたり掲載されたものをUP選書の1冊としてまとめられた。したがって、当初は学校の教師を対象として書かれたわけであるが、通読してみると、ここに述べられ指摘されている問題は、教師に限らず、父兄を含め、諸活動の指導者に大きく関わるものばかりである。受験地獄といわれ、頭ばかり強調され、一方で「落ちこぼれ」などという不快な言葉も取り沙汰されている今日、「近頃の子どもは体力がない」などと大人はどうして他人事のように嘆いていられよう。教師、父兄、指導者はもちろんのこと、誰もが「子どものからだ」について正しい認識を持つ必要性はいくら強調してもしすぎではない。全体を通じ、厳しく鋭い指摘が随所にみられるが、読者はそこに著者の子どもに対する深い愛情を見出さずにはいられないだろう。事実、著者は長年、子どもの野外活動に熱心であり、自ずと本書の説得力も増している。子どもの体育・スポーツに関係する人にはぜひとも一読していただきたい書である。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:東京大学出版会
(掲載日:1980-12-10)
タグ:子ども
カテゴリ 身体
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ランニングと脳 走る大脳生理学者
久保田 競
新聞・雑誌などで話題を呼んでいる本だ。もちろん、その背景にはジョガーやランナーの人口増加、それを支える健康を願う気持ちがあるのは事実だが、本書の場合、副題にもあるように著者が大脳を専門とする学者であること、その著者が自ら走ろうと決め2年で体重が23kg減少するに伴い、心身に様々な変化が現れたのを学問的に考えていること、そして走ろうと思ったそのきっかけが、同じ年齢の人なら多くが思い当たるフシがあることなども、話題を呼んでいる要素であろう。そのきっかけとは、テレビに出た自分の顔が異様にふくらみ、脂肪太り、運動不足の顔であること、とても知的活動をしている人の顔ではないことを発見したことだった。
運動不足が顔を変えてしまうのと逆に、運動が顔を変えるのは、経験的に知る人も多いだろう。著者は、顔にとどまらず、体重はもとより、精神的な面、性格も確かに変わったと感じている。そのほか、ランニングで食欲が減ることに関しセロトニン説を出したり、ランナーズ・ハイについて論じたり、経験に基づいた学問的アプローチが繰り広げられる。それがランニング書としてもスポーツ書としてもユニークでかつ非常に興味深い一冊といえる所以となっている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:朝倉書店
(掲載日:1982-06-10)
タグ:ランニング
カテゴリ 身体
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足のはたらきと子どもの成長
近藤 四郎
「みんなの保育大学シリーズ」の第4巻。全部で6巻で、どれも子どもと接している親や指導者には一気に読める好著である。ほかには『ひとの先祖と子どものおいたち』『子どもの発達とヒトの進化』『手のうごきと脳のはたらき』『脳の発達と子どものからだ』『内臓のはたらきと子どものこころ』がある。紙幅の都合上詳しくは紹介できないが、お母さんを前にしてわかりやすく講義したものをうまく整理しまとめたもので、斎藤公子氏のまえがき+付言が一層読後感を引き締めている。
我が子を思わぬ親はいないが、こういう本を読むと子どもの成長をみる目もうんと違ってくることだろう。気軽に読み進め、それでいて考えさせられるところが大のシリーズである。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:築地書館
(掲載日:1983-03-10)
タグ:足 発育発達
カテゴリ 身体
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ザ・ブレイン
ダイヤグラム・グループ 塚田 裕三 白井 尚之
「ウーマンズ・ボディー」「マンズ・ボディー」「チャイルズ・ボディー」「Sex」といった最新の医学をイラストを多用し、わかりやすく解説した一連の本に加えられたもの。
ダイヤグラム・グループというのは、いろいろな専門家を結集し、上記の通り、一般向けに高度な専門知識を視覚化する集団で、本拠はロンドン。
本書は「脳」をテーマに医学界で明らかにされていることを網羅したもので、脳の構造、神経系、脳の発育、感覚、本能と感情、意識と思考、薬物と欺瞞、精神は物質を越えて、脳研究の歩みの12章から成る。直接スポーツに関連する箇所は少ないが、スポーツは心身両面の活動であり、筋肉同様脳へも関心を向けざるを得ない。
この分野では難しい本が多い中、素晴らしいイラストと編集の妙が冴えているこの一冊は、読み物としても読者の興味をそそるだろう。
このシリーズをはじめ、近年、人間の身体に関する本が多く出版されている。なかにはただ人の不安を誘うようなものもあるが、この2〜3年は、科学や医学に基づいた新しい視点のものも目立ってきた。この分野の充実が望まれる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:鎌倉書房
(掲載日:1983-08-10)
タグ:脳
カテゴリ 身体
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最強パンチ理論 身体運用編
三宅 満
本書は大きくわけると三部構成になっている。はじめに、基本理論編として、身体を動かす際に生じる重心移動、地面反力、反射といった、物理的な動きについてパンチ動作を例に述べられている。次に、格闘技の動きを、構え、ステップ、パンチ動作、ディフェンスといった動作で区分して、身体の動かし方という視点で解説されている。身体の動かし方とは、関節の動かし方のことである。動きの中で関節をうまく動かすためには、重心移動や反射を有効に使うことが大切である。腕を動かすための下半身の動きといった、1つの動作を身体全体からどのように使えばよいかといった視点で書かれている。最後に、トレーニング編として、よく行われているストレッチングや筋力トレーニングを格闘技につなげるための考え方が述べられている。
著者である三宅満氏は、現役ボクサーとして活躍した後、柔道整復師、NSCAパーソナルトレーナーといった資格を取得している。そのバックボーンを活かして、これまで経験的に伝えられてきた格闘技の動きを、解剖学やスポーツバイオメカニクスといった視点での理解を深め、書かれている。最近、さまざまなスポーツ種目において出版されている、競技動作を身体の動きから考えた動きづくりの本と同様である。今まで伝えられてきた業界内やジム内の常識が、身体動作の視点でみたときに、理にかなった動きなのかどうかを考えている本である。
(服部 哲也)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2013-04-02)
タグ:格闘技 パンチ
カテゴリ 身体
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日本人の足を速くする
為末 大
本書の第一章にある「何万回、何十万回と着地する中で、地面に着いた足の上に骨盤が乗り込み、股関節のあたりに地面を踏んだ感触が直接に伝わってきて、体がスムーズに前に進んでいく感覚をつかんだのです」という一文に、著者である為末氏の探求が始まった瞬間の感覚がよく表れています。
日本人がフィールド競技では勝てないと言われている中、日本人の体型や精神的な特徴を考慮した上で、「どうやったらうまくいくのか、自分の頭で考え、工夫を凝らし、イメージして、体をコントロールする。その過程で能力が開発され、さまざまな状況に対応する力が伸びていくのだと思うのです。」と本書の中にも書いているように、勝つための戦略をつくり上げ、そして自身がメダルを獲得することができたレースへの攻略法を書き記した一冊です。
(大槻 清馨)
出版元:新潮社
(掲載日:2013-05-21)
タグ:陸上競技
カテゴリ 身体
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からだことば
立川 昭二
読み終わってから筆者の経歴を読んで勘違いに気付いたのですが、筆者立川昭二氏は医師ではなく歴史家だそうです。しかも病気や医療についての文化史がご専門なんだそうです。それを見てようやく納得がいったのですが、本書の切り口は医学者のそれではなく、文化と身体の関わり合いが主体であるのですが、あまりにも医学的内容の多さにてっきり医師であると思っていました。
『からだことば』は日本における身体の部位を使った言葉から、日本人の心や文化をもう一度見直してみようという内容です。身体は単なる物ではなく、人の生活そのものでもある。そんな作者の根底の考えが伝わってくるようです。身体は生きるために必要な要素であることはいうまでもありませんが、人としての生活を送る上でのメンタリティーが言葉に託されたものが「からだことば」であると知りました。
読み進めるうちに、日本語の持つきめの細かい感性に出会います。「肌」と「皮膚」の使い分け、「手」と「足」に対する価値観、「みる」「きく」という感覚の分類と奥行きの深さなど、改めて日本語の「ツボ」が解き明かされていきます。普段何気なく使っている日本語に、これだけ日本人らしさが隠されているとは思いませんでした。全体から見渡したからだことばに対する考察にはうなるばかり。
ただ1つ気になったのは、現代の日本人が言葉の変化とともに「古き良き」日本人のメンタリティーを失いつつあるのではという危惧をされていますが、生活様式も文化も変化するのが当たり前で、百年や千年という単位で考えれば変わらないほうが不思議であると思います。自分が育った時代背景に懐かしさを持つのは悪いことではありませんが、よくも悪くも移り変わりは仕方のないもの。悪い面だけを見て判断するのもいかがなものかと思います。それもいずれ歴史が答えを出してくれるだろうと思います。
(辻田 浩志)
出版元:早川書房
(掲載日:2014-03-10)
タグ:からだことば
カテゴリ 身体
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人体は進化を語る あなたのからだに刻まれた6億年の歴史
坂井 建雄
「自然に」という形容動詞は「ひとりでにそうなるさま」という意味もあり、「なんとなくそうなってしまった」というニュアンスを感じてしまいますが、本書を読んでいると「自然に」という言葉にまったく逆の印象が刻みこまれてしまいました。
自然に存在するものにはすべて何らかの必要性があり、そして地球上に生物が誕生して以来、常に目まぐるしい環境変化に対応すべく進化する、生物全体の生きようとする力を感じずにはいられません。だから「自然に」という言葉には「運命的に」という意味合いも含めるべきだと思ってしまうのです。
「胃は消化する器官ではなく食料を保存する器官」「頭蓋骨は元々鱗だった」とか、人類の進化のエピソードは下手なフィクションよりも面白く読めます。生物の進化というマクロ的観点からの切り口は、我々が知らなかった人の身体のプロフィールを紹介してくれます。
人体の不思議について書かれた本はたくさんあります。が、それらの多くは「今の人体」についての解説ですが、本書ではなぜそうなったのかという部分に重点が置かれているように感じました。いわば人の身体の歴史とでもいうべきものでもあり、その進化によりどういうメリットがあったのかについての解説には納得。なぜならばそれこそが人類が人類として生き残ってきた証なのですから…。
本書は単なる人間の進化を示したものではなく、哲学すら感じてしまうのです。
(辻田 浩志)
出版元:ニュートンプレス
(掲載日:2014-10-03)
タグ:進化 生命
カテゴリ 身体
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プロが教える骨と関節のしくみ・はたらきパーフェクト事典
石井 直方 岡田 隆
身体の骨と骨で構成される関節を、コンピュータグラフィックスを使って1つずつ丁寧に解説した一冊。骨と関節、靭帯、関節運動が中心であり、全ページがカラーである。
なお、筋については起始停止を記述するのみにとどまっていて、同じシリーズの別の著(『筋肉のしくみ・はたらきパーフェクト事典』)が担当している形である。
立体的に描かれたたくさんの骨が、さまざまな角度から描かれている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ナツメ社
(掲載日:2014-10-25)
タグ:解剖学 機能解剖学
カテゴリ 身体
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一流選手の動きはなぜ美しいのか からだの動きを科学する
小田 伸午
久しぶりに良書に出会えた気がする。
目次を読み進め、さらに、はしがきに入るとこの本のエッセンスをしっかり詰め込んだ文章が非常にわかりやすく記載されており、ここだけで期待が高まる本である。本の内容自体は、このはしがきにも背表紙の要約文からもすぐにわかるので、少し違った目線で紹介をしておきたい。
この本のテーマは“一流選手の動きの美しさの秘密は何か”というものだ。一流選手の動きというのは、たとえそれが、バレエやダンス、フィギュアスケートのような芸術系スポーツでなくても美しいと思える場面がある。そこには洗練された動きというものがあるが、その洗練された動きは現代のスポーツ科学が寄与していることは間違いない。“より速く”“より強く”というのは科学に支えられている一面もあるが、その裏には美しさというものも備えている。その表裏は、科学と選手の実践感覚という対極から生まれることを知らしめてくれる。その両方が生かされたときに美しさが生まれる。「科学と実践の往復の景色はすばらしく科学を無視するのではなく感覚で活かす。そんな素敵な哲学を一流選手の動作がそっと教えてくれる」と著者も表現している。
第一章では科学の主観と実践での客観のずれに焦点を合わせている。どちらが正しいという話ではなく、両方を行き来していくことで選手自身は成長をしていく。その成長こそがスポーツの持つ価値であることにも気づかされ、またこれが内面の美しさにもつながっていくというもの。
第二章に移ると、実際の選手の動き、外面からの動作の美しさに触れている。選手は自分の持つ力以外に地球環境というものを利用して美しさを形成していることが示される。自分の力と地球環境の持つ力という、考えてもみたことがないような対極の力を膝抜きという実践で紹介され、読み進めるとまさに腑に落ちる感覚を覚えた。
最終章は、スポーツと日常生活という、これまた対極の関係での身体の使い方に焦点を当てている。関節の正反対の動き、右と左、内と外のようにこれもどちらが正しい動きという見方ではなく、それぞれの持つ性質をみること、そこに主観と客観を組み合わせることで動作に美しさが伴ってくることがわかる。またその美しさはなにも選手という特別な人に与えられるのではなく、ごくごく日常の動作の中にもあるもので、身体の姿勢や、心の姿勢、つまりは生きる姿勢ということにつながる。生きるということの中にある美しさに気づく。一流選手の動きの美しさの根源は実際には日常の中にある。美しさはスポーツ選手だけの特権でもなく、「美き(よき)人生に重なっていく」という著者の言葉に、一流選手の美しさに魅了される理由がわかった気がした。
(藤田 のぞみ)
出版元:角川学芸出版
(掲載日:2014-11-18)
タグ:一流選手 動作 美しさ
カテゴリ 身体
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腰痛改善BOOK
矢野 啓介 奥川 洋二
この本は、日本関節コンディショニング協会の理事長の矢野啓介氏と理事の奥川洋二氏が監修している。
内容は、4つの章に分かれており、構造的分類での腰痛を除いた、単純に筋バランスのみに関して、A.前屈型、B.後屈型、C.側屈型、D.回旋型と分類している。また、さまざまな日常動作の中で腰を痛めてしまう動作からお勧めのエクササイズを紹介したり、先ほどの4つの分類からエクササイズを紹介したりしている。
全面カラー印刷で一般の方にもわかりやすいようポイントを押さえている。評価のポイントや関節の運動なども記載されており、運動指導者の方にもより一層知識や理解が深まる一冊となっている。
(加藤 亜梨紗)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2015-02-05)
タグ:腰痛
カテゴリ 身体
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人種とスポーツ 黒人は本当に「速く」「強い」のか
川島 浩平
近年、陸上短距離界でのジャマイカ選手の躍進などにより、黒人の身体能力への関心が高まっている。実際に、近年の世界大会において、男子100mの決勝に進んだ選手はすべて黒人であり、NBA選手も8割近くが黒人である。本書はそうしたことを学術的観点から明らかにしようとするものである。
大学教授である筆者の研究成果および国内外の学術論文による知見がふんだんに盛り込まれており、奴隷制や人種差別などの歴史的背景や文化的背景から慎重に読み解こうとするものである。
この手のタイトルによくある、「骨格が…」や「日常生活で走る量が」といった一面的な背景から書かれたものではないため、答えを急いてしまうと少し退屈するかもしれない。しかしながら非常に読み応えがあり、多方面からの考察と事実に基づいた豊富な知識を得ることができる。そしてあとがきにあるように、「人種と知能」という面にも同時に答えようとしている。
黒人に対して身体的な偏見を持ちがちな我々にとって、非常にバランスのとれた見方を提供してくれる一冊である。
(山下 大地)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2015-04-28)
タグ:人種
カテゴリ 身体
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腰痛はアタマで治す
伊藤 和磨
著者は元プロサッカー選手であったが腰痛により選手を引退し、自身が体験した経験から腰痛を専門とするパーソナルトレーナーになった方である。
最初に、なぜ病院で腰痛が治らないかということを細かく説明している。そこには保険診療の点数制度の影響が大きく、またリハビリも事務的にならざるを得ない環境も関係していることが書かれている。ただし出版された時期も関係するだろうが、すべてがそうでもないと思うのと、引用文献が『脊椎のリハビリテーション』ばかりというのが気になる。タイトルから治療やトレーニングを行わないのか? と思うが、続いてトリガーポイントの説明とケアの方法が書かれている。
さらに痛みやトリガーポイントを引き起こさない姿勢についての説明となる。ここではインナーコルセットとニュートラルポジションというキーワードが出てくるが、やはり現代のクリニックやパーソナルトレーニングなどでは浸透している話である。
ここまでできて次のフィードフォワードという動作についての話になるが、ここから日常動作などで腰痛を引き起こさないようにするために頭を使うということが、予防につながるという話である。付記としてぎっくり腰の治し方が書かれているがアイシングというもっともポピュラーな方法。
トリガーポイントの圧迫がメインであることに少し残念な感じがあるが、セルフケアの方法を知ることができると自分で治せると思えるので、そこはよい点だと思う。腰痛の予防やセルフケアの方法を知るには良書であるが、アタマで治すということだけを考えて読むと少々がっかりする。日常動作の指導が他の書籍と違っていろんな場面を想定して細かく記載されていることが親切である。
(安本 啓剛)
出版元:集英社
(掲載日:2015-06-18)
タグ:腰痛 トリガーポイント
カテゴリ 身体
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身体言葉に学ぶ知恵1
辻田 浩志
本書は、タイトルの通り身体の様々な部位にまつわる言葉の解説である。読んでいて思わず「へぇ」とか「なるほど」と、無意識に声が出る。普段、何げなく使っている身体言葉の語源の解説は、トレーナーとして活動している私の知的好奇心をそそる。また、単に言葉の語源の解説にとどまらず、整体師として、日々人の身体に真剣に向き合っている著者自身の体験や考察も興味深い。
長い日本の歴史の中で、先人たちの作った身体言葉には、現代のトレーニングやリハビリでも十分に役立つ知恵がつまっていて、身体言葉の知恵に注目した著者のその観点は、今までにない面白いものである。
(久保田 和稔)
出版元:ブックハウス・エイチディ
(掲載日:2016-04-14)
タグ:言葉 身体
カテゴリ 身体
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痛くない体のつくり方 姿勢、運動、食事、休養
若林 理砂
本書は、痛みに不安を抱えている方が何をすればよいか、東洋医学を中心にわかりやすく教えてくれる一冊である。治療家の方なら経験があると思うが、患者はもちろん、友人からも身体や痛みに関わる相談事を受ける。相談の内容により簡単に答えられるが、今後のためにも身体に対する考え方など伝えたいことは山ほどある。そのときに、本書の存在を知ってしまった私は、この一冊をまず読んでほしいと言ってしまいそうだ。
身体についてわかりやすく人に伝えるのが私の仕事なのだが、活字に慣れている方なら本当に読んで貰うかも知れない。そのくらい綺麗にまとまった内容なのだ。本書に「痛みリテラシー」という言葉が出てくる。これは、痛みを冷静に受け止め、適切に対処できるようになることをいう。この痛みリテラシーには、学習と訓練が必要で、それを教えてくれるのが本書ということだ。
痛みのメカニズムから、ペットボトルや爪楊枝を使った家庭で簡単にできる東洋医学的治療。ニュートラルな姿勢づくり、生活習慣の改善。治療をする上で患者にも理解しておいていただきたい部分が網羅してある。患者へは自身の身体の取り扱い説明書として、治療家へはアドバイスの参考書として、本書をお勧めしたい。筆者が出会った患者の話や、古武術の考え方にも触れられるのもまた興味深いところである。
(橋本 紘希)
出版元:光文社
(掲載日:2016-04-18)
タグ:東洋医学 養生
カテゴリ 身体
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動きが心をつくる 身体心理学への招待
春木 豊
長年の研究成果をまとめた著書「身体心理学」に続き、身体の動きと心の関係を明らかにしていく。「身体」ではなく「身体の動き」に着目しているのが興味深い。例示された中でも呼吸や姿勢を始め、筋反応といった切り口はスポーツにも通ずる。筋弛緩により心の緊張もほぐれるといった具合である。
全体としてはアカデミックな内容で、直接日々のスポーツ活動に応用できるというわけではないが、普段と違った視点から動きについて考えると、新たな発見があるのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:講談社
(掲載日:2012-07-10)
タグ:身体 動き
カテゴリ 身体
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フェルデンクライスメソッド入門 力みを手放す、体の学習法
伊賀 英樹
フェルデンクライス氏が体系化し、日本に入ってきてから約30年になるフェルデンクライスメソッド。自身の身体を知り、よりよい動きに近づけていくこのメソッドは、言い換えれば個人の数だけ適した方法がある。また、不調のある人は不必要な力みがある場合が多いため、身体の各部分をゆるめるワークが中心になる。となると、なかなか一律に解説しにくいものだ。それを筆者は要点を整理し、平易な言葉でまとめた。
本書の前半は望ましい心構えについて述べられ、後半はペアワークおよびATMレッスン(グループレッスン)の体験に割かれている。豊富なイラストは、ゆっくり実践していく助けとなるだろう。本当に効果があるのか? と半信半疑の人に紹介するのにちょうどよい入門書だ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元: BABジャパン
(掲載日:2012-08-10)
タグ:フェルデンクライスメソッド
カテゴリ 身体
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トップ・アスリートだけが知っている「正しい」体のつくり方 パフォーマンスを向上させる呼吸・感覚・気づきの力
山本 邦子
身体のことを学ぶことは不可欠
アスレティックトレーナーを志して進学してくる学生たちでも、高校までの教育課程で人体解剖学や人体生理学を本格的かつ具体的に学んできたものは少ない。以前からこのことは不思議に感じていた。小学校、中学校、高校の授業でヒトの身体の成り立ち、つまりは自分の身体の成り立ちを段階的に学ぶことは、生きる上で不可欠ではないかと考えるからだ。骨格系や筋系など運動器についても、その構造を知りその機能を理解することは、自分の身体を意識し運動感覚を研ぎ澄ます上で重要な意味を持つように思う。確かに己の構造を知らなくても鳥は大空を羽ばたき、獣は疾走して獲物を仕留める。本能というものは知識を凌駕するので、余計な情報は却って本来の動きを見失わせるという見方もあるだろう。それでもヒトにおいて主観的感覚と客観的感覚とを併せて自らを内観し得られることは多いはずだ。
さて本書では、プロゴルファー宮里藍選手をはじめ様々なアスリートをサポートするアスレティックトレーナー(NATA-ATC)であり、A-Yogaの主催者でもある山本邦子氏によって自らの心身との対話法について語られている。スポーツの現場やアスリートをよく知る著者が、ヨガを軸に呼吸や身体を動かす感覚について解説し、またそれらのあり方をどのように気付き、どう正すのか、観念論だけでなく、解剖学や生理学的情報も織り込みながら解説している。アスリートを対象とした高度なスポーツ動作ではなく、普段自然に行われている呼吸や日常的な当たり前の動作を見直すことに重点を置き、それらを通じて身体を正しく使うためのヒントを散りばめてある。
呼吸のコントロールから
ヒトが呼吸を止めて生きていられる時間はごくわずかだが、その呼吸のあり方を日常でどれだけ意識しているのだろう。質の高い呼吸と言われても、実感が湧かないヒトの方が多いように思う。しかし、自律的な統制を受けている生命活動も、身体に現れる変化をフィードバックして安定した状態を保とうとする以上、間接的にある程度のコントロールは可能なはずであり、呼吸はそのきっかけになるわかりやすい活動なのだ。心臓を随意的に止めたり動かしたりすることはできないにしても、呼吸の仕方次第で心臓の拍動を落ち着かせたり興奮させることができる。様々なストレッサーにさらされている中で、たとえば深い腹式呼吸で交感神経の興奮が抑えられ、副交感神経を優位にし、ストレスホルモンの分泌をも低下させるとすれば、まさに呼吸が変われば身体の状態が変わり、ひいては感情が変わるということにもなる。
さらに解剖生理学の知識をも盛り込めば、より具体的なイメージを意識できる。呼吸も空気を肺に取り込むだけではなく、取り込んだ酸素を赤血球中のヘモグロビンに結合させて血流に乗せ、全身の酸素を必要とする細胞のひとつひとつに到達させ、さらにその中のミトコンドリアにまで届けてATP合成に利用するというビジュアルイメージを持つと、より効果的な呼吸になり、血流が促進され、酸素摂取量にまで影響を与えるのではないかとさえ思える。
意識を行き渡らせる
自分の姿勢や当たり前の動きのあり方についても、忙しない日々に追われて余裕がないのか、そんなことを考える方がおかしな奴だと考えるのか、細かく意識するヒトは少ないように思う。ただ、ほんの少しの意識を向けるだけで、立つ、座る、寝る、歩く、階段を登り降りる、走るなど日常生活の様々な動きに好ましい影響を及ぼすはずだ。意識すれば身体の使い方は必ず変わる。そこに解剖生理学的知識があればなおさらだ。通学中や通勤中にただ移動手段として歩いている場合と、腸腰筋をはじめとする股関節屈筋群、殿筋群や内転筋群をより意識し、足を出すというより骨盤の回転を意識しながら大きく踏み出し蹴り切るだけで動きは全く異なるのだ。加えて体幹を安定させながら呼吸を意識することも、できるなら肩甲骨の動きを意識して腕を振ることも忘れない。もちろんごく自然に正しい動きができるようになる方がいいだろうが、自分の動きのありように気付きそれを改善するためには、まずは指の先まで意識を行き渡らせることが必要だと思う。
自分の身体と対話を始めるきっかけに、本書で紹介されているようなヨガというアクティビティは有効だと思う。ただ方法はひとつではない。たとえば私の場合は空手であり、ウェイトトレーニングを含むさまざまなトレーニングだ。ウェイトトレーニングを好ましく思わない向きも一部で見られ、本書でも問題点は指摘されている。しかし、正しく行われなければ有害であるのは、何事にも共通していることだ。健康に有用な栄養素も摂り過ぎれば毒になる。要はいいさじ減で行うことだ。
空手の形についても実践に向かないと否定する人々もいるようだが、私は形を相手を想定しながら自分の身体と対話することだと捉えている。さらに心のあり方も形のできばえに影響を及ぼすので、心身の鍛錬のために空手に取り組んでいるのならなおさら重要となる。バイオメカニクスの基礎知識も活用しながら時にゆったりと、時に全力で形をなぞると、呼吸の重要性を意識し、自分の心の状態を捉え、自分の身体の動かし方を磨くことができるのだ。こうした鍛錬を通じて日常生活の中でも自分の心身のありようを整えることができる。どのような方法を取るにせよ、普段の生活の中で外見を飾り立てることだけに傾注するのではなく、内面に目を向け己があるべき状態に整えようとする意識は、アスリートだけに必要なことではなく、万人にとって意義のあることだと感じる。
(山根 太治)
出版元:扶桑社
(掲載日:2016-01-10)
タグ:呼吸 感覚
カテゴリ 身体
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痛くない体のつくり方 姿勢、運動、食事、休養
若林 理砂
2年先まで初診予約が埋まっているという若林氏が「患者を減らしたい」と筆を取った。
まず現代人がいかに身体の痛みに鈍感かを、実際のエピソードを交えて訴える。認識を変えることはもちろん、病院に行く前に相談できる人の存在の大きさが伝わってくる。次に受診の結果、重大な病気ではなかった場合の対応として、鍼灸師である著者ならではの「ペットボトル温灸」「爪楊枝鍼」といった自分でできる方法を紹介。そして痛みを予防すべく、望ましい姿勢、食事、睡眠、心的ストレスとの向き合い方をまとめた。心身は全てつながっているのがわかる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:光文社
(掲載日:2016-01-10)
タグ:鍼灸 身体 ストレス
カテゴリ 身体
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その症状は天気のせいかもしれません 医師が教える気象病予防
福永 篤志
神経外科の専門医で気象予報士でもある著者が、科学的根拠にもとづいて天気と生体の関係について解説する。気象病、もしくは季節病の歴史は浅くないが、きちんと取り上げられることはなかなかなかった。第1部で気象用語を改めてさらい、第2部では日本人の死因上位に上げられる脳卒中と心臓病に着目。そして第3部にて、スポーツパフォーマンスも左右する腰痛や頭痛、インフルエンザなどの疾患・症状に気候がどのように影響するかを説く。
天気予報をヒントに対策すれば、悩みが改善されるかもしれない。もちろん運動時だけでなく、日常生活をより健やかにするためにも活用したい。また、巻末には忙しい医師の著者が難関の気象予報士試験をどのように突破したかの勉強法も紹介されており、参考になる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:医道の日本社
(掲載日:2016-01-10)
タグ:天気 気候 隊長 気象病
カテゴリ 身体
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ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか
鈴森 康一
ユニークな本
冒頭に「生き物は、自然界で長い進化の歴史を経て生まれたもの、いわば『神様が設計したロボット』である」という言葉が書かれている。本書はロボットの設計者が、理詰めで考えに考えてたどり着いた結論に、生き物が先に到達していることに対する畏敬の念と、それを超えたいという野心とが入り混じった、非常にユニークな本である。私のような工学的知識の皆無な者にはよくわからない部分も多いが、そういうことを気にせずに楽しく読めた。
しかし私は、これには少し違和感を覚える。ダーウィンの進化論は「変化(進化)には目的も方向もない」ということを基本としている。そして、「生き物は枝分かれを繰り返すことで多様性を増してきた」と主張している。途絶えてしまった枝は二度と復活しないし、枝が後から交わることもない。しかし、ロボットは何かの目的のために設計されるものである。枝を分かれさせるのも交わらせるのも、途絶えた枝を復活させるのも人間の意図次第で可能だ。
そう、生き物は意図的にその形や機能を獲得したのではなく、今生きている種は、枝分かれを繰り返して今も途絶えていない種だというだけである。たとえそれらが理にかなっている形態や機能を持っていて、それを神様が設計したのだとしても、自分の設計したロボットが意図せずそれに似てしまったというのは、ロボット設計者の傲慢ではないだろうか。それは、自分たちが神様に近づいたと言っているのと同じだから。そのうち自分を創造主と錯覚してしまうのではないか、というとSF漫画の読み過ぎだろうか。
ロボットは、色々なタイプの試作品を作り、改良を加えたり、後戻りして設計しなおしたりして、より完璧を目指すことができる。一方、生き物も確かによくできている。しかし、理詰めで設計されているわけではない。手持ちの能力で何とか目の前の現実に対処してきた結果の産物である。生き物の機能や形態や行動が理にかなっているというのは、後づけの理屈なのではないだろうか。『PLUTO(プルートゥ)』という漫画をご存知だろうか。鉄腕アトム「地上最大のロボット」を浦沢直樹さんがリメイクしたものである。ロボットに「命」はあるのか。ロボットが感じる喜びや悲しみや怒りや憎しみといった「心」は本物だろうか。結局、ロボットと人間はどう違うのだろうか、という問いかけがドスンと伝わってくるすごい漫画である。
現実の世界では、ロボットはどこまで発達するのだろうか。従来のロボットのイメージは産業用ロボットのようにパワフル・頑丈・正確というものであった。しかし近年、生き物のように柔らかさを備えたロボットの研究開発が進んでいるらしい。スキッシュボットという大きさや形や柔らかさが自由に変わるロボットは、身体の形を自在に変えて狭い空間にも入り込んでいける。ドラえもんの手にそっくりなロボットアームは、相手の形に合わせて形を変えることでどんな形状のものでもつかむことができる。意外に感じるが、従来のロボットはドアノブを持ってドアを開けたり、ビーカーのような硬くて割れやすいものをつかむのが苦手であった。しかし、ロボットが柔らかさを獲得することでそれらが可能になる。さらに、多少の損傷なら壊れた組織を自分で修復してしまうようなロボットの実現の可能性も示唆されている。
こうなると、漫画や映画の世界が現実のものになるということも、全く否定できなくなりそうだ。人工知能が飛躍的に発達し、「心」が芽生えることも近い将来本当にあるかもしれない。
命は生き物にしかないか
本稿の構想を練っている時期に、私は身近な人を2人も亡くした。このことは、私に生命について考えるという機会を与えてくれた。
ロボットが生き物に近づけば、それを「命」と呼ぶようになるのだろうか。ロボットが稼動している状態を「生きている」というのだろうか。ロボットが修理不能となり廃棄せざるを得なくなったことを「死」と捉えるのだろうか。長年苦楽を共にしたマイカーを廃車にするときに泣いた、という話はよく聞くが、それとは違う次元でロボットにも「命」があると言えるのか。それとも、「命」とは生き物にしかないものなのだろうか。
生き物とロボットの違いってなんだろう。
(尾原 陽介)
出版元: 講談社
(掲載日:2012-12-10)
タグ:進化 形態
カテゴリ 身体
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アナトミー・トレイン 徒手運動療法のための筋筋膜経線
トーマス・W. マイヤース 谷 佳織 板場 英行 石井 慎一郎
2009年の翻訳第1版、2008年の原著第2版の発行を経て、待望の翻訳第2版だ。全面新訳、オールカラー、DVD付とさらなるわかりやすさを目指したものとなった。トレインとは、列車のことである。1つずつの筋を解剖的に学んでいくと、関節において屈曲・伸展などどのような機能を発揮するかを知ることになる。
これを踏まえて本書は、直接つながっていない筋が筋膜を介したつながりを持っていることを示し、「バック・ファンクショナル・ライン」などのラインで身体の構造を改めてみていく。姿勢を読み解き、改善をもたらすための手がかりとなる可能性がある。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:医学書院
(掲載日:2013-01-10)
タグ:筋 筋膜
カテゴリ 身体
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ランニング障害改善BOOK 走りながら痛みを改善する新メソッド
鈴木 清和
ランニング中に起こる痛みの部位や症状から、走り方の悪い癖を突き止め、その改善方法を実践できるようにまとめられている。
セルフコンディショニングをサポートするメソッドではあるが、巻末にはセルフカルテの書き方についても触れており、指導者や治療家がランナーの日々の様子を共有するヒントも含まれているのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2013-05-10)
タグ:ランニング障害
カテゴリ 身体
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身体のいいなり
内澤 旬子
うらやましい心のしなやかさ
世にあまたの“スポーツ感動物語”があるが、実は主役(選手)にとっては“好きで夢中にやった結果そうなっちゃっただけの物語”を、まわりの感動したい(させたい)者たちが寄って集って感動の物語に仕立てているだけなのかも知れない。“がんばる”ことは選手にとって当たり前のことだからだ。
そんな“がんばった姿”に、私の妻は我慢することなく感動し、大いに涙を流す。スポーツ番組やダイジェスト、さらにはお涙ちょうだい式の“がんばった”物語を観てもそうで、見事に制作者の意図にひっかかり、ボロボロと大粒の涙を流す。そのたび子どもたちから冷かされているが、子どもたちは、そういう母を茶化しては自分も泣きそうになったのをごまかしているのだ。
齢をとると涙もろくなるというが、むしろ感受性が豊かになり素直に反応できるようになった結果がそうさせるのだと思う。心が弱くなったり脆弱になるのでなく、むしろ心がしなやかになるのだ。
うーむ、素晴らしい。妻のような素直(単純?)な人格を手に入れたいものである。私はというと(涙もろい年頃になって早幾年だが)、冷やかされるのが嫌で、バレないよう目をぬぐったりしている体たらくなのだ。
さて今回の『身体のいいなり』は、乳癌を患い、治療の「副作用から逃れたくて始めたヨガにより」、癌の発覚前より「なぜかどんどん元気になっていった」自らの体験をつづったエッセイである。決して“闘病記”ではないと著者の内澤旬子はいう。闘病記とは、よほど「進行した状態の癌の治療に向き合う場合」をいうのであって「初期癌の治療で『闘う』と言われても、気恥ずかしく申し訳ない気持ちで一杯になる」のだそうだ。「世の中にはもっともっと苦しい、それこそ文字通りの『闘病生活』を送っている人がたくさんいる。それに比べたら私の癌なぞ書くほどの体験と思えない」という気遣いもあってのことなのだろうと思う。
身体の声を聴く達人
「生まれてからずっと、自分が百パーセント元気で健康だと思えたためしが」なく、「『病気とはいえない病気』の不快感にずっとつきまとわれてきた」身体がどんどん元気になってきたというのだ。その体調のよさとヨガとの因果関係はわからない(著者も言及していない)が、しかし小さい頃から「じりつしんけい、とか、きょじゃくたいしつ、という言葉を聞き知って」おり「当然のことながら、運動は大嫌い」だった著者が、「筋肉オタク」を自称するまで「ヨガ」にハマっているのである。その理由は「気持ちいい」からだ。「マット一枚のスペース」があればでき、身体によさそうなヨガを「スピリチュアルなものとは距離」を置きつつ恐る恐る始めたところ「なんの魔法をかけたのですかというくらい」「布団に入った瞬間にことりと眠りに落ちた」ほどに不眠から解放されたのだ。そして「そのうちに終わった後、身体の真ん中、心臓の裏側あたりが強烈に気持ち良くなる」身体感覚との出会いで決定的にヨガが好きになっている。運動など苦手でも、このような身体の声を聴けることは立派に“体育の達人”といえる。
癌以前にも「足指を一つずつつまんでほぐしてもらい、身体のどこかに手を当てて、身体の中に流れのようなものを作るという」「操体」という「治療術」で「ある日突然、腕がくるくる」と「動かしたかったように」動くという体験をしている。さぞ気持ちよかったろうと思う。
この“キモチイイ”というキーワードは重要で、ちょっとしたボタンのかけ違いで“がんばる”ことが先行すると、いとも簡単に人は運動嫌いになってしまう。
身体は、がんばりたい?
「『がんばって』は私がなにより嫌いな言葉」なんだそうだ。しかし治療に関して著者は「それなりに大変な思い」と控えめに表現はしているものの、「二度の部分切除を経て乳腺全摘出、そして乳房再建と手術」を重ねるなど、相当な修羅場をくぐって癌と闘い、“がんばって”生きてきたことは想像に難くない。
表紙のイラストにしても、裸の女性が右手を植物に絡まれながらも、左手で乳房を引ん剝いて“病気のいいなりになんかなるものか”とばかりにベロを出し、がんばっているではないか。“がんばる”という行為は、“キモチイイ”という身体感覚の反対側にあるようなものかもしれない。だけど運動の“キモチイイ”を知っている人は、“がんばった”先に“キモチイイ”が待っていることも知っている。
そんなに“がんばらない”ことにがんばらないで、“がんばりたい”と身体が言っているのだから、がんばる“身体のいいなり”になってもいいんじゃないかなあと、お節介ながら思うのである。
(板井 美浩)
出版元:朝日新聞出版
(掲載日:2013-10-10)
タグ:身体 不調 闘病
カテゴリ 身体
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五十肩はこう治す! 知るだけで治りがよくなる「体のスイッチ」
高林 孝光
いわゆる「五十肩」を抱える人は多い。治療がうまくいかず、本当に治るのか不安を抱えている人に、まず五十肩とはどういう症状なのか、何が原因かを解説していく。そして生活習慣を見直し、ベースとなる筋力を鍛え、症状ごとに関係する部位にアプローチする方向へと導く。専門用語や治療の流れがシンプルに説明されており、患者とのコミュニケーションを深めるのに役立ちそうだ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:自由国民社
(掲載日:2013-11-10)
タグ:五十肩
カテゴリ 身体
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腰痛改善BOOK
矢野 啓介 奥川 洋二
「ランニング障害改善BOOK」に次ぐ改善シリーズ。一口に腰痛と言ってもさまざまな種類があるが、腰を反らすと痛い、前に屈むと痛いなど「どう動くと痛いか」で4つに分類。その痛みを引き起こす身体のゆがみと日常生活のクセをつきとめた上で、日常習慣の改善および筋のバランスを正常に導く関節ストレッチ&トレーニングを紹介している。
身体1つで行えるものが多く、セルフコンディショニングとして紹介しやすい。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2014-02-10)
タグ:腰痛
カテゴリ 身体
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からだの“おかしさ”を科学する すこやかな子どもへ6つの提案
野井 真吾
新版発行に当たってデータを最新化、また高校生にも読めるよう表現を改めた。現場の教員や保護者たちの持つ違和感、たとえば「すぐ疲れたと言う子供たち」を受け、自律神経の不調や前頭葉の発達不全、貧血といった要因を科学的に探っていく。
もちろん最終的には要因も改善方法もひとりひとり異なるが、現場と研究の力を合わせて、不調を抱える子どもに寄り添う役割の大きさを改めて考えさせられる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:かもがわ出版
(掲載日:2014-05-10)
タグ:子ども
カテゴリ 身体
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あわいの力 「心の時代」の次を生きる
安田 登
こちとら体育教師、だが驚いた
きっかけは、オイゲン・ヘリゲル著『日本の弓術』(岩波文庫)だ。
大正から昭和にかけ東北帝国大学の招きで哲学を教えにきたヘリゲルが、日本文化に触れるため習った弓術を通して知った西洋人と日本人のものの見方の相違を、ドイツ人らしく論理的に説明した講演の記録だ。矢をいかにして的に当てようかとする西洋の考え方に対し、日本の弓術ではなんと、“的を射ようとしてはいけない”のだ。けれど当たらないといけない。しかも、弓を引いた“私”が当てるのではなく、“矢”が自ずと的を射る、という身体のあり様を善しとする、というような内容だった。
ある日、ドイツ語の教授(本職は哲学)にお茶飲み話の中で、体育教師なら読んどかなきゃダメだよと言われ、てやんでい、こちとら体育教師だい、身体のことに関しちゃオイラのほうが......と、なぜか江戸っ子となって息巻いて読んだら、ひっくり返るほど驚いたのを覚えている。
“体育”そのものへの疑問から舞踏へ
身体を科学的に認知するのが一番偉いと思い込んでいた私だが、しかし思い当たることはあった。身体の大きさを把握するもっとも基本的な指標として身長・体重が測定されるが、体調の良し悪しとか元気の度合い(オーラ?)によって人は大きくも小さくも見えるし、“寝た子は重い”というように、オンブの仕方で人は重くも軽くもなるではないか。私たちは身体に対して科学的に認知するよう刷り込まれてきている。しかし、ここにおいて体育の授業、というより“体育”そのもののあり方に疑問を抱くようになっていった。
そこで思いついたのが“何だかわからないものを習ってみよう”ということで、舞踏ダンサー滑川(なめりかわ)五郎の門を叩いた。舞踏(Butoh)とは、日本が発祥とされる前衛ダンスで、バレエに代表される西洋舞踊(舞い踊る)の“動的”なダンスに比べ、舞踏(舞い踏む)の名のごとく、どちらかと言えば“静的”な動き、時には全く動かずに身体から発する殺気だけで沸き立つ情念を表現しようとするものである。
滑川は、天児牛大(あまがつ うしお)らとともに組んだ山海塾で、ワールドツアーを敢行した。まるで“能”のようだと、はじめはヨーロッパで評価され、日本へはむしろ逆輸入の形で紹介された。山海塾から独立した滑川が、大谷石(帝国ホテルなどの建築で使われた岩石)の採石場近くにスタジオを構え、ワークショップを開催していたのである。
片道1時間ほどの道のりを通い、2011年の秋に滑川が急逝するまでのほぼ10年にわたって(後半はほぼ幽霊の劣等生だったけどね)、毎回毎回、目からウロコの刺激的な体験(雲の上を走るとか、石像が数万年かけて崩れていく様とか、横臥する10メートルのお釈迦様を泡で洗うとか、ナンダカワカラナイこと)をさせてもらった。なんとなく見えてきたような、でもその気づきについてまだまだ教えてほしいことだらけだった。しかし滑川のレッスンは、“体育”に対する視野を広げ、思考を深めるヒントを、山ほど私の身体に刻み込んだ。
間(あわい)にあって媒介するもの
さて今回は『あわいの力』。
「能には、シテとワキという二人の主要な登場人物」がいる。主役であるシテに対してワキは「装束も地味で、目立った活躍をすることも」なく「ほとんどの時間、舞台の上でじっとしている」。ワキの役割は、「自分の身体」を「道具」としてシテの手助けをし、「『あっちの世界』と人間とを」「『媒介』する」ことにある。「この『媒介』という意味をあらわす古語が『あわい・あわひ(間)』」というのである。「あわい」という役割は、「ワキ」特有のものではない。シテにもシテなりの、能には能の、舞踏には舞踏の、体育には体育の「あわい」の振る舞い方があると思う。一見、地味で役に立たなそうなこと(教養とか)、目に見えないこと(建物の土台とか)が重要な役目を果たしているというのはよくあることである。
滑川にもらったヒントが私の身体の中で寝かされ、やっと答えらしきものが口にできるようになった。そこにあらわれた本書には、明快な答えがたくさん書かれていた(負け惜しみを通り越して腹立たしいほどに)。中でも「教師は現代におけるワキの担い手」というのにとどめを刺された。
(板井 美浩)
出版元:ミシマ社
(掲載日:2014-06-10)
タグ:教育
カテゴリ 身体
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セラピストの動きの基本 運動器リハビリテーション新時代
山口 光國 春木 豊
溢れる情報を受け取り利用するのはセラピスト自身である。その自分自身をどう扱うかという切り口で、セラピストとしてのあり方を具体的に解説していく。編著の春木氏が体系化した身体心理学によると、頭で理解するだけでなく、実際に体験して「心と体の動き」に目を向けることが重要だという。
人の身体をみるプロとしての心構えが全編に詰まっている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:文光堂
(掲載日:2014-10-10)
タグ:リハビリテーション
カテゴリ 身体
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4スタンス理論 タイプに合った動きで最大限の力が出せる
廣戸 聡一 レッシュ・プロジェクト
監修の廣戸氏が創案した「REASH理論」のうち「4スタンス理論」がどのように構築されていったかを、一問一答形式で振り返る。4スタンスとは身体の使い方を4種に分類したもの。たとえば逆上がり1つ取っても、逆手がやりやすい人もいれば順手がやりやすい人もいる。それはなぜかを突き詰めていった廣戸氏の粘り強さは凄まじくもある。
後半は、野球・サッカー・ゴルフを行う上での4スタンス理論の活用法、子どもを指導する際に注意すべきこと、30歳代以降の身体の変化に対応するコンディショニングについて提言。
自分の身体を本当に理解できているか、改めて見直したくなる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:実業之日本社
(掲載日:2014-11-10)
タグ:コンディショニング
カテゴリ 身体
CiNii Booksで検索:4スタンス理論 タイプに合った動きで最大限の力が出せる
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解剖学でわかるランニングシューズの選び方
鈴木 清和
著者は駒澤大駅伝部出身。自身の経験もまじえ、記録アップはもちろんケガの予防にも大きく関係するシューズ選びについて整理した。初心者であっても一律に初心者用を選ぶのではなく、着地パターンと足形を主な指標とし、体型・性別も考慮することを勧めている。
着地パターンは筋肉タイプ、適したフォームとほぼ対応しているが、それでもいかに人によって適したシューズが異なるかがわかる。
シューズについて知識を得られるだけでなく、自分の走りを見つめ直すきっかけにもなりそうだ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2014-12-10)
タグ:ランニング シューズ
カテゴリ 身体
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「黒幕」を知れば痛みは治る! あなたの痛みが治らない「本当の理由」
高子 大樹
肩や腰、膝などに慢性的な痛みを抱えている人は少なくない。なぜずっと痛いままなのか、どうすれば治るかを「黒幕」という身近な言葉を使ってわかりやすく解く。本書では筋肉が過度に収縮した状態を「黒幕」と呼び、どの部位が硬くなっているかをチェックする方法、それを改善するエクササイズが紹介されている。それらは自分の身体と向き合う方法であり、専門機関を受診することもその1つと言える。
ただし腰が痛いから腰をマッサージしてもらいに行こう、では「黒幕」を倒せない。痛みの原因に即した治療を選ぶ助けにもなる内容だ。
また、治療途中でも痛みがなくなると通院をやめてしまう、といった患者の考え方にも触れられており、治療家も参考になる部分があるのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:自由国民社
(掲載日:2014-12-10)
タグ:痛み
カテゴリ 身体
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素潜り世界一 人体の限界に挑む
篠宮 龍三
スポーツにおける人間臭さ
スポーツの世界では科学の力、医学の力が日々深みを増し、アスリートの可能性を今まで以上に引き出す手助けをしている。サポートスタッフは充実し、新しいデバイスや栄養食品などが次々に生み出され、アスリートを取り巻く環境は発展の一途だ。最先端にいる新しい領域への挑戦者たちは、あらゆる手立てを用いてその高みを目指す。そう、メジャースポーツは、だ。対極にあるマイナースポーツと呼ばれる数多くの競技は、メジャースポーツで産み落とされる様々な知見を活用することはできても、環境を整えるのには限界がある。だが、メジャースポーツにおいて鼻につくほど人工的な匂いが強くなる一方で、マイナースポーツに色濃く残る人間臭さは、スポーツ本来の姿がわかりやすく見えて好ましく感じることも多い。
競技の魅力
日本国内の競技人口が「男女合わせて100人くらい」の「体系化されていない部分がまだまだ多く、逆に言えば自由度が高い」超マイナースポーツであるフリーダイビング。本書は、その複数種目の日本記録保持者である篠宮龍三氏の「素潜り世界一への挑戦の軌跡」である。
その競技にのめり込んだ理由を、冒頭では「生まれながらに不器用な自分が日本一、世界一を狙える競技」として取り組み始めた、と山っ気たっぷりに表現されてはいるが、ごく限られた人間にしか体感できない深い海に触れられるこの競技に魅了されていることがよくわかる。プロであり、日本の第一人者である以上、このスポーツを職業として成立させなければならないし、世界記録達成や競技普及が確固たる目標になるだろうが、超自然界と一体化するような、言葉では表現しつくせない感覚を存分に味わいたいという純粋な欲求に突き動かされていることが伝わってくる。
水深30mで「水圧で圧縮された肺からは浮力が抜け落ち、ウェットスーツの浮力も及ばなくなる。両手で水をかいたりフィンで水を蹴ったりする必要はない。全身を1本の線のようにするだけで、1秒ごとにおよそ1メートルずつ潜行していく」というフリーフォールと呼ばれる状態。さらに深くなると「脳、心臓、肺といった生命維持に不可欠な中枢器官へ、血液が集まっていく。血液がどんどん送り込まれていくので、脳が熱くなる。逆に指先は、血の気が引くように冷たくなっていく」というブラッドシフトという現象。進化のために人間に至る系譜の中で捨て去った海という環境は人間を拒絶する。水の中で人間は生きられない。海深く潜るということは、死に誘われていくのと同じだ。しかし、じっと水に浮かんでいる状態であれば8分近くも息をこらえることができる人たちはその限界点を、ほぼ我が身ひとつで超えに行く。
しなやかな強さ
神秘の世界では、その魔力に完全に虜になれば生の世界に戻ってくることはできなくなるから、どこかに冷静に自分自身を見つめる目が必要だ。篠宮氏が「親のような自分を同居させる」と表現する感覚だ。そんな自分をつくり上げるためにはトレーニングのみならず、普段の生活の中で深く自分を見つめ続けることが必要だろう。生活のほぼ全てがそのためにあると言っていいかもしれない。その心構えは自分をあるべき自分に押し上げるだろう。人に賞賛されるためでも、報酬を得るためでも、社会的地位の高い存在になるためでもなく、ただ自分がありたいと願う自分にだ。
以前テレビ番組で特集されていた女性フリーダイバーを見たとき、この人は海に引きずり込まれてしまうのではないかという危うさを感じた。海に取り憑かれているのではないかというくらい、ある種の悲壮感を醸し出している気がしたのだ。しかし本書を読む限り、篠宮氏にはそのような印象は感じない。自身が渦中にあった不幸な出来事や、自身の思惑が大きく外れてしまった経験などを通じて激しく懊悩しながらも、過酷な環境で自然に溶け込むために磨き上げたしなやかな強さを感じさせるのだ。氏の目指すコンスタント・ウィズ・フィンでの世界記録達成を心から期待しているし、それが現実となれば驚異的なことだと思う。しかし万が一その数字に到達しなくとも、その歩みは何ら陰ることはない。
我々人間は様々なことを通じて自分を磨き上げていく。スポーツはその手段のひとつで、非常にわかりやすいものだ。そのスポーツを通じて己が変わっていくことを感じる中で、競技というところから純粋な鍛錬とも修行とも言うべき次元にシフトする人がいてもいいように思う。ルールや道具に縛られず、自分自身の身体も含めた自然という存在だけを話し相手に、内に外に意識を巡らせ関わりを探る。そうして自身を磨くことこそが、本来あるべき鍛え抜くという姿のようにも思える。
本書でも紹介されている禅のことばである「修証一等」は、修行は悟りのための手段ではなく、修行と悟りは不可分で一体のものだという意味である。篠宮氏は「頑張ったからといって、素晴らしいご褒美をいただけるとは限らない。一生懸命やったことが証でありご褒美だという気持ちを表す言葉だ」と考えている。心を込めて精一杯生き抜くことが、すでに何らかの証になっている。メジャースポーツであれマイナースポーツであれ、どんな環境にいてもそれは間違いのないことだと思う。
(山根 太治)
出版元:光文社
(掲載日:2015-01-10)
タグ:素潜り フリーダイビング
カテゴリ 身体
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世界をさわる 新たな身体知の探究
広瀬 浩二郎
皆と同じことで勝てるか
科学的トレーニングの目的の1つに“効率がよい”ということがある。一言で(誤解を恐れずに)言うならば“近道を探す”ということである。しかしながら、近道ばかりで成功する者がいた試しはなく、逆に、遠回りのように見える地道な基礎練習が実は効率的だったり、遠回りをしたからこそ今の成功が…、ということはよく聞く話である。
また、トレーニングが科学的であるためには実証的な数値や理論に基づいていることが求められる。そして、それが多くの人に当てはまり、誰にでも理解できる“言葉”でつづられていることが重要である。しかしながら、どの教科書を見ても書いてないとか、教科書に書いてあることが現場で直接応用できた試しなどないとか、カリスマが出てきて“ブワーッとやれ”と言われたらみんな納得したとか、という話もよく聞く(ような気がする)。
そもそも、皆と同じこと(教科書に書いてあること)をしていて未踏の境地へ達することなどできるはずないし、加えてこういう人はまた“○○ならでは”、“○○だからこそできること”という考え方(この“○○”には“天才”とか“最新機器”などといった有利な言葉だけでなく“地理的に不便(イナカ)”とか“胴長短足”といった、どちらかと言えばハンディキャップとしてとらえられる事柄も含む)ができる人なのである。
このような、科学的理論(一般性)と現実的課題(個別性)に加え、競技力の向上ばかりでなく“人としての成長”などといったさまざまな価値観も現場には導入されてくるから話はややこしくなる。そしてまた、このようなジレンマがあるからこそ現場は面白いのだ(と思いたい)。
「触常者」という、とらえ方
さて今回は『世界をさわる 新たな身体知の探究』である。
編著者の広瀬浩二郎は、国立民族博物館の准教授(日本宗教史・触文化論)で、「視覚に頼らない知的探求の手法として『さわる文化』の可能性を追求、提唱」し、「ユニバーサル・ミュージアム」構想の実現を試みている人である。
一般に博物館とは、「なかなか行くことができない海外の珍しい事物、先人の業績、あるいは肉眼ではとらえられない体内や宇宙の様子などを『目に見える形』で紹介する」ことが主な目的であるのに対し、「ユニバーサル・ミュージアム」とは「ユニバーサルデザイン」の「誰もが楽しめる博物館という意味」である。ひとつの特徴として「さわる」展示を行い、「聴覚と触覚の復興をめざして」いる。「視覚優位の現代社会にあって、あえて“さわる”にこだわることによって」「世の中には『さわらなければわからないこと』『さわると、より深く理解できること』がたくさんある」ことを理解することに眼目が置かれているのだ。
広瀬は「視覚障害者」を「『視覚を使えない』弱者」とはとらえず、「『視覚を使わない』ユニークなライフスタイル」を持つ者「触常者」としてとらえている。対して、視覚を持つ者のことを「見常者」と呼んでいる。言い得て妙。冒頭で、「時に触覚は言語を超えたコミュニケーションのツールとなる」と表現されていることには深く共感した。しかもそれを表現するには“言葉”で言い表すよりほかないという、相反する作業を同時にこなす知力には脱帽した。
本書の中で「さわって楽しむ宇宙の不思議」を担当した嶺重慎(天文学)の言葉が印象深い。「今、『業績』とか『効率』とかいうことばが、社会にあふれています。そこでは『数』がものをいいます。しかし、『数』にとらわれると、目の前にいる『一人の人』が見えなくなります。目の前の人が見えないと、自分も、見失ってしまいます。私たちの行っている活動は、今の社会の価値観に逆行しているようですが、一人ひとりの魂と向き合い、大切にし、ともに感じる感性を育む活動は、時間がかかっても、確実に世に広がっていくものと思います」。
この言葉は“体育”の現場でもそのままあてはまるものとして、常に念頭に置いて一人ひとりの学生と向き合っていきたいと思う。
(板井 美浩)
出版元:文理閣
(掲載日:2015-02-10)
タグ:コミュニケーション
カテゴリ 身体
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足ツボを押すだけでランナーの痛みは消える!
Matty
著者は台湾式をベースとした足ツボ師。「足のプロ」としてランナーに勧めたいセルフ足ツボ&マッサージを紹介している。足裏のどの部分に施すかと手指の形が、カラー写真によって一目でわかるよう構成されている。
ランニング後のケアだけでなく、ウォーミングアップに身体をほぐすツボを取り入れたり、ランニング中の脇腹が痛くなるなどのアクシデントに手のひらのツボで応急処置したりと、活用法は多岐にわたる。
日々のコンディショニングの1つ、そして一般のランナーに自分の足や身体に興味を持ってもらうきっかけにもなりそうだ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:東邦出版
(掲載日:2015-02-10)
タグ:コンディショニング 足ツボ
カテゴリ 身体
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座位マッサージ 肩・首・頭・腰
パトリシア・M・ホランド サンドラ・K・アンダーソン 森岡 望 小坂 由佳
患者が着衣のままで行える座位(チェア)マッサージは、治療院の外、たとえばオフィスやイベント会場など場所を問わず気軽に行えたり、座位の方が施術しやすい疾患を持つ患者にも応用できたりといったメリットがある。
このマッサージについて、とくに需要の高い部位にフォーカスして1冊にまとめた。手技の解説だけでなく、チェアの衛生管理や患者との会話の流れなども具体的に書かれている。
一方、マーケティング計画やプレゼンテーション時の項目を始めとした実践的な事項にも踏み込む。勉強中の学生から、ビジネスチャンスを広げようと考える専門家まで、多くの人の参考になるのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ガイアブックス
(掲載日:2015-02-10)
タグ:マッサージ
カテゴリ 身体
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近くて遠いこの身体
平尾 剛
どのように共有するか
著者は元ラグビー日本代表で、現在は大学の講師。スポーツ教育学と身体論が専門で、「動きを習得するために不可欠なコツやカンはどのように発生するのか、そしてそれを教え、伝える(伝承する)にはどうすればよいかについて思索しています。」とのこと。タイトルにも惹かれて本書を買ったのだが、残念なことに、これについて全くと言っていいほど触れられておらず、著者自身の回顧録のような内容である。オビの推薦文にあるように、本書の内容(=著者の経験知)が「パブリックドメイン」として共有できるとも思えない。感覚も身体の動きも人によって千差万別。たとえトップ選手の感覚であっても、それを共有し、他人が自分の経験知とすることができるものなのだろうか。
「身体能力を高めたい僕たちが本当に知りたいことは、そこに至るにはどうすればよいかという方法論である。でも残念ながらそんな方法論は存在しない。自らが試行錯誤しながら身体を使い続けるなかでの体感を、ひとつ一つかき集める以外に、そこに至る方法はないだろう。」と本文にある。ということは、結局、自分であれこれ試してみるしかないということなのだ。そこに先人の経験知を共有していれば、その試行錯誤の方向性が定まりやすいということはあるかもしれない。だが問題は、それをどうやって共有するか、ということだ。
伝えるために必要なもの
本書で、漫画「バガボンド」について触れられている。吉川英治著『宮本武蔵』を原作とする人気長編漫画である。著者曰く「身体論の研究にはもってこいの書」だそうだ。そこで私は、司馬遼太郎著『北斗の人』を連想した。
幕末に隆盛を誇った「北辰一刀流」の開祖・千葉周作が主人公の歴史小説である。司馬曰く「北辰一刀流がなければ、幕末の様相も多少変わっていただろう」というほどの革命的な流派だそうだ。「『他道場で三年かかる業(わざ)は、千葉で仕込まれれば一年で功が成る。五年の術は三年にして達する』という評判が高く、このため履物はつねに玄関から庭にまであふれ、撃剣の音は数町さきまできこえわたって空前の盛況をきわめた」というほどであり、その特徴は「凡才でも一流たりうる」という独特の剣術教授法であった。そして千葉は、剣法から摩訶不思議の言葉をとりのぞき、いわば近代的な体育力学の場で新しい体系をひらいた人物なのだそうだ。
一方、武蔵が開いた「二天一流」は幕末期には衰退していた。武蔵が記した「五輪書」にも刀の持ち方とか足さばきとか、具体的なことが書いてあり、摩訶不思議な言葉を並べているわけではない。たとえば「太刀の取様は、大指人さし指を浮けて、たけたか中くすしゆびと小指をしめて持候也」という具合である。しかし、この違いはなんだろう。時代背景も違うし、流行が流行を呼んだということもあるかもしれない。そもそも2人の剣豪を比較するつもりもないのだが、ここで私が考えたいのは「凡人でも一流たりうる」ためのコツやカンを、他人に伝えることは可能なのかということである。
本書にあるとおり「言葉を手放し、『感覚を深める』という構えこそが、運動能力を高めるためには必要」であり「『感覚』を拠り所にすれば、そこには努力や工夫の余地が生まれる」のだとしても、その感覚や経験知を伝えるためには結局言葉や方法論が必要なのではないか。
ブルース・リーは映画『燃えよドラゴン』(1973)で「Don’t think! Feel!」と有名なセリフを言ったが、実際には「感じろ!」だけではコツやカンを伝えることはできない。もっとコツやカンとは何ぞやということを掘り下げないと、それをどう伝えるかも考えられない。
本書に紹介されているエピソードに興味深いものがある。ラグビーの強豪ニュージーランドの20歳以下の代表チームと対戦した際に著者が経験した「狩るディフェンス」だ。わざと走り頃のスペースを空けて走りこませ、挟み撃ちにするのだ。ニュージーランドのラグビーの中でその技が伝統として継承されているという。メンバーの入れ替わる代表というチームで、阿吽の呼吸が必要なこういうプレーがどのように伝承されているのか。イメージなのか感覚や経験知なのか。ここにコツやカンとは何か、どう伝えるかというヒントがあるように思う。とても興味深いテーマに挑んでいる平尾氏の続編を期待したい。
(尾原 陽介)
出版元:ミシマ社
(掲載日:2015-04-10)
タグ:身体感覚 ラグビー 教育 コツ カン
カテゴリ 身体
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ボディ・ナビゲーションムーブメント 筋肉と骨と神経を組み立て、解剖と機能を学ぼう
アンドリュー・ビエル 阪本 桂造
2005年に刊行された「ボディ・ナビゲーション」で人体の組織や機能を解説した著者が、本書では動きの成り立ちを追う。カラーイラストには建設作業員や設計技師などに見立てたマスコットが登場し、骨を始めとした結合組織・関節・筋肉・神経などのパーツを組み立てていく。
ユニークな切り口だが、設計がわかれば、どう動くかも理解しやすいと言える。最後の2章で姿勢と歩行について取り上げているが、それ以外の日常において行われるさまざまな動作に関しても応用できそうだ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:医道の日本社
(掲載日:2015-07-10)
タグ:解剖学 機能解剖学
カテゴリ 身体
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重力との対話 記憶の海辺から山海塾の舞踏へ
天児 牛大
舞踏家によるレッスンの魅力
以前にも書いたと思うが、齢四十を越え“身体”とか“スポーツ”とか“体育”とかに対する科学的なものの見方に疑問が生まれるようになった私は、“ナンダカワカラナイ”が何だか魅力的な舞踏ダンサー滑川五郎に教えを乞うた。レッスンは、“雲の上を走る”“石像になる”“宇宙の詰まった卵の中で動く”などなど、やはりナンダカワカラナイもので、“強くなるためのトレーニング”や“速くなるための動きづくり”といった思考回路で運動を捉えているのでは到底理解できないものばかりだった。
しかしワカラナイながらも身体の方にはストン!ストン!と心地よく入ってくるものが多かった。何より、挨拶を交わすため向い合った滑川の立ち姿の美しさは圧巻だった。
舞踏といえば「それは白塗りの、時には半裸や剃髪の、あるいは女装をしたダンサーが、ゆっくり動くダンス。リズムに合わない動き、腰を落とした内股、操り人形のような姿態。半眼や白目、歪曲などを伴う大胆な顔の表情(原田広美著『舞踏大全』より)」で動くもの、そのような生半可な知識しか持たない私にさえ、滑川の立ち姿は舞踏が表現する世界の素晴らしさを垣間見た気にさせてくれるのだった。
それぞれに理由がある
さて、今回の『重力との対話』の著者、天児牛大(あまがつ うしお)は、滑川とともに「山海塾」という舞踏カンパニーを1975年に立ち上げた主宰者である(山海塾の活動は現在も続いている。滑川は1987年に独立。2012年逝去)。
本書には天児の半生、作品への想いや創作の理論などが綴られている。天児は山海塾の舞台で「仏倒れ」という振り(直立姿勢から後方にそのままバタン!と倒れる)を見せる、凄まじい身体能力の持ち主である。そういう人の、つまりは舞踏ダンサーの表現法の秘密が書かれているわけで大変興味がそそられる。
たとえば「半眼」で動く、世の中を見る、ということを滑川はレッスンでよく言っていた。半眼とは、仏様のような、瞼を半分開いた(閉じた)状態のことをいう。
そうする理由を天児は次のように説明する。「人はアウト・フォーカスな視野でいるとき、なんとなくその場の総体を身体でレシーブしている。つまりなにかひとつ特定のものをはっきりと見据えていないからこそ、自分の周囲三百六十度にどのような物事が蠢いているかを全容的に把握できる。だがそうしたパノラマからなにかひとつの出来事をセレクトし、自分の視点をある一点にフォーカスしていくと、そこには『選んだものを見る』という揺るぎない意志が生まれる。あるひとつの物事を周囲から切断し、全神経を注ぎ、それを『見る』。そのような確たる意味付けを持って、あらためて行動していくことになる」。半眼が単なる薄目と異なることがよくわかる。
ほかにも、山海塾の稽古場に鏡を置かない理由(滑川のスタジオにもなかった)は「鏡に映る身体を訂正するという表面的手法とは異なる」「自分の内部を覗いていくような」やり方で身体を操作していくためであるとか、「横たわった姿勢から床面に座る姿勢、あるいは立つ姿勢へと最小の筋力で移る」動作は「ゆっくり」「ていねいに」行うことで「身体のうちに緊張と緩和がとなりあっているのをよりよく気づかせ」てくれるといい、外面的な視覚情報よりも、身体内部の感覚を研ぎ澄ますことの重要性を述べている。
また「共鳴と共振」「意識の糸」「息の行方を探る」「ダンスと身体」「成立させたくなるなにものかを求めて」などなど、天児の創作に対する考えが綴られていて舞踏というものが少しはわかったような気にさせられるとともに、これらの理論は競技的運動の中にも案外応用できるのではないかと考えたりもした。
旅路で思うこと
余談だが、自伝的な部分はどうやら天児が「自分で書くのは気恥ずかしい」とかで、「聞き書き」という形式が取られている。しかしながら、この聞き書きをした岩城京子というパフォーミング・アーツ・ジャーナリストの文章がなんとも知的で美しい。聞き出したものを文章化する作業とはいえ、この静謐でスマートな“世界感”には書き手の力量が大きく反映しているに違いない。その上、この仕事を依頼されたのは岩城が二十代の頃だというから才能というのは怖ろしい。この人には芸術の深淵が見えているんだろうなあと、心の底からうらやましい。
それに引き換え私といえば、齢五十も半ばを迎え、悟ることなく毎回グルグル問答を繰り返し、舞踏の何たるか、芸術の何たるか、体育の何たるか、人生の何たるかがいまだ見えず、夜なべに(もう朝だが)文章をひねり出しながら“自分探しの旅”はまだまだ続いているのである。
(板井 美浩)
出版元:岩波書店
(掲載日:2015-10-10)
タグ:舞踏 自伝
カテゴリ 身体
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7つの意識だけで身につく強い体幹
吉田 始史
吉田氏は自らの道場を持つ一方、看護師の顔も持つ。さまざまな知識・経験を「運動基礎理論」と題してまとめた。その中で、単純な筋力の意味に留まらない「強い」体幹のつくり方を紹介する。
軸として著者が挙げるのは、①背骨、②仙骨、③股関節、④首、⑤肩胛骨、⑥腰力、⑦呼吸の7つ。つまり姿勢と呼吸を常に意識することだ。後半では、その体幹の力を効率よく使うためのコツや、トレーニングで意識すべきことが丁寧に解説されている。
アスリートから子ども・高齢者まで対象を問わない内容だ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2015-12-10)
タグ:体幹 トレーニング
カテゴリ 身体
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右脳の空手
大坪 英臣
著者は船舶工学の権威。65歳で研究・指導生活に区切りをつけ、第2の人生を模索する中で空手と出会った。スポーツ科学を学んだ人からすれば、ケガの対応方法などハラハラしてしまう記述もあるが、これまで運動習慣のなかった人が運動を継続する理由、どんなきっかけで楽しさを見出すかという例としても興味深く読める。
達人と呼ばれる人たちの技を受けたときや、自分より力の強い人を投げてしまう感覚を言葉で説明するのは難しいもの。いわば頭脳の世界で長く生きてきた著者が、それを考えるより先に身体で=心で受け止めようとする姿勢には敬意すら感じる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:風雲舎
(掲載日:2016-06-10)
タグ:空手
カテゴリ 身体
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アレクサンダー・テクニーク完全読本 体がよみがえる姿勢と動作
Richard Brennan 青木 紀和
アレクサンダー・テクニークとは100年以上前に、俳優が自身の発声の不調原因を探る中で構築されたメソッド。過剰な筋緊張を解消することで、リラックスした状態とスムーズな動きを取り戻し、腰痛・肩凝りなどの痛みも緩和するというものだ。表現者やスポーツ選手に留まらず、現代社会を生きる人の悩みに広く対応できる。
特徴は自分自身でどの部分に無駄な力が入っているか認識した上で、改善に持っていくところ。紹介されている理論、エクササイズともシンプルだが、その分奥が深い。本書では患者と指導者双方が知っておきたい内容が網羅されている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:医道の日本社
(掲載日:2016-06-10)
タグ:アレクサンダー・テクニーク ボディーワーク
カテゴリ 身体
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PNFスポーツオイルマッサージ 動的×静的アプローチで深部筋肉・神経まで働きかける!
田中 代志美 辻 亮
辻氏、田中氏ともアイアンマンレース世界大会の公式トレーナーを務める。辻氏のPNFを基にした手技と、田中氏のマッサージ手技を組み合わせたテクニックを紹介。オイルマッサージの経験がない人でもスムーズに取り入れられるよう、精油の種類についての記載もある。仰向け/うつ伏せ、上肢/下肢という構成で、豊富な写真とともに施術のコツや効果をわかりやすくまとめた。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2016-08-10)
タグ:オイルマッサージ PNF
カテゴリ 身体
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つらい腰痛は「浮かせて」治す!
中川 忠典 日本FMT腰痛治療協会
日本FMT腰痛治療協会の治療法を紹介した本です。今までこの手の本をいくつも読んできましたが、その多くは現代医療に対する批判がやたら多かったりするものや、作用機序や原理原則が乏しいわりに成功例だけをことさらに主張するものだったりしました。正直なところ、そういった先入観を持って読み始めたのですが、「腰痛診療ガイドライン」など信憑性の高いものからの引用が多く、最新の医療現場の状況を詳しく解説されていたので、見る目が変わりました。
「浮かせて」というタイトルの文言ですが「プロテック」という治療装置を使った治療だそうです。「高い高い」をされているような状態で重力から解放するという新しい試み。ただその器具だけに頼るのではなく、筋トレ・ストレッチとの組み合わせやブロック注射との併用などの例も紹介されていました。
抗重力という視点は近年注目されていますが、それを基軸にした新しい治療法だと感じました。しかもロコモティブシンドロームなど自分の体重を支える余裕がなくなることに対する問題提起もなされていて、決して「浮いている」だけで腰痛が治るのではないという点もとても大切なことで、体幹トレーニングを中心としたケアに関しても解説があります。
今後どのくらい効果があがるか期待したくなる治療法です。
(辻田 浩志)
出版元:現代書林
(掲載日:2017-04-21)
タグ:治療 腰痛
カテゴリ 身体
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感じる力でからだが変わる 新しい姿勢のルール
メアリー・ボンド 椎名 亜希子
機械と違って人の身体は融通が利きます。配線一本、部品一つの故障や欠落でも動かなくなることもある機械に対し、人の身体はそれなりに動いてくれます。それだけ一つの動きに対しても様々な部位や組織が働くことにより、多重にサポートすることが多々あります。
逆に身体をうまく機能させることができなくてもそこそこ動いてくれるので、問題意識がないまま何年も何十年も好ましくない動きや姿勢を続けてしまうことにより、関節や組織に負担をかけ疼痛を伴う機能障害を起こすことが少なくありません。
「正しい身体の使い方」とか急に言われてもたいていの方は戸惑われることでしょう。人は目的の動きは意識できても、個々の身体の使い方なんて意識したことがありませんので、何が正しくて何が間違っているかを知らなくて自分の身体を使っているのです。
本書は自分で気づかなかった自分の身体を知るための問題提起をしてくれます。人の身体について、解剖生理学では便宜上個々のパーツを学びますが、それぞれの組織のつながりを解き明かすことで身体の機能的な使い方を示しています。
著者の意図するところは、ご自身の知識をそのまま読者に与えるのではなく、様々なエクササイズを通じて読者が自分自身でそれを感じることを促します。なぜならば知識として知っているだけでは意味がなく、あくまでも体験することで実際に正しい身体の使い方に近づくことができるからです。
ここで紹介されるエクササイズは決して目新しいものではありません。ヨガやピラティスなどで行われるものが多くあります。筆者自身もヨガやピラティスを勧めています。
ただ何も考えることなくそういったエクササイズを行うのではなく、そういったものにどういう意味や目的があることを示している点が本書のもっとも優れたところだと思います。何も考えることなく言われた動きをしているだけでは身体を感じるという一番重要なポイントが抜けるからです。意識を身体の内側に向けて普段何気なく動かしている身体がどう動いているかを意識する習慣づけこそが、将来襲ってくるかもしれない身体の機能障害を未然に防ぐ近道だと思うからです。
ヨガなどをなさっている方は大勢いらっしゃるでしょうが、動きの意味や目的まで考えている方はそんなには多くないでしょう。
『感じる力でからだが変わる』というタイトルは、エクササイズをしたから変わるのではなく、「感じる力」を身につけた人こそ身体を変えることができるという筆者のメッセージそのものなんだと確信しました。
今まで感じたことのなかった身体のつながりを体感できたことは、私にとって大きな収穫でした。
(辻田 浩志)
出版元:春秋社
(掲載日:2017-04-22)
タグ:ロルフィング
カテゴリ 身体
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古武術「仙骨操法」のススメ
赤羽根 龍夫
西洋から発したスポーツは力を尊び、日本の武道は個々の筋肉の力にのみ頼るのではなく、効率的な身体の使い方で力を生み出す。武道などでは「極意」という言い方になるのかもしれませんが、本書は日本古来の身体の使い方を今風に解説したものです。
今やスポーツの世界もバイオメカニクスなどの研究が進んでいますので、筆者の思い描いているようなものとは少し違ってきているように思いますが、本書の特筆すべきポイントは言語化しづらく観念的であった「極意」というものを解剖生理学的な解説により具体性を持たせたところにあると思います。
本来は身体で覚えるべきものではありますが、正確な解説に沿えば遠回りしなくて済むかもしれません。
さらには身体の使い方に対する理解が深まることで、鍛えるべきポイントも見えてきそうな気がします。
個人的な感想ではありますが、「筋力」と「極意」は二律背反ではありません。近代スポーツでは様々な角度からのアプローチが試みられています。効率的に力を生み出す技術はその中核にもなりうる事項だと思いました。
(辻田 浩志)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2017-06-03)
タグ:古武術
カテゴリ 身体
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「黒幕」を知れば痛みは治る
高子 大樹
治療家がいくらレベルの高い知識を持っていても、それが患者に伝わらなければ納得はしてもらえません。納得のないところに「信頼」は生まれないでしょう。難しい理論を語る治療家は大勢いらっしゃいますが、治療家が考えていることを正確に伝えられることとはまた話は別になってきます。
治療家が考えていることをわかりやすくかみ砕いた説明が、この本の特徴だと思います。治療家と患者の考えのギャップを埋めるにはちょうどいい本ではないかと思います。
内容的にも奇をてらったものはありませんし、比較的オーソドックスなものだといえるでしょう。
治療家が百人いれば百通りのアプローチがありますので、考え方の違う人も必ずいらっしゃるでしょうが、私としてはおおむね異議なしといったところ。
「黒幕体操」なるものが後半に登場しますが、これも一般的によく行われている運動法ですのでお勧めしたいところです。要はこういうところで「黒幕体操」というネーミングで興味を持たせるところに筆者の知恵を感じます。こういう演出も場合によっては必要です。
読者が興味を持たず印象に残らない内容であれば意味はありません。そういう点で面白く読ませていただきました。
(辻田 浩志)
出版元:自由国民社
(掲載日:2017-06-14)
タグ:痛み 治療
カテゴリ 身体
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“手のカタチ”で身体が変わる! ヨガ秘法“ムドラ”の不思議
類家 俊明
ヨガを習い始めてちょうど10年。それでも「ムドラ」について教わったことは一度もありません。日本でヨガをやっている方で、ムドラについてご存知の方はきっとごく少数なんだろうと思います。それだけ難しいのでしょうか。とりわけ日本のようにスポーツジムでやるエクササイズの感覚ではムドラは受け入れられないのではないかと想像します。
「ムドラ」っていったい何なのかといえば、「手印」のことをいいます。実は意外に身近にもあるのですが、仏像がしている手の形がムドラです。アニメで「NARUTO」というのがありましたが、登場する忍者が術を発動するときの手の動き、つまりは印を結ぶことがムドラの説明としてわかりやすいかもしれません。
昔から忍者もののアニメや映画では呪文を唱えて印を結び不可思議な術をかけるというのがお決まりですが、見るからに怪しげな行為ゆえに科学的根拠を求められる現代においては敬遠されがちなのかもしれません。
本書の一番の特徴は突き詰めて勉強すれば深遠で理解しがたいムドラをヨガの体操に落とし込み、誰にでもできる簡単なものにした点だと思います。ラジオ体操のような「M3体操」なるものを考案され、手軽にムドラの持つ不思議な効果を実感できるというのは画期的だと思います。これでハードルはかなり低くなったのですが、わけのわからないムドラというものを腑に落ちぬままやっても気持ちよくできるはずがありません。そこで筆者はいくつかのムドラを使い、簡単な運動を紹介し、ムドラの効果を読者に体感してもらおうという試みもあります。やってみるとなるほどと感じるものがありました。
なぜ手で印を結ぶことで不思議な効果を得られるのかについては、ペンフィールドの大脳地図を引き合いに出して解説されています。もちろんその解説ですべて納得できるわけではありませんが、傾聴に値する意見だと感じました。さらに手の形で身体の力が引き出せることをムドラとするならば、ゴルフクラブやバットやラケットの持ち方(つまりは手の形)で身体操作を円滑にするということもムドラと同じだと説きます。
もっと深いところのヨガの理論はさすがに期待できませんが、手軽に始められるものとしてはとても読みやすい本だと思います。
(辻田 浩志)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2019-07-22)
タグ:ヨガ
カテゴリ 身体
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「動き」のトリガーポイント
マーティー 松本
筋肉や関節の痛みといった、日常生活や運動に支障をきたす症状に悩まされている人々がいます。その症状を改善するため、もしくは症状はないがこれからも健康でいるために、中高年の方々が運動やスポーツを始めることも増えてきました。運動が健康に効果的な一番の理由は、運動することによって筋の機能が維持・改善されるためです。つまり、筋の機能を高く保つことで長く健康でいられるということです。しかし、一般の人より筋の機能が高いはずのプロスポーツ選手であっても、筋肉や関節の痛みに悩まされることがあります。そういった症状に悩まされるのはなぜなのでしょうか? 筋の機能のレベルが関係ないのであれば、症状を引き起こす原因は何なのでしょうか?
本書ではアメリカの研究文献をもとに、筋肉や関節の痛みなどの症状を引き起こす原因は、様々な動きの中で筋肉を酷使することによって筋肉内に形成された硬結(特定の部位に負担がかかり続けたことで形成される、短縮した筋節が集まったコブのような状態)にあるとし、それが引き金となって痛みを発生させるため「トリガーポイント」と呼称し、これを解消することが必要だとしています。また、「トリガーポイント」を解消しない限り、何度も同じ症状が再発する可能性が高く、身体に動きの制限がかかり続け、いずれは日常生活や運動だけでなく仕事にも影響が出てくるともしています。そして、「トリガーポイント」を解消するために必要なことを解剖学や生理学、圧迫や施術・マッサージの基本から説明しつつ、実際に解消するための方法について、図や写真を交えて詳細に述べています。
本書は同じ著者による『すぐわかる! すぐ使える! トリガーポイント療法』の続編的な存在として刊行されており、上記書籍ではカバーしきれなかった内容・症状を扱っているようです。上記の書籍を併せて読むことで、より理解が進むでしょう。
(濱野 光太)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2019-08-16)
タグ:トリガーポイント
カテゴリ 身体
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近代日本を創った身体
寒川 恒夫 中澤 篤史 出町 一郎 澤井 和彦 新 雅史 束原 文郎 竹田 直矢 七木田 文彦
まず驚いたのは本書のテーマと切り口です。近代日本史でもなくスポーツが日本に普及するいきさつでもなく、明治時代から戦後の昭和に至るまでの日本人の身体を通して見る国家であったり健康であったりスポーツであったり、盛りだくさんのテーマがあります。普段見ることのない角度からの近代日本からは、歴史の教科書にはないものが見えてきます。
江戸時代にはスポーツのような競技の概念はなかったようです。武道・武術が近いのかもしれませんが、やはり戦を前提としたもので、今の時代のように身体を動かして楽しむというレクリエーション的な要素は少ないのかもしれません。現在の日本人から見れば全くの異文化ともいえます。
明治以降、ヨーロッパを中心とした諸外国との交流があり、人種による体格の違いに劣等感を持ったり、江戸時代には寛容であった「裸体」に対する文化の違いに当時の日本が焦りを感じていたことを初めて知りました。
「体育会系」という風習の生い立ちというテーマも今まで触れる機会はありませんでした。それが政治的な背景で生まれ育った概念で、また体育会系というのが縮小傾向にあるのもまた政治的背景。不思議なつながりに翻弄されるさまは一つのストーリーとなっています。
スポーツをプレイと捉えるのではなく人間形成であったり教育の一環として捉える日本ならではのスポーツ感にも、時代の背景が潜んでいることに気づかされました。
明治維新から戦争まで動乱の近代日本の歴史を通して見る身体には、その時々の日本の問題点が隠されていました。そしてそれらは過去のお話ではなく今の時代にもつながるテーマがいくつもありました。現代の問題を読み解くカギは、知られざる歴史にこそあるのかもしれません。
(辻田 浩志)
出版元:大修館書店
(掲載日:2020-12-09)
タグ:近代 身体 日本
カテゴリ 身体
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カラダの意外な見方・考え方
林 好子
近年、動作解析などが進み身体の分析は様々な角度からなされるようになりました。自分の身体は自分の思うがままに動かせる。そんな風に思っていたら実はそうではなくてうまく身体を動かす能力がない、あるいはバランスの悪さゆえに思っていた動きと違うことをしているということに気づきました。医科学は身体の内から外からその原因を明らかにしようとしています。
正直多岐にわたる身体の見方は出尽くした感があったのですが、本書のタイトルの通り身体に対する「意外な見方や考え方」がまだまだあるようです。マクロとミクロとの見方の違いなのかと考えながら読み進めていくとどうやらその考え方も正しくなさそうです。
理学療法士・合気道・アレクサンダーテクニークというそれぞれ違った目線は自由奔放ともいえる身体の見方を提案してくれました。純粋なアレクサンダーテクニークの視点でもないので、どこから何が飛んでくるかわからない期待感を持ちながら読んでしまいました。
それぞれの項目で筆者のコラムが登場するのですが、ユニークな発想から生まれる身体感はときおり考え込んでしまいました。その人のそのときの心理状態で同じ時間が長く感じられたり短く感じられたりして、その違いにより身のこなしが変わるという解説もありました。これは納得です。余裕のあるときの1時間と焦っているときの1時間ではできる動きに大きな差が出るのはわかります。しかし今までそういう違いを身体を通して見ることはしていません。そういう発想がなかったからです。
やっとここで気づいたのは「カラダの意外な見方考え方」というタイトル表記のうち「意外な」というワードだけ異様に大きく色も変わっています。こんなところにしがみついて悩む人はいないだろうと思いますが、スポーツ医科学の身体の見方と筆者の身体の見方の違いがわかったような気がします。前者が純粋に身体や動作の分析であるのに対し、後者は何か別の要素と身体を絡めた上での見方をされているのではないでしょうか。心理・時間・文化・気候など本書で述べられていることは純粋な身体についての考察にとどまらず動きのバックグラウンドを見過ごしていないところに、本書のユニークさであったり特徴があるのだと感じました。どちらがよいとかいう問題ではなくこういった発想は時には現実に即していることもあり無視できない場合もあるでしょう。
環境まで身体を見る要素に加えてしまうと発想は無限大になりそうです。身体を解き明かすためのヒントはいくらあってもいいと思います。
(辻田 浩志)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2021-10-11)
タグ:見方 文化
カテゴリ 身体
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自分の頭と身体で考える
養老 孟司 甲野 善紀
解剖学の権威・養老氏と古武術を追求する甲野氏による「日本人の身体観」についての対談。話は「頭と身体で考える」というテーマから徐々に両氏の興味へ、そして日本社会の問題点へと逸れていくというバラエティに富んだ内容だ。自分の身体に問いかけてみると、意外なことが見えてくるかもしれない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2000-02-10)
タグ:身体 解剖 古武術
カテゴリ 身体
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「からだ」を生きる 身体・感覚・動きをひらく5つの提案
久保 健 高橋 和子 三上 賀代 進藤 貴美子 原田 奈名子
学習指導要領に「体ほぐし」という新しい内容が導入される以前から、独自の立場で「からだ」という問題に取り組んできた人たちの著書。モダンダンス、舞踏、ソマティクスや、操体法、野口体操などの身体技法を「からだ」に“すまわせてきた”著者らによる「からだ」観の捉え直しとその方法論。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:創文企画
(掲載日:2001-03-10)
タグ:身体
カテゴリ 身体
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「天使の翼」が上手さ・強さの謎を解く!
田中 直史
「天使の翼」とは、ヒトの「肩甲骨」のこと。理想的な動きはケガの予防だけでなくパフォーマンス向上にもつながる。ただ、自覚的に動かすのは難しく、外傷もほとんどが自然治癒するため肩甲骨と周辺筋はあまり着目されてこなかったという。
長く整形外科医として従事した著者は、上手さ・強さに通じるメカニズムを検討し、基本編「力の抜きどころ」と応用編「腕のしならせ方」を紹介する。ゴルフスイングを例に、力で飛ばすのではなくリズム・タイミングを意識すること、グリップを固め過ぎないほうが動きが出ることを説明する。肩甲骨ひとつでパフォーマンスが大きく変わることがわかる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:文芸社
(掲載日:2021-01-10)
タグ:肩甲骨
カテゴリ 身体
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スポーツ選手のための「正しい姿勢を身につける」(ビデオ)
佐藤 雅弘 岩本 紗由美
スポーツ選手を目指す人たちが、最初に身につけたい正しい姿勢づくりについて、佐藤氏が代表を務めるコンディショニングチーム・JAMがわかりやすく解説したビデオ。正しい姿勢づくりに必要な「骨盤のコントロール」法から、具体的なチェック法、さらにはトレーニング法までを紹介。VHS 55分。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:游々舎
(掲載日:2001-07-10)
タグ:コンディショニング
カテゴリ 身体
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書のひみつ
古賀 弘幸 佐々木 一澄
走りに表れるもの
走りには人が出る。まずは骨格や筋(肉)のつき方を含めた体形、筋線維組成や筋・腱複合体の働き具合(バネ)といった身体的要素に影響を受ける。そしてまた、そのときの内的感覚や視覚から入るフォームや動きなどのフィードバックから走る主体(つまり走っている私)は様々な思いをめぐらせ、どうやったら速く走れるかという方法論や、どうやったらカッコよく or 気持ちよく走れるかといった趣味の問題までもが意識無意識にかかわらず投影される。“なってしまう走り方”とともに、“こうしたい走り方”が、人の走りには反映されてくるからだ。“無の境地”で走れること(人)など極めて稀だろう。
思想や信条まではわからないが、気質や性格、感情や想いなどは走りによく表れるものだ。そのため、スポーツによる交流は人としてプリミティブな部分での深い共鳴を選手同士に芽生えさせ、見ている者には大きな感動を呼び起こさせる力があり、それが、“スポーツは言葉の壁を超える”といわれる素になっているのだろうと思う。
「書」にも表れる
一方でまた「書」にも人が出る。「書は人なり」という言葉もあるように、「書かれた文字」には「書いた人の人格」と「強い関係」があって「書き手の息遣いやその人のセンス」が表れる。「書」は、文字を基本としていることから、より高次な情報がそこに乗る。「政治、思想、宗教、文学など」「さまざまな人間の営みが書を通じて表現」されてきたため、「書の線にはいろいろなものが溶け込んで」いるのだ。
また、“走り”も「書」も、「一回きりの生々」しい身体表現という点でも共通している。
さて、今回は「書のひみつ」。「書」の「いろいろな見方、面白がり方をなるべく広く紹介」し、「魅力を改めて発見するためのガイドブック」だ。
中国で生まれた「書体」の歴史や「書風(個人の書きぶり)」、日本で独自に発展した「かな文字」の「連綿(続け字)」する「文字の美しさそれ自体の追求」の味わい方などが紹介されている。読んでいて面白いのは、「書」は、紙の上に時間が固定されているため数百年前の息遣いが今ここで感じることができる点だ。それに加え、引用されている図版の選出や、説明の言葉選びに対する著者の苦労を想像することもこの手の書物の面白味なのではないかと思う。優れたガイドブックは、その世界を一望できる情報をわかりやすく提示し読者の世界観を変えてくれるものである。本書は読了後、世の中の見え方を明らかに変えてくれる。
抽出される言葉
話題は跳ぶが、膨大な物語から抽出してわかりやすくといえば、スポーツ選手のインタビューも同じものと考えることができそうだ。たとえばゴルフ選手のインタビューなど見ていると、数日間にわたるプレー(たとえば 3 日間54ホール分)の要点を的確に抜き出し、全体の流れに及ぼした影響や意義を、平易な言葉を用いた短いセンテンスで明確に伝える、あるいは全体を一括して感想を述べるといった場面に遭遇することがある。
たとえば全英オープンで優勝を果たした渋野日向子選手のインタビューでは、幾通りもの応え方がある中から瞬時に一つを選び、発した自分の言葉に対して責任を取っていく姿は、プレーそのものにも似た「一回きりの生々しさ」にあふれた潔い言葉の数々で、見ていて心が躍るので動画サイトで何度となく再生したものである。
また、彼女は書道が得意とのことで、腕前を披露しているTV番組があった。とても堅実な書き手で、線を一本引いては墨、点を打っては墨と、一文字書くうちに何度も墨継ぎをするので出来上がりはどうなるのかとハラハラしたが、不思議なことにバランスの取れた書きあがりになっているのである。
ゴルフが一打々々の積み重ねの上に成り立っているスポーツであるということに関係しているのだろうか。とすると、もし渋野選手が「連綿」の書法を身につけたとしたらどんなプレーが展開されるようになるのか。勝手に妄想は広がるのである。
(板井 美浩)
出版元:朝日出版社
(掲載日:2021-02-10)
タグ:書道
カテゴリ 身体
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操作・再生される人体!
生命倫理の論議が科学の発展に追いついていけない状況にある現在、我々はクローン技術などの生命工学とどのように接していくべきなのだろうか。この本では、生命工学を、人工臓器、死体ビジネスといったおどろおどろしいものとして描き出すことで、「神の領域」に入ろうとする時代に警鐘を鳴らしている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:宝島社
(掲載日:2001-12-10)
タグ:生命工学
カテゴリ 身体
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からだには希望がある
高岡 英夫
「ゆる」と「極意」でお馴染みの高岡氏による最新書。スポーツパフォーマンスの中でも上位に位置づけられるであろうバランスや軸の獲得について、マイケル・ジョーダン、イチロー、変わったところでは五重の塔や浮世絵に描かれた花魁などを例に挙げながら解説していく。高岡氏ならではの世界が繰り広げられる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:総合法令出版
(掲載日:2002-02-10)
タグ:身体
カテゴリ 身体
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サッカー日本代表が世界を制する日 ワールドクラスへのフィジカル4条件
高岡 英夫 松井 浩
運動科学者の高岡氏と、スポーツライターの松井氏が取り組んできたテーマ「日本サッカーが世界の頂点に立つには、結局、何が必要なのか」という“自問”に対し、「ワールドクラスへのフィジカル4条件」という解答を示す。選手の動きや身体つきなどから独特の発想で真理を説こうとする高岡氏らの視点が面白い。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2002-03-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 身体
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見えないスポーツ図鑑
伊藤 亜紗 渡邊 淳司 林 阿希子
「たとえ話」の活用
コツやカンといった実践知を獲得し、エキスパートとなるには長い年月が必要である。そしてその実践知は、明示されてない暗黙知であることが多い。しかもそれは、厳密にはその本人だけにしか当てはまらない。プレーヤーであれば、それをどう自分に取り込むか、指導者であればどう選手に伝えるか。ということを解決する1つの手段として、たとえ話が用いられてきた。
カヌーイストの野田知佑氏のエッセイにオールの漕ぎ方についてのコツが書いてある。氏が大学のボート部で、たとえ話のうまいコーチに教わったコツだそうだ。ボートやカヌーではオールを水に入れて水をつかむ動作をキャッチというのだが、初心者には難しい。オールを下手に水に叩き込むと、水を割ってしまい推進力にならない。うまく水をつかむコツは、「キャッチは女の尻をなでる時の要領でやれ、お前ら、ワカッタカ」だそうである(『のんびりいこうぜ』より)。いや、今ならこれは問題になりそうだが、1938年生まれの氏の大学時代のことなので許されたい。
しかし、たとえ話というのはそれを受け取る側にも相応の知識と経験がいる。「当時、僕のクルーは全員、純真無垢の正しい青年がそろっていて、女の尻はおろか手を握ったこともない奴ばかりでさっぱりワカラナイ。みんなで顔を見合わせて途方に暮れたものである。それで練習中フネを止めて真剣な顔つきで前の座席で漕ぐ奴の尻をなでたりした。知らない人が見たら、きっと誤解したと思う」ということになってしまう。
アスリートの感覚を“翻訳”
本書『見えないスポーツ図鑑』の取り組みは、視覚障害者とスポーツ観戦をする方法を探るところから始まった。そこから、トップアスリートの感覚を“翻訳”することで、初心者もそれを味わえるようにすることへと派生する。それを本書では「一つの道を究めた先人がいる道を、少しだけ同じ感覚で歩かせてもらうためのショートカットを作りたい」「私たちの身体感覚に新しいボキャブラリーをもたらしてくれる」「トップアスリートの感覚をインストールする」などと書かれていて、これはなかなかよい表現だな、と感心した。
“翻訳”のコツは、見た目を離れることと抽象化すること。前者は「非日常的な競技を、競技以外の動きに置き換えて伝えること」、後者は「競技の要素を一度抽象化して、もう一度具体化する、ある種の“見立て”」である。これは、とくに指導者であれば常にぶつかっている問題だと思う。たとえを使ったり、擬音を使ったりして、どうにかして感覚を伝えようとするが、うまくいかないことの方が多い。
その感覚を、手近なものを使って疑似的に体験してみよう、というのが本書でいう“翻訳”である。紹介されているのは10種目。ラグビー、アーチェリー、体操、卓球、テニス、セーリング、フェンシング、柔道、サッカー、野球。その内容は、そのままウォーミングアップとして使えそうなものもあるし、練習の合間の休憩時間にレクリエーションとして楽しめそうなものもある。もちろん、その種目の全てを“翻訳”できるわけはない。そして「競技の要素を一度抽象化して、もう一度具体化する」というのも、言うのは簡単だが、大変難しい。それでも楽しそうに、各種目のエキスパートと著者らがああでもないこうでもない、と言いながら、それぞれの種目のオイシイところが次第にクローズアップされていき、一応の形になるまでの過程はとてもおもしろい。
“翻訳”するなら
私は小学生に陸上競技を教えているのだが、私だったら、陸上競技の何を“翻訳”するだろうか。私が陸上競技に触れたのは小学校5年生か6年生の頃だ。走るのが速く、市内の小学校対抗の陸上大会に選抜メンバーで選ばれたのがきっかけだったと思う。それ以来、陸上競技との関わりは続いているが、何が楽しいのだろうと掘り下げて考えてこなかった。工夫して記録を伸ばすところが私の性にあっていて、やっている本人は楽しいのだが、そういうことではないんだよな。子どもたちに、陸上競技のここがオイシイところだよ、とアピールする材料が思い浮かばない。指導者でなければ、自分が楽しいからやっている、で問題ないのだが、仮にも指導者を名乗るのなら、その辺りの自分の考えを持っておくべきだろう。
自分の競技者や指導者としての実績に自信を持てないから、教え方のスタンスも定まらないのかもしれない。かといって、自信満々の指導者もイヤだなぁ。
(尾原 陽介)
出版元:晶文社
(掲載日:2021-04-10)
タグ:感覚
カテゴリ 身体
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器質か心因か
尾久 守侑
内科外来も行う精神科医が、臨床において「器質か心因か」、つまり身体疾患かそうでないかの見分けを日々迫られる中で、二元論ではない見立てと治療を整理する。
症例を読むと、器質でも心因でもあり、そのどちらでもないときもあるというような複雑さに驚く。また、非身体疾患として治療するにも、本人への伝え方1つとってもさまざまな配慮が必要だという。器質か心因かを見分ける技術技法はなく、最終的には目の前の患者といかに向き合うかになる。正解はない。患者という「人間」の見方は、詩人でもある著者ならではかもしれず、興味深い。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:中外医学社
(掲載日:2021-04-10)
タグ:疾患
カテゴリ 身体
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黒人アスリートはなぜ強いのか その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る
ジョン エンタイン 星野 裕一
TABOO
まずこの書評を読んでくださっている読者には、本書の日本語タイトルが必ずしも内容を十分かつ正確に反映していないと申し上げたい。本書の原文タイトルは、直訳すると「タブー:なぜ黒人はスポーツ界を席巻しているのか、そしてわれわれはそれについて検証することをなぜ恐れているのか」である。あえてここで原文タイトルの直訳を紹介する理由は、おそらく日本語タイトルのみからでは、読者が持つ本書への印象が「なぜ黒人がスポーツに秀でているかって? そりゃあ筋肉の質が違うからじゃないの? 彼らの育った環境が劣悪なためにハングリー精神が強いからじゃないの?」程度で終わってしまうのではという器具を持つからである。しかし、読後はこういった短絡的な印象を持ったことを恥ずかしいと思わせるだけの重みと深みを、本書が持つことに気づかされる。本書は単なる黒人の身体的優位性を検証しているのではない。人種差別という未だ解決を見ない社会問題をスポーツという舞台装置を使って検証しているのだ。本書は、先天的素質や社会環境だけに答えを求めた黒人への評価はステレオタイプな人種差別だと断罪する。さらに、黒人は白人に比べて身体は屈強だがIQ(知能)は低いといったステレオタイプな人種差別もこういった軽薄な人種理解から生まれるとも指摘する。そして、この結果「ポジション・スタッキング」と呼ばれる人種差別が生まれているというのである。つまり、黒人は知的な作業は得意としないとか、経営的センスは持ち合わせないといった理不尽な理由によって、不当に職業(ポジション)の選択肢を狭窄されているというのである。
もうひとつの差別問題
今一度タイトルに戻ろう。直訳タイトルの後半には「(こういった差別問題について)検証することをなぜ恐れているのか」となっている。本来のタイトル「TABOO」は多分ここから出たものであろう。本書によれば、差別問題をテーマにすることは、人種主義者あるいは人種差別擁護者というレッテルを貼られる危険性と背中合わせだと言う。何十年もの間スポーツ界で人気と信頼を得てきた人物が人種差別について口にしたとたん、たとえ本人はある部分率直に黒人評を述べたとしても、2日でその職を失うと言う。つまり、差別発言を行ったとされる人物は社会的に葬られる結果、この種の発言はタブーという逆差別も生み出しているというのである。これは米国社会全体に健全な民主主義が育っている証拠という見方もできなくはないが、純粋な人種に対する科学的議論さえもタブー視する現在の社会傾向に、著者は困惑の色を隠せないと言う。
この原稿を書いている間にも米国では黒人差別撤廃を訴えた大規模な集会が、故キング牧師の子息を中心にワシントンで開かれたと報道されていた。一方、パリでは陸上の世界選手権が開催されており、予想通り短距離、長距離ともにカラードの活躍が目立つ。この二つの暗と明を社会は今後どう受け入れていくのか、わが日本も知らぬでは済まされまい。
ところで今回は最後までタイトルにこだわるが、表紙にある英文タイトルの中の「Black」のスペルが「Brack」となっているが、ミスプリントでは? やはり、日本人は「Black(黒人)」を理解していないと言われないように是非注意していただきたいものである。
(久米 秀作)
出版元:創元社
(掲載日:2003-10-10)
タグ:人種差別
カテゴリ 身体
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肥満男子の身体表象
Sander L. Gilman サンダー・L. ギルマン 小川 公代 小澤 央
今の時代を生きる私達にとって「肥満」とは健康上の問題であったり、容姿の問題であったりします。ダイエット関連や健康関連の書物はあふれかえるくらい存在しますが、「肥満」を社会的な観点から論じる書物は初めてお目にかかりました。体形という要素はある程度の距離をおいてもそれなりに判断がつくために、その人となりをイメージするには最もわかりやすい要素だともいえるでしょう。そのイメージは単に体格の問題とはかけ離れた人格であったり生殖能力に対するレッテルにまで範囲が広がり、今の時代でいうところのエビデンスがない風評程度の社会的評価がまかり通っていたようです。もちろん今の時代にそういったことがないといえるかといえば答えはノー。
本書には実在の人物から架空の人物まで様々な角度からの「肥満に注がれる目」を解説します。肥満に対する世間の目は時には不合理であったり差別的であったり、しかし一方で根拠もなしに妙に納得できることもあります。子どものころからアニメや漫画などで肥満体の登場人物といえば決まって食いしん坊であったり、鷹揚な性格であったりするイメージが強く、それに異論を唱える人も見たことがありません。現実世界には神経質な肥満体の方もいらっしゃるはずですが、あたかも肥満が人格を表す記号のように描かれていたのは否定できないことです。
過去の物語においては生々しいほどの偏った人格の表象としての肥満が描かれていますが、レッテルを張るという点においてはアニメに登場するほのぼのとしたのんびりした性格と何ら変わりがなく、所詮は五十歩百歩の文化的表象と言わざるを得ません。そして彼らの地位はその物語において決して尊敬されるべきものではなく、快挙を成し遂げたとしても「肥満なのにスゴイ」という表現が多く肥満そのものの社会的地位は下位におかれてきたという指摘は納得です。
さらに本書は過去の「肥満に対する目」から、将来的な扱われ方をも危惧します。肥満に対する目は非合理的で差別的でジェンダー論とオーバーラップさせた見解もあながち大げさともいえなくないような気がします。「人は見た目が9割」という言葉が数年前に話題になりました。これは言葉が流行ったというのではなく人々の潜在意識がそのままだったということに気づくことから、問題解決の糸口が見えてくるのかもしれません。
(辻田 浩志)
出版元:法政大学出版局
(掲載日:2021-12-08)
タグ:肥満
カテゴリ 身体
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スポーツ選手なら知っておきたいからだのこと
小田 伸午
“言葉”が選手を変える
「からだの力抜いていけよ!」「リラックスしていけよ!」。これは、よくスポーツ場面で聞かれる言葉である。選手のパフォーマンス向上を願って発せられる言葉だと思うが、実はよく考えてみるとこの言葉はおかしい。なぜなら、スポーツの場面でからだの力を完全に抜く場面は皆無に等しいし、第一それではスポーツという活動が成り立たないからである。単なる応援のつもりならば、こんなあいまいな言葉でも許されるだろうが、こと指導者ともなれば、この場合は「余計なところに力をいれるなよ。余分な力もいれるなよ」が正しいであろう。さらに続けるならば「そのためには、具体的にはこうするといい」とアドバイスしたいところだ。
このように、スポーツの指導場面においては、当然のことながら多くの“言葉”が用いられている。本来なら、適切な言葉でその競技スキルに見合った“力の入れ所”と“抜き所”を指導できてこそよい指導者ということになるところだが、実際には動作を見た目で言葉にして指導に使っていることも多々ある。たとえば、本 書 に は 次 の よ う な 文 章 が で て く る 。(競泳クロールの手のかき動作について)「プル(引く)という表現も要注意です。外から見るとプル動作のように見えますが、動作感覚としてはプッシュ(押す)です。水泳のかき動作は、水の中で手を後方に動かす動作であると勘違いしやすいですが、手の位置が後方に移動するのではなく、からだが前に進むのです。」とすると、たとえ選手が一流の素材を持つ選手であったとしても、指導者の観察眼が二流ならば、選手には「水をキャッチしたら自分のほうへ引っ張るんだ」と指導してしまうだろうし、トレーニングは“引く”に力点が置かれてしまうであろう。本当は、“押す”感覚が正しいはずなのに、コーチには正反対の感覚を指導された......。指導者の責任は重い。
“常歩”と“押し”
“なみあし”と読むそうである。世界陸上の200mで並み居る強敵を押しのけて堂々 3 位に入賞した末次慎吾選手が取り入れたとして有名になった“なんば”走りを本書ではこう呼んでいる。理由は「なんばというと、多くの人が(歩行などの)遊脚期の足と手が(同時に)前に出るというふうに勘違いしています。また、なんばでは、左右軸のいずれか片方に軸を固定して使う場合が多くありますが、スポーツの走動作では、左右の軸をたくみに切り替えていく動きになります。そこで、私たちの研究グループは、スポーツ向きの二軸走動作をなんばと言わずに『常歩』という言い方であらわすことにしました。」この二軸動作の詳細については本書に譲るが、ここでも前述した水泳同様に感覚の誤解を指摘しており、走動作においては“蹴る”という感覚ではなく、振り出し脚に腰を乗せていく感覚を強調すべきであると言っている。こうすると、自然に身体の軸は左右二軸となり、からだが前に出る運動量が格段と増すという。また、このときの足裏の感覚も“蹴る”ではなく“押す”、振り出した脚の膝は“突っ張る”のではなく“抜く”というのである。このような新感覚の指導言語は、正しい身体動作の理解から生まれたものである。
「コーチは選手とよいコミュニケーションを図れ」は当然のことだが、必ずしも問題の中心を指摘することがよいとは限らない。ときには、選手がうまくできない部分から意識をはずしてやり、違う言葉で正しい感覚を教授してやることも必要だ。自分の使った言葉によって、選手に新たなパラダイムシフトが起これば、指導者冥利に尽きるというものである。
(久米 秀作)
出版元:大修館書店
(掲載日:2005-07-10)
タグ:身体 動作
カテゴリ 身体
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サッカー選手なら知っておきたい「からだ」のこと
中村 泰介 河端 隆志 小田 伸午
「スポーツ選手なら~」そして「剣士なら~」に続くシリーズ。サッカーの競技に向けて、二軸動作を中心に身体の動きの感覚を、フルカラーの連続写真を使って解説している。キックやトラップ、ディフェンスなどのサッカーの基本動作において、二軸動作について感覚的に理解することができる。たとえばボディーコンタクトの項目では、地面反力を上手に使うための身体の使い方、左右の軸を使い分ける方法についてわかりやすく書かれている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:大修館書店
(掲載日:2007-01-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 身体
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秘する肉体 大野一雄の世界
大野 慶人
主人公の大野一雄氏は1906年生まれ、なんと 100歳で現役の舞踏家だ。本書は氏の生誕100年を祝し、42名におよぶ写真家の作品が収められたものである。
舞踏とは、1950年代に日本で発祥したとされるダンスの一分野だが、西洋のダイナミックで外向的なダンスに対し、能のように静的で精神的内面の表現を主体とした「BUTOH」はむしろ海外で価値が認められた後、故郷日本に逆輸入されたものだ。
氏の膨大な業績が年譜として巻末に記されている。驚くべきは、海外での初公演が74歳(!)で、その年だけで5 カ国を廻っている。そしてその年を境に公演回数が圧倒的に増え、90歳を超えてもなお旺盛な表現活動が続くのだ。
若い頃兵役に就き、多くの戦友の死を目の当たりにした彼のなかには「生と死がつねにあり、肉体ではなく、魂で踊り続けています。そして魂そのものの踊りとして、目に見える肉体は超えられて、隠されていきます(監修者で氏の次男でもある舞踏家大野慶人氏による巻頭言)」とあるように、超越した「祈りのようなものを感じる人がいる(同)」らしい。さらに、安らぎも感じるのに違いない。なぜなら、作品の中に写っている観客は、皆幸せそうな笑顔を湛えているのだ。
恥ずかしながら氏のダンスはDVDと我が家のオンボロブラウン管でしか観たことがない。動く姿を初めて観たのはNHKの特集番組で、そこに映る90数歳の彼は強烈だった。車椅子に座り、自由になるのは右手だけという身体なのだ。着替えやヒゲを剃るのでさえ介護が必要で、肝心の踊りはどうしているかというと、右手で中空の何かを掴んだり、クネクネピラピラさせているだけ。舞踏というものを多少は知っているつもりだった私(身体を白く塗りケイレンしたように踊る、といったステレオタイプの貧弱極まりないイメージ)だが、これには驚いた。音楽と共鳴しているその姿は、踊りへの情念が全身に溢れ、右手しか動いていないのに全身をフルに活用した踊りに見え、しかも美しいとさえ感じられるのだ。体力だけでいえば、若者が勝るに決まっている。しかし屈強な若者が何人束になってかかったとしても、到底かなわない迫力がこの老人の身体に満ちている。
私自身、棒高跳びを愛好し、マスターズ陸上というベテラン競技会に参加する者だが、まだ半世紀も生きていない若僧の跳躍より、もうすぐ一世紀に届きそうな大先輩の跳躍のほうが断然迫力があるのである。この迫力、美しさは還暦を越えたあたりから俄然増大する印象を持つ。
チャンピオンスポーツと価値観のジャンルが違うと言うなかれ。目に見えないはずの「気迫」とか「気合い」、「気力」あるいは「気配」といったものは、競技スポーツの場面でも、割と簡単に感じることができるのだ。主観の域を出ないと一蹴される恐れのほうが高いけど、ちょっと待ってくれ、意外と普遍性が高いんだよ。
たとえばこんな感覚だ。眠い目をこすりながらアジア大会なんか観てるでしょ? 選手紹介の画像が出た瞬間「お。コイツやるぞ」なんて思っていると、解説の方が「いい顔してますね」なんて褒めていたりして、そうこうするうちに選手は大活躍してメダルを獲得したりするアレだ。あるいは、トレーナーが選手をマッサージしたり、ときには全身を一目見ただけでその日の調子がわかったりする、アノ感覚がそうだ。サイエンス的手法で測るのは困難だが、感じる者同士には確かな根拠があるからこそ共通のイメージが湧くのだ。
こういった五感を超えた(ような気がする)瞬間を共有することも身体文化の醍醐味だと思うのであります。
(板井 美浩)
出版元:クレオ
(掲載日:2007-02-10)
タグ:舞踏 写真集
カテゴリ 身体
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動く骨(コツ) 野球編
栢野 忠夫 岩崎 和久
体幹内操法について、対談を中心としてカラー写真の資料を多用して解説されている。同タイトルの書籍を野球をテーマにムック化したものである。あらゆる動作の基本は、三原色と呼ばれる屈曲・伸展・側屈であるという。頭部、胸部、下腹部の3つの球を意識し、それの中心を結ぶ軸の5本の軸(体幹内と四肢)を感じ取れるようになってくると、動きの質が高まるという。対談では、野球の指導者が、身体操作の真髄について語り合っている。動きを見ながら実践できる50分のDVDが付属している。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:スキージャーナル
(掲載日:2008-08-10)
タグ:野球 身体感覚
カテゴリ 身体
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ブラッド・ウォーカー ストレッチングと筋の解剖
Brad Walker 栗山 節郎 川島 敏生
手書きのイラストで、ストレッチングをしている様子をスケッチし、透過するような表現で筋肉を描いているのが特徴。Brad Walker による原著The Anatomy of Stretching を翻訳したものである。
本書は、まず柔軟性とは何か、ストレッチングとは何か、そのメリットや種類、安全に行うための原則などについて簡潔に解説している。そして、部位ごとのストレッチングが、1 つのストレッチングについて 1 ページを使って紹介される。解剖学的な解説とともに、方法や注意点、さらに関連するスポーツ傷害、スポーツの種目なども盛り込まれている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:南江堂
(掲載日:2009-08-10)
タグ:ストレッチング
カテゴリ 身体
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野球選手なら知っておきたい「からだ」のこと 投球・送球編
土橋 恵秀 小山田 良治 小田 伸午
投球・送球において大切なポイントは「下半身からエネルギーを伝達させる全身運動」であるという。それを実現するために、どのような動作をしながら動きを理解すればよいか。まず解剖学的、あるいは運動学的な知識がわかりやすくまとめられている。
キャッチボールの意義について解説し、腕の「しなり」について述べ、さらに肩甲骨を動かすエクササイズについて説明していく。さらに体幹、下半身へと続き、たとえば軸足の「のせ」「はこび」そして「肋間のつぶし」といった感覚について、ドリルを用いて紹介している。ドリルは投球動作の局面ごとにポイントを理解するためのものであり、指標であるという。自分の感覚に合ったフォームをつくっていくのが読者の役割となる。動きの質の向上、これが著者の願いである。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:大修館書店
(掲載日:2009-11-10)
タグ:投球 野球
カテゴリ 身体
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古武術「仙骨操法」のススメ 速く、強く、美しく動ける!
赤羽根 龍夫
著者は新陰流、円明流といった古武術に通ずる。生死を分ける環境で研ぎ澄まされた全身の使い方を、上半身と下半身をつなぐ仙骨に着目して応用した。いずれの流派も古流剣術ということで、取り上げられている「廻し打ち」「切り上げ」ともに木刀を用いており取っつきにくいかもしれないが、姿勢や関節の使い方はさまざまなスポーツ、日常動作に通ずる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2016-10-10)
タグ:古武術
カテゴリ 身体
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目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか
伊藤 亜紗
ルールに縛られる
日本が史上最多のメダル数を獲得したリオ・オリンピックはずいぶん堪能させてもらった。水泳はもとよりレスリングやバドミントンでの勝ち方を見て、日本人の気質がずいぶん進化しているとまで思ってしまうほどだった。一緒に観戦を楽しんだ小学校3年生の息子は、さまざまな疑問や質問を投げかけてきた。どうして卓球台はあんなに狭いの? 試合時間がもうちょっと長かったら絶対勝ってたのに!
そんな素朴な問いかけに答えるうちに、今さらながら競技スポーツがルールにがんじがらめに縛られてることに強い違和感を感じてしまった。いや、もちろんルールの存在意義や重要性は重々承知している。規制が厳しいからこその競技であり、その制限の中でありとあらゆる方法を駆使して磨き上げられた技が心を震わせること も身をもって知っている。しかし、スポーツのルールなんてそもそも不公平なものだし、最近のスポーツは科学的という言葉を背景に、やるべきことやしてはいけないことが多過ぎるのではないか。もっと、おおらかでいいかげんな部分が残っていてもいいのに、とそんな風に感じてしまったのだ。
もちろん自分がトレーナーとして現場に出たなら、万全の準備のために当たり前にやるべきことのレベルをできる限り引き上げることに腐心するわけで、自分でも矛盾を自覚している。この感情が溢れてきたのは、自分がその場で折り合いのつくルールを決めながらそれでも結構ゆるい感じで工夫する子どもたちの「遊び」に、身近で浸りすぎたせいかもしれない。
スポーツの空間
さて本書では、視覚障害を持つアスリートの「世界の認識の仕方や身体の使い方」を選手へのインタビューを通じて解きほぐそうとする試みが描かれている。著者は美学と現代アートの専門家である伊藤亜紗さん。
冒頭部分でいきなり私の違和感をピタリと表現してくれた。「スポーツの空間はエントロピーが小さい空間である」と。そう「自由度が低い」のだ、スポーツというものは。本書にあるようにこれは決してネガティブなことではなく、「運動の自由度を下げることで、競争の活性化を高める」重要な特性である。そして視覚障害を持つアスリートにとっては、このエントロピーの小さいスポーツの空間というのは、日常生活よりもずっと「見えやすい」場所なのだと言う。その空間で自分たちの持つ能力をいかに高め活かすのか、障害者スポーツを観る目を開かせてくれる驚きが彼らの話から次々に飛び出してくる。
確かにオリンピックの熱が冷めやらないうちに始まったパラリンピックを観ていると、この人たちはどんな工夫を重ね、どんな想像力を持って何を創造しながらここにたどり着いたのだろうという興味はオリンピックより格段にたくさん湧いてくる。選手の競技に対する取り組みの濃度については比較できるものでなく双方極限の濃密さだろうが、 パラリンピック選手のほうがひとりひとりの特異性がより高く、エントロピーは相対的に大きいと言えるだろう。
オリンピックが「ドラゴンボール」的であるのに対して、パラリンピックは「ジョジョの奇妙な冒険」的とでも言えば伝わる人には伝わるのだろうか。多様なルールによって公平に近づけようとはしているが、それでもあからさまな不公平さが垣間見えるパラリンピックの中で、自分の持つ能力を創意工夫によって引き上げ、懸命に闘った選手の笑顔や涙を観ていると、本来のスポーツが持つ価値というものがより濃く感じられるのだ。
パラリンピックならではの価値を
本書で取り上げられている視覚障害者スポーツを捉える著者の聡明さは此処彼処で強く感銘を受けるのだが、インタビュアーとしては少し押しが強いとも感じた。そこはあなたの言葉でそんなに綺麗にまとめないで欲しかったと感じる箇所が散見されたからだ。同じ競技のアスリートを数名集めた座談会 の形で司会進行に回ったほうが、もっと生の感覚を生の言葉で引き出せたようにも思う。
障害者スポーツを支える多くのサポートスタッフもどれだけの試行錯誤を繰り返し、自分の関わり方を推し量るのだろうか。そんな中、リオ・パラリンピック日本選手団の成績について日本パラリンピック委員会(JPC)会長が「金がゼロなのは予想外。周囲の期待に応えられず残念」と語った。東京オリンピックを睨んでさまざまな思惑があるのだろうし、選手たちはトップアスリートとして金メダルを獲るために日々戦っているのだろうが、できるならメダル数よりそんな選手やサポートスタッフを讃えて、パラリンピックならではの価値を発信してもらいたいと思う。わざとらしい美談につくり上げるまでもなく、多くの驚きがそこにあるだろうから。
オリンピックスポーツであろうがパラリンピックスポーツであろうが、どの選手も同じアスリートとして同様に尊重すべき対象であることに違いはないが、それでもオリンピックとパラリンピックの立ち位置は違っていいように思う。より多くの人の「ポジティブ・スイッチ」を押せるのは、メダルの数では測りきれないのだから。
(山根 太治)
出版元:潮出版社
(掲載日:2016-11-10)
タグ:視覚
カテゴリ 身体
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つらい腰痛は「浮かせて」治す!
中川 忠典 日本FMT腰痛治療協会
腰痛、とくに非特異的腰痛に悩まされる人は多い。さまざまなアプローチがある中、著者は重力に着目。専用の治療装置を使って上半身の重さが腰に掛からないようにした上で積極的な運動療法を行う、という選択肢を提示した。最終章では11の治療院での取り組みと成果も紹介している。再発防止のためのセルフケアについても併記しており、腰痛に悩む人の力になりたいという気概が伝わってくる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:現代書林
(掲載日:2017-02-10)
タグ:治療 腰痛
カテゴリ 身体
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強める! 殿筋 殿筋から身体全体へアプローチ
John Gibbons 木場 克己
著者は「理学療法において最も軽視されていると思われる」殿筋に着目し、一冊にまとめ上げた。実際、殿筋は身体の各部とつながっており、姿勢保持や歩行動作にも重要な部位だ。筋力低下などの問題があれば、他の部位の機能不全や痛みを引き起こす。その仕組みを、ケーススタディを挟みながら再確認するとともに、殿筋や拮抗筋の状態の検査方法、殿筋の安定性向上エクササイズを紹介している。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:医道の日本社
(掲載日:2017-04-10)
タグ:殿筋
カテゴリ 身体
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近代日本を創った身体
寒川 恒夫 中澤 篤史 出町 一郎 澤井 和彦 新 雅史 束原 文郎 竹田 直矢 七木田 文彦
心身を耕す
“耕すからだ”というセミナーを3年ほど前から開講している。“畑”を耕すのではない、耕すという身体的行為を純粋に愉しむことで太古の昔から人に備わっている原初的な身体能力に気づき心身を耕そう、という目的で行っているのである。ちなみに、私の勤める大学にはソツロン(卒業論文)がなく、代わりに、6年の卒業年次のソツシ(卒業試験)に合格した者が、ソウハン(総合判定試験)という国家試験以上ともいわれる難易度の試験に合格したのち、卒業が認定される。
そういう中で、セミナーは卒業認定に必要のない単位取得を目指す、いわば“余計な労力を費やす科目”ということになるのだが、趣旨をしっかり理解し、嬉々として受講してくれる学生も少なからず存在するのである。
セミナーでは私は教えることは何もなく、学内の空地に“教材”として定めた地面を学生とともにただただ耕す。
古い建造物のあったこの空地は、粘土質なうえにおびただしい瓦礫が埋められており、三本歯のクワなどすぐに曲がってしまった。考えが甘かったことを反省しつつ、ツルハシを用いて粘土を瓦礫もろとも掘り起こす作業を続け、約2アールの広さを耕すのに1年を要した。また、ものは試しと埋めた(植えたのではない)ジャガイモは、こんなヤセた土地にもかかわらず、立派な地下茎を生らせて植物のたくましさを教えてくれ、ジャガイモに尊敬の念を抱いたりした(ついでながらジャガイモを埋めたのは、作物がないと他の学生にいぶかしがられるので“畑”をやっているように見せるのが狙いである)。
2年目には、最初は粘土質で生き物感のなかった土地に明らかに生物の多様性が生まれ、土が柔らかく感じられるようになった。夏には耕す端から草が伸びて来、雑草の足の速さに驚愕しながら“人間て非力な存在だよなあ”などと言って哲学をした。
3年目の今年は、根粒菌による土壌改良の様子を観察するため枝豆の種を撒いた(蒔いたのではない)ところ葉は生い茂り実がたわわに生ったので、収穫を目的にするものではないが実った枝豆はありがたく頂戴した。
身体に対する意図
さて今回は『近代日本を創った身体』。編著者の寒川恒夫を含む、8名の手になるものだ。
「外から新しい文化がもたらされるのがきっかけで」「日本人のそれまでの在り方を一変」させられることがある。「からだ」すなわち「心身を孕んだ身体」は、命の母体として個人の枠を超えて、時代々々の文化も載せているのである。
その「からだ」が「明治という時代」に「欧米の近代文化」導入のため、「まるごと意図的に、それも国策として」「ごく短期間に国民を広く深く変えることが目論まれた」。「身体の動かし方から、身体についての考え方まで」「近代社会には、近代社会にふさわしい『からだ』がある」からである。
そしてそれを「どのように創っていった」のかを、「国際比較の中で発見された日本人の『劣った身体』や近代社会が否定する『はだか』から、臣民に求められた身体、国家をリードする官僚の卵である帝国大学生に求められた身体、近代企業が期待する身体、さらには、人を国の人的資源とみて、休むことさえ管理する『リ・クリエイトされる身体』まで及んで」考察されている。
スポーツの動作と生活に密着した動作
近代スポーツは、競技条件の公平性を求めてルールの合理化や施設・用具の整備がなされてきた。競技が細分化し専門化するほどに必要とされる体力・技術は特化したものとなり、練習やトレーニング法さらには用具もそれに伴って、たくさんの人為的意図を盛り込んで変化(すなわち科学的に発展)させられてきた。
それはまた、特化するほどに生活の場にある動作からは逸脱していくが、現代に生きる私たちはこのような“人工的”に整えられた身体活動を特段の違和感を覚えることなく受け入れている。
一方、耕す・掘る・薪を割る・ノコギリを挽くなどの、古くから生活に密着した動作は自ら体得するものであり、受け継がれる中で“自然”に工夫が加えられてきた。しかしこのような身体活動は、今では接する機会が少なく、実施するのにむしろ敷居が高く感じられる動作となってしまった。
しかしながら、このような生活とともにあった“自然”な動作と、競技のような“人工的”動作との間には、隔たりがあるようでいて実は共通する点が多いように思われる。“耕すからだ”では、このあたりのことに考察を広げていきたいと考えているところである。
(板井 美浩)
出版元:大修館書店
(掲載日:2017-10-10)
タグ:近代 身体 日本
カテゴリ 身体
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症状から治療点をさぐる トリガーポイント
齋藤 昭彦
全身の筋別に見開き2ページで完結していて、オールカラーのため、たいへん見やすい。使い方としては、冒頭の「痛みから探すトリガーポイント」で、痛みが出ている部位と、その部位に痛みを起こす可能性のある筋を確認する。その後、個別の筋のページを開くと、まず、見開き左手ページの小見出しに、その筋のポイントが3点書かれている。たとえば腸腰筋だとこんな具合。
・大腰筋と腸骨筋で構成される筋肉の総称
・腰椎と大腿骨を結び、深部で体幹の屈曲や伸展に作用
・股関節の屈曲を過度に行うとTP(トリガーポイント)が発生しやすい
次に、解剖・生理・運動学的な説明が続き、その筋肉にTPを作ってしまうような原因、傾向、さらには注意点が記載されている。腸腰筋の注意点は「腰仙部の機能障害や虫垂炎などほかの疾患と誤診しないよう注意を要します。腰方形筋、梨状筋、中殿筋、大殿筋、縫工筋など、ほかの部位のTPの関連痛パターンとの区別も必要です。」とある。
左手のページ右側にはメモ、キーワード、などがあり、用語の確認などの役に立ち、その筋にまつわる豆知識が得られる。右手のページにはカラーのわかりやすい図と、丁寧に手技の方法まで書いてある筋もある。とくに周りの筋との関係がわかるように他の筋が透かしになっている点が個人的にはありがたい。ただ個別のページにその筋の関連痛の図示などがあればもっとありがたかった。
通読するというより、気になったときに辞典のように参照するのがいいと思う。P25には「症状から予測されるトリガーポイントの部位」と題し、息切れ・咳・下痢・顎関節症・歯痛、etc. さまざまな症状が列挙されていて参考になる。もちろんTPだけで全て説明できるものではないが(この本でも注意点として、他疾患と鑑別することを促している)、軟部組織のトラブルをみる上で、優れたパターニング方法であることは間違いない。
(塩﨑 由規)
出版元:マイナビ出版
(掲載日:2022-04-04)
タグ:トリガーポイント
カテゴリ 身体
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語りかける身体 看護ケアの現象学
西村 ユミ
「見る者、関わる者の見方によって、その存在の在り様が異なってしまう植物状態患者との関わりにおいては、彼らをどのような存在として捉えるか、あるいは彼らとどのように関係しようとするかが大きな問題となる。つまり、看護師の態度によって、あるいは看護師の見方によって、患者へのケアが大きく左右されてしまうのである。」
これが筆者の問題意識だ。生理学的研究やグラウンデッド・セオリーアプローチという方法で、研究を始める筆者だが、どうにも客観的な抽象に傾き、「いきいき」とした具体を取りこぼしているような感覚に襲われる。そこで筆者は「現象学」的アプローチに活路を見いだす。
「現象学は、科学的な認識以前の『生きられた世界』に立ち返ること、すなわち『世界を見ることを学び直すこと』を大切にする。〈中略〉知覚された経験を、それ自体として存在するものではなく、『それを思ったり感じたりする人間の側の志向との関係の中で現象すること』として捉える。世界とはわれわれの知覚している当のものだとメルロ=ポンティはいう。」
前意識的な層、理論化以前の層、あるいは、原初的地層と表現される、主客未分化で、混沌とした世界に分け入り、答えを探すために著者は、植物状態患者を担当する看護師にインタビューを行う。
「メルロ=ポンティによれば、知覚の主体としての〈身体〉を顧みるには、主体・客体といった二項対立を越え出なければならず、そのために『見つけださなければならないのは、主観の観念と対象の観念のこちら側にある、発生段階での私の主観性の事実と対象とであり(略)原初的地層なのである』としている。ところがこの『原初的地層』は、意識に立ち昇ってくる手前の『思考よりも古い世界との交わり』であるため、このような前意識的な層は『直接われわれの意識に開示されることはないし、他方、いうまでもなく、外的知覚によっても全く届きえない』〈中略〉こうした目でものを見る、つまり視覚が対象をとらえる機能として働き出す手前の未分化な知覚のことを、メルロ=ポンティは原初的地層における『共感覚』と言っている。そして、音を見たり色を聴いたりする感覚の交差というのは日常的に現象していることであり、むしろ『私の眼が見るとか、私の手が触れるとか、私の足が痛むなどと言うが、しかしこれらの素朴な表現は、私のほんとうの経験をあらわしてはいない』とし、『われわれがそれと気づかないのは、科学的知識が【具体的】経験にとってかわっているから』であるという」
言葉、知識というものによって、より抽象的な事柄を思考することができるようになった。他方で、スパッと裁断してしまった枠組みの「あわい」に広がる世界には、目が向きにくいのかもしれない。
名を知ることと、わかることは違うが、感じることはもっとずっと手前にある。奥にあるように思えるのは、やはり言葉と、それにひっついてまわる観念に惑わされているからかもしれない。
「私は触わりつつある私に触わり、私の身体が『一種の反省』を遂行する。私の身体のうちに、また私の身体を介して存在するのは、単に触わるものの、それが触わっているものへの一方的な関係だけではない。そこでは関係が逆転し、触わられている手が触わる手になるわけであり、私は次のように言わなければならなくなる。ここでは触覚が身体のうちに満ち拡がっており、身体は『感ずる物』、『主体的客体』なのだ。」
「ケアを行なう者にとって『この世界で他の人と実際にかかわっている』という感覚、つまり触れ合っていることがいかに大きな意味をもっているかは、メイヤロフによっても述べられている。この感覚は、ケアの実践によって自分が『場の中にいる(in-place)』こと、つまり世界の中に『自分の落ちつき場所』を得ているということであり、またこのような場を与える『対象(他者)』は、『私の不足を補ってくれ、私が完全になることを可能にしてくれる』のである。ゆえに、この他者は『私とその対象をともに肯定するという意味で、自分の一部』なのであり、私と『補充関係にある(appropriate others)』呼ばれることになる。そして『場の中にいるということは、私と補充関係にある対象への私のケアによって中心化され、全人格的に統合された生を生きること』となる。」
触わるものが、触わられる。ケアするものが、ケアされる。という逆転が現場において起こっているのではないか。
このin placeは他書では「しっくりくる」とも訳されている。
インタビューにおいて、ひとつひとつ細かく分析するのではなく、芋づる式に言葉が出てくるように、対話したという。そうすることで、筆者と看護師の主客未分化な状態、一つの間身体性から生成された言葉を、拾い上げた。
写実主義のなか、エスキスだ、未完成だと揶揄され、評価されなかった印象派の画家達、しかし彼らは、光、空気、雰囲気を描き続けた。それが紛れもない「ほんと」だと思ったからだろう。カバーの「星月夜」は、そうともとれるが、果たしてどうか。
(塩﨑 由規)
出版元:講談社
(掲載日:2022-06-15)
タグ:ケア 現象学
カテゴリ 身体
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不安や緊張を力に変える心身コントロール術
安田 登
普段生活をしているとき、私の「体調」と「気分(精神状態)」の境目はどこだろうか。これは勝手なイメージだが、スポーツをする人はフィジカルとメンタル、のようにきっちり分けて考えているように思う。私はどちらかというと今日はいいことがあったので調子がいい、とか、頭が痛いから気分が優れないな、と体調と気分を混同している。心配事があればお腹が痛くなったりするし、身体のどこかが痛ければ気分も優れないというものである。
この心身の不調の元になりやすい「不安」や「緊張」だが、たとえば「呼吸の方法ひとつで、やる気は失われずにネガティブな感情を抑えることができる」と聞いたらどうだろうか。ちょっと「そんな都合のよいこと…」と思わないだろうか。私は思う。正直に言うと、私は啓発本の類が苦手である。「一日◯◯分これをするだけで」とか「これで全てうまくいく」とか、眉唾すぎて手に取る気になれない。なのになぜ、この本を手に取って読んだか。それは著者の安田登さんが能楽師だからである。
とあることから能について勉強しなければならなくなったとき、全国の、主に小中学校を回って能のワークショップを行っておられる安田さんを知った。そして講演を聞いたり、公演を観たりしに行くときに予習としていくつか著書を贖った。これはその延長で入手したものだ。安田さんの著作は多数あり、能の魅力についてももちろんだが、こうした能という伝統芸能の所作から身体の使い方を考察したものも数多くある。この本の中に出てくるロルフィングというボディーワークについても、安田さんは、その持ち前の好奇心とフットワークの軽さでアメリカまで行って施術者の資格を取り、それを専門に紹介した本を出しておられる。
ところで先に述べた「呼吸の方法ひとつでやる気は失われずネガティブな感情を抑えることができる」というのは能の謡のときの呼吸で、安田さんは「舞台のときは緊張するのに謡を謡っているときだけ緊張していない」ことからそれに気づいたそうだ。私が「こうすればうまくいく」系の本をあまり信用していないにもかかわらず、この本を買って読んでしまったのには、安田さんの提唱するあれこれに、そうした650年も続いている「能」というものによる裏打ちがあるから、というのがある。
本書にはこのようにメンタルに影響のある呼吸のことだけでなく、能の所作が大腰筋を鍛えることになるから能楽師は歳を取っても元気で80、90でもまだ現役でいられる、というような身体のことについてもその例やトレーニングが紹介されている。また興味深いのは、不安や緊張など、うまくいかないことに際しての、ものの考え方である。物事がうまくいかないとき、そのことをどう捉え、どう向き合うのか。
本書には自己イメージやサブ・パーソナリティというものも出てくる。それがどういうものなのかは、私の下手な説明を見るより本書を読んでいただいた方が断然早い。チームがうまくいかないとき、自分のやっていることに手応えを感じられないとき、もしかしたら本書にはそれを打開するようなヒントがあるかもしれない。
(柴原 容)
出版元:実業之日本社
(掲載日:2022-06-20)
タグ:メンタル 不安 呼吸 能
カテゴリ 身体
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図解でわかる! イップスの克服 個別メニュー作成と段階的トレーニングで治す
谷口 智哉
イップスに対する取り組みは様々な角度からなされているようですが、イップスの明確な定義や治療法は確立されているとは言えない状況です。むしろ問題なのはその不明確さゆえに曖昧な認識に立脚する対処法でさらに深みにはまることかもしれません。昨今、多くの研究者によりイップスの原因やパターン、そして克服の方法論が整理されつつあるのではないかと感じています。
本書はイップス研究家を名乗る筆者が独自の視点でイップスを論じています。幽霊の如く得体の知れないところにイップスの怖さがあるように感じていますが、論点を整理した上で解説をされているので本書を読むことで、「わからないものに対する恐怖や不安」というものが軽減するのではないかと思います。
「イップスとは何か?」「イップスのメカニズム」「具体的な例」「イップスのレベル」「克服するためのメニュー」と順に解説され、理解が容易な点はイップスに悩むプレイヤーにとっては心強いでしょう。とりわけ視点が研究者の押し付け的なものではなく、プレイヤーに寄り添う感じで一歩ずつ前に進むような取り組みなので、イップスに悩むプレイヤーからの共感が得られそうです。
もっとも世間では様々な観点からの取り組みがありますので、筆者の意見が将来的にコンセンサスを得られるかどうかはわかりませんが、読みやすさやわかりやすさという点において読んでみる価値は十分あると思います。
(辻田 浩志)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2022-07-13)
タグ:イップス 投球
カテゴリ 身体
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スポーツをしない子どもたち
田中 充 森田 景史
本書を執筆したきっかけ、それはスポーツ庁が小学5年生と中学2年生を対象に、年一回実施している体力テストだったという。令和元(2019)年度全国体力テストでは、握力や反復横とびなど、実技8種目を点数化した体力合計点の平均で、小5男子は2008年度の調査開始以降で最低の数値、中2男女いずれも前年度よりも数値が下がっていた(ちなみに、令和2年度は調査を中止、令和3年度の調査では小5、中2の男女ともに令和元年度の調査より体力合計点が低下していた)。
都市部ではとくに、公園でのボール遊びを禁止したり、子どもの遊ぶ声を騒音だ、などとして、子どもが思いっきり遊べる場所が少なくなっている。ほかにもスマホやゲームの影響、スクリーンタイムの増加は、スポーツ庁も指摘している。それに輪をかけて、令和3年度の調査ではコロナ禍の影響がもろに出ていると思われる。東日本の震災後、福島の子どもたちの体力テストの結果も低下した。その後、さまざまな取り組みのなかで調査の結果は改善しつつあるという。しかし、運動発達には適齢期がある。スキャモンの発育曲線などは有名だが、運動神経の応用力がもっとも発達するのは、9〜12歳までの、ゴールデンエイジと呼ばれる時期だ(3〜8歳までのプレゴールデンエイジも大事だとされている)。その時期に、外遊びの機会を奪われた子どもたちのからだへの影響は、中長期的に出てくるのかもしれない。
ちなみに、今の小学生は「公園派」と「ゲーム派」に、はっきり分かれるらしい。公園に集まってゲームをしている子たちは、どっち派なんだろう。
(塩﨑 由規)
出版元:扶桑社
(掲載日:2022-08-24)
タグ:子ども 発育発達
カテゴリ 身体
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どもる体
伊藤 亜紗
吃音と呼ばれるその状態は、体が思い通りにならない、言うことを聞かないために、発声がスムーズにいかない、ということを指す。
本来、随意的に行えるはずの発声に支障をきたす、ということは、社会活動にも差し障ることが少なくない。
ひとには元々、コントロールできない体がある。内臓などを支配する自律神経がわかりやすい。吃音と同じような問題でいえば、イップスだろうか。ともかく、ひとには思い通りにならない体がある。どもる、という事象を取り上げて、そのことを考える、というのが本書である。
実は吃音というのは、身近な現象である。多くの著名人が吃音であることを告白している。話すことや歌うことが生業のひとであっても、吃音のひとはいる。スキャットマン・ジョンも吃音であり、あの高速スキャットはむしろ、自由にどもる方法だった、という。
興味深いのはシチュエーションによって、吃音が出ない、ということだ。しかし、必ずしも緊張していることがきっかけとは限らない、という。きわめて個人差が大きいのだ。大きい括りでは、連発と難発がある。連発は同じ音を連続して発声してしまうこと、難発はそもそも発声がしにくく止まってしまうことをいう。苦手な音があるため、さまざまな工夫をする。難発は連発を避けるため、という面があり、苦手な音を避けるための言い換え、などがある。さらに、忘れたふりをして相手に言ってもらう、という方法もあるという。自分の名前に苦手な音がある場合は、まさか忘れたとは言えないために、とても困るらしい。
リズムに合わせると話しやすい、ということもある。「えー」「あのー」などのフィラーを、発声のためのトリガーとして利用しているひともいるという。言い換えや、ストックフレーズに頼ることによって、その場はやり過ごせても、本来自分が言いたかったこと、表現したかったことを避けてしまう、ということにフラストレーションを感じるひともいる。
そのため、自由にどもることに快感を覚えるひともいて、「どもる」ということひとつとっても、ひとくくりにはできそうもない。
(塩﨑 由規)
出版元:医学書院
(掲載日:2024-06-14)
タグ:吃音
カテゴリ 身体
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二つ以上の世界を生きている身体 韓医院の人類学
キム テウ 酒井 瞳
2024年が始まってから数カ月が経ち、ほんのりと温かい日差しを肌で感じるようになってきた頃、私はとある身体上の不調を理由に、病院(正確には「診療所」)へと赴くことになった。しかし、病院にまだ向かってすらいないにもかかわらず、私は既に四苦八苦していた。というのも、私は病院という空間が非常に苦手だからである。注射が怖いとかそういった子供じみた理由でないということを予め断っておきたい。基本的には、あの空間に感じる独特な「何か」が苦手なのである。大抵は白だったり薄い水色だったりクリーム色だったりする壁に囲まれた空間、いかにも「ここは衛生的ですよ」と言いたげに清潔感を演出する空間、働いている人みながパリッとしたピンクや黒、多くは白の制服を身に纏っている空間、そして日常生活ではあまり耳にしない語彙が飛び交う空間、あるいは番号がモニターに表示され、それに従って行動する空間、そこに何かしら過剰な同一性を感じるのだ。それは決して「病院」という空間に限ったことではないだろう。学校や会社といった空間も同様に、私としては居心地がよくないと感じている。行ったことはないのであるが、おそらく刑務所といった空間も同様であろう。しかし、病院という空間ほどそれを強く意識させられる場所は他にないと言ってもよいほどなのである。
そんなことをあれやこれやと考えながら病院へと向かう道すがら、ある考えが私を襲ってきた。それは「なぜ病院に行こうと思ったのだろう? なぜ、あそこではなくここ、つまり整骨院や鍼灸院、カイロプラクティックの施術所やその他民間療法と呼ばれる類いの治療が受けられる場所や教会などといった宗教的空間などではなく、他でもないこの『病院』というところに行こうと思ったのだろうか」という考えである。それと共に、なぜ病院はこうなっているのであって、ああではなかったのか、という疑問もあった。つまり、なぜ医師はこのように語り、このような語彙を使用し、このように検査し、このように治療するのだろうかという疑問である。これに対して「それが効果的だと実験で確認されたからだ」と答えることは、この疑問を些かも動揺させないと私は考えている。それについても「なぜそうなのか」と問うことが依然として可能であり、この問題はそっくりそのまま残っているからである。このような説明で満足できるのは、合理的に展開される歴史という一つの神話を前提せずには不可能であるという思いも私を襲っていたのだ。
一度気にかかると歯止めが効かない質である私としては、病院の前についたときも、初診だということで問診票にある空白を一つ一つと埋めていっているときも、受付の方に呼ばれて診察室に入ったときも、医師による早口の説明を聞いた後に検査室に案内されたときも、検査結果と医師の病態把握が説明されているときも、受付で会計を待っているときも、薬が手渡されたときも、常に「なぜああではなく、こうなのか」という疑問が私の頭を埋め続けていた。このときの私を襲っていたのは「歴史の天使」(ベンヤミン)の眼差しであると言ってもよいかもしれない。私はある意味では、過去に目を向けていたが故に、他でもありえたかもしれない現在に思いを馳せていたのである。そのような眼差しを内面化した私に対して、歴史は多くの「謎」をその顔に浮かべながら近づいてくることとなった(大澤真幸)。この問いに対する答えは一筋縄にはいかないだろう。いやむしろ、この問いそのものを問いに付すことさえも必要となるかもしれない。普段、何気なく生活しているときには気にも留めないもの、でも、何らかの機会に顕現し、目線を逸らすことを拒むような何か、それらにこそ注目すべきなのではあるまいか。当たり前とされ、そのことがあるということの偶然性が覆い隠されて不可視になったそれをこそ、問いに付すべきなのではあるまいか。そんな思いに駆られていた。
こういう問いは、これまでにも私の注目を集め続けてきたのではあるが、今回、このような問いに対する一つの語りが世に出たと知り、私はすぐにそれを手に取った。それが本書、『二つ以上の世界を生きている身体 韓医院の人類学』である。本書は、医療という実践がなされる様々なフィールドへと「旅」を行ってきたキム・テウ氏による旅行の記録、いわば「旅行記」である。旅をするとは、異なる空間に身を置くことである。現地の空気を感じることである。そして、他者に出会うことである。それはまさに、キム氏が述べる「人類学」の営みそのものである。本書が人類学的研究の実践を「旅」と呼ぶのは、そのような意味においてである。それは、他なるものに対する想像力を養ってくれることにもなるかもしれない。
本書の特質は、言葉に対する慎重な態度だと言っても間違ってはいないだろう。キム氏は「語ること」に慎重である。本書の最後に「付言 用語解説、または用語解明」という項目が独立して設けられていることが、そのことを端的に表している。そこでは、言葉と知の繋がりが主題とされている。これは非常に重要な視点だと言って差し支えない。
現代の日本社会においては、西洋近代医学なるものが支配的である。故に、鍼灸に代表される東洋医学的なるものは、どこか怪しい雰囲気を帯びたものとして眼差されている。ともすれば、それは非科学的なものとして糾弾されることもあるだろう。それは、非合理的なものとして扱われることもあり、容易に打ち捨てられることにもなりかねない。しかし、本書はそのように安易に事態を投げ捨てることを拒む言葉で埋め尽くされている。そこには、同一性を追求する実践ではなく、差異に目を向ける実践が積み上げられているのだ。
本書を読むと、医療について問うことの意味の広大さを再認することができる。医療について問うことは、単にそれだけには収まらない射程を秘めているのだ。なぜなら「医療は人間の存在に対する根本的な問いとつながっている」からである(33頁)。医療は、人間の存在論的な土台である身体と繋がり、そこ身体の理解は身体の外にある世界の理解と接続されている。つまり、「さまざまな医療に対する人類学の議論は、各文化が積み上げてきた人間の存在と、世界に関する多様な理解をひも解く機会を与えてくれる」(35頁)のであり、「医療は、健康のための知と行為の体系以上の意味を持つ」のだ(39頁)。このことを理解する機会を提供してくれているというだけでも、本書が「ある」意味は小さくない。そこには、閉じている空間を開くことの可能性が現前している。実のところ「医療のあいだには差異がある」のである(204頁)。近年は、東洋医学の西洋医学的解釈が流行となっている。東洋医学的実践が西洋化されつつあると言ってもよいかもしれない。それは東洋医学的実践を、西洋医学的な語彙でもって語ることである。差異を自ら解体し、西洋的なるものに同一化しようとする動きが活発化しているのだ。本当にそれで良いのだろうかという疑問はありえるが、本書はそのような東洋医学の西洋化に待ったをかける停止線ともなるだろう。東洋医学は、今一度自身の差異に目を向ける必要があるのかもしれない。
そんなとき、「医療が一つでなければ身体も一つではなく、身体につながっている存在も二つ以上なのだ。したがって世界も一つではない。複数の世界で私たちも、また異なるノーマルを実践することができる」と声を上げる本書は良き伴走者となってくれることだろう(227頁)。それは、医学的実践が、必ずしも一である必要はないことを確認させてくれる。同一性の確保に躍起になるのではなく、差異を引き受けることを推奨しているのだ。本書は、アネマリー・モルに代表される「存在論的転回」以降になされた医療人類学的研究の結果であり、「多」へと目が向けられている。医学的実践が一となるとき、それは他の実践を排除することになるだろう。もはや起源の偶然性は忘却され、それだけが唯一の歴史となる。そこにおいては、西洋医学の政治的な全面化が果たされている。本書は、そのような画一化を拒絶し、多様にありうる「異なるノーマル」に目を向けさせる。一ではなく多に目が向けられるとき、医療実践には決定的な変更が迫られることだろう。そのような可能性の追求は、決して意味なきことではない。しかし、注意せねばならないのは、ここでは優劣が志向されているわけではないということである。西洋医学的な視点から東アジア医学を見ることは、ときに植民地主義的な志向性を内包する。本書は、そのような視点を拒絶し、両者の特質を明らかにせんとしているのだ。
同一性から差異へのシフト、優劣の二元対立ではなく、異なる多の体系への志向性、そういったものの可能性が追求されているのが本書である。キム氏の旅行記を読むことで、異なるものに出会い、その空気を感じ、自身の外へと逸脱する機会が与えられる。是非とも読者の皆様にもその言葉を、その語りを感じていただきたい次第である。
(平井 優作)
出版元:柏書房
(掲載日:2024-09-06)
タグ:人類学 東洋医学
カテゴリ 身体
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