「ゼロ成長」幸福論
堀切 和雄
「ゼロ成長」幸福論堀切 和雄帯に「僕たちは『経済化』されすぎた」とある。
著者は言う。
「もうみんな、疲れてきたのかも知れない。『大競争』とか、『グローバル化への対応』とかいった、結局誰のためなのかわからない題目に」
「そうは言っても稼がねばならないのが現実なのだから、低空飛行でもいいから、仕事はしよう。あるいは、真剣に仕事をしよう」
NPO で働く人の話も出てくるが、要は経済のみに支配された「薄い人生」ではない人生を生きようと言う。
そしてこう締めくくる。
「そうやって各自がそれぞれの場所で工夫すること。『経済化』される以前の、自分自身の人生の物語を思い出し、紡いでいくこと。それがこの、長く続く革命の原動力の、すべてなのだ」と。
バブル期は「お金! お金! お金!」で、今のデフレ期は「お金…、お金…、お金…」。
「お金より楽しく野球をしたい」とアメリカに行った“並”の野手、新庄選手の人気が急上昇している。
直接スポーツやスポーツ医学に関係のない本なのだが、実は結構関係あると思い紹介した。
堀切和雄著 B6判 214頁 2001年4月10日刊 571円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:角川書店
(掲載日:2001-11-25)
タグ:経済 成長
カテゴリ 人生
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「ゼロ成長」幸福論
堀切 和雅
この本は筆者が家を35年ローンで購入したところからスタートする。少し前によく言われていた「勝ち組」「負け組」。筆者の考える負け組とは年収がいくらであろうと、「金の問題で、動ける自由を失った人」だそうだ。何十年ものローンを組んでしまえば仕事も辞めるに辞められない。家のローンを払うために生きることは果たして幸せだろうか。
お金があれば確かに生活は潤うかもしれない。テレビ、ゲーム機、DVDプレイヤー、エアコン、今では我々の生活に欠かせないこれらのモノはなくても私たちは生活できていたのである。しかし私たちはお金を稼いでも新しいモノに変えてしまうのだ。周りの人たちが持っているものを持っていないことに対して、私たちは劣等感を感じてしまう。
お金があって自分の納得のいく仕事ができている人もいるだろう。だがそれはほんの一握りなのである。人よりよい家に住むこと、人よりよい車を買うこと、人よりたくさんお金を稼ぐことだけが成功ではない。もちろんお金があるに越したことはないだろう。だが、低賃金でも自分が納得し、関わった人たちを幸せにできることも1つの成功の形である。本書はそういった脱競争主義をテーマにした作品である。
本書ではさまざまな環境に身を置いている人物の話が描かれており、改めて仕事の意味、価値観や自分にとっての成功は何かを考えさせられる。私たちは何のために働いて賃金を得ているのだろうか。人によってその答えは違うだろう。サラリーマンだけが生きる道ではないことを教えてくれるだろう。こんな不景気な時代だからこそ、自分のあり方を改めて考えてみてはいかがだろうか。
(三嶽 大輔)
出版元:角川書店
(掲載日:2011-10-31)
タグ:経済 成長
カテゴリ 人生
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いのちは即興だ
近藤等則
模倣から独自性へ
北京オリンピック(2008年)陸上男子400メートルリレーの銅メダル獲得は記憶に新しいところだが、近年の陸上短距離走における発展には、“日本人らしい走り”の追求がきっかけとなっていることは間違いないだろう。
人類史上、100メートルを9秒台で駆け抜けた選手は、そのほとんどがアフリカ系のいわゆる“黒人”であることから、彼らの走りを研究し、なかば模倣することで速くなろうということが永い期間にわたって行われてきた。それを脱却し、“なんば走り”や“すり足走法”などと呼ばれる日本古来からある身体の使い方で持って世界に通用する走りが工夫され、現在の成功が導かれるようになったのである。ただ“○○走法”というのは理解を助けるための1つのキーワードだから、本来あるそれとは意を異にするとも考えられるが、要するに“自分らしい”走り方を見つけそれを極めることが重要であると、このことは物語っている。
大地が共演者
さて、本書の著者、近藤等則は世界を股にかけて活躍するジャズ・トランペット吹きである。最近は「地球を吹く(Blow the Earth)」と題して、人間相手ではなく世界各地の大地そのものを“共演者”として活動しており、演奏場所は「イスラエル・ネゲブ砂漠を皮切りに、ペルー・アンデス、ヒマラヤ・ラダック、沖縄・久高島、アラスカ・マッキンレー、熊野など」多岐にわたる。
ジャズの特徴として、“インプロビゼイション(即興演奏)”がある。とはいえ、テーマとなるメロディやテンポはあらかじめ決められており、「そのあとその」テーマ「のコード進行に基づいて」即興演奏をしていくのが一般的である。近藤が目指したのは、「演奏が始まる前になにもきめない」ことが「唯一の約束事」といった、最もラディカルな部類のフリー・ジャズだ。したがって、人が相手でも、自然が相手でも、演奏は全くの即興で行うということが彼独特の演奏スタイルということになる。
では何を拠りどころとして“共演”するのか。それは、「場の空気」や「バイブレーション」である。「地球を吹く(Blow the Earth)」では、「人類が登場する以前のバイブレーションがまだ残っている地球のあちこちで演奏」するとして、たとえば「イスラエルのネゲブ砂漠」は「ヨーロッパ大陸、アジア大陸、アフリカ大陸、三つの交差点」「だからユーラシアのへそ」であって、「その昔、モーゼがさまよい、ヨハネやキリストがいた場所」のバイブレーションを感じながら演奏をするのである。
本当の強さ
「ジャズというのは黒人の音楽」である。二十歳のとき「プロのミュージシャンになろうと決心した瞬間、からだが凍りつくぐらいのショックがあった」と彼はいう。「感動していればよかった」側から、「感動させる側に回らないといけない」ことに気づいたものの、「あるときチャーリー・パーカーのレコードを聴いていたら、突然そのアルト・サックスの音が黒人のスラング英語で話しかけているように聞こえ」たからだ。
しかし「ジャズから音楽を始めるけれど、ただ黒人のコピーをする」のではなく、いずれは「自分の音楽に行く」この方法しかないだろうと思うことで克服している。彼らのような「厳しい人生体験もしていない自分が、どうしたら彼らと対等か、それ以上の何かを持てるようになるだろうかと考えたとき、唯一学べるのは、日本の求道者や絵描き」ではないかと思ったというのだ。
スポーツと音楽、ジャンルは違えど、自分の拠って立つべき精神性を発揮した人は強い。「トランペットを吹き始めてから四十七年になる」ミュージシャンの半生である。独特の視点で世の中を眺め、行動している姿は示唆に富んでおり魅力的である。とはいえ「短気で、ストレートな性格のせいか、ホラ貝吹きの海賊の血を受けついでいるせいか、ラッパに惹かれてしまった」男の半生、その駆け出しの頃の記述は必勝抱腹まちがいない。
(板井 美浩)
出版元:地湧社
(掲載日:2010-02-10)
タグ:陸上 音楽
カテゴリ 人生
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一歩60cmで地球を廻れ 間寛平だけが無謀な夢を実現できる理由
比企 啓之 土屋 敏男
「止まると死ぬんじゃー」
てっぺんに巻き毛の生えたかつらにチョビひげで「止まると死ぬんじゃー」とステッキを振り回すおじいさんは「最強ジジイ」というらしい。私は大阪の人間で、小さい頃から吉本新喜劇のファン。中でも不条理なギャグのオンパレードである間寛平さん、いやいくつになっても「寛平ちゃん」と呼びたいその人の大ファンだ。
そんな彼が1995年、24時間テレビの企画の1つとして、阪神大震災の被災者を元気づけるため彼は神戸から東京まで1週間で走り抜いた。正確な距離はわからないが、ざっと600キロ余りの距離である。途中応援に駆けつけた明石家さんまさんが、「兄さんもうこんなあほな事やめときや」と言っていたが私も同感で、周りの人たちのように下手に励ますなどできないと感じていた。
思いつきを現実に
そのほかにサハラマラソン(総距離245km)やスパルタスロン(同246km)をも完走しているこの鉄人が今、マラソンとヨットで地球を一周するという壮大なプロジェクトを敢行している。その名を「アースマラソン」という。この壮大な企画が立ち上がった経緯を中心に書かれている本書は、(株)吉本デベロップメント社長、そして日本テレビのディレクターによる共著である。このプロジェクトをマネージメントし、そのコンテンツをビジネスに結びつける主要スタッフによる、アースマラソン前史と中間報告という形になっている。とくに比企氏は寛平ちゃんと2人で太平洋ならびに大西洋をヨットで渡りきった同志でもある。
いくら彼が長距離走において鉄人級であるにせよ、地球一周走るなんて常識のある人ならちょっと考えられない。それも「木更津のローソンを過ぎたあたりで急に地球一周走ると降りてきて」と天啓のようにひらめき、「なんぼあったらできるんやろう」と、自前でやろうと考えたのが事の発端らしい。そんな思いつきにとらわれた本人とは別に、時間と資金そして人材をかき集め、コンテンツとしてそれを活用することを考えた周りの人々が、数年がかりで現実にしたわけだ。
トレーナー業務を想像
寛平ちゃん自身、不安要素も山ほど持っているだろうし、どれだけ達成までの計算が立っているのかわからない。世界平和を祈願してだとか、世界中の人々を勇気づけるだとか、何か御大層なお題目を掲げているわけでもない。途中で果たした東京オリンピック・パラリンピック招致活動も後付けのイベントだ。「目立ちたいから」と本人は話しているようだが、要するにやりたいことをやっているだけだ。この旅の途中で還暦を迎えたこの人は、友の訃報に接して人目もはばからず泣き、時には弱音も吐き、どこの国でもおなじみのギャグを披露する。そして毎日50km走る。
こんな人にトレーナーとしてサポートさせてもらえたらと僭越ながら想像してみると、確かに高揚感もあるが、それより大きな恐怖がこみ上げる。確かに、今この一瞬のために寿命が縮んでもいいと考えるアスリートも多いし、小賢しい常識という奴を乗り越えてないと、新しい風景は見られないのも事実だ。やる前に結論を出して立ち止まってしまえば、その先に広がる景色を見る術を放棄することになる。
非合法な方法に頼ることは許されないにしろ、壁を破ろうとのたうち回るアスリートにいわゆるスポーツ医学の専門家としての常識を覆しつつ、とことん付き合うというコミットメントが必要になることは一般のトレーナー業務でも多い。ただ、この文字通りの「最強ジジイ」が「止まって死なない」ようにサポートするなど、巨大な覚悟と巨大な遊び心が必要だろう。
この人はカッコいい
それにしても奥方の光代さんから「次から次へと好きなことをしたらいいんですよ。この人はそういう人やからね。」と言ってもらえるこの人はカッコいいと思う。しかし本当に危険なのはここからだ。何より無事を、いやご本人が納得するところまでやり抜くことをただ祈りながら、遠い異国の地にいる人を思うことにする。
(山根 太治)
出版元:ワニブックス
(掲載日:2010-01-10)
タグ:陸上 マラソン 芸能
カテゴリ 人生
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語感トレーニング 日本語のセンスをみがく55題
中村 明
言葉というものは不思議な二面性を持ちます。細部に至るまでのキメの細かいルールにのっとって用いられる厳格な面もあれば、あいまいな部分や流行によって変化するという柔軟な一面もあります。とりあえずは文法に従って定型的な表現をしていれば、ある程度の意思伝達は可能になります。しかしながら言葉には奥行きの深さがあり、機械的な意思伝達に留まらないことは私たちも知っています。ちょっとした単語の選択や使いまわし1つによって同じ意味でも微妙なニュアンスの違いが生じます。またそれにより言葉を受け取る相手方が受ける印象が違ってくるから不思議でもあり、また難しくもあります。
私たちが日常何気なしに使う日本語という言語も、その使い方がうまい人とそうでない人がいますが、それは言葉を選ぶセンスによりその違いが出てくると説明されます。同じ意味の言葉を話しても(書いても)細かいニュアンスまで正確に伝えることができたり、こちらの心情を理解してもらえたらと願うと同時に、最低限誤った言葉の使い方をしたくないと考えます。
本書の目的は、そういった言葉の選択を的確にするトレーニングや意識付けであるといえましょう。堅苦しい感じはなく、クイズ番組を見ているような気軽な気持ちで読み進めることができるところに著者のセンスのよさを感じてしまいます。単語、文、文章をセンスよく使える人は作品全体にもセンスのよさがにじみ出てくるようにも思えます。
筆者は「言葉のにおい」という表現を使いますが、言葉を生き物として捉えておられるのがわかります。生き物である以上、それぞれの言葉には性別や年齢もあれば性格まで持ち合わせていることを教えられました。
社会で生きる私たちにとって自分の考えていること、感じていることを相手に正確に伝えるということはよりよく生きる上でとても重要な事柄です。言葉のトレーニングにより語感が高まり、的確な表現が身につけば素晴らしいことです。
日本語がこんなにも豊かな言葉であったことに感動を覚えました。正しく使ってみたい言葉です。
(辻田 浩志)
出版元:岩波書店
(掲載日:2011-12-13)
タグ:コミュニケーション 言語 語感 トレーニング
カテゴリ 人生
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動作の意味論 歩きながら考える
長崎 浩
動作に関わる本である。しかし、普通の運動生理学や医学の本というより、哲学的な視点から人間の動作を理解するための本という感じである。正直に言うと、内容や文章で用いられている語句は難しい。私見ではあるが、自分が身体を動かすときにはこんなことを考えて動く必要はないideaばかりなので、アスリート自身が読むような本ではない。どちらかというと、身体運動を研究したり分析したりする必要のある、運動指導者や医療関係者が読むための書籍である。
具体的には、神経系と運動器系がどのように人間の運動・動作・行動を成しているのかについて、エビデンスを用いたり、過去の著名な研究者の文献などを引用しながら広く書かれている。ただ、初めに言ったとおり、哲学的な内容になっているため、普通の身体に関する本として読むと理解に苦しむ部分がある。運動生理学や医学的な知識を得るためではなく、もっと根本の「動作とは何か」という部分で見識を広めるために読むとよいと思われる。
個人としては、第7章の「脳は筋肉のことなど知らない」と第8章の「日常動作が壊れるとき」が興味を引いた。普段、医学的知識を得ることが常の私にとって、「中枢神経系が筋肉のことを知らない」という観点は非常に独特であったし、8章に登場するブルンストロームやボバースの評価と治療についての内容はとても勉強になった。
時間を見つけ、何度も何度も読んで理解を深めるのもよし、自分の興味のある章のみを読むのもよしの作品となっている。
(宮崎 喬平)
出版元:雲母書房
(掲載日:2011-12-13)
タグ:運動 哲学 運動生理学
カテゴリ 人生
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武道的思考
内田 樹
武道の本旨は「人間の生きる知恵と力を高めること」であり、「他人と比べるものではない」と述べる筆者。そして「比べていいのは『昨日の自分』とだけだ」とも述べている。
本書の中で何度も出てくる「武道が想定しているのは危機的状況で、自分の生きる知恵と力のすべてを投じないと生き延びることができない状況」というフレーズに象徴されるように、現在の日本にとって非常にタイムリーな内容になっている。
(磯谷 貴之)
出版元:筑摩書房
(掲載日:2012-01-18)
タグ:武道 哲学
カテゴリ 人生
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失敗学のすすめ
畑村 洋太郎
「失敗は成功の母」という言葉が示す通り、失敗から多くを学ぶことは、誰もが共感できる考えである。目標を達成する人は一握りなのに、目標を前に断念する人は比較にならないほど多い。その差を埋めるためにどうしたらよいのか、この本には書いてある。
失敗をすることは誰にでもあり、程度の違いはあっても挫折を味わったことがない人はいないだろう。そんなときに、「思いもよらなかった」「予測できなかった」といった決まり文句を口にしてはいないだろうか。本当に「思いもよらなかった」「予測できなかった」のだろうか。もう一度自分に向き合ったとき、本心では「見たくないから見なかった」「失敗を隠したかった」のではないだろうか。失敗の原因を未知への遭遇にして責任逃れを繰り返している人は、次も失敗を繰り返し、目標に到達することはないだろう。
目標を達成しようと、日々努力している人たちは、ポジディブシンキングやプラス思考だけでは、問題を克服することができないことに気づいている。失敗をどのように活かすのか、同じ失敗を繰り返さないためにはどうしたらよいのか、こんなことに悩んでいる人にはよい道しるべとなる本である。目標を達成するためには、失敗のマイナス面のみに目を向けるのではなく、プラス面に目を向け、活かすことが唯一の方法である。
(服部 哲也)
出版元:講談社
(掲載日:2012-01-18)
タグ:リスク 心理
カテゴリ 人生
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鍼灸の挑戦
松田 博公
著者の松田博公氏は、自身も鍼灸師としての資格を有するジャーナリスト。この著書では、多くの高名な鍼灸師の先生方へのインタビューや自身の経験を通して、鍼灸治療の基本概念や歴史、技術について書かれている。
当然であるが、初めから最後まで東洋医学絶対優位の立場で書かれていたため、西洋医学をバックグラウンドとして持つ私にとっては「本当かよ」というような話もいくつかあった。しかし、文章自体は面白く退屈させないものであったため、読み進めていくうちにどんどん引き込まれていく本でもあった。
本当に興味深い内容もたくさんあり、とくに「中医学理論の問診・脈診・舌診・体表観察・腹部の診察による診断法」や「鍼灸のEBM」「アメリカで鍼灸に保険が使える理由」などの話は大変面白かった。さらに、局所的治療に固執しがちな現代の西洋医学に対して、天候や心理なども考慮した身体全体の治療を行っていく伝統的な鍼灸治療の考え方には学ぶべきところが多いなと感じた。
東洋医学に興味がある方はもちろん、患者が治ることを第一に考えている医療従事者にとって、広く柔軟な考え方を持つためにも一読して損はないはずである。
(宮崎 喬平)
出版元:岩波書店
(掲載日:2012-01-18)
タグ:東洋医学 鍼灸
カテゴリ 人生
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温泉教授の湯治力
松田 忠徳
「いい湯だな~~」温泉につかると、そんな鼻歌の1つも出てきそうです。浮き世の喧噪から逃れて温泉に入ると身も心もリラックスするからなのでしょう。癒しブームとも言われますが、温泉こそが私たち日本人にとって癒しの元祖ではないでしょうか。そんな温泉の指南書ともいえる一冊。
古来より身体をきれいにする目的のみならず、病気治療の目的があることは温泉を語る上で忘れてはなりません。日本書紀に湯治の記述があるというから驚きです。相当古くから温泉は病平癒に利用されていたようです。また日本人の温泉好きは神事に由来するという推論はとても興味深く読めました。
古来、日本人の温泉好きは変わらないのですが、昨今の温泉ブームにより平成以降多くの温泉施設がつくられました。しかしその中には「温泉」とは呼べないまがいものの温泉があると言います。さらには昔からの温泉でも賞味期限が切れたものがあるそうです。まさか温泉に賞味期限があるとは思いませんでした。それならばホンモノの温泉とはどんなものか? 具体的なポイントを明らかにしてくれていますので、温泉選びの目安になるでしょう。私もかつて温泉宿に泊まって露天風呂を楽しんだのですが、上がったあと身体から発せられるカルキの臭いに気分を悪くし、興ざめした経験があります。本書を読んでそのカラクリがわかりました。次の機会にはきちんとした温泉選びができそうです。
温泉に入るときの心構えまで書かれているのだから至れり尽くせり。「温泉教授おすすめ 全国の湯治宿145選」と題したデータベースまであれば、あとに必要なのはお金と時間だけ。
裸で湯船につかっている光景がいくつも頭の中に浮かんできました。
(辻田 浩志)
出版元:祥伝社
(掲載日:2012-01-18)
タグ:湯治
カテゴリ 人生
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養生の実技
五木 寛之
作家として言わずと知れた五木寛之氏が50年間行ってきた身体養生の方法を綴った本である。
病気はなおらない、そして自らの感覚が大事であると考える五木氏。自分が身体によいと思うことを行い、よくないと思えば一般的な治療法であっても行わない。身体にメスを入れるなんてとんでもない話なのである。
身体の症状は何らかのサインなのだ。身体に症状がでるのには生理的、物理的な原因と同時に心理的な原因が影響していると考えられている。身体はサインを出して変調を知らせてくれているのである。何らかのサインを感じたら、それを叩きのめす(治療)のではなく、身体と向き合い生活習慣やストレスなどを考え直したり、うまく対応する(養生)ことが必要なのではないかということである。
現代の生活でストレスを避けることは難しい。自らの身体とそして身体がさらされている環境とうまくつきあいながら生き方を見つけて実践していくことが大切なのだという印象が強く残った一冊であった。
(大槻 清馨)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-01-18)
タグ:身体養生
カテゴリ 人生
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アスリート留学 in USA
栄 陽子 滝沢 丈
アメリカの大学生がスポーツ選手として、どのように考え、どのように生活を送っているかが、詳しく書いてある。また、全く留学について知らなくても、アメリカの大学について、どのように入学し、生活を送り、卒業するかという過程がわかりやすく解説してあり、イメージしやすくなるだろう。
本文は大きく基礎編と実践編に分かれている。
基礎編では、アメリカ人の大学に対する価値観からアメリカの大学がスポーツのレベルでどのように分類されているか、アメリカで学生アスリートとなるために何が必要かを大学名や実際の金額を出して分かりやすく示している。
実践編では、スポーツ部入部のためのノウハウ(野球、ソフトボール、バレーボール、ゴルフ、サッカー、水泳について、自己紹介文、トライアウトの方法など)、各競技レベル(division)の大学におけるスポーツ設備やアスリートへの対応、入部した後のアスリート留学生のスケジュールが具体的に書かれている。また、最後に留学体験記や資料として、アメフトや野球等で毎年米ランキングの上位に上がってくる大学の資料もついている。
アメリカの大学は入るよりも出るのが大変ということは耳にしたことがあったが、この本にもそのことについて随所に示されている。成績や単位数によってスポーツ活動の制限だけでなく退学も余儀なくなされてしまう。アメリカの大学がアスリートも一学生として育てるという意識の高さが感じられた。アスリート・留学を目指す人のみならず、日本の大学・高校の関係者にもぜひお勧めしたい1冊である。
(服部 紗都子)
出版元:三修社
(掲載日:2012-01-18)
タグ:留学 教育 ノウハウ
カテゴリ 人生
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スポーツ計時 1000分の1秒物語
森 彰英
著者はフリージャーナリスト。スポーツ計時一つに、ここまでの物語があるとは正直驚いた。本書は「陸上競技と計時機器の歴史」「ストップウォッチの開発」「アルペンスキーの時間との戦い」「現代の計時システムをサポートする裏方」などについて書かれているが、アスリートの記録とともに計時機器が進化してきたというよりも、計時システムの進化がアスリートの記録に影響し、進化させてきたという視点でそれらを紹介している。
また、計時システム以外のシューズや水着、スキー板といったアイテムがアスリートの記録を支えている事実や、競泳を変えた最先端のスポーツ科学についても書かれている。
もちろん記録を樹立するアスリート自身の努力が最も賞賛されるべきであるが、それらに裏方が存在しサポートしていることも忘れてはいけないと思う。とくにコーチやトレーナーは計時システムをしっかりと理解することで、よりアスリートのパフォーマンス(記録)に反映される指導ができるだろうし、医療関係者はアイテムがどのように記録に影響を与えるかを知ることで、アスリートを記録的にも医療的にもサポートすることができるはずである。
(宮崎 喬平)
出版元:講談社
(掲載日:2012-01-18)
タグ:記録 用具 サポート ノンフィクション
カテゴリ 人生
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なぜ人は砂漠で溺死するのか? 死体の行動分析学
高木 徹也
砂漠で人が溺死する? 砂漠では、脱水で死ぬより溺水で死ぬ人のほうが多いらしい。年間降水量30~40㎜、年間降雨日数7日程度しかない町に年間降水量の2倍近い雨が短時間で急に降ったら、道路はたちまち冠水し、市街地を鉄砲水が流れていく、砂漠という土地柄では泳ぎに習熟している人が少なく、多くの人が濁流に呑み込まれ命を落とす結果となった。
本書は上記の内容を詳しく書いているわけではない。杏林大学医学部法医学教室准教授、東京都監察医務院非常勤監察医、東京都多摩地区警察医会顧問であり、不審遺体解剖数日本一の法医学者高木徹也氏による「不慮の死」をめぐる医学ルポである。
タイトルは人は死にやすいということを示しているのだろう。日本の死亡者の約20%は異状死であり、意外な場所、意外な原因で多くの人が死んでいる。本書を読んでいくと、こんなことで死んでしまうのかと気づき、状況だけで判断して一方的に決めつけられない死の分析がドラマのようで引き込まれていく(著者は『ガリレオ』『コード・ブルー』などのドラマ監修者でもあるようだ)。
我が国日本では、交通事故で死ぬより風呂場で死ぬ確率のほうが2倍も高く、風呂溺大国なんていう皮肉で書いているが日常での意外な場所での死亡内容が印象に残る。他にも多様な自殺、性行為での死など、死について改めて考えされられる。現場などで活躍する人が本書を読んでいるとこのサインはこの症状の表れなんじゃないか? と考え死を未然に防げる内容になっているところもあり、お勧めの一冊である。
現在の日本では犯罪や事件性がなければ解剖が行われない地域がほとんどとあるが、解剖もしないで犯罪や事件性がないとするのは危険な判断。死を身近に感じられる教育や死因から目をそらさない環境づくりができれば、日本人はもっと生を大事にできると著者はいう。
(安本 啓剛)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2012-01-18)
タグ:法医学 リスク 死生観
カテゴリ 人生
CiNii Booksで検索:なぜ人は砂漠で溺死するのか? 死体の行動分析学
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夢を見ない男 松坂大輔
吉井 妙子
野球をあまり知らない人でも、松坂大輔という名前は一度は耳にしたことがあると思います。甲子園春夏連覇、決勝戦でのノーヒットノーラン、日本球界での数々の記録、60億円というプロ野球史上最高額でのメジャー移籍、WBCでのMVP獲得、「松坂世代」という言葉まででき、平成の怪物、世界のエースとまで言われた選手です。
しかし、18歳でプロ入りし、常に注目される中での苦労、移籍の際の自分の力ではどうにもならない苦しみ、もどかしさ…。本書は天才アスリートと言われる松坂大輔投手の強さ、考え方、また一緒に歩んできた人、支えてきた人、影響を与えた人、そして野球選手としてだけでなく「人間:松坂大輔」の魅力についても書かれています。
横浜高校時代から松坂投手に注目し、松坂投手の真似をしていた私にとって今までと違った「松坂投手」に出会えた一冊です。
(大洞 裕和)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-01-18)
タグ:野球 ノンフィクション
カテゴリ 人生
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手の日本人、足の西欧人
大築 立志
「足」という字を「あし」と読むのには「悪し(あし)」との関連があるという説があるそうです。ふだんあれだけお世話になっている「足」なのにイメージ的によくない印象があり、それは西欧とは違う日本の文化に由来する。そんな内容が多くの事例とともに解説された一冊です。
「手」を重んじる日本と「足」を重んじる西欧人という対立した機軸での展開は、ややもすれば結論ありきという強引さも伺えますが、おおむね納得できる内容です。「手の文化」と「足の文化」の違いは、私たちのあまりなじみのなかった欧米文化の謎を解いてくれるようです。大統領がマスコミを相手に話をするときデスクに足を乗せて話せば、おそらくほとんどの日本人は眉をひそめ人格を疑うに違いありません。ところがあちらでは、それが「親近感」をアピールするための手段として用いられるというのですから驚きです。グローバル化が進み世界中の垣根が低くなりつつある中で、現存する文化価値観の違いによる行き違い。欧米化が進んだと言われる日本においてさえ、まだまだ理解し合わないといけない事柄はたくさんあるようです。
農耕民族と狩猟民族の違いという結論が、21世紀という時代に入ってなおしっかりと現代に受け継がれていることに興味深いものがあります。西欧人との違いを比べるというよりも日本人の文化のルーツをここに見つけることができそうです。植物を食料として確保しえた生活環境だからこそ、動物を殺してはいけないという「殺生戒」という思想が生まれたのではないかというくだりは宗教観にも及びます。
エピローグで筆者が面白いことを述べておられます。「『西洋と日本との間には手足に対する見方があるに違いない』という考えに取り付かれて、冷静な目を失ってしまったかもしれない」と断った上で、文化の違いを明らかにするということは、自分が常識だと思っていることを疑うことであるといわれます。要するに自分との違いを非難することではなく、相手の歩んできた歴史を知ることによりさらに深く相手を理解するという目的が優先すべきなんだろうと思います。
(辻田 浩志)
出版元:徳間書店
(掲載日:2012-01-19)
タグ:比較文化
カテゴリ 人生
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100km・ウルトラマラソン
夜久 弘
ウルトラマラソンのランナーでもある著者が出場した「丹後100kmウルトラマラソン」の体験記とウルトラマラソンを介して出会った8名のランナーの物語をまとめた書籍。ウルトラマラソンの持っている魅力が様々な視点から語られている。
競技となると勝敗やタイムにこだわる必要はある。しかしどうやらウルトラマラソンの魅力はそこではないらしい。景色を楽しみ、空気を楽しみ、出会いを楽しむ。マラソンと名前は付いているが、競技とは全く別物のようだ。
もちろん途中で制限タイムも設定されているので、それをクリアできなければ強制終了となってしまう。しかしそれをクリアするために、速さを求めているわけではない。
本書の中には途中の制限タイムに間に合わないのが確実だが、そこに向かって歩みを進める方の話も出てくる。10時間以上走り続け、それでも途中で強制終了させられる。決して良い結果は待っていないのがわかっていながら、そこに向かって歩みを進める彼ら。彼らの脚を動かす原動力はいったい何であろう。
(澤野 博)
出版元:ランナーズ
(掲載日:2012-02-07)
タグ:ウルトラマラソン ノンフィクション
カテゴリ 人生
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わが愛しきパ・リーグ
大倉 徹也
パシフィックリーグをこよなく愛する著者の文章からは、野球をエンターテイメントとして捉え、1つのスポーツショーとして見ようという思いが伝わってくる。かつて新庄剛志選手が日本ハムファイターズにいた頃、ファンサービスで札幌ドームにフェラーリであらわれたことがあった。神聖なグラウンドに車であらわれるとは何事だと訝しむ関係者がいたと聞くが、そのエンターテイメント性の高さで、プロ野球を好きになった札幌のファンは決して少なくないと思う。現在各球団がそれぞれ地域密着を掲げ、さまざまな経営努力をしているが、ファンの気持ちを一番に考えながら、既成の概念を打ち破っていく力強さは、パ・リーグの球団のほうに一日の長があるのではないだろうか。
また、本作に出てくる「純パの会」の会員の方の声を聞くと、こうやって野球を楽しんでいる方もいるんだなと新鮮な気持ちになった。それは、審判のパフォーマンスに焦点を当てたり、個性的な存在感を出す選手を探すことであったり、応援団の応援ぶりを楽しむことであったりする。その魅力の多様性を鑑みると、プロ野球界の歴史の重さを感じるとともに、これからの可能性をも強く期待させるものであった。
(水田 陽)
出版元:講談社
(掲載日:2012-02-07)
タグ:野球 ノンフィクション
カテゴリ 人生
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ファイブ
平山 譲
本作はミスターバスケットボールと呼ばれた佐古賢一選手を中心に物語が展開される。所属していたバスケ部が親会社の業績不振により廃部に。バスケができないと悲しみに暮れていたが、一人のコーチの誘いによりあるチームでもう一度バスケができることになった。鈴木貴美一HC率いるアイシンという優勝経験がないチームに。
そこに集まった後藤正規、外山英明、佐藤信長、エリック・マッカーサーといった個性的な選手たち。彼らもまた佐古と同じように一度はバスケを続ける道を絶たれた選手たちだった。だが彼らは諦めなかった、バスケットが大好きだから。まだ終われなかった。
人生の酸いも甘いも経験した30代の5人。一度や二度リストラされたって何度でもやり直せる。オジサン軍団と呼ばれたアイシンの初優勝に向けてチーム全員で挑むノンフィクションストーリー。
選手一人ずつチームに集まった経緯などにスポットが当てられており、感情移入がしやすく読んでいて非常に胸が熱くなる。まだまだ自分も頑張れる、そんな気持ちにさせてくれる作品である。
(三嶽 大輔)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2012-02-07)
タグ:バスケットボール ノンフィクション
カテゴリ 人生
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サッカーという名の神様
近藤 篤
2011年7月18日。日本中が未明から熱狂と感動に包まれた日であり女子サッカーの歴史が動いた日でもある。サッカー女子ワールドカップでの日本代表の世界制覇。私自身も早朝からテレビの前で熱くなった1人だ。
準々決勝で強豪ドイツを破ってから、日本中がなでしこジャパンフィーバーに包まれた。テレビ局は急遽、準決勝と決勝を中継し、情報番組も日本代表や対戦相手のデータなどの話題でもちきり。優勝して凱旋帰国をした彼女たちを待っていたのは、出発時とは全く異なる待遇だったはずだ。ワールドカップという大会を経て、日本中の注目が選手たちに向けられている。しかし、この注目は、一時的なものであってはならない。
本書は、サッカーの写真家である近藤氏が、過去に50カ国以上で撮影してきた経験の中から、それぞれの国でのサッカーにまつわるエピソードを綴った短編エッセイ集である。
町中の至るところでサッカーが行われ、プロサッカー選手になることが貧困を脱する一番の方法となっている国。サポーターが大きな賞賛も激しい罵声も選手に向ける国。民族の壁に阻まれながらも、誇りの為にサッカーをする国。どんなに負けが続いても、地元チームを愛して応援しつづける文化の根付いた国。仕事前にサッカーをして履いたスパイクが、運転席下に置いてあるタクシードライバーのいる国。
世界にはさまざまなサッカーがあり、人々の生活の一部となっている。著者が触れた世界のサッカーが、文章を通して伝わってくるので、私はすぐに引き込まれてしまった。
あるサッカー選手の言葉で、「サッカーは世界の共通言語だ」というのは本当だなと、本書を読んでいて強く感じた。著者が出会った人々にとって、サッカーは生きがいであり、生活の中になくてはならない存在となっている。サッカー強豪国だけでない。ワールドカップに出場したことのない国でも、サッカーを中心とした生活がある。
著者が見てきた世界の国々のように、日本人の生活の中に、サッカーはどれだけ根づいてきているのだろう。サッカーだけでなくても、スポーツが常に生活の重要な一部になり、町中の至る所で老若男女がスポーツを楽しむ光景が見られる世の中になればいいなと、私は強く思う。
(山村 聡)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2012-02-07)
タグ:サッカー エッセー
カテゴリ 人生
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野球力再生 名将のベースボール思考術
森 祗晶
本書は、日米両国の野球を比較しながら、日本野球界への提言をしていく内容になっている。フロントと現場の温度差、コミッショナーの権限の弱さ、ドラフトやFA問題。悪しき慣習が蔓延する野球界を、現役時代に巨人でV9を経験し、監督時代に西武ライオンズで黄金時代を築いた著者、森祗晶氏が冷静かつ論理的に両断していく。
同氏の言葉からは、現場から滲み出る重みを感じるし、メジャーリーグを始め、各界のいい部分をどんどん取り上げていくべきだとの主張は納得できるものが多い。しかし…正論であっても実現するのは難しいのだろうなと思ってしまう。どうせ一番の敵である「変わることを好まない」集団に跳ね返されてしまうのだろうなという気持ちになってしまう。
それではいけない。「勇気」が求められる時代背景の中で、野球界にかかる期待は大きいはずだ。プロ野球界の関係者全員が人任せにするのでなく、自分のこととして考え、できる限りの行動をしていく必要がある。本書はプロ野球ファンの方はもちろん、球団関係者、メディア関係者にもぜひ読んでいただき、これからの野球界発展に向けて一考いただければと思う内容であった。
(水田 陽)
出版元:ベースボール・マガジン社
(掲載日:2012-02-15)
タグ:野球 組織
カテゴリ 人生
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イチローUSA語録
デイヴィッド・シールズ 永井 淳 戸田 裕之
野球ファンならずとも、彼の名前を知らない人はいないだろう。
イチロー。日本人初の野手としてメジャーリーグに挑戦した彼は、今や記録にも記憶にも残る名選手として活躍を続けている。本書はイチローのルーキーイヤーである2001年に、彼がインタビューなどで残した言葉が英文とともに記載されている。
日本では前人未到の200本安打を放ち、7年連続で首位打者というスーパースターだったイチロー選手も、当時のアメリカのメディアからすれば1人の小柄なルーキーでしかなかった。当時、現在のような活躍をすると予想していたメディアやファンがいただろうか。
10年連続200本安打や年間最多安打記録、オールスター戦でのMVPなど、彼の功績を知っている今、改めて当時のアメリカメディアが彼のプレーに衝撃を受けている様子を見ると、私は「どんなもんだ」と心の中で威張ってしまった。当の本人はそのような態度は一切見せていない。10年経った今でも変わらず、現状に満足することなく、さらに上を目指している。その向上心が、現在までの活躍を生んできたのだろう。
イチロー選手に関する本はほかにもたくさんあるが、メジャーリーグでのスタートを切った当時の言葉に触れられる本書を、ぜひ一度手にとってもらいたい。イチローの活躍の秘密が見つかるかもしれない。
(山村 聡)
出版元:集英社
(掲載日:2012-02-15)
タグ:野球 スポーツ報道
カテゴリ 人生
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繁盛する治療院の患者の心をつかむ会話術
岡野 宏量
この書評をお読みになるような方々には賛否両論の内容であるかも知れない。
「治療技術がよければ患者は来てくれる」は大きな間違い、という切り口。サブタイトルが「儲かる治療院がやっている接遇・コミュニケーションのコツ」ということで割り切って読むことで治療院が稼ぐための手段、技術になると思う。
治療院の会話の目的は? と聞かれたとき、さまざまな答えがあるかも知れない。本書では会話の目的を一貫して「患者さんに通院してもらうこと、リピートしてもらうこと」として施術時の会話の基本、共感と信頼を得る話し方、ニーズを聞き出す質問方法、患者との人間関係の築き方について伝えている。
治療技術があるなしにかかわらず乱立する接骨院、治療院。治療家の数が少ない時代は、治療家は「メーカー機能」だけを持っていれば十分だったのが、治療家の数が増えてきて、どこでもそれなりの治療ができるようになると「販売機能」が必要になってくる。そして治療家には信頼されるため治療以外の勉強も必要になってきている。
コミュニケーション下手、会話がうまくできずに困っている治療家の方々は本書を読むことで成功につながるかもしれない。
(安本 啓剛)
出版元:同文舘出版
(掲載日:2012-02-15)
タグ:コミュニケーション
カテゴリ 人生
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武士道とともに生きる
奥田 碩 山下 泰裕
武士道の精神とは何か。負けた者の気持ちを思いやる、強がらない、弱きものを助ける、公平にことを行う、礼節を重んじる…本書では、今こそその武士道の精神から学ぶべきことがあると、グローバリゼーション、死生観、教育問題まで、多岐にわたり問題提起を行っている。
先ほど、元プロ野球選手、桑田真澄さんの講演を聞く機会があった。桑田さんは、道具を大切にすること、礼儀を重んじることは武士道精神から由来した、日本野球界にとって素晴らしい取り組みだと話される一方で、非効率な練習(オーバーワーク)、目上の人への絶対服従、理不尽な体罰などは、野球界にいまだ残る悪しき慣習として挙げていた。
過去の良き文化は大事にし、悪しき文化は是正していくべきだ。しかし、このプロセスからは正解を求めてはいけないような気がする。その時代その時代にマッチするものが必ずあるはずで、それは時代の流れとともにすぐに変遷していく。今必要なことは何なのか。この時代に合う考えは何なのか。それを「見極める」力を持つことこそが、今の日本人には求められているのではないかと思う。
(水田 陽)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-02-15)
タグ:柔道 武士道
カテゴリ 人生
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多田富雄詩集 寛容
多田 富雄
優しさに満ちた文章
本書の著者、多田富雄は国際的な免疫学者である。しかし活動は一科学者の枠にとどまらず、さまざまな分野での執筆活動のほか、能への造詣深く、いくつもの新作を編み出したりもしている。2001年、旅先で脳梗塞を起こし、一命を取り留めるも重度の右半身マヒと摂食・言語障害の後遺症を持つ身となる。以来、2010年に亡くなるまでの間に物した全ての詩を集成したものである。
この間、ほかにも『落葉隻語ことばのかたみ』(青土社)、『残夢整理昭和の青春』(新潮社)などなど、単著共著を含め何冊もの書籍を出版している。それ以前にももちろん多くの書籍がものされているが、いずれもその風貌よろしく紳士的で優しさに満ち、感情を極力抑えた文章で貫かれている。
悟りではない
しかし、この「寛容」の文だけが他のものと全然違っているのである。免疫学者としてずっと“いのち”を見つめてきた著者の、“死”に直面し、そのことを思わぬ日はない生活の中で書かれた詩集だから、きっと“悟り”の境地からの言葉が紡がれているのだろうと興味津々で読み始めたら、いきなりカウンターパンチをくらった。
死ぬことなんか容易い
生きたままこれを見なければならぬ
よく見ておけ
地獄はここだ
(「歌占」2002より)
なんだか、やたら烈しいのだ。「寛容」という書名、あるいは“免疫寛容”という言葉と関連づけても、およそ連想できないような強い口調で書かれていて面食らってしまった。“悟り”どころか、生に対する執着、自由がきかないことへの不満やイライラがぶちまけられているように思え、何とも言えない、胸にザラつく読後感を覚えたものだ。あの優しい風貌、文体にあって、実は鬼のような人だったのかなどと思ったりもした。
超越といっても何を超えるのか
聖というも非人の証し
下人も超越者も変わりない
生者は死者を区別するが
生きるも死ぬも違いはない
空なるものは求めても得られない
そうつぶやくと精神が蓮華のように匂った
背中に取り付いた影は飛び去った
(「卒都婆小町」2004より)
くじけそうになりながらも読み進めるうちに、上記のような一節が出てきた。もしやと思ったが、結局最後まで、“死”に対して烈しく挑みかかり、まるで強いアレルギー反応を起こしているようだった。
死への礼儀は生きること
悔しいので何度も読み返してみたら、ヒントはほんの初めのほう(2編目)にあった。
未来は過去の映った鏡だ
過去とは未来の記憶に過ぎない
そしてこの宇宙とは
おれが引き当てた運命なのだ
(「新しい赦しの国」2002より)
“死”を受け入れることが“悟り”だと思っていた私が甘かった。いまある“生”を精一杯生きることこそ、実は“死”を受け入れることであり、それこそが“死”に対する礼儀なのではないか。そう思って全編読み直してみたら、やっと著者の意図するところがわかったような気がした。
“からだ”を見つめることは究極的には“いのち”を見つめることである。などと、日頃学生を前にしたり顔でしゃべっている自分を戒め、反省しなければ、と思った。
なお、免疫寛容とは、自己あるいは、ある条件下での非自己(抗原)に対して、免疫反応が起こらないこと、また、その状態のことを指す。
(板井 美浩)
出版元:藤原書店
(掲載日:2011-08-10)
タグ:詩 死生観
カテゴリ 人生
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心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
長谷部 誠
本書は、サッカー日本代表キャプテンを務めた人物の習慣を紹介したものである。これは、トップアスリートの行っている習慣、あるいはリーダーの行っている習慣を紹介したものであるとも言えるだろう。
アスリートにはさまざまなタイプが存在する。身体的才能に恵まれたアスリートもいれば、日々の努力によって、その地位を築いたアスリートもいるだろう。また、リーダーにおいても同様である。強烈なリーダーシップを発揮するリーダーもいれば、フォローワ―シップに長けたリーダーもいるだろう。アスリートやリーダーの数だけ方法論は存在する。
本書は、長谷部選手のキャリアの背景にある経験や学びを通じて、一人の人間としての生き方を学ぶことができる。高校を卒業後、浦和レッズという名門クラブの一員となり、プロスポーツの世界で生きていくことの厳しさを知り、自らの未熟さや弱さを理解したことが心を整えることを考えるきっかけになったようだ。長谷部選手にとって心とは、車で言うところのエンジン、ピアノで言うところの弦であり、整えるということは、調整することや調律するような感覚なのだそうだ。そして、自分を見失うことなく、どんな試合でも一定以上のパフォーマンスができることを目指している。
長谷部選手の言葉を読み取っていき、人間としてのあり方を考えていくと、「なる前にあること」という言葉が浮かんでくる。これは、結果を求める前にプロセスを大切にすることの大切さを説いた言葉である。そして、リーダーとしてのあり方を考えていくと、「一つ上で考え、一つ下で手を動かす」という言葉も浮かぶ。これは、リーダーとは、常に構成員よりも一つ上の次元で物事を考え、構成員と同じ立場で行動にあたるという意味である。両者の底流にある考えは、よりフェアな立場で考えるということだろう。フェアであり続けるということは大変難しいことであるが、それを追求しているからこそ今の姿があるのだろう。本書は、さまざまな観点から考えることによって、多様な気づきを得ることができる良書だと思う。
最後に、ヴォルクスブルクとの契約におけるクラブと長谷部選手の代理人とのエピソードを紹介したい。
「実はハセベのプレーはあまり印象に残っていない。彼のプレーの良さはどこにあるんだい?」
「確かに彼のプレーは目立たないかもしれない。しかし、90分間、マコトのポジショニングを見続けてくれ。そうすれば、どれだけ組織に貢献しているかわかるはずだ。」
後日、クラブはこう連絡してきたという。
「キミの言っていたことがわかったよ。彼は組織に生まれた穴を常に埋められる選手だ。とても考えてプレーしているし、リーグ全体を見渡しても彼のような選手は貴重だ。」
長谷部選手という人物を理解することができるだろう。このように評価される選手は、個人的に好きな選手である。
(南川 哲人)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2012-02-15)
タグ:サッカー メンタル
カテゴリ 人生
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ろくろ首の首はなぜのびるのか
武村 政春
でたらめも真顔で力説すれば真実に聞こえる──世の中にはそういったことがいくらでもあります。そういった嘘に騙されないために勉強し、正しい情報や知識を得ながら、人は大人になっていきます。真偽の見極めができる大人が、真実ではないということを承知の上で嘘を楽しむことができれば、これは1つの遊びになります。現実的にはありえないことを筋道立てて展開することにより成立する文化は、いくつも存在します。小説もしばしばそういった手法をとりますし、架空の話に笑いという要素を含めると落語にもなります。言語ではなくものを使って虚偽を表現する手品も同じだと思います。真実は大切ですが、「真実ではないこと」のすべてが悪いということではありません。そこに遊び心があれば人々の心の潤滑油になることは皆さんご承知でしょう。
前置きが長くなりましたが『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』というタイトルは多くの人の興味を引くでしょう。ろくろ首は妖怪という架空の生き物(死んでいるかもしれません)であり、夜中に首が伸びて行灯の油を舐めるというストーリーは有名です。首が伸びるという摩訶不思議な現象について具体的な解説があるのならば一度は聞いておきたいと思うのは自然なこと。もともといるはずのない生物の実体を解明するという矛盾を容認する遊び心があれば、荒唐無稽な論理も楽しめるというのが本書の魅力だと思います。
大人を騙そうというのですから、子どもだましではいけません。きちんとしたデータに裏づけされた整合性のある論理でないと読むに値しません。しかしご安心ください。各項目において生物のデータ、きちんとした科学的事実などを提示したうえで筆者による考察が展開されていきます。ここまで堂々と現実世界にないことを推論されると「なるほど」と相づちを打たざるを得ません。子どもの頃、疑問に思っていたことも謎解きされて、数十年たった今、胸のつかえが取れました。
本書における登場人物は実に多彩。日本を代表してろくろ首・豆狸・かまいたちなどが登場したかと思えば、ドラキュラ・人魚・ケンタウロスなど西洋の物語に出てくる架空の生き物にまで話が及びます。古典的なものだけではありません。モスラや「千と千尋の神隠し」のカオナシまで登場します。ドラキュラは日光に当たると灰になるのはなぜか? ケンタウロスの持つ人間の胴体と馬の胴体。その中にはいったい何が入っているのか? ろくろ首の頚筋群の細胞はどのような構造を持つのか? 巨大化したモスラの悩みとは? とにかく奇想天外な切り口で彼らの正体を暴きます。
底の浅い適当な理屈ではありません。用意周到というか膨大な資料を元にした研究結果といえるまでに昇華したでたらめです。力強く引き込まれました。
(辻田 浩志)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-02-15)
タグ:生物学
カテゴリ 人生
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ゆっくりあきらめずに夢をかなえる方法
桧野 真奈美
雪が降らない国、ジャマイカの代表の奮闘を実話に基づいてコミカルに描いた映画に『クールランニング』がある。この映画のもう1つの主人公とも言えるのがボブスレーという競技だ。そして、ボブスレー日本代表桧野真奈美さんが自らの五輪挑戦を書き下ろしたのが本書『ゆっくりあきらめずに夢をかなえる方法』である。だがこちらは映画のようにコミカルにはいかない。
ケガで五輪が遠のくという悲劇は、アスリートにつきまとう影のようなものであるが、桧野さんの場合はそれだけでなく最初の五輪のチャンスを堂々と既定の条件を満たし、出場権を獲得したにもかかわらず、JOCの全体の派遣人数制限のため出場を許されなかった。ボブスレーという競技にはお金がかかる。氷上のF1ともいわれるハイテクマシーンであり、その輸送費を含む遠征費はとても個人で賄えるものではなく、スポンサーに頼らざるを得ない。しかし、オリンピックに出場できなかった桧野さんのスポンサー探しは困難を極める。たとえ五輪に出場を逃したのが桧野さんの能力・成績によるものではなかったとしてもだ。
その後めでたくスポンサーの問題、ケガを乗り越えて見事念願の五輪出場を果たした桧野さんは、ボブスレーを「させていただいている」と述べている。“日本一”になっただけではオリンピックに出場できない。競技そのものだけではなく、世界を転戦して五輪出場権を獲得するためには莫大な費用がかかる。ほとんどの場合、個人の運動能力だけでは賄えない。とくに五輪などの大会の派遣費は国民の税金によるものだ。「させていただいている」という感性も選手を強くするための必要条件となっているのかもしれない。
2010年バンクーバー五輪では、韓国が出場枠を使い切らずに少数精鋭で臨み、旋風を起こしたことを受けて日本でも議論が起きている。スポーツが国策になりつつある現在、その進路を議論するためにも読んでおきたい一冊である。
(渡邉 秀幹)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2012-02-15)
タグ:ボブスレー 五輪
カテゴリ 人生
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ベンチ裏の人間学 監督達の戦い
浜田 昭八
本作はプロ野球の名監督7人(長嶋茂雄、仰木彬、星野仙一、大沢啓二、川上哲治、藤田元司、鶴岡一人)にスポットを当てている。著者である浜田昭八氏は、デイリースポーツ、日本経済新聞社の記者を経て、現在スポーツライターとして活躍している。豊富な取材体験から書き留められた文章には、称賛だけでは決してなく、ありのままの人間像が描かれている。采配の是非、フロントとの戦い、スター選手や不満分子の扱いなど、監督の仕事がいかに孤独であり、智力、体力、気配りが必要であるかを感じさせる。
「あの時代はあんなことがあったな…」と歴戦を振り返りながら、当時は決して表に出なかった監督の心情と照らし合わせて楽しめる一冊である。
(水田 陽)
出版元:日本経済新聞社
(掲載日:2012-02-17)
タグ:野球 ノンフィクション 指導
カテゴリ 人生
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積極的マイナス思考のすすめ
友末 亮三
著者はテニスプレーヤーとして全日本選手権4回出場の経験を持つ大学教授。テニスの指導や大会のディレクターをしたり、執筆活動や研究をするなどマルチタスクをこなす。
この書籍は、あくまで心理学的なアドバイスを基盤においた本である。しかし、それだけではなく日本人と外国人の考え方を比較したり、社会文化、時代背景、男女差がどのように精神に影響するかなどを紹介。その中で、ポジティブ思考にばかり目を向ける心理的アドバイスを一蹴し、日本人や、男女それぞれにフィットした「心の持ち方」を指導している。
とくに面白いのは、「心身相関」の考えをベースに、身体の姿勢や動かし方で精神状態に大きく影響するというアイデアだ。解剖学の知識を用いてはいるが、一般にもわかりやすい表現で、よい精神状態をつくるためのさまざまなテクニックを披露している。しかも、スポーツだけではなく、さまざまな場面でも応用できるものばかりである。自分のためだけでなく、誰かに指導する立場にあるような人には、そのまま現場で使える“実力派”な本だ。
(宮崎 喬平)
出版元:スキージャーナル
(掲載日:2012-02-17)
タグ:テニス メンタル
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武道的思考
内田 樹
著者がブログや各種媒体で発表した内容を「武道」のテーマに沿って編み直したものである。
武道的であるということは、危機的状況下において生き延びていく、そのための知恵と力のことを指す。心身の修行と文献を読む中で得られた実感を伴う道筋が、教育問題や時事問題などを通して示されていて、かなりの刺激がある。とくに合気道の稽古に関する部分では、身体の感受性が高まるような気がする。どういう心持ちを、準備をしているかが常に問われるのだ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:筑摩書房
(掲載日:2011-07-10)
タグ:武道
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心を整える。──勝利をたぐり寄せるための56の習慣
長谷部 誠
揺れ動く己の心を
あの筆舌に尽くしがたい災厄の後、「心を整える」ことが難しい日が続いている。被害のなかった安全な地にいることに罪悪感を持つ自分に気づき戸惑う。スポーツや音楽が持つ、人の心を奮い立たせる力も及ばない、深い暗闇の中に震える人々がまだ大勢いると考えずにはいられない。だからといって視線を落としているなど無意味なことだとわかっている。たとえ自己満足に過ぎないとしても、自分にできるごく小さなことをただ黙々と実践し続ける。そして目の前の家族を守ることに精を出し、日常の仕事に打ち込むのだ。それを可能にするためには、「人として正しいこと」をもう一度見つめ直し、揺れ動く己の心をあるべき立ち位置に整えなければならない。
いるべき立ち位置
ブンデスリーガのヴォルフスブルグに所属するプロサッカー選手、長谷部誠氏による本書は、彼がどのような考えで己の心を整え、覚悟を持って生きているのか紹介されている。彼は柔と剛、自信と謙虚さ、繊細さと大胆さ、頑固さと柔軟さといった種々の相対する要素において、極端な方向に振り切れることなく、自分がいるべき立ち位置を決めている。その位置は決して楽な場所ではない。いつも周りの高い期待に応えなければならない、そして何より自らが課した己への期待に全力で応えなければならない厳しい場所だ。いったんその立ち位置を決めたら、納得がいくまで絶対に譲らない。サッカーという強力な柱を中心に、彼は自分がどう生きるべきかを常に自身に問いかけているのだ。
2010年ワールドカップでは日本代表チームのゲームキャプテンとしてベスト16という成績を収め、AFCアジアカップ2011ではキャプテンとして優勝に導いた。自分ではキャプテンとして何もしていない感覚だと本書に記されてはいる。しかし、エゴが強く、ともすればチームの中心から浮遊してしまう個性的な代表選手達を、そこから遠ざけすぎない求心力を彼は持っているのだろう。それは突出したテクニックを持たないことを自覚した、彼の献身的なプレーと相まって、中田英寿のようなスーパースターには却ってできなかった効果を、チームにもたらしている。
小さな自分が取り組めること
彼は2007年から、ユニセフの「マンスリー・サポート・プログラム」を通して、世界の恵まれない子どもたちへの支援活動を続けている。本書の印税もユニセフを通じて全額、東日本大震災の被災地に寄付される。お金の問題ではない。スポーツそのものが困難に立ち向かい自らの限界に挑む象徴であるが、それに加えて彼は「人として正しいこと」を突き詰めて率先垂範しようとしている。
このような生き方は、現代社会に生きる一般人にとって、言葉で言うほど簡単なことではない。しかし、この大難の時にそこに関心を寄せ、人として自分は何ができるのか考え続けることに必ず意味はある。小さな自分が取り組めることを探しながら、今日も「心を整え」、雄々しくあらんと、空を見上げて生きている。
(山根 太治)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2011-07-10)
タグ:サッカー メンタル
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マネジメント信仰が会社を滅ぼす
深田 和範
どちらが主役か
本書は冒頭で「マネジメント」と「ビジネス」をこう定義している。「ビジネス」=何らかの事業を行うこと。「マネジメント」=事業をうまく運営すること。企業活動で言えば、何かをつくるなり売るなりして利益を得ること、つまり「何をやるか」がビジネスであり、それを最大化、安定化させるために「どのようにやるか」がマネジメントである。従って、あくまでも主役はビジネスであり、マネジメントは黒子である。「何を当たり前のことを」と思われるだろう。そう、このことについて、異論のある人はまずいないのではないか。
ところが現実はそうではないらしい。マネジメントによってビジネスが抱える問題を全て解決できるという思い込みが広がっている。そのため、営業や製造の現場の第一線でビジネスを行っている人よりも、企画や人事など本部でマネジメントを行っている人のほうがエラクなっており、主従が逆転してしまっているのだ。これがタイトルの「マネジメント信仰」である。決して、昨今の「もしドラ」(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」、岩崎夏海著・ダイヤモンド社)ブームに対するいわゆるカウンター本でもなく、マネジメントを全否定するものでもない。「マネジメント信仰」について警告を発する本である。
ただ真似るのはなぜ
これは何もビジネスに限ったことではないだろう。スポーツの現場においても同様である。強いチームの練習方法や運営方法、本に書いてあるトレーニング方法など、手法をただ真似るということは、よくあることだ。そして、それで満足してしまい、本来の目的を忘れてしまう。
なぜ、こういうことが起こるのだろう。答えは簡単。ラクだからである。すでにどこかで誰かが実践してみて、うまくいった手法というのは、自分もうまくいくという保証があるように錯覚してしまうのだろう。本書を読み始めた頃は「あるある、こういうこと」と面白がっていられるが、だんだんそうも言っていられなくなる。私は「これはウチの会社のことでは?」と錯覚したり、「管理部門に読ませたい」と感じた。本書を読んだ多くの人もそう思うはずだ。会社や上司のことだと思っていられるうちはまだいいが、「自分のことかも…」と思う箇所もあり、読み進めるのが怖くなる。
本書では、徒にデータや理屈を振り回す「真似ジメント」ではなく、「経験と勘と度胸」で勝負すべしということが書かれていて、その具体例として、うまくいった事例、失敗した事例がいくつか紹介されている。しかし本書の目的は、結果とそれに至る経緯を評価することではない。本書は「マネジメントが下手だからビジネスがダメになったのではない。マネジメントなんかにうつつを抜かしているからビジネスがダメになったのだ」という主張で始まり、「マネジメントなんて小難しいことを言っていないで、さっさとビジネスを始めよう」という訴えで締めくくられている。一貫して「意思を持て」「決断せよ」「リスクを引き受けよ」と読者に迫ってくるのだ。
信じる道を
私は小学生の陸上クラブの指導をしているのだが、常に不安を感じている。彼らの、一生に一度しかない「今」を、そして無限の未来を、私の拙い指導で台なしにしてしまうのではないだろうかという不安である。だから、あれこれ理屈をつけて、あらかじめ逃げ道をつくっているのではないのか。指導方法やトレーニング方法を勉強したり、データを集めたりするのは、子どもたちのためでなく、自分を守る理論武装のためではないのか。本書を読んで「自分のことか?」と感じるのはそういうことである。
「もしドラ」で描かれているように、ドラッカーの言う「われわれの事業は何か。何であるべきか」「顧客は誰か」の問いは、企業に限ったことではなく、あらゆる分野のあらゆる組織に普遍的なものだと思う。
何のために、誰のために、何に向かって。スポーツに関わる一人一人がその問いに向き合い、自分なりの答えを探してほしい。そして勇気を持って自らの意思で決断し、信じる道を突き進んで行かれることを願う。
(尾原 陽介)
出版元:新潮社
(掲載日:2011-06-10)
タグ:マネジメント ビジネス 組織
カテゴリ 人生
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やめないよ
三浦 知良
根本的な解決策は
ごく身近な中学生の女の子が、一部の人間たちの悪意のある言動によって深く傷つけられ学校に行けなくなった。周りを気遣うやさしくおとなしい子である。誰にも迷惑をかけず、ただまともに生きようとしている子たちがターゲットになるこのような例は、悲しいことに珍しくない。本人へのサポートや、そういった行為をする者たちへの働きかけにより、この状況を改善することは、簡単ではないにしろ可能だろう。
しかし、本人が時間をかけてそのような状況にも向き合える自己を確立することが、根本的な解決法になる。自分を否定して変えるのではなく、自分を肯定することからこれをスタートするには、何か大好きで、大切にしたいことがあれば大きな助けになるのだと思う。
スポーツの枠を飛び出す言葉
本書は、プロサッカー選手三浦知良氏による日本経済新聞連載のコラム「サッカー人として」を過去5年分まとめたものである。ザ・プロサッカー選手キング・カズは実に26年目のシーズンを戦っている。サッカーを愛し、サッカーを通じて強烈な自己を創り上げてきた三浦氏の言葉は、スポーツの枠を飛び越えて活き活きと響いてくる。プロとして「楽しむ」ことは簡単なことではない。「24時間全てがサッカーのため」だと考え、精一杯戦い続ける。「基本を押さえ」た上で「いつの瞬間だって挑戦」することが大切。これらはただの言葉ではなく、彼の実際の行動で証明されているだけ、より鮮烈に心に届く。確固たる自己があるからこそ、敵選手をはじめ、他のスポーツ選手へのリスペクトも自然に湧いてくるのだろう。
もちろん、彼のようなスーパースターになれるのはごく限られた人間だ。しかし、まるで物事のいいところしか眼に入らないスーパーポジティブ人間のように見える彼も、人一倍の艱難辛苦を乗り越えてきているのだ。「人生は成功も失敗も五分」で、「あきらめる人とあきらめない人の差が出る」という話からもわかるように、上を目指せば目指すほど、ぶつかる壁は多かったはずだ。それらに真っ向から立ち向かったからこそ強い精神力が、さらに並外れたものにまで鍛え上げられたのだ。そんな生き様の彼を真に理解し、助けてくれる本当の仲間も周りに大勢いるだろう。
自分の中に育てる何か
問題が起こったときに他人のせいにし、言い訳をする前に、自分を省みてどうすれば自分がレベルアップできるのかを考え努力を重ねる。まっとうな批判であれば自分を見つめ、向上させるきっかけにする。愚にもつかない嫌がらせであれば凛として対応する。このようなことは頭ではわかっていても実際になかなかできることではない。そうしようとしたときにかえって弱い自分を痛感するかもしれない。辛い時期ならこんなことすら考えられないかもしれない。
それでも何でもいい。人から見れば小さいことだと思われてもいい。自分にとって大切な何かを育てることができれば、人は少しずつでも強くなれるのではないか。そしてその中で信頼できる本当の仲間ができるのではないか。目の前の小さな目標に向けて、毎日の積み重ねを続ければ、「自分の強い所で勝負する」ことができるようになるのではないか。
自分らしい強さを身につけたとき、社会に出てからもあちこちに存在する、自分の身を守るために嘘をつき、自分を大きく見せるために人をこき下ろそうとする心ない人間のことなど怖くなくなる。そしてみなそれぞれの「ゴラッソ」(素晴らしいゴール)を決めることができる。「考え、悩め。でも前に出ろ。1センチでいいから前へ進むんだ」三浦選手の胸に今も残る言葉だそうだ。
(山根 太治)
出版元:新潮社
(掲載日:2011-05-10)
タグ:サッカー エッセー
カテゴリ 人生
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はだかの小錦
小錦 八十吉
相手に有無を言わせない押し相撲で、出世街道まっしぐらだった現役時代を思い浮かべると、実力で周囲を黙らせてきたと思っていた。しかし、小錦氏は「生き抜く秘訣は自分を大相撲界流に合わせること」と語る。言葉の問題を乗り越え、兄弟子からの「かわいがり」に耐える。相撲界の理不尽なしきたりに耐え、人知れず体重管理やケガに苦しめられた。そんなつらい日々を乗り越える支えは、両親に楽をさせたい一心だったという。その苦労は並大抵のものではなかったと思う。
語り掛けてくるような、柔らかい文章で綴られているので、苦しみや成功の軌跡がダイレクトに心に響く。異国の地で異文化を自分に適合させる。それを実践してきた言葉には重みがあり、多くの人が感銘を覚えるものであるだろう。
(水田 陽)
出版元:読売新聞社
(掲載日:2012-06-04)
タグ:相撲 エッセー
カテゴリ 人生
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勝利への「併走者」 コーチたちの闘い
橋本 克彦
「勝ち負けだけを追求するのではない」では何をもってスポーツの目的とするのか? お金や名誉のため、自分の限界に挑戦するため、チームのため、人間としての成長のためなど、そこには選手の数だけ無限の言葉が並ぶ。
しかし、著者の関心は別なところにある。「いったい人は、なぜ、どのように勝ったり負けたりするのか。その過程が描く曲線、ドラマはどのように生まれ、頂点を描くのか」
著者は、選手の人間としての生き方の曲線を知りたいと思い、コーチを訪ね歩くことになった。なぜコーチかというと、選手が描く人間のドラマの当時者でありながら、一方ではもっとも客観的な観察者であり、一番近い目撃者がコーチだからだ。コーチこそが、スポーツ選手の描くドラマの報告者としてふさわしい、そんな思いからできたのが著書である。
1978年サッカーワールドカップで優勝した、アルゼンチン代表監督のメノッティはこう表現する。
「世の中にサッカーなどは存在しないんだ。サッカーをプレイする人間だけが存在する。だからサッカーが進歩したというなら、それは人間の進歩にほかならない」
勝ち負けを超越したもの、いや、勝つことにこだわるからこそ生まれる物話がいくつもある。
(森下 茂)
出版元:時事通信
(掲載日:2012-06-04)
タグ:ノンフィクション 指導
カテゴリ 人生
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上昇思考 幸せを感じるために大切なこと
長友 佑都
前著『日本男児』から1年、著者は活躍の場をますます広げている。その土台となるのは、変わらず「感謝」や「ポジティブシンキング」だ。
所属チーム主将のサネッティ、家族、はたまたチェゼーナ在籍時に交流したイタリア人男児の名などが出てくるが、彼らとの出会いをよいものと捉える考え方には、見習うべき点が多い。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-10-10)
タグ:サッカー エッセー
カテゴリ 人生
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スポーツのマネジメント ユベントス・フェラーリその交渉と契約
マリオ 宮川 尾張 正博
スポーツのマネジメント、というとサッカーなどの組織のマネジメントを想起するかもしれない。しかし、本書のメインはF1、それも選手個人のマネジャーだ。付き人、または代理人と混同されることもある中で、一流ドライバーとのエピソードを振り返りながら「マネジャー業とは」を紹介していく。後半では“宮川兄弟”として著者の名を日本に知らしめた、ユベントスおよびデルピエロ選手のマネジメントについても書かれている。マネジメントの世界を志す若者にとって、現場を想像する助けとなるのではないだろうか。
また、「強い選手である前に、良き人間であれ」といった著者のマネジャー哲学は興味深く、トップアスリートとの接し方や関係を深める様などは、マネジャーに限らずスポーツ関係者にとって大いに参考になるだろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:東邦出版
(掲載日:2012-10-10)
タグ:マネジメント F1 サッカー
カテゴリ 人生
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親・指導者の「常識」がつくり出す子どものスポーツ障害 だから治らない、防げない!
高瀬 元勝
スポーツ障害とは慢性的な痛みなどの症状を指す。スポーツは同じ動作を繰り返すため、こういった状態に陥りやすい。このとき、大人なら練習をやめたり減らしたりでき、またレベルの高い選手なら適宜動作を修正することもできるだろう。では子どもの場合はと考えたとき、保護者や指導者も含めて、練習や、身体動作という意味では生活から見直す必要があると筆者は解く。
本書後半ではたくさんの症例を紹介しているが、来院に付き添った保護者や、選手を介して指導者ともコミュニケーションを図っているのがうかがわれ、セラピストとしてのあり方を考えさせられる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:現代書林
(掲載日:2012-10-10)
タグ:スポーツ障害 整体
カテゴリ 人生
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還暦ルーキー
平山 讓
副題に「60歳でプロゴルファー」とある。主人公、古市忠夫は兵庫の県立高校では野球部で活躍。しかし、肩を傷めて辞めた。もう一度と立命館大学ではボート部。
京大に勝ち、早稲田に勝った。のち30歳でゴルフを始めた。お金持ちではなく、むしろ貧乏。小さなカメラ店のおやじであった。そしてあの阪神淡路大地震にあう。
消防団員でもあった古市氏は必死で、かつ冷静に救命活動を行った。このくだりは正直読むのがつらい。「ここは地獄や」という言葉だけ紹介しておくが、やはり永遠に記憶に留めるべき事実と改めて思う。
家もなく、何もなくなったが、車だけは残った。そのトランクになんとゴルフクラブがあった。古市は、これで家族を養うことを決意する。60歳のプロ挑戦。その最終日、もうだめだと思う大ピンチに出会う。1回のミスは失格を意味する。
結局そこから奇跡のリカバリー、そのあと「これは入る」という奇妙な感覚が続く。
そして合格。
こう書くと簡単だが、読めば必ず勇気づけられる。気持ちがシャンとする。保証します。
四六判 216頁 2001年4月15日刊 1500円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:講談社
(掲載日:2002-10-03)
タグ:ゴルフ
カテゴリ 人生
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イチローUSA語録
デイヴィッド シールズ 永井 淳 戸田 裕之
昨年アメリカの主として新聞に載ったイチローに関する記事をイチローの言葉をメインに編集したもの。右頁は日本語で、左頁には英語の記事が収録されている。
こうして年間の記事を読むと、イチローが当初は軽く見られつつも、やがて驚異の活躍をしていく様が改めてわかる。
それ以上に、イチローの「言葉」が新鮮である。もちろん、これはイチロー自身の言葉というより通訳を介しての表現なのだが、イチローは時にとてもユーモラスであり、時に深遠でもある。
足の裏をマッサージするのに使っている器具の名前を聞かれたときの彼の答えは「木です(Wood.)」。質問の意味がよくわからないというより、どうもマスコミの執拗な質問をうまくはぐらかすのが得意のようである。
「彼はメディアの扱いに慣れているし、彼の発言のいくつかはむしろアメリカのファンのあいだで彼の人気を高めるのに役立っている」(ジム・アレンの解説より)
アレンの指摘で書き出しておきたいのは「イチローがメジャーリーグに惹かれた理由の一つに、大リーガーはプロフェッショナルと見なされていて、何者であるかではなく、何をするかで判断されるということがある」という一文。一流は何を語るかも問われる。イチローは疑いなく一流と改めて知ることができる。
新書判 206頁 2001年12月19日刊 660円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:集英社
(掲載日:2002-03-15)
タグ:野球 イチロー
カテゴリ 人生
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魂の箱
平山 譲
「やはりこんども、諦めない者たちが書きたかった」筆者平山譲は、「あとがき」にこう記している。
魂の箱(soul box)
1991年6月14日、主人公畑中清司は名古屋市総合体育館特設リング上に立っていた。WBC世界ジュニアフェザー級の王者として、彼は挑戦者ダニエル・サラゴサの顔面を、幾度も右ストレートで強打していた。試合は一方的なチャンピオンペース。しかし、第5ラウンドに奇跡が起こる。それも、挑戦者に……。
「あたるとは思わなかった」パンチが致命的となり試合の形勢は逆転する。そして、敗戦。彼にとって世界王者として闘った最初の試合が、皮肉にも生涯最後の試合となった。その翌年、彼は引退のテンカウントゴングを受けることになる。
畑中は、荒れた。飲み、酔い、潰れた。リング上で闘う術を失った彼は、今度は虚無感、絶望感と闘わなくてはならなかった。しかし、彼は、その闘いにも敗れてしまう。
それから
引退から2年が経っていた。食べていくためのカネさえ窮していた畑中は、ある人を訪ねるために横浜の地に足を踏み入れる。その人の名は、元世界フライ級王者花形進。畑中は、世界挑戦5度目でチャンピオンベルトを手に入れた苦労人花形の中に引退後のあらたな目標を見出せればと、彼の経営するボクシングジムを訪れたのだった。
「引退後、なにされました?」畑中は花形に開口一番そう訊いた。
「俺、引退してから焼いてたよ、焼き鳥」
「なあ畑中、世界チャンピオンになったからって店をもたせてくれるほど、世間はあまくねえよ、世界チャンピオンもな、第二の人生はまた、四回戦ボーイからだよ」
その日以来、畑中は働き始める。しかし、それは単なる改心ではなく、新たな人生の目標を見出したからに他ならない。
「俺は闘うことでしか生きられん」
「だって、俺は、ボクシング屋やから」
「SOUL BOX HATANAKA BOXING GYM」はこうして生まれる。
教育者(トレーナー)
その「魂の箱」の門を二人の青年が叩く。一人は、まったく自分自身の存在価値を見出せず、ただただ現在を彷徨する高校生。もう一人は、無軌道な青春を過ごした結果、取り返しのつかない過ちによって、無二の親友を失った不良少年。その二人に対して畑中が注ぎ込む熱情と彼らが迷ったときに畑中が見せる笑顔がいい。
「本書は、ある路地裏の小さな箱(ジム)から、自己の存在証明にのぞむ者たちの心のありさまを探求した記録である」と筆者は結ぶ。
久しぶりに、魂の熱くなるのを感じさせる作品に出会った。近頃感動する心を失いかけている諸君、自らの魂に衰えを感じ、日常生活に倦んでいる諸君、読むべし!
四六判ハードカバー 272頁 1,700円+税
(久米 秀作)
出版元:実業之日本社
(掲載日:2002-06-10)
タグ:ノンフィクション ボクシング
カテゴリ 人生
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いつも元気! インストラクター物語
鎌田 安奈 斎藤 恵
元OLの主人公がひょんなことからフィットネスクラブに通い、エアロビクスインストラクターを目指す。その苦労と喜びと驚きをリアルに綴った小説&マンガ。4コママンガ63本掲載。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ハートフィールド・アソシエイツ
(掲載日:2004-07-10)
タグ:インストラクター 漫画
カテゴリ 人生
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夢のとなりで 新庄剛志と過ごしたアメリカ滞在記
小島 勝典
今シーズン日本プロ野球界に復帰し、様々な話題を提供してくれるSINJOH選手。
2002年から彼の通訳として、2シーズンを共に過ごした著者が、新庄剛志と過ごしたアメリカでのエピソードを綴った滞在記。
貴重な写真や新庄選手をイメージしたイラストも豊富。知られざる新庄選手の一面が垣間見れる一冊。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:メディアート出版
(掲載日:2004-06-10)
タグ:アメリカ 野球 滞在記
カテゴリ 人生
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スポーツ選手のためのキャリアプランニング
Petitpas,Al. Champagne,Delight Chartrand,Judy Danish,Steven Murphy,Shane 田中 ウルヴェ 京 重野 弘三郎
「メダルがとれたら、もう死んでもいい」
こんな言葉で始まる「訳者まえがき」が秀逸だ。本書の内容をさしおいて「まえがき」が秀逸という書評もないだろうと訝る声も聞こえてきそうだが、実は本書が訳本だけに、ある種読者に持たれがちな対岸の火事的非現実感を、いっきにわが国においてもきわめて現実的な問題であることに気づかせてくれるのがこの「まえがき」なのである。これによって、その後に続く本編の内容がぐっと現実味を帯びて読者に迫ってくる。
この「まえがき」を書いたのは、翻訳者のひとりである田中ウルヴェ京さん。ソウルオリンピック・シンクロナイズドスイミング・デュエットの銅メダリストである。彼女は「ソウルオリンピックで晴れて銅メダル。至福のときだった。(中略)『自分は大きな功績を果たしたのだ』と思ったら、なんともいえない幸福感と達成感に満ち溢れていた」そうだ。しかし、ほどなく彼女はあることに気づく。「オリンピック自体は人生の通過点に過ぎないこと。それが私には分かっていなかった。」その後、彼女は深い人生の闇の中に吸い込まれていく。「もう死ねたらどんなにラクだろう。本音だった」。
そんな彼女を救ったのが米国留学先で学んだスポーツ心理学。そのカリキュラムの教科書のひとつが本書である。多分、彼女は本書の内容に自分自身を投影させたに違いない。そして、自分と同じ苦しみを後輩に味合わせてはいけないとも感じたに違いない。
もうひとりの訳者は、元Jリーガーの重野弘三郎氏。彼もまたスポーツに専心してきた一人である。そして、田中氏同様引退時に深い闇の中をさまよった経験を持つ。「多かれ少なかれ、ひとつの競技に専心してきたスポーツ選手、そして(結果を残した)エリート選手であればあるほど、引退時に抱える心理的問題が存在する」。強い日差しに曝されればそれだけ、樹木はその反対側に黒々とした陰をつくるようだ。
キャリア・トランジションとコーチング
本書のキーワードのひとつに“キャリア・トランジション”という言葉がある。これは、“人生の分岐点”という意味の言葉である。「人は誰でも、人生において分岐点を迎えるものである。これを『トランジション』と呼ぶ。(中略)高校から大学へ移行するとき、あるいはジュニアからシニアのレベルに移行するときがそうである」。そして、人は進学のような予想可能なトランジションだけではなく、予想不可能なトランジションも経験する。たとえば、スポーツ選手がケガによってそのスポーツを継続することが不可能になったときなど。このような場合、選手は突然自分の今まで積み上げてきたキャリアを放棄せざるを得ない状況に陥るわけで、尋常な精神でいられないことは想像に難くない。このような選手を苦しみの淵から助け出すのがコーチの役割でもある。「現役活躍中にキャリアプランを立てることにはいくつかの利点がある。まず第一にスポーツのパフォーマンスによい影響をあたえる。(中略)引退後の方向性をつかめる。(中略)自己についてより深く学べる」。スキルを教えることだけがコーチの仕事ではない。子どもたちに“未来”を教える、おこがましいかもしれないが、これもコーチの大切な仕事と考えたい。
本書の最後に翻訳者お二人の対談が収録されている。「私たちのキャリア・プランニングから」と題した対談では、お二人の引退後の葛藤とそこから抜け出したいきさつが正直に語られていて好感を持つ。是非とも「訳者まえがき」と「訳者あとがきにかえて」を読んでから本文に進むことを、本書の読み方としてお薦めしたい。
A・プティパ他 著、田中ウルヴェ京、重野弘三郎 訳
(久米 秀作)
出版元:大修館書店
(掲載日:2005-11-10)
タグ:キャリア セカンドキャリア 引退
カテゴリ 人生
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意地を通せば夢はかなう! bjリーグの奇跡
河内 敏光
「意地の河内」と呼ばれる男
人間の身体表現方法のまどろっこしさは、内面的には何万もの精密な装置が一寸の狂いもなく事を進めた結果であるにも関わらず、表面に出ると極めて大雑把でかつ不確定的な形にしか積分されず、ゆえに誤解を招くことが多いところある。多分この辺の問題を解決する手段として、人間はバーバルコミュニケーション(言語活動)を発達させてきたのであろう。
本書のタイトルにある「意地を通す」の「意地」とは、辞書によれば「気立て」という意味である。つまり、その人の心の持ちようや性質のことを言う。「意地を張る」というと何やら強情に固まった風景を思い浮かべるが、「意地を通す」とすれば信念を曲げずに最後まで行動し続ける、と受け取れる。不動に対して行動。このふたつの代表的な身体表現が「意地」という交点においてはぶつかり合ったとき、人は何かしらの決断を迫られる。そしてその結果こそが、その人の本当の「気立て」を現していることになる。
「一般に、何かを成し遂げようとする時には、前に進もうとするチャレンジ精神が必要不可欠となってくる。その点、私はいざという場面では躊躇なくリスクを選択することができるし、また実際にそうしてきた。そんな私を評して『意地の河内』という人もいるようである」この人の「気立て」のよさはどうやら行動原理の中に見出せそうだ。
『坂の上の雲』
本書は、わが国初めてのプロバスケットリーグ誕生の軌跡を描いたものである。そのリーグの名はbj(Basketball Japan League)。世界には50以上の国や地域でプロリーグが運営され、最近では中国や韓国でもその人気は高いというが、不思議にもわが国には今までプロリーグは存在しなかった。何故か? その素朴な疑問の答えを著者はJABB(日本バスケットボール協会)や旧日本リーグのプロ化を視に入れて立ち上げたJBL(バスケットボール日本リーグ機構)の体質にあると説く。「私が『日本のバスケットボール界全体を変えなければならい』という意識を持ち、それを実際に実行に移していける立場になったのは、1993年、日本代表男子チームの監督に就任してからのことである」。これ以降、彼は様々な組織改革を試みていく。たとえば「それまでは、誰かが新しく監督になると、スタッフほぼ全員がその監督の身内、一派で固められる」というやり方が常であったのを「公平に、実力主義で幅広く人材を集めれば、それだけ多くのチームが『自分たちの関わっている代表』として積極的にサポートしてくれる」という狙いから斬新なスタッフ人事を断行する。また、選手選考についても代表監督の意向が浸透した選考を訴える、などの改革を進めたのである。しかし、「確固たる強化ビジョンを持たない」協会の古い体質は容易には変わらず、結果として「チームへの未練はもちろんあったが、意地を通し、断腸の思いで私は退陣を決意」することになる。
捨てる神あれば、拾う神あり。企業チームが相次いで廃部し、著者自らも所属していた三井生命チームを退部したころ、彼は運命的な出会いを経験する。それは当時サッカーJリーグに所属するアルビレックス新潟の社長をしていた池田弘氏との出会いである。そして、池田氏の「バスケには市場価値がある」の一言に、著者の「意地」が再び動き出す。
司馬遼太郎という人の小説に『坂の上の雲』というのがある。この作品は、日本の明治期の初々しさを日露戦争をモチーフにして描いたものである。司馬は、まるで少年のようにその大仕事に無我夢中に飛び込んでいく明治の人々を「のぼってゆく坂の上の青い天にもしいちだの白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」人々と評した。わたしは今回の本を読んでいて、この河内敏光という男にも、ひたすら坂の上のいちだの雲を見つめて坂を登る少年のような一途さを感じたのである。この少年のような一途さが、多分河内流「意地」の通し方なのだと思う。
(久米 秀作)
出版元:東洋経済新報社
(掲載日:2006-02-10)
タグ:バスケットボール マネジメント
カテゴリ 人生
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決断力
羽生 善治
将棋界にも情報化の波が押し寄せたことで棋譜や戦術の研究が進み、情報力で差をつけることは困難になった現代は、数ある情報の中から最適な情報を取捨選択し、何が必要かを決断する力が求められる時代である。本書では棋士・羽生善治氏が将棋で培った「決断力」について語っている。
中でもどのように深い集中に達するのか、その比喩が非常に興味深かった。著者は集中する過程を潜水にたとえ、水圧に徐々に身体を慣らすように、少しずつ深い集中へと自らを導いていくのだという。あまりに深く潜り過ぎると元に戻れないような恐怖感に襲われ、潜ることを焦ってしまうと集中の浅瀬でジタバタしてしまうのだそうだ。
本書では幼少期から名人戦に至るまでの試行錯誤も語られているが、将棋への尽きない愛が著者を盤面に向かわせ、根拠を重ね続けたことが直感的な決断を支えたのだろう。天才棋士は将棋への愛に満ちた探求者であった。
(酒井 崇宏)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-10-09)
タグ:将棋 決断
カテゴリ 人生
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逆風満帆
朝日新聞be編集部
それぞれの事情
人は、皆それぞれの事情でピンチを迎える。たとえば、スケートの岡崎朋美の場合はこうだ。「岡崎はその朝、ベッドから起き上がれなかった。腰から両足へ針で刺されたような激痛が走る。(中略)椎間板ヘルニアだった。緊急の手術を要した。腰にメスを入れることはアスリートの終焉を意味する。髪の毛一本の感覚の違いを氷上で追及するスケーターは、筋肉が回復しても末梢神経の切断のダメージははかりしれなかったからだ」。こういったケガはドクター、トレーナーの間では障害に分類される。突発的な事故によって起こる外傷と違い、慢性的な原因がこのケガを誘発しているからだ。一種の金属疲労と言ってよい。そして、この種のケガのいやらしさは、大抵の場合重要な試合を目の前にして起こることだ。ぎりぎりのところでの調整に、最も弱いところから悲鳴を上げていく。
マラソンの高橋尚子の場合は、ピンチはケガだけではない。2000年シドニー五輪で優勝。しかし、続くアテネ五輪の選考からは漏れる。ここに彼女のピンチがありそうだが、実は違うと言う。「(女子マラソンでは)まだ誰もやったことがない2大会連続金メダルの目標はなくなってしまったけれど、大会は五輪だけではないし」と考えていたようだ。だが、「アテネでは野口みずきが金メダルを取った。高橋は日本女子2大会連続金メダルを喜んだ。そして自分も秋にマラソンを走るつもりだった。ところが9月、練習中に足首を骨折してしまう。それから1年以上もレースから遠のくことになる。逆風が吹き荒れる」。師匠である小出監督との考え方の微妙なズレ、マスコミの執拗な高橋限界説。あらゆる逆風の中、高橋は「小出からの独立は、勇気を振り絞った結論」を出す。
人間万事塞翁が馬
こんな諺が思わず口から出てしまいそうな人生の波間を泳いだ人もいる。吉原知子2005年アテネ五輪女子バレー代表、主将。1988年に妹背牛商高から日立バレー部に入部した彼女は1994年「当時在籍していた日立バレー部の部長に呼ばれた。突然の解雇通知だった。(中略)『ほんとにエッという感じでした。優しい言葉もかけてもらえない。その日のうちに寮から出て行け、荷物はほかの選手がいないときにとりに来いって……』」。その後彼女は「人間不信でした。たたかれて、たたかれて、日本にいられない状態」でイタリアのプロリーグに飛び込む。しかし、1996年アトランタ五輪のメンバーとして再び日本からオファーが届きだす。「吉原は迷った。イタリア残留に気持ちが傾きかけたとき、チームメイトに説得された」。結局、1995年ダイエーで第二のバレー人生が始まる。吉原は再び急峻な人生の道を登り始める。しかし、1996年のアトランタ五輪は史上最低の9位に沈む。やはりここでも逆風に晒されることになる。さらに、これに追い討ちをかけたのが日本バレーボール協会が「若手主体」をお題目にとった年齢制限。彼女は「もう全日本は関係ない」と割り切る。ところが、再び人生は彼女を奮い起こす。「若手主体の全日本はシドニー五輪予選で敗退してしまう。史上初の屈辱だった。(中略)日本バレーは窮地に陥った。実力も人気も下降線をたどる。だが昨春、再建を託された柳本晶一監督から主将として全日本復帰を打診された。『何で今ごろ、私なの。ふざけないでよ』。初めは、反発する気持ちが強かった」。だが結局、「33歳、(再び)使命感が頭をもたげる」のだった。
「スポーツや芸能、文化の各分野の第一線で活躍し、成功をおさめている人たちは、どんな苦難や失敗があり、それをどのように克服してきたのか、直接、聞いてみよう」ということで始まった本書に収められている各々のインタビューは、「ほんとうに大きな困難を克服して今の地位に辿り着いた人たちは、実に冷静に自分を分析していました」という結論を導き出す。だがそれだけではないことに読者は気づくだろう。それは、苦難に勝ち、失敗を克服した人たちが結局今も同じ道を歩み続けている、という事実である。「継続は力なり」。この言葉を今一度強く噛み締めてみる必要を感じる。
(久米 秀作)
出版元:明治書院
(掲載日:2006-07-10)
タグ:インタビュー
カテゴリ 人生
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持続力
山本 博
ひとりの父親として……
「父親が息子に残せるものは、いったいなんだろう」。2004年に開催されたアテネオリンピックで見事銀メダルに輝いたアーチェリーの山本博が、今一番心に宿している懸念はこのことだ。
「“的”は自分の心を映す鏡」だと、彼は言う。「標的に刺さった矢を見ると、その選手がどんなことを思いながら射ったかがわかる。(中略)私自身も的に刺さった矢を見ながら、自らの心と向き合ってきた。(中略)ときには『誇らしく』、ときには『怒り』、誰と殴り合うわけでもないのに、心が痛いほどつらくなった日も数えきれない」。
山本の“矢”は、実は彼自身にも向けられて射られていたに違いない。「私のオリンピックにおけるアーチェリーの成績は、1984年のロサンゼルスオリンピックでの銅メダルを頂点に、以後、ソウルオリンピック8位、バルセロナオリンピック17位、アトランタオリンピック19位、そしてシドニーオリンピックは国内選考会で敗退するという、完全に“右肩下がり”の悲惨なものであった」。しかし、山本は“どん底の16年間”と呼ぶこの時期を越えて、再び4年後のアテネに照準を合わせて始動し始める。
「山本の時代はすでに終わっている」「何度挑戦してもダメなものはダメだ」という周囲の強烈なアゲインストを受けながら、山本はいったいこの時期何を考えていたのだろうか。「やる前から結果を考えてなにもしないなんて、そんな後ろ向きな人生でいいのであろうか」「成功や勝利が向こうから勝手に来てくれることなどないのだ。獲りに行った人だけが、勝ち取るチャンスを得られるのである」。教育者としての顔も持つ山本は、自分が日ごろ生徒に対して指導している内容からも学ぶものがあったという。「生徒たちは転び続ける中で、転び方を覚えていく。『受け身』が取れるようになるのだ。(中略)転んだら自分で起き上がる。当たり前のことを当たり前にするだけで、決して難しく考えてはいけない」。
選手の前に教育者であり、教育者の前に父親である彼は、さらに父親である前にひとりの人間であるという、まことにシンプルな事実を愛する息子の前に正すことで、冒頭の“懸念”に答えようとしているように見える。
生涯一アーチャー
山本は生涯一アーチャーでいたいと言う。「私は、生涯現役を貫き通すつもりでいる」という彼は、「本当の実力ではなく、二次的な力や過去の経緯、地位によって栄誉や役職を獲得している人たち」に強い嫌悪感を表明する。「アーチェリーという種目であるがゆえに、いくつになっても、選手としての力が公平明白に評価されるのだ。私は、その明白な自分自身の力量を日々、実感しながら生きていきたい」。
山本がメディアで“中年の星”と呼ばれていることは多くの方がご存知であろう。若さの代名詞のような“スポーツ”分野にあって、40歳を超える男がいまだに世界のトップにいるという事実を日本流に解釈すると、実年齢的には“中年の星”ということになるのかもしれない。しかし今回本書を手にとってみて、私は実に新鮮な感動を覚えた。つまり彼、山本博の“中年”ではなく“少年”の部分に感動し、それを自分自身に置き換えたときに、自分の中にも“少年”の部分があることに気づかせてくれた彼の数々の言葉に、私は正直感動を覚えた。「強き敗者こそ真の勝者」、「なにもしない批判者より、失敗し続ける職人であれ」といった言葉などは、私が感動した言葉のほんの一部にしかすぎない。
「心に隙間ができたら終わりだ。つねに心に語りかける、『自分を見つめろ』と。(中略)私が戦っているのは、『だれか』でも『なにか』でもない。自分の心なのだ。その心に打ち克ったときに、自らの心に神が宿るのだ。五感に心揺さぶられずに自らを見つめ続けた心には、第六感なる、神から与えられた力が宿ることを知ることとなる」。長い引用をお許し願いたい。私が最も気に入っている部分なのである。
(久米 秀作)
出版元:講談社
(掲載日:2006-08-10)
タグ:アーチェリー メンタル
カテゴリ 人生
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スクラム 駆け引きと勝負の謎をとく
松瀬 学
その名の通りラグビーのゲーム中にみられる「スクラム」の本。確かにそれで間違いはないのだが、話の中心には「フロントロー」が据えられている。ただ、「フロントロー」をタイトルにすると、一般の人にはなんのことだか、まずわからない。だから、ラグビーに関係したことだと連想しやすい「スクラム」にしたのかと勘ぐってしまう。それくらいスクラムの主役である「フロントロー」という存在に深い愛情が注がれている、そんなマニアックな臭いがぷんぷんする本である。
その「フロントロー」。ラグビーを知らない周りの人たちに聞いてみると珍解答の数々が。「低い前蹴りのこと?」、あるいは「前から背の低い順に並ぶこと!」。やれやれ。「ロー」は「low(低い)」ではなく「row(列)」、つまり「front row」で「前列」のこと。3列で構成されるスクラムの最前列に位置する、左右のプロップとそれに挟まれるフッカーという3つのポジションを担う男たちのことである。
ラグビーになじみがない人がテレビでスクラムを見ても、ミスなどで途切れたゲームの単なるリスタートの形としてしか映らないかもしれない。しかし、これはラグビーの中でも最もエキサイティングなプレーの1つなのである。ゲームの流れを大きく左右する、非常に高いレベルの力と技のせめぎ合いがそこでは行われているのだ。ラグビートップリーグチームのスクラムを間近で見ていると、ギシギシと骨が軋む、そんな音が聞こえてくる。フロントローの鍛え抜かれた全身の筋肉は、理不尽なストレスに正面から立ち向かうため総動員されている。本文にもあるが、なにしろ片方のチームのフォワード8名の総体重は800kg前後。その塊が2つ勢いよく組みそして押し合うわけで、フロントローにかかる重量の単位は「トン」に跳ね上がるというものだ。寒い季節では、スクラムの周りだけ、湯気がモウモウと立つ光景がみられる。一本、一本が真剣勝負の過酷なプレーは、男の中の男でしか務めることはできない。つぶれた耳と大きな背中、寡黙だが大胆かつ繊細、そして聡明さも併せ持つ、そんな男たちにしか。まあグラウンドを離れれば、剽軽でずいぶんおしゃべりなトップ選手がいるのも事実だが。
本書ではそんな彼らの物語が生々しく語られている。「ビシッ」、「ゴリゴリ」、「ガチッ」。こんな擬音語も随所に登場するが、ラグビーが好きな人には伝わってしまう。というより、身体で覚えているその感覚で、そう表現するしかないと妙に納得してしまうのである。そしてスクラムは、一人ひとりが重ければ強いというわけではなく、フロントローを中心とした絆の深さこそが、本当の強さの秘訣である。そんなことも改めて思い出させてくれる。
この稿が出ている頃には、IRB(国際ラグビー評議会)によりスクラムのルールが安全上の理由から改正されている(日本国内は本年4月1日施行)。ラグビーは今でも頻繁にルールの見直しが行われる異色のスポーツであると言える。事故をなくすための取り組みが行われることは重要なことだ。ラグビーの戦術そのものが機動力をより優先させる傾向にもある。徐々に縛りが強くなるスクラムに、昔からのフロントロー経験者は歯がゆく感じるところがあるかもしれない。スクラムはそんなせせこましいもんじゃないんだ、と。それでもスクラムがラグビーにおいて、単なる「起点」ではなく重要な「基点」であることに変わりはなく、背中で語るその男気というものはこれからも引き継がれるのだろう。
本書でも紹介されている名言がある。「世界のサカタ」曰く「トライは自分ひとりでやったんじゃなく、トライしたボールには15人の手垢がついているんや」。慶応大学のフォワードに受け継がれている言葉に「花となるより根となろう」あり。テレビ中継では華やかなバックスのプレーに目を奪われがちだが、本書を読み、そしてぜひグラウンドに足を運んで、スクラムを直接見てもらいたい。そこでのフロントローの働きに注目してもらいたい。真の男の背中を感じてもらいたい。
(山根 太治)
出版元:光文社
(掲載日:2007-03-10)
タグ:ラグビー
カテゴリ 人生
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素晴らしき日本野球
長谷川 滋利
本書では長谷川氏の経験を通し、決して断定的に日本とアメリカの野球について語ることなく、冷静に、その違いや特色を述べている。そのなかで同氏は日本に帰って久しぶりに甲子園で高校野球を見たときのことをこう語る。「とても好きだが、問題はある。」
日本とアメリカの選手を育てるシステムの最大の違いは「精神面」これは守備とか、配球などではなく、宗教的な部分での違いが明らかだそうだ。日本の高校野球ではダッシュを100本という練習があり、フィジカル的にはあまり意味のある練習とは思えないが、メンタル的にはそれなりに意味があったかもしれない。
また技術の面でも長時間の練習を通して自分の「形」を探っていくのは日本独特で、そういう面に関して言えば徹底した個人主義であるそうだ。そこが日本野球の独特の強みでもあり、技術面に優れたイチロー選手が生まれたのもそういった土壌があったからだという。だが専門的な練習を繰り返すことは本来持っている能力や筋力を眠らせている可能性もあり、“専門家”になるデメリットも挙げている。それに比べてアメリカではいろんなスポーツを経験しプロスポーツ選手になっている人も多い。スポーツを行っていると偏った環境になりがちであるがゆえに見習うべき点があることも事実。
日本とアメリカでの野球経験者だからこそ書ける「素晴らしき野球」。読んでみる価値は十分にあります。
2007年4月25日刊
(三橋 智広)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-12)
タグ:野球
カテゴリ 人生
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宿澤広朗 運を支配した男
加藤 仁
宿澤広朗 運を支配した男加藤 仁超凡の才の人物像を描き出す
死は何人にも訪れる。有産無産、有名無名にかかわらず。その意味では平等だ。しかし、どう死ぬかということにおいてはこれほど不平等なことはない。だからこそ、己の手の届かぬことを案じるより、生きているうちに己のなすことに心を傾けるほうが自然だと感じる。
2006年6月17日、ある超凡の才を持った人物がこの世を去った。三井住友銀行取締役専務執行役員コーポレート・アドバイザリー(CA)本部長、宿澤広朗氏である。55歳という若さだった。元ラグビー日本代表選手であり、日本代表監督としてはスコットランドという世界の強豪国とのテストマッチに、後にも先にも初めて勝利し、ラグビーワールドカップでも唯一の勝ち星をあげた人物である(これは2007年フランスワールドカップで日本がオーストラリアに大敗、フィジーに惜敗した時点での話。願わくは、出版の時点で勝利数が増えていることを)。
この高次元で文武両道を体現した人物の光とわずかに垣間見える陰を、膨大なインタビューと豊富な資料をもとに丁寧に読み解いたノンフィクションが本書である。
不運を不運にせず、幸運を幸運に
旧住友銀行時代から三井住友銀行取締役専務執行役員になるまでのビジネス界でのエピソードだけで読み応えのある一編の立志伝ができあがる。それに加えてラグビー界での輝かしい経歴が、ほかに例を見ない深い彩りをその人生に加えている。本書を通じてその経歴をたどると、ラグビーを通じて培ったものが銀行員としての成功につながったのではなく、人間として培った人生哲学とプロ意識、そしてそれを実践できるバイタリティが礎になり、ラグビー界でもビジネス界でも強烈なインパクトを与えたと言ったほうが正しいだろう。
宿澤氏の座右の銘に「努力は運を支配する」という言葉がある。たとえばある1つの好ましくない事象を目の前にして、自分自身が不運だと思ってしまったときにそれは不運になる。解決すべき問題だと考えて対策を立てて乗り切れば、単なる一要因にすぎなくなる。もしかしたらそれが転じて幸運につながることすら考えられる。また、好ましい事象を目の前にして、十分に活かすことができればそれは幸運となるが、できなければ幸運であったことにすら気づかない。不運を不運にせず、幸運を幸運として活かす。それには「たゆみない努力と、それによって生まれた実力」が必要だ。己の肉体と精神に多大なプレッシャーをかけていたに違いないが、それが「運を支配する」ことなのかもしれない。
三井住友銀行での最後のプロジェクト、CA本部の業務である課題解決型ビジネスこそ宿澤氏の面目躍如となるものであったろう。しかしこの新部門発足からわずか2カ月半後、無情なるノーサイドの笛は吹かれることになる。
いつも全力疾走
本書でも触れられているが、このような非凡な人に孤独はつきものなのかもしれない。敵も多かっただろう。思いを寄せるラグビー界では最後には活躍の場がなかった。ジャッジするばかりで自分が責任を取らない者を長に戴いた組織の中では、現場の人間が大変な思いをするし、大胆な改革など図れない。宿澤氏のような存在がその中枢に居続けてくれれば、さまざまな軋轢を生みつつも、低迷するラグビー界を豪快に洗濯してくれたのではないかと、ひとりのラグビーファンとして詮無く考えてもみる。
司馬遼太郎氏の名著『竜馬がゆく』の中で、主人公坂本竜馬は人生の終盤で、己を取り巻くさまざまな相関組織の誰から命を狙われてもおかしくない状況だった。その竜馬に司馬氏はこう言わしめている。「生死は天命にある。それだけのことだ」。己がどんな状況であろうとも正面から向かい合い、いつも全力疾走で人生を最高峰まで駆け上ってきた宿澤氏は、そのままの勢いで天まで昇ってしまったと、早すぎる死を悼みつつ、そう思う。
(山根 太治)
出版元:講談社
(掲載日:2007-11-10)
タグ:ラグビー ノンフィクション
カテゴリ 人生
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町人学者
増田 美香子
副題は「産学連携の祖 淺田常三郎評伝」。大阪大学理学部物理学科の教授、淺田常三郎氏について、その門下に学んだ人が「人となり」を記したもの。
淺田教授は、大阪府堺市に生まれ、きわめて優秀で、旧制中学5年のところを4年で卒業、難関の第三高等学校にトップで合格、その後東京帝国大学理学部物理学科に入学、実験物理学を専攻した。
大阪帝国大学を創立するとき、先生である長岡半太郎が総長になる。そのとき、淺田氏も物理学の教授として阪大に移っている。その講義は大阪弁、正確には堺弁であった。講義の第一声はこんなふうだった。
「一銭銅貨を置きましてな、かかとで踏んでキリーッとまいまんねん(回るのです)」。
「すと、こないなりまんねん」
二枚の銅貨の間には模造品のルビーがあったが、粉々になる。次に天然のルビーで同じようにすると銅のほうがへこんだ。
「それ、なんでだんねん?」が口癖だったとも言う。その淺田氏は、常に人々の役に立つ研究を心がけた。当時大学教授は雲の上のような存在だったが、えらそぶるようなことは決してなかった。むしろ、ユーモアにあふれ、面倒見のよい教授として慕われた。
広島に投下された新型爆弾が原子爆弾だと科学的に確認した人でもある。多数の逸材を輩出した淺田研究室。その教授の姿を知ると、学問のあり方、研究者のあり方、人を育てるということなどを味わい深く学ぶことができる。
2008年4月4日刊
(清家 輝文)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:研究
カテゴリ 人生
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察知力
中村 俊輔
著者は世界で活躍する中村俊輔選手。ケガに見舞われた時期もあったが、今もなお輝かしい姿を見せている。そんな中村選手が成功へ向かうとき、必要なものと掲げるのが「察知力」だ。
高校2年生のときからつけているというサッカーノート。壁に当たったときにこのノートを開くからこそ、人生の無駄な時間を省くことができると記している。また自身の海外生活についても「言葉が話せなくても、チームメイトとその場にいることが大切」と、海外では自分から飛び込んでいく姿勢が大事であるという。ケガをした際の苦しい経験についても「いまできることと、できないことを認識した上でフレキシブルな状態を維持しなくてはならない」と、ケガを負ったときの柔軟な姿勢を保つなど、自身の考えをまとめている。
普段は無口な印象の中村選手。何より本書を通して驚いたのは自身のサッカーに対する哲学である。学ぶところはかなり多い。是非一読願いたい。
2008年5月30日刊
(三橋 智広)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2012-10-13)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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「北島康介」プロジェクト2008
長田 渚左
アテネオリンピックと北京オリンピックにて、2大会連続で100m平泳ぎ、200m平泳ぎの2種目共に金メダルを獲得した北島康介選手。そのメダルの陰には、通称「チーム北島」と言われる各分野のスペシャリストである5人のスタッフの存在があった。
本書では、コーチである平井氏と北島選手が出会ったときから、アテネオリンピックで金メダルを獲得するまでのスタッフ5人と北島選手の努力の日々が描かれている。
北島選手とコーチである平井コーチが出会ったのは、北島選手が14歳のとき、特別泳ぎが速いわけでもなく、体格も決してよいとは言えない平凡な選手の一人であった。ある日、平井コーチの仕事先でもあり、北島選手が通っていたスイミングスクールで二人が会話をしたとき、「何者も恐れないというような光のある眼」に将来性を強く感じ、平井コーチは北島選手を育てることを決心する。その後、北島選手をオリンピック選手に育てるため、平井コーチに加え、映像分析、戦略分析、肉体改造、コンディショニングのスペシャリストが立ち上がり、アテネオリンピックで金メダルを獲得するまでのそれぞれのスタッフから見た北島選手の当時の様子やスタッフの率直な気持ちが描かれている。
チーム北島と言われる5名のスタッフも、オリンピックで戦う選手を支えている立場だからこそ感じるプレッシャーや不安や苦悩の日々があったことを改めて感じとることができた。また、北島選手自身もメディアでは映し出されていない、大会前後の気持ちや想像を絶するような努力の日々が描かれている。
このように、選手からスタッフまで、さまざまな視点から描かれている1冊である。
(清水 歩)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2012-10-13)
タグ:水泳 スタッフ
カテゴリ 人生
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「北島康介」プロジェクト2008
長田 渚左
言葉通りの結果と期待以上の感動
北京オリンピックの表彰台に立つ3人のアスリート。中央は一段高いはずだが、頭の位置が皆変わらない。そんな体格的に決して恵まれているわけではない中央のアスリートは、試合前に誰よりも強い眼の光を放つ。自ら世界記録を出して金メダルを獲得することを明言した。周囲の期待を一身に背負っていた。他人には計り知れない重圧の中、その言葉通りの結果を、そして期待以上の感動を見せつける。そんな男にはなかなかお目にかかれない。
本書はその男、北京五輪で2つの金メダルと1つの銅メダルを獲得した競泳平泳ぎの北島康介選手と、彼を支える「チーム北島」についてのドキュメントである。言わずとしれた平井伯昌コーチを軸に、映像分析担当・河合正治氏、戦略分析担当・岩原文彦氏、肉体改造担当・田村尚之氏、コンディショニング担当・小沢邦彦氏という「5人の鬼」が描かれている。2004年に刊行された『「北島康介」プロジェクト』に、新たな取材をもとに加筆され、北京五輪を前に発行されたものである。
勝負の「鬼」
北島選手はまさに勝負の「鬼」と呼ぶにふさわしい眼光を持っている。その彼が「鬼」と呼ぶ平井コーチは、一見すると温和そうな風貌である。しかし、「選手をコーチのロボットにしては駄目だ」「選手はコーチを超えていかないと駄目だ」「選手は勝手に育つんです」「康介の康介による康介だけの泳ぎを考えた」「既存の××理論などに康介をはめたのではない。康介から良いところだけを引っぱり出すために何かをプラスしたのではない。余計なものを削ぎ落としてシンプルにした」といった語録を見ると、確固たる己の人生哲学を基礎にコーチングしていることがわかる。
もちろんこれらの発言そのものではなく、それを北島康介というたぐいまれなるアスリートの中に昇華させたことが凄いところだ。100mと200mがまったく別物だという水泳界のそれまでの定説を「やり方しだい」と考えを巡らせたことや、一般的には欠点とされる身体の硬さを、逆にどう活かすかという工夫につなげたエピソードなどにそれが垣間見える。そのほかにもさまざまな観点から北島選手をサポートし育て上げるチームの奮闘は読み応えがある。それにしても0.1秒の違いを身体で感じ取る感覚が必要になるのだから、常人には理解できない世界である。
チームの相乗効果
いわゆる集団競技でも、強いチームは選手やスタッフの巡り合わせがいい。互いの相乗効果でチーム力が期待以上に上がるからだ。チーム北島は高いプロ意識と実力を持った専門家の集まりだが、このチームの相乗効果というものがどれほど凄まじいものだったかは、その結果を見て推して知るべし、である。もちろんアテネ五輪以後の4年間だけでもその過程で失敗や苦悩がどれだけあったのか想像もつかない。
そんなことを考えると、「よくやった」と気安くほめることさえはばかられる思いがする。ただただ感動するのみ。たとえどんな結果であったとしても、それは国を代表して五輪に参加した多くのアスリートに対しても同様である。
(山根 太治)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2008-11-10)
タグ:水泳 スタッフ
カテゴリ 人生
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101歳のアスリート
下川原 孝
世界記録ホルダーの「カッコいい」生き様
男子たるもの、いくつになっても「カッコいい」と言われたいもの。高齢化社会の危機が叫ばれているとは言え、世の中にはその夢(?)を実現しているダンディで伊達者のおじ様、おじいちゃんが立派に存在しているのもまた事実である。
そもそもダンディや伊達の定義とはいかなるものだろうか? 辞書やインターネットによれば、Dandyとは、「身体的な見た目や洗練された弁舌、余暇の高雅な趣味に重きを置く男性」のこと。伊達とは「好みがしゃれていること。考え方がさばけていること。また、そのさま」とある。すなわち、自身の内面・外面はもちろんのこと余暇の過ごし方に至るまで洗練されている、さばけている、と思わせる何かを感じさせる(とくに男性としての)生き方、とも言えるだろう。
本書の著者、下河原孝氏はそういった意味ではまぎれもなく「カッコいい」老人である。御年99歳にしてマスターズ陸上へ初参加、さらには101歳にして投擲系2種目においてマスターズ世界記録を樹立し、103歳の現在は3種目の世界記録ホルダー。1世紀を生きてなお、競技の世界にチャレンジし記録を打ち立てている人、ということでさぞやストイックな求道者を想像するかもしれないが、さにあらず。「自分の身体をよく知ること」「やり過ぎないこと」を信条とし、年を取るほど記録が伸びる自らの身体を「自分でもおかしいと思います」とサラリと言ってのける。行きつけのスナックでは100歳過ぎであることをネタにただ酒をご馳走されることを楽しんでしまう。かと思いきや、趣味を持つことや感謝の心といった普遍的なものの大切さをこれまたサラリと述べることもできるその姿には、文字通り洗練され、さばけている「ダンディで伊達」な男ぶりを垣間見ることができると言えるだろう
老いも若きも、「カッコいい」生き様の参考となること請け合いの一冊である。
(伊藤 謙治)
出版元:朝日新聞出版
(掲載日:2012-10-13)
タグ:マスターズ
カテゴリ 人生
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101歳のアスリート
下川原 孝
まんざらでもない“歳をとる”
“人は誰しも歳はとりたくないものである”とはよく聞く言葉である。“歳をとる”という言葉は、どちらかというと否定的な使われ方をする言葉である。しかし、いざ歳をとってみると“あれ? まんざらでもないな”などと思っている人も多いのではないだろうか。“歳をとったからこそできること”、“歳をとってみてわかるようになったこと”が結構多く、歳を重ねることで、若いときには気づかなかった新しい世界が開けたりするものだ。
むしろ二十歳前後の学生たちのほうが歳をとった歳をとったと嘆いていたりして、私の半分にも満たない歳のクセに何を言っておるのだ! などと目くじらを立てたりもしてはみるものの、なんてことはない、彼らはいわゆる“自虐ネタ”で盛り上がっているだけなのだ(果たして私も学生時代似たようなことを言っていたものだ)。
“早く歳をとりたい”
一方、“早く歳をとりたい”とはマスターズ陸上の競技会に参加するとよく聞く言葉である。マスターズ陸上とは、ベテランズ陸上とも呼ばれ、男女ともに35歳以上になると参加できる競技会である。5歳刻みでクラスが分かれており、たとえば35~39歳の男子ならばM35、女子の場合はW35というように頭に性別を表す記号を入れて示す。年齢クラスが上がるときは、今までのクラスを“卒業”したとか、新しいクラスに“進級”したなどと内輪では言っている。
各クラスの選手同士で競われるので、同じクラスの中でなら“進級したて”の若いほうが有利に違いないと考え、たまに調子のよいときなど決まって“記録はこのままで早く歳とって次のクラスに進級したいなあ”などとアサハカにも皆同じことをつぶやくのである(果たして私もこのまま早く次の年齢クラスに進級したい)。
若々しい老人
“歳をとった人”つまり“高年齢者”のことを一般に“老人”と呼ぶようだが、老人とは“若さがない人”のことではない。誰が言ったか知らないが“人は歳をとるから老いるのではなく、人は希望を失ったときに老いるのである”という考え方をしてみると納得がいくと思う。そういった意味で、マスターズ陸上界には“若々しい老人”がウジャウジャといる。
本書の主役であり著者でもある日本最高齢のアスリート、下河原孝氏もその一人だ。“M100”クラス、投てき三種目(ヤリ投げ、円盤投げ、砲丸投げ)の世界記録保持者である。
「101歳で、マスターズ陸上で世界記録を出した体力と健康の秘密」についてさまざまなエピソードを絡めて紹介されている。エピソードと言ってもただごとではない。たとえば、下関市(山口県)で行われた全日本マスターズにおいて、ヤリ投げで世界新記録を出したときのものだ。釜石市(岩手県)に住む氏は「在来線で新花巻まで二時間かけて行き、そこから新幹線に乗り換えて東京までまた数時間。東京から姫路まで行き一泊して、翌日、下関へ。二日かけてようやく辿り着く長旅」を経て初めて競技に参加できるのである。
柔軟な考え方
「くよくよしていたら長生きなんてできません」とは言うが鈍感になれということではない。「歳とともにだんだん動かなくなってくる」身体には「年寄りならではの感覚」を大切にして「体力をつける発想ではなく体調を整えるという発想」に「思い切って切り替えて」いく柔軟な頭を持ち、「よく動いて、動きすぎず」「なんでもパクパク」「よく噛んで」食べる。ビールだって毎晩飲む。「何がよくて何が悪いか」より家族と「食卓を囲んでとって」いることが「とても幸せなことです」と説く。耳が遠くなったのをいいことに「都合の悪いことは聞こえないふり」をし「呆れられることもあるのですが、それさえ聞こえないふりをして」しまうというのには笑った。
いくつもの大病をさえ乗り越えたにもかかわらず「ただあるのは、曲がりなりにも100年以上生きてきて、今も健康という事実だけ」という謙虚さの前にはただただ恐れ入るしかない。
(板井 美浩)
出版元:朝日新聞出版
(掲載日:2009-06-10)
タグ:マスターズ
カテゴリ 人生
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肉体マネジメント
朝原 宣治
北京オリンピック男子400mリレー決勝での歴史的銅メダルは今なお記憶に鮮烈である。そのアンカーを務め、最近現役を引退したばかりの朝原宣治氏による新書。
本書は、北京での予選が終わってからの「重圧」の模様から始まる。タイム的には3位に入れる。逆に言えば、失敗できないというプレッシャー。アメリカ、イギリスなどがバトンミスで失格となる幸運はあったが、目の前にメダルは見えていた。そこからアンカーとしてバトンをもらいゴールを駆け抜けるまでの描写は読んでいるほうも「心臓がバクバクする」くらいである。
朝原氏は、中学ではハンドボールで全国大会に出場、陸上競技は高校から始めた。以来同志社大学を経て大阪ガス入り。そこまでコーチはついていなかった。社会人になり、ドイツへ留学、その後アメリカに移った。いずれもコーチについた。途中、足関節の疲労骨折を起こし、大きなスクリューを2本入れた。そうした経験から、コンディショニングでもレースでも「感覚」を重視する姿勢が生まれる。トップアスリートの生の声が聞ける1冊である。
2009年1月30日刊
(清家 輝文)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2012-10-13)
タグ:陸上競技 感覚
カテゴリ 人生
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宿澤広朗 勝つことのみが善である
永田 洋光
早稲田大学ラグビー部のキャプテンを務め、日本代表になり、卒業後は住友銀行に入行、同銀行では最終的に専務執行役員にまでなり、その激務を続けながら日本代表監督としてスコットンランドに勝利した宿澤広朗氏のラグビーを通じた人生を、詳細で時間のかかった取材でまとめたもの。副題は「全戦全勝の哲学」。
東京大学が紛争で入試を中止したときの受験生で、宿澤氏は早稲田大学政経学部に進んだ。一般学生としてラグビー部に入部、「1週間でやめるだろう」と思われていたが、すぐに1軍選手となり、あとの活躍は言うまでもない。なぜ「勝つことのみが善である」というタイトルなのか。
宿澤氏はテレビ東京の『テレビ人間発見』でこう語った。
「競技スポーツも、資本主義経済も、勝つことが正しい目的なんです。ただ、やり方を間違えると、“勝利至上主義”とか、“儲け主義”と言われる。結局、最後は金銭ではなく、名誉ですよね」。言葉の意味するところは大きい。
真剣に考え、やるべきことをやればまず負けないと言う。「真剣」という言葉の意味を痛いほど知ることができる1冊である。文句なし。おすすめする。
2009年6月10日刊
(清家 輝文)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2012-10-13)
タグ:ラグビー
カテゴリ 人生
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京子!いざ!北京
宮崎 俊哉
気合いだー!といつも叫んでいるアニマル浜口氏にいつも目が行ってしまいがちだが、この人は娘の存在なしには語れないのである。そんな娘と周囲の人々の日常や心境を綴った一冊。
浜ちゃん。この愛嬌のある呼び名で周囲の人から呼ばれているそうだ。いつも両親思いで、応援団思いな人柄が伝わってくる。しかしこの人柄が勝負においては命取りになることを監督やコーチが指摘している。「練習ではものすごい強さを発揮する。パワー、スタミナ、技術的にも全く問題ないどころか、ケタ外れのレスリングを見せる。間違いなく世界最強ですよ。でも、それが試合になると変わってしまって出せない。舞い上がってしまうのか、別人のようになってしまって…精神面かなぁ」というのは、富山英明氏(強化委員長)のアジア選手権直前の弁。このあと、勝利して無事北京オリンピック出場を決めるが、ここまでに至るまでのズラデバ選手との間に発生する頭突きや誤審などの問題も興味深い。
それ以外にもさまざまな登場人物が登場するが、福田富昭氏(日本レスリング協会会長)の存在が印象に残る。
女子レスリングに限らず、日本のレスリングは世界と比較しても強く、一時代を築き上げてきた。福田会長の存在によるところが大きいと思われる。女子レスリングをオリンピックの正式種目にするために20年以上駆け回り、選手の就職先のために企業をまわり、日常の喧噪からはなれて心を落ち着かせて練習させなければダメだという信念のもとに、私財を投じて新潟県十日町に女子レスリング専用の合宿所を設置した。
そんな会長の影響もあると思うが、古刹、富山県の大岩日石寺にて決意表明を行ったときにそれぞれの選手が記した言葉が記録されている。吉田沙保里選手は絶対勝つ!、また、伊調千春選手は根性と記した。そんな中、浜口選手は、『8・23美酒』という言葉を記した。文中に何度も登場するがその言葉を目標として書いたという場面がある。
浜ちゃんの両親・家族思い、周囲の人への思いが伝わってくる。優しさがいつも勝負の際に短所となり、人としては長所である。綴られている日々の苦悩は“金メダル坂”よりはるかに険しかったと想像できるが、それらを乗り越えてきた浜ちゃんの優しさがこの本を読むうえでのポイントになるかもしれない。
(金子 大)
出版元:阪急コミュニケーションズ
(掲載日:2012-10-13)
タグ:レスリング オリンピック
カテゴリ 人生
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真剣
黒澤 雄太
スポーツでは真剣なプレーによって、心が動かされる、感動するというのは多くの人が体験したことがあると思う。真剣の意味とは、それを持ったときの切れ味重さから由来するものであるとも書かれている。それら剣に関わることを記した興味深い一冊である。
本書を読み進めていくと遠山の目付、観見の目付や、二律背反する相対境など、非線形科学の本を読んでいるような感覚になってくる。バタフライエフェクトや動的平衡などを、日本の武道という視点からみた書き方をした本であるともいえる。
さまざまな人物が登場してくるが、主に山岡鉄舟を軸に構成されている。鉄舟が無刀流を開くまでに至る人との出会い、挫折が書かれている。一時ブームになった、宮本武蔵の五輪書や般若心経などが数多く登場する。その中でもスポーツに関わる人間として、心に残った一文がある。著者が澤木興道老師の言葉を引用して、「坐禅はあたかも、武士が三尺の秋水(とぎすました刀)を引き抜いて身を構えていると同様に真剣な姿である。どんな人間でも、一番尊いのは、その人が真剣になったときの姿である。どんな人間であろうと、ギリギリの真剣な姿には、一指も触れる事の出来ない厳粛なものがある。(『澤木興道聞き書き』酒井得元)」と記している。
また、「道場で真剣を持って自己と向き合うということはこういうことです」とも記している。禅問答のようになったが、文中には禅と剣との関わりも出てくる。剣禅一如という言葉で頻繁に登場する。
鉄舟は剣の道の真理がすべてありとあらゆるものに通じているということを、こう述べている。
「此法は単に剣法の極意のみならず、人間処生の万事一つも子の規定を失うべからず。此呼吸を得て以て軍陣に臨み、之を得て以て大政に参与し、之を得て以て外交に当り、之を得て以て教育宗教に施し、之を得て以て商工耕作に従事せば、往くとして善からざるはなし。是れ、余が所謂剣法の真理は万物太極の理を究むると云ふ所以なり。」
人の生きる道とは、まさしくこの通りであると考える。先達の言葉をもう一度見つめ直したい。
読み進めていくうちに、自分はなんと小さなことにとらわれているのだろうと思った。少しずつ歩むことも大切であるが、時には大きく歩みを広げなければならないことを再確認させられた。振り返って読んでいきたい本である。
(金子 大)
出版元:光文社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:武道 剣術
カテゴリ 人生
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トップアスリートの勝つコトバ
根本 真吾
ここで言われる「勝つコトバ」とは、勝負の場面に「勝つコトバ」ではなく、夢を背負い、その達成までの過程で生まれた自分に「勝つコトバ」である。
トップを経験したアスリートや指導者たちのコトバには共通点がある。皆、ポジティブだ。今何をするべきか、できることに目を向ける。悩んでも苦しんでも、それが楽しいとさえ思う。困難から逃げずに、考え方をプラスに変える。そんなポジティブなコトバを浴びていると、悩みや苦しみが小さかったものだと気づかされる。与えられている選択肢は1つ、やるしかない。前を向けば導かれる道があり、歩むべき方向が見えてくる。
ではなぜ、こんなに前向きになれるのか?その理由が著者の経験談とともに本書の中に書かれている。夢が生まれてから達成するまでの法則がわかる気がする。
(佐々木 愛)
出版元:秀和システム
(掲載日:2012-10-13)
タグ:アスリート 言葉
カテゴリ 人生
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カシタス湖の戦い エクセレンスを求めた一人の男の物語
Brad Alan Lewis 榊原 章浩
1984年ロサンゼルスオリンピックのボート競技ダブルスカル種目で金メダルを取ったブラッド・ルイスの自叙伝である。
実際にメダルを手にした競技者の軌跡は、まさに「人生を懸けた戦い」にふさわしい。もちろんそこにたどり着く道は平坦ではなかったが、怒りと勝利への貪欲さが、目標に向かって突き進む原動力になっていた。
今の日本にそれらをもっている競技者は、はたしてどれほどいるのだろうか。
(澤野 博)
出版元:東北大学出版会
(掲載日:2012-10-13)
タグ:ボート
カテゴリ 人生
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集中力
谷川 浩司
日本人は「考える力」がないと言ったのはサッカー前日本代表監督のオシムである。確かに、大学生にトレーニングを指導していても、言われたことはできるが、それ以上やる選手は少ない。ではその「考える力」を植えつけるにはどうしたらよいのだろうか?
トップ棋士である著者の谷川さんはこう語る。
「物事を推し進めていくうえで、その土台となるのは創造力でも企画力でもない。いくら創造力や企画力を働かせようとしても、道具となる知識や材料となる情報がなければ何も始まらないのだ。知識は、頭の中に貯えられた記憶の体験が土台になるのだ。つまり、創造力やアイデアの源は、頭の中の記憶の組み合わせから生まれるもので、その土台がしっかりしていなければ、良いアイデアが閃めくわけがないのだ」。
つまり、天才と呼ばれる閃きの一手は、それまでの努力や経験があるから生まれるのであって、それはゼロから生まれるものでは決してないと。谷川さんは5歳で将棋を始めて中学2年でプロになるまでに、一万時間は将棋の勉強に費やしたそうである。毎日必ず3時間、それを10年間も続けたのである。
そう言えば、オシムさんも暇さえあったらサッカーの試合を部屋で見て勉強していると聞く。どうやら「考える力」をつける特効薬などない、あるとしたら「継続すること」かもしれない。
(森下 茂)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-10-13)
タグ:将棋
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プロ野球 成功するスカウト術
牛込 惟浩
日本のプロ野球界では、1960年代から外国人選手を「助っ人」と呼ぶようになった。その頃、著者である牛込氏は大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)の球団通訳として外国人選手と関わっていたが、熱心な仕事ぶりを買われ、その後スカウトとして活躍することとなる。
プロ野球の勝負を盛り上げてくれる外国人選手は、正にチームの「助っ人」である。現在は各球団に外国人の主力選手が名を連ねているが、当時は外国人選手を獲得するためのネットワークも少なく、スカウトとして活動し始めた頃は選手の情報集めや、交渉は非常に困難だったそうだ。さらに、著者は野球の経験もなければ専門的な知識もほとんどなく、通訳とスカウト業務をする中でその知識を得ていき、人脈を広げ、選手やスタッフへの細かい気配り・心配りで信頼を得ていった。
著者は、別の仕事でアメリカに行っても、車で5~6時間程度の距離に目にかけている選手やお世話になっている人がいれば、足を運んで先方に会いに行ったという。これは1つの例だが、こういった努力が身を結んで、数々の名選手を球団の助っ人として獲得し、結果を残してきた。
どの職業でも、よい仕事をして結果につなげるには相手への気配りや身を削ってでも相手のために動く積極性、何より熱意が必要になる。本書はこれらの大切さを教えてくれる。
日本のスポーツ界で、トップレベルの「勝負の世界」の舞台裏を支えた著者の経験や思想を、われわれも仕事で活かすことができれば、結果につなげるための財産となるだろう。
(山村 聡)
出版元:宝島社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:野球 スカウト
カテゴリ 人生
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迷ったときこそ、続けなさい! 続けることで得られる力
坪田 信義 根本 真吾
仕事とは何か、どういう意味を持つのか、仕事を続けるかどうか迷ったときにどうするのがよいのか。そういった疑問に対して、野球のグラブをつくり続けてきた名人(坪田氏)から、根本氏が聞き手として話を引き出してまとめた本である。根本氏は、かつて名人と一緒に働き、グラブを修理・実演製作しながら全米を回った経験がある。
たとえ目の前にある仕事が面倒であったり、苦しいものであっても、それを楽しめるような工夫を重ねながら続けることがポイントであるようだ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:クロスメディア・パブリッシング
(掲載日:2010-03-10)
タグ:仕事
カテゴリ 人生
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わたしが冒険について語るなら
三浦 雄一郎
私にとっての最近の冒険
医学部では上級生になると臨床実習(Bed Side Learning:BSL)で学ぶことに多くの時間が費やされるようになる。BSLに出る前には全国の医学部で共通して用いられる“共用試験”に合格する必要がある。これは臨床前教育の成果を、コンピューターを利用した試験(Computer Based Testing:CBT)と、客観的臨床能力試験(Objective Structured Clinical Examination:OSCE:通称・オスキー)で計るもので、進級(留年)がかかった非常にプレッシャーのかかる試験である。
CBTは、多くの試験がそうであるように“問われたことについて答える”という形態のものである。ところがオスキーでは、学生が医師役となって模擬患者を診察室に呼び入れ、医療面接(問診)したり身体所見(検査:視診・聴診・触診・打診など)をとったりと、これまでとは逆の立場に身をおいた振舞いをしなければならなくなるのである。教わったことについて“聞かれたら答える”というのは難しいようでいて案外簡単なものである。それに比べ“自ら問いかけ、相手の状況を正確に聞きだす”というのは難しい。ぺーパー試験では優秀な成績を修める学生が、オスキーではしどろもどろになったりすることがしばしば起こる。
実は先般のオスキーでこの模擬患者役を仰せつかり、サトウタロウさん(仮名)となって、「うぅぅ、背中から腰にかけて痛いんです、先生、うぅう」などとやった経験が私にとっては大変な冒険だったので早速誰かに話したくなった次第である。
だいたいはベテランのボランティアが模擬患者になるのだが、ほとんどの方が学生との面識はないはずである。そんな中で、グラウンドや体育館でしょっちゅう顔を合わせている私などがヌッと現れる(学生は誰が模擬患者なのか知らされていない)のだから面食らったに違いない。全員そろって4月からBSLに無事出られることを祈るばかりである。
命を懸けてついて行く
さて本書の著者、三浦雄一郎は言わずと知れた大冒険家である。業績を挙げればきりがないが、富士山直滑降、世界七大陸最高峰でのスキー滑降、父(100歳)・子どもたち・孫たち(1歳と5歳)とともに4世代でロッキー山脈をスキー滑降、エベレスト登頂の最年長男性(75歳7カ月)としてギネスに認定され、77歳になる現在は「『80(歳)でそんなことができるのか?』ってことに挑戦してやろう」ということでエベレスト登頂を目指しているという、なんともはやスゴい方なのである。 やはり“オヤジの背中”を見て育ったことが大きく影響しているようだ。100歳でロッキー山脈をスキーで滑った父・敬三は、雄一郎が少年だったころ頻繁にスキーや山行に同行させている。当時のスキー場は交通の便がよいわけはなく、ゴンドラもリフトも現在のように整備されていないから「山中を歩いてはスキーで滑る」わけだ。もとより野遊びが好きな雄一郎少年ではあったが「いっしょに歩いているのは大人たちばかり」の山行では「その群をはずれたら死んでしまう」とばかり、文字通り必死についていかなければならない。普段は「物静かであまりしゃべらない」が、ここぞというときには「口を開いてキッパリと自分の考えを述べ」護るべきものを護ってくれる父の背中を見ながら命を懸けてついて行く。そして今、自身の背中を皆に見せ、先頭を駆け続けているのである。
誰もが冒険し、次世代に背中を見せる
「はじめて行くところはどんなところでもドキドキするものです。そこにふみこんで行くことが、冒険の原点なのです」
少し拡大して解釈すれば、初めての立場やいつもとは違う立場に立って考えてみること、振舞ってみることも、1つの“冒険”にほかならない。
誰もが、先達の背中を見て育った命をここに生き、次世代に背中を見せつつ歩み続けている。ただ1つ懸念することは、果たして子どもたち、学生たちに見せるだけの背中があるのか…。自問を繰り返す日々である。
(板井 美浩)
出版元:ポプラ社
(掲載日:2010-04-10)
タグ:冒険
カテゴリ 人生
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生き残る技術 無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意
小西 浩文
酸素なしで8,000m超の山を登っていく。そんな生存の限界のような世界で挑戦しているのが著者の小西氏である。本書はビジネスマン向けのシリーズでもあり、仕事でどのような考え方をすることが必要になるかのヒント、という形で書かれているが、これはそのままスポーツにもあてはまる。
大自然の中、人間の生命はときに無力である。多くの仲間の死という重いものを身近に経験しながら、それでも生きて挑戦していく。小西氏は、常に状況を正確に把握し、自分が行うべきことは何かがはっきりと見えている状況で、チャレンジすべきときにチャレンジするためには直感も働かせているという。
読み手それぞれが、自らの「困難」に立ち向かい、限界を超えていくために何が必要なのか、道しるべとなってくれる一冊である。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:講談社
(掲載日:2010-05-10)
タグ:登山
カテゴリ 人生
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不屈の「心体」 なぜ闘い続けるのか
大畑 大介
過酷な競技、ラグビー
トップアスリートはいつしかその華やかな舞台から降りるときがやってくる。まだ続ける力を十分に残しながら新たな人生を始める人あり、衰える身体に折り合いをつけながら続ける人あり、あるいは満身創痍になっても続ける人あり。続ける機会を奪われる多くの人を除けば、自分で進退を決めるその判断に是非はない。当人の価値観なのだから周囲があれこれ口を挟むことではないだろう。このトップレベルに名を連ねる期間は、競技によって大きく異なる。もちろん、同じ競技でもポジションによっても大きく異なる。そして多くの競技の中でもラグビー選手としてトップであり続けることは、他競技に比べて肉体的にずっと過酷だといっていいだろう。
本書は自他ともに認める現在「日本で最も有名なラグビー選手」大畑大介氏の半生記である。2007フランスワールドカップの8カ月前に右アキレス腱を断裂し、懸命のリハビリにより復帰。本戦を2週間後に控えた調整試合でまさかの左アキレス腱断裂という悲劇に見舞われた選手である。スピードスターとしては致命的とも言える両アキレス腱断裂。しかし物語は終わらない。彼はトップリーグに復帰してきたのである。
フィールドに立ち続ける
本書でも描写されている彼の復帰戦を、私は長居スタジアムで観戦していた。インターセプトからトライを奪った復活を印象づけるシーンでは、持ち前の加速感は本来の姿を失っていた。しかし、「やっぱり何か持っとるな」と多くの人が思ったはずだ。ただそれよりもディフェンスを中心とした、どろくさいチーム貢献プレーが印象に残った人も多かったのではないか。そのあたりは、本書の内容からも間違いなさそうである。スピードスターがその持ち味を失ったとき、舞台に背を向ける人は多いだろう。しかし自分の持ち味が失われていくことに抗い、それと同時に足りないスキルを向上し、総合力でチームからの信頼を失わずフィールドに立ち続ける。個人的にはそのようなアスリートに強く惹かれる。 決して恵まれた体格ではなく、学生時代も決して王道を進んできたわけではない。その彼が度重なる逆境を乗り越えてきたのは、「超」ポジティブな性格ならではだろう。本書全編を通じてそれがビリビリ伝わり、感動的ですらある。もちろん先述のアキレス腱断裂や、あるいは一章を割いている「ノックオン事件」なるモノに関しては本人が描写している以上にたたきのめされたはずだ。ノックオンとはラグビーのプレー中にボールを前方に落とすことで、この「ノックオン事件」は、重要な局面での信じられないノックオンにまつわる話である。
その失敗そのものより、それが起こるに至る自分の取り組み方をひどく責めている。超ポジティブ男をして「消えたい」と言わしめる落ち込みはそんな内省から起こるのだ。詳細は本書を見ていただくとして、そこからの立ち直りは文章で表せるほど生やさしいモノではなかったはずだ。いずれにせよ、スーパースターの名を借りてあれこれ指南するノウハウ本より、俺はこう生きてきたんだとただ語るもののほうが格好よく、胸に響く説得力がある。
アキレス腱断裂によりワールドカップ出場を逃した翌年の2008年度シーズンにトップリーグに復帰した彼は、シーズン中に肩甲骨を骨折し手術を受けている。しかし2009年度には公式戦13試合中8試合に出場し、今年も現役を続行している。満身創痍の彼が活躍する姿も見たい反面、若手選手がすっぱり引導を渡してもらいたいとも思う。今シーズンはそこにも注目してトップリーグを楽しみたい。
(山根 太治)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2010-07-10)
タグ:ラグビー
カテゴリ 人生
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わたしが冒険について語るなら
三浦 雄一郎
「だれもやったことがないことそれが冒険なんです」とアドベンチャーの第一人者である三浦雄一郎氏は語る。一般的に冒険とは、「危険な状態になることを承知の上で、あえて行うこと。成功するかどうか成否が確かでないことを、あえてやってみること」という意味がある。著者は、だれもやったことがないことに挑戦し、自らを高めてきた。1962年(30歳)にはアメリカ・プロスキーレースで活躍し、その後も様々な世界記録を樹立している。2004年には、著者71歳、父である三浦敬三氏100歳、子どもたち、および孫の100歳から1歳の四世代で、アメリカのロッキー山脈をスキー滑降した。また、2008年の75歳の時には2度目のエベレスト(8848m)に登頂し、ギネス・ワールドレコード社より「世界最高峰エベレストに登った最年長男性」として認定されている。
この本は、思春期に入る小学校高学年から中学生くらいまでの子どもたち=未来のおとなのために、冒険家の著者が自らの幼少期から現在に至るまでの経験や体験をもとに冒険についての様々なメッセージを語っている。
さまざまな情報があふれ、バーチャルな情報だけで経験した気分になってしまうような現代社会において、未来のおとなだけではなく、今のおとなにとっても実際に冒険や新たな挑戦をしてみたくなるような、そんな前向きな気持ちにさせてくれる1冊である。
(正木 瞳)
出版元:ポプラ社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:冒険
カテゴリ 人生
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意地を通せば夢は叶う bjリーグの奇跡
河内 敏光
何かを始めようとしたとき、必ず応援してくれる人がいる。同時にその試みを快く思わない人たちも必ずいる。体制が長年変化のないところではなおさらである。
本書ではbjリーグコミッショナー河内氏のリーグ開幕を迎えるまでの舞台裏が惜しみなく書かれている。スポーツのプロリーグ化という枠を超え、地域の活性化、そして新たな市場開拓を目標にした壮大なプロジェクトであるがゆえに、いくつもの壁が立ちはだかる。挫折してしまいそうな状況が次々と現れる中、それでも1つずつ問題を解決していく。
その根底には「どうしたらできるのか?」という考えがあり、それを愚直に追及している河内氏。どんな問題が表れようと妥協しない姿勢に強さを感じ、そして勇気をもらえる。
夢に向かっているもの、これからチャレンジしようと思っているものは間違いなく元気をもらえる一冊である。「出る杭は打たれる」という言葉があるが、出すぎてしまえば打つほうもあきらめるのかもしれない。
(磯谷 貴之)
出版元:東洋経済新報社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:バスケットボール マネジメント
カテゴリ 人生
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失敗学事件簿 あの失敗から何を学ぶか
畑村 洋太郎
「失敗学」という少し聞きなれない言葉がある。
人は失敗に対しネガティブなイメージを持ち、そしてできる限り失敗を回避しようとする。それがゆえに失敗を「悪」とし、目を背け、時間と共にその失敗を忘れる。そしてまた失敗を繰り返すという悪循環に陥る。
それに対し、失敗を直視し、積極的に学ぶことで新たな知識が得られ、不必要な失敗を減らし、創造につなげられるというものが「失敗学」である。要は「失敗は成功のもと」を証明する分野である。
本書では実際に起こった事故や事件の失敗例をまとめ、その原因を検証している。事故や事件を「負の遺産」として風化させるのではなく、未来に向けて活かしていかなくてはならないと筆者は述べている。
・許される失敗と許されない失敗
・失敗は誰にでも起こる、失敗しない人間はいない
・失敗に対し「責任追及」する組織と「原因究明」する組織の明暗
・大きな失敗の裏には必ず小さな失敗が30近くはあり、さらにその裏にはより小さな失敗が300はある。(ハインリッヒの法則 1:29:300)
・20~30年周期に大きな失敗が起こる
・優れたリーダーは失敗の元となる脈路を探り(=逆演算)、これから起こりうるリスクをイメージできる(=仮想演習)人物である。
・慣れが失敗を招く
・マニュアル通りのことだけ、自分のことだけ、目の前のことだけしか見えてない人間が大きな失敗を招く
など、本書では失敗という事実からさまざまな教訓を提示してくれている。また、筆者自身が現場に出向き、現物をその目で確認し、対象となる人(=現人)に直接話を聞くという「三現主義」をモットーとしているため、非常にリアルな内容を感じることができる。
「失敗しないように行動することが一番の失敗だ」「失敗なんてない。この方法ではうまくいかないという発見だ」失敗に対しての捉え方が変わるだけでなく、人生の考え方も変えてくれる、元気を与えてくれる作品である。
(磯谷 貴之)
出版元:小学館
(掲載日:2012-10-14)
タグ:失敗
カテゴリ 人生
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インベストメントハードラー
為末 大
為末 大。
言わずと知れた、400mハードルの選手。世界大会において、トラック種目で日本で初めて2つのメダルを獲得した、プロの陸上選手である。
今まで読んできたスポーツ選手の著書は、その選手がスポーツを行う上で特化している能力についてスポットを当てて書かれたものが多かった。しかし、この本の帯には大きく「為末大」と書かれた横に、「初期投資30万円が現在2000万円に増えた話」と書かれていた。そしてインベストメントの意味は、「投資」である。
本の題名と帯のコメントから推測すると、プロの陸上選手である為末大が投資で儲けた話について書かれたと予想されるが、読み進めていくと全く違う内容であった。
なぜ、投資を始めたのか。投資とはどういうものなのか。為末選手が陸上競技を通して経験してきたことや、確固たる人生哲学に基づいた投資の話は、お金の話だけにとどまらずとても興味深い。多角的で広い視野を持つこと、興味や疑問を紐解いていくこと、プロだからこそのお金の捉え方など、世界を舞台に戦うアスリートのみならず意識していきたいこと多々である。
(石郷岡 真巳)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:陸上競技 投資
カテゴリ 人生
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素晴らしき日本野球
長谷川 滋利
近年、多くの日本人プロ野球選手たちが米・メジャーリーグで活躍し好成績を残している。本作は元メジャーリーガーの1人である長谷川氏が書き下ろした1冊である。ワールドベースボールクラシック(WBC)の開催などもあり、野球への関心が増している昨今であるが日本野球界、米・メジャーリーグをともに経験した著者による一味違った野球界の見方ができるものになっている。
プレーオフの導入についてもメジャーと日本野球との相違点から長短所について解説され、フリーエージェント(FA)やドラフトの制度、問題点なども米・メジャーリーグと対比させながら述べられている。
現代では米・メジャーリーグと日本野球は切っても切れない関係であり、日本野球がさらなる発展を遂げるために日本野球の素晴らしさや問題点の理解を深めるには有効なツールとなるだろう。
(池田 健一)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:野球
カテゴリ 人生
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投球論
川口 和久
元プロ野球選手として活躍した著者が、その現役時代について実際の結果から自身を分析し論を進めている。コーチや監督などとの出会いから投手として変わっていく様子が映し出され、そこには表舞台からは見ることのできないさまざまな苦労や努力が感じられる。同時に当時の心境も語られており、豪快な部分と繊細な部分を表している。
また、広島カープから読売巨人へと移籍を経験し、練習法や選手育成など双方の球団の特徴と異なる点なども語られており、興味深い内容であった。
現役時代の川口氏は三振かホームランかをかけて勝負を挑むような投手としての醍醐味があり、ファンとしては最も面白い投球であったと思う。当書をきっかけに川口氏のような投手が今後のプロ野球に生まれ、活躍することを期待したい。
(池田 健一)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:野球 指導
カテゴリ 人生
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スポーツ障害から生き方を学ぶ
杉野 昭博
「自分のやるべきこと」
もう10年近く前になる。全国高校ラグビー大会3回戦、ある高校のキャプテンが膝の靭帯を完全断裂した。徒手テストだけでも以降の試合への出場は絶望的だった。病院での検査後、そのチームのトレーナーは涙を流す彼を真っ直ぐ見つめこう言ったという。「自分のやるべきこと、わかってるやろな」。彼は言われるまでもないと力強く頷いた。2回戦ですでにエースプレイヤーを骨折で欠いていたそのチームは、次の準々決勝で昇華したといってよい状態に高まった。そして、その大会でのスーパースターを擁する優勝候補校を制したのだ。この試合では、チームに何かが起こっていた。それはこのキャプテンを中心に1年を通じて育まれてきたことだった。
本書では、スポーツ障害を医学的に見るのではなく、心理的側面や社会環境的側面から捉え、とくにケガが治らない選手に役立つべく行われた研究をまとめてある。全体として焦点が絞れておらず、研究の方向性も曖昧で、まとまりの悪い感じは否めない。しかし、ここに集められた断片を目にするだけでも、指導者やトレーナーなどスポーツに関わる人にはさまざまな気づきをもたらすだろう。スポーツ障害(傷害)の定義1つとっても、「努力して獲得してきたものが、できなくなる感覚」や「今まで当たり前にできていたことができなくなるという経験」とすれば、スポーツ障害により選手は身体のみならず心理的にも社会的にも傷つけられていることを簡潔に表すことが確かにできる。
生々しい言葉
冒頭から、選手や指導者がケガという経験をどう捉えているかを聞き取り調査した内容が続く。インタビュー内容をそのまま文章にしているので、その拙い言葉が生々しさを増している。「ピッチングマシンのボールが頭を直撃し、血を流して倒れているところに顧問の先生がきて、最初に発した第一声が『ええかげんにせえよ!』で、普段あまり怒らない先生にかなり怒鳴りつけられました」といった自分のために選手を怒る指導者の話や、「全員がよい指導者になれるような指導をしようと」「ケガをした人間にも誰にでも役割があるというチームマネジメント」を目指す指導者の話。ドクターも含む一般的な「スポーツ障害の専門家はしばしば「このまま競技を続けると日常生活でも取り返しのつかないことになるぞ」と言って、試合に出たがる選手を叱責することがある」「こうした考え方には、ケガ人は競技に参加すべきでないという『排除の理論』へと転化する危険がともなっている」との指摘もされている。
また、北海道浦河町にあるという精神障害者の社会復帰事業所「べてるの家」の取り組みからスポーツ障害を考え、「ケガによって、どんなに思い通りに競技ができなかったとしても、競技を続ける工夫をしなさい、あるいは、競技を通じた人間関係を持ち続けなさいというのが、スポーツ障害における『右下がりの生き方』であり、『降りていく人生』だ」との表現もみられる。
トレーナーというピース
全編を通じて、ある存在がそばにいれば、選手本人も、指導者も、チームも多少なりとも変わったのではないかとずっと感じていた。アスレティックトレーナーという存在だ。そのトレーナーによるコメントもいくつかみられるが、さまざまな問題が山積する環境で心あるトレーナーというスポーツ傷害の専門家がどのように取り組んでいるのかということについて本編のどこにも触れられていない。非常に残念である。トレーナーの普及度や認知度の低さあるいはレベルのばらつきも問題なのだろう。「ケガによって孤立してしまった選手がいて、その選手がチームを去らなければならないとしたら、それはケガのせいではなくて、おそらく、レギュラーも含めて、そのチームに居場所がある選手は、最初からほとんどいないのではないか」との考えも紹介されているが、チームの中で障害について普段から選手の自覚を促すべく教育し、その発生を最大努力で予防せんとし、発生してしまった後も選手が心身ともによりよい状態に向かうべく、ともに歩むトレーナーは、チームの中での負傷者の立ち位置を明確にする上でも重要な役回りを担っているはずだ。スポーツ傷害による挫折からトレーナーを目指す人も多く、「ケガした人にしかわからんことも体験できた」トレーナーも多い。トレーナーというピースを組み込むことで、選手の傷害に対する考え方や取り組みは大きく変わるはずなのである。
冒頭の高校ラグビーチームは準々決勝で勝利したとはいえ、大小取り混ぜてほとんどの選手が負傷しており、満身創痍という表現は大げさではなかった。中心選手の一人は足関節に中等度の捻挫を負ったが、準決勝の出場を強く希望していた。「選手の悪あがきやじたばたすること」につきあうのもトレーナーの仕事である。そのトレーナーはできる限りのことを施し、彼は準決勝の舞台に立った。どの選手もボロボロの身体で懸命にプレーするが、少しずつ点差を引き離される展開だった。彼は試合終了間際に相手選手を引きずるように強引にボールを持ち込み意地のトライを挙げた。
ラグビーのような競技で選手は常に傷害と隣り合わせでプレーしている。社会人ともなれば手術跡も生々しい選手が少なくない。例に挙げた2人も大学から社会人ラグビーまでキャリアを積んで引退した。そのキャプテンは今、社会人チームの指導者にまでなっている。彼らは右下がりでも右上がりでもなく、ただ前を向いて進んでいたのだと思う。あのときのトレーナーの言葉も、選手たちが常日頃から自らの心身に対する心構えをつくっていたからこそ出たものだ。そして厳しい教育をする一方では、折れた骨を、切れた靱帯を、どうにかつないでやれないものかとの想いで選手たちに向き合っていたからこそ伝わるものもあったのだろう。スポーツにコミットするすべての人々にそのような存在がそばにいることを願うばかりである。
(山根 太治)
出版元:生活書院
(掲載日:2010-11-10)
タグ:ケガ 教育
カテゴリ 人生
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フルスイング
高山 信人
高山豪人さんを知っている人は、ほとんどいないだろう。
プロ野球選手を夢見る彼は、24歳という若さで交通事故によってその生涯を閉じる。そんな彼の野球人生を、父親である高山信人氏が綴った。
著者は最後に日本の野球界に対する率直な思いを書いている。そんな中で、指導者についてこう言う。
「タイムリーエラーやチャンスで三振した選手を頭ごなしに叱るシニアの監督も大勢いたが、その監督は自分のための試合をしているのであって子供のための試合をしていないと感じた」
残念ながら、このような指導者は野球に限らず日本全国に大勢いる。私自身、指導者の端くれとして考えさせられる言葉である。
筑波大学サッカー部監督の風間八宏氏は、指導者とは何か? こんな風に言っている。
「子供が自分の道を自分で選んでいけるように環境をつくってあげるのが指導者です。子供たちの才能を引き出すことが重要であって、指導者が思ったことを子供たちにやらせることが重要なのではない」
ある一人の無名な青年の人生を綴った本である。しかし、そこから考えさせられることはあまりにも多い。人は、いつかは死ぬ。豪人さんのように唐突に夢を終えなければならないこともある。
だから思うのである。
「たかが、野球。されど、野球」
目の前のことに全力を尽くすことの大切さを。
(森下 茂)
出版元:碧天舎
(掲載日:2012-10-16)
タグ:野球
カテゴリ 人生
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それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
高橋 豊
本書は、高校生の時にラグビーの試合で頸椎脱臼・頸髄損傷の大ケガを負って両上肢と両下肢の機能を失い、その後高校復学、医学部入学を経て、現在は精神科医として電動車椅子で診療を行う流王雄太さんについて書かれたものである。
「それでも、前へ」――15歳で四肢の自由を全て失い、自分で動くこともままならない重度の身体障がい者であるにもかかわらず、彼にはこの言葉がとてもよく似合う。とにかくポジティブで、前へ進もうとする姿勢が伝わってくる。一般高校への復学から、2度の大学受験、そして医師へ。身体は動かなくても、心は動く。旺盛な好奇心と、それを支える積極的な行動力と努力。手も足も動かせる自分が負けてはいられないと、こちらが勇気づけられた。
本書を読み終えた後に、車椅子のプロテニスプレーヤー国枝慎吾選手が17年ぶりに自分の足で立ったというニュースをみた。アメリカで脊髄損傷からの回復に関して専門の勉強をしてきた方が、日本に帰国して開業されたとのこと。流王さんをはじめ、このような方々の活躍により、健常者と障がい者が同じように夢と希望を持てる世の中になることを、願ってやまない。
(石郷岡 真巳)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:リハビリテーション
カテゴリ 人生
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克つための弓道 的に克つ、己に克つ
村川 平治
弓道の一連の流れ(弓を持ってたち、矢を放った後まで)である射法八節が写真つきで解説されている。
足踏みから残心まで8つのphaseからなっている射法八節。自分の動作がおかしいと思ったらその前の節に戻る、八節の後半の動きがおかしい場合は八節の前半に戻ることを著者は勧めている。それぞれの型に名前はあるものの、あくまでも一続きの動作であり、心技体の「技」の部分である。
著者の父が弓道家ということで、著者である村川平治氏の幼少期は弓道が身近に感じられる生活だった。「昨日当たって、翌日当たらないのはなぜか」や「日常の練習は試合のつもりで」といった心技体の「心」の部分にせまる記述や「試合数日前から直前の練習法」という「体」の部分は他の競技選手が読んでも参考になる。
また、弓具(弓、矢、弦)の性質や選び方、調整のアドバイスが写真つきで丁寧に解説されている。
(1997年の)弓道界の現状として中学体育連盟に弓道が加盟していないことで、中学校に弓道部が少なく、弓道部員も中体連に参加できない。そして弓道を高校や大学でやってきていても、社会人になってから弓道場がないことや公営の弓道場の使用時間などの関係で競技の継続が難しいとのこと。
著者は「本当に強くなりたいのなら、外にも目を向け、いろいろな人の射を見て、取り入れて行った方がいい」と語っている。弓道のプロ化を願っている著者の言葉はひょっとしたら以下のように解釈できるのかもしれない。“本当に弓道を普及させたいのなら、他の競技にも目を向け、いろいろな競技のシステムを見て、取り入れて行った方がいい”(あくまでも想像だが)
自分の道場を持ちたい。自分なりの「村川流」をつくりたい。著者の自分の夢への強い気持ちを表す言葉でしめくくられている一冊。
(大塚 健吾)
出版元:ベ-スボ-ル・マガジン社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:弓道
カテゴリ 人生
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ゆっくりあきらめずに夢をかなえる方法
桧野 真奈美
短大の卒業を前に、区切りとなるような「これをやった」というものがほしかったーーふとしたきっかけで新人発掘テストを受けてみた。これがすべてのスタート地点となり、日本代表として世界で戦うことになる。この本には、そこに至る過程と、悔しさや楽しさがつまっている。
そもそも陸上競技で膝を痛めていたため、手術を受け、リハビリテーションという辛い日々から始まり、スポンサー獲得の苦労、コーチングを受ける大変さが描かれている。そして上達していくというスポーツが本質的に持つ楽しさに触れ、真剣に競技に打ち込むようになるという成長の様子もうかがえる。夢をかなえるために必要な明るさや工夫、タフさ、あきらめの悪さは普通ではない。ボブスレーに限らず、さまざまな分野でこの姿勢を見習うことができる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:ボブスレー リハビリテーション
カテゴリ 人生
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生涯現役 いつまでも動ける体と心の作り方
杉原 輝雄
杉原輝雄、73歳。現役最年長プロゴルファー。このような肩書きをもつ杉原氏が、心身の健康を保つ秘訣を余すところなく著した一冊。
「人生には、そのときそのときでやらなアカンことがある。思っているだけでは何も始まらん。やりたいと思ったことは明日ではなく今やる。それをやらないでいて後になって後悔するということは、人生において、それほどもったいないことはない」という言葉は杉原氏の生き方をよく表している。
(村田 祐樹)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-10-16)
タグ:ゴルフ
カテゴリ 人生
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逆風満帆
朝日新聞be編集部
本書は、第1章「頂点からの転落、そのとき自分は…」、第2章「挫折の中から自分の可能性を切り拓く」、第3章「逆風あればこそ見えてくるものがある」、第4章「たゆまぬ努力と職人魂で1つ上をめざす」、第5章「逆境でも自分を貫く強さが人を惹きつける」によって構成され、各分野で活躍する20名の人物が登場する。
私たちは活躍する人物を見ると、順風満帆に人生を歩んでいるように見える。しかし実際には、外からは見えない陰の努力やさまざまな思いが存在する。さまざまな苦難に遭遇しながらも、その過程で前向きに取り組むことで状況を打開しているのである。見ているようで見えていなかったことや、気づかないでいたことを本書から感じ取れる。そして、多様な角度からものごとを見ることで、スポーツに関わる私たちにも多くのヒントを得ることができるだろう。
本書のあとがきには、次の1文でまとめられている。「ほんとうに大きな困難を克服して今の地位に辿り着いた人たちは、実に冷静に自分を分析していました。自分の失敗や逆境を見つめ直して、他人に率直に語れる人というのは、やはり一流の人だと実感しています」ということである。本書は、謙虚な姿勢や心が大事であり、それが後になって、自分自身に返ってくることを教えてくれる。
(辻本 和広)
出版元:明治書院
(掲載日:2012-10-16)
タグ:アスリートの言葉
カテゴリ 人生
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チェアウォーカーという生き方
松上 京子
「チェア(椅子)」「ウォーカー(歩く人)」初めて聞く言葉ですが筆者の作った造語のようです。車椅子に乗る身体障害者ということですが、どことなく軽快な印象があります。本書は25歳のときバイク事故で両足が不自由になったひとりの女性の生き様がありのままにつづられています。
突然襲いかかった耐え難い現実を、葛藤の中で素直に受け入れ、そこから自分の価値を見いだし積極的な生き方で自らの幸せを拓いていく様が描かれています。
バリアフリーという言葉は近年になって耳にする機会が増えましたが、段差をなくすことや手すりをつけるなど物理的な物だけではなく、同じ社会に生きる人の手伝おうとする気持ちや共に楽しく過ごそうとする精神にこそ真のバリアフリーだという問題提起がここにあります。 海外におけるバリアフリーということに対する個々の意識については考えさせられます。「手伝ってほしい」「手伝いたい」お互いにそんな気持ちはあっても現実には口にして実行することに気恥ずかしさを感じたり気後れしたりすることも多いはずです。障害者側は出来ることと出来ないこと、さらには手伝ってほしいことを明確に告げた上で積極的に社会参加すれば生き方も拓けていくことを示し、また同じ社会に生きる人がどのように障害者に接したらお互いに気持ちよく手助けできるかのヒントも筆者の体験談から教えてくれます。
本当のバリアフリーとは何か? ともすれば暗くなりがちな話題を力強く明るく展開していく内容には心惹かれるものがあり、読むにつれて勇気がわいてくるようです。それが筆者の人間としての魅力なのだと思います。
理屈ではなく心で読んでみたい・・・。そんな素敵な一冊です。
(辻田 浩志)
出版元:小学館
(掲載日:2012-10-16)
タグ:障害者
カテゴリ 人生
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名波 浩 泥まみれのナンバー10
平山 譲
名波浩、静岡県藤枝市出身のサッカー選手、ポジションはミッドフィールダー。Jリーグのジュビロ磐田、セレッソ大阪、東京ヴェルディ、イタリア・セリエAのACヴェネツィアでプレーし、Jリーグベストイレブンを4度受賞している。日本代表としても、背番号10を背負い、1998年のフランスW杯に出場した経験を持つ。
この本は、彼の幼少期からフランスW杯までの歩みを、本人だけでなく両親や少年団、中学校、高校の恩師をはじめ、多くの人のインタビューをもとに描いている。小さい頃から本当にサッカーが好きで、サッカーにかける思い、努力は人一倍だった。そんな彼がチーム全体を見渡し、自分の能力を考えて解釈した自分の役割はアシスタント。「僕自身が目立たなくてもいいんです。自分のことを人を輝かせるためにプレーヤーだと思っていますから」その役割を果たすための徹底ぶりは、筆者が書いた各試合のレビューを読んでもわかる。
本の後半に出てくるW杯予選は、彼にとって非常に大きな試練だった。強行スケジュール、10番というプレッシャー、マスコミからのストレスが重なり、疲弊してサッカーを楽しむことができなくなっていた。そのとき、学生時代の恩師が名波選手に送ったファックスには、「人生の最高の時、苦しい時、厳しい時。力を発揮できるのが日本男児。正面から戦え。自分を信じて、仲間を信じて」と力強く書いてあったという。見てくれる人は見てくれている。そのような存在が、彼が人生を進む上でかけがえのない支えとなったに違いない。
仲間を支えることに楽しみを感じた彼のサッカー人生。与えることに全力を尽くしたからこそ、自然と周りからも与えられる。プロフェッショナルとはそういう存在なのだろうと、この本を読んで感じた。
(服部 紗都子)
出版元:TOKYO FM出版
(掲載日:2012-11-28)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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命をかけた最終ピリオド ガンとアイスバックスと高橋健次
国府 秀紀 石黒 謙吾
職業のことを、とくに天職とか使命とかの意味合いでの職業を英語で「コーリング」と言うようだ。
私はずっと勘違いしていた。「自分がしたいこと」を基準に仕事を探し、「自分の好きなことを職業としている」ことが「天職」なんだと。しかし、そうではないことに最近やっと気がついた。「自分」が先にあって、職業があるのではなく誰かから「呼ばれること」が、その人にとっての使命なんだと。
まさに「他人の求め」に応えるかたち、そう使命を果たそうとするのが、この本の主人公である、高橋健次だ。1999年7月、創部73年の古豪古河電工アイスホッケー部が不況のあおりをうけ廃部の危機を迎える。そこで、選手が救いを求めたのが地元日光市でレンタカー業やゴルフ練習場、居酒屋などを営む実業家の高橋健次だ。自他ともに認める“アイスホッケー狂”だ。
「どうにかならないものか」という、選手からの相談を受けた日から、部存続のための資金集めが始まる。選手が相談に来てから、15日目、ついに日本初となるアイスホッケー界の市民クラブが誕生した。しかし、市民クラブとしてなんとか2年目を迎えようとした時、高橋が余命1年のガンであることが宣告される。続けざまに訪れる不運にもかかわらず、高橋は「夢は力なり」と言い、「人を喜ばすことが俺の夢なのかもしれない」と語る。
著書の構成を担当している石黒謙吾は(あとがきにかえて)の中で、「相手の気持ちになったらぁ」という栃木訛りの高橋の言葉を取材中に何度聞いたかわからないと言う。
「相手の気持ちを考えなさい」小学生の頃、先生や親によく言われた。「自分」の目線ではなく、「相手」の目線で物事を考えられること。しかし、この当たり前のことができる「大人」はそう多くはない。いや、それができる人を「大人」というのだ。自分ひとりでは、何もできないことを理解し、だから家族や仲間を人一倍大切にした高橋健次という男。そんな、「大人」の魅力ある物語、「自分がしたいこと」を基準に就活している若者に読んでもらいたい。
(森下 茂)
出版元:角川書店
(掲載日:2013-01-17)
タグ:アイスホッケー チーム
カテゴリ 人生
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オリンピックに賭けた人生 ゴールドメダリストへの夢
三宅 義信
日本の夏季オリンピックでの金メダル獲得数は、団体を含めて、1928年のアルスデルダムから2012年のロンドンオリンピックまでで300個になる。いかに金メダリストになることが困難なことかがわかる数字だろう。並外れた”才能”を持った者でしか辿り着くことのできない名誉である。だからこそ大衆は、彼らに熱狂しもっと知りたいと思う。
本書は、重量挙げで2大会連続オリンピック金メダルを獲得した三宅義信氏の半生がまとめられた本だ。どのような家で生まれ育ち、競技を始めたきっかけから、練習メソッドまでが詳細に綴られている。そこから三宅選の強さの秘訣は、恵まれた体型や才能だけでなく他選手をよせつけない圧倒的な質と量を誇る練習にあることがわかる。たとえば、他の選手たちが1日当たり100トンほどしか重量を挙げないところを、三宅選手は5倍もやる。減量方法からコンディショニングも、自分で色々な方法を試し、最良の方法を探し出す。自ら積極的にコーチを探して教えを乞いに行く。徹底して心身を鍛え抜いたという自信が、本番の実力発揮につながっているのだった。
重量挙げは、世界の力自慢が集まって行うシンプルな競技のようにみえるが、選手間の心理戦も競技に多大な影響を及ぼすのだそうだ。競技者自らが語った、オリンピックでの選手同士の駆け引きの描写はリアルで引き込まれる。数々の写真とともに(三宅氏が重量挙げ選手として成熟していく過程を視覚的に捉えられてこれがなによりも面白い!)、重量挙げという競技、そして金メダリストの人生や哲学の奥深さに触れられる貴重な読書体験になった。
(清水 美奈)
出版元:ジアース教育新社
(掲載日:2013-04-03)
タグ:ウェイトリフティング オリンピック
カテゴリ 人生
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ワーク・シフト 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
リンダ・グラットン 池村 千
2025年の近未来に関して、5要因32現象を踏まえていくつかのストーリー(シナリオ)でわかりやすく書いてある400ページほどの良書。ページ数の割に、比較的読みやすく、内容も理解しやすい。
テクノロジーの進化、グローバル化の進化、人口構成の変化と長寿化、社会の変化、エネルギー・環境問題の深刻化により、私たちの働き方の未来が変化しており、これまでの価値観が通用しなくなってきた。また、今起こりつつある変化に対し、働き方を「シフト」する必要があり、3つのシフトを意識的に実践しなくてはならないと書かれている。
その3つとは、
1. ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ。つまり、広く浅い知識ではなく、高度な専門技術を身につけ、さらに複数の専門分野に習熟しなければならないということ。
2. 孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ。古い仕事観のもとでは、やる気と野心と強い競争心があれば成功できると考えられてきたが、これからは多くの人と結びつき、能力とノウハウ、人脈を統合する必要があるということ。
3. 大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ。お金と消費に最大の価値を置く発想から経験に価値を置く生き方、自分にふさわしい働き方を切り開く必要があるということ。
もちろん、これから起こることは誰もわからないし、こうすれば必ずうまくいくという保証もない。もともと決まった働き方がないとも言える、私たちトレーナー・治療家に関しては働き方を「シフト」するというよりも、既成概念にとらわれることなく、新たな働き方を生み出し、確立していくことが重要ではないだろうか。そのためには、一人一人が生き抜くことのできる力を養っていかなければならない。
(浦中 宏典)
出版元:プレジデント社
(掲載日:2013-04-25)
タグ:働き方
カテゴリ 人生
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覚悟のすすめ
金本 知憲
今年、阪神タイガースを引退した金本知憲選手が、阪神タイガース現役時代に連続フルイニング出場記録を更新中の2008年に出版された書籍である。
人生の転機にはいつも覚悟があったという金本選手の、覚悟というものの大切さ、覚悟があれば何でもできるということを教えてくれる内容である。本書の中で金本選手は自分自身を弱い、ぐうたら、いい加減、ビビリ…など卑下した表現をすることが多々あるが、常に考えて覚悟をもって行動することですべて克服している。また弱さを克服することで責任感やリーダーシップが生まれ、大きな成果につなげている。努力の人と思っていたが、努力も考え方だと感じさせられた。
最初から最後まで一貫して覚悟についての内容だが、コーチやトレーナーなどの話も出てきて、いろんな人とのつながりも面白く、また球団の裏事情などもストレートに伝えているところがアニキらしい感じがする。野球に生きた金本選手の覚悟についての書籍だが、野球以外での仕事や人生においてもとても共感できる内容で、改めて覚悟について考えさせられる一冊である。
(安本 啓剛)
出版元:角川書店
(掲載日:2013-05-02)
タグ:プロ野球
カテゴリ 人生
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卓球・勉強・卓球
荻村 伊智朗
これは「岩波ジュニア新書」の1冊である。“ジュニア”だからといって軽んじてはいけない。それどころか、監督・コーチ・選手、スポーツに関係している人すべて、年齢を問わず、ぜひ読んでいただきたい。率直にいって、感動した。
「1985年、ロンドンで行なわれた第21回世界卓球選手権大会で、私は男子シングルスに優勝することができました。そして、ベルリン、パリなどを転戦して帰国しました。/帰国してから、日劇の地下のニュース映画劇場で私の映画をやっているというので見に行ったのです。そうしたら、当時の日本人のスポーツに対する感情をよくあらわしていると思うのですが、私がカップをもらうシーンが出てきたときに、観客がスクリーンに向かって拍手をはじめて、しかも立ち上がって拍手をするのです。私だけ座っていたら、『こいつ、つめたい男だな』という感じでジロジロ見られるので、私も立ち上がって自分に拍手をしてしまいました。そんな思い出があります。/その映画館のくらやみのなかで、『ああ勝ったんだな』ということと、『こんなにも喜んでもらえるのだったらもっとがんばらなければいかんな』という感じがしました。/私は山を登るのも好きです。3000メートル級の山を登って降りてきたときに振り返ると、『ああ、あの山に登ったんだな』という感激があります。そういう感激を日劇の地下で味わいました。/それがその後ずっと卓球をやるようになった一つの原因でもあると思います」(プロローグ全文)
あえてプロローグ全文を引用したのは、このほんの“味わい”を少しでも理解していただきたいからである。“ジュニア”向けであるから表記、表現に難しいところはほとんどない。しかし、人を引きつけてぐんぐん読み進めさせ、途中何度も感動させられ、また感心もさせられる。そういう本を書くのは並大抵のことではない。
いうまでもなく著者は、卓球の世界チャンピオン(1954年、初出場で優勝)であり、現在も日本卓球協会の役員(専務理事)、国際卓球連盟会長代理として、国内、国外を問わず活躍している。世界20カ国以上でコーチとしての指導経験もある。
第二次世界大戦直後、著者高校1年生のとき、屋根が1/3くらい焼けた学校の体育館で放課後、2人の上級生が手製の卓球台で「きれいに大きなフォームで打ち合っている姿を電燈のつかない薄暗がりの中で見て『ああ、いいものだなあ』と思った」。それが卓球を本格的に始めようとした1つのきっかけだった。こういう思いを持つスポーツマンはきっと少なくないだろう。
今では考えられないことだが、それから著者らが都立西高に卓球部をつくろうとしたとき、いわば男のやるものじゃないという考えもあり、終戦直後のお金や資材のないこともあり、校長の全面的な反対にあう。しかし、結局は①部室をやらない、②卓球台を買ってやらない、③予算をつけないという3つの条件つきで部の創立が認められる。驚くべきことに、それから、6年後、著者はロンドンでの世界卓球選手権大会男子シングルスで優勝するのである。しかも、当時の早稲田大学副キャプテンに1時間くらいみてもらったあと、「萩村君、悪いことはいわないから卓球だけはやめなさい」「第一に、君には素質がない。第二に、君は顔色もそんんなによくないので、室内スポーツの卓球を一生懸命やると必ず肺病になって死ぬ」といわれたにもかかわらずである。そういわれ著者「素質がないんだったら、とにかくもう努力しかないな」と思い、また「環境を絶対に清潔にしよう」と思ったという。素直に先人の言葉を聞き入れ、ではどうすればよいか、自分なりにしっかり考え結論を出していく。そういう姿が以後も展開されていく。優れたスポーツマンに共通してみられる姿を私たちはそこにみる。卓球台が少なく、練習相手もいないときがある。それでもそれなりに方法を見出していくのだ。相手がいないときは(都立大時代)、1人で卓球台の向こうに万年筆のキャップを置いて、それをスピード・サーブで打ち落としたり、垂直の壁にダイレクトにボールを打ち、それを打ち返す練習をした。壁は絶対ミスをしないし、強く打てばそれだけ強く返る。最初は2〜3球しか続かなかったのが2年で100球くらい続くようになった。これは人間相手より速いペースで、この練習の後、夜人間相手にやると余裕がかなりあったという。「スポーツにしても芸事にしても、一番大切であり、一番厳しく役に立つ練習は一人練習だと思います」。この言葉に納得する人も多いだろう。
こうして数々のエピソードを拾い上げていってもきりがないが、国内・国外の大会で200回以上優勝という輝かしい実績を持つ筆者が、不利・不備な環境を克服し、ひたすら卓球に情熱を懸けていく姿は、どのスポーツにもいえるスポーツマンとして最も価値あることを示してくれる。そして、書名が示す通り、著者は広い意味で勉強もする。人はなぜスポーツをするのか、スポーツに情熱を燃やすとはどういうことなのか、スポーツの持つ素晴らしさを、読者は改めて知り、考えることだろう。
書評子は、恥ずかしい話だが、卓球というスポーツがあまり好きではなかった。偏見を持っていた。しかし、こういった優れた書を読むと、自らの愚さを改めて思い知らされ、偏見がいかに狭量であるかがわかる。人並みに本は読んでいるつもりだが、間違いなくこの本をおすすめすることができる。もちろん“ジュニア”にはぜひとも読んでいただきたいし、大人の方々にも目を通していただきたい。 この欄で紹介したい話はほかにも数多くあるが、限られたスペースである。求めやすい価格でもあるので、ぜひ手にとっていただきたい。優れたものにせっする喜びが味わえる本である。
(清家 輝文)
出版元:岩波書店
(掲載日:1986-04-10)
タグ:指導 卓球
カテゴリ 人生
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スタンフォードの自分を変える教室
ケニー マクゴニガル 神崎 朗子
意志力の科学という、スタンフォード大学生涯教育プログラムの公開講座をもとに書かれた書籍である。「意志力が変われば、人生が変わる」というイントロダクションから本書はスタートしており、人間誰しもが抱える、誘惑や依存症、注意散漫、物事の先延ばしなどの悩みに対し、意志の力で自分を変えるための様々な気づきを与えてくれる。
意志力とは「やる力」「やらない力」「望む力」という3つの力を駆使して目標を達成する力だと書かれている。経験論に基づいた自己啓発的なものではなく、科学的な根拠をもとに書かれてあるのがポイントであり、意志の力を用いることは人間に普遍な変化をもたらすものである。
ただ、大切なのは知識として本書の情報をストックするのではなく、いかに本書の内容をそれぞれの生活で使っていくか、ということではないだろうか。また、「運動が脳を大きくする」ということで、運動に関するポイントにも言及しており、意志力を上げるためには運動は欠かせない。社会的には、「運動=健康」という概念だけが浸透しているが、そもそも、運動が自分の人生をよりよいものにしていくという考えが広まっていけば、日本におけるスポーツ文化を定着させる足掛かりになるだろう。
「運動が脳を大きくする」と、書かれています。意志力を上げるためには運動は欠かせないと。「運動 = 健康」という点以外にも、よりよい人生を送るためには運動は欠かせない! つまり、こういうことでしょうか。
(浦中 宏典)
出版元:大和書房
(掲載日:2013-09-27)
タグ:運動 人生
カテゴリ 人生
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信念を貫く
松井 秀喜
筆者である松井秀喜氏は、ベースボールのスター選手である。日本のいち野球選手のみだけで語られるのではなくグローバルな選手と思うのは私だけでないでしょう。だから野球というよりもベースボールという表現をさせてもらいました。私自身は40代に入ったばかりですが、自分自身の20代30代の年表の中に彼の活躍している姿を照らし合わせることができる数少ない選手のひとりであることも、その理由のひとつでもあります。
この本は筆者の新天地に立ち向かう心境が様々なエピソードを交えて書き綴られています。ワールドチャンピオンそしてワールドシリーズのMVPに選ばれるという、アスリートとして絶頂期を迎えたのと同時に、選手生活の新たな1ページをつくるための決断として新天地に移籍するという人生の中の大きなターニングポイントで書かれました。題名にもある「信念を貫く」ことによって、もたらされた思考の変化や出会いを自分にも置き換えながら、私はこの本にのめり込んでいきました。
「コントロールできることとコントロールできないことを分けて考える」というフレーズはとても印象に残っています。自身も間違いなくそうですが、人間はそれほど器用でなく欲深いと思っています。何でもコントロールできることとして考えてしまう。そこには信念を貫くことが良くも悪くも作用していると感じています。だからこそコントロールできるかどうかを分けて考えることはとても大切だと感じました。
また筆者自身、様々なタイミングで人や言葉の出会いに遭遇しています。
両親をはじめとする「家族」、高校時代の恩師である「山下智茂氏」、巨人時代の監督である「長島茂雄氏」、ヤンキース時代の監督である「ジョー・トーリ監督 ジラルディ監督」、チームメイトである「広岡勲氏・ロヘリオ・カーロン通訳」など。
結果を出す上での「肉を斬らせて骨を断つ」、ケガで不安な状況になったときの「前よりも強くなる」、高校時代の恩師からの「心が変われば行動が変わる/行動が変われば習慣が変わる/習慣が変われば人格が変わる/人格が変われば運命が変わる」、父からの「人間万事塞翁が馬」
言葉や出会いというものが筆者自身の成長に大きく繋がっていることはこの本からもの凄く伝わってきます。すなわち私自身はこの本との出会いが新たな信念を貫くことへの何かを吸収させてもらったわけであります。
この本を読み終えたとき、私はあるエピソードを思い出しました。自分の身近に「信念を貫く」ことに限りなく近い言葉を毎日のように身体を張って教えていただいた人がいました。しかし私は当時その意図とは違った受け取り方をしてしまいました。結果として関係を断ち、逃げるともいえる行為を選択してしました。
いわゆる「未熟さ」という言葉がピッタリかもしれません。最終的には時間が経過するとともに自分のその選択は全くの間違いであったことに気づいたのは言うまでもありません。そして今、そういった言葉を毎日言ってもらえる存在がいない立場に身を置く者として「信念を貫く」ことを全身に刻み込んでくれたのは、その恩師であることは間違いないということも再認識しました。
私はこのエピソードから「未熟さ」の後悔というよりも違ったことを強く感じています。それは進化した自分、少しでも「コントロールできなかったことがコントロールできるようになった」と感じられたことが大きな財産であるということです。もちろんそのときに気づくことのできる「人間性」や「読み取る能力」があればよかったのでしょうが、その当時の自分にはそこは「コントロールできなかった」領域だったのだと今は感じています。だからこそ、私自身はそのことは決して否定すべきことではないのかなと解釈しています。
そして、皆さんもこの本を読んで自分自身をちょっと振り返ってみませんか? 何かいい自分自身への気づきがもらえる一冊だと思います。
(鳥居 義史)
出版元:新潮社
(掲載日:2013-10-17)
タグ:野球
カテゴリ 人生
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勝負勘
岡部 幸雄
私は筆者の岡部幸雄元騎手とは競馬を通した接点(馬券)を持ってきました。私の知っている筆者はレースで1着になることをいとも簡単にやり遂げている姿を数々目にしてきましたが、そこへの出発点や大きな出会い、転機そして確固たる地位を掴むまでの過程や考え方を本書から知ることでき、自然と引き込まれていきました。
本書は、筆者が騎手人生38年間の勝負勘を磨き続ける場としての「レース」を通した取り組みについて書き綴られています。レースは短いときには1分程度、長くても3分を超えるぐらいという時間の中で、馬の能力を最大限に引き出すことを要求されます。すなわち直感が多くを占める「勝負勘」を繰り出して最終的な目標である「レースで1着になる」ことを常に考えているわけであります。それは緻密な作業、すなわち感覚の修得やレースへの準備作業などを介して、「馬」の力を引き出すことであります。
私は、筆者が述べた勝つための最善策の考えの中で「何もしないこと」というフレーズが印象に残りました。「何もしないこと」はコミュニケーション能力として一見したところ消極的な働きかけもしれませんが、思い当たることがあります。それは意のままにしようとあれこれと働きかけて、うまくいかないことは頻繁にあると感じます。意のままにしようとすることが間違っているわけではないですが、相手にとって意外と気持ちよく感じられない、もしくは自らの意思でないことが多いので響かない、頭に残らないというようなことが私自身よく経験したことでもあります。これはよく起こりうる「自分の腕で結果を変えたい」というエゴイズムなところかもしれません。仮に繰り返すことで獲得できるものだとするならば、あえて働きかけず相手の気持ちに耳を傾け、見守ることで繰り返させる行為につなげることも方法論としていいチョイスだと私は思います。
私は筆者の超一流の騎手としての毎日のトライ&エラーの修正作業の繰り返しに大きな気付きを得ました。なぜなら自分のような業界駆け出しの者と類似した作業を繰り返しているからであります。長期的、詳細まで深く突き詰めていることが、より強く伝わってきました。つまり自分の将来へのヒントなのではないかと感じています。
ひとつひとつの積み重ねは普通に感じられることも多いですが、「時間軸」や「こだわり」を組み合わせると、引き出されるものはとても大きなものに変化することを痛感しました。この時間軸やこだわりの保持の継続性こそが「勝負勘」を生み出し、この自然体の努力こそが一流に至る必須条件ではないかとふと感じさせてくれた気がします。
(鳥居 義史)
出版元:角川書店
(掲載日:2014-01-17)
タグ:競馬 騎手 勝負
カテゴリ 人生
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133キロ怪速球
山本 昌
現役のプロ野球選手、山本昌は、自らの野球人生を「悔いがある」と語る一方で、「1回きり」の心構えで過ごしてきたからこそ成功したともいう。
著者は、若いころ戦力外通告におびえながら選手生活を送ってきた。選手生活を通して、自らの持つすべての力を引き出して日々を過ごし続けてきたことが、やり直しがきかないプロ野球の世界での成功を導いた最大の要因であると語る。
成功するためには、運も必要であり、自分ひとりの力たけでは不可能である。成功を望む人が知りたい、うまくいく人といかない人との差はどこにあるのか。チャンスをつくるための準備には何が必要か。到来したチャンスを逃さないためにはどうしたらよいのか。といった様々な疑問をプロ野球の世界を通して語られている。
決して才能に満ちあふれ、期待された選手ではなかった。その証拠に、一年目に登板すらできなかった史上初の200勝投手でもある。どこにでもいる野球少年が、最年長完投記録をはじめ、様々な最年長記録ホルダーという、息が長い特別の投手になった理由に「鏡」「時間」「好き」「階段」「なじむ」「観察力」「平均点」といったキーワードを挙げる。それらのキーワードを掘り下げ消化することで、読者が生きていく上の知恵、道標となるに違いない本である。
(服部 哲也)
出版元:ベースボール・マガジン社
(掲載日:2014-03-06)
タグ:野球 投球
カテゴリ 人生
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「一流」であり続けるために。
小松 成美
題名からもわかる通り、アスリートの、その中でも一流と言われる人たちの取材記事である。私たちが彼らの発言を聞けるのは、試合前後のインタビューなどメディアを通しての限られたものであるが、この本には、イタリアのレストランでの中田英寿やイチローがぽつりと呟いた一言など、普段、私たちが知ることのできない彼らの姿が書かれている。そこには、著書が誠実な取材を通して築き上げたアスリートとの信頼関係が伺える。
一流と言われるアスリートの知られざる一面を知ると共に、スポーツライターとしての著書の信念や仕事ぶりもわかり、スポーツライターを目指す人にとっても興味深い一冊である。
(久保田 和稔)
出版元:新潮社
(掲載日:2014-08-04)
タグ:エッセー
カテゴリ 人生
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察知力
中村 俊輔
中村選手がサッカーを始めたのは、幼稚園の頃。以後25年以上、サッカー一筋に追い続けてきた。日本だけでなく海外に出て行き、数々の壁にぶち当たる中で、彼がとくに重点をおいてトレーニングしたのが「察知力」。少し前の女子高校生の言葉“KY(空気読めない)”、それを改善する力だという。
具体的な社会でいえば、思うようにいかないことにぶち当たったとき、原因を解明する力。上司から自分が求められていることを考える力。目標へ到達するためにやるべきことを追求する力。
彼にとっては、自分より能力が高い選手と戦うとき、相手よりも先に動き出すため、瞬時に状況判断をして正解を導く力。それを「察知力」と呼んでいる。彼はその能力を、情報収集とさまざまな経験を通し、自分の中に引き出しを増やすことで高め、ノートに書いて整理することで磨いてきた。
ケガ、代表離脱、海外進出、多くの挫折と挑戦の中で“一生サッカーを追いかける”ために常に100%で生きる強い精神力、闘争心、統率心。この本は、彼のノートに書かれた心身鍛錬術の要点をまとめたものかもしれない。
(服部 紗都子)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2013-09-25)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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タスキを繋げ 大八木弘明 駒大駅伝を作り上げた男
生江 有二
箱根駅伝は新年の風物詩であり、テレビ中継では常に高視聴率で非常に人気のあるスポーツイベントである。毎年、数々のドラマが生まれ、選手の汗と涙は私たちの胸を熱くする。では、各大学の監督は、どのようにチームづくりをしているのだろうか?
本書は、下位に低迷していた駒沢大学を強豪校に作り上げた大八木弘明監督を2007年から2008年まで追ったノンフィクションである。なぜ大八木監督が就任してから、常勝チームと言われるほど強くなったのか。本書を読み終えると、なるほどと納得できる。そこには、大八木監督の「速いチームではなく、強いチームを!」という情熱と、「記録だけではなく人間的に強い選手になって欲しい」という選手への愛がある。
駒澤大学への密着取材を基に、各関係者へのインタビュー、大八木監督自身の歩みなど、著者の丁寧な取材がうかがえる。駅伝シーンは臨場感にあふれ、読みごたえも十分である。本書によって、大学駅伝をまた違った視点から見られるようになっており、よりいっそう大学駅伝を楽しめるようになる。次の大学駅伝のシーズンが待ち遠しい。
(久保田 和稔)
出版元:晋遊舎
(掲載日:2013-10-22)
タグ:駅伝 指導者
カテゴリ 人生
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にんげん見本帖
西川 右近
筆者西川右近氏は日本舞踊家で名古屋西川流の家元。本書は筆者の交友録でもあり、関わった人々により成長していく過程を記した自叙伝とも言えます。「人は影響されつつ影響する」ドイツの学者の言葉だったように記憶していますが、人は生まれて大勢の人に出会い、たくさんのことを学びます。その積み重ねによりひとりの人間としての人格を形成していくといった意味ですが、ここに登場する人物との出会いとそれぞれのエピソードが西川右近という人間を育てたんだよ、そう言いたげな内容だと感じました。そして多くの個性的な人物との関わり合いこそが舞踊家として「今」をつくり上げた感謝の念から書かれた作品のようです。
こういった世界では一般人の感覚とは違います。住む世界が違うといったほうがより正確でしょう。ここに登場する人物ひとりひとりが普通はお目にかかることのないお方ばかり、常識はずれというか破天荒というかスケールの大きさを痛感するとともに、それぞれの登場人物がひとりずつ物語になりそうなお方ばかり。こんな人の中で育ったらどんな人間になるのだろうと、たじろぎそうになるほどの面々。それだけにエピソードは魅力がたっぷり。芸の世界に生きる人々の遊び心・心意気・駆け引き・粋…。豪快で愉快な人間模様がリアルに描かれています。
(辻田 浩志)
出版元:創美社
(掲載日:2013-11-19)
タグ:舞踊
カテゴリ 人生
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走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法
為末 大
本書は侍ハードラーという異名を持つ為末大氏が25年の競技人生の中で考え、悩み、実践してきたことが赤裸々に書かれている。
陸上の世界選手権のトラック競技(400mハードル)で、2度のメダルに輝いた同氏だが、競技人生の中では数々の挫折も経験している。彼の「挫折」の捉え方は非常に面白く、「挫折があるからこそ感じる本当の喜びと優しさもある」と本書で語っている。人生は思い通りにいかないことがほとんどであり、努力は報われないことが多い。頑張った人が成功するわけでもなく、それでも人は懸命に生きるしかない、と。エリート・アスリートである著者が放つ、これらの言葉は、私たちに元気を与えてくれる。
考えすぎて動けない人が多い中で、「走りながら考える」というタイトルは、陸上競技選手、為末大をうまく言い表しているなと思う。その一方で、競技をしながらも陸上競技の先に何をしたいのかを常に考えていた著者には、1歩先、2歩先を「考える力」があったのであろう。
今まさに競技人生の中で戦っている人はもちろん、ビジネスパーソンにも一読の価値がある。
(浦中 宏典)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2014-03-12)
タグ:陸上競技 人生
カテゴリ 人生
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ともに戦える「仲間」の作り方
南 壮一郎
本書は、著者自身が楽天ゴールデンイーグルスの創業メンバー当時から、求職者課金型の転職サイトを運営するビズリーチを立ち上げ、その中で起こった仲間との数々の出来事をストーリー形式でまとめたものである。ベンチャー企業の崩壊と再生のストーリーから、仲間を巻き込むための秘訣が随所に散りばめられている。グローバル企業が誕生するまでのストーリーが赤裸々に描かれており、起業家やこれから新規事業の立ち上げを検討している人の指南書としても一読の価値がある。
それまでに存在していなかった新しいサービス・商品を売り出すことの難しさ、世間の壁、そしてこの著書の主軸テーマである仲間の作り方などが書かれている。事業を行う上で、「仲間」がどれほど大切な存在なのか、ということが実体験をもとにして書かれているので、説得力が大きい。
ある意味、私達のような「職人」業界では、何でもかんでも自分1人でやろうとする傾向が強い。この業界をより良いものにしていくためには、またマーケット自体の拡大を促進していくためには、業界外の人材を含めて仲間を作り、巻き込んでいく必要があるのではないかと感じざるを得ない。そしてビジョンをもう一回りも二回りも、広げていく必要もありそうだ。
(浦中 宏典)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2014-07-17)
タグ:マネジメント
カテゴリ 人生
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回復力 失敗からの回復
畑村 洋太郎
筆者は東大の工学部の名誉教授である。工学という、失敗学とは一見全く違う分野の専門家として日本最高峰の領域で学生を教えた中で、失敗学を専門とした理由は深い。生死を分ける様々な失敗を身近で体験した筆者が、失敗した当事者がどのように失敗と付き合い、どのようにすれば復活できるかを伝授しているのがこの本だ。
彼が失敗談を聞いていく中で強く思ったのは「人は弱い」ということだった。人は失敗によってダメージを受けると、穴が開いたような状態になってエネルギーが漏れていってしまう。つまり、ガス欠状態だ。そんな時は自分の弱さを受け入れることがはじめの一歩となるというのだ。
また、失敗に立ち向かえないときの応急処置も載っている。面白いことに一番は「逃げる」、そして「他人のせいにする」「美味しいものを食べる」「お酒を飲む」「眠る」「気晴らしをする」「愚痴を言う」と続く。
今の日本では、頑張って正当性を主張したところで報われるほうが少なく、大抵はいびつな議論に負けて挫折してしまうことも多い。自分に非があると自覚しているときに、それを素直に認めることのほうが態度としては正しいだろう。しかし、この社会では失敗した人が非を認めると、そのときからそれが絶対的な真実として扱われる。そして、弱いものは徹底的に叩かれるのである。それに対して筆者は、周りからの責任追及に決して潰されないこと、必要に応じて逃げるなどの一時避難をして、何をおいても生き続けることが大切だと訴える。
人は誰でも失敗する。そして、誰もがそこから回復するための力を持っている。乗り越えるために必要なのは、そのものと正対して生きていくためのエネルギーをつくり出すための考え方。それを筆者は失敗学を通して導く。失敗も成長のために積極的に取り扱おう、とポジティブになれる一冊だ。
(服部 紗都子)
出版元:講談社
(掲載日:2014-08-08)
タグ:リハビリテーション 失敗学
カテゴリ 人生
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幸せな挑戦 今日の一歩、明日の「世界」
中村 憲剛
「挑戦を続けていくこと。挑戦を続けられること。それだけでも幸せなんだと、僕は思う」
この本の書き出しの言葉、彼の人となりが現れている。あっという間に彼の話に引き込まれた。
高校までクラスで一番小さな子で、足も遅く、相手チームの選手とぶつかればはじき飛ばされていたようなか弱い選手だったという。身体的なハンディを持っていながら、彼は常に選ばれた。そして、25歳のときに日本代表に選ばれるまでになった。
なぜ、彼は選ばれる存在になることができたのか。小学校から今までの彼の生い立ちとその時々の教訓を述べたこの本には、革新的な方法が書いているわけではない。本気で好きなことは何か、それを極めようとする覚悟があるかどうかを、まず自分で考えることが第一歩だという。そしてそれを見つけたら、どこまで本気になれるか。人が彼を選んだ理由はここにあると思う。サッカーが好きで好きで、諦めずに続けた。その思いが行動につながり、選ばれる存在になったのだ。
さまざまな壁を乗り越えてきた彼がこの本を通して伝えたいことは、「サッカーが好きだからボールを蹴っている」、そんな純粋な気持ちを大切にして欲しいということ。本気で好きなことを愚直なまでにやりつづけた先に明るい日が昇る。
サッカー好き、中村憲剛ファンはもちろん、今後を考える人にぜひ読んでもらいたい一冊だ。
(服部 紗都子)
出版元:角川書店
(掲載日:2014-09-05)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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「宿澤広朗」運を支配した男
加藤 仁
ラグビーワールドカップで、日本は一つだけ白星をあげている。そのときの監督である宿澤広朗の話である。
宿澤が早稲田大学3年生のときの日本選手権は、伝説となるほどの大接戦であった。1972年1月15日、その日は雪の決戦だった。相手は三菱自工京都。前半、早稲田がリードするものの、後半29分に逆転された。しかし、終了3分前に早稲田の佐藤のキックしたボールが弾まないはずの雪のグラウンドで跳ね上がり、ウイング堀口の胸におさまり、そのまま走り切り、逆転のトライとなってノーサイド。翌日の新聞は、この勝利を「奇跡」「勝利の女神が舞い降りた」と報じた。
しかし、宿澤はこう言った。「あれは偶然じゃない。何万回も練習しているんだから当たり前なんだ」と。ここに、宿澤の生き様の全てが垣間見られるように思う。
「勝つことのみが善である」が口癖の宿澤は、選手として、監督として、そして、銀行マンとして常に勝つことにこだわった。得てして人は、結果の出ないことを周りのせいにしてしまう。あるいは、勝負から逃げてしまう。しかし、もしかしたら宿澤のように勝ちにこだわるからこそ努力できるのかもしれない。
「努力は運を支配する」。宿澤は確かにそれを信じていた。
(森下 茂)
出版元:講談社
(掲載日:2014-10-01)
タグ:ラグビー
カテゴリ 人生
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死の臨床格闘学
香山 リカ
この本を読むにあたり、著者について初めて知り得たことがある。それは香山リカという名前がペンネームであるということ。そして大のプロレスファンであるということだ。とりわけ全日本プロレス、ジャイアント馬場氏に思い入れが深いようだ。
それにしてもこの本をどう解釈すればいいのだろう。ジャンルとしてはおそらく現代思想か哲学の部類に入るのか。少なくとも我々が現場指導に生かせるような専門書ではない。自己流に解釈すれば、エンターテイメントでありながら激しく身体がぶつかり合う、危険と隣り合わせであるプロレスに焦点を当て、精神医学や現代思想の見地から死について多角的に考察したものと言えよう。ジャイアント馬場氏の死後、三沢光晴ら大多数の選手が全日本プロレスを離脱、新たにプロレスリング・ノアを設立した。著者はこの頃のキーパーソンであるプロレスラーたちを取り上げている。
正直に言えば、私はこれまで哲学書とは無縁であったので、おそらくこの種の読解力に乏しいことは前置きしておく。が、それにしてもこの本は難解だ。文献や著者自身のエピソードなどからの引用が非常に多く、何度も本筋から脱線してしまう。映画で言うなら途中で何度も回想シーンが入ってくるようなもので、これでは読者はストーリーにのめり込むことができない。それに彼女の文章スタイルなのだろうか、妙に着飾っていて難解な言葉を多用していることがより一層読みにくくしている。
結局何を言いたいのかわからないので、皆様にこの本の要旨をお伝えすることができないことをはなはだ申し訳なく思う。繰り返しになるが、この本を評価するにあたり、このジャンルに対する私自身の読解力不足を差し引いて欲しい。辛口批評となったが、逆にこの本がどんなものか興味を持っていただければ幸いである。
(水浜 雅浩)
出版元:青土社
(掲載日:2015-03-07)
タグ:プロレス
カテゴリ 人生
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応援する力
松岡 修造
「押せ・押せ・やるぞ!」
野球部の応援リーダーが声をかける。なぜだかわからないが、チャンスの時に「押せ・押せ」の応援をスタンドですると、得点が入るのだ。というより、「押せ・押せ」をすれば得点が入るのだと信じていた。それは、高校時代の野球部での応援のことだ。私が所属していたチームは、全員野球をモットーに日頃から、「声」の力を信じていた。指導係の先輩からは「本当の声を出せ」と毎日のように言われ、我々は必死になって「声」をはりあげ練習した。
そして、迎えた夏の大会。ベンチ入りできない多くの野球部員がスタンドから、仲間を信じて「声」を出すのだ。まさにグラウンドとスタンドが一体となって戦っていた。残念ながら甲子園にはあと一歩届かなかった。しかし、あのときのスタンドで感じた「目に見えない力」の存在を私は信じている。
著者の松岡修造さんは、「応援する力」の存在を自身の選手時代に味わった。それは1995年ウィンブルドンでの3回戦のことだ。2セットを取られ、もう後がない4セット目、単純なミスをしてしまい、気持ちの上ではもう完全に負けていた。そのとき、「修造、自分を信じろ!」と観客席から声が響いた。この声をきっかけに、別人のように変わることができ、接戦を制した。そして、それは松岡さんのその後の「応援人生」の原点となるのだ。
著書の最後に松岡さんはこう語る。
「僕はこれまで応援していたのではなく、応援することにより、紛れもなく自分自身が応援の思いを受け取って前に進んでいたのです」と。
そうなのか、私たちもグラウンドの仲間を応援することで、自分達が前に進めていたのかもしれない。
ならば、松岡さんが言うようにいつでも誰かを「応援」していきたい。
(森下 茂)
出版元:朝日新聞出版
(掲載日:2015-03-19)
タグ:応援
カテゴリ 人生
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フィットネスクラブエイムの思考軸
古屋 武範
石川県にある「フィットネスクラブエイム」が、この本の舞台となっている。
創業者である吉田正弘氏を中心に、エイムがベンチャー企業として成長していく軌跡をたどる内容となっている。フィットネスクラブにとどまらず、成功者としての思考軸を読み取ることができる一冊である。こう説明すると本書は吉田氏が書き綴ったように感じてしまうが、そうではない。この本をつくり上げたのは、吉田氏を含む10名以上のプロフェッショナルたちであり、エイムに対する思いや考え、エピソードを纏めたものである。
それらのエピソードを読んでみると、共通した吉田氏の印象を伺うことができると同時に、エイムをつくり上げる上で何に力を注ごうとしているのかを感じ取れる。また、それぞれの分野のプロフェッショナルな方々が吉田氏をリーダーの資質があると語っている。そんな吉田氏の行動や思いに触れることにより、フィットネス業界にとどまらず、経営者や野心があるものにとって、指南書になり得るだろうと思える一冊であった。
(橋本 紘希)
出版元:クラブビジネスジャパン
(掲載日:2015-04-21)
タグ:経営 フィットネスクラブ
カテゴリ 人生
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僕らが部活で手に入れたもの
高畑 好秀
本書は、野球・サッカー・バレーボール・陸上競技などの第一線で活躍していた選手が、部活を通して学んだことをインタビュー形式でまとめたものである。
読み終わったとき、「クラブに前向きに取り組んでいたが、ベクトルは決してクラブだけではなかった」と感じた。たとえば、陸上競技を学生の頃からずっとやってきたが、何かの縁でボブスレーを始めて、日本代表になった話も掲載されている。
スポーツ選手は高校のときの学校生活はどうだったか、と聞かれるとクラブばっかりやってました、と答えることが多いが、本書に登場している方々は自分の進路や、自分の葛藤を語っている。スポーツ選手ばかりの内容ではなく、コーチ業をされている方や雑誌編集者、会社を経営されていた方の内容も掲載されていて、いま自分が就いている職業に至った考えも語っている。
学生スポーツをサポートしている身として、選手がどんな風に考えているのかという点で参考になった。そして、自分のこれからのことで悩んでいる選手にも一度勧めてみたい。
(平松 勇輝)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2015-04-23)
タグ:部活
カテゴリ 人生
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強くて淋しい男たち
永沢 光雄
本著は当時活躍していたアスリート達への取材記録ともいうべきものであろうか。当然インタビューも含まれている。といっても、出版されてすでに16年経っているので、現在彼らの多くは引退しているものと思われる。
この中で取り上げられているのは格闘技選手が多いのだが、その中で特に私が興味を持った取材対象を紹介しておきたい。
プロレス団体「ドッグレッグス」。コアなプロレスファンであっても知らない人のほうが多いのではないだろうか。身体障害者(以下、障害者)のプロレス団体である。で、この団体ができた経緯が興味深い。ドッグレッグスは元々はごく普通のボランティア団体だった。
そこに所属する障害者2人がひとりの女性をめぐって対立。女性は2人から熱烈なラブコールを受けるも、どちらにも興味がなく去っていった。2人の間には遺恨だけが残り、それからというもの酒が入る度に女性が去ったのを相手のせいにして殴り合いの喧嘩をしたそうだ。これを見かねたボランティア団体の代表が「プロレスで決着をつけろ!」ということで結成された。
念のために言うが選手たちは皆、障害者である。ロープのない、厚めのビニールシートが敷かれているだけのリングの上で選手たちが熱戦を繰り広げている。マイクパフォーマンスといったプロレスならではのショー的な要素あり、加えてそれ以上に真剣勝負、本気で戦っている。出血することも珍しくないし、見ようによってはマジ喧嘩かと誤解されてしまう(実際はちゃんとプロレスの訓練を受けている)。それゆえ、この団体は常に障害者やボランティア団体から「障害者を見せ物にしている」との批判に晒されてきた。しかし、この団体に所属するある選手が団体のパンフレットにこう書いている。一人の大人としてやりたかったことがプロレスだった。そして、健常者と障害者との間に流れる‘社会の川’に橋を架けるのが障害者プロレスであると(本文より省略して抜粋)。
普段、障害者と過ごす環境にない者が障害者と相対するとき、どういう風に接すればいいのか、どんな会話をすればいいのか、妙な緊張感に包まれてしまうことはないだろうか。普通の会話であっても彼らを笑ったり批判してはいけないのではないかと。しかし選手からしてみれば、リングの上で滑稽なことをすれば笑ってくれればいいし、反則技で相手に執拗な攻撃をしようものなら野次を飛ばしてくれて構わない。あえて健常者という言葉を使うならば、健常者と同じように接してくれたらいいと言う。つまり、彼らにとっては健常者も障害者もないのだ。そういう意味で、「障害者だから」という冠をつけているのは、むしろ我々のほうかもしれない。
かつては入場料がたったの300円、観衆が30人足らずだった興行も、噂が噂を呼んで以降、大きな会場で3,500円取れるまでに大きな興行を打てるようになったそうだ。やがてマスコミにも大きく取り上げられ映画や本になった。
社会通念からいって、こういうイレギュラーな事柄に関しては、とかく批判的に捉えられがちである。そこらのテレビコメンテーターであれば、大上段に構えて批判的なコメントをすることが容易に想像できる。しかしどうだろう。大事なのは当事者がどう捉えているかではないだろうか。プロレス団体ドッグレッグスの選手たちは自らの意思で参加している。志を持っている。充実した人生を過ごしているのだ。もはや外野がとやかくいうことではあるまい。
彼らは立派なアスリートである。
(水浜 雅浩)
出版元:筑摩書房
(掲載日:2015-08-31)
タグ:プロレス 障害者
カテゴリ 人生
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やらなあかんことはやらなあかんのや! 日本人の魂ここにあり
上田 亮三郎
確固たる信念の存在
以前仕事でご一緒させていただいた社会人ラグビーの名物監督。 この人は魅力的だと無条件で思わせる雰囲気をまとっていた。それだけでなく、この古き良き時代の親分の眼差しは、選手をアスリートとしてよりも人間として深くとらえているように感じさせられた。現代スポーツの指導者はさまざまな側面からスマートであることが要求されるが、その根底に必要なものは、人を引きつける魅力であり、もうひとつ人を深く知ることができるということではないだろうか。そしてこのことに今も昔もない。
さて、本書は大学サッカーの指導、大学サッカー界の発展に40年あまり情熱を燃やし続け、今なおその発展のために尽力されている上田亮三郎氏のサッカー人としての一代記である。そこに出てくるエピソードの数々は、トレーナーの視点からは突っ込みたくなるところも確かにある。しかし私の生まれる前から一筋に指導されてきた存在を、今さらどう論評できるだろう。莫大な経験や学習の積み重ね、膨大な数の選手との関係、さまざまな栄光とそして犠牲によって築き上げられたその指導理論は、誰がなんと言おうが完成されているのだ。どれだけ「半殺し」という言葉が出てきても、そこには確固たる信念が存在するのである。
アスリートは赤信号を常に越えようと進んでいく、指導者はそれが渡るべき赤信号かどうかを見極め、そうであれば、渡ろうとする者を激励し、躊躇する者を鼓舞するものだ。トレーナーのような存在も、赤信号を渡るなと簡単に止めるのではなく、どうすればより安全に渡れるかということに挑戦しなければならない。科学的・非科学的、新しい・古いで割り切るだけでなく、最新の情報をアップデートしながら、故きを温ねて新しきを知る感覚も常に心がけるべきで、本書などは本物になるための参考書として興味深い存在になるだろう。
言うべきタイミングで言うべきことを
そんな上田氏の、選手たちを見つめ指導する眼差しはこの上なく厳しく、熱い。そして何よりのポイントは個々別々であることだろう。どれだけ魅力がある指導者であっても、それだけでは人は引きつけきれない。自分はこの人に確かに理解されているという実感を与えられなければ、本当の信頼関係は築けないのだ。人を指導するときに出すアドバイスも、その人が今聞きたい甘言を用いても安心が得られるだけで、根本的な成長につながらない。今その人が聞いておくべきことを聞かなければいけないタイミングで出せるかどうかが大切なのである。そしてそれは本当にその人を理解していなければできないことなのだ。
言われた側もそのときには耳に痛く感じても、振り返ったときに、それが自分に必要なことだったと気づく。そして士は己を知る者の為に死すという覚悟が生まれるのである。
書評しにくい本書を取り上げた理由の大部分は、実は巻末に節子夫人のインタビューが載っていることである。こんなサッカーに取りつかれた人を伴侶にした女性の苦労は想像に難くないが、今となってはおおらかな興味深い話になっている。これをあえて載せたことが、憎いところなのである。
(山根 太治)
出版元:アートヴィレッジ
(掲載日:2012-05-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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寄りそ医 支えあう住民と医師の物語
中村 伸一
役に立つ機能から離れて
体育とは“体で育む”と読みたいものだと、しばしば本コラムでは述べてきた。体育の本質がそうあってほしいからである。“からだ”で表現し、“からだ”を見つめ、“からだの声”に耳を傾けるといった身体感覚に気づき、人と人との間に“体で”何かを“育む”ということは“体を育てる”こと以上に大切なことだという考えが頭に浮かぶ。いったい何を育むのだろう。それは“愛”であったり“信頼関係”であったり、要するに“絆”を互いの体を通して育むことだ。“からだ”をみつめるということは、“いのち”を見つめること通じることであると思うのだ。
そもそも人が体を動かすのは“心地いい”と感じる何かがそこにあるからだろう。その上に、たとえば競技での成功を目指したり、自己実現のため、健康増進・維持のため、あるいは美容ダイエット(減量)を決意してなどなど、さまざまな動機を乗せて運動やスポーツを実施している人が多いことと思う。そして、それらの運動を安全に、効果的に行うための役割を“体を育てる”体育は担っている。
このような“体を育てる”体育が重要であることは論を俟たないところであるが、この考え方に重きを置きすぎると、何らかの理由(高齢・病気・事故)で歩くことが困難になった人や、あるいは寝たきりになった人に対して“体育”は成り立たなくなってしまう。人の体力には限界があり、命にも限りがあるからだ。
いっそのこと、さまざまな“役に立つ機能”を取り払ってしまい、“心地いい”というエッセンスだけを“体育”の場に残してみると、マッサージをすることや、手を握ること、究極的には近くに身を寄せることだけでも互いの体から発せられる信号を感じ合い、その場に“体で育む”体育が成立するといえるのではないだろうか。
“寄りそう”医師
さて、本書「寄りそ医」である。私の勤める自治医科大学の卒業生、中村伸一の手になるものだ。本学は“医療の谷間に灯をともす”(校歌より)ため、へき地での医療や地域医療を支える目的で、1972年に開設された大学である。中村は、その12期生として卒業し、福井県の名田庄村(現おおい町名田庄地区)の診療所で一人常勤医師として、医師としてだけでなく包括的に村の医療を支え続けている「アンパンマン」である。
専門医が「さっそうと現れて難しい手術をこなす」「かっこいい外科医」のような「ウルトラマン」的存在だとすると、総合医は「人の暮らしに寄りそう地域医療者」であり「医療スタッフはもちろん、ジャムおじさんのような村長やカレーパンマンみたいにパンチの効いた社協局長、メロンパンナちゃんを思わせる看護師や保健師、介護職に支えられる、アンパンマン」的存在だ。しかし、「うまく連携することで両者の特性が、より活きる」ものなのである。
地域の診療所では、患者を「看取る」割合が都市部の病院に比べ高い。しかも「家逝き看取り」の割合が、この名田庄村では全国平均より圧倒的に高い。これは医師の力のみでなく、地域の福祉体制や、住民の意識などの条件がよほど揃わないと叶わないことである。医者が患者を診るという関係より、互いに“寄りそい””寄りそわれる”関係で日々の診療がなされていないと、こうはなりそうにない。
高齢者がガンなどの疾病や老衰により比較的静かに亡くなっていくとき、中村は医師として“医学”的手段を振り回すのでなく、“医療”者として(今は亡くなっている)患者とその家族に静かに“寄りそう”のである。家族もまた中村に“寄りそう”姿は、悲しくも崇高な場面である。
学生(医学部に限らない)という、生身の体を相手にする体育教師の仕事ってなんだろう。やはり“体で育む”体育の場をつくることがまず基本なのだと思う。そしてその基本を実践するためには、“寄りそう”ことがスタートであり、ゴールでもあるような気がしている今日この頃である。
(板井 美浩)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2012-04-10)
タグ:体育 地域医療
カテゴリ 人生
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観察眼
遠藤 保仁 今野 泰幸
スポーツに携わる人にとっては身につけたいであろう「観察眼」。言葉そのものは本書終盤まで登場しないが、示唆に富み引き込まれる内容だ。
第一部は、センターバックとして評価の高い今野泰幸のサッカー半生。自分の武器に気付くことも、サッカーを知ることも「人より遅かった」と言うが、自身や所属チーム、日本代表にも及ぶ分析は鋭い。第二部では今野と遠藤保仁との対談を挟み、2011年のアジアカップでの一戦を振り返る中で、ようやく遠藤が「観察眼」について触れる。それをふまえて、第三部で遠藤が何を考えてプレーし、プレーを通して何を感じているかが書かれている。
遠藤は「観察眼」を、「試合を読む力」と言い換えた。そこから第一部を見返すと、今野が「試合の流れを読むために重要な要素は嗅覚」と言っている部分がある。この感覚は、試合経験を積むことで培われていくという。現在の日本代表を支える2人のサッカー観が凝縮された一冊となっている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:角川書店
(掲載日:2012-04-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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数学する身体
森田 真生
なぜ競走に感動するのか
100m走の世界記録は言わずと知れたウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の9.58秒。2009年の世界選手権(ベルリン)で出されたものだ。
ボルトは前年のオリンピック(2008年・北京)でも当時の世界記録となる9.69秒で優勝しており、度肝を抜くこの異次元的な世界記録更新劇は、多くの人にとって記憶に新しいことと思う。
しかしですね、ちょっと意地悪にこの記録を単なる数値で表してみたらどうなるだろう。9.58秒と9.69秒、その差はたった0.11秒、まさに“瞬く間”でしかない時間、距離にして1mちょっとくらい速くなっただけのことになる。図鑑を見ればボルトより速く足る動物はいくらでもいるし、そこらの犬でさえ7~8秒で100mを駆け抜けるのがたくさんいるではないか。そういう動物の速さに比べたら、人間は圧倒的に遅い部類に入ってしまう。こんな、むしろ“のろま”な人間の競走を見て、なぜ我々は感動するのだろう。
それはきっと“身体の同一化”のようなことが起こっているからではないかと思う。たとえばテレビに映し出される場面に身体ごと入り込んだように、あるいは自分の身体の中にレースシーンが投影されるようにイメージされる、そのようなことが皆さんにはないだろうか。実態としてボルトになったような“感覚”とは違う、場面全体が“情緒”として身体の中に昇華されたような状態というべきか。テレビ画面を見ているだけにもかかわらず、シーンと一体化し、かつ俯瞰するように、間合いを自由に行き来しつつ身体ごとレースを体感するのである。このような“自在な身体”を私たちは誰でも持っていて、同時に、“記録”の裏側や、背景にある物語とかといった“味わい”を読み取る力があるからこそ、“価値のある差”を見出し、感動することができているのではないだろうか。
また、“数”ということに関していえば、世の中には“数”の価値を読み取る力が常人とは比べものにならないほど強く、たとえば「17」と「18」の間には「味わう」べき大きな違いがあるという感性を持つ人たちがいる。数学者である。
情報から浮かび上がる像
今回は「30歳、若き異能の」数学者、森田真生による『数学する身体』。
高校時代、バスケットボールに打ち込んだ森田は、「勝ち負けよりも、無心で没頭しているときに、試合の『流れ』と一体化してしまう感覚が好きだった」。そうした経験の中から「身体」に興味を持ったようだ。大学では初め文系学部に学んだが、岡潔(数学者)によるエッセイの文庫を手にしてから数学を修めようと決心したという知的好奇心のうねりを経て、現在「京都に拠点を構え」る「独立研究者」である。
数学「mathematicsという言葉は、ギリシャ語の(学ばれるべきもの)に由来」する。単に「数学=数式と計算」という理解しかない私にとって、「=」という記号が実は16世紀になって発明された(こんな最近の出来事だったのだ!)ことや、「17」が素数(1と自分以外では割り切れない数)であることで、たった1つしか違わない18や16とは味わいが大きく異なり、だから、数学科の学生の飲み会では「居酒屋の下駄箱が素数番から埋まっていく」ことなど、驚きの記述が連続する。
何かその先にある「風景」が見たいという積極的な動機のもとに、ものすごい吸収力で情報を蓄え、大量の知識がつながりをもって身体に収まっている様子が、全編通して読み取れる。
頭がいい人は違うぜ、と片づけてしまえばそれまでだが、運動がものすごくできる人(オリンピアン・メダリスト)が、実はものすごく努力しているように、勉強がものすごくできる人も、ものすごく勉強しているのだ。書物の中から得た知識が森田の前では像を結び、著者や景色が時代・場所を超え、まるでホログラムのように浮かび上がってくる。それは、森田がそこまで資料を読み込んでいるという証拠だろう。“体育会系だから走るしか能がありません”という前に、“味わい”を探すつもりで読んでみることも“イメージトレーニング”になるのではないか。森田も元はバスケ少年、ルーツは同じだ。きっと同一化できる部分が見つけられるに違いない。
( 板井 美浩)
出版元:新潮社
(掲載日:2016-02-10)
タグ:数学 身体
カテゴリ 人生
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一流の逆境力 ACミラン・トレーナーが教える「考える」習慣
遠藤 友則
清水エスパルスを経てACミランで16年間トレーナーを務めた遠藤氏。一流選手ばかりの中でも結果を残す選手、うまくいかない選手がいるのを間近で見てきた。前者は結果が出ないからといってより頑張ったりやり方を変えるのではなく、当たり前のことをコツコツ継続するという。ただ、それを真似しようで終わる本ではない。それで逆境を乗り越えられるのは彼らがすでに一流だからであり、我々が見習うべきはむしろその過程にある。
自分の得意なものは何か見極め、それを発揮するために必要なことを考える。そしてそれを続けていれば、チャンスに準備万端で臨めるというわけだ。
38歳でサッカー大国イタリアに飛び込んだ遠藤氏自身のエピソードも興味深い。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:SBクリエイティブ
(掲載日:2016-02-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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サンカーラ この世の断片をたぐり寄せて
田口 ランディ
死を悼み悲しむより
もう一昨年のことになるが、自慢の父が75年の実り多き人生を全うした。平均よりも若く、しかも大動脈解離によるあまりに急な逝去ではあったが、100年の月日に勝るとも劣らない、充実した人生を父は歩んだものと信じている。
父の周りには、いつも自然と人の“和”ができていた。そして、その人たちを陰から支え、喜んでもらうことに喜びを感じているようでもあった。
仕事をリタイヤして10年も経ていたが、予想をはるかに上回る大勢の方々が葬儀に足を運んで下さった。父の人生は、人との出会いという賜物によって彩られていたともいえる。その出会いが宝であるとするならば、大きな財産を抱えて父は西方浄土へ旅立っていくこととなった。
上記のような内容で、父の会葬御礼をつくり、引物に添えた。“死を悼み悲しむより、これまでの生を礼賛するような葬式にしたい”これは偶然にも父が亡くなる数週間前に(不謹慎だけど、という前置きをして)聞き出し、父の人生を絶賛する約束をしてあったのだ。
お斎(とき)の席でも、どうか賑やかに笑って父を送り出して下さいとお願いをした。皆さん、涙ながらも父との思い出を愉快に語り合い、大いに盛り上がって葬式とは思えない大宴会となった。一般的にはタブーかも知れないが、生きているうちに聞いておいた父の希望を叶えることができて本当によかった...。
というのはしかし、強がっているだけなんだなあ。あんなに急に死ぬんじゃないよ。本音を言えば、危篤の状態でもいいからせめてひと目、生きているうちに会いたかった...と家族は皆そう思っているのだ。
サンカーラ
さて、今回は田口ランディによる『サンカーラ』だ。
東日本大震災の後、「ブッダについて書いてみたい」と思い立ち、ブッダの教えを拠りどころに「震災後の一年間を通して」「人生から問われた様々な体験について」書かれた、「無常の世をさまよいながら紡ぐ、日常のものがたり(帯より)」である。
生きること、老いること、病むこと、死、生命について考えつつ書き、学び、学ぶほどに迷い、そして書き、「私はなにがしたいのか、私はだれなのか、私はどう生きたいのか」といった、人生における根本的な問題に迫ろうとしている一冊だ。「書けば書くほど、なにかが決定的にズレて」いて「結局、原稿は未完のままだ」とあるが、その先は読者が独自につくっていかなければいけないよと言ってるのかなあ、と思わされたりもする味わいもある。
人は誰しも“死”に代表されるような究極の場面にいつかは遭遇する。遭遇し“体験”することで何かが変わり、別の到達点へと考えを進めることになる。しかし到達したと思ったゴールが、実は新たなスタート地点となり、進んだはずが不思議なことにもとに戻っているというグルグル問答を繰り返し、凡人の頭脳はショートして煙を上げる羽目となる。「サンカーラとは、この世の諸行を意味する」。生まれてこのかた身につけてきた考えや、思い、好み、クセ、信念、信条などの蓄積だ。全てこれらは“無常”であると、ブッダは言った。生きて仏になった人の言葉だ。理解はたやすいが、わかるのは難しい。
勝負とは命のやり取り
オリンピックはスポーツにおける一つの究極であることに異論はないと思うが、スポーツにおける勝負とは命のやり取りのことだ。そのことが画面から伝わるからこそ、テレビで見るだけで深く感動したり勇気(生きる力)をもらったり私たちはするのだろうと思う。だからメダルを獲得するような選手はやはり奮っていて、インタビューのたびに言う事が一皮も二皮も剥けていき、終いには名言の宝庫と化してしまうことがある。そのような若者を発見するのが、オリンピックを夢には見たが所詮凡人だったオッサンの密かな楽しみにもなっている。
先のロンドンオリンピックでは、ボクシングミドル級の村田諒太選手が印象に深い。「金メダルを取ったことがゴールではない。金メダルを傷つけない、金メダルに負けない人生を送るのが自分の役目」という意味のことを言っていた。けだし名言である。
日常は奇跡の連続
さて、またまた私事で恐縮だが、父のことがあった半年後、今度は私が“一命を取り留める”という経験をすることになった。詳細はいつか述べたいと思うが、現代医学のおかげで命はつながり(新しい命をもらったという気さえしている)、こうして駄文を綴り、〆切と闘えるほどの体力を快復することができた。
この体験を通し、日々生きていることは実は一瞬一瞬が奇跡の連続なんだなあ、ということを学んだ。
では、その先はどうか。生まれ変わったように、タメになる名言...うーん、出てこない。しかし、そんな相も変わらぬ日常が、悔しくも嬉しく、愛おしい。
(板井 美浩)
出版元:新潮社
(掲載日:2013-02-10)
タグ:人生 生と死
カテゴリ 人生
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残念なメダリスト チャンピオンに学ぶ人生勝利学・失敗学
山口 香
著者は13歳で柔道全日本体重別選手権を制し、ソウルオリンピックでは銅メダルに輝いた。引退から25年以上経ってもそう紹介される立場ならではの、アスリートのあるべき姿、日本の社会におけるスポーツの価値論を展開する。
著者は「技能練習を重ねても人間教育にはつながらない」という柔道の祖・嘉納治五郎氏の言葉を引く。確かに、競技外でも素晴らしい人はいるが、勉強や私生活はいまひとつの「残念なメダリスト」も少なくない。メダリストが社会から尊敬され、スポーツの価値を高めるためには、選手自身の取り組みも重要ながら、家族や指導者、マスコミなどの接し方も大きいと著者は言う。スポーツに関わる一人としての言動を改めて考えさせられる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2016-03-10)
タグ:スポーツ
カテゴリ 人生
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ウサイン・ボルト自伝
ウサイン・ボルト 生島 淳
よい本とは
私は最近、本の良し悪しについて感じたことがある。わかりやすいことや、共感できることが書いてある本は、実は意味がないのではないか。自分が漠然と思っていたことが言葉になっていて、「そうそう、それが言いたかった」というのは確かにうれしい。しかし、自分の理解が及ばないことや思いつきもしなかったことが書いてある本を読んだ方が、たとえそれを理解できなくても、自分の肥やしになり世界が広がるきっかけになるかもしれない。だから、共感できない・理解できない本をよい本というべきなのではないか。
本書は、盛りに盛った自慢話である。それに、ずいぶんとあけすけだ。こう感じるのは、私が謙虚さと節度を美徳とする平凡な日本人だからかもしれない(ジャマイカでは普通のことなのだろうか?)。しかし、それでいて嫌味がなく、読後感は不思議と爽やかである。
印象に残るシーン
ボルトといえば、非常に印象に残っているシーンがある。
何の大会のテレビ中継だったか忘れてしまったが、とにかくオリンピックか世界陸上の4×100mリレーの決勝。
レースのスタート直前、第3コーナー上で待機している3走のボルトの様子がアップで写っている。「On your marks」のコール後に観客に静かにするよう促す「シィーッ」という効果音(?)が会場のスピーカーから流れる。ボルトは微笑みを浮かべながら、それに合わせて人差し指を唇に当て、次いで両掌を下に向け軽く上下させ「静かに静かに」というジェスチャーをしていた。
決してふざけているわけではない。リラックスというよりも、本当に無邪気に決勝レースを楽しんでいるように見えた。そのおどけた姿を見て、私は、この人には誰も敵わない、と思った。
強さの秘密
どうやらボルトの強さの秘密は強烈な闘争心と自負心にあるらしい。
まず闘争心。強敵や敗北がボルトの心に火をつけ、大きなレースになればなるほど燃える。
私も一応陸上競技者であったのだが、ボルトのように「相手をやっつけてやる」という気持ちでレースに臨んだことは一度もなかった。むしろ逆に、他の選手のことは意識せずに自分の最高の走りをして自己ベストを狙うことだけに集中していた。
勝ちたい気持ちは当然あるのだが、よい記録を出せば順位は後からついてくると考えるようにしていた。他の選手のことを気にすると集中できなくなってしまうのだ。これは私の取り組みの甘さと気持ちの弱さの表れなのだろう。
が、ボルトは違う。「タイムを狙うことは考えない」「最強の選手に勝たなければ面白くない」「記録はトッピング、金メダルはケーキそのもの」というように、勝つことを最大の目標としている。「おいブレーク、こんなことは2度と起きないからな」2012年のジャマイカ選手権で、チームメイトで後輩のヨハン・ブレークに優勝をさらわれたときに、ボルトがブレーク本人に宣戦布告した言葉だ。
なんという負けず嫌いなのだろう。
そして自負心。2009年の自動車事故で九死に一生を得たボルトが感じたのは、神からのメッセージだった。「俺が生き残ったのは、地球上で最速の男として選ばれたというお告げであり、事故は上界からのメッセージだと受け取った。勝手な考えかもしれないが、神は最速の男の座に就くのは俺だと考えているようだ」
また、別のページではこんなことも書いている。ドーピング問題に対しての考えだ。「だいたいドーピングというのは、競争できるだけの身体的能力を欠いている連中がするもので、俺はそんな問題は抱えていなかった」
普通、こんなこと言えない(これもジャマイカでは普通?)。
世界が広がる本
自分の才能と努力に絶対の自信を持ち、最高の舞台での強敵との勝負を楽しんでいるからこそ、レース前のおどけたしぐささえも観客には愛嬌と映るのだろうか。 次元が違いすぎて共感できることはほとんどないが、トップアスリートの精神状態に触れることができて、世界が広がる本だと思う。ただ、もし日本人がボルトの流儀を真似をしたら総スカンを喰うことは間違いないだろうが…。
(尾原 陽介)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2016-04-10)
タグ:陸上競技 自伝
カテゴリ 人生
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ザ・ミッション 戦場からの問い
山本 美香
生きることは、死ぬことのそばに
のっけから私事で恐縮だけれど、1年前のちょうど今ごろ“一命を取り留める”という経験をした。“左内腸骨動脈瘤破裂除去術”という、漢字練習帳だか早口言葉だかのような手術を緊急で受けることになったのだ。幸い、破裂の方向が隣の静脈だったので助かったが、腹腔内に出血していたら1~2分で意識は喪失し、そのまま(この世に)戻らなかっただろうと後で聞いて震え上がった。
その日は、左脚が倍ほどにも浮腫(むく)んでいて、胸は痞(つか)えるほどに脈打ち、呼吸もいちいち億劫なほどだった。苦しくて死んじゃいそうだなどと思いつつ、しかし授業では学生と一緒に飛び跳ねて騒いだりした。授業が終わって安静にしていても、やはり苦しいので病院に行った。“歩いて? 一人で? 来たんですか?”と診察途中から、妙に慌て顔になったドクターの押す車椅子に乗せられ精密検査をしたところ(すでに心不全をきたしており、身体を起こしているのが不思議なぐらいだったらしい。歩いて行くと言ったら強く制止された)、その日のうちに手術を受ける急展開となった次第。本当に死んじゃう寸前だった!
儚く不確かな中で、何を残せるか
この経験から学んだことは、“生”とは、“死”とすれすれのところにあるものだったということだ。“生きている”と疑問もなく思っていたこの状態は、実は一瞬一瞬の奇蹟が連なった、とても儚く不確かなものだったのだ。
もし死んでいたら……“俺はいったい何を残したのだろう?”“俺はいったい何が残せたのだろう?”。
さて今回は、「山本美香最終講義 ザ・ミッション 戦場からの問い」。ジャーナリストの山本美香が、2012年の春に担当した、早稲田大学での講義を採録したものだ。気合いは入っているが、肩ひじは張っていない。後進への真摯な思いが込められた、丁寧に準備された講義であることが紙面からよく伝わってくる。
山本は、ある報道社に入社して1年目(1991年)に命ぜられた「長崎の雲仙普賢岳の災害報道」が「一つの原点のようなものに」なって、「災害報道」や「戦争報道」を主な仕事としたジャーナリストである。
いかに戦地が危険であろうと、現場での取材を大切にしていた。たとえば、さまざまなジャーナリストからの報道をもとに「外堀を固めていって全体像を分析するという方法もある」が、あえて足を運び、あえて居残って取材を続けるのには「そこ=現場にいれば、耳にも聞こえるし肌でも感じるし、必ず見えてくる」ことがあるからだ。
そこに行かなければわからない“事実の核”となるものがあり、「こぼれ落ちてしまうところ、誰の手もとどかず、誰の目も入らない部分」に「置き去りにされた人がいないかを探していくのもジャーナリストの仕事の一つ」だと思っているからだ。
命は絶たれ、使命は語り継がれた
でもなぜ、そうまでして危険な場所からの取材を続けるのか。学生からの質問、「報道で戦争は止められるのか?」に対する答えが興味深い。「そういう願いがあるからこそ続けられる」というのだ。
戦争を取材するうえで山本が自らに課したこのミッション(使命)は、ことさらに語られることはないが、学生たちへのメッセージとして、また、自身の想いを確認するように、幾度となく講義の中で繰り返される。しかしながら、この年8月、内戦が続く中東シリア北部の街アレッポでの撮影取材中に、政府軍からの凶弾で斃(たお)れた。志半ばで夢絶たれた無念を察するに余りある。
この講義は、ジャーナリストコースを対象に行われたものではあるが、それに限らず生身の学生を相手にする我々にとって非常に示唆に富んだ必読の書ともいえると思う。“俺はいったい何を残すのか?”、“俺はいったい何が残せるの?”、自問する日々は続く。
(板井 美浩)
出版元:早稲田大学出版部
(掲載日:2013-06-10)
タグ:ジャーナリズム 生命
カテゴリ 人生
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僕らが部活で手に入れたもの
高畑 好秀
トップ選手や指導者、さらには経営者など各分野の第一線で活躍する12人に、メンタルトレーナーの第一人者である高畑氏が「部活時代」をインタビュー。対話形式で読みやすく、横で一緒に話を聞いているような気分になる。
内容は、それぞれ結果を残している人たちだけあり、文武両道ぶりはもちろん、逆境における取り組みや転機での判断、現在の職業にどのようにつなげているかなど、ハッとさせられる箇所が多い。部活、学生時代のスポーツ経験というのは何かしらを与えてくれるものだと再確認する。
だが、高畑氏は最後に、思い出づくりのための部活ではなく、打ち込んだ結果として部活が思い出に残るのだとも言う。「部活」は「仕事」などにも置き換えられる。自分自身の振り返りにもなる一冊だ。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2014-06-10)
タグ:部活動
カテゴリ 人生
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諦める力
為末 大
なぜ反発という反応か
ネガティブなイメージの「諦める」と、ポジティブなイメージの「力」が合わさったタイトル。数ある「力」関係の本の中で、これほど身も蓋もないタイトルも珍しいと思う。だから、しばしばウェブなどで本書について「炎上」したりするのだろうと思う。
その炎上騒ぎを眺めていると、この「諦める」に対してしばしば引き合いに出されていたのが、人気バスケ漫画『スラムダンク』の「諦めたらそこで試合終了ですよ」という安西監督の名セリフ。だがこの漫画でも、実は諦めている場面もある。主人公たちが諦めないのは「試合に勝つ」ことであって、「手段」は諦めている。とくに、クライマックスの試合。主人公チームのエースが、相手チームのエースに対して1 on 1で挑むが、どうしてもかなわない。そこで味方を生かすパスを出すよう戦法を切り替えることで劣勢を打開していく。漫画ではそれを「プレーヤーとしての成長」という描き方をしていた。
著者が言っているのはそういうことなのだと思う。ただ、著者である為末氏は、世界陸上銅メダリストという、我々から見たら「成功者」であるので、その成功者から「見込みのなさそうなことは諦めた方がいい」と言われると反発も大きいのだと思う。だが、為末氏としては、世界で勝つために100mから400mHに転向したのに、それでも世界一にはなれなかったのだから成功できなかった、という思いが強い。そういう経験から導き出されたのが「諦める」ということなのだと思う。「スポーツはまず才能を持って生まれないとステージにすら乗れない。僕よりも努力した選手も一生懸命だった選手もいただろう。でも、そういう選手が才能を持ち合わせているとはかぎらない」、これなど、多くの人から反発を買うこと必至である。しかしこれは、誰もが薄々、あるいははっきりと感じていることなのではないか。「それを言ったらおしまい」とばかりに、「やればできる」のだと安易に撤退の決断を先延ばしにしているだけなのではないか。「そのときの率直な感想は、『自分の延長線上にルイスがいる気がまったくしない』というものだった。僕がいくらがんばっても、ルイスにはなれない。僕の努力の延長線上とルイスの存在する世界は、まったく異なるところにあると感じた」というのは、為末氏がカール・ルイスの走りを生で見たときの述懐である。
さすがだと思う。身体的才能に加え、こういうドライなセンスが、氏を世界的トップアスリートに押し上げたのだと思う。
「諦める力」とは
「やればできる」に対する「それじゃあ、できていない人はみんな、やっていないということなんですね?」という著者の問い。私なら何と答えるだろう。
仮に「できる」を「目的が達成されること」、「やる」を「目的を達成しようとする意志を持って行動すること」と定義する。この場合、「やる」は「できる」の必要条件、「できる」は「やる」の十分条件、ただし「やる」は「できる」の必要十分条件ではない。
問題は何をもって「できる」とするのか、だ。それをもっと突き詰めて考え、そのために何を「やる(あるいはやらない)」べきかを戦略的に捉えようよ、というのが本書の趣旨だと思う。
自分が思い描いている自分と、本当の自分とのギャップ。それを見極め、できそうなこととそうでないことを冷徹に切り分けていく。「諦める」とは「明らめる」である。「力」とは「能力」であり「エネルギー」でもある。自分が本当にやりたいことは何なのかを明らかにし、どんな手段をとれば達成可能なのか見極めるには、相当に高い分析能力と膨大なエネルギーを必要とする。
その一方で、目的を達成しようと創意工夫する過程こそが面白い、という魔力も存在するので、理屈で簡単に切り分けられないところが、なかなかやっかいだ。その魔力が手段を目的にすり替えてしまう。私などはその典型だと思う。
やればできる、への答え
さて、件の問いに対する私なりの答えはこうだ。「やればできるとは限らないが、やらなきゃできない」
だいたい、目的なんて変わるものだし、そんなにはっきり手段と目的を区別できるものでもない。そもそも、成功しなきゃいけないなんて決まりもない。だから、行為に意味を求めるより行為そのものを楽しみたい。
それもまた成功の1つだと思うのだ。
(尾原 陽介)
出版元:プレジデント社
(掲載日:2014-08-10)
タグ:陸上競技 努力 才能
カテゴリ 人生
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大人はどうして働くの?
宮本 恵理子
選手に問いかけたこと
その昔、社会人ラグビーチームのトレーナーだった頃、ただ一度だけトレーナーではない立場で部員全員の前で話をする時間をもらった。その頃のチームは閉塞感が強く、やらされているムードの中なかなか結果を出せずに、選手の間で不満が蓄積していた。私が問いかけたかったことは、改めて言うまでもないと一笑に付されるようなシンプルなものだった。「なぜラグビーをしているのか」。学生の頃からラグビー漬けで、ラグビーをすることでトップチームにたどり着いた選手たちはラグビーを仕事にできた限られた人間だ。ラグビーでは誰にも負けたくないという自尊心があるはずだ。それなのになぜやらされて文句ばかり言っているのか。なぜ自分の意思でやるべきことに立ち向かおうとしないのか。
わかっていて当たり前のことで、しかもコーチのやり方に疑義ありとも受け取れる話をあえてすることは、役割分担が明確なチームでは控えるべきだったとは思うし、だから何が変わったというわけではない。しかし、その頃のチームが認識を改めるべき一点だったし、心から不思議で問わずにはいられなかった純粋な疑問だった。
言葉の放つ輝き
さて「大人はどうして働くの?」と子どもの純真な眼差しで問われたなら、どう答えられるだろう。本書では「7人の識者」にこの質問をして得られた回答を、編著者である宮本恵理子氏が文章に起こしている。日経キッズプラスの単行本ということで、インタビュー内容を本書の後半で大人編としてまとめ、前半部分では子どもたちに語りかけるような文章に改めて載せている。いや、もしかしたら逆なのかもしれない。
いずれにせよ、子どもたちに語りかけるその口調のほうが心に響く。「夢中になれるから」「勉強したいと思えるから」「次の世代に受け継ぐため」「最高に面白い謎解きの連続だから」「恩返しのために」「仲間と喜びや悲しみを分かち合えるから」など、そこだけ抜き出すと当たり前のことのように思える言葉たちも、自らの経験談の中で語られるときには輝きを放つ。
それぞれの答えはそれぞれの識者がそれぞれの人生の中でたどり着いたもので、そこに普遍的で唯一の解など存在しようもない。いい年をして脆弱な部分がまだ目につく我が身を鑑み、問いかける。自らがたどり着いた働く理由というものを、子どもたちの目をまっすぐに見つめながら話すことができるだろうか。そして希望を抱かせることができるだろうか。そんな人生を歩めているのだろうか。やんちゃな自分が年をとって丸くなってしまったのかもしれないが、50歳を目前にしてようやく隙のない良識を確立する覚悟ができたように思う。
高校生に求めるプロ意識
たとえば子ども向けの商品でも子ども向けビジネスと呼ばれるものでも、本当に子どもたちのためという良心を失わずに展開しているのか疑問に思うケースは枚挙にいとまがない。自分の子には絶対にしないという指導法を、他人の子どもたちに平気でできてしまうスポーツ指導者もその1つだ。
儲けが良心を簡単に凌駕する現代社会で、我ながらナイーブなことだとはわかっているし、良心など食い物にされても食い扶持にはならず、綺麗事だけで世の中渡れないことも一面事実だろう。思わぬ苦難に自棄することもあれば、羽目を外して良心に反した過ちを犯すこともある。しかし、働く上で良識を持ち続ける強靭さをやはり鍛え続けなければならないと思う。
考えてみれば高校のラグビー部で働いていた頃のほうが、選手たちにそんな話をする機会が多かった。ラグビーみたいな過酷な競技は人に言われてやらされるもんじゃない。だから高校生にもプロ意識を求めていた。「夢中になれるから」「向上したいと思えるから」戦うヤツらがいた。「後輩たちに受け継ぐため」汗を流すヤツらがいた。「最高に面白い謎解きの連続」として日々研鑽するヤツらがいた。母親への「恩返しのために」歯を食いしばるヤツらもいた。「仲間と喜びや悲しみを分かち合えるから」身体を張るヤツらがいた。
自分だけ得することなんか考えていなかった彼らは、訳知り顔の大人より「なぜそんなにしんどいことをしているのか」という理由を意識下で理解していたのではないか。そんな現場で働くスポーツ指導者やトレーナー、また教員などはその良識を失わずにいられる、いやそれ抜きには務められない仕事のはずだ。
甘い自分を叱咤して「どうしてその仕事をしているのか」胸を張って語れるような生き方をまだまだ追求しなければならない。「大人はどうして働くの?」なんて幸せな問いかけができる国に生きる幸運の下、根っこにそんな真っすぐな想いを持ち続けることができるなら、そのほうが気持ちいいではないか。
(山根 太治)
出版元:日経BP社
(掲載日:2014-09-10)
タグ:働く
カテゴリ 人生
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高齢者が働くということ 従業員の2人に1人が74歳以上の成長企業が教える可能性
ケイトリン・リンチ 平野 誠一
齢をとりたくて仕方がない
マスターズ陸上などというベテラン選手の大会に出るような人たちは“齢をとる”ということに関して、世間とは少しばかりズレた価値観の中で暮らしている。“長老”が偉いのは当然のこととして、とにかく皆“早く齢をとりたくて仕方がない”のだ。
マスターズのカテゴリーは5歳きざみでクラス分けがされていて、ひとつのカテゴリーの中でレースタイムが同じだった場合、1日でも年上のほうが勝ちとなる。“齢をとるほど体力が低下”しているはずだからだ。そういった意味では、たとえば80歳クラス(80~84歳)では80歳より84歳が有利となる。
しかしまた、ひとつ上がって85歳クラス(85~89歳)になると、今度はそのクラス“最年少”選手として若手のホープに返り咲くことになるのである。
だから88歳の誕生日を迎えられた大先輩に米寿のことほぎを申し上げに行ったとき、“そんなことはどうでもいい”と、遠い目をして宣ったとしても動揺してはいけない。“ああ、早く90(歳)になりてえなあ”とのお言葉が後に続くからだ。マスターズとは、まさに“40、50ハナタレ小僧。60、70働き盛り。男盛りは80、90(歳)”を地で行く世界なのである。
家族経営の工場が舞台
さて、今回は『高齢者が働くということ』。「ヴァイタニードル社」という、アメリカ東部にあって、特殊な注射針などを製造する従業員約40名の家族経営の工場を舞台としたものである。ごく普通の(むしろ小規模な?)製造業ではあるが、ただひとつ違っている点は、従業員の半分を74歳以上の高齢者が占めているところにある。
著者のケイトリン・リンチは気鋭の文化人類学者だ。文化人類学の研究手法に「フィールドワーク(現地調査)」というのがあって、ある文化を共有する集団に対し“外部者”としての目から観察したりインタビューしたりするのだそうだが、もう一歩踏み込んで“内部者”として時間を共にすることで文化の特性を分析しようとする「参与観察」という方法があるそうだ。著者は、約5年の取材期間のうち3年近くを「従業員」として勤め、ヴァイタニードル社の内部にいながら外部者としての観察眼を発揮するという綿密な取材を敢行して本書をものしている。
ケイトリン(この工場では従業員同士を含め社長に対しても互いにファーストネームで呼び合う。従業員の中には先代の社長時代からの者もおり、現社長が少年の頃から知っている)には、「インタビューでたびたび使用してきた質問」に「あなたはお年寄りですか?」というのがあって、従業員は誰もが戸惑いを隠せないようだった。「老い」というのは「文化的に構築された」ものであって、彼らの反応は「年相応の振る舞いに対する文化全体の期待に応えよという社会の圧力があることを指摘する」ものであるという。
働く理由
従業員たちは「人柄や経歴、働く理由も千差万別である」が「働くことに対して、給料だけでなく、帰属感や友達づきあい、さらには生産的なことをしている実感ややりがい、誰かの役に立っているといった経験を求めている」のである。
最高齢が99歳(2011年現在。ほかにも10代からあらゆる世代)の従業員を抱えるこの工場は、「ヴァイタ」すなわち「ラテン語で『人生』という意味」が示すように「まさに人生が(それも意味のある人生が)つくり出されている」「成長企業」であり、世界が注目する「エルダリーソーシング(高齢者に仕事を任せること)」モデルとなっているようだ。
かつてスポーツ界では25歳を越えると“ベテラン”と呼ばれる時代もあった。ましてや30歳を越えて活躍する女性アスリートというのは皆無に近かった。今では35歳を越えてもなお世界の一線で活躍するアスリートも少なくない。
しかし人生80年の時代を迎え、競技の絶頂期を過ぎてからの人生はあまりに長く、引退後のセカンドキャリア問題は多くのアスリートにとって重くのしかかる。競技力を問わず(それによってメシを食っているいないにかかわらず)人生の大きな位置を占めていたものと距離を置くことになるからだ。なんとしてでも、別の人生を死ぬまで歩み続けなければならない。
こうなったら“90になって迎えが来たら、100まで待てと追い返せ。100になって迎えが来たら、耳が遠くて聞こえません”を目指そうじゃないか! と、潔くないかもしれないが50代のハナタレとしては訴えたいのである。
(板井 美浩)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2014-10-10)
タグ:人生 働く 組織
カテゴリ 人生
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もっと投げたくはないか
権藤 博
「権藤、権藤、雨、権藤」の著者がタイトルのようなことを言うと、スポーツ医科学を無視した懐古論かと思われるかもしれない。だが、指導の立場に回った権藤氏は、自らの経験を踏まえた「投げさせないコーチ」であった。つまり、個々の肩の状態をしっかり見極めた上で、プロ投手としてのあり方を提言している。それが伝わってくる自伝である。
また、冒頭には松山千春氏との対談が掲載されているが、スポーツと関係ないのでは、と飛ばしてしまわないでほしい。松山氏の言う「明日も球場に来てください、と口でお願いするようなプロは嫌いだ」にはハッとさせられる。プロに求められるのは圧倒的なプレー。もっと投げて、シーズン30勝を挙げるような選手ということだ。
もちろんプロ野球選手に限らず、仕事に取り組む人すべてに参考になるのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:日刊スポーツ出版社
(掲載日:2015-01-10)
タグ:野球 投球 指導
カテゴリ 人生
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変えることが難しいことを変える。
岩渕 健輔
ラグビーW杯における日本代表の躍進が記憶に新しい。著者は日本代表ゼネラルマネージャーとしてその瞬間に立ち合ったはずだ。本書は2012年のGM就任以降の取り組みが書かれている。今でこそ「GM」というポジションはよく聞かれるようになったが、実際どんな仕事をしているのかが垣間見える。一言で言えば対内および対外交渉がメイン。そのとき最も重要なのは周囲に同じ方向を向いてもらうことだと感じた。
岩渕氏は現役時代は司令塔のSOを務め、海外チームでのプレー経験もある。だからこそ世界と渡り合いながら改革を先導できたが、逆に言えば課題が見え過ぎて何もできなくなってしまったかもしれない。
どんなに優秀な人でも1人でできることは限られている。本書の内容はスケールが大きいが、周囲と力を合わせればどんな組織でも応用できるのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ベストセラーズ
(掲載日:2015-12-10)
タグ:組織 チーム
カテゴリ 人生
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一流の逆境力 ACミラン・トレーナーが教える「考える」習慣
遠藤 友則
サッカー好きなら読みやすい。ACミラン全盛期のあの選手達がこんなことを考えて、練習、試合、大会に挑んでいたのかと思いを馳せながら読むことができてお勧めだ。
本書の著者はACミランでメディカルトレーナーを16年も務めていた遠藤友則氏。ACミランというサッカーの名門チームはプロの中でも群を抜くプロ集団である。そこでトレーナーとして関わることができるのも限られた者だけなのは言わずもがなである。そこで、一流のトレーナーが一流の選手を見て、何が一流なのかと考察され生まれたのが本書なのである。
「目の前の小さな仕事を疎かにせずに、人が嫌がる仕事をただ一生懸命にやっていた」
「自分自身がよい評価をしていないのに、他人から評価される場合は、最終的に崩れる」
「自分の頭で考える時間を大切にすること。誰かから教わると、教えられたことは上手にできるけれども、それ以外のことに対応できなくなる」
本書に書かれた一文であるが、サッカーやトレーナーに限らず、どんなことにも共通する。努力すれば成功するとは限らない。しかし、成功する者は努力していた。こんな言葉を聞いたことがある方もいるのではないだろうか。この言葉は努力の必要性をうまく表現している。だが、その努力にも成功者の努力の仕方と、そうでない者の努力の仕方に分かれてしまうのではないだろうか。少なくとも本書では成功者と言える方々の考え方に触れることができる。最初にもお勧めしたが、サッカー好きなのであれば、もしくは運動指導や健康管理に興味があり、難しそうな成功哲学書や自己啓発本を読もうと考えているのであれば、本書を入門書として読んでみてほしい。
(橋本 紘希)
出版元:SBクリエイティブ
(掲載日:2016-06-18)
タグ:サッカー トレーナー
カテゴリ 人生
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限界の正体
為末 大
人間生きていれば、誰しも壁にぶつかることはある。かくいう私もしかり。そんな時にはつい他人と自分を比較したりして、己の未熟さを痛感して強烈な敗北感にどっぷりと浸かる。「ここまでか。これが自分の限界か」と、フウーッと溜息を漏らすこともあったりして。
限界の正体とは何だろうか。私はそんなこと考えるような哲学的な男ではないが、著者は現役時代より長年スポーツに関わってきた中で、ある一つの仮説にたどり着いたと言う。
「限界とは、人間のつくり出した思い込みである」
「人は、自分でつくり出した思い込みの檻に、自ら入ってしまっている」
と、いうことらしい。
限界といえばイメージ的に壁とかハードルにたとえられることが多いが、著者は限界が壁やハードルのように眼前のみに立ちはだかるものではなく、あらゆる側面から立体的に立ちはだかるものとして「檻」と表現している。それから、私達が限界だと感じていることは、自らが作った‘思い込み’に縛られているだけかもしれないと言っている。例を挙げれば、日本人はメジャーリーグでは通用しないというかつての野球界の常識も、野茂英雄選手の活躍によって今じゃ完全に過去のものとなっている。結局、自分で限界を決めてしまっているのではないだろうか。
では限界の檻から抜け出すにはどうしたらいいのか。それについて、この本に書かれている。本書はいわゆる自己啓発本かも知れない。他の同類の本に見られるようなお馴染みのフレーズも見られるが、「なるほどね」と思わせる箇所もある。著者自身の性格が文章に反映されていて興味深い。選手のみならず、ごく普通の社会人にとっても、目標を達成するヒントとして参考になるだろう。
(水浜 雅浩)
出版元:SBクリエイティブ
(掲載日:2017-03-27)
タグ:限界
カテゴリ 人生
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スピードに生きる
本田 宗一郎
本田宗一郎は本田技研工業の創始者で言わずと知れたカリスマ経営者。以前京セラの稲盛和夫氏に心酔し懇話会に通ったりしたものですが、名だたる経営者に共通するのは哲学をお持ちだということ。ハウ・トゥーの経営方法はあまり聞いたことがありません。時代や業種などバックグラウンドが違えば、方法論はいくらでも変化するからでしょう。だからこそそのときそのときの最善策を生み出すための人としての生き方みたいなものが必要になるのだろうと思いました。
企業は多くの人の集まりであるがゆえに、経営者の哲学が全体に伝わりそれに基づいて動いてこそ、企業が有機体として運営されるのでしょう。
本田宗一郎という人は子供のころからの夢を、強い信念により現実のものとし、本田技研を大企業にまで成長せしめ、さらにその夢が次の時代に受け継がれていきました。折れることも曲がることもなかった子供のころの夢が本田技研という形になったという点で、多くの人の憧れや尊敬を集めたことには違いないのですが、よくありがちな苦労話というよりも、むしろ楽しそうに活き活きと仕事に取り組まれたという印象が強く残りました。
他人の二倍も三倍も働いてとくれば、今のご時世「ブラック企業」のそしりも受けそうですが、遊びも大事だとか、うまく休息をとってリフレッシュなんてエピソードがありました。やみくもな努力よりも効率的な仕事のあり方を奨励されています。あの時代に人並外れた努力で出世し、国民の鑑として扱われた二宮尊徳を古いといって切り捨てることはなかなかできることではありません。
ただしサラリーと引き換えに時間の切り売りという発想ではなく、仕事のときはアイデアを生み出すことに力を注いでおられたようです。そういう考えを会社全体に浸透させることでユニークなアイデアや新しい時代を切り開くための商品開発の土壌をつくることに苦心されたのがわかります。
本書のタイトル『スピードに生きる』というのはオートバイのスピードかと思いきや、経営のスピードであり、アイデアのスピードであり、流行りのスピードであったり、本田宗一郎の経営観の独自性が疾走感にあることが伝わってきました。
発想を変えてみたいときに読んでみると面白い本です。
(辻田 浩志)
出版元:実業之日本社
(掲載日:2017-05-13)
タグ:経営
カテゴリ 人生
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一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート
上原 善広
「溝口和洋? そういえば、そういう選手いたな。」というのがこの本を手にしたときの率直な感想だった。現役時代の写真を見て思い出した。あの時代にして、やけにマッチョなガタイをしていたのが印象に残っていたからだ。
溝口氏はカール・ルイスが活躍していた時代、日本を代表するやり投げ選手だった。1984年ロスアンゼルスと88年ソウル五輪に連続出場。翌89年の国際陸上競技連盟主催のワールドグランプリに日本人選手として初出場し、やり投げで総合2位になった実績を持つ。彼の持つ87m60cmという日本記録は未だ破られていない。
溝口氏は陸上界で無頼と呼ばれていたらしい。アスリートでありながらヘビースモーカーである。連日、夜の街に繰り出しては酒と女を嗜む。そして大のマスコミ嫌い。現在であれば、アスリートの倫理観からして到底受け入れられるはずはなく、相当なバッシングを受けているに違いない。そういう意味では、時代が彼に対してまだ寛容だったのだろう。
数多くの破天荒な伝説を残してはいるが、一つ評価できるところを挙げるならば、ウェイトトレーニングにいち早く着目していたことである。彼の身長は180cmであるが、それでも外国人選手と比べて小柄だったことやパワーの差を痛感していたようだ。ウェイトトレーニングは現在では当たり前に行われているだけに、彼には先見の明があったといえる。ただ、彼の感性に基づく独自のトレーニング理論には、我々トレーニング指導者からして、首をかしげるところが多々あるのも事実である。なにしろ1回のトレーニング時間が12時間、ベンチプレスだけを8時間ぶっ通してやったこともあるそうだ。ここまでくれば、もはや体力的限界を越えて「根性」らしい。煙草に関しても「煙草は体を酸欠状態にするので、体にはトレーニングしているのと同じ負荷がかかる」と言っている。
その後、ケガが原因で34歳で現役を引退。一時期、なぜかパチプロで生計を立てた後、実家に帰って結婚、農業を継いでいる。彼の人生を振り返ると、キャラクターはもちろん、物事に対する考え方や行動に至るまで規格外であるといえよう。溝口和洋という人間に興味を持つ人物伝として面白い本だった。
(水浜 雅浩)
出版元:KADOKAWA/角川書店
(掲載日:2017-09-22)
タグ:人物伝 陸上競技 やり投げ トレーニング
カテゴリ 人生
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スポーツを仕事にするという選択
池上 達也
「なぜ、世の中に数ある職種の中でスポーツビジネスを選ぶのか?」
2019年にはラグビーワールドカップ、2020年には東京オリンピック、2025にはワールドマスターと、史上稀にみるスポーツイベントが立て続けにここ日本で開催されます。きっと数多くのスポーツファンがブラウン管にかじりつき、メディアでも連日連夜と結果について報道されるでしょう。そう思うと日本人は、スポーツが大好きです。そしてスポーツと縁が深いはずです。
まず中学校・高校では「部活」や「体育祭」を体験します。
また、日本の戦後の復興にはONコンビ(王・長嶋)に代表されるように野球で盛り上がり、力道山という最強のプロレスラー・若乃花、貴乃花にみる相撲人気といい、スポーツヒーローが出現しました。その後、サッカーワールドカップの出場やオリンピックでは金メダル獲得などに日本中が沸きます。きっと日本人のDNAはスポーツが大好きです。
しかしながら、スポーツビジネスの主役であるスポーツ選手には選手寿命があり、引退した後にはセカンドキャリア問題があります。よくある話はそのスポーツの指導者という職につける人もいますが、全てがそうはいかず一般の職に就きます。メインである選手の生活環境が不安定な状況で、選手ではない我々がスポーツビジネスで生計を立てるのは難しいと世間では言われます。ましては、スポーツは興業的な要素もあるのでなおさらです。
それでも、なぜスポーツに関わる仕事を行うのか? その意義をしっかり持つことをこの書籍では考えさせられます。
著者は、スポーツビジネス職への斡旋を主にされていますが、スポーツビジネスで働く理由をヒアリングして納得できるものでなければ転職しないほうがよいと論じています。
それゆえ、冒頭の質問に戻りますが、なぜスポーツビジネスに携わりたいのか? スポービジネスに携わり達成したいその目的がリアルであればあるほど、その目的に対してさまざまな手段を選ぶことができます。
それが、自分の夢なのか、好きなことでメシを食べたいのか、それともスポーツへの恩返しなのか、などここではたくさんの目的があると思います。そのきっかけを考えるには十分の書籍であり、スポーツビジネスに関わりたい方はぜひ目を通して欲しいです。
さあ、あなたはなぜスポーツビジネスで働きたいですか?
(中地 圭太)
出版元:秀和システム
(掲載日:2019-01-04)
タグ:スポーツビジネス
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「挑戦的スローライフ」の作り方 カリフォルニア郊外でプロサーファー鍼灸師
南 秀史郎
「カリフォルニア」で「プロサーファー」かつ「鍼灸師」で「挑戦的」なのに「スローライフ」。
矛盾する言葉が表紙に並ぶ本書は、「夢に生きる」ことがテーマだ。著者は南秀史郎(みなみ ひでしろう)。1959年、大阪で200年続く鍼灸院の6代目、7人兄弟の末っ子として生を受ける。
波に飲まれれば命を落とすこともある危険なスポーツであるサーフィン。テレビで見るようなビッグウェーブに乗れるチャンスは1年に1〜2回。そんな危険な競技に著者が挑戦を続けられる理由はなんなのか。本書では物事に対する姿勢や考え方、食事や睡眠などの日々の過ごし方などが著者からの「アドバイス」として紹介されているが、著者の信念は本書の最後にある「身体的な気持ち良さを大切にする」という言葉に集約されている。
サーフィンにおける良い波に乗れたときの達成感、波の音や風、日常における食事・睡眠、日々健康に生きていることそのものへの感謝…。自分が「良いと感じたもの」をとことん追求する。それがたとえ科学的根拠に乏しいものであっても。結局は自分が実践してみて、実感したものでしか、納得のいく人生は作れないのだろう。
自分の選択に自信が持てない人や、迷いや葛藤を感じている人ぜひ読んでいただきたい一冊である。
(川浪 洋平)
出版元:医道の日本社
(掲載日:2019-04-16)
タグ:鍼灸 サーフィン
カテゴリ 人生
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サバイバルマインド
Megan Hine 田畑 あや子
筆者のミーガン・ハインは女性サバイバー。正直私の興味から言うとサバイバーという職業はかなり縁遠く、あまり関心がありませんでした。逆に自ら好んで生死の淵に向かう人が何を考えているのか、少し興味があるくらいでこの本に出合いました。
サバイバルには屈強な肉体よりも精神力の方が重要だと言い切ります。そして本書はサバイバルに必要な精神を筆者の経験談とともに書かれていますので、とても説得力があります。
まったく関心も知識もない世界のお話だけに新鮮に感じずにはいられません。避妊具のコンドームを手袋として使ったり、止血帯や投石器としての使い道や、可燃性の高さから濡れた場所で火を起こすのに使うなど、普通ではできない発想には舌を巻きました。
16の項目に分けてサバイバルというものを解説していますが、これら一つ一つの要素は私にとって縁遠いものではありませんでした。むしろ彼女が必要とするサバイバルマインドは、普通の社会で暮らす我々の社会生活や仕事において必要な要素とまったく変わらないものだと確信しました。ただサバイバルの性格上、失敗が命の危機に直面するから印象深く感じるのだと思いますが、ここで書かれたサバイバルに必要な多くの要素はそっくりそのまますべての人に当てはまるものでした。
私がもっとも共感したのは、「直観」というものが多くの経験の蓄積が無意識のうちに下した判断であるとされ、経験の重要性を認めたうえで、過去の経験だけに頼っていると経験則の罠にはまるとも言われます。筆者の経験との距離感、そして経験にとらわれない自由な発想、これらのバランスがすごくいい方だと感じました。それが生き残る秘訣なのかもしれません。
命に関わる危機に直面すれば人はパニックに陥ります。しかし命がかかっているからこそ冷静に決断しなければなりません。そういう局面で決断の手順を持っておられるところには恐れ入りました。しかも7段階にわけてより正しい判断をするという、冷静さと恐怖をコントロールする力に筆者の凄みを感じてしまいます。
アクション映画さながらのお話に驚嘆しながら読んでいるうちに、私たちの生活にも必要なエッセンスに気づかされていきます。それが実践できれば危機対処に強くなれそうな気がします。ハラハラドキドキしながら読んで人生訓が得られる本って珍しいです。
(辻田 浩志)
出版元:エイアンドエフ
(掲載日:2019-07-27)
タグ:サバイバル
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プロレスという生き方 平成のリングの主役たち
三田 佐代子
私たちの世代にとって、ヒーローといえばプロ野球の長嶋茂雄であり、王貞治でした。そして野球と人気を二分する形でプロレスのジャイアント馬場とアントニオ猪木も子供の憧れでした。娯楽が少なかった分だけ人気が集中しました。今では考えられませんが、ゴールデンタイムには野球かプロレスのどちらにチャンネルを合わせるかで悩んだものです。
平成という時代は「多様化」という言葉がキーワードになるかもしれません。数多くのスポーツが注目されるようになり、野球もプロレスもゴールデンタイムの地上波で見ることはかなわなくなりました。それでも昭和とは違う形でプロレスも生き残っています。本書は平成のプロレス事情を紹介したものです。
平成のプロレスのキーワードもやはり「多様化」だったようです。馬場・猪木のストロングタイプのレスリングだけではなく、様々な要素で客を惹きつけることで生き延びる数多くの団体とレスラー。元々いたファンにプロレスを見せるということが難しくなった時代に奇想天外なアイデアで新たなファンを獲得する姿は進化といっていいかもしれません。路上でプロレスをしたり、人形相手の試合をしたり、透明人間と闘うという設定の独り相撲ならぬ独りプロレスもあるそうです。そのアイデアだけでも興味をそそります。
本書は選手に対する賛美だけではなく、リアルなプロレスの苦労であったり失敗なども赤裸々につづられています。かつて子供のころに憧れた完全無欠のヒーローではなく、生身の人間の生き様そのもの。登場する人たちの息遣いが聞こえてきそうなエピソードは人間臭さを感じさせます。
レフリーが登場したり裏方の人が登場したり、いろんな人がいてプロレスの興業が成り立つのが理解できました。かつてワイドショーをにぎわした女優沢田亜矢子さんの元夫であるゴージャス松野さんのエピソードは印象的。福島県で大震災にあい、プロレスラーとして東北の人たちを勇気づける話は心が温まります。
平成から令和に時代が変わり、プロレスはこの後どんな進化を遂げるんでしょうね。プロレスファンはもちろんのこと、プロレスに興味のない方でも楽しく読むことができます。
(辻田 浩志)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2019-08-07)
タグ:プロレス
カテゴリ 人生
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トレイルズ 「道」と歩くことの哲学
ロバート ムーア Robert Moor 影山 徹 岩崎 晋也
私の生まれた町は道路が東西南北に規則正しく伸びていて、碁盤の目のようになっている。北に行けば標高が高くなり、南に行くほど海に近くなるので、北に行くことを「上に行く」、南に行くことを「下へ行く」と言い、道案内はそれで通じた。鉄道も3路線あったが全て東西に長く伸びるだけであった。
高校卒業とともに上京した私は、縦横無尽に走り枝分かれする道路や地下鉄に戸惑いを隠せなかった。
本書の道案内役はロバート・ムーア。ミドルベリー大学の特別研究員である。彼はアパラチアン・トレイル(アメリカ東北部を2,600kmにわたって連なる山脈)の全区間スルーハイクから、 ある疑問を持った。「道はどのようにしてできたのか」「なぜこの場所にできたのか」。その答えを求め、整備された都市はもちろん、原住民族のみが知るような地図にない道、目に見える道だけでなくアリの行列から古代生物の化石まで世界各地を探索した。
やがて彼は、一つの答えにたどり着く。
”道=トレイルには物語がある”。動物が生存のために天敵を避け、食料のある場所までの安全な道を作った。人類はすでにある道をできるだけ早く移動するために、また情報を伝えるためにテクノロジーを発達させた。人類の、そして地球に住む生物の太古からの営みと歴史がトレイルには刻まれていた。
我々がなぜ今ここにいるのか、どうやってこの場所にたどり着いたのか。本書は幾重にも積み重ねられたトレイルの“これまで”の物語を知るとともに、我々が“これから”をどう生きるかを考える哲学書でもある。
ロバート・ムーア氏とともにトレイルを辿る旅に出てみてはいかがだろうか。きっといい道案内役になってくれるはずである。
(川浪 洋平)
出版元:エイアンドエフ
(掲載日:2019-08-17)
タグ:道 トレイル
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早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした
小林 拓矢
「ブラック企業」。主に法の枠を超えた過酷なサービス残業を行わせたり、理不尽なパワハラや正当な理由のない解雇によって従業員を追い詰める企業のことを指す。こういった形態の企業は昔から存在していたと思うが、「ブラック企業」という言葉が盛んに用いられるようになったのはここ十年ほどのことです。
本書でははじめに「ブラック企業」とは何かを軽く述べたのち、著者が大学を卒業して現在のフリーライターとなるまでに勤務した3社の「ブラック企業」について、それらの企業で受けてきた扱いや勤務する中で感じていたこと、そして自身はどう反応し行動したのかが記されている。想像していたよりひどい扱いだなと感じる人もいそうな内容で、読んでいて暗く重い気分になる。しかし、これは実際に起こったことであり、特殊な出来事というわけでもない。世間には普通に存在していることである。もし自分の勤める会社がそうだったら、もしくは実際にそうならばどうすべきか、考えるきっかけになる本だろう。
ブラック企業とは世の中に一定数存在するもので、中には世に言うブラック企業にあたるとは微塵も思っていない企業や、認識していながらそのことを隠す企業もあることだろう。新しく社会に出る新卒者がそういったブラック企業を見破り避けることは難しいと思う。しかし、インターネットが普及した今なら、実際に起きてニュースにまでなった事件や就職関連サイトおよび匿名掲示板での評判からブラック企業を見破ることができるかもしれない。ただし、ニュースになっているほどならともかく、インターネットにある情報がすべて事実とも限らない。あくまでそれらの情報は参考程度にし、就職説明会等でその企業の空気をつかむことが必要になるだろう。
また、実際に社内で圧力に悩まされている人にとっても、この本の著者の経験と行動した結果から、今この状況ならばどうするのが最善なのかを考える助けになると思う。親・頼りになる先輩・弁護士・労基など相談できる先は多い。企業自体がブラックなのか、それとも特定の人物がブラックなのかによって、起こすべき行動も変わるだろう。
よほど好転しない限り最終的には退職へとつながると思うが、追い詰められて自ら命を絶つよりは遥かにマシである。同僚に迷惑をかけるからだとかそんなことを考えるより、まずは自分の身を第一に考えるほうがよっぽどいい。男女・世代関係なく、また社長や上司という立場の人たちにも、できれば読んでいただきたい一冊である。
(濱野 光太)
出版元:講談社
(掲載日:2019-08-20)
タグ:仕事 ブラック企業
カテゴリ 人生
CiNii Booksで検索:早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした
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笑顔の習慣34 仕事と趣味と僕と野球
山本 昌
筆者の山本昌投手は実に記録に満ちた大投手です。実績から見ても50歳まで現役、32年間の実働と現役で中日一筋、219勝で殿堂入り、41歳でノーヒットノーランを達成されています。そんな山本投手が現役を引退して、セカンドキャリアを歩みながら現役時代を回顧しています。背番号にちなんで34個のエピソードがあり、丁度よい文章量で読みやすく構成されています。
32年間も現役を続けられた要因として、興味深い点を仰っています。それは、実はマイナス思考で緊張しやすい性格という点です。その不安を補うためにダンベルを毎日握って手首を鍛える小さな努力を継続しています。また、女房役である捕手のサインには首を振らなかったそうです。納得できなければ、あえてボールに外しています。それは、投手よりもバッターを間近で何試合も見ている捕手を信じているからです。そして、先発として序盤で打たれたとしても決して「投げない」(投げ出さない、あきらめない)と述べています。投げ出してしまうのは周りにいる選手にも失礼にあたります。何より一生懸命投げることが、219勝という結果につながっています。
また、出会いの大切さやピンチのときこそチャンスであったと回顧されています。入団後、なかなか選手としての目が出ずにドジャースキャンプに半年間参加した際、2人の恩師に出会うことができ、ここからブレークされています。
そして興味深い話として、強いチームの条件は、よい選手がよい習慣を行うと述べています。2016、2017、2018年とセ・リーグを3連覇した広島東洋カープの強さは、チームの土壌にあると解説されています。
また、それは落合監督時代に無類の強さを誇った中日ドラゴンズも同様です。ドラフトでよい選手、つまり「苗」を取ってきても、それを育てるチームである「土壌」がよくないとよい花は咲かないというたとえは納得の話です。
この話を読みながら、私もかつて優勝争いをしていた在阪球団の体力測定イベントのスタッフで施設内を見学したときに、大ベテランの選手が若手選手に交じって精力的に汗をかいていたのを思い出して腑に落ちました。
この書籍は、現役のアスリート選手やビジネスマンに読んでほしい一冊です。本書では、現役時代を振り返ってセカンドキャリアにおいて何が大切かについて述べられています。アスリートには必ず引退が訪れます。きっと、現役時代の経験を活かすヒントが見つかると思います。
(中地 圭太)
出版元:内外出版社
(掲載日:2020-04-09)
タグ:野球 投手 セカンドキャリア
カテゴリ 人生
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自慢の先生に、なってやろう! ラグビー先生の本音教育論
近田 直人
『ごくせん』や『ROOKIES』(ルーキーズ)、古くは『3年B組金八先生』は情熱を持った先生と荒れた生徒の感動ストーリーだが、それを現実でやってのける教師がいた。
名前は近田直人、彼は学生時代にラグビーに打ち込み、筑波大学で体育教員の免許をとったあとは地元の大阪に戻り、教師のしてのキャリアをスタートさせる。赴任した高校はいわゆる荒れた高校だった。そこでさまざまな問題を抱えた生徒や保護者に向き合い、そしてときには行政や国のルールにも立ち向かっていく。
問題の解決は困難だったが、著者の信念は一貫していた。それは「愛情」である。生徒に対する愛情。生徒たちは誰かを傷つけたり、ルールを破ったりしたいのではない。ただ誰かの「愛情」を欲しているのだという。それも言葉だけでは伝わらない、行動を示すことで生徒の見る目が変わり、信頼を得ることができる。
著者の半生を記したといえる本書では、その過程を学ぶことができるだろう。また、体罰についても言及されている。生徒を支配するための体罰は許されるものではないが、「他人を傷つける暴力を止めるために手をあげることは必要」と書かれている。タブーと言われる体罰問題にも果敢に挑んだ内容は非常に貴重である。
教員に限らず、指導に携わる人、そして保護者の方にもぜひ読んでいただきたい一冊である。
(川浪 洋平)
出版元:ザメディアジョン
(掲載日:2020-09-23)
タグ:教育
カテゴリ 人生
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ウイニング・アローン 自己理解のパフォーマンス論
為末 大
世界陸上で銀メダリストとなった本書籍の著者である為末大氏。なぜ銀メダルを取れたのか、なぜ金メダルが取れなかったのか、自身で競技人生や生い立ちを振り返り、考察し、具体的に記している。
本書は競技能力を高めるためのアドバイス書というだけではない。もちろん、何かしらの競技の選手が本書を読んだときに学ぶことができると思うのだが、競技者ではない私が読んだときには、スポーツでなくとも為末氏の考え方を取り入れることで、さらに人間として成長ができるのではとワクワクしながら読むことができた。
本書では為末氏の失敗と成功の経験談、またそのときの思いを言葉にする力と、そう感じたのはなぜかという思考の深さを読み取ることができる。為末氏の意見に共感しながら読み進めていると、自分はある程度で納得し、それ以上考えていなかったことを、為末氏は言語化し、こういう理由で、そのときの解決策はこうだという答えも出している。書籍から引用させていただくと「嫉妬とその対処」(p.124)では「嫉妬とは何か。私は自分自身が欲しいものを持っている相手に感じるネガティブな感情だと整理している。ずるいという感情も含むかもしれない。ほしいものに対して人は嫉妬するのだから、嫉妬している相手をよく観察すると自分がほしがっているものや足りないものがわかる。」この後には対処の仕方が書かれているが、是非本書を手に取り読んでいただきたい。
このように為末氏の考えを覗き見ることができ、自分自身の言動に当てはめ、悩みごとの解消に一役買っている。書籍の構成としては「人脈について」「言葉について」「筋力トレーニングについて」といった46個ものテーマがあり、順番に読み進めず、気になるテーマから読むこともできる。困ったときの辞書のような意味合いで本書を開いてもよい。
鍼灸師、トレーナーとして読んだ私は、コーチなどつけず世界で闘っていた為末氏が「経験のあるトレーナーの助言などを踏まえながらバランスよく鍛えること」をお勧めしており、嬉しく思った。そして、アスリートが全員、為末氏のような考え方を持っているとは限らないが、トレーナーとして活動する上で世界のトップアスリートの思考に触れるよい書籍だと感じた。トレーナーの方、トップを目指す競技者、思考力をレベルアップしたい方にお勧めの書籍である。
(橋本 紘希)
出版元:プレジデント社
(掲載日:2021-05-10)
タグ:陸上競技 トレーニング
カテゴリ 人生
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「練習しない」アスリート 成長し続ける50の思考
藤光 謙司
著者のことはまさしく「練習しないアスリート」というイメージがあった。
あるテレビ番組で藤光選手が練習を終えた後に、自身の足でなくセグウェイ(編注:立位で乗り、体重移動によって操作する電動二輪車)に乗り競技場を後にしていく姿が特集されていた。当時は足を休めるためなのか、バランスのトレーニングになるのかなど考えたものの、不思議な選手が現れたなというのが第一印象であった。よくよく考えると、この印象を持った私はすでに、競技場は自分の足で歩くものという固定観念にとらわれていたのである。
本書にはセグウェイのことは記されていないが、なぜ著者である藤光選手がそういった行動に出たのかが伺える。あの行動や練習をしていないように見えているのは、あくまで結果を出すための手段であり、彼の考えが表れているのだなと分かった。
本書でも紹介されているように、成長し続ける思考法の1つに「固定観念にとらわれない」という内容があったが、著者自身がとんでもない考え方を持っているというわけではなく、多くの方に会う機会があれば、そのお会いした方の考えを純粋に受け取り、深く考え、自分の成長するアイデアとして昇華させているように感じた。
そんな著者の思考法に触れることで、私自身も、新しいアイデアと出会い、成長する人のマインド、結果を出した藤光選手のやり方を学ぶことができた。
タイトルにもある通り陸上競技者への専門書というわけではなく、成長したい方向けで幅広い業界に通じる書籍であり、新社会人や働き方にマンネリ化が生じている方に新しい思考のエッセンスとしておすすめの一冊である。
(橋本 紘希)
出版元:竹書房
(掲載日:2021-05-24)
タグ:陸上競技 練習
カテゴリ 人生
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泳いだ走った輝いた ミッキーの痛快トライアスロン人生
山本 光宏
シドニーオリンピックで正式種目となるトライアスロン。この競技で日本初の“プロ”となった山本光宏氏のインサイドストーリー。練習中の交通事故で、頸椎骨折を負いながらも奇蹟的なカムバックを遂げた37歳の現役トライアスリート人生、「明るく前向きに、挑戦していく姿」が目を見張る。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ランナーズ
(掲載日:2000-08-10)
タグ:トライアスロン
カテゴリ 人生
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スラムダンク勝利学
辻 秀一
中・高校生のバスケットボール人気に火をつけたと言われる漫画『スラムダンク』の中に、スポーツのみならず人生に勝利するヒントがあると述べる辻氏。「根性は正しく使う」「今に生きる」「あきらめは最大の敵である」「波を感じる」など、何にでも応用のきくテーマを、スポーツを題材にやさしく説いた。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2000-12-10)
タグ:人生
カテゴリ 人生
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自由。 世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学
末續 慎吾
「自由」に必要なもの
「自由」というのは単に気ままという意味ではない。そのように使っても間違いではないし、そう使われることの方が多いように感じるが、なんだか薄っぺらい。そこに自律性や自発性を持つ主体があり、責任の所在も確かに棲まわせている必要があるはずだ。それでこその「自由」だ。そもそもそれは与えられるものではなく、人類の歴史の中で有志の人々の命がけの闘いにより勝ち取ってきたものだ。
一方で、精神の「自由」に限ればどの時代でもどんな環境でも持ち得たはずだ。他者、己を取り巻く環境や常識などからのみならず、自身の欲や邪からの「自由」。こちらもなかなか難しそうだ。相反する言葉のように感じるが、「自由」でいるには相応の「覚悟」が必要なのかと感じる。さて、世界の頂点を見た人たちは果たして「自由」なのだろうか。輝かしいサクセスストーリーは「自由」につながるのだろうか。
「自由」と銘打たれた本書は、陸上界世界最高峰の舞台で闘った末續慎吾氏によるものだ。40代になった今も現役陸上選手なので、末續慎吾選手と呼ばせてもらったほうがいいのかもしれない。2003年にパリで行われた世界選手権200mで短距離走日本人初となるメダル獲得。2008年の北京オリンピックでは4 ×100mリレーで銅メダルを獲得している。そのとき金メダルを獲ったジャマイカチームにドーピング陽性者が出たため、これは後に銀メダルに繰り上げになった。いずれにせよ、押しも押されもせぬ日本陸上界の英雄である。当時のテレビ画面を通じて観たその人懐こそうな笑顔、筋肉で埋まった土踏まず、そして足を低く運ぶ独特の走り方が脳裏に焼き付いている。
しかしその栄光の後、彼は突然消えた。本書で自ら表現しているが、本当に消えてしまった印象だった。そのうち燃え尽き症候群とかオーバートレーニング症候群などの言葉がどこからともなく聞こえてきた。ただごとではなかったのだろうと、ひとりのファンまたひとりのトレーナーとして胸が痛んだ。
だからこそ、2017年の日本選手権で走る姿を目にして素直に感動した。スタート前、サニブラウン・ハキーム選手の隣で観客に手を合わせている姿、後半失速してしまったが懸命な走り、レース後に笑顔で「若い奴ら速ぇ!」といったコメントを発した姿。ただ、よかったなぁと勝手に安心したことを覚えている。ちなみに本原稿執筆の2020 年11月現在で200m 走の日本記録は末續選手の20 秒03 で、サニブラウン選手でもいまだに突破できていない。
今たどり着いた境地
本書では、栄光を掴むまでの激闘後に生死の境目に足を踏み入れるまでボロボロになったところから、あの頃よりずっと「自由」な心で走り続ける現在に至るまでに、末續選手がたどり着いた心の持ちようが記されている。サブタイトルは「世界一過酷な競争の果てに宿りついた哲学」。産経新聞に掲載されているエッセイ「末續慎吾の哲学」も拝読しているが、どちらも過酷な経験を通じて得た独自の視点で描かれていて読み応えがある。
だが、物事を繊細に捉え深淵に思考する力があるということは、ともすれば心への負担も大きいのだろうと感じる。まるで周りの人の心の声が聞こえてくるほどに、物事を鋭敏に感じ取れてしまうことがあるのだろうと穿ってしまう。自分の心の声にもいつも真摯に向き合い、あるべき姿を突き詰めないではいられないように思う。これは心が相当タフでないと耐えきれない。巷で流行の漫画の世界で描かれている、常に全力で集中しているという「全集中常中」の状態など、本当ならゾッとする。年齢を重ねると共に嫌でもタフ、というより適度にいい加減にならないと保たなくなるのだろうが。本書でも後半には「だいたいで」とか、「ラクに」とか、「流されよう」などの緩い言葉が登場するが、本人にとってその言葉通りに生きるのはそう簡単ではないのだろうとも感じる。
どこに「自由」を見出すか
そもそもルールに縛られるスポーツ競技で、常に周りを満足させるパフォーマンスを要求され、毎日の居場所をも常に登録し、ドーピングコントロールを遵守し、国の威信を背負って闘う世界レベルのトップアスリート達が、「自由」な精神を持ち続けることは生半可なことではない。自らに厳しい鎖を課すアスリートならなおさらだ。だからこそ彼らは特別な存在なのだ。
確かに勝利や敗北からも、名声や羞恥からも、ルールからも、キャリアからも、「自由」という言葉の定義からすらも完全に「自由」に、自分の追い求めたいものを全力で好きなように追い求めることができたなら本当に楽しいように感じる。それでも、様々な縛りの中で苦しみ抜いてでも己を高め、それを周知に圧倒的に認めさせることにこそ「自由」があると考える人もいるのだ。
いずれにせよ人間社会に生きている限り完全な「自由」もなければ完全な「不自由」もない。様々な関係の網の中で自分のバランスが取れる立ち位置を見つけ、ありたい自分、あるべき自分でいられることが結局「自由」なのかと考える。そしてどうせなら薄っぺらい側の「自由」ではなく、ぶっとい芯の通った「自由」寄りで生きていけたほうがいいなと思う。
(山根 太治)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2021-01-10)
タグ:陸上競技
カテゴリ 人生
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勝者の“ニュートラル”思考法 アスレティックトレーナーが目の当たりにした“一流”の思考法とは?
森本 貴義
本書は『一流の思考法』『プロフェッショナルの習慣力』を今の時代に合わせて再構成したものである。最近は「健康経営」という言葉もよく聞かれるようになったが、自分の身体や健康のための取り組み、さらには日々の仕事や人間関係をどう考えるか。うまくいったことにこだわり過ぎず、失敗にも引き摺られることなく、心身をニュートラルに保つ重要性を説く。
著者がサポートしたトップアスリートのエピソードを引き合いに出し、その共通点を見ていく。巻末には実践編としてニュートラル思考を高める呼吸法の解説もある。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:扶桑社
(掲載日:2021-07-10)
タグ:思考法
カテゴリ 人生
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勝者の“ニュートラル”思考法 アスレティックトレーナーが目の当たりにした“一流”の思考法とは?
森本 貴義
NPBやMLBをはじめ、アスレティックトレーナーとして数多くのプロ選手を指導してきた、森本貴義氏による一冊である。
タイトルの初めに勝者の文字があるが、勝利するための方法論的なガイドブックではなく、注目すべきは、むしろその次の“ニュートラル思考法”の部分である。本書は一貫して意識の向け方と準備の大切さを説いているが、それは成功を収めたプロ選手の共通点が、自分自身の身体への理解を深める努力をしているということである。
一つの物事や勝負を極めた人間は、必ず失敗と成功を繰り返し、数多くの勝敗を経験している。その過程で身体はもちろん心を揺さぶられ、自身を消耗することもある。その中で必要となってくるのが、自分自身の状態を把握するためのものさしを作成し、そのときの最適解を冷静に選択する力のつけ方である。すなわち、状況に応じた自制心を保つための行動をどのように取るべきかを、著者が選手を観察してきた経験をもとに解説している。
また、心と身体の緊張をコントロールするための呼吸法について解説する項が最後に設けられている。現代のストレスフルな時代を乗り越えるための実践法として、マインドフルネスの会得は欠かせないであろう。
本書を手に取ることで、心身の状態を大切にするヒントやアイディアを拾い上げ、読者各々の考える健康への思考を深めていただきたいと思う。
(山下 貴司)
出版元:扶桑社
(掲載日:2021-12-04)
タグ:思考法
カテゴリ 人生
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カシタス湖の戦い エクセレンスを求めた一人の男の物語
Brad Alan Lewis 榊原 章浩
誰も俺たちに勝てない!
「午前5時30分、気温摂氏3度、強い南風の吹く中、我々は艇とオールを抱えて湖の方へと急いだ。我々が呼ぶところのカシタス湖の戦いが今始まったのだ。」
主人公のブラッド・アラン・ルイスはカルフォルニア生まれのスカラー(漕手)だ。彼は数々の世界選手権に出場するが成績はぱっとせず、ようやく1980年モスクワオリンピック大会クォドルプル代表の座を勝ち取ったが「大統領ジミー・カーターが、80年モスクワ大会のボイコットという許しがたい決定」を下したため、ついにオリンピック出場も叶わなかった男である。しかし、彼は不屈の精神とほんのちょっとのユーモアによって、1984年ロサンゼルスで開催が予定されているオリンピックに出ることに照準を合わせた。それも、なんと全米1位のスカラーにしか与えられない“シングルスカル”というたった1つの代表の椅子に。これは、もうユーモアの域を超えている。しかし、彼に言わせればこれこそ「ブラッド・ルイス流の大冒険」の始まりだと言うわけだ。その第一歩として、オリンピック会場となるカシタス湖でのローイングを選んだのである。ただし、パトロールにみつからないようにだ。
冒険には必ず好敵手というものが存在する。彼の場合は、オリンピック・スカル・チーム・コーチのハリー・パーカーである。ハリーは「最強の鎧も突き刺すことのできる魔法使い」のような人物で、全米漕艇界の伝説的人物である。彼は「手堅く、折り紙つきの信頼できる選手」を好んだ。ところが、ブラッド・ルイスはと言えば「容器で、風変わりで、あまりにウエスト・コースト的」。つまり、単に二人は趣味が合わないということなのだ。
そして、もう一人忘れてはいけない人物は通称「ビギー」と呼ばれているジョン・ビグロー。彼はハリー軍団の一員で「彼の遠く見つめるような目つきは、何かとても大切なことをこれから言おうとしているかのような印象を与えるが、そのほとんどが期待はずれな」男であるが、ブラッド・ルイスのシングル・スカルの強敵となる男でもある。
スポーツ・ファンタジー・ノベル
日本では、気合、根性、努力、汗、涙など人間が究極の選択を迫られたとき必要なありとあらゆる生理的現象を中心に語られがちなスポーツ・ノベル。「スポ根モノ」なんて言葉があるが、日本人って、もしかしてサド・マゾ的嗜好が強いのかな?
閑話休題。しかし、本書は今ご紹介したとおり、全篇ペーソスとユーモアにあふれ、時には鋭く、時にはゆったりとした旋律でストーリーを紡いでゆく。そして、息つく暇もないハラハラ、ドキドキの試合展開。まさに、著者が優れたスカラーであると同時に優れたストーリーテラーであることを十分に証明した作品だ。本書はまさにファンタジー、スポーツ・ファンタジー・ノベルなのである。そして、このファンタジーの結びとなる「エピローグ(パズルの完成)」がこれまた絶品。もうこんだけ褒めたら、褒めるとこないやろうといわれそうだが、堪忍な! ここまできたらもう一つ褒めさせてください。それはこの作品の豊かな感性と香りを失うことなく日本語に訳することに成功した訳者。貴方に、僕は最後の乾杯を贈りたい。
(久米 秀作)
出版元:東北大学出版会
(掲載日:2003-07-10)
タグ:ボート
カテゴリ 人生
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人生の目的が見つかる魔法の杖
西田 文郎
あなたの夢は何なのか。あなたの「人生の目的」はどこにあるのか。人生の目的を持つことは自分の一生を大きく変えられる魔法の杖を手にすること。本書の提案するいくつかの方法にチャレンジしながら、人生の目的をつかむための本。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:現代書林
(掲載日:2004-10-10)
タグ:目的
カテゴリ 人生
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闇を泳ぐ 全盲スイマー、自分を超えて世界に挑む。
木村 敬一
目の病により幼くして全盲となった著者が、幼少期からアメリカでトレーニングを積む現在(コロナ禍により2020年に帰国)までの歩みを振り返る。家族や友人やコーチ、出先で行き合った人とのエピソードは、木村氏の飾らない人柄が伝わってくる。木村氏にとって水泳は、健康で文化的な生活を送るための「武器」の1つだという。ロンドン、リオでの挫折もあったが、水泳は間違いなく木村氏の人生を彩っている。なお、本書が発行された直後の東京パラリンピックにて、悲願の金メダルを獲得した。本書を読んだ後に大会アーカイブを見ると、よりくっきりと見えるのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ミライカナイ
(掲載日:2021-12-10)
タグ:水泳
カテゴリ 人生
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アスリートに学ぶターニングポイント 人生の転機とチャンスを掴む
渡邊 元
本書のテーマは、「ターニングポイント」。競技人生において、成績低迷など、今までのやり方が通用しなくなったり、ケガをしてしまったりといった経験をすることは多い。そういった状況では、アイデンティティを喪失し、空白の時間を過ごすことが多いが、その時間は何もしていないのではなく、腰を据えて時間をとって今までとは異なる道を探る時期だという。それで見出された可能性に向かうことがターニングポイントとなる。横田真一(ゴルフ)、陣内貴美子(バドミントン)、山本美憂(レスリング)、中西哲生(サッカー)、岡部哲也(スキー)の各選手が語り、これに解説を加えるという構成で、人生の転機を扱っている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:イズムインターナショナル
(掲載日:2008-09-10)
タグ:ターニングポイント
カテゴリ 人生
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コマネチ 若きアスリートへの手紙
ナディア・コマネチ Nadia Comaneci 鈴木 淑美
世界が驚いた演技
“アパセロスアパアムロスベロンヘルメルローマ東京”
何のことかと言うと、近代オリンピック夏季大会の順番だ。学生時代、体育史のテスト前にこの妙な語呂合わせを皆で覚えたものだ。第1回がアテネ(ギリシャ)で1896年。次いで、パリ(フランス)、セントルイス(アメリカ)、ロンドン(イギリス)、ストックホルム(スウェーデン)...ローマ(イタリア)ときて、1964年に第18回の東京オリンピックと続く。4年ごとの開催だから、それぞれの大会が行われた年がおのずとわかることになっている(ただし、1916年、1940年と1944年の計3回、戦争のため中止を余儀なくされた)。東京オリンピックまで覚えておけば後は簡単に言えるはずだったのだが、今回の北京大会(第29回)では東京大会からすでに11回を数え、記憶が怪しくなってしまった。歳月を感じる瞬間だ。嗚呼、遠くなりにけり我が学生時代。
さて、今回のオリンピックでも世界中の天才アスリートたちが集い、さまざまなドラマが展開された。毎回オリンピックではスーパースターやシンデレラが生まれる。中でも、東京大会から数えて3回目のモントリオール大会(カナダ、1976年)で彗星のごとく現れたルーマニアの体操選手には、世界中がひっくり返って驚いたものだ。
その名も“白い妖精”ナディア・コマネチの登場だ。他国チームに比べ明らかに幼い選手たちが、白いレオタードに身を包み、髪をポニーテールにまとめて入場してくる姿は異様でさえあった。しかし演技は白眉で、あれよという間にコマネチは器械体操史上初の10点満点を連発(合計7回)し、金メダル3個、銀銅メダルをそれぞれ1個獲得した。
頂点を極めたその後
老婆心ながら頂点を極めた人たちのその後の生活が気になって仕方がない。オリンピックという大舞台での成功の代償があまりに大きい場合があるからだ。一挙手一投足に過剰なまでに関心が注がれ、揚げ足を取られ、笑いの種にされ、その後の人生において理不尽な圧迫を強いられることがしばしばある。メダリストが若年であるほどその運命に翻弄される度合いが強い。コマネチはその極みだったように思う。
しかし、彼女は冷静な判断力と強い意思をもってこの運命に立ち向かっていたことが本書を読むとわかる。たとえば、あまりにも正確に、そしてそれが当然のようにほとんど無表情で淡々と進められる演技には「オートマティックに」「やってのける小さなロボット」と批判する声は少なくなかった。自我のない少女がコーチの言いなりになっているように映ったのだ。彼女はこう反論する。「もしそうしたくなければ、帰ればよかったのです。子ども本人がいやがるのに、体操のような難しいことを無理じいしたり、上達させたりすることはできません」「私はすでに自分の進む道を選んでいました。望みどおりのことをしていたのです」。
ところが17歳にもなると状況が変わってくる。若手選手と一緒の遠征ではコーチ(=国)の管理下に置かれることに疑問を持ち、彼女の中では何の矛盾もなく次のように述べられる。「もう子どもではないから」「他人の意思のままに動くあやつり人形ではいられない。私自身でコントロールしたい」。
亡命を経て
当時のルーマニア政府から国威発揚の道具として使われ、一時は“ルーマニアの至宝”とまで呼ばれるも、競技引退後は悲惨な生活を強いられている。栄光をなきものとされ、未来のない生活から抜け出すため、彼女はついに亡命を決断する。1989年のことだ。
失踪が周囲に気づかれぬよう普段と変わらない様子をアピールするため、直前に「あえて弟夫婦と近くの村のレストランで食事」をする。しかし「二、三時間後には死んでいるかもしれない、と知りながら、いとしい家族との食事を楽しむふりをするのは、耐えられないほどつらく難しかった」。国境越え決行後も幾度か失敗の危機に直面し、「体操では、ある意味で自分の運命を支配することができた。いい演技をすれば、国中の尊敬というご褒美が与えられる。しかし人生はそうはいかない。ルーマニアでは人間性を奪われ、いまここで亡命の危険と不確実性を体験して、私は生きる環境に対して無力であることを痛感した」。
しかし、まさに命をかけて成功させた決断は最終的に正解だった。彼女は現在、アメリカで体操教室のコーチや多くの慈善事業に携わって暮らしている。彼女が慈善事業に携わる理由は「受けたものをお返ししたいと思うからだ。他人のための行為は、自分個人でやりとげた演技に拍手をもらうより、はるかに達成感がある」からだ。あれほどの思いをしたにもかかわらず、負の思い出より、人々から受けた正の思いを胸に、祖国ルーマニアに対する愛、体操競技(スポーツ)に対する愛はむしろ高まっているようだ。
彼女のさらなる幸せ、ひいては今回のオリンピックで活躍した選手(思うような結果が残せなかった選手も)全員の、引退後の幸せを願ってやまない。
(板井 美浩)
出版元:青土社
(掲載日:2008-10-10)
タグ:体操
カテゴリ 人生
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メロスたちの夏 夜久弘のウルトラマラソン
夜久 弘
最初は病から逃れるように走っていたのが、やがて100kmを走破するウルトラマラソンにまで出場するようになるほどのめり込んでいく。ベテラン市民ランナーならではの視点で綴られ、トレーニング観も経験に裏打ちされた独自のものがあり、たとえば「うどん打ち」のたとえにあらわれている。これはトレーニング量という小麦粉をたくさん集め、それを打って細く長く麺にしていくことが完走の秘訣であるというもの。
ランナー仲間に励まされる様子も描写され、孤独に走っているのではないことがよくわかる。読み終えたとき、筆者の走り続けた27年間をともに走った気持ちになる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ランナーズ
(掲載日:2008-10-10)
タグ:ウルトラマラソン
カテゴリ 人生
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スポーツから気づく大切なこと。
中山 和義
著者は言う。「スポーツが与えてくれるのは健康だけではない」。すなわち、感謝の心が芽生えたり、決断力、集中力、人をねぎらう力、客観的に自分を見る力がついてくるというのである。テニスコーチとして、あるいは心理カウンセラーとしての著者の経験に基づいて、わかりやすく語られている。
最終章では、著者の見聞きしたエピソードから「人との比較で力を出すのではなく、自分が持てる力をいつでも、全力で発揮する」「夢が人生をうらぎるのではなくて、人が夢をうらぎるのだと思います」などスポーツを通して気づいた大切なことが紹介されている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:実業之日本社
(掲載日:2008-11-10)
タグ:成長 気づき
カテゴリ 人生
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14歳の君へ どう考えどう生きるか
池田 晶子
本当に物心がつく年頃
14歳という年齢は、ある意味で“本当に物心がつく年頃”と言えるような気がする。第二次性徴はだいたい済んでいて、自意識過剰で“無心”とは最も遠い距離を置いている。異性にどう思われるかなんていうことが人生最大の悩みごとだったり、それが嵩じて“自分とは何か?”なんてことを考え始め、生意気な割にそれを考える術も知恵も足りないから安易に答えを求めて占いに凝ったりする。生意気盛りで反抗期のくせに、自立できず、保護者のもとでしか生きて行けない自分に腹を立て、日々悶々と暮らしながら大人への第一歩を踏み出そうと模索している。そんな悩める14歳に宛てた“人生を考える”ための手がかりとなる一冊だ。
14歳の頃のことは、大学生あたりよりも、不惑の指導者世代の方がかえって思春期の生々しい記憶をハズカシの彼方から呼び起こすことができるのではないだろうか。その頃に立ち返って競技人生を考え直してみると、競技者(老いも若きも、14歳の君も)その人にとって競技とは何であった(ある)のか意義を深めたり厚みを増したり、現在そして将来に向けてよりよい競技人生を送るため(あるいは、送ってもらうため)に、競技、スポーツとどう対峙していけばよいのか“考えておくべきこと”を本書は教えてくれるように思う。
“解答”は与えてはくれない
知ることより「考える」ことが大切という態度で貫かれているから“考えるヒント”はこれでもかというほど提示してくれる。しかし“解答”は1つも与えてはくれない。まして、これこれこうだと“信じる”ことを強要することなどは絶対にない。むしろ、そうであると信じていることに「これはどうしてなのか、考えたことがあるかな」と問題を投げかけ、さまざまなことを考え直してみなさいということを“考え”させてくれるのだ。
信じなさいと教えを説いたりしない代わり、「そもそも」○○とは「何か」? と考え抜いた末に「それぞれの立場や都合や好き嫌い」に左右されない普遍的に正しい「考え」については断言口調となる。
一例を引いてみれば、「人生の目標」について、「人によってそれぞれ違わない、すべての人に同じ共通している目標だと言っていい。それは何だと思う?」「そうだ『幸福』だ。すべての人が共通して求めているものは幸福だ」といった具合だ。
ちなみに「似ているけれども違うもの」として「将来の夢」をあげている。「将来の夢」は「君の努力や才能によって、実現したりしなかったりするだろう。もし実現したとしたら、それはそれで幸福なことだ。だけど本当の幸福は、実現したその形の方ではなくて、あくまでも自分の心のありようの方なのだ」「もし夢が実現しそうにないのなら」「努力が足りなかったか才能がなかったか、そう思ってあきらめなければならない。だけれども、幸福になることをあきらめる必要なんかない。君はそんなことでは不幸にならない。なぜなら、幸福とは」「形ではなくて、自分の心のありようそのものだからだ」と結んでいる。
“強いこと”“体力のあること”が優れていること、よいことであるとどこか刷り込まれている私たちにとって、競技における成功と失敗、体力の強弱、運動能力の高低、才能のあるなしなど、それらがいったいどういうことなのか考えるうえで重要な示唆を与えてくれる一節だ。
「受験の役には立ちませんが、人生の役には必ず立ちます」とあとがきにもあるように、ハウツー、マニュアル物や安直に答えが書いてある本が多い近年、考えるヒントをくれるだけで何一つ解決策を教えてくれない本書のような書籍を読み解く力が必要であると考える。
(板井 美浩)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2009-02-10)
タグ:考えるヒント
カテゴリ 人生
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それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
高橋 豊
医療の谷間に灯をともす
私の勤める自治医科大学は、医療に恵まれない地域における医療の担い手を育てるため、昭和47年に開設された大学である。現在のような医師の都市部偏在によるものと異なり、当時は医師の絶対数不足から、とくに山間へき地や離島、過疎地と呼ばれる地域の医師不足が深刻な時代であり、“医療の谷間に灯をともす”(校歌より)気概ある総合臨床医を育てることを目的に設立されたのである。毎年、日本全国47都道府県から来る入学者(2~3名ずつ)に修学経費を貸与し、卒業後の所定期間(おおむね9年間)知事の指定する公立病院などに勤務した場合は、返還が免除されることになっている。つまり、卒業後それぞれの出身都道府県に戻って地域医療に従事するという“義務”を背負う代わりに学費は各都道府県に払ってもらうという現在の“地域枠”制度に先駆けたシステムだ。それぞれの地域に赴任中は“総合医”の名のごとく、内科系外科系、急性期慢性期、重度軽度の別なく診療にあたる。場合によっては“地域”そのものの活性化のために働くこともあるようである。
義務年限を終了したその後の身の振り方は原則自由だが、地域の診療所に残ったり新たに開業するなど、多くの卒業生は引き続き地域医療の実践に取り組んでいる。もちろん、大学に戻って教鞭をとっている卒業生や、特定科の専門医になっている者も多い。特筆すべきは専門医を名乗るにあたって、地域でのあらゆる診療に対処したことによる幅広い知識と経験があり、その大きな地盤の上に専門科を掲げることができる点である。
地域での診療義務をこなしながら専門医の資格を取らなければならず、ほかの医学部卒業生より時間がかかるし大変だとの不安を在学中に持つ学生も中にはいる。あるいは、中央の情報が届きにくいイナカに飛ばされて不利になるという負の感覚を持つ人も(これは外部の人に多いが)いる。しかし、ハンディキャップのように思えるこの期間が、実は実践を通してモノスゴい力が蓄えられる場になっていることを、頼もしいお医者さんになっている卒業生たちを見るたびに実感するのである。
開拓者として
さて、本書に描かれている流王雄太は、四肢マヒというハンディキャップを持つ医師(精神科)である。15歳、彼が高校1年生のとき、ラグビーの試合中に起こった事故で頸髄損傷を被り、首から下のほとんどが自由に動かせない状態となったのだ。その彼が高校に復学し、短絡でない道のりを歩みながら医師となって活動している現在までの記録を綴ったものだ。
あらゆる「前例のない」問題と対峙し、開拓していかなければならなかった人生には、本文から読み取れること以上に大変な苦労や葛藤があったに違いないと思う。しかし(だから、というべきか)表紙にみられるような柔和な笑顔を浮かべている現在がある。一時の勢いや感情にいちいち流されていては大きいことは成しえない。肚(はら)に秘めた強い意志がある人ほどこういう表情になるのかも知れない。
新たに見えるもの
流王が「肉体的ハンディのためにできないことはたくさん存在しますが」「ハンディを持って社会の中で生きていくという、この状況でしか理解できないことや、共感できないことが数多く存在する」というように、人には何か自由が利かない状況になってこそ見える世界というものがある。とはいえ「自分がハンディを持っているからという、力みがなく、自然な態度で応じられる」かどうか、このことが非常に難しいことであることは容易に想像がつく。その中で発せられる次のような流王の言葉には重みがある。
「成功し続けることだけが、自分の支えで、何かにつまずいたり、失敗したり、地位を失ったりすると、人間としての人格そのものまで否定してしまう人が、最近、多いように感じます」
“自由”とか“幸せ”ということについて考え直してみたくなる一冊。文章のトーンも全編通して抑えた表現になっていて、感動を強要することは決してない。そこのところがまたよい。ぐいぐい引き込まれること請け合いだ。
(板井 美浩)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2009-04-10)
タグ:リハビリテーション
カテゴリ 人生
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肉体マネジメント
朝原 宣治
通勤途中の人混みの駅で、傘を横にして振りながら、また大きなカバンを張り出して歩いている人を時折見かける。彼らは自分の持ち物に感覚受容器をはりめぐらしておらず、移り変わる周りの状況を情報として処理していないのだろう。こうした人々は自分の身体の動きにも鈍感なのだろうか。反対に自分のことしか感じられないのだろうか。このような些事からも、アスリートの立ち居振る舞いとは普段の生活の中でどうあるべきなのかなどと、ふと考えてしまう。一般的な運動理論や技術論で説明がつくことも多いだろうが、他人が感じ得ない己の身体感覚を研ぎ澄まし、より高い境地を目指すためにはどのような考え方が必要なのだろうか。
本書は北京オリンピック400mリレーの最終走者としてオリンピック男子陸上で日本人初となる銅メダルを獲得した朝原宣治氏によるものである。短距離選手として驚異的と言うべき長期に渡り日本の陸上界を牽引してきた一流のアスリートが、体験談を通じてその考え方を披露している。タイトルは「肉体マネジメント」とあるが、その具体的な各論が万人向けに詳しく紹介されているわけではない。100mを誰よりも速く走るという、極めてシンプルな競技の道を究めんとした自身の心構えがわかりやすく書かれていると捉えたほうがよいだろう。
「自分がわからないことについては、人にアドバイスを求め」、しかし「それを鵜呑みにするのではなく、自分なりに理解し、咀嚼することで初めて自分の身につく」という原則に従い、「自分の肉体マネジメントは自分で」しながら「自分を実験台にして楽しんでいた」という。プロアスリートにとっての、いや何かの道を究めんとするすべての人々にとっての黄金律だろう。それでも、己を磨く過程は、競技場の内外にかかわらず生活の大部分をそのために捧げる「修行」である。命を削る「苦行」と感じることも少なくなかったはずだ。過酷な世界でこれほど長期にわたってそれを「楽しめ」たのは、「自分」の強靱さもさることながら、家族や仲間というかけがえのない存在を抜きには考えられなかっただろう。
朝原氏が北京オリンピックで個人種目では予選落ちしながら、リレーでメダルを獲得したということに私の勝手な思い込みをこじつけてみる。陸上は自分との戦いと言われるが、人はやはり誰かのために戦うときに力が出せるのだろう、と。またそんなときにこそ、勝利の女神は微笑むのだろう、と。
北京オリンピック400mリレー決勝を前にして、サポートする人々の思い、陸上界の先人たちの思い、家族の思い、さまざまな思いは、確かに「もう一度背負うのはしんどい」と感じさせるプレッシャーとなって4人のランナーに襲いかかったのだろう。それが第1から第3走者を務める塚原選手、末續選手、高平選手の、自分たちが憧れ追い続けてきたアンカー走者である朝原選手への強烈な思いに昇華されていったのだろう。そしてバトンとともにそのすべてを受け止めたからこそ、朝原選手は、あの最後の100mに自らが長い間望んで得られなかった境地に達したのだろう、と。
いや、あれこれ想像するのもおこがましい。それはただ現実に起こり、それを目にした人々に言いようのない感動を与えた、というだけで十分だ。それに、メダルが取れるか取れないか、また何色をとるかで雲泥の差だということも理解するが、己の選んだ道をただひたすら誠実に極めんとする人間は、それがどんな道であれ、その結果がどうであれ、格好いいのだと憧憬の念を持ってそう思う。
(山根 太治)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2009-05-10)
タグ:陸上競技 感覚
カテゴリ 人生
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一流の思考 WBCトレーナーが教える「自分力」の磨き方
森本 貴義
ファンにならない理由を考えるほうが難しい
2009ワールドベースボールクラシック(WBC)決勝戦。3 - 2 の日本リードで迎えた 9回裏2アウト。あと1つのアウトで2連覇が決まるそのとき、ネットで速報をチェックしながら逐一報告してくれる同僚に、「ここは同点になっとかなアカン!」と言い放った私は、彼のみならず周りから一斉にお叱りを受けた。「打順見てみ。結局イチローやったってなるから」という言葉は聞いてもらえなかったが、あの時同じことを願った人は日本中にたくさんいたはずだ。有名なプロ野球選手が一流のアスリートとは限らないと考え、しかもとくにひいきのチームもない私は、昔からファンになるプロ野球選手が少なかった。しかしイチロー選手はファンにならない理由を考えるほうが難しい。隙がないのだ。
型を持つことの重要性
本書は、そのイチロー選手を長年サポートし、WBC日本代表チームのトレーナーも務めた、シアトルマリナーズの森本貴義トレーナーによるものである。ご自身の体験やイチロー選手の生活ぶりから「一流の思考法」が説かれている。しかし「一流になるための思考法」を教授するものではなく、著者が自身の体験を通じて築きあげたプロセス主義や型を持つことの重要性をわかりやすく紹介し、何かのヒントになればというスタンスで書かれており、森本氏の真摯で謙虚な人柄がうかがえる。型が決まりそうになったらどう崩すかを考え、ふらふらいい加減な自分を振り返り、恥じ入るばかりである。
蝶を追って登り詰めた
ところで、そもそも「一流になるための思考法」などは存在するのだろうか。天才をたとえるため引用される言葉に「天才とは蝶を追っているうちに山頂に登り詰めた少年である」というものがある。アメリカの作家、ジョン・スタインベックのこの一文は、「天才」を「一流」という言葉に置き換えてもいい。しかし、これを少年の心のまま好きなことを追いかけていただけ、という単純な意味には受け取れない。
その蝶はそう簡単には捕まえられないもので、もしかしたら自分以外の誰にも見えないものかもしれない。それを捕まえるためには、網に工夫を凝らし、網の振り方に磨きをかけなければならない。網が破れたら、自分の手でそれを修理しなければならないだろう。また、網以外の方法にも考えを巡らせるだろうし、自分で特別な道具をつくり上げるかもしれない。山を登り続けるための体力もつけなければならないし、山の攻略法も人によって千差万別だろう。そしてこの辺でよしと下手に折り合いをつけることもなく、挑戦し続ける覚悟が必要である。
たとえばそうして一流と呼ばれる人ができあがったとしても、そこには一流になるための思考法など存在しない。一流になったその人の考え方があるだけだ。仮に、いよいよその蝶を捕らえられる瞬間を迎えたとしても、もしかしたらその人は蝶をじっと眺めて、その美しさに 1 つため息をつくだけかもしれない。ひらひら跳び去るその姿をそっと見送り、次に追い求める蝶を欲するだけなのかもしれない。多くの一流と言われる人々は、一流になるために一流になったわけではないように思う。それはたどりついたひとつの結果にすぎないのだし、一流でいることが必ずしも幸せな人生と限らないのだから。
話は変わるが。何もわかっとらんとお叱りを受けるのを覚悟のうえで、イチロー選手には引退までにひとシーズンだけでいいので、自分の型を修正しホームラン王争いに絡んでもらえないかと常々考えている。いちファンの勝手な妄想である。
(山根 太治)
出版元:ソフトバンククリエイティブ
(掲載日:2009-11-10)
タグ:思考法
カテゴリ 人生
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一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート
上原 善広
限界は自分で決める
1970 ~ 80年代に、筋線維組成と競技パフォーマンスとの関係性を論ずる論文が多数発表された。 多くの人が知るとおり、速筋線維の割合が多い人は短距離向き、遅筋線維の多い人は長距離向きとするものである。調べる方法としては初期は筋生検(muscle biopsy)法といって、外科的手法により筋の一部を採取してくるものであった。後年はMRI(核磁気共鳴画像法)により非観血的に推定できるとする画期的な報告が話題を集めた。
さらにまた、この筋線維組成(速・遅筋線維の割合)は遺伝的(先天的)に決まっており後天的に変えることはできないものであるから、あらかじめ組成を調べ、それに見合った種目を選択するのが望ましいというような論調のものまであり、当時、非常に疑問に思ったことを覚えている。人は誰しもそれぞれの好きなスポーツを実践すればよいのであって、“科学者”の高飛車なアドバイスで限界を決められるなどナンセンスではないか。
確かに筋線維組成の平均値(科学的見地)からするとそのような傾向があるとはいえ、選手個々の組成(標準偏差)には大きな散らばりがみられることや、後天的なトレーニングで筋出力は大いに変えられること、加えて競技の成功には筋線維組成の割合のみならず種々の要因が関与していることなどから、時間とともにこのような素質論は聞かれなくなっていった。 やはり限界など他人に決められることなく、未知のことに挑むほうがロマンがあってよいではないかと思うのである。
尋常でない努力
さて今回は『一投に賭ける』。主人公の溝口和洋は、1980年代に活躍した陸上やり投げ選手である。投擲選手なら「誰もが憧れるスター選手」だ。やり投げ選手としては比較的小柄(身長180cm、体重80kg)ながら、常識を覆すトレーニングと独特の投法によって世界の壁に敢然と挑んだ人である。欧米人と比べて如何ともしがたい身長や骨格といった後天的に変えることのできない身体的条件を、ギリシャ彫刻のような身体に鍛え上げることにより、パワーで克服しようとしたのである。
たとえば“天才が死ぬほど努力してやっと行けるのがオリンピックである”というのが私の学生の頃からよく言われたことであるが、溝口の“常識を覆す”トレーニングとはやはり尋常でない。
「人間というのは、肉体の限界を超えたところに、本当の限界がある」と言い、「一二時間ぶっとおしでトレーニングした後、二・三時間休んで、さらに一二時間練習する」(編注:一二時間は12時間)こともあり、ウェイトトレーニングの総重量が「一日一〇〇トンを超えることも少なくない」ことだったという。“死ぬほどの努力”で遺伝的制約を超えることはできないが、限界(と思っている常識)を超えることはどうやらできるらしい。
痛快な語り口
本書 は著者である上原善広の、どこか漱石の“坊ちゃん”を思わせる一人称で綴られており威勢のよい語り口が痛快である。
溝口は「体格・パワーで圧倒的に不利な陸上投擲種目で、欧米人選手に互角の投げ合いをした当時、唯一の人であったが、無頼な伝説にも事欠かない人物」であり、「JAAF(日本陸上競技連盟)に対する批判」も口にしていたという。
18年もの長きにわたる取材の末に本書をものしているが、この取材期間の長さは、溝口の「編み出したやり投げのためのテクニックとトレーニングは、そのまま彼自身の存在意義と哲学にまで昇華されて」いて「そのため、聞き取り自体、大変な時間がかかったが、これを言語化する作業はさらに非常な難問だった」ためだという。
しかし、現役選手ならなかなか口にできないようなエピソードが随所に盛り込まれていることからすると、もしかしたら“時効”を待つためにこの期間を要したのではないかと、深読みしてしまうのである。
(板井 美浩)
出版元:KADOKAWA
(掲載日:2016-10-10)
タグ:人物伝 陸上競技 やり投げ トレーニング
カテゴリ 人生
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限界の正体 自分の見えない檻から抜け出す法
為末 大
限界の檻を抜け出すには全力を尽くすこと、と著者は説く。だが、がむしゃらに頑張れということではない。自分でつくってしまっている心のブレーキを外すと、結果的に全力が出せるようになる。よって、「限界を超える」ではなく「限界の檻から抜け出す」という言い方をしている。失敗したら恥ずかしいという気持ちを捨て、自分に何ができて何ができないかを知り、自分の認識を書き換えるべく変化を取り入れる。著者はそういった手法で、「陸上短距離で日本人は通用しない」という思い込みを抜け出し、世界選手権で表彰台に上がってみせた。では自分が全力を出したらどこまでできるのか、を試してみたくなる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:SBクリエイティブ
(掲載日:2016-10-10)
タグ:限界
カテゴリ 人生
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プロレスという生き方 平成のリングの主役たち
三田 佐代子
プロレスの歴史は長い。その中でも本書は平成のレスラーおよび関係者にスポットを当てる。著者が平成8年よりプロレスキャスターを務めることもあるが、間近で見てきた「今」のプロレスを伝えたいという想いが伝わってくる。メジャー団体にも触れつつインディー団体を取り上げ、女子プロレスや経営者、レフェリー、メディアにもスポットを当てる。スターレスラーもただ持て囃すのではなくいかにしてその立ち位置に上り詰めたか、といった切り口だ。それが「生き方」となるくらい情熱を注ぐ人が多く、その人たちがさまざまな形で支えることで「プロレス」が成り立っていると改めてわかる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:中央公論新社
(掲載日:2016-11-10)
タグ:プロレス
カテゴリ 人生
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マイケル・ジョーダン 父さん。僕の人生をどう思う?
ローランド・レイゼンビー 佐良土 茂樹 佐良土 賢樹
バスケットボールの「神様」、マイケル・ジョーダンの関連書籍は数多くある。2014年に出版された本書は、ジョーダンの人間的側面、コート内外での闘争や周囲との軋轢にもスポットを当てながら、誕生から現在までをひもとく。人間、常に最良の選択ができるわけではない。ジョーダンのように時代の先頭を行く存在であればなおさらだ。その中で彼は「怒り」を原動力にしてきた。とりわけ幼少期、父から兄より劣る評価を受け、ずっとそれを覆すべく奮闘してきたという。ジョーダンの父は1993年、不幸な事件により他界したが、それ以降も父に語りかけるような独り言をしばしば口にしたジョーダン。彼の人間としての唯一無二の人生について、自然な日本語で読み、浸ることができる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:東邦出版
(掲載日:2017-01-10)
タグ:バスケットボール
カテゴリ 人生
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自慢の先生に、なってやろう! ラグビー先生の本音教育論
近田 直人
教壇に立つまで
なぜ教える人になりたくなったのか、その原体験は思い出せない。ただ中学時代に「教育大学にいって教師になりたい」と口にしたとき、「そんなんできるわけないやろ」と担任教員に頭ごなしに否定されたことは、今も記憶の片隅に残っている。
中学生で早くも不適格の烙印を押された私は、果たして教育大学に入学した。ただ当時の共通一次試験受験時、とくに国語の問題を「なんで決められた答えから選ばなアカンねん! なんで押し付けられなアカンねん!」となぜだか怒りながら解いていたことも覚えている。 卒業時には、「(ラグビーばっかりしていた)こんなオレが人に範を垂れるなど、まだ早すぎる!」と考えたと同時に、どうしても取り組みたいフィールドと出会い、そちらに熱中した。
どうしても取り組みたかったのはアスレティックトレーナーという領域だった。その専門家として現場に立っているときも、私の中では人を育てるという感覚が強かった。長い紆余曲折を経て、不惑の年にようやく教鞭を取るようになり、それからさらに十年余りが過ぎた。
教師であること
さて本書の著者である元高校教員の近田直人氏は、現在は若手教員の人材育成を中心に活動されている。30年間の熱い教員生活の後、教育現場を政治家の立場から変えるべく大阪府議会議員選挙に打って出て、健闘虚しく落選した。目次に並ぶ見出しを見ているだけでも、「いじめ件数ゼロなんてありえない」「それでも拳で救える生徒はいる」「『自殺は絶対あかん』となぜ言えないのか」「信頼をもって成り立つ服従と愛情を持って強制すること」など、本人を直接存じ上げるわけではないので実際の人となりはわからないが、ある意味「大人の事情」に言いくるめられることなく、一種無邪気に本質にこだわり続けている印象が随所に見られる。
そんな本書を読んでいるとき、記憶の狭間から這い出てきたものがある。教師を目指し始めた中学時代、社会科の授業でディベートをした。世間知らずの私は教師は聖職者であるのが当然だと本心から力説した。そのときの社会科の先生の何か含んだ苦笑い、それを思い出したのだ。いやらしいとそのときの私は感じた。「せめて学校くらいは究極的にピュアな場所であってほしい」と語る著者と、私の性質は近い。ただ、学校という社会で理想に燃える熱血教師だけが存在してもきっとうまくはいかないとも思う。様々な学生たちがいるのだから、様々なタイプの教師がいるべきだ。そのほうが学びが多様化する。それでもなお、聖職者たるもののボトムラインは確立されていてしかるべしだとも信じる。
人間としての性質は単純に善悪が付けられるものではないが、ごくわかりやすい例で言えば、タバコを吸ったり、自らの不摂生で太っているような教師(トレーナーもしかり)は本質的なところで私は信用できない。プラトン、ソクラテス、アリストテレスなどの哲学者は筋骨隆々だったと何かの本で読んだ。真偽のほどは定かでないが、仮に後世で付け加えられた要素にしろ、自らの哲学を語るものにはその存在に説得力がなければならないということだろう。
そこにこだわった上で、その独善的な考えを今度は戒める必要がある。自らがそうあるべきだという考えを押し付けるのではなく、様々な考えを受け止め、受け入れることができなければ教師は務まらない。そのバランス感覚が難しい。教師であることはまさしく修行だ。
人としてどうあるか、どうあるべきか
私が教鞭をとるのは専門学校だ。3年間ではり師・きゅう師の国家資格および日本体育協会公認アスレティックトレーナーを養成する課程である。本書の著者が務めた公立の高等学校とは趣が違う。資格を取得し専門家となるべく目標をもった学生たちが入学してくるのだから、資格取得が教育の第一義になる。しかし過去問題に徹底して取り組むなど、テクニカルに試験合格を目指すことだけに注力するのは正しくない。現場に立ったときに、アスリートや患者の役に立つ存在になれるかどうかが問題なのだ。その準備が整っていないのであれば、まだ資格を取得する必要はない。
鍼灸師にしてもアスレティックトレーナーにしても、人の役に立つ存在になろうと思えば、人としてどうあるかを追求すること抜きには考えられない。そのためにはそこに携わる教師もまた、人としてどうあるべきかを学生たちとともに追求する存在でなければならない。ではそういう私は完璧な人間か。未だ程遠い。ではこれらのことはただの綺麗事か。いや、そうは言いたくない。確かに世の中には悪意も多く存在し、真っ当に生きようとする人間が評価されるとも限らない。だからこそ正論を正々堂々と語れる存在でありたいと取り組むのだ。医療やスポーツに携わる人間はそれを追求しやすい存在のはずだ。
私の場合は「自慢の先生になってやろう」というわけではない。好いてもらう必要もない。ただ、この人に出会ったことは悪くなかったとどこかで感じてもらえる存在でありたいと、日々鍛錬している。本書はそんな私の背骨をより正してくれたような気がする。
(山根 太治)
出版元:ザメディアジョン
(掲載日:2017-05-10)
タグ:教育
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心が揺れがちな時代に「私は私」で生きるには
高尾 美穂
この本を手に取る方は、きっとこのタイトルに答えを欲していると思います。産婦人科医でスポーツドクターで産業医で、ヨガの指導者という多くの肩書をもつモヒカン医師、高尾美穂先生がコロナ禍で始めたラジオ「高尾美穂からのリアルボイス」にて配信した内容をまとめた一冊。
・「私らしい私」をつくるには?
・つらい気持ち、不安とどう向き合う?
・こんなコミュニケーションが望ましい
・女性の体について知ってほしいこと
・人には聞けない性の悩みに答える
・これからの家族とパートナーシップのあり方
・人生とキャリアの歩み方
・私が人生でしていきたいこと
・高尾美穂から「妹たちへ」
と、9つのチャプターに分けて様々な質問に答えたり、アドバイスをしたりしています。
女性のココロとカラダを熟知した先生の言葉は、多様性やジェンダー問題が問われるこの時代の人生にとって、ちょっとしたヒントになりました。私自身の不安や悩みだけでなく、仕事上、相談を持ちかけられることも多々あるので、答え方や言葉の選び方という点で、非常に勉強になった一冊です。
(山口 玲奈)
出版元:日経BP
(掲載日:2022-02-25)
タグ:女性 身体 コミュニケーション 性
カテゴリ 人生
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最後の一年
毎日新聞運動部
新型コロナウイルス感染症が広がりをみせた2020年に、競技生活の集大成である最終学年を迎えた小学生から大学生の選手や、その周囲の人々に焦点を当てて取材し、毎日新聞のニュースサイトや紙面に連載された記事をまとめた一冊。
緊急事態宣言が発令された2020年4月から、卒業するまでを季節ごとに区切って、50数名の最後の一年が描かれています。
部活動であったりスポーツ少年団であったり、それぞれ目標も目的も違います。チームの中でも、家族の仕事や家庭環境などに左右される選手もいます。
大会中止・延期・活動自粛の中、ZOOMなどのオンラインでのコミュニケーションなど、手探りで活動方法を探していく選手や指導者。一人ひとり状況が違い、正解のない中でどのように切り抜けていったのか、それぞれのストーリーがありました。
2022年現在でもまだコロナ禍からは抜けていません。学生スポーツならではの「期限があるスポーツ活動期間」をどうしているのか、どうしたらいいのか、その姿を知るためにまずはたくさんの例を知り、その中にヒントを見出したいと感じました。
(山口 玲奈)
出版元:毎日新聞出版
(掲載日:2022-03-03)
タグ:少年団 部活動 新型コロナウイルス
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闇を泳ぐ 全盲スイマー、自分を超えて世界に挑む。
木村 敬一
全盲のパラ水泳選手の幼少期から中学高校、大学、そして27歳からアメリカへ拠点を移し、現在に至るまでの細かい記憶を記した一冊。思っていた以上に早い段階からいわゆる体育会系な厳しい世界で努力をしていたことがうかがえます。
途中、コラムが挟まれていて、筆者ならではの感覚に触れることができました。見えない人へのサポートについて、便利になるほど不便なもの、障害者の暮らしの日米比較など、ユニークな文章の中にメッセージが込められているように感じました。
2020年の東京パラリンピックが延期になったというところで、本書は終わっています。延期されて2021年に行われた東京パラリンピックでは、100メートルバタフライで金メダル、100メートル平泳ぎで銀メダルを獲得。
タイトルの『闇を泳ぐ』、この4文字に筆者の人生が込められていて、これからの活動に注目していきたいと感じました。
(山口 玲奈)
出版元:ミライカナイ
(掲載日:2022-05-13)
タグ:パラ水泳
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三流のすすめ
安田 登
なんとなく集団がうまくいっていない。そんな経験をしたことがある人はいるのではないかと思う。私も何度も経験した。なんとなく雰囲気が澱んでいる。何がというわけではないのだが、ギスギスしている感じがする。そのときに私がずっとやっていたのは、個々の技術的な問題を解決するのに時間を割くということだった。
個々が自分の課題をきちんとできるようになれば、そのことによって自信がつき、他人のことを過剰に気にしなくなるのではないだろうか。他人と自分を比べて必要以上に落ち込んだり自分を責めたりしなくなるのではないだろうか。自分ができないからといって他人の足を引っ張るようなことはしなくなるのではないだろうか。今、目の前にあることを一生懸命やってくれたら、結果はそこについてくるはずだ。ずっとそう思っていた。
だが、どんなにそのことに時間を割いても一向によい方向へ行かない。そうこうするうちに、ポツリポツリと離脱者が出始めた。これはまずい。どうも問題はそこではない、と遅ればせながら気がついた。そこで率直に「どうしたらいいと思う?」とメンバー全員に投げかけてみた。するとみんな「この雰囲気をどうにかしたい」と思っていることが分かった。ではこれからどうしたらよいのだろうか。どんな雰囲気になったら、みんなが気持ちよく過ごせるだろう。理想の集団とは。そのために今すぐできる具体的なことは何だろうか。そんなことをかなりの時間をかけて話し合った。明日からこうしよう、と結論が出たときには、全員に「これからはちゃんとする」(できる)という表情が浮かんでいた。
話し合った結果みんなで決めたことは、ちゃんと挨拶をしよう、とか返事をしよう、とかそのような一見他愛のないことだったが、個々の技術さえ上がれば、何もかもうまくいくと思ってひたすら効率のよい練習方法や効果的な内容などを探し求めていた私は、実は彼らが悩んでいたのは全くそうではなかったということを思い知らされた。そして、その話し合いを機に、まるで別集団のように練習に集中し始めたのは、今でもなんだか不思議な体験として記憶に残っている。
本書には「一流になるとは生贄になること」という一節がある。私がやろうとしていたことはまさに他のことを犠牲にして1つのことを極めようとする、その「一流」のやり方だった、ということになる。よく、四の五の言っていないで練習しろ、練習、と思う。文句があればやってから言え、とも思う。主張したいなら結果を出せ、と。しかし実際は本筋はそこではない、ということは現場にいると割によくある話かもしれない。
題名にもあるように、本書に書かれているのは1つのことを極めて頂点に辿り着く方法ではない。あれにもこれにも興味を持ち、2つ、3つと手を出してどれも極めない。二流、三流というのはいわゆるB級C級のことではなく、1つのことを極める人が一流、2つは二流、三流はそれ以上、というような意味合いで使われている。回り道をすること、寄り道をすること。一見無関係に見えるそれらがあっと驚く場所でつながることもある。それが実は万事うまく行く秘訣かもよ? というようなことではないかと私は解釈している。
自分が面白いと思う方へ気の向くままに進み、脇道に逸れてみる。気が済んだら戻ってきてもいいし、また別の道を探してもいい。問題を解決したいとき、ストレートにど真ん中だけを攻めるのではなく、ちょっと引いたり、別の角度から見直したり。冷静になってみれば当たり前のことなのだが、本書はそんな風に物事の見る角度を柔軟に、自由にしてくれる気がする。もしかしたら今あなたが悩んでいることの、その答えは全く思いも寄らぬ別の場所にあるのかもしれない。
(柴原 容)
出版元:ミシマ社
(掲載日:2022-06-23)
タグ:集中 チームビルディング
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「ユマニチュード」という革命 なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか
イヴ・ジネスト ロゼット・マレスコッティ 本田 美和子
ユマニチュードとは人間らしさを意味する言葉であり、ユマニチュードと名づけられたケア技法は、徹頭徹尾、目の前の人間の存在を認め、尊重するということを大切にする。
慣習として行われてきたケアの方法は、医学の権力によって、患者の主体性をないがしろにしてきた。ひとを救う(あるいは介助、またはケア、キュアなど)という名目のもと、そのひと自身の気持ちを無視してきた、と。その反発として認知症高齢者が暴れたり、叫んだり、言うことを聞いてくれなかったりするのだという。背景として、無意識の宗教的価値観が関わっているという考察が面白い。
おもに西洋の修道院で行われてきた、他者への奉仕は、辛く苦しい、単調で退屈な仕事だった。しかし、だからこそ自分の救済への道がひらける。苦なくば、楽はなし。no pain, no gainということになる。その意味ならば、悲劇のヒロインに付き合わされて、いい迷惑だ、という構図なのかもしれない。
だけれどケアは本来、する側も、される側も心地よく、楽しいものだというのが著者2人の主張。ひとの目を見て、手を触れ、言葉を交わし、できるだけ立位で、動かせる部分は動かしてもらう。決してどちらか一方通行ではない、依存ではない自立は、交換つまりコミュニケーションから始まる。
人間関係抜きの技術論では、容易にひとはモノ化される。そこから悲劇は起きてきたと、革命家たちが獅子吼する。
(塩﨑 由規)
出版元:誠文堂新光社
(掲載日:2022-07-04)
タグ:ユマニチュード ケア
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伊能忠敬 日本を測量した男
童門 冬二
言わずと知れた、日本を測量し、地図をつくった人。生い立ちは決して明るくない。
母を亡くしたあと、婿養子だった父は、家を追い出されるように実家へ戻る。そのとき、上2人の兄弟は連れて帰るが、忠敬は置いていかれる。その後、父親に呼び寄せられるが、忠敬に対する態度は冷たいままだ。置いていかれた庄屋では、年貢の取り立てなどのために、役人の出入りが多くあった。そこで忠敬は、そろばんの使い方を教わり、計算を覚える。夜になれば空を見上げ、星を眺めた。悪いことばかりではなかったのかもしれない。
やがて忠敬は伊能家に婿養子として迎えられる。不幸が続き、跡継ぎがいない状態で切羽詰まり、白羽の矢が立ったのが忠敬だった。伊原村では、伊能家は永沢家と並び、ご両家と呼ばれる名家だった。しかし、姓を名乗り帯刀が許される永沢家に遅れをとっていた伊能家は焦っていた。最初こそ白眼視されていた忠敬だったが、次第に頭角を表し、伊能家のみならず、地域のひとびとにも感謝され、信頼されるようになる。この過程を興味深く読んだ。
奉行所との折衝では伊能家3代前の景利が残した膨大な資料に助けられながら、自身の主張の正しさを証明する。天明の大飢饉では、非常時のためにプールしていた財産をすべて吐き出し、佐原村のひとびとだけでなく、放浪者のために炊き出しも行う。伊能忠敬は、世のため人のためにしなければいけないことは、率先して行わなければならない、という考えを生涯持ち続けた。
その公僕精神が災いしてか、日本測量の旅では、まわりのひとびとと、摩擦や軋轢を生むこともあった。それは52歳の伊能忠敬が、31歳の高橋至時に師事してからの話になる。サムエル・ウルマンの青春の詩がぴったり。
(塩﨑 由規)
出版元:河出書房新社
(掲載日:2022-07-25)
タグ:地図
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アフガニスタンの診療所から
中村 哲
著者は、アフガニスタンとパキスタンのあいだ、ティルチ・ミールというヒンズー・クッシュ山脈の最高峰に登るため、当地を訪れた。道すがら、病人をみた。しかし、必要な医薬品は手に入らず、著者いわく子どもだましの、診療のまねごとをしながら、病人を見捨てざるをえなかったという。それ以降もたびたび、アフガニスタンを訪れることになる。
1984年5月には「らい根絶計画」のため、ペシャワールに着任、86年、アフガニスタン難民問題にまきこまれ、JAMS(日本アフガン医療サービス)を組織、87年活動を国境山岳地帯の難民キャンプに延長、88年アフガニスタン復興の農村医療計画を立案、89年アフガニスタン北東部へ活動を延長し、今日に至るとある(執筆時)。
著者を駆り立てたのは、ヒンズークッシュ山脈を訪れたときの衝撃、あまりの不平等という不条理にたいする復讐だという。しかし、同時に、ただ縁のよりあわさる摂理、人のさからうことができないものによって当地に結びつけられた、とも。識字率や就学率は、都市化の指標にすぎず、決して進歩や、文化のゆたかさを、さし示すものではない。発展途上国を後進国としてみるなら、先進国を発展過剰国と呼ぶべきだ。私たちは貧しい国に協力に出かけたが、私たちはほんとうに、ゆたかで、進んでいて、幸せなのか。国際協力は、自分の足もとを見ることからはじめるべきだ、と著者はいう。
アフガニスタンと聞いてどんなイメージをもつか、人それぞれだと思う。しかし身近に感じるという人は日本では少ないのでは、と想像する。アフガニスタンという国は多民族国家らしい。複雑な民族構成や、歴史的な経緯については、残念ながら頭に入ってこなかった。人々の持つしきたりや習わしにも馴染みのないものが多い。ただ、その土地で文字通り生き死にした著者の目を借りれば、そこにいるのは泣き笑い、病み苦しむ、自分たちとなんら変わりのない人たちだと知れる。それだからこそ著者は、人々が置かれた環境の不公平さに憤然としたのではなかったか。
(塩﨑 由規)
出版元:筑摩書房
(掲載日:2022-07-26)
タグ:医療
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生き物の死にざま
稲垣 栄洋
すべての人にドラマがあります。同じようにすべての生き物にも等しくドラマがあります。ドラマの見どころといえばやはりクライマックスシーン。本書は様々な生き物のクライマックス、つまりは「死」に焦点を絞り、知られざる生き物の死から彼らの生きざまを描いた作品です。
様々な種類の動物を見ることができる動物園の動物たちにはなんとなく生活感というか営みみたいなものを感じないのは、彼らの生活のごく限られた部分しか見ることができないからでしょうか。本書を読んで初めて知る、壮絶で生々しい死にざまは私たちの安っぽい感動さえも許されないような過酷でもあり神聖ともいえる領域なのかもしれません。
死にゆく生き物たちが守ろうとするのは彼らの遺伝子。つまり子孫を残すために命を差し出す潔さを感じるのですが、そういったものを「愛」と呼ぶのは人間だけで、すべての生命体は遺伝子に組み込まれたシステムの中での行動と言ってしまえば味気なく感じてしまいます。
生物の死には自然の法則に縛られるものもあれば、人という存在が関わることで死を前提として育てられる生き物もいます。食肉のみならず穀物や野菜も人に食べられる目的で誕生するわけではないのですが、私たちの胃袋に入ることが運命とされた生き物の存在は忘れてはいけません。我々人類も食物連鎖の中に組み込まれた存在ではありますが、それを経済活動としてほかの動物とは異なる営みをすることに消化しきれないモヤモヤ感が残りました。これも人間が持つ業の一つなのかもしれません。
「個」として生き延びる難しさ、「種」として命をつなげる難しさ、そして人間の関わり合い。多くの疑問点を心の中に残しつつ、読み終えました。
(辻田 浩志)
出版元:草思社
(掲載日:2022-08-08)
タグ:生命
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古くてあたらしい仕事
島田 潤一郎
出版社を営む著者が出版社を始めたきっかけは、採用試験に落ち続けたことと、従兄の死だという。たった1人で企画、営業、経理、発送、その他を行い、年に3冊それぞれ2500部程度を刷る。それが1人で、手紙のような本をつくる限界だと考えているからだという。
本を読む時間は、どんな内容の本であれ、現在の自分というフィルターを通して読む。自分と重ねたり、ツッコミを入れながら、行きつ戻りつ読み進める。時々ハッとするような言葉に出会ったり、まるで目の前に著者がいて、説教されているような気分になることもある。
家族のことを想ったり、仕事のことを考えながら、あるいは、過去を思い出し、未来を想像しながら読書する。そのなかで、気づきや慰め、希望、新しい視座を得て、ちょっと身の回りが明るく、見通しがよくなる。著者や自分自身、ひいては、この世界との対話、といっても言い過ぎにならないのが、本を読むこと、なのかもしれない。
一人ひとりに向き合い、寄り添うような本づくりをする著者の仕事に、感銘を受けた。
(塩﨑 由規)
出版元:新潮社
(掲載日:2022-08-22)
タグ:仕事 出版
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歴史を活かす力 人生に役立つ80のQ&A
出口 治明
テーマごとに問答形式で歴史を紐解く本書。
常に現代の状況との関連で歴史を見ていくので、教科書的な退屈さはなく、ついひとに話したくなるようなトピックが溢れている。
たとえば、なんで世界中に民族衣装はあるのに、洋服がベーシックになっているのか。これは産業革命がイギリスで発生したことに起因するという。それまでの主だった産業である農耕牧畜が天候の影響を受けやすかったのに比べ、工業生産は安定して生産物を供給できることから、自国にも工業生産を取り入れようと世界中からひとが集まり、洋服を着て帰国したため広まったらしい。
ほかにも、中華料理が世界中に広がっている背景には、アヘン戦争以降のイギリスの世界戦略に中国人の人びとが労働力として利用され、各地に離散したこと。また、石炭などを利用した火力革命によって、中華料理の特徴である、高温で食べ物を揚げたり炒めたりする技術が発明されたことで、どの国のどんな食材でも簡単に調理できるようになったことが理由だという。
意外だったのは、フランス料理の起源はイスラーム帝国にあり、一品一品出てくる様式はロシアの寒冷環境で、料理が冷めないように、という配慮から生まれたこと。フランス料理がフランスで大衆化したのは、フランス革命によって失業した宮廷料理人たちが、町で続々と開業したことで広がっていき、一部は当時相当なフランスかぶれだったロシアに流れ、今のフランス料理の形式になったという。
もっと前に遡れば1492年に新大陸を発見したコロン(編注:クリストファー・コロンブスのスペイン語読み)によって新旧大陸間で、動植物や食材の行き来があったことが、今の食卓の光景に影響を与えている(このときより前にはピザやパスタにトマトは使われていなかった!)。
ちなみに、この「コロン交換」によって新大陸に天然痘や麻疹、コレラなどの病原菌がもたらされ、免疫を持っていなかった大勢の原住民が命を落とす。その結果、農地や鉱山で労働力が必要になったヨーロッパ人は、アフリカ大陸から黒人の人たちを奴隷として連れてくることになる。
学校で歴史を習っているときに退屈だったのは、自分とは全然関係のない話だと思っていたからだと思う。ある程度、馬齢を重ねたことも、ほんの少し歴史に関心を持ったことに貢献しているんじゃないかと考えている。
(塩﨑 由規)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2022-08-27)
タグ:歴史
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