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ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。

情報文明の日本モデル
坂村 健

 直接スポーツ医学とは関係がないが、本誌で片寄氏が連載しているテーマと重なること、また誰もがITを避けて通れない時代であるため、この本を選んだ。副題は、「TRONが拓く次世代IT戦略」。
 TRON(The Real-time Operating system Nucleus)を考案した著者の最新刊の書である。TRONはすでに携帯電話などで広く実用化されているオープンシステムであるが、ここでは、それについてより、別の観点で興味深いところを紹介しておきたい。
 著者は冒頭、「アメリカ・モデルを追いかけても意味がない」と言い、IT革命で世界をリードしたアメリカを見習う論調に首をかしげる。2000年1年間でアメリカのドットコム企業は220社以上が廃業、2001年は8月までで410社以上が破綻。ウェブでの無料サービスも、無料ニュースサイト、無料プロバイダもすべて失敗。このモデルを追求しても、だめだ。日本のモデルを創造することが必要だと言う。
 そこで、著者は遺伝子研究から、脳内物質のセロトニン受容体が少ない人は保守的で、新しいものに挑戦したがらないという傾向が強いという結果を掲げ、そのセロトニン受容体が少ない遺伝子を持つ人はアメリカでは全体の約50%、日本では90%以上にのぼるという事実(どう確かめたかは不明)を挙げる。だが、日本はチームでやれば、独創的なこともやってのける。そのよさを活かそうと言うのだ。
 また、多くの人がよく指摘する日本人の戦略のなさ。これについて、「それ以上に問題なのは、戦略の前提として『何のために勝つのか』という哲学もないことである」と喝破する。
 スポーツでは「勝つために」がすべてのことが多い。「何のために勝つのか」と問う人はいない。勝つことを目標とするのが、スポーツだからだと。だから、負ければ終わりだが、勝っても終わりである。それもよさだが、一度は「何のために勝つのか」と考えてもよいかもしれない。
 意外にこの本、情報だけを扱ってはいない。いや、そもそも「情報文明」とはそういうものだということだろう。

新書判 226頁 2001年10月29日刊 600円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)

出版元:PHP研究所

(掲載日:2001-12-15)

タグ:情報 
カテゴリ その他
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「わかる」とは何か
長尾 真

 「あいつはわかってない」「それでわかった」「そうだろうと思うけど、でも分からない・・・」
 私たちの日常「わかる」という言葉を頻繁に使う。「分かる」は「分ける」であるとも言われる。だが、「わかる」とはいったい何がどうなることか。
 このテーマに、現在京都大学総長である著者が平明な記述で挑んだ。著者の専攻は「情報科学」であり『人工知能と人間』『電子図書館』などの著書もある。
 当然、1つの科学分野のみで語れる話ではない。大きな章題を並べると、「社会と科学技術」「科学的説明とは」「推論の不完全性」「言葉を理解する」「文章は危うさをもつ」「科学技術が社会の信頼を得るために」の6つ。
 その「言葉を理解する」の章で、著者は「わかる」というレベルを説明し、「第一のレベルは、言葉の範囲で理解することであり、第二のレベルは、文が述べている対象世界との関係で理解することであり、さらには第三のレベルとして、自分の知識と経験、感覚に照らして理解すること(いわゆる身体でわかる)というレベルを設定することが必要であろう」と記している。
 そして、科学技術の文章においては、第二のレベルまでの理解でよいとしつつも、第三のレベルの理解が必要という場面も出てきたとする。「たとえば遺伝子操作、クローン生物、臓器移植、脳死判定といった問題になると、理屈の世界でわかっただけでは私たち人問は納得できず、感情的体験的世界においても納得することが必要であり、これを避けて通ることができなくなっているのである」日々接する情報の量は夥しいが、「わかる」ものは実は少ない。「わかること」から考える必要は確かにある。
(月刊スポーツメディスン編集部)

出版元:岩波書店

(掲載日:2002-01-15)

タグ:科学 理解 
カテゴリ その他
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図説NPO法人の作り方
鶴田 彦夫

 本書では「はじめに」で明確に「21世紀はNPOが主役の時代である」と記している。また「NPOは、企業や行政では扱いにくいニーズに対応する活動を自発的に行う組織であり、第三の組織を築いている。また、人々が交流し、地域に新たな活力を生み出す核にもなり、21世紀の社会でも大きな役割を果していくものと期待されている」と言う。
 この意味で今注目されるのが、スポーツNPOであろう。本書はスポーツNPOにスポットを当てて書かれたものではないが、書名の通り、これからNPO法人を作ろうとしている人には非常に参考になる。つまり、多くの人が得意としない分野、簿記、会計、税務を詳しく解説している。
 著者はドラッカーの次の言葉を引用している。「非営利組織(NPO)は、よき意図をもってよいことをしたいということだけでは十分ではない。成果をあげ、この世に変化をもたらすために存在しているのだ……そのためには、すぐれたマネジメントが必要である……非営利組織には、ビジネスと違って業績を測るための利潤というものさしがないからである」
 この言は、月刊スポーツメディスン34号で紹介した河村剛史氏の講演内容とぴったり重なる。優れた実務書である。

A5判 236頁 2002年2月15日刊 1550円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)

出版元:PHP研究所

(掲載日:2002-05-15)

タグ:NPO 
カテゴリ その他
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イルボンは好きですか?
山田 ゆかり

 月刊スポーツメディスンで連載中の山田さんの最新の書。写真は原山カヲルさん。著者は、週刊朝日の仕事で韓国のスポーツ選手を取材、毎月韓国に行く生活を過ごしてきた。その中で、スポーツ選手のみならず、特に「新世代」と呼ばれる高校生、大学生に興味を持ち始めた。この本はその新世代75人へのインタビューをまとめたものである。
 タイトルの「イルボン」はもちろん「日本」の意味だが、韓国の若者に、日本の国のイメージ、日本人のイメージなどをどんどん聞いていく。著者は当初、日本の若者と同じだと思ったのが、やはり違う点を見出していく。その彼らの素顔を原山さんがカメラに収めていく。
 ワールドカップを機に日本と韓国の交流は以前より盛んになりつつある。互いの国に対するそれぞれのイメージがあるが、やがてそれは変貌するかもしれない。
 サッカーのワールドカップは単にスポーツイベントではないと言われる。それが本当にどういうことかがわかるのは間もなくである。
(月刊スポーツメディスン編集部)

出版元:朝日ソノラマ

(掲載日:2002-06-15)

タグ:文化 インタビュー 韓国 
カテゴリ その他
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史上最も成功したスポーツビジネス
種子田 穣 本庄 俊和

 この本ではNFLがいかにアメリカ国民にとっての文化となりえたか、そのためのブランディング戦略について書かれている。ブラックアウトやマンデーナイトフットボールといった、日本のプロ野球やJリーグでは行われていないNFL独自のものが紹介され、大変興味深い。
 本の中で、強い感銘を受けた点はNFLが、ブランディングやスポンサーシップの獲得に際して、アメリカンフットボールというスポーツの持っている要素を、商品やサービスに込められたコンセプトと結びつけて考えている点だ。たとえば、ボールを敵陣に運ぶために戦略や情報を用いるというアメリカンフットボールの特性を物流企業のコマーシャルに提供するといったことを行っていたり、フラッグフットボールのキットを日本各地の中学校に寄贈し、スポーツが苦手な子でも戦略を考える役ができるといったようなアメリカンフットボールの特性を提供したりしている。日本人選手がNFLに誕生するのはまだ先のことと見るや、日本人でNFLチームに所属するチアの方のドキュメンタリーをつくり、異国での生活や家族との葛藤を描いたりしている。
 スポーツ団体にとって、そのスポーツを普及させるために行っていることは、そのスポーツがいかに面白いかを訴えているケースが多い。しかし、NFLは、アメリカンフットボールの面白さを訴えるだけではなく、世の中にNFLというブランドの持つ価値を投げかけている。
 このように、スポーツを通じた何かで社会に訴えるという点が日本には欠けており、野球やソフトボールが五輪競技に復活できなかった理由もこの点に一因があるのではないかと私は考えている。スポーツビジネスを勉強している方だけではなく、スポーツを普及させたいと願っている方にもぜひ読んでもらいたい。
(松本 圭祐)

出版元:毎日新聞社

(掲載日:2011-12-10)

タグ:スポーツビジネス NFL アメリカンフットボール 
カテゴリ その他
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史上最も成功したスポーツビジネス
種子田 穣 本庄 俊和

はっきり言って歴史の違い
 私の蔵書の中に「THE PICTORIAL HISTORY OF FOOTBALL」というのがある。要するに、アメリカンフットボールの歴史を写真で追ったものだ。そして、この本の最初に「CAMP」なるタイトルのついた章があって、そこには口ひげをはやし、左手を後ろに回して直立姿勢で立っている男の写真が大きく掲載されている。
その男こそが現在のフットボールの原型となるルールを確定したウォルター・キャンプその人である。その写真の説明には「ウォルター・キャンプは1878年にエール大学のキャプテンとなった。彼は革新的なアメリカンフットボールのルールを背景に、大いに活躍した」と記されている。
 1878年は、日本で言うと明治11年である。この年、日本では明治新政府の立役者であり、版籍奉還や廃藩置県を断行した参議兼内務卿の大久保利通が東京紀尾井町で刺殺されている。まだまだ国の存亡ままならぬ状況の中で、ましてスポーツなんぞという時代であった。
 1892年、米国ではアメリカンフットボールは人気スポーツとなり、初のプロプレーヤーが誕生したと本書に書かれている。日本では明治25年に当たる。この年日本には本格的テニスコートが東京・日比谷の英国公使館の中庭にでき、これをきっかけにテニスが盛んになったという。でも、フットボールではないのだ。
 日本で初めてアメリカンフットボールの試合が行われるのは、それから43年後の1935年(昭和10年)。東京・明治神宮外苑で横浜選抜と在日外人チームの試合が第一戦であった。そのころ、米国では現在のNFLは既に組織されていたし、1934年にはNBCラジオで全国向けに初めて放送が行われたという。そして、1935年には現在も行われているドラフト制度ウェーバー方式を導入したという。やはり、はっきり言って歴史が違うのだ。

スポーツと体育の違い
 本書は、新市場開拓の原則として次の2つを挙げている。
(1)ファンデベロップメント、即ち顧客の開拓、(2)メディア展開、即ち如何にしてメディアへの露出度を増やすか。
 両方とも納得だが、特に(1)の顧客の獲得には大変な時間を要するという。
つまり「特にプロスポーツの場合、人々がファンとなるスポーツは、自分が過去にプレーしたことのあるスポーツであることが多い」という。
これも納得。つまり、日本の場合、過去におけるスポーツ経験とはイコール学校体育でのスポーツ経験となるので、NFLジャパンでは現在日本でのNFLファン獲得作戦の一環としてフラッグフットボールという安全で誰もがフットボールゲームを楽しめるプログラムを全国小学校に展開中という。これも納得。
 因みに、何を隠そう私もこのフラッグフットボール経験者の一人で、年齢、男女混合チームでゲームをやる気分は格別です。 読者諸君、一度経験すべし。
 閑話休題。しかし、これらのNFL顧客獲得作戦には大事なものが抜けている。それは、スポーツはやるものと同時に観るものだとういう視点だ。残念ながら、今までの日本のスポーツ教育には、ここが決定的に欠けていた。つまり、教育・教材としてのスポーツ、体育だったのである。
 事実、全国の小・中学校のグラウンド、体育館に観覧席が用意されている学校が何校あるか? あるのはスポーツをやるためだけの施設ばかりだろう。私自身、もう10年以上前になるが、娘のミニバスケットボールの試合を体育館の外から、狭い出入り口に沢山群がる他の保護者に混じって立ちながら応援したのを覚えている。
観覧席があったら、もっと楽しめただろうに。
 NFL関係者の皆さん、そんなに史上最もビジネスを成功させた余力があり、あくなきビジネス精神の元、さらに日本、そしてアジアとビジネスチャンスを目論むなら、全国の小・中学校に観覧席を寄付して下さい。
 そうすれば、必ずや日本人はスポーツを観る楽しみを理解します。そして、アメリカのように、会場近くでバーベキューパーティーもやるようになります。なんせ、史上最もマネがうまい国民ですから。

(久米 秀作)

出版元:毎日新聞社

(掲載日:2002-12-10)

タグ:スポーツビジネス NFL アメリカンフットボール 
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ここ一番!の集中力を高める法
児玉 光雄

 いろいろな局面での「ここ一番!」に強い人と弱い人がいるが、その差は「集中力」によって異なるという。一流のスポーツ選手からビジネスマンに至るまで、具体的な例を挙げ、集中力を高める方法が満載の実践書。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:東洋経済新報社

(掲載日:2003-01-10)

タグ:メンタル 集中力 
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スポーツ解体新書
玉木 正之

スポーツを“解体”する
 私は“解体新書”というとまず日本最初の西洋解剖学書の訳本を思わずにはいられない。“解体”には物事をバラバラにするとの意味もあるが、この場合は“解剖”を意味する。従ってこの「解体新書」というタイトルは、素直に読めば「新しい解剖書」という真にシンプルなタイトルになるところだ。
 しかし“新書”という言葉に込められた意味を私なりにこだわれば、この言葉には新しい分野や秩序を築こうとするときの緊張感がこめられていると思う。
 誰も到達したことのない領域に達し、それを世に現すことを許された者だけが使える“新書”という言葉。
 この言葉がタイトルに踊る本を読み開くとき、私は期待感にワクワクし、緊張感で胸をドキドキさせながら頁をめくる。
 さて、今回ご紹介するのは“スポーツ”の解体新書である。本書は、今まで既成事実として君臨(?)してきたスポーツに対する概念規定をことごとく“解体”して新しい概念を構築しようとする意欲作である。私の“新書”への期待感も裏切らない。
筆者の新たなスポーツ秩序の道すじをつけようとする情熱が、熱波となって頁をめくるごとに襲ってくる。

「体育」と「読売巨人軍」
 筆者はこの2つが日本のスポーツを、本来のスポーツの意味から遠ざけたと言っている。明治において欧米文化を取り入れることに躍起だった日本にスポーツが輸入されたとき、残念ながら日本には 受け皿となるスポーツの社会基盤(インフラストラクチャー)がなく、結局大学が主な受け皿となる。しかし、世間の学生に対する目は厳しく、学生の本分は学問(精神活動)であるとして身体活動であるスポーツを“遊び”として認めずしょうがなくスポーツを「精神修養の道具」として世間へ認知を図るのである。
 その後「“下級学校”に配られた結果日本では、スポーツが体育へと変貌しスポーツと体育が同種のものとして考えられるようになった」と言うのである。それ以降スポーツは学校体育の専売特許となり、学校教育だけのものとなる。その結果、スポーツ本来の年齢に関係なく誰もが楽しめ、どこででも行えるというスポーツ観は、日本で育つことがなくなってしまったわけである。
 読売巨人軍は、もちろんプロ野球のジャイアンツのことである。数々のスーパースターを生み出し、日本のスポーツ界の頂点に立つこのチームも、筆者に言わせれば日本のスポーツをダメにしているという。
 一民間企業が、その企業の宣伝効果のみを優先させて運営しているところに、形こそ違うがメジャーリーグやヨーロッパのクラブチームの運営形態と決定的に違うことを指摘する。さらに、特定のメディアが特定のチームと結びついていることに、筆者は大きな疑問を寄せている。
 筆者は、最後に次のような言葉で本書を締めくくっている。
「日本のスポーツ界が(とりわけ、日本人に絶大な人気のある野球界が)過去のしがらみを断ち切つて変革に手をつけ、たとえ小さな一歩でも未来にむけて新たな出発を始めるとき(中略)日本の社会が、真の豊かさの獲得に向かって歩み始めるとき、といえるのではないでしょうか」
 そういえば、どこかのワンマンオーナーがようやく引退というような記事が最近あったように思うが、これで少しでも日本のスポーツ界が変わるといいですね、玉木さん。
(久米 秀作)

出版元:日本放送出版協会

(掲載日:2012-10-08)

タグ:スポーツの意味 
カテゴリ その他
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シマノ 世界を制した自転車パーツ 堺の町工場が「世界標準」となるまで
山口 和幸

堺の町工場から世界標準へ
 本書は、自転車部品メーカー「シマノ」が世界一の自転車「パーツ屋」になるまでのノンフィクションドラマである。
 株式会社シマノは現在大阪府堺市に拠点を置く。創業は1921年。鉄工所の職人であった島野庄三郎が島野鉄工所として興した会社である。
 当初島野鉄工所ではフリーホイールというギヤパーツを製造していた。しかし、その初代社長庄三郎が逝去した頃には第一次サイクリングブームも終り、会社は経営の建て直しを迫られる。
 そんな会社を引き受けたのが庄三郎の長男尚三である。そして、彼と弟の敬三、三男の喜三が会社経営に乗り出してからは、三兄弟は才覚と社内での役割を三者三様にこなし、これが“三本の矢”となって会社を大きく飛躍させていくことになるのである。

ブレーキにシフトレバーを載せろ
「おい長、あれ困るんちゃうか?」
 7400の企画を担当していた長義和が、島野敬三専務に呼ばれた。長はSIS(シマノ・インデックス・システム)と呼ばれる変速機の位置決め機構を7400に搭載した際の中核となった人物で、それ以前自転車選手時代はミュンヘン五輪とモントリオール五輪に出場。モントリオールでは日本自転車界初の6位入賞を果たした日本短距離界の名選手であった。
「SISできてええねんけど、上りで立ち漕ぎするやろ。そしたらハンドルから手が離せないから、変速できへんやろ」
「まあ、できませんね」
(中略)
「あれって因るんちゃうか。アタックされるでしょう、こっちが変速しているすきにね」
「まあ、それもヤツらの作戦ですから」
「チェンジレバー、手元にあったらいけるんちゃうんか」
 シマノを世界的自転車企業に躍進させた原因は、こんな発想の柔らかさにあったようだ。

ストレスフリーという名の自転車
 この物語はシマノの商品開発に対する先見性とそれに注ぎ込む情熱が中心であるが、実は本当の主人公はここに出てくる社員一人一人なのである。
 前述の会話にもあるように、選手の実績を持つ社員と会社のリーダーが直接意見をぶつけ合う。リーダーは常に誰でも乗りやすい、人間にとって限りなくストレスフリーな自転車を想像する。それを、技術者であったり、元選手であったりした人々に実現するように指示する。そして、この会社では指示を受けた人々が実に誠実に、満身に力を込めて実現しようとしている。ここにシマノの世界一たる所以がある、と著者は看取する。
 翻って考えれば、スポーツ現場においてもコーチは技術者(選手)-人一人に先見性を持って技術の進歩・実現を望むべく指示を出し、選手が誠意を持って答えを出そうとしたときに最高のパフォーマンスが生まれる。
 実業界とスポーツ界の違いはあれ成功の秘訣は同じところに潜んでいることに、本書を読んでいると気づかされる。
 私事で恐縮だが、実は8年ほど大阪に在住していたことがあり、その間にシマノのレーシングチームで体力測定やら実走中のベタルにかかる力(踏力)の測定やらを手伝ったことがある。
 残念ながら、我がデーターはまったくシマノの世界的躍進には役立たなかったようだが、本書中にも当時レーシングチームをまとめておられた岡島信平氏の名前や辻昌憲監督の名前を拝見し、妙な現実感を持ちながら本書を読ませていただいた。
 日本は技術立国であると言われているが、本書を読んで改めて納得した。日本はまだいける、と勇気をもらえる一冊である。
(久米 秀作)

出版元:光文社

(掲載日:2004-03-10)

タグ:開発 自転車 パーツ  
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日本人大リーガーに学ぶメンタル強化術
高畑 好秀

「選手の指導」に効く薬
 今この書評を目にしている方々は、なんらかの形でスポーツの指導に携わっていらっしゃる方々だと思うので、選手の指導に関しては、一方ならず苦労があることは重々承知のことと思う。私事ながら苦節20年この世界に身を置いて、何度“選手指導の特効薬”はないものか思い悩んだことか……。
 なんだか新年早々しみじみした話になってしまったが、特効薬はないにしても、スポーツ指導で成功するための黄金律は存在するのではないかということは薄々感じるのである。そして、その存在を知るには“我々は人間を指導している”という、ごく当たり前の事実に気づくことが重要なのではないだろうか。
 人間を社会的動物とみた場合、「マズローの欲求段階説」によれば、人間には5段階の欲求があると言う。この5段階とは下位から生理的欲求、安全・保障の欲求、社会的欲求、自我の欲求そして最高位の自己実現の欲求のことである。
 こうしてみると、スポーツ指導の場面においても一選手の持つ欲求はこの段階に沿っているようにみえる。例えば、そのスポーツを始めるにあたっては、今まで自らが満たされないと感じていた部分を満たしてくれそうだという生理的欲求が動機として強く働いたと考えられるし、次にそのスポーツを継続するには未来への安定つまり生活の安全や保障欲求が満たされることが重要である。
 そして、次第に欲求は高位へと高まり、そのスポーツに携わっていることへの社会的認知が得られ、人々から尊敬されることで自我の欲求を満たし、理想的な自己の確立を成し得ることで、果たしてそのスポーツに携わった喜びを得ることになるのである。
 選手には、選手という以前に、一人間としてこうした欲求があることを先ず指導者が理解することこそが指導の“特効薬”ではないだろうか。

メンタル強化術
 さて、今回ご紹介する本書では、選手指導の特効薬的方法論として“人間の心理”を理解することをテーマとしている。
 内容は、場面設定の多くが会社の上司と部下の関係における心理、つまり部下に如何に余計なストレスを感じさせずに仕事に集中させるかとか、部下のやる気を育てるには上司はどのような発言や行動をとるべきかというような形で書き進められているが、これはこのまま指導者または監督と選手の関係においてもありえることであるので、本書の内容は十分スポーツ指導現場において応用可能である。
 これについては著者も意識したのであろう、各章の最後には日本人大リーガーを含めた大リーガーたちのメンタル強化術について触れられており、大リーグの指導者やトップ選手が本書に述べられているような心理作用をどのように指導や自らのメンタルコントロールに用いているかについて興味深い話を載せている。
 著者が現在まで、イチローら多くの一流プロ野球選手のメンタルトレーニングを指導した経験がここに生かされているようだ。
 スポーツにおけるメンタルコントロールについては、日本はまだ欧米からみるとようやく端緒についたばかりに思える。
 しかし、今後日本の一流選手がTV画面を通して、メンタルな面を強調したコメントをより多くすれば、必ずやそれを見ている次世代の子どもたちは、新鮮なスポーツ感覚を磨くことであろうし、これは結果的に日本におけるスポーツという文化の深遠を深め、発展に繋がることになるであろう。
 今年はこれを期待しながら、スポーツ関係者の皆さん、一年頑張ろうではないか。
(久米 秀作)

出版元:角川書店

(掲載日:2004-02-10)

タグ:メンタル  
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ファイブ
平山 讓

バスケットボール稗史(はいし)
「バスケットボール部を今年限りで休部とする」。平成7年から4連覇を含む5度のJBLスーパーリーグの優勝を果たした名門いすゞ自動車バスケットボール部に、平成14年1月30日リストラの風が吹いた。しかしこの事実を頑なに拒否し、「ファイナルで優勝したら、休部の話がなくなることだってありますよね」と執拗に会社幹部に食い下がった男がいる。その男の名は佐古賢一。ポジションはポイントガード。愛称「ミスターバスケットボール」。その名の通り、彼は中央大学時代に日本代表入りを果たし、平成9年にはアジア選手権(兼世界選手権アジア予選)で準優勝し、31年ぶりに日本を世界選手権に導いた中心的人物である。さらに、その間リーグ戦においても6年連続ベストファイブとMVPを3度受賞している。まさに「ミスター」の名にふさわしいこの男が、今リーグファイナルで戦っている。相手は初優勝を狙うトヨタ自動車アルバルク。試合は残り15秒。得点は66対63、いすゞ3点のビハインドだ。「『おい』と長谷川の肩を掴んだ。長谷川が驚いたように振り向き、佐古を見た。(ボールを)『俺によこせ、ぜったい、俺によこせ』」(中略)「長谷川が小さく頷いた。試合が再開された。時計が動き出し、カウントダウンが始まった。」佐古は、残り2秒、シュートを放つ。「入った!これまで幾千、幾万と打ったシュートの経験から、指先の感触で、佐古はそう感じた。」しかし、その感触が間違いであったことに気づくのに、そう時間はかからなかった。

アイシン・シーホース
 捨てる神あれば拾う神あり。鈴木貴美一は、休部するいすゞ自動車にとって最後の試合を観客席から見つめていた。彼はアイシン精機という自動車部品メーカーが雇ったプロのバスケットボールコーチだ。当時、JBLにおいてアイシン・シーホースという名はそのまま“弱小”の代名詞となっていた。しかし、鈴木は人材を見定め、虎視眈々と日本一の座を狙っていたのである。佐古は、鈴木の目にとまった5人目の男であった。
 この物語は、一人の男が名門チームの廃部によって優勝経験のない弱小チームへ流れ着くノンフィクション・ストーリーであるが、稗史(はいし)つまり小説のような風情を持った物語だ。
 そのチームには、佐古と同じように親会社からリストラされて引退の危機にありながら、やはり鈴木に拾われた個性豊かな4人のベテラン選手がいる。「本書は、ある地方の小さなバスケットボールチームから、もう一度自分自身への存在証明を試みたもの達の心の有様を探求した」泥臭い、いや汗臭いスポーツノンフィクションなのである。
 現在の日本のスポーツライターの原流は、1980年4月に発刊された「Number」(文藝春秋社)にあるという人がある。その最新号(11月25日号)には、Jリーグ、MBLに混じって“Yuta Tabuse”の特集が組まれていた。日本人初のNBA選手としてフェニックス・サンズの開幕アクティブロスター入りした彼の今後の活躍は間違いなく日本のバスケットボール界に喝を入れてくれるはずだ、と原稿を仕上げようとしていた11月25日の読売新聞朝刊に「バスケにプロリーグ」の見出しが躍った。田臥の喝が早速利いたようだ。
 スポーツはよく感動を呼ぶと言われる。その感動は瞬間という時間の中で冷凍され、それがファンの刹那的な情熱によって解凍されたときに初めて得られるものではないか。だとすると、やはりスポーツにファンは欠かせない。“見るスポーツ”同様“読むスポーツ”にも本書を機として多くのファンがつくことを望みたい。我が国のスポーツのさらなる成熟のためにも。
(久米 秀作)

出版元:NHK出版

(掲載日:2012-10-09)

タグ:バスケットボール ノンフィクション 
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スポーツ倫理学講義
川谷 茂樹

 まず「倫理学」で躊躇する。「講義」で、う~んと思う。それに「スポーツ」がついているので、「ま、読んでみるか」と開いた。ところがである。「これは」と思い、ついに読みきることとあいなった。以降、「この本、読んでおいたほうがいいよ」と各方面に薦めることになる。
 冒頭、著者はこう言う。
「スポーツの存在がたとえ自明の事実であるとしても、スポーツそのものは必ずしも自明ではない。別の言い方をすれば、一度考え始めるとなかなかうまい解答が見つからない、多くの問題がスポーツには存在する」
 その問題とは「相手の弱点を攻めるのは卑怯なことなのか」「いついかなるときもルールを守らなければならないのか」「格闘技などで暴力が容認されているのは、なぜか」「ドーピングはなぜ悪いのか」である。「これらの問いは、総じてスポーツに関わる行為の道徳的善し悪し、あるいはその根拠への問い、すなわち倫理(学)的な問いである」
 本書は、スポーツマンシップについて3講義、スポーツと暴力、スポーツの本質、スポーツの周辺、スポーツの「内」と「外」の各講義、計7講義からなる。スポーツマンシップとは勝利の追及が大原則と言う著者の切れ味は鋭い。「スポーツとは何か」が本書の大きな問いだが、哲学者がそれを考え、答えている。刺激に満ち、再び考える芽をいくつも伸ばしてくれる1冊。改めてお薦めしたい。
(清家 輝文)

出版元:ナカニシヤ出版

(掲載日:2012-10-09)

タグ:スポーツ倫理 倫理学 
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老人自立宣言!
村山 孚

 70歳代末に『明るくボケよう』という本を書いた著者の最新刊書。「介護制度が整えば整うほど、老人自身がそれに見合った『自立の心』を鍛えておかないと、心身ともにひ弱な老人になってしまう」という著者は今80歳代半ばで、中国研究家でもあり、至るところに中国での経験や古典の話が出てくる。何十冊もの本を書いてきたなかで、この本が一番楽しかったとか。
「心身の衰えとともに、残念ながら身も心も他者の支えを必要としてくる。…だが、その現実のままに流されていたら『老い』のつらさは増すばかりだ。ここは人生の最後のふんばり、痩せ我慢の抵抗精神で『自立』をめざそう」(本書より抜粋)
 そして、「やはり、老い方には五十代の準備体操、六十代の助走がものをいうようである」という。著者はこうして「老人自立宣言全文」を記すことになる。全6項目。一、感謝はするが甘えず、心の自立を忘れまい。二、身も心もシャキッとしよう。三、自分の体、自分が責任を持とう。四、好奇心を持ち続けよう。五、自信を持て! 自分にしかできないことがある。六、「死」に馴染んでおこう。
 誰でも歳をとり、やがて死ぬ。できればこういう本を読むか書くかしてから旅立ちたいものです。
(清家 輝文)

出版元:草思社

(掲載日:2012-10-09)

タグ:高齢者 
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乳幼児期の健康
前橋 明 田中 光

 西日本法規出版発行による健康福祉シリーズの第2弾。身体、こころ、運動機能の発達から、歯科保健、安全対策、生活習慣まで、乳幼児期の子どもの健康について様々な角度から考察されている。早稲田大学教授の前橋明氏が監修、洗足学園短期大学幼児教育科専任講師の田中光氏が編著した一冊。
 「最近の子どもは……」と不満を言うことが口癖になっている方もいると思うが、著しく変化しているのは子ども自身ではなく、置かれている環境であると言えるだろう。乳幼児期であっても、両親が共働きであるなどの家庭事情があれば、「食卓にレトルト食品が並ぶ」「夜型の生活を強いられる」など健康に育つとは言いがたい環境を受け入れざるを得ない。
 子どもの都合に合わないことが増えていて、その結果が身体とこころに現れているのは事実である。しかし、誰が、何が悪いと考える前に、子どもに何が起きているかをまず知る必要がある。本書では、問題点を指摘するだけでなく、子どもを健康に育てるために必要な情報を数多く紹介している。

前橋明監修、田中光編著
(長谷川 智憲)

出版元:西日本法規出版

(掲載日:2012-10-09)

タグ:健康 発達 
カテゴリ その他
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大旗は海峡を越えた
田尻 賢誉

おめでとう、駒苫ナイン!
 今回の書評はこの試合を見てから書こうと心に決めていた。第87回全国高校野球選手権大会決勝戦。南北海道代表の駒大苫小牧対京都代表の京都外大西の試合である。駒大苫小牧は、ご存知のように昨年のこの大会の覇者である。「04年夏、駒大苫小牧は全国4146校の頂点に立った。甲子園での北海道勢初めての優勝。第1回大会から89年。ついに、深紅の大旗が津軽海峡を越えた。あれから1年が経とうとしているー。」こんな文章から始まる本書は、もちろん昨年の駒大苫小牧のこの快進撃の理由を克明に追うことを旨として書かれたものだ。
 監督の香田誉士史は弱冠35歳。彼は北海道生まれではない。佐賀出身。大学も東京の駒沢大学を出た彼は、出身はおろか教員としても監督としても北海道とは縁もゆかりもなかった。その彼に駒苫の監督を勧めたのは駒大時代の恩師太田誠野球部監督だ。「『当時の子たちには悪いから、あまり言いたくないんだけど……』と前置きしながら、香田監督は赴任当時の印象をこう話す。『信じられない。これが第一印象ですね。ウチの10年前を知ってる人であれば誰でも言うと思うんだけど、これはちょっとキツイなと』」。現在の栄光の陰には信じられない過去がある、といった話はよく耳にする。グラウンドすらなかった、練習おろかグラウンドに選手すら集まらなかった等など。私事ながら監督を始めて約20年。当初私も、自分より足の遅い選手、脂肪腹を突き出して息切らして走る選手を見て何度となくため息をついたものだ。しかし、若さと夢があった。だから……そう、香田監督もだからこそできたことがある。今だからこそできることがある。スローボール打ちに雪上ノック。通常のバットの1.3倍の長さの竹バットを使ったティー打撃。「長ければ長いほど最短距離で出さないと芯に当たらないんです。これによって、ヘッドを利かせるイメージをつけたい」本書の中には、こんな香田野球の秘密がいたるところに語られている。

“コーチ”という仕事
 コーチ(Coach)という言葉が普及し始めたのは1500年代と言われている。そして、この言葉は当初屋根付の四輪馬車のことを指していた。そしてここから、コーチという言葉には「人を望むところに連れて行く」という意味合いが含まれるようになったと言われる。その後1800年代には、イギリスで大学受験を指導する個人教師やスポーツの指導者にこの言葉が使われるようになったようだ。この頃でもやはり、コーチは人の望みを叶えるお手伝い的意味合いが強い。しかし、いつの間にやらコーチは助言者よりも指導者の色合いを深めることとなる。とくに日本においては何故か“監督”者の意味合いが強い。しかし、香田監督には選手を“監督”している意識はない。「外野手もキャッチャーと同じ。バッターみて、スイングや特徴を(自分で)見極めろ。(中略)失敗してもいい。思い切りやることが大切だ」。コーチの仕事は、選手の話に耳を傾けることだ。君の夢はなんだ? どんなプレーをしたい? なるほど、わかったと相槌を打ち、じゃあこうしたらどうだと助言をする。そして、最後に「君ならきっとできる」と肩をポーンとたたいてグラウンドに送り出してやることだ。こうなれば選手は自ら行動を始める。つまり自らオートクライン(気づき)を始めるわけだ。
 本書は最後にこういって締めくくっている。「北海道中が再び歓喜にわく日は、そう遠いことではない。」奇しくもその願いは1年後に叶った。香田監督は勝利監督インタビューで大きなからだを小さく丸めてこう言った「自分はいつものようにどきどきしながら見守ることしかできなかった。……選手にありがとうと言いたい」さぞかし彼の眼には、自らの判断で自由に動き回る選手たちが眩しく映ったのに違いない。
(久米 秀作)

出版元:日刊スポーツ出版社

(掲載日:2005-10-10)

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医師が実践する保存療法SPAT
鹿島田 忠史

 誠快醫院院長、鹿島田医師が開発した短時間骨盤矯正法SPATをまとめた本。SPATは橋本敬三医師(1897~1993)の筋骨格系のバランス回復法を中心とした健康法・医療哲学「操体法」を近代西洋医学、東洋医学、代替療法などの区分をせずに治療に取り入れ発展させたものである(詳しくは月刊スポーツメディスン72号を参照)。
 本書は、第1章「SPATとは」に始まり、第2章「SPATの実際」、第3章「SPATの適応」、第4章「SPATを取り入れた治療の実際」、第5章「セルフSPAT―患者が自分でできる骨盤自己矯正法」と続き、第6章「健康のキーワード『息・食・動・想+環』」で締めくくられる。SPATを構成する「動診」「SPATバランス法」「SPAT骨盤矯正法」を中心に解説している。
 鹿島田医師は『感覚』が最先端のセンサーであると捉えているが、常にからだの感覚を大事にし、その感覚に基づいた行動をする必要があると言えるだろう。本書はDVDも付いている。さまざまな治療に先立ってSPATを実践し、その後の治療を受け入れやすい準備をしてみてはいかがだろうか。

2005年6月28日刊
(長谷川 智憲)

出版元:ダイナゲイト

(掲載日:2012-10-10)

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隠居学
加藤 秀俊

 副題に『おもしろくてたまらない ヒマつぶし』とある。帯には「読んだら何ともいえないいい気分。あらゆる世界をめぐる好奇心 自由な隠居になる願望をもつ著者の知的冒険!」と記されている。隠居というのは日本のよい制度で、よく知られた「ご隠居さん」は落語の世界に頻繁に登場する。落語のご隠居より、もっと知的で好奇心に満ちていて、話を聞いているだけでトクをした気になるが、よく考えるとそんなにトクでもない。でも、読んでよかったと思う本である。
 著者の専門は社会学で、京都大学、学習院大学、放送大学などで教鞭をとり、現在は中部大学学術顧問である。冒頭「つぎはぎの世界」の章(というほどかしこまってはいないが)では、知り合いから韃靼そば茶をもらったことから話は始まる。そこでまず白川静先生の『字通』で「韃靼」を調べる。タタール、突厥が出てきて、タルタルソースが浮かび、そばの話になり、今はアフリカ産のそばが信州で手打ちにされて食されていることにつながったりする。ま、いわばこういう話ばかりの本である。高齢になっていくにつれ、運動量が減るのは仕方がないが、頭の運動量は増えていく可能性がある。そういう日々は楽しいだろうし、そうありたいと思わせられる。何よりも好奇心を失うのが生命力低下の第一歩と知るしだいである。

2005年8月29日刊
(清家 輝文)

出版元:講談社

(掲載日:2012-10-10)

タグ:隠居 好奇心 
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駅伝がマラソンをダメにした
生島 淳

怪物番組
 タイトルが刺激的だ。これが『マラソンは駅伝によってダメになった』ではいけない。多分、書店で何か面白い本はないかと探していた読者にとって、“駅伝”の文字は真っ先に目に飛び込んでくるし、好感も持つはずだ。「駅伝かぁ。最近すごいよなぁ。正月の名物になったもんなぁ。番組の視聴率もすごいんだろうなぁ。怪物番組だね、きっと」てなところで、次の“マラソンをダメにした”に目が移る。「そう言えば、最近日本のマラソンは女子はよいけど、男子はさっぱりだね。これは、駅伝のせいなのか? でも、駅伝ってだいたいマラソン選手を育てるのが目的でやっていたんじゃなかったっけ!? 変だな、面白そうだなぁ、この本買ってみようかぁ」となる。読者にわかりやすい言葉で、なおかつ適度に興味を刺激するタイトル。その点で、本書は先ず合格点。このほかに著者には「スポーツルールはなぜ不公平か」といったタイトル本もある。こういった著者のスポーツに対する独特の着眼点には感心しきりである。
 さて、話をもとに戻そう。先ほど本を買うことにした読者の疑問の答えは?“駅伝って、マラソンの強化策?”なのか。本書は「ひと昔前、箱根駅伝は、極論すれば選手たちの息抜きのための大会だった」の一文から始まる。「1912年、日本はストックホルムで開かれた第五回オリンピックに初参加したが、マラソンを走った金栗四三氏は残念ながら棄権してしまった。そこで、駅伝という名前はまだなかったものの、ロードをリレーしていく競技を作って長距離の強化を図ろうとしたと伝えられている」。どうやら、読者の疑問は正解だったようだ。

メディアとスポーツ
 タイトルにこだわるようだが、よいタイトルは読者の期待も裏切らない。では、なぜ駅伝はマラソンをダメにしつつあるのか。著者はその原因に“箱根中心のスケジュールが陸上競技界を席捲しつつある”ことを指摘する。「取材を進めていくと、箱根に出場するにはとても10月からの練習では間に合わないことがわかってくる。とにかくほとんどの学校が、1月2日と3日にチームのピークを持ってくるように調整を進める」そのため「駅伝に力を注いでいる学校はインカレを軽視する場合も多い」のが現状だ。つまり、トラック種目が軽視され始めた結果、マラソンに必要な基礎的な走力を身につける機会が減ってきていると言うのだ。「(マラソン日本最高記録保持者)高岡寿成は、(中略)箱根とは無縁の生活を送り、日本のトラックの第一人者(3000m、5000m、10000mの日本記録保持。2005年11月現在)となって、マラソンに転向してからマラソン日本最高記録をマークしている」の例や世界のトップマラソンランナーの経歴を挙げて、著者はトラック競技の重要性を説く。
 しかし、現状ではまだまだ“箱根優位”は変わらない。そこには巨大なメディアが関与しているからである。「そして最近は、箱根を走ることがゴールだと考える選手も増えてきた。それだけテレビ中継の影響は大きいということである」。それはそうだろう。正月に真剣勝負である。学生(アマチュア)スポーツである。波乱万丈もある。涙あり、笑いあり、人情もある。これほどの日本人の心をくすぐる最良ソフトをメディアがほっておくわけがない。さらに、大変な広告媒体でもある。視聴者はひたすら選手の走る姿を観る。だから、出場校には絶好の宣伝の場となる。高校生も箱根を走りたがる。かくして、日本のお家芸と言われたマラソンには誰も見向きもしなくなる!? であろうか。来年は大阪で世界陸上が、2008年は北京オリンピックだ。しかし、世界陸上やオリンピック種目には駅伝はない。世界のトップにいてこそ、駅伝の魅力も増すというものである。駅伝の魅力は理解しつつも、井の中の蛙にならぬようにしてもらいたい、と著者も思っているに違いない。
(久米 秀作)

出版元:光文社

(掲載日:2006-03-10)

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温泉教授の湯治力
松田 忠徳

 日々の生活や運動後、疲労やストレスを感じたときに行きたいなと思うのが温泉である。誰に教わったわけでもないが、温泉の魅力は不思議と日本人のこころを引きつける。この本は、温泉教授として、またモンゴル研究家としても著名な松田氏が伝統的な「湯治」について紹介している。副題は『日本人が育んできた驚異の健康法』。
 第1章「湯治は日本人の『ヴァカンス』だ!」は、江戸時代から現在までの湯治にまつわる歴史とトピックについて、第2章「湯治の本質は『ホンモノの温泉』にあり」は温泉定義や効能について、第3章「現代版・湯治指南――宿の選び方、湯治場での過ごし方」には湯治の実践的な要点が記されている(松田氏が薦める全国の温泉宿145選も収録)。
 湯治は、お湯につかることを目的に温泉場に滞在し時を過ごすことであるが、現在は観光旅行の一環として温泉地を訪れることが主流となっている。その一方で、がんなどの難病を治すことを目的に湯治客として温泉場に長期滞在する人も増えている。健康づくりの一手段として、運動や食事による日常生活の改善に加え、湯治もうまく活用したいものだ。この本を読むと、「温泉に行きたい」という思いが一層強くなる。


2005年12月20日刊
(長谷川 智憲)

出版元:祥伝社

(掲載日:2012-10-10)

タグ:温泉 
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健康社会学への誘い
桝本 妙子

 30年近くにわたり保健師として、また保健師の教育に従事している桝本氏の博士学位論文を加筆・修正したのが本書である。健康について社会学的に考えて行動することを「健康社会学」と定義し、健康社会学を保健師の地区活動に応用すると何ができるかを考察、理論、実態分析、実践提示を関連させて論じている。副題は『地域看護の視点から』。
 本書の特徴は、1979年にアーロン・アントノフスキーが発表した「健康生成論」に着目している点である。第4章「健康生成論からみた地域住民の健康実態」では、同氏が開発した「調和の感覚尺度」(Sense of Coherence:SOC)を用い、都市部と都市部近郊の住民の健康実態を紹介している。ここではWHO憲章に基づく身体的・精神的・社会的健康、QOLとの比較検討もされており、健康生成論の有用性が示されている。少子高齢化に伴う健康問題において、「人間の生きる力そのものを強める発想、つまり『創る健康』が重要な考え方になってくる」と桝本氏は指摘するが、本書を通して「健康とは何か?」を再考させられる。

2006年3月20日刊
(長谷川 智憲)

出版元:世界思想社

(掲載日:2012-10-10)

タグ:健康 
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生老病死を支える
方波見 康雄

 北海道空知郡奈井江町の開業医である方波見(かたばみ)医師が書いた本。40年にわたって地域医療に尽力してきた経験を織り交ぜながら、奈井江町による開業医診療所と町立病院の連携による開放型共同利用や自身の老いについての考え方、病気体験などを綴っている。副題は『地域ケアの新しい試み』。
 方波見医院では、82歳で亡くなったある患者が残した「子どもを嫌うな/自分も来た道じゃ/老人をきらうな/自分も行く道じゃ」という書を外来待合室に掲げている。本書では、この言葉を紹介したうえで「わたしたちは、世代別に分断された人生を生きていて、うかつにも自分とは違う人生の段階(ライフステージ)を見知らぬふりをして暮らしているのである」と記し、忘れがちな人生の継続性と全体における自分自身の位置づけについて再考を促す。
 一読するだけで、方波見医師の患者本位の姿勢とその熱意がひしひしと伝わってくる。“このような医師に診てもらいたい”と思わずにはいられなくなる。

2006年1月20日刊
(長谷川 智憲)

出版元:岩波書店

(掲載日:2012-10-10)

タグ:医療 地域医療 
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神戸スポーツはじめ物語
高木 應光

 4つの兵庫県立高校に勤務し、各校でラグビー部監督・顧問を歴任した著者が定年退職を機にまとめた本。当時の神戸におけるスポーツの「はじめ」を歴史的にアプローチし、ゴルフ、テニス、バスケットボール、ラグビーなどの競技を通して日本と諸外国との関係を描き出している。
「スポーツ」は明治初期に日本へ入ってきたとされ、その後、日清・日露戦争を経て「体育」に変容した。当時の神戸ではスポーツ本来の形が存在していたとされ、それは自分たちで会費、会員制を用いることによってクラブを運営する取り組みであり、その教育理念も「アスレティシズム」(スポーツによる人格の育成)の影響を受けていた。
 日本においてスポーツ=体育と認識されがちであるが、本書は両者の異なる点を再考することができる。

2006年4月17日刊
(長谷川 智憲)

出版元:神戸新聞総合出版センター

(掲載日:2012-10-11)

タグ:歴史 神戸 
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99.9%は仮説
竹内 薫

 光文社新書の1冊。副題は「思いこみで判断しないための考え方」。
 プロローグで「飛行機がなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない」ときた。「ン? 本当に?」と誰でも思うが、本当。一応説明はされているが、科学的根拠はない。
 しかし、著者はこう言う。「よく『科学的根拠』がないものは無視されたりしますが、それはまったくナンセンスです。なぜなら、科学はぜんぶ『仮説にすぎない』からです」。したがって、仮説だから、ある日突然くつがえる。
 もうひとつ、本誌の読者なら「局所麻酔についてはメカニズムが詳しくわかっているのですが(もちろん、根本原理まではわかっていませんが)、驚いたことに、全身麻酔については、ほとんどわかっていないのです!」という箇所にうなずく人もいれば、驚く人もいるだろう。教科書には、いかに全身麻酔が効くか、いかに全身麻酔薬を用いるべきかは書いてある。しかし、なぜ効くかについてはほとんど書かれていない。
 どんどん恐ろしい話になっていくが、天才物理学者リチャード・ファインマンの「科学はすべて近似にすぎない」という言葉も含め、本書を読めば、「世の中はすべて仮説でできていること、科学はぜんぜん万能ではないこと、自分の頭がカチンカチンに固まっていること」を知ることになる。科学が身近になり、首をかしげることの大切さがわかります。

2006年2月20日刊
(清家 輝文)

出版元:光文社

(掲載日:2012-10-11)

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スポーツマッサージ
福林 徹 溝口 秀雪

 軽擦に始まり軽擦に終わる。私も学部時代はコンディショニング論でマッサージの講義を受けたことがあるが、いざ基本的な知識を現場で使おうとなると、種目別にはどういった箇所の障害が多いとか、またそれにたいしてどのようなアプローチしていいのかわからなかった。
 本書ではマッサージの歴史的変遷にも触れ、その意義や基本的な知識とともに、マッサージを種目別・部位別に触れる筋肉がわかりやすい図や絵を用いて説明している。また手技の知識では本文と平行し付録のDVDでスポーツマッサージに用いられる手技や、全身のスポーツマッサージ法にも触れ特殊なスポーツ傷害予防目的のコンディショニングエクササイズも紹介されている。いずれのマッサージ法もアスレティックトレーナーが現場で実践している手法であり、現場で培われたノートのようになっている。(M)

福林徹著、溝口秀雪編集
2006年9月25日刊
(三橋 智広)

出版元:文光堂

(掲載日:2012-10-11)

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MBAが会社を滅ぼす
H・ミンツバーグ 池村 千秋

 副題に「正しいマネジャーの育て方」とある。もちろん、これはビジネス界の話。スポーツ医科学の関係者にはあまり関係がない、とは思わない。その理由は2つある。
 まず、ビジネス界でマネジメントを行うことは、スポーツ界やその他団体や組織のマネジメントを行うことと同じあるいは共通することが多いという点。
 もうひとつは、本書では日本のビジネスのマネジメントの話がたくさん出てくる。日本のやり方のよさを知るのは、どの世界の人にも参考になるという点。
 本書は2部立てで、Part 1は「MBAなんていらない」、Part 2は「マネジャーを育てる」。Part 1は、ビジネス界でもてはやされているMBA教育のあり方がいかに間違ったものかを筆鋒鋭く、痛快なまでに論じていく。「そうだ、そうだ」と思う人も少なくないだろう。それをアメリカ人が書いているのがまた面白い。Part 2は一転して、建設的になる。まさにマネジャーの育て方を述べていく。実際に行われているプログラムで、Part 1と比べ、痛快さはさほどない。しかし、じっくり読めばこちらのほうが奥深い。構成力見事な書である。(S)

H・ミンツバーグ著、池村千秋訳
2006年7月24日刊
(清家 輝文)

出版元:日経BP社

(掲載日:2012-10-11)

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複雑さを生きる
安冨 歩

 人間関係、ハラスメント、組織の運営からテロリズム、環境破壊、または職場での苦悩、恋愛、家庭の不和など、現代の諸問題を複雑系科学の立場から読み解いている。副題は「やわらかな制御」。
 本書の内容を深めていくためには、まず“知ることとはなにか”を考察し明らかにする必要がある。そのキーワードが1章「知るということ」、2章「関係のダイナミクス」の基礎となる部分。ではその複雑さをどう生きていくのか、それを明らかにしていくのは3章「やわらかな制御」、4章「動的な戦略」になる。正直に言うと、この内容の拡がりは読み解いていくのに大変な作業であった。著者も「めまぐるしい銀河鉄道の夜のような旅」とこの本を振り返る。しかしながら5章の「やわらかな市場」まで読み進めていけば、問題が整理されてくる。
 この複雑社会に私たちは生きていて、それを解いていくことが現在必要とされている気がする。それと同じように私たちの身体とは何か、この問いを深めていくことも大きな意味を持つのではないか。

2006年2月22日刊

(三橋 智広)

出版元:岩波書店

(掲載日:2012-10-11)

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交渉力
団 野村

 著者は、あまり知られていないがヤクルトスワローズに在籍していたことがある。その後渡米し、マック鈴木選手と最初の代理人契約を結んだ。しかしその名を一躍広めたのは、なんと言っても、95年野茂英雄投手を近鉄からドジャーズ入団を支援したこと。その後も伊良部秀輝、吉井理人投手などの日本人メジャーリーガー誕生に貢献した。
 著者は、自分では交渉は下手だという。しかし、好きだという。交渉とは何か。著者は「納得」だと考えている。一方の要求がすべて通るというケースはまれ、しかし双方が納得できることは十分にあり得る。これが著者の言う「交渉」の要諦。「妥協」では、「しかたがない」という印象になる。そうではなく、互いがハッピーになるよう、納得できるようもっていく。そこにはクリエイティビティと駆け引きをゲームのように楽しむ感覚が必要だとも言う。
 著者が挙げる交渉でのポイントは、ほかに、「最悪の状況を想定し、複数のプランを用意しておくこと」「市場を知ること」そして「ルールを熟知し、相手の弱いところを突く」など。 交渉は、ビジネス全般はもとより、何かをしようとしたとき、必ず生じることである。プロの代理人の世界は参考になる。

2007年1月10日刊
(清家 輝文)

出版元:角川書店

(掲載日:2012-10-11)

タグ:代理人 交渉 
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力士はなぜ四股を踏むのか?
工藤 隆一

 副題は、大相撲の「なぜ?」がすべてわかる本。
 タイトルにもあるように、力士はなぜ四股を踏むのかについては本書を読んでいただきたい。工藤隆一氏はフォーミュラ・ワン(以下F1)での担当記者を務めていたときに、その競技の仕組みが大相撲と似ていると感じるようになったそうだ。F1は一つのチームが一座を組んで世界を興行している点がサーカスを連想させる。一座の巡業のことを英語で言うと「サーキット」、ゴルフ、テニスでも試合で世界を周ることをサーキットと呼ぶ。このようにヨーロッパのF1や日本の相撲は、トップスターから縁の下で働くものまでの“一座”で動くという特徴があるのだ。この他にも『からだのやわらかさこそ大成のカギ』、『大きさよりも「瞬発力」と「敏捷性」』、など相撲界で勝っていく条件や、『なぜ塩をまくのか』、『相撲・芝居・落語に共通する大衆文化』など歴史的な視点でもまとめられている。

2007年5月10日刊
(三橋 智広)

出版元:日東書院

(掲載日:2012-10-12)

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ハラスメントは連鎖する
安冨 歩 本條 晴一郎

読んで「ハラスメント」を受けた
「本書によりハラスメントを受けた」。これが、本書の過激とも言える導入部分を読んでいるときの率直な感想だった。本書は日常に巣くうハラスメントという「悪魔」を振り払うために、それを理解するためのものであるはずなのに。たとえば親子関係の中に存在しうるハラスメントの話があげられているが、親子の愛情という大事な部分を汚されたような気分になった。ひとつふたつの事象を取り上げて、愛されない、愛せないとは言えないだろう。同一人物が同一のメッセージを同一の行動や言動によって伝えようとする場合でも、そのコンテキストは日々の身体的、精神的揺らぎの中で常に変化する。また、受け止める側にも同じことが言える。私はそれが人間というものだろうと考えている。私にとって人間は不完全で不安定な存在であり、過ちを犯す存在だ。常に誰かの魂を傷つけ、誰かに魂を傷つけられる危険性を持っている。矛盾に満ち、虚実が入り乱れている。だからこそその中でよく生きることにこだわりたいとも思う。受け止める強さを持ち、立ち向かう強さを持ちたいと思う。己がどうあるべきかを追求すれば、時に自らの魂に疑問を持ち、改めていくことも必要だ。こんなことを考えていると、身の丈で生きることが精一杯になり、それが自然なことだと私自身は感じる。

深くえぐっていく
 しかし、世の中ではそんなささやかな決意など簡単に吹き飛ばすような出来事が確かに頻発している。国が関わる大きなことから、日常目にする小さなことまで枚挙にいとまがない。尊い命が失われる事態になることも少なくない。メディアが視聴者や読者を小馬鹿にした情報を垂れ流し、悪質なハラスメントを行っていることもあれば、自ら進んでレッテルを貼られることで安心し、幸せを感じる人も多い。
 本書の筆者は、対人関係でみられるその部分をより深く掘り下げていく。過去から現在に至る数多くの事例、文献を読み解き、そして何より己の心の中から目を背けることなく、さながら痛みにのたうちながらえぐっていくかのように。考える力が旺盛だということは大変なことだ。その理論は難解であるが、確かに興味深い。十分読み解いているかは正直言って私自身疑問だが、賛同できる部分も多い。しかし同時に、ネガティブな側面からの論述や、典型的で一方的な断言が多いことが気になるのだ。私自身は筆者にはお会いしたことはないが、「大変な時代で、向き合うべき問題は山積している。でも人間はそんなに捨てたもんじゃないんだよね。たとえばこんないい話もある」というような一言がもらえれば、それだけで救われる人も多いように思う。お気楽すぎますか。

スポーツで考えると
 さて、スポーツというフィールドにおいて考えてみると、本書の内容の典型例として、指導者と選手との関係があげられる。確かに極端な例であれば、自分のことを有能だと思っているが実は無能な指導者のために選手が犠牲になるケースもある。また、自らの理論を他の理論を否定したうえで選手に押しつけることも問題視していい。私はアスレティックトレーナーとして、そのような例を聞くたびに、自分に何ができるかということを非力ながら自問する。また、高野連の特待生問題に対する取り組みなども、教育という名を借りた若者の可能性の芽を摘む組織によるハラスメントだと感じずにおれない。もちろんその制度を私益のために悪用する存在や、その制度により一般の学習を軽視するようなことが起こっていたのであれば、もちろんそこには別の問題がある。
 しかしその一方で、試行錯誤を繰り返し、間違いを犯しながらも、懸命に選手のために尽力しようと努力を惜しまない指導者も数多く存在する。指導者の存在を実態以上にとらえず、うまくつきあい、自分たちのために必要な取り組みができるたくましい選手たちも数多く存在する。局面だけ見ればハラスメントに見えることでも、大局的に見れば選手が指導者を乗り越えていく結果を生み出すこともあり、また1つの目標に向かう大きな原動力になることもある。
 確かに問題視すべきことも多いが、そこだけを取りざたすほど過敏にはなりきれない。

のび太にとっての「天使」
 余談になるが、本書を読んでいて、その内容は「ドラえもん」という教材の中にも発見できるように感じた。ジャイアンというハラッサー(ハラスメントを仕掛ける人)、のび太というハラッシー(ハラスメントを受ける人)、スネ夫というハラッシーハラッサー(ハラスメントを受けた結果、自らをハラッサーと化す人)。ただ、ドラえもんはのび太のそばにいることでは、ハラッシーを救う「天使」にはなれなかった。最終回(数ある中の1つ)に彼は未来に帰ることでその存在を消し、のび太はそこでようやく自分自身で自分を脅かす存在に立ち向かうことになる。彼はその存在を消すことでのび太にとっての「天使」になれたのだ。この自立をいかに体得するかが、問題解決の1つになる。言うは易し行うは難し、だが。
(山根 太治)

出版元:光文社

(掲載日:2007-07-10)

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アマチュアスポーツも金次第
生島 淳

お金をめぐって
「人生に必要なものは、勇気と想像力、それとほんの少しのお金だ」とはチャールズ・チャップリンの「ライムライト」の中での言葉。「金は必要だが重要ではない」という人もいれば、「金で買えないものはない」という人もいる。金にはそれを扱う人間を映し出す力がある。
 本書のタイトルは「アマチュアスポーツも金次第」である。アマチュアスポーツと金の関係にネガティブな印象を与える言い回しだ。西武の裏金問題そして高校特待生問題で、アマチュア野球界が揺れている時期に合わせてキャッチーなコピーになるような意図があったのだろう。ただ、これは短編集の中から一編の題名をそのまま本のタイトルにしたような格好で疑問が残る。その実、松坂のポスティングシステムやサッカークラブ経営についての話が後半部分を占めている。しかもアマチュアスポーツにおける金の話も、断罪されるべき不透明な金と、強化費としての金、あるいはビジネスとしての金の動きが同列で扱われている印象がある。
 西武の裏金問題と野球特待生問題にしても、本来、両者は別問題として議論されるべきものだろう。それが、金儲けのためにあざとく両者をつなげていた連中が存在するおかげで、同列に扱わざるを得ない事態になってしまった。それにしても朝日新聞や毎日新聞のトップの方々を最高顧問に戴く日本高等学校野球連盟が、特待生制度について当初ヒステリックとも言える対応に終始したのは、正直驚きを禁じ得なかった。いや、もちろん憲章に背くルール違反をしていたことは確かではあるのだが。現在は、10月初旬までに提言をまとめるべく、第三者委員による議論が行われている。この態度を軟化させた高野連の譲歩により、他の競技にも好影響を与えるだけのクリーンな基準づくりができれば素晴らしいことだ。

健全な流れを
 とにかくアマチュアスポーツといえどもお金はかかるのだ。競技レベルが上がれば上がるだけその金額は跳ね上がる。本書でも再三述べられているとおり、これは事実だ。しかし、すべてをひとまとめにして「金次第」と切って捨てることに今さら意味はない。スポーツビジネスとはスポーツという舞台でどのようにお金が流れているのかを分析し、またどのようにお金を生み出すことができるのかを論じるだけのものではないはずだ。する側よし、観る側よし、支える側よし、スポーツ界ひいては世の中よしという健全なお金の流れをつくる学問でもあるはずなのだ。優秀な指導者にはブローカーのような真似をしなくても正当な報酬が渡り、自らの才能によってお金を生み出すことのできるスポーツ選手には優良で健全なビジネス感覚を身につけさせることも、その分野の果たすべき役割ではないだろうか。
 プロとアマチュアのつながりも、プロ選手が将来を夢見る子どもたちに指導するイベントなど、素晴らしい試みも数多く行われている。金の流れの整備が終われば、光が当たるべき側のプロとアマチュアの関係がよりよく発展することを願う。5月末に、「侍ハードラー」為末大選手が丸の内のオフィス街で行った陸上イベントは、素晴らしいお金の使い方ではないか。あの種のイベントにより、興行側が投資以上の儲けを得て、さらに面白いイベントや新しい試みにつなげられるのであれば素晴らしいことだと思う。そのような金は、やはり違って見える気がする。
(山根 太治)

出版元:朝日新聞社

(掲載日:2007-09-10)

タグ:プロ アマチュア お金  
カテゴリ その他
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貧乏人は医者にかかるな!
永田 宏

 過激なタイトルと感じた方がいるかもしれない。しかし日本の未来はもっと過激なものかもしれない。
 副題にあるように焦点は医師不足が招く医療崩壊。日本の医師不足は、地方における病院で2000年前後を境に叫ばれるようになり、ここ2~3年では都心部においても医師不足は問題視されるようになった。しかもアルバイト医師が急激に増えている現状がある。
そもそも医師はなぜ不足していると言われているのか。厚生労働省が主催する検討会でまとめられた2005~2006年度の報告書ではこうある。2004年で、医師の勤務時間を週48時間として必要医師数を計算すると医療施設に従事する医師数が25.7万人。それにたいしての必要医師数は26.6万人とある。つまり2004年の時点で9,000人の医師が不足の状態にあるのだ。現場での実感としては数万人不足しているという感覚。だが現時点の結論として(医師の需要の見通しとしては平成34年(2022年)に需要と供給が均衡し、マクロ的には医師数は供給されるという。
 本書を読み進めていくと、国が考える医療の問題点は医師不足とはどうやら別のところにあるようである。今医療はさまざまな点で転換期にある。

2007年10月22日刊
(三橋 智広)

出版元:集英社

(掲載日:2012-10-12)

タグ:医療 
カテゴリ その他
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スタバではグランデを買え!
吉本 佳生

 本書は経済学者である吉本氏が、生活の裏側から社会のしくみを紐解いている。
 とくに私が注目したのは医療費の問題。現在は少子化を受けて、地方自治体で子どもに対する診療費や治療費を無料化にしようとする動きがある。
 しかし、医療費が無料となれば小さなことでも診療を受けようと普通の人は考えるはず。また診察を受ければ薬も無料、つまり病院に行けば診察を受けたうえに市販されている薬を買わなくて済むわけだ。こうして単純に症状の小さな患者が増えると、診察時間までの時間が長くなるだけでなく、診察を受けるにあたって長期間を要する場合もある。それに加え日本の医師不足の現状は深刻化をたどっている。病院側も小さな症状を訴える患者が増えるため、あまり収入につながらないというサイクルができてくる。しかもその税金は今の子どもたちに後回しされるだろう。つまり著者が重要視する生活における取引コストは、あまりよくないということだ。
 意外とわからないことが多い生活における取引コスト。本書は他にもさまざまな観点で経済を捉えている。私も買い物をする際に、サービスや商品はなぜこの値段なのかと考えるようになった。

2007年9月13日刊
(三橋 智広)

出版元:ダイヤモンド社

(掲載日:2012-10-12)

タグ:経済 
カテゴリ その他
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ピアニストは指先で考える
青柳 いづみこ

プロの世界観は面白い
 何かの“プロ”が書いた本は、分野を問わず面白いものが多い。
山下洋輔というジャズピアニストの影響だ。プロの話にはその世界に本気で身を置いた者にしかわからない感覚や独自の物の見方が反映され、未知の世界に連れていってもらえるのが面白い、というような話が確か氏のエッセイにあった。
 フリージャズというジャンルのただならぬプロである氏のエッセイ集も当然面白く、登場するミュージシャンたちの波乱に満ちた日常と、それを巧みに描写する文章力。そして何よりも文章のあらゆるところにただよう知性と教養に私は完全にノックアウトされ、昼夜を問わず読んでは笑いころげたものだ。
 プレーヤーの文章には、人柄だけでなくその人のプレースタイル(この場合、演奏スタイル)が出るように思う。氏の文章は、隙間が見えないほどに文字が多い。しかし絶妙の抑揚とともにスピード感にあふれ、ぐんぐん加速するように話の世界に引き込まれる。と思っているうちに急転直下、畳みかけるように話題を展開させたと思ったら猛烈な盛り上がりをみせ、時には静かにフェードアウトするような余韻をもって、終わる。読み終えた後には心地よい高揚感が残る。実によく“スィング”する。彼の音楽もまた、まさに文章から受ける印象と同じように聴こえるのだ。

同じ印象を受ける演奏
 今回紹介するのはクラシックのピアニストが書いたものだ。帯には「ピアニストの身体感覚に迫る!」「身体のわずかな感覚の違いを活かして、ピアニストは驚くほど多彩な音楽を奏でる」などとある。
 どうも最近、“身体感覚”とか“身体を通して考える”といった記述があると、読みたくてたまらなくなってしまうクセがある。音痴なうえにピアノも弾けない私だが、未知の世界の身体感覚を味わってみたくて仕方がない。おまけにピアノの“プロ”が書いた本だ。面白いに違いない。
 著者は、ドビュッシー弾きで、同時に研究者でもあるピアニストだ(近くにいた哲学の先生に聞いた)。文章から受ける印象は、まず、リズムとテンポが心地よい。どのページも文字の配置が美しく、字面からとても軽やかで華やかな景色が浮かぶ。音楽を聴いてみると(哲学の先生からCDを借りた。クラシック通なのだ)、おぉ! 果たして、そこには文章から受けた印象と同じ! 美しい音楽が響き渡るじゃないの!
 ピアニストという人たちは実にいろいろなことを考えながら演奏をしている。指使いはもちろん、腕や脚、つま先や踵といった身体の部分のこと、もちろん全身の使い方、身体とピアノとの関係のこと、さらには演奏用の椅子、会場や聴衆の雰囲気といった環境などに加え、作曲家の意思や昨今の名ピアニストによる名演の歴史まで考えたり感じていたりして弾いている。要するに、クラシック音楽の学問体系を背負って弾いていると考えられる。にもかかわらず、恍惚の表情を浮かべたり、無心のまま指はあたかも自動的に動いているように見えたりすることもあるのだ。
 ピアノは競技と違って、速く弾けるほうがよいとか、大きな音で弾いたほうが勝ちとかで勝敗を決めるものではないが、これらの技術は演奏の表現力を左右することもあるためピアニストにとって重要なファクターの1つとなる。手(手のひら、手指の長さ)も大きいほうが、どうやら有利に働くようだ。

勝ち負け以前に
 こうなると、「ピアニスト」を“アスリート”に置き換えて読みたくなってくる。
 アスリートたちも、当然いろんなことを考えたり感じたりしながらスポーツをしている。外国人選手に比べて不利な身体特性を克服するため日々涙ぐましい努力を続けていることなど、共通点が多いように思う。出版物やブログから読みとる限りにおいて、計り知れない精神力や知性を感じさせるアスリートも数多く存在する。
その一方でアスリートの場合、教養だの科学だの品性だのを無視し、大学で何を勉強したのか、どうやって卒業したのかわからないようなヤカラでも、“プロ”になれたり、“世界”と戦えたり、“オリンピック”に出場できたりすることも、残念だがあり得る。ピアニストの場合、音楽の体系や教養を身につけることなく演奏の技術だけに優れていたとしても、大成することなどあり得ないだろう。
 本書は一見難解な部分でも、確かな理論と教養に裏づけられた説明が、平易な文章で丁寧になされている。したがって、ピアノの経験やクラシック音楽の知識がなくても読むのに心配はいらない。ただし、専門的な知識や経験があったほうがより深いところに理解が及ぶであろうことは、ほかのどんな分野にも共通することとして容易に想像がつく。
 スポーツを行うということは、勝ち負け以前に、身体運動を通して教養を身につけようとする行為にほかならない。才能やガムシャラな肉体的努力だけでなく、ちゃんとした教養を身につけるための努力が必要だ。そのほうが、アスリートである前に“人”としての人生が、実り多いものになるだろう。自戒の念も込めてそう思う。
(板井 美浩)

出版元:中央公論新社

(掲載日:2007-12-10)

タグ:身体感覚 ピアノ  
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スポーツニュースは恐い
森田 浩之

 著者の森田氏は“スポーツマンニュース”にたびたび見られる日本人のイメージ作りが、ときに不自然に感じるという。たとえばシーズンオフに日本からMLBに移籍する選手に対して、「日本食が食べられるか」という食事の心配や、「言葉は大丈夫なのか」と、日本人だからこその心配をする。それをメディアは毎回のように取り上げ、情報を受け取る側の人間に対して私たちが日本人であることを確認させる。だが実際、MLBに移籍をすれば日本食に困るということはあまりないし、英語を話せない他外国の選手はいくらでもいるし、それはもう特別なことではない。だがそうした小さな心配をきっかけに、メディアは物語をつくり過剰に日本人を意識させ、イメージさせる。
 著者が何を言いたいのかというと、スポーツに関するニュースをきっかけにメディアリテラシーを養っていくことが大事ということだそうで、楽しいスポーツニュースだけに限らず多くの情報の中には、ステレオタイプに、またサブリミナル的に「日本人」が供給されているという。だからこそ情報をうのみにせず、批判的に見ていく姿勢も必要となる。メディアリテラシーはもはや、学校教育に限定されたものではない。

2007年9月10日刊
(三橋 智広)

出版元:日本放送出版協会

(掲載日:2012-10-12)

タグ:メディア リテラシー 日本人 
カテゴリ その他
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日本人はなぜシュートを打たないのか
湯浅 健二

どれだけcommitできるか
 以前私がトレーナーとして帯同していた高校ラグビー部には2人のニュージーランド人留学生がいた。その年、彼らは地区新人戦から選抜大会優勝、そして全国高校ラグビー大会準決勝で同点抽選の末、決勝進出権を逃がすまで、公式戦無敗でシーズンを終えた。留学生がいることで批判もあった。確かにゲームプランを考えるうえで彼らは核となることができたが、2人の存在だけで強いチームがつくれるかと言うと、それほど単純な話ではない。逆にスター選手がチームをつぶしてしまうことも往々にしてある。
 この2人は自分の力を誇示することなく、チームのために自分の役割を果たすことを理解していた。周りの選手も彼らを中心に、各々の持ち味を活かした攻撃や防御を展開することができた。何より多くの選手が、何故そうするのか、いつ何をすべきだということを、高校生としてはよく理解していた。このような状況をつくり出すことができれば、チームは指導者の思惑を超える力を発揮するようになる。このチームの理念の1つにCommitmentという言葉があった。「覚悟」と訳していたが、己を賭けた物事にどれだけcommitできるのか、これは自分自身の生き方を問われることでもある。

有機的な連鎖
 さて、本書「日本人はなぜシュートを打たないのか?」では題名にある問いに狭義で答えるものではない。「さまざまな意味で何が起こるかわからないサッカー。だからこそ選手個々の判断力、決断力、そして勇気と責任感にあふれ、誠実でクレバーな実行力が問われ」、そしてそれらのプレーがオフェンス、ディフェンスにかかわらず「有機的に連鎖」したときに、シュートを放ち得点するという目的に向かってチームがハイレベルで機能する、ということを、自身のドイツ留学体験を中心に説いている。年来のサッカーファン、サッカー関係者にとってはとくに目新しいことはないかもしれない。しかし、当たり前のことを当たり前にできるようになるということは、競技レベルが高くなるほど、そして実力がある個性の強い選手が集まるほど困難になる。そしてこの理念はサッカーだけではなく、ほかのあらゆるチームスポーツに共通する。そのことを再認識するにはいい本かもしれない。
 伝統的な精神論を語るつもりは毛頭ないが、体力、スキル、戦術といった試合でのパフォーマンスを左右するどの要素も、突き詰めれば総合的なメンタルマネージメントがその原動力になる。つらいフィットネストレーニングにどれだけの目的意識を持って「誠実に」取り組めるのか、ゲームで最大活用するための創造力をどれだけ持ってスキルアップに努められるのか、どれだけの「責任感」を自覚して「勇気」を持って戦術を「クレバーに」遂行し、またその戦術に囚われることなく臨機応変の「判断力、決断力」を発揮できるのか。優秀な選手、そして優秀な指導者はこの土台が安定しているのだろう。この点、メンタルトレーニングなどでその一部を鍛えることもできるだろうが、結局は個々の生き方、人生哲学が色濃く反映されるように思われる。そしてそれがフィットする仲間に巡り会ったとき、「有機的な連鎖」は生まれるのだろう。

生き方を問い続ける
 これは試合に出場する選手だけの問題ではない。ゲームに出場できない大多数の選手たちが、それでもチームの一員としての自覚と責任感、そしてモチベーションを保つことができるのか。指導者にとってもチャレンジすべき難しい問題だろう。試合中や練習中に、そして普段の生活の中でも、チームにおいて果たすべき責任を自覚せずに「汗かきプレー」や身体を張ったプレーなどできるべくもない。よくも悪くも己の行動が周りにどのような影響を及ぼすのかを自覚し、自分のやるべきことにいかにcommitするのか。これは自分の生き方を問い続けることと同義である。
 人生の中で、真にcommitできることに出会い、仲間やライバルの存在も含めてお互いを刺激しあい、生き方のレベルで「有機的に連鎖する」巡り合わせは、そう度々お目にかかるものではない。スポーツが人々に感動を与えるのは、実社会では忘れがちなそんな姿をストレートに見ることができるからなのかもしれない。
(山根 太治)

出版元:アスキー

(掲載日:2012-10-12)

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レッドソックスはなぜ松坂投手をとったのか
佐山 和夫

 みごとにワールドシリーズ優勝を果たしたボストンレッドソックス。昨年から松坂投手を獲得することで日本でも話題は大きなものになった。
 ボストンは古くから、清教徒が集まる街として、また世界的な大学があるアカデミックな街として知られ、住民も白人層が多い街である。チームも白人選手を中心に集めてきた。そんなレッドソックスが、独占交渉権に5,111万ドル(約60億円)、選手契約に6年5,200万ドル、合計額1億311万ドル(約123億円)と、なぜそこまでして松坂が欲しかったのか。
 著者はアメリカ野球学会にも所属する佐山和夫氏。アメリカスポーツ史のなかでもあまり知られていないニグロベースボールについての書籍も出している。そんな同氏がメジャーリーグの歴史でも伝統あるレッドソックスを、歴史的な視点から触れていく本書は、国際化をはかるレッドソックスの本当の戦略が見えてくる。

2007年10月1日刊
(三橋 智広)

出版元:三修社

(掲載日:2012-10-12)

タグ:野球 
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裏方の流儀 天職にたどりついたスポーツ業界の15人
小宮 良之

スポーツ科学の主役は誰か
 骨格筋は無数の筋線維の集合体である。筋線維には速筋線維と遅筋線維があって各人固有の割合(筋線維組成)を持っている。“速・遅”二大タイプの比率は生まれつきのもので変えることはできないが、速筋線維のサブタイプ間では持久力に優れた筋線維へと、後天的なトレーニングにより移行することがある云々、というような話は皆さんご存知のことと思う。
 各種スポーツにおける一流アスリートの筋線維組成についての研究が1970~80年代にかけて大いに流行した。とくに陸上競技などは筋の出力特性と競技成績が結びつきやすいため盛んに研究された。若いうちに筋線維組成を調べ、好き勝手な種目を選ぶより、より適性の高い種目を選ぶべきであるというような空気も一部の研究者の間にはあった。「バカを言っちゃ困る。科学の名を借りてそんな横柄なことはやめてくれ」と思ったものだ。どんな一流アスリートでも最初は初心者なのだし、あるスポーツをやってみたらうまく行ったとか、何か感じるところがあったとか、血が騒いだりしたことがそもそもの始まりだと思うのだ。たまたま人に勧められて始めたスポーツがいつの間にか好きになって、どんな苦労があってもなぜか続いてしまったなんてこともあるかもしれない。
 ほぼ“自然選択”で適性のあるスポーツを選んで強くなった人たちの筋線維組成を調べて平均を出したら、たまたま種目ごとの差が生じたというだけのことである。個人間のバラツキは非常に大きいし、筋の出力特性はトレーニングによって多様に変化するものなのだ。スポーツの成績は1つの素質だけで決まるものではない。そして何より種目の選択にいたっては、筋線維組成がどうとかいう以前に個人の自由の問題だ。そこを履き違え“科学原理主義”に陥ってはならない。スポーツ科学の主役は誰かをよく考えてデータや理論の解釈をして行くべきだ。好きな種目をトコトンやればいいじゃないか。向いているのいないのと他人から言われる筋合いはないのだ!

教科書ではない指南書として
 さて、スポーツはアスリートだけで成り立っているのではない。これもご存知のことと思う。本書は、さまざまな「裏方」と呼ばれる人たちにスポットを当てたものだ。
「スポットライトを浴びるアスリートたちが最高のプレーをするために、人生を賭ける。脇役に徹して、粛々と己の仕事をやり遂げる」人たちのことを裏方という。中には、今まで日本にはなかった職業とか、日本人では初めてその職業に就いた人もいる。既存の制度の有無を問わず、いずれ劣らぬ“クリエーター”ばかりが登場する。
 登場人物の誰もが“好きで”自身の仕事を選び、独自の工夫を凝らしながら仕事にいそしんでいる。アスリートたちにとって、なくてはならない役割を担い業務を超えて己を律するその姿は、立場こそ裏方ではあるけれども表とか裏とかの区別を超えた存在として輝いている。
 経緯はそれぞれ異なるが、ほとんど皆“まわり道”をして現在の職業に至っている。その経験が今の“好きな仕事”の礎になっているようにも思える。最小の努力で最大の効果を得ようということ、すなわち“効率”のよいことが科学的トレーニングなのだと学校の授業や理論書の多くで教えてくれる。しかし、まわり道の重要性とか、どうやって食っていったらよいのかということは教えてくれない。でもまあ考えてみれば、まわり道という“有機的無駄時間”の過ごし方など、そもそも誰かに教えてもらうものではなかった。
 本書は、そうやって天職にたどりついた15人が、まわり道は決して無駄道ではないこと、スポーツの喜びは舞台の表側にだけ存在するものではないことを教えてくれる。しかし教えてくれるのはそこまで。その先は、これを読んだ若者が自身の未来をどう展開させて行くのか、自らの力で切り開いて行きなさいと励ましているように思う。
(板井 美浩)

出版元:角川マガジンズ

(掲載日:2012-10-12)

タグ:裏方 スポーツを支える 
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野球の見方が180度変わるセイバーメトリクス
データスタジアム

 本書はスポーツのデータを集積し分析を行う(株)データスタジアムの企画編集。
 野球ゲームなどでも優れた選手を選択する際の目安となる、打率や打点、本塁打。投手ならば防御率や、勝利数、奪三振数など、こうした明確な数字は記憶にも残りやすい。
 実際に野球選手の多くは、こうした成績で査定され年棒へと置き換えられることが多いが、しかしながら必ずしもそれがチーム編成を考えた場合にベストな選択とは言えない。
 そこで、これまでとはまったく異なるアプローチでの戦略補強を行うというのがセイバーメトリクスである。たとえば出塁率に目を向けてみるととても優れた選手がいる。ヒットで出塁しなくても、結果的にはベースを踏む確率の高い選手ということだ。つまりヒットと四死球で出塁することの価値は、数字的に見れば同等。セイバーメトリクス的な考えでは、総合的に出塁率が高い選手がよい選手ということになる。
 このようにセイバーメトリクス的な考えならば、ちょっと違った見方で一味違うベースボールを観察できるかもしれない。

2008年3月22日刊

(三橋 智広)

出版元:宝島社

(掲載日:2012-10-12)

タグ:分析 セイバーメトリクス 野球 
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ルポ 貧困大国アメリカ
堤 未果

 日本でも問題になったサブプライムローン。これは単に金融界の話だけではなく、過激な市場原理が経済的「弱者」を食い物にした「貧困ビジネス」の一つだ、と著者は述べている。つまりこれは貧困層をターゲットにして市場拡大するビジネスを指すが、現在のアメリカでは大学に行きたくても行けない若者たち、ローンの返済に追われる人々、健康保険がないために病院に行けない人々、移民法を恐れる不法移民たちなど、こうした人々が今、戦争ビジネスのターゲットになっている。
 問題は戦争だけではない。たとえばニューヨークの医療費は、盲腸手術の1日入院で平均243万円という高額。中流階級と呼ばれる層においても安心な生活も脅かされかねない。そして学校の民営化がもたらす子どもたちの食事の内容は、ジャンクフードなど加工食品に頼らざるを得ない状況で、小さいときから肥満になりやすい環境下におかれやすくなる。とくに貧困層の地域ほど給食の内容は栄養価の低い高カロリーの食事傾向にあり、調理器具のない家庭ではお弁当を持たせることも困難。
 アメリカだけでなく、日本でも起こりつつあるこの現実。是非一読願いたい。(M)

2008年1月22日刊
(三橋 智広)

出版元:岩波書店

(掲載日:2012-10-12)

タグ:アメリカ 貧困 
カテゴリ その他
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8人のキーマンが語る ジャパンラグビー革命
上田 昭夫 大元 よしき

キーマンへのインタビュー
 2009年6月、20歳以下の世界大会「IRBジュニアワールドチャンピオンシップ 2009」が日本で開催される。この大会は、2015年および2019年度ワールドカップ開催国に立候補している日本にとって重要な試金石となる。両ワールドカップとも日本以外に7カ国が立候補しており、その発表が2009年7月28日、同時に行われるのである。次世代を担う若いチームが世界中から集い、熱戦を繰り広げるこのジュニア大会をどう運営するか、その手腕がワールドカップ開催地決定に及ぼす影響は大きい。
 本書はそんなラグビー界を改革せんとする8人のキーマンへのインタビューをまとめたものである。インタビューを行った著者の1人、上田昭夫氏は元日本代表選手であり、かつて慶應義塾體育會蹴球部を日本一に導いた名将でもある。上記の「ジュニアワールドチャンピオンシップ 2009」ではトーナメントアンバサダーに就任している。
 8人のキーマンとなるのは日本代表ヘッドコーチであるジョンカーワン氏はじめ、日本代表GM、トップリーグ最高執行責任者、大学指導者、高校指導者など、さまざまな立場の方々である。タイトルの「革命」という言葉は誇張があるにしても、ラグビー界は今どこに進もうとしているのか、その現状についてそれぞれの立場で語られる内容は、時折相反する考えも見え隠れし興味深い。

ラグビー界活性化に期待
 日本代表の強化、日本ラグビーを牽引するトップリーグの運営、この競技に注目を集め、しかも大規模な収益を見込める国際的イベントの招致、学生ラグビー界の取り組み。これらが競技人口増加や集客率向上、ひいてはラグビーという競技の隆盛につながればと、今は草ラグビーに興じるだけの我が身でもそう思う。ラグビーが盛んなはずの大阪府下の高校生大会でも、合同チームの数が増えているし、トップリーグのメディアへの露出がまだまだ少ないことにも寂しさを感じているのだ。
 さて、ラグビー界でそれぞれ重要なポストに就いている8人のキーパーソンの中で、個人的に最も注目したいのは、ATQコーチングディレクターという立場の薫田真広氏だ。ATQ(Advance to the Quarterfinal)とは、ワールドカップ2011年大会でベスト8に入ることを目標に、ユース世代を中心とした選手、コーチ、レフリー、競技スケジュールおよびスタッフを強化・育成するプロジェクトのことである。薫田氏は東芝ブレイブルーパスを常勝軍団につくり上げた後勇退し、現職に就いている。その手腕が若手育成に一石を投じ、高校ラグビー界や大学ラグビー界にもよい波を広げることを期待する。
 そして将来の代表の軸となる選手の育成は、トップリーグの新陳代謝活性にもつながるはずだ。ベテランと若手が混在するチーム編成も見応えがあるし、長年トップに君臨し続けるビッグネームプレイヤーも畏敬の念を持って応援したい。しかしそれ以上に、ベテランプレイヤーに引導を渡す若い力が次から次へと顔を出す、そんな活性化されたラグビー界も見てみたい。
(山根 太治)

出版元:アスペクト

(掲載日:2009-01-10)

タグ:ラグビー スタッフ  
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感受性を育む 現象学的教育学への誘い
中田 基昭

 本書においては、神谷美恵子ほか、そしてサルトル、ブーバー、メルロ‐ポンティ、ハイデッガー、フッサールの思索を紹介しながら、段階的に「感受性」に迫っていく。
 著者は教育実践の場に関わりながら、知的障害をこうむっている子どもたちの他者関係、あるいは小学校における教師と子どもたちの関係を現象学に基づいて解明するということを研究テーマとしている。先人の言葉を手がかりにしながら、意識とは何か、身体とは何かという問いを深めていくのである。この深みのある読みから導かれるものが、読み手として抱える問題と、うまくリンクした瞬間、読み手自身の立ち位置とそれを取り囲む構造が立体的に意識できるようになる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:東京大学出版会

(掲載日:2009-01-10)

タグ:教育 感受性 現象学  
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世界を制した「日本的技術発想」
志村 幸雄

 関節鏡が日本で生まれたことは本誌(月刊スポーツメディスン)でも紹介したことがあるが、こうした医療機器やその技術、あるいはスポーツ現場におけるトレーニングにおいても、「日本的技術発想」をみることは少なくない。
 本書を読んで、いかに日本人が「精緻」であること、「厳密」であることを目指し、実行してきたかがよくわかる。
「パウダーパーツ」という部品をご存じだろうか。文字どおり、粉のように小さい部品である。愛知県のプラスチック加工メーカーでは、歯が5つあるプラスチック製の歯車で重さ100万分の1gのものを作っている。直径0.147mm、幅0.08mm。世界最小、最軽量は言うまでもない。これを「パウダーパーツ」と呼んでいる。開発に要した資金は2億円。何に使うか。社長が言うには「小さすぎて、用途はまだない」。これで終わりではない。「次の目標は、「1000万分の1g」だそうだ。
 なぜ、日本ではそのようなことが実行されるのか。この本を読んで知ると、必ずどの仕事にも役立つだろう。

2008年11月20日刊
(清家 輝文)

出版元:講談社

(掲載日:2012-10-13)

タグ:技術 
カテゴリ その他
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ヒューマンエラーを防ぐ知恵 ミスはなくなるか
中田 亨

 人間によるエラーを防ぐことは、人間にしかできない。一方で「型にはまらないエラーをしでかすのも人間」であるという。多くの事故が過去に起こり、それを教訓として安全対策が取られてきた。事故防止の戦いは尽きることがない。本書では、ヒューマンエラーの本質について平易に述べ、事故を防ぐためのさまざまな方策が紹介される。スポーツ現場での安全管理などにも応用可能かもしれない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:化学同人

(掲載日:2009-06-10)

タグ:エラー スポーツセーフティ  
カテゴリ その他
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理系バカと文系バカ
竹内 薫 嵯峨野 功一

 日本では人を「文系」「理系」と分けて考えるところがある。その鍵は「数学」にあるようだ。数学を理解するか、あるいは数学的思考ができるかどうかで、理系、文系が決まるところがある。だが、よく知られているように、いろいろな組織のトップは文系が多い。その文系は、因数分解など社会に出たら不要だと確信している。一方で、理系のほうが人間としては文系より上であると思っている理系の人も多い。いずれもこの著者によれば、「理系バカ」「文系バカ」ということになる。
 橋爪大三郎によれば、日本の理系・文系の定義は、明治時代に旧制高校が作ったものだとか。黒板とノートだけで学べる文系に比べ、理系は実験設備にお金がかかる。お金のかかる学部を理系、お金のかからない学部を文系と分類し、お金がかかる学部の生徒数は絞らざるを得なかったというのだ。そこで数学の試験をして、文理が振り分けられた。
 これを読んだだけで「ムッ」ときた「文系」の人もいることだろう。しかし、著者は、理系自慢をしようというわけではなく(著者は東京大学理学部物理学科卒の理学博士、理系だが、サイエンスライターという文系でもある)、「文理融合」がこの本で言いたいことである。「知」はバランスのなかにある。これが結論だろう。

2009年3月30日刊
(清家 輝文)

出版元:PHP研究所

(掲載日:2012-10-13)

タグ:知識 教養 
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「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか
榊原 洋一

 巷にはさまざまな脳を鍛える学習ツールやゲームソフト、書籍にあふれ、さらにテレビ番組に至るまで、脳科学は一種のブームとなっている。
 この一種の脳科学ブームを、子どもの発達と神経疾患を専門とする小児科医の著者が、昨今行き過ぎた脳科学ブームに踊らされない、きちんとした視点を持てるようにと冷静に解説しているのが本書である。
 脳科学はどうして今のようなブームとなっていったのか、これまで話題となった「脳内革命」「唯脳論」やゲーム脳、さらに前頭葉ブームにまで着手する。しかし、著者が「はじめに」に記してあるように、決して脳科学を非難、否定しているわけではない。たとえば、ある実験に関して、どのように行われ、なにが問題なのか、さらにその実験が示すデータはなにを物語っているのか、それを脳科学から考えると私たちの捉え方は正しいのかを1つ1つ解釈している。少しでも脳の機能を高めようといろいろと購入し試しているみなさん、脳科学の現実と限界を知ることができます。

2009年1月20日刊
(田口 久美子)

出版元:講談社

(掲載日:2012-10-13)

タグ:脳科学 
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描かれた技術 科学のかたち サイエンス・イコノロジーの世界
橋本 毅彦

 銅版画、絵、スケッチ、設計図など、過去の科学技術が描かれたものを、技術史の立場から語っている。当時の最先端の考え方、時代の要請について細かく述べてあり、それらが生まれる過程と必然性がよくわかる。地域的には西洋、東洋を問わず、またさまざまな年代にわたってトピックが取り上げられている。
 一枚の絵から、ここまでの豊かな背景が読み取れることに驚く。現代に生きるわれわれも、後世からみれば当時の最先端と呼ばれるような何かを、絵や図の形で残していくのであろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:東京大学出版会

(掲載日:2009-08-10)

タグ:技術史  
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葆光
加藤 直克

深みを与えてくれる啓示
 俳句のことを“世界で最も短く、最も美しい詩の形である”と評したのは確かジョン・レノンだが、五七五のたった17文字であらわされる俳句には、一切の虚飾を排除する潔さが必要であるといえる。クドクドとした説明や言い訳が許される余地はないのである。彼のつくった歌(詩)とくに“イマジン”の中には、俳句の美しさに影響された要素が強く感じられるらしい。
 さて、今回は一冊の句集を紹介させていただく。同じ職場に身をおく哲学の教授の手になるもので、内輪の人間が著したものを取り上げるのは元来反則かとも思うが、何とぞお許し願いたい。スポーツ・競技という行為の場に深みを与えてくれる啓示がたくさん含まれているように感じるのである。

本当の姿を
 題名「葆光」は「ほうこう」と読む。「暗く柔らかな光」という意味なのだそうだ。「『荘子』斉物論篇にある言葉」とのことだが、詳細について紙面の関係上省くことにする(本当は私の無教養が理由。言い訳です)。
 ただ、想像するに「暗く柔らかな光」の下では“見よう”として見ないことにはあらゆるものが見えないという世界のことか。あるいは、見え難くなっているのは、暗さに“包まれている”せいであると考えてもよいのかもしれない。だからこそ、より丁寧に心をこめて対象を見つめ、本当の姿を見極めようとする意図がこの題名に込められているのではないだろうか。加えてこの題名には、穏やかで柔らかくはあるけれど、毅然とした姿勢を貫いている作者の人柄をもうまく反映しているように思うのである。
 作者が俳句をつくるきっかけとなったのは「二十一世紀を担う100俳人(『俳句α増刊号』2000)」の一人、五島高資という才人の存在が大きいとのことである。時々、時間を忘れて二人で俳句談義をしている姿を見かけるのだが、私にとっては知の巨人同士の会話を間近に見てミーハー心が満たされる瞬間だ。

俳句とは“命”を詠むもの
 横で聞き耳を立てていても難しくて実はよくわからないところのほうが多いが、多少なりとも理解できたこと、考察したことをまとめてみると次のようになる。
 まず、俳句とは“命”を詠むものである。では命とは何か。ここでいう命とは“場”を共有すること、意思の疎通をはかろうとする気持ちのことであると考える。したがって俳句の世界では、人や動植物だけでなく、物質や自然現象あるいは遠い過去や未来に至るまで、森羅万象に命を吹き込むことができることになる。逆に、たとえ生きていても孤立無援の、他者と“場”を共有しようとしない者には命があるとは言えない、とも考えることができる。俳句を詠むということは、だから“命を見つめる”ということになるのだと思う。
 等々と考えていたところ、ふと、この感触はスポーツや運動競技の場の味わいと似ていることに気がついた。競技の場とは、命と命の交感(交歓か)の場であると言えないだろうか。真剣勝負の場であればなおのこと(たとえ身体の接触はなくとも)命のやりとりがなされていると感じる人は多いのではないかと思うがどうだろう。
 本書は、九つの章立てで約360の句からなる。分際をわきまえず各章から一句ずつ選んでみた。

群青を一息に塗り込める秋
雪止みて天目に月刺さりけり
墓洗うおまえは誰と問われけり
逃げ水の逃げるあたりに生まれけり
初紅葉ひそかに見つけられるまで
存在の柔らかき重き春歩む
野に集(すだ)く虫に並べる枕かな
舞いながら舞を脱けゆく秋の蝶
齧られし柱に消えるうさぎかな
(本文では「齧」に「口偏」が付く)

 たった17文字の裏側に秘められた何かに感動するのと同じように、一瞬のパフォーマンスに込められた命を大切に共有したいと思うのである。
(板井 美浩)

出版元:文學の森

(掲載日:2009-08-10)

タグ:俳句  
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おやじファイトLOSER 勝っても負けても明日からまた仕事。
熊谷 美由希

 おやじファイトは、基本的に33歳以上に限定されたボクシング大会である。これは、そんなおやじファイターたちの写真集である。日常の普段の仕事の様子とともに、試合時の表情が切り取られている。
 ホテルマン41歳、営業マン47歳、消防士39歳、建築業50歳など、紹介文は職業と年齢のみ。まさに無名選手という扱いであるが、それによってどのような顔をして仕事に向かい合い、そしてボクシングに打ち込んでいるか、浮かび上がる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:有峰書店新社

(掲載日:2009-09-10)

タグ:ボクシング 写真集  
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近代スポーツのミッションは終わったか 身体・メディア・世界
稲垣 正浩 今福 龍太 西谷 修

 スポーツ史、文化人類学、哲学というそれぞれ異なる分野から、スポーツの果たしてきた役割について語り合うもの。複数回のシンポジウムでの発言をもとに書籍化している。メディアとの関係性、世界情勢の影響をどのように受けるかなどが立場が違う分、広がりを見せている。
「近代スポーツは、すでにその役割を終えているのではないか」といった指摘もあり、興味深い。エッセイ的なコラムや、各人の思い出として語られた部分から、考える手がかりは身体そのものにあるということが読み取れる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:平凡社

(掲載日:2010-01-10)

タグ:スポーツ史 文化人類学 哲学  
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フットボールの文化史
山本 浩

 この本には、民衆のフットボールがどのように、パブリックスクールでのフットボールに変遷し、現代のフットボールの形になったかが描かれている。英国でのエリート教育にフットボールがどのように用いられ、パブリックスクールの卒業生らによるルールの整備、審判の登場の経緯、観客の登場、リーグ戦、プロ化といったことがわかりやすく説明されており、スポーツ史を学ぶ人にとっての入門書として最適だろう。
 オフサイドの説明をできる人はたくさんいるだろうが、オフサイドがなぜ反則なのかを説明できる人は多くないだろう。われわれ日本人にとって、ルールは「あるもの」「決められるもの」であって、自分たちで議論して「つくるもの」ではないように思う。
 なぜ、それがいけないことなのか。なぜ、そのルールがあることにより、平等や公正が保たれるのかを考えないがゆえに、ルールの変更の議論に、日本人は参加できる交渉力を持たないように思う。そして、ルールが変更されるたびに日本不利のルール変更がなされたとマスメディアは叫ぶ。
 どのような時代背景や価値観があるか、主導権は誰が(どの地域の人間が)握っていて、それを日本が握られない理由はどこにあるのか。そういったことを理解すれば、スポーツの国際的競争力を不当に貶められることはなくなるだろう。
(松本 圭祐)

出版元:筑摩書房

(掲載日:2012-10-13)

タグ:スポーツ史 フットボール 
カテゴリ その他
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強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論
吉村 仁

 本書は、環境という面から生物の進化について深く考察したものである。
 環境の変化としては身体面や用具が大きく改善していき、ルールも頻繁に変わっていくという現状がある。これは、生物にとって常に変化しつづける環境への適応と似通った方向性が、各チームや個人に求められるということでもあるだろう。すなわち、生き残るのは強い者、つまりその時点での環境に完全に適応した者ではない。真に生き残るのは、環境の変化にしなやかに対応できる者ということになる。ビジネス面での危機感を述べた経営者の言葉が紹介されているが、スポーツの世界においても、最も強いチームや個人が毎年勝ちつづけるというのは、なかなか難しい。進化学や生物学の分野の書籍ではあるが、ライバルに打ち勝とうと日々努力が重ねられているスポーツにおいてもヒントとなるだろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:新潮社

(掲載日:2010-03-10)

タグ:進化  
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消費者の「隠れたニーズ」を見つけ出す 「空気読み」企画術
跡部 徹

 本書は、日々企業や消費者に対して企画を考え、その実現を目指す人達(企画立案者)を対象に、具体的な立案方法を紹介し、よりよい世の中の創造へ貢献することを目的として執筆されたものである。
 企画立案に際し、最終的な提案対象となる消費者の周辺環境は、時間経過とともに大きく変化した。以前までは、未解決、不満足というような、消費者自身が自覚できる「顕在的ニーズ」が多く存在し、それを解決、満足の方向へ向かわせることが企画立案者の主な取り組みであった。しかし現在は、以前までの満たされないものの多くは解決済みになってきており、消費者自身が本当に必要としているものや、より豊かなものにするために必要なものを明確に捉えることが困難になってきているようである。
 このことから、現在の企画立案者には、消費者の中に存在する「潜在的なニーズ」を見出す能力が求められてきていることを提言している。そして著者は、この能力を獲得する行為を「空気読み」と定義し、潜在的ニーズを的確に捉えて実現に結びつけるための企画立案術を紹介している。
 具体的には以下の4つの段階に構成され、これらを適切に実行することによって、「空気読み能力」を獲得しようとしている。
 1つ目は、「情報収集と蓄積方法」である。ここでは、さまざまな視点から物事を捉えることの大切さと、その具体的方法を紹介している。2つ目は、「潜在的ニーズを獲得する技術」である。ここでは、「空気読みフレームワーク」という概念を用いて、潜在的ニーズの具体的な獲得方法をわかりやすく紹介している。3つ目は、「企画のつくり方」である。ここでは、企画立案者と関わりを持つ一般消費者(C)と企業(B)の両者にメリットを生み出すように、「B to Cモデル」、「B to B to Cモデル」を活用した企画の考え方や視覚化の方法を紹介し、より関係者との共有促進を目指している。4つ目は、「協力を獲得できるプレゼンテーションのコツ」である。企画実行による課題解決のストーリーをよりよく伝えるために、企画書を用いた具体的な進め方のコツを整理している。
 本書は、全体を通じて具体的なノウハウが多く、企画立案者にとっては非常に役立つ内容であると同時に、指導現場におけるトレーニング指導者にとっても有用なノウハウが紹介されている。また、それだけでなく、本書の底流に流れる「消費者の課題を解決する」「社会の役に立つ」というメッセージを見逃すことはできない。そして、この部分がトレーニング指導者として、「指導対象に対して、いかによりよい提案をするか」について学ぶことができるように感じる。
 トレーニング指導者とは、指導対象の目的に応じて、科学的根拠に基づく運動プログラムを作成し、これを効果的に指導・運営する能力を持ち合わせた存在である。そして、その提案対象となる指導現場も時間経過によって変化していることを実感するのである。
 以前は、指導現場にトレーニング指導の専門職が存在していることが多くはなかった。したがって、指導現場が自覚できる未解決や不満足について、解決や満足の方向に向かうことで一定の評価を得られたように思う。しかし、指導現場における専門職の存在が一般化してきたことと、競技スポーツの高度化によって、「指導現場の自己実現欲求」がより進んだのではないだろうか。そして、指導現場の専門職もまた、本書の企画立案者と同様に、指導対象の中に存在する「潜在的なニーズ」を見出す能力、「空気読み」を必要としているように感じるのである。
 昨今、「KY(=空気読めない)」という言葉を耳にするが、その背景には、日本人が「場の背景となる文脈」をつかむことを重要視してきた歴史的側面も存在するようである。そして、本書は目標達成に向けて、具体的な文脈の読み解き方を段階的かつ丁寧に紹介してくれているのと同時に、上記の4段階は、トレーニングの指導現場における取り組みの提案について、そのまま活用可能であると感じた。指導現場における共有の促進や、効果的な指導・運営方法に行き詰まりを感じている指導者の方にお勧めする一冊である。
(南川 哲人)

出版元:日本実業出版社

(掲載日:2012-10-13)

タグ:ニーズ 
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スポーツ留学 in USA
岩崎 由純 峠野 哲郎

 本書では、海外へ留学したい方のために、留学するためには何が必要であるのか、アメリカでの生活はどのようなものなのかについて、実際に海外で勉強をされた経験のある著者が留学の魅力を語る。
 内容は、選手、アスレチックトレーナー、監督・コーチ、アスレチックディレクター、エクイップメント・マネージャー、スポーツ・マネジメントという分野に分け、それぞれの仕事内容や資格を説明している。さらに、学校の選び方やカリキュラム、奨学金制度などが丁寧に書かれている。
 日本のスポーツ界だけではなく、アメリカのスポーツ界を知ることによって視野が広がる。「こんなこともあるんだ」というようなことがたくさん書かれており、日本では行われていないことやアメリカならではの魅力や厳しさがある。とくに、大学でスポーツをするためのさまざまな規定や学生としてのあり方。また、一流選手を出すための環境や選手が自立をするための教育システムがとても印象的である。
 スポーツに関わっている人であれば留学に憧れることは珍しくはないであろう。アメリカ留学を考えている方はもちろん、そうでない方もぜひ本書でアメリカでの学びの魅力を知っていただきたい。
(清水 歩)

出版元:三修社

(掲載日:2012-10-13)

タグ:留学 
カテゴリ その他
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スポーツ生活圏構想
電通総研スポーツ文化研究チーム 加藤 久

 スポーツを24の指標から分析し、さらに都道府県別で総合順位を算出している。ここでいうスポーツは、運動競技を差しているわけではなく、いかに一般の方々が運動に興味があるか。その場所は、かける費用は、機会はということがデータとして分析されている。
 出版は一昔前だが、その提案の中には、現在でも問題とされていることもある。たとえば「する」と「見る」をいかに近づけるか。各競技の普及においても頭を悩ませる問題である。
(澤野 博)

出版元:厚有出版

(掲載日:2012-10-13)

タグ:調査研究 
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野球の見方が180度変わるセイバーメトリクス
データスタジアム

 本書の題名でもある「セイバーメトリクス」という言葉をご存知だろうか?
これは野球における選手やチームのデータを統計学の視点から見つめ直し、新しい評価法や戦略術を生み出す学問である。
 野球では、打率や防御率といった数字で成績が表される。選手の評価も数字上の成績で行われる事が多い。打率3割の打者、防御率1点台の投手など、その数字が評価基準となる。つまり、10回打席に立って3回ヒットを打てる打者は好打者。9回を投げて2点も取られることがほとんどない投手は好投手なのである。シーズンを通じたその結果で、首位打者や打点王、最多勝などの表彰が行われるのだが、あなたがチームの監督ならば、どういった観点で選手を評価するだろうか。  打率3割のバッターが同じ10打数3安打でも、打ち損じたボールが外野手の前に落ちたヒットであれ、特大のホームランであれ、1安打として計算される。これでは正確に選手を評価できないのではないか、より公平なデータの取り方はないか、といった考えがセイバーメトリクスを生み出した。
 フォアボールを多く選んで出塁できる打者、長打を打つ確率が高い打者、少ない投球で三振を奪える投手、ホームランを打たれにくい投手など、セイバーメトリクスの視点では様々な角度から野球を見ることができる。野球経験者の私でさえ、その細かい分析には驚いた。メジャーリーグの強豪チームが選手評価の方法として取り入れたのもうなずける。
 しかし、セイバーメトリクスはまだまだ発展途中の学問で、課題も多いのだという。例えば投打の分析はある程度行えるが、守備に関してはそれが難しい。エラーやファインプレーは、守備位置やシチュエーションによっても変わるからだ。
 本書は2007年の日本プロ野球の記録を基にそれぞれの数値を算出しているが、数字だけでも野球の奥深さが垣間見えてくる。もちろん、筋書きのないドラマと言われるのも野球で、全てが公式や数字で片付けられるものではない。ただ、この様なより深いデータを知ることでオフシーズンの選手の移籍に関する動向など、その選手の成績と評価が相応なものかといったことも考察することができる。従来の評価だけでは見えない部分もセイバーメトリクスで比べることができるので、より優秀な選手を見つけ出すことができ、チーム運営にも効果的だ。
 監督のあなたにはセイバーメトリクスを用いて、お気に入りの選手を見つけ出してもらいたい。野球にあまり関心がなかった方にも、ぜひ一度手にとってみてもらいたい一冊だ。
(山村 聡)

出版元:宝島社

(掲載日:2012-10-13)

タグ:データ分析 
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これ一冊でわかる 着衣泳実技トレーニング
荒木 昭好 野沢 巌

“着衣泳”という単語は多くの人にとっては耳慣れない言葉かもしれないが、服を着たまま泳ぐこと、と聞けばおそらくは容易に水難事故のシチュエーションをイメージできるであろう。本書は水中で自らの生命を維持するための、文字通りサバイバル・スイミングとしての着衣泳指導書である。
 猛暑に見舞われた今年も各地で水難事故が発生しているが、そうでなくとも水辺であればさまざまなシチュエーションで水難に遭遇する危険性は存在する(ちなみに2009年を通じての全国での水難事故発生件数は1540件)。そうした際に、サバイバル・スイミングとしての着衣泳を経験しておけば「なんらかの対応ができる可能性が高まる」(本文第1章より)のは自明の理である。
 そもそも、着衣で水に落ちたらどんな状態になるか? どんな泳法でどのように泳いだらよいか? 水中での脱衣は必要か? etc…といった点についての知識や経験がわれわれ一般人は余りにも少ない。水泳そのものの教育は学校体育や全国のスクールで盛んに行われているのにもかかわらず、である。本書の序盤から語られている通り、着衣泳の練習をプールで行っても水質衛生面ではなんら問題ないことなども踏まえて、学校や施設側は積極的にこのサバイバル・スイミングの練習を取り入れてもよいのではないだろうか。
 本文中ではこのほかにも、教科書の入っているバッグが水に浮くことやTシャツやジーパンなどさまざまな衣服の水中における重量変化データ、水着と着衣での泳距離比較など、知識として知っておけば実際のサバイバル・シチュエーションで大きな助けとなるであろう内容が段階を踏んだ技術指導解説に加えてふんだんに盛り込まれているのもありがたい。
 近年、CPRとAEDの普及でスポーツイベントのみならず日常のさまざまな場でも九死に一生を得た事例が報道されているが、戦国の昔から“日本泳法”として息づいてきた歴史のあるこの着衣泳も、そうしたサバイバル技術として普及が望まれることを改めて感じさせてくれる一冊である。
(伊藤 謙治)

出版元:山海堂

(掲載日:2012-10-16)

タグ:着衣泳 
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間の取れる人、間抜けな人 人づき合いが楽になる
森田 雄三

「コミュニケーションが大切だから」「もっとコミュニケーションを取って」云々という言葉をよく耳にするのは私だけではないだろう。が、そもそも世の中で大安売りされているこの“コミュニケーション”とは一体何だろう? ただ単に“会話”や“対話”と同じ意味で用いられているような場合も少なくないのではないだろうか?
 試みに辞書でcommunicationという単語を引いてみる。「伝達、通話、文通、交通」といった意味がずらりと並んでいる。さらにその語源をインターネットで調べてみると(これもまた現代ならではの“コミュニケーション”ツールである)、「分かち合う、共通の」もしくは「交わる」といった意味のラテン語が元になっていることが分かる。すなわち、communicationとは本来、双方の認識を共有しそれらを相互伝達する(しようとする)ということにほかならないわけで、そう考えると別個体のヒトの間でそれを成し遂げようとすることがいかに難しいことか、安易なフレーズの中で乱発していい単語かどうか、ということまで改めて考えさせられてしまうのである。
 本書は「間」というものを1つの切り口としながら、ともすればステレオタイプ化しがちなその“コミュニケーション”というものの捉え方に対してプロの演出家がさまざまなアンチテーゼを示してくれる一冊である。曰く、「コミュニケーションとは本来、言葉にしにくいもの」「コミュニケーションは沈黙をメインとした空気のやり取り」といった身も蓋もないような小見出しをはじめ、間や沈黙に腰を据えることや小さな共同体の中で分を知ることなど、現代ではネガティブなものとして避けられがちなこれらの要素こそがコミュニケーションの真の要であるということを、素人をたった4日間の稽古で舞台に上げてしまう自らのワークショップや、盟友イッセー尾形氏の一人芝居を例に取りながら具体的に解説してくれている。
 コミュニケーション、コミュニケーションと安易に口にするなかれ。…などと自らを戒めながら、文字通りの「コミュニケーションのプロ」による著作に触れてみるのも秋の夜長にはいいのではないだろうか。
(伊藤 謙治)

出版元:祥伝社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:間 コミュニケーション 
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他人を許せないサル
正高 信男

 最近「ガラケー」という言葉を初めて聞きました。「ガラパゴス携帯」の略語だそうで、他の地域とは独自の進化を遂げた動物が多く生息するガラパゴス諸島をもじり、他国にはない日本独自の進化を遂げた携帯端末のことを言うそうです。どうして日本の携帯電話だけが世界から孤立したような携帯電話ができたのか? 本書では日本人の持つ独特の社会性や対人関係を分析することにより、私の疑問を解消してくれました。元々は通話をするための機械を持ち運びできるようにしたものだったのが、メール機能がつき、カメラまでがついたと思ったら、インターネットやテレビ、果てはクレジットカードの役割まで付いた生活必需品にまで昇華しました。そのニーズは日本人独特の社会観にあると指摘します。
 日本人の社会観の源流は「世間」という単位であり、それが農業共同体から発生したものであり、世間では横並びの平等という欧米にはない独特の価値観をもつといいます。また所属する人々は世間の中で「ぬくもり」や「ふれあい」を得ることにより安心感を見いだすという日本人独特の情緒もふまえて的確に表現しています。中でもマルクスがこういう風土を「アジア的生産様式」とう表現したというくだりにイデオロギー的な興味を覚えました。
 ITという新しい表現環境にあって、そこで構築された社会は皮肉にも古来の農業共同体から発生したコミュニティーと同質の「世間」であり、それを「IT世間」と名づけ日本人の昔とかわらない社会性、さらにはそこに属する個人の心理にまで言及しています。
このような昔ながらの価値観を持つ日本人の間で急速に広がった携帯電話を中心としたIT世間における弊害も具体的に指摘はされていますが、やや強引な印象を受けてしまいました。携帯やインターネットなどのオンライン上でのコミュニケーションに振り回され、支配されているとの指摘には納得できる面も多いのですが、戦後の日本人において変化しつつある社会性や価値観などその他の原因についても考えるべき点もあるのではないかとも思うのです。
 それにしても日本独自の進化を遂げた携帯電話。使いこなしているのか? あるいは使われてしまっているのか? 自問自答せずにはおられません。また掲示板・ブログ・チャット・SNS・プロフ、最近ではツイッターに至るまでオンライン上でさまざまな情報伝達やコミュニケーションの手段が生まれました。われわれはそこで何をしたいのか? あるいは何を求めるのか?
 もう一度見直してみたくなりました。将来のコミュニケーションについて考えさせられる一冊です。
 着眼点の面白さ、目まぐるしく進化を遂げるIT技術の中でも昔と変わらない日本人の気質、流れる川の中で木の葉の行方を見ているかのような話の展開。一気に読んでしまいました。
(辻田 浩志)

出版元:講談社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:コミュニケーション 
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医療の限界
小松 秀樹

 日本の医療は崩壊の危機に瀕しているという筆者。筆者が主張する問題とは「医療をめぐる事故や紛争の大小」ではなく、「医療自体に対する国民の態度の変化」だという。
 医療行為を行う医師に責任があるのは間違いなく事実であるが、社会の側にも問題があることを問いかけている。日本人を律してきた考え方の土台が崩れている。
「死生観の喪失」
「生きるための覚悟がなくなり、不安が心を支配している」
「不確実なことを受け入れない姿勢」
 安心・安全神話が社会を覆っているからこそ、患者も医師もリスクを負うことを恐れる。その結果双方の間に軋轢が生まれるだけなく、本当に医療を必要としている人にさえ被害が及ぶ。医療だけでなく、教育問題、社会問題の原因にもつながる内容がリアルに載せられている一冊である。
 そもそも「絶対」など存在しないのだ。今生きていることさえ、明日は絶対ではないのである。それを頭でわかっても心で受け止めきれないことが、医療崩壊にもつながっていると言える。医療だけでなく、現代社会に対してのメッセージが込められた一冊に感じた。
(磯谷 貴之)

出版元:新潮社

(掲載日:2012-10-16)

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「遊び」の文化人類学
青柳 まちこ

「遊び」をテーマに書かれた本ではありますが、意外なほどその内容に遊びはありません。むしろ純粋なる学術的研究発表の性格が色濃く出ます。
 本書を語るにあたってオランダの歴史学者ホイジンガとフランスの社会学者カイヨワの存在は無視できず、彼らの研究が下地になっているともいえるでしょう。ただ筆者はホイジンガの「ホモ・ルーデンス」ではヨーロッパの文化に立脚した視点にとらわれて客観的評価はできないと指摘したうえで、独自の視点で「遊び」を評価・分析をしています。確かに本書は筆者の主観的要素を排除しているようなのですが、その分無機質な印象を感じました。読み物として捉えた場合、読み手が何を求めるかによっても両者の評価は変わるように思います。
「遊びとは何か」という命題から本書ははじまりますが、「競争」「表現・模倣」「偶然」「めまい」という要素を基軸とするとするカイヨワの「遊び」の定義づけをベースにしてさらに深く分析を進めます(批判的な部分もありますが)。
 すべての行動から動物として必要な生存や種族保存などを目的とする行動を除いたものを余暇行動として、それを遊びと定義するならばその範囲はあまりにも膨大になります。そういった広範な「遊び」をいくつかの要素に分類するところは説得力十分。細やかな分類と具体的な例を挙げての評価は世界中いろいろな形式で存在する遊びを整理しています。そしてそれらの遊びがどのように伝播していったかという遊びのネットワークも論じられ、多方向からの視点による切り口で解明されます。
 納得しつつ読み終わって、1つ疑問が生じました。本書が書かれたのは1977年なのですが、当時と今とでは情報の流通のシステムが変わりました。ネット社会になって近年社会も急激な変化を見せました。はたして本書の定義が今も変わらず当てはまるのだろうかということです。ホイジンガやカイヨワのころと青柳氏のころでは時代背景が異なります。それと同じように現在と昭和中期とでは背景の差は歴然です。「遊び」の定義にも時代背景による考え方の差を感じたのですから、今という時代においてまた違った要素も芽生えているかもしれません。「遊び」と「文化」が限りなく近いものであるとするならば、そういう可能性があるようにも思えるのです。21世紀という時代の遊びはどのように評価されるのだろう? そんな興味がわいてきました。
(辻田 浩志)

出版元:講談社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:遊び 
カテゴリ その他
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遺伝子vsミーム
佐倉 統

 2010年サッカーのワールドカップで、日本はベスト16になった。予選リーグで敗退した前回ドイツ大会では、チームが一つになりきれなかったことが敗因であると言われた。今回のチームは、その教訓を活かし、チームが一つの方向に向かうことができたという。
 人間の人間たるゆえん――それは、遺伝子からは独立した形で情報を次の世代に伝えることができることである。つまり教育と学習によって、文化伝統を伝えていくことができる生き物が、人間であると。
 世代を越えて継承されていく情報システムとういう特徴を兼ね備えた文化は、人間以外の動物にはほとんど存在しない。そして、この文化の情報伝達単位を「ミーム」と呼ぶ。著者はこのミームが、民族問題・教育問題・老人問題などを解決するヒントになるのではと語る。
 人間は、望むと望まざるとにかかわらず、ミームを受け継ぎ、受け渡してしまう ―つまり学ばざるをえない―生き物なのである。 だからこそ、教育が大切であり、ミームの乗り物たる老人がもっともっと子供と接する機会を増やすべきだと。 
 日本中を熱狂させた、サッカー日本代表は、まさに「ミーム」を受け継ぎ、それを活かした好例である。「ミーム」=「侍魂」と置き換えてみると、またおもしろいようだ。
(森下 茂)

出版元:広済堂出版

(掲載日:2012-10-16)

タグ:遺伝子 ミーム 
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草野球をとことん楽しむ
降旗 学

 早朝や休日などに公園で大人たちが野球をしているのをよく見かけるだろう。学生時代から野球を続けている者、社会人になって友人からの誘いで野球を始めた者などさまざまな者たちが野球に興じ、野球バカとまで言われるほど草野球に打ち込んでいる者もいる。そして、著者もその野球バカの一人であり、過去の出来事と結びつけながら草野球がどういうものか、どう楽しむかが一冊に詰め込まれている。
 草野球経験者には共感することが多く、未経験者には新しい世界観を見ることができるだろう。草野球特有の問題点なども多々あるが、それらを含めた楽しさが存分に伝わり、ぜひとも草野球の世界へ飛び込みたいという思いに駆られるものとなっている。
(池田 健一)

出版元:新潮社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:野球 草野球 
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繁盛する治療院の患者の心をつかむ会話術
岡野 宏量

 会話術という題名ではあるが、話し上手になるための方法ではない。治療のプロフェッショナルに求められる会話であり、きちんと情報を収集し、リピートにつなげるためのコミュニケーションの方法を紹介。
 4つの質問(状況質問、問題質問、示唆質問、解決質問)と3つの説明(治療の特徴、利点、利益)を通して、押し売りにならないようにしながら、動機づけを図り、今後につなげる「コンサルティング患者対応」が具体的に記述されている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:同文舘出版

(掲載日:2012-10-16)

タグ:治療院 質問 
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メジャー野球の経営学
大坪 正則

 千葉ロッテマリーンズの優勝で幕を閉じた2010年のプロ野球。先日、優勝パレードの様子がテレビで流れていた。シーズン終了後はファン感謝祭や選手のトークショーなど球団独自の取り組みが行われる。それと同時に選手の契約改正が行われるシーズンでもある。今年も新聞ですでに目にした「保留」の文字は毎年のこと。選手にとっての収入は球団の支出なのだから、スムーズにいかないのがひょっとしたら“普通”なのかもしれない。
 球団経営のための収入をどうやって増やし、球団を運営していくのか。コミッショナーや球団、選手会、そしてその他の機関のそれぞれの「仕事」とその仕事の関係性をメジャーから学ぼうという姿勢。そのために、「本書は読者が監督や選手の立場でプロ野球を観たり、勝ち負けで球団を応援するだけではなく、たまにはコミッショナーや球団オーナーの立場からリーグ全体を俯瞰し、球団社長になったつもりで球団経営を楽しむポイントを示唆している」と著者。
 年棒やドラフト、フリーエージェントなどプロスポーツではない限り、少し離れた話になるかもしれない。しかし、施設内のサービスやファン向けの活動などといったプロモーションやマーケティングの話は学生スポーツやアマチュアスポーツの団体も学ぶことは多くある。そして、“感動や興奮や驚きを与える選手”のパフォーマンスの一部を担っているトレーナーの方たちにとっても「お金のはなし」は知っておいて損はないと思う。
(大塚 健吾)

出版元:集英社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:野球 経営 メジャーリーグ 
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知性はどこに生まれるか ダーウィンとアフォーダンス
佐々木 正人

「語る前に見よ」。
 行為に何らかの意図を読み取ろうとしてはいけない。行為は「はじまり」があって、「まわり」に出会い「変化」するのだ。そして「変化」には目的も方向もない。「変化」の「結果」が残るだけである。その「結果」から行為に意図や目的をくっつけて説明するというのは、大きな誤りなのだ。
 本書には、かなりのページ数を割いて、ダーウィンが観察したミミズだとかキャベツの子葉だとかモグラだとかのことが書いてある。そこだけでもかなり面白かった。
「ミミズは地球の表面を変えるために生きているのではなく、ミミズの生の結果が大地を変えただけだ」とか、「モグラはトンネルを探しているわけではなく掘りながら土の中にあるやわらかさのつながりを発見しているのだ」という言葉が本書に書かれているが、それらが私の心の中で次第に存在感を増している。
 ただ「まわり」に出会って「変化」する。私も「まわり」に出会って変化するし、私自身が誰かを何かを変化させる「まわり」でもあるのだ。ミミズが耕した大地のように、モグラが掘ったトンネルのように、変化した歴史と痕跡をひっくるめて「生きている」ということなのかもしれない。
 私とはなんとちっぽけなものなのだろうと思う。それは決して不快な気持ではなく、むしろ、清々しい。
(尾原 陽介)

出版元:講談社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:アフォーダンス 
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スポーツを殺すもの
谷口 源太郎

 すべての物事には多面性がある。スポーツも例外ではない。どの立場で関わるのかによって、印象は異なり、感じる問題点も異なる。その問題点を指摘することは簡単であり、それは子どもでもできることだ。
 しかしそれが本当に問題なのかさまざまな角度から検証や判断を行い、立場の異なる人々の意見をまとめ、改善してゆくことは非常に困難である。それは子どもにはできない。
 オリンピックや世界選手権だけではなく、何らかの代表として選出されることにおいても、全員が満足することは難しいが、それをめざして関係者は努力を進めている。なぜ関係者は苦労をしてそのような努力をするのか。やはりみんなスポーツが好きだからではないだろうか。
 この書籍では一般にあまり表に出てこない内容も多く書かれている。それらは確かにある面からみれば問題になる。しかしその面だけではなく多面的に考える必要もあるのではないだろうか。残念ながら私にはこの書籍は、問題点を提起することでスポーツ界をよりよいものにしてゆこうという愛情よりも、それらを書くことでの自己満足感や、スポーツに対する憎しみや嫌悪感が強く感じられる。同じ問題が繰り返されないよう、この書籍を読んだ大人が努力を続けてくれることを切に願う。
(澤野 博)

出版元:花伝社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:批評 
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共創とは何か
上田 完次 黒田 あゆみ

 著者は東京大学人工物工学研究センターの教授の上田完次さん。本書は「共創工学の展開」と「共創プラットフォーム」のシンポジウムの発表内容や会話をまとめた本である。もちろん工学に関係する内容なので、バリバリ理系の内容や口調が飛び交っていて、ただ何となく読むには難しい本になっている。よって、バリバリ理系“ではない”私なりの解釈を簡単にお伝えする。
 本題になっている共創。どうやらざっくり言うと個々では発想やできることに限りがあるが、多くの人の知恵を借りれば可能性が広がるという考え方のようである。しかし、こんなことは誰でも知っており、「何を改まって…」と思ってしまうが、実際に読んでみるとまぁ新しく斬新な考え方だ。何がって…その集めてくる専門家や知識の範囲が非常に広い。もうそれこそ何でも来いというスタンス。しかも、ものの見事に全く関係のないような分野がコラボして、非常に有意義な発想が生まれている。載っている議論の内容がもし読者と全く関係のない場合にも、もっと広い意味でタメになる本だ。
 私は性格上、何事にも白黒つけたいタイプである。人間を相手にする職業で、白黒つけようとすればするほど決まってどこかでつまづくジレンマを持っていた。相手は人間であり生き物。わかっている人にとっては当然だし、私も表向きでは理解していたつもりだが、どうしても硬い考え方を崩せないウィークポイントを持っている。しかし、本書にある「共創の考え方」や「別々の物や人、そして事象を共創の観点で上手くコラボさせる具体的な手法とその結果」がとてもよいヒントになった。本当に多種多様のことが書いてあるが、その一部だけでも、これからの私の人生に大きな影響を与えてくれると感じた。
 難しいのに、何か自分の生き方を変えてくれるんじゃないかという期待が生まれてしまう一冊。
(宮崎 喬平)

出版元:培風館

(掲載日:2012-10-16)

タグ:共創 
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アスリートたちの英語トレーニング術
岡田 圭子

 中学校の図書館に「岩波ジュニア新書」の棚があり、面白くてよく借りていたのを覚えている。この本も、その頃の自分に読ませたい良書。
 日頃当たり前に使う「アスリート」という言葉だが、「スポーツマン」「プレイヤー」と比較すると、自らの身体能力に対して切実な思いを捨てられない人、という意味合いで用いるのがふさわしいように思われる。そのために手段を選ばず、エネルギーと時間を注ぎ込まずにはいられない人たちのことだ。可能性を広げる手段の1つとしての外国語学習だから、文中の「アスリートには外国語が上手な方がたくさん」という指摘も、至極当然のことと思う。
 5人のアスリートを紹介する各章は、前半の〈来歴〉と後半の〈学習法〉で構成されている。前半には、受賞歴からは計り知ることのできない、血の通った1人の物語がある。挫折や停滞についても丁寧に扱われていて、そこには、単なる負の体験からの学びだけではなく、当時の葛藤をなつかしくいとおしむ、豊かさ温かさが感じられる。子どもたちにとってそれは勇気となり、広い世界へ心を開くきっかけとなるかもしれない。鮮やかな物語を通過することで、後半の〈学習法〉が説得力を帯びてくる。ただハウツーを次々に与えられ、それをこなしていくだけでは習得にはつながらないことに気づく子どもも多いと思う。
 レスリングの太田章さんの「完璧でなくていい、意思が通じることが大事」「レスリングも会話も同じ、自分をさらけ出して」というメッセージが、大らかで優しかった。子どもはこんな言葉をもっとたくさん浴びて育つべきだと思う。以前、世界で活躍するバレリーナが「とっさに出てこなかったら、日本語でもぽんぽん言ってしまいます、でもなんとか通じるもの」と話していたのを思い出した。
 相手も同じ身体活動に打ち込む仲間ならば、それだけですでに1つの表現法を共有していることになる。必死に絞り出したつたない言葉でも、何とか通じればさらに、仲間と共有できる感覚が1つまた1つと増えていく。外国語学習を通して世界が広がることの喜びを、本書はよく伝えていると思う。そして何よりも、目の前の障壁に情熱をぶつけ、自ら突破口を探り当て、勝ち取ってゆくアスリートの生き方が、今日の迷う子どもたちの胸に響くことを願いたい。
(河野 涼子)

出版元:岩波書店

(掲載日:2012-10-16)

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9回裏無死1塁でバントはするな
鳥越 規央

 野球の試合において、セオリーとされている事柄は多いが、はたして合理的理由があるだろうか。こうした疑問に統計学的な観点から答えようとするのがセイバーメトリクスと呼ばれる分野である。
 セイバーメトリクスの主な目的は、選手の価値分析、能力評価、将来予測の3つである。これらは球団フロント側ではスカウティングや年俸評価、監督側では試合中の選手起用や戦術立案の理論的裏づけに利用されている。野球の戦術・選手の評価について感覚だけで語ることはもはや古く、セイバーメトリクスではセオリーとされている事柄も合理性のあるものばかりではない。
 1点差の9回裏ノーアウト1塁でバントすべきか?「左打者には左投手」は本当に有効か?「バッティングカウント」はあるか? 叩きつけるバッティングはヒットを生みやすいか?…すべて統計による細かなデータの比較で評価していき、数値によって目に見える形で語られるのは面白い。
 後半は統計学的に有意かどうかの考察より、著者の評価分析となっているところも多いが、今後踏み込んでいけると面白い内容だと思う。数値や計算など少々難しい内容であるが、野球を別の視点から見たり、セイバーメトリクスに興味がある方にはお勧めの一冊である。
(安本 啓剛)

出版元:祥伝社

(掲載日:2012-10-16)

タグ:セイバーメトリクス ゲーム分析 
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エアロビクス・ライフスタイル・ブック Sports Graphic Number Special Issue
Sports Graphic Number

Sports Graphic Number『ナンバー』誌からエアロビクスのSpecial Issue
──さて今年はどうなるのだろう

 文藝春秋の“Sports Graphic Number”を読んでいる人も多いだろうが、同誌は昨年エアロビクスの特集を組み、さらに暮れにSpecial Issueとして出したのが、この『エアロビクス・ライフスタイル・ブック』である。TVでエアロビック・ダンスが放映され、この『ナンバー』誌が2度にわたって紹介するにおよび、1982年の出来事としてエアロビック・ダンスの流行を挙げてよいほどになった。それ自体は歓迎すべきことであるが、エアロビクスとはエアロビック・ダンスという短絡も生じさせたフシもある。しかし、それはささいなことかもしれない。きっかけは何にしろ、自分の身体の健康やフィットネスに関心を持つのはよいことである。それがダンスであろうが、ジョギングであろうが、身体のことを考え、学び、身体を動かしてエアロビクスを実践していくうちに、必ず変化が出てくる。顔色も表情も、正確すら変わるかもしれない。この本の表紙に「からだも心も、もっとヘルシー&セクシーに!」とあるのは、その意味で正しい。ストレッチングもそうだが、エアロビクスの流行は、いろいろなことがわかるようでわかりにくくなった現代に、まず最も確かな自分とその身体の存在を感覚を通じて確かめ直していく、そういう現象なのかもしれない。だから、これはどんどん進行深化する流行であろう。このSpecial Issue は、その意味でやはり画期的である。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:文藝春秋

(掲載日:1983-03-10)

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オリンピック人間ドラマ レンズに一瞬の感動をとらえて
岸本 健 川津 英夫

 4年に1度のスポーツの祭典オリンピックはいうまでもなく、スポーツ選手にとって最大の舞台である。我々日本人にはやはり1964年の東京大会が今なお記憶に新しいが、この本もその東京大会を契機にほぼ20年間スポーツ写真の世界に没頭した2人のカメラマンによる写真集であり、それぞれの大会、選手に関する逸話も、岸本、川津の筆で語られている。
 かつて、スポーツ写真は報道写真の1つであり、ゲームやレースの記録性が最も重要視されていたといえる。勝敗と直接関係のないカットは、いかにそれが一瞬の美しさ、素晴らしさを現していても、世の人々の目に触れることは少なかった。だが、スポーツを行う者なら、あるいは広くスポーツを愛する者なら、スポーツの素晴らしさは、単なる勝敗のポイントとなるシーンだけでなく、一瞬一瞬にひそんでいるのを知っている。本書はその意味で、オリンピック写真集というより、スポーツとスポーツマン、そしてスポーツを撮る者の緊張した関わりを示す書といえよう。人はなぜスポーツに魅せられるか、その解答をカラーとモノクロの多数の写真が語っている。読み方は様々あってよいだろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:サイマル出版会

(掲載日:1983-04-10)

タグ:写真 
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汗が演出するサウナ
阿久津 邦男

 総じて日本人は風呂好きである。「湯水のように使う」という表現もあるように、極めて贅沢に湯を使う。しかし、内湯が普及するにつれ銭湯は少なくなり、日本人の風呂に対する考え方も昔に比べると変わってきたに違いない。以前「疲労回復」を特集したとき、少し入浴の効果について触れたが、東京オリンピックの年に紹介されたサウナもまた効果の高いものである。この本によればサウナは今や全国に約6500軒、愛好党は1000万人を超す。営業用のみならず、早稲田大学の新しい体育館にもサウナが設けられるなど、スポーツの世界でも珍しくなくなってきた。しかし、サウナの正しい利用法となると、どういうわけか一般には一冊も本がなかったといえる。その意味で、とくにスポーツマン向けに書かれたものではないが、このコーナーで本書を紹介しておきたい。
 著者は専修大学教授・医学博士でスポーツの世界でも著名。一般向けに書かれており、イラストやグラフも多用、とれもわかりやすく、早速サウナに行きたくなる本だ。スポーツ疲労の回復に関しても詳しいし、一般生活上のストレス解消や安眠のための利用法、減量、美容についても親切に述べられている。
 熱いのを我慢して汗をかき、ビール、マッサージといったワン・パターンの利用しか知らない人、それでもサウナの好きな人、また一度も経験のない人、誰にも楽しく読めて、実用的な本である。元来健康的なものなのに妙な偏見をお持ちの方にもぜひ読んでいただきたい。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:人間と歴史社

(掲載日:1983-07-10)

タグ:サウナ 
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スポーツの記録 陸上水泳男女72種目
前田 新生

“スポーツは筋書きのないドラマ”とはよくいわれることだが、そのドラマを構成する大きな要素が、“記録”だということができるだろう。もっといえば、過去から現在までのスポーツの記録の流れをみていくことは、それ自体で1つの歴史ドラマとなっているともいえるだろう。
 本書はしかも単に記録を集めるだけではなく、各競技の簡単な歴史も解説してあり、記録にまつわるエピソードも多く紹介されている。また、そうした記録をもとにして、各種のデータも提供して興味深い。たとえば、走り高跳びのところでは、“原始フォーム時代”“はさみ跳び時代”“ロール・オーバー時代”“ベリー・ロール時代”“背面跳び時代”とフォームの歴史が説明され、さらに選手が頭上何cmを跳んでいたかの歴史も述べてあり、非常に面白い。投てきでは、体重1kg当たりどれだけ投げているかといったデータもある。
 スポーツはまず自分でやる楽しさ、そして実際の競技を観る楽しさが第一だろうが、本書のような記録の面からスポーツをみていくことも、その楽しみをさらに深いものにしてくれることだろう。
 ジュニア新書として子ども向けに書かれたものだが、大人が読んでも十分に楽しく、資料としても役立つ書である。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:岩波書店

(掲載日:1983-10-10)

タグ:記録 
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リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー
美馬達哉

リスクに対して持つべき思想
 たとえばある高校生女子バスケットボール部の、非接触型ACL損傷の予防プログラムを作成すると仮定する。まずすべきことは、そのリスクの把握である。リスクとは「未だに発生していない危害の予期という意味を持つ」ため、すでに同傷害を負った選手に該当する因子はもちろん「未来に予測される危害としてのリスク」も対象に考えなければならない。  
 ここでカッティング動作やジャンプの着地動作などにおける、いわゆるKnee in & Toe outというダイナミックアライメントがACLに大きなストレスをかけることが原因だと唱えてもあまり意味がない。膝関節伸筋や股関節外旋外転筋などを中心とした筋力の問題、主働筋、協働筋と拮抗筋、また体幹をはじめ全身の筋との協調性の問題、内反足や外反膝などの静的アライメントの問題など身体的因子を洗い出す、それでもまだ不十分である。トレーニングの内容、強度、頻度はどうなのか、練習場所のサーフェスは、シューズの選択は、果たして指導者の指導方法は適切なのか、練習中の集中力など心理的な問題は、そもそも予防プログラムをつくっても真摯に取り組むのか、日常生活を含めたコンディショニングはできているのか、このような動きが要求されるバスケットボールの競技特性に問題があるのではないか、それ以前に女性であることがそもそも問題ではないか。
 さて、リスクマネジメントとはどうあるべきなのだろう。

捉えるセンス
 本書はその題名から察せられるような、よくある医療リスクを論じたものではない。メタボリックシンドロームを巡る「健康増進」に関する取り組みや、新型インフルエンザを巡る「リスクパニック」などを題材に挙げてはいるが、リスク概念を医学や神経科学、経済学、人類学、社会学といった多方位の視点から考察し、現代社会に氾濫するリスクに対して持つべき思想をつくり上げる手助けとなるよう構成されている。
「医療社会学の皮を被った批判的社会理論」とは著者の言葉である。単純に事象を断じず、別座標に存在するかに見えるさまざまな要因のつながりを探り当て、やや難解な文章を持って論じるその姿は強引なようだが、読後は物事を捉えるセンスが広げられたように感じる。
 ACL損傷のリスク低減のために練習量を減らすようなことがあれば、チームが機能するために必要なトレーニング効果が修得できないという新たなリスクを生み出すことにもなる。バスケットボールではその特性上、膝の靱帯を損傷しやすいという一片の事象が、もし「専門家」と呼ばれる人びとによってもっともらしい尾ひれをつけられて巷間伝われば、これからバスケットボールに参加したいという気持ちに足枷を付けるという風評となるかもしれない。予防運動プログラムを作成したのはいいが、どこかの雑誌を真似た形だけのもので、それなら他にその時間や予算を使ったほうがいいといった、ただの儀式になってしまうかもしれない。それならまだしも、誤った認識によるプログラムであったために傷害が増えるという可能性も否定できない。優れた予防プログラムであったとしても、生活習慣を改め自己コントロールすることを抜きにして、処方されたものだけをこなせばいいという考え方では、その期待される効果を発現することはできないだろう。そのような考え方をする選手は、もし自分が負傷したときにはリスクを避けられなかった責任を指導した側に全て押しつけることが当然と考えるかもしれない。このような例であればまだしも、現代を生きる我々はリスクという概念に翻弄されてはいないだろうか。

バランス感覚が必要
「リスクは計算可能である」と言われる一方で「リスクに関する人間の意志決定や選択は、客観的な数学的確率で合理的に決められているわけではなく、リスクの主観的経験やその情動的側面によっても影響されやすい」ことも事実だろう。将来に「もっとも望ましい見通し」が立てられるよう、我々には踊らされることのないバランス感覚が必要となる。自らの身体に関しても、「生きている人間それ自体の生命に注意を払う権力」が掲げる、医療・福祉サービスに相当する社会的実践」という名の「身体の多様性をコントロールするさまざまなテクノロジー」により守られることは決していいことばかりではない。我々はもっとシンプルに生きられるはずだ。
(山根 太治)

出版元:青土社

(掲載日:2013-03-10)

タグ:リスク  
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先を読む頭脳
羽生 善治 松原 仁 伊藤 毅志

 天才棋士羽生善治氏をモデルにして氏の将棋における思考を解き明かした内容。羽生氏本人の解説と伊藤毅志氏・松原仁氏による専門的な分析が並行して1つのテーマについてそれぞれの立場からの見方を示しています。なんとなく「Q&A方式」のような印象があり、まるで羽生氏の頭脳の秘密に対する謎解きというスタイルに引き込まれました。
 まず羽生氏の印象は悟りを開いた高僧のように実に穏やかに淡々とご自身の将棋観を解説なさいます。泰然自若というか自然体というか、勝負師というようなギラギラした情熱というものも感じず、極めて冷静な自己分析を披露されます。そこには伝説の棋士坂田三吉のようなドラマ性はまったくありません。逆に人間羽生善治の「静なる凄み」さえ感じてしまうのです。
 ここで述べられた羽生氏の解説をさらに専門的な知識をもとに分析し羽生氏の思考のエッセンスを見出します。羽生氏の真似はできないまでも我々にも参考になるような情報がいくつか提供されます。
 これら異質な切り口から見た「将棋の思考」がパラレルワールドのように最後まで続くのですから読んでいても息が抜けません。なぜならば羽生氏の思考のなぞ解きを早く見たいからです。
 「頭のいい人になりたい」子どもの頃からそんな願望は誰しもあると思います。「先を読む力」はまさにもっとも得たい能力の1つ。本書にはそのヒントや秘密がたくさん記されています。私に実行できるかどうかは別としても…。
(辻田 浩志)

出版元:新潮社

(掲載日:2013-03-13)

タグ:将棋 
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スポーツ倫理学講義
川谷 茂樹

 今、ロンドンオリンピック、それに引き続いてパラリンピックが開催されている。ニュースを聞いていると、金メダルを逃した選手、選手の取り巻きからこんな声が聞こえてきた。「銀メダルが金メダルより素晴らしい」。私は違和感を禁じえなかった。「おいおい、本気? 金メダルが取れる状況にあっても、取らなかったかも知れないって言っているんだよ。本気で銀メダルのほうが素晴らしいって信じているの? あなたが金メダルを取っていたらそんなコメントしないよね。それがどうしてかって一度考えてみたら?」
 スポーツは「清潔、健康的、紳士的」などなど漠然としたプラスイメージを持たれている反面、オリンピックのように「競技スポーツには“勝利”の二文字しかない」という残酷な一面を持つことを誰でも直観的に感じているのではないだろうか。競技スポーツとは、決められたルールに基づいて一番優れた選手(あるいはチーム、団体)を選ぶことにほかならない。ある競技に参加する、と決めた瞬間に選手は頂点を目指す宿命を背負う。身体を強化し、肉体を苛め抜き、精神を鍛錬する。そうしてただひたすら勝利を目指す。選手が目指す方向は、先に示したスポーツが持たれている「健康的」というイメージからどんどん離れていくのである。
 その一方で「オリンピックには参加することに意義がある」という言葉も残されている。勝たなくてもいいのか? 参加しているだけで本当に競技者としての意義はあるのか?
 同時にスポーツはエンターテイメントとしての性格を強く帯びている。オーディエンスはヒーロー、ヒロインの登場を待ち、その活躍に期待する。見ていてワクワクしないようなスポーツは単純に言って「つまらない」のである。つまらないスポーツにはスポンサーはつかない。すなわち経済的に成り立たない。実に残酷である。
 このようにさまざまな顔を持つ「スポーツ」と我々オーディエンスはどのように関わっているのか、関わっていくべきなのか。そもそもスポーツの根源と思われているスポーツマンシップって何? そう考えを進めると、私はどんどんわからなくなった。本書はこれらの疑問を丁寧に解き明かし、こんがらがっていた思考の糸を少しずつ解いてくれる。論理展開に慣れないうちは論点がどこにあるのか見失うこともあったが、哲学、倫理学、法律などとは無縁の私でもわかるように論理を進めてくれている。また、格闘技由来のスポーツの一例としてボクシングを取り上げ、その意義を考えている。
 結論には賛否両論あろうかと思う。ただ、その賛否両論はきっと感情的な問題だけであって、議論の本質は多くの方の納得を得られる内容ではないかと思う。読後、「人間ってぇのは自分の得にならないことは積極的にやらない。もしかしたら競技スポーツとは、人間のエゴがもっとも露骨にぶつかり合う場面の1つかもしれないなあ…」と思った次第。皆さんは何を考えるだろう。
(脇坂 浩司)

出版元:ナカニシヤ出版

(掲載日:2013-03-29)

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スポーツ文化の脱構築
稲垣 正浩

 私は「脱構築」という言葉を知らなかった。まずは脱構築とは一体何なんだろうかということを想像してもらいたい。しかしながら多くの人の想像は当たらないだろう。いや当たっているとも当たっていないとも言い切れないのかもしれない。
 本書では、一語をとても大切に扱っている。ひとつの言葉、その中に含まれる概念を定義づけするために、様々な書物を紹介しながら脱構築の説明を加えていく。さながら社会学の授業を受けているようであった。私は気楽に読みたい読者にこれを薦めない。しかし、物事の通りや順序に関心があり、自分以外の論理性の構築手法を受け入れる寛容性がある人には読んでもらいたい。
 著者稲垣氏はスポーツ史、スポーツ人類学者である。なぜ彼は現代思想家のJ・デリダの考え方を学び実践しようとしたのだろうか。私にはそこに興味を覚えた。きっとそれぞれの経験に思い当たるようなことや、ハッとするようなことが読み進めるうちに増えていくことだろう。
(勝原 竜太)

出版元:叢文社

(掲載日:2013-04-17)

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信頼する力 ジャパン躍進の真実と課題
遠藤 保仁

 南アフリカW杯からザックJAPANへ移り行くまでの、サッカー日本代表チーム、遠藤保仁選手の状況が記されている。どんな監督が信頼できるのか、個人がどう行動すればチームがまとまるのか、どうすれば日本のサッカーが進化するのかといったことがテーマとなっている。
 多くのサッカー評論家が語る話だが、現在も日本代表の中心として試合で活躍する遠藤選手が書いたとなるとリアリティが増す。そう感じるのがサッカーファンとして本書を読んだ私の感想だ。今後の日本サッカー界を選手として、また引退後でも、どう引っ張っていくのか期待が膨らむ。
 一方、トレーナーという立場から読んだ私は、本書から選手の気持ちを学ばせていただくことができた。どれについても選手の本音が書かれているのが見どころだ。試合に挑むメンタルマネジメント。真実と報道のギャップ、それに躍らされるサポーター。高地トレーニング。ウォーミングアップ。向上心を持つ選手の考え方。スポーツに携わる者として気になるキーワードが満載で、それを選手の主観的な感想で聞くことができるのは貴重である。トレーナーとしてチームの一員となったときをイメージしながら読むことができた。もちろん、他の競技に通ずるものがあるということは言うまでもない。
 サッカーファンのみならず、競技者含め、スポーツに関わる者にはぜひ手にとっていただきたい一冊である。
(橋本 紘希)

出版元:角川書店

(掲載日:2013-05-14)

タグ:サッカー 
カテゴリ その他
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知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦
けいはんな社会的知能発生学研究会

「人間らしさとは何か」
「自己と他者の境界はどこか」
「『私』が『私』であるとはどういうことか」
 このことについて、自分の考えを論じられる人はどのくらいいるのだろうか。私のように思索などとは無縁の者は、考えることすらままならず、そういうのは哲学者や文学者にお任せ…と諦めてしまう。
 本書は人工知能の話で、ロボットの開発者がこういう哲学的な問題に正面から取り組んでいるというところが面白い。人工知能やロボットの開発といっても、人間そっくりのロボットをつくりたいという正統派から、人間理解の手段として人間の本質を再現するようなロボットをつくって動かしてみるという人まで、いろいろなアプローチがあるのだが、とにかく「人間らしいロボット」をつくるためには、まず「人間らしいとはどういうことか」について議論しなければならない。言われてみればもっともである。
 以前、地域スポーツクラブの立ち上げをお手伝いしたとき、会員管理システムが必要だということになった。でも、パッケージものではこちらの要望に合うものがなさそうだし、それをカスタムしてもらうとなるととんでもない金額になる。そんなとき、知り合いのSEがボランティアでプログラムを組んであげると言ってくれたので、渡りに船とばかりにお願いすることにした。クラブの負担はサーバーやクライアントなどのハードウェア代だけ。関係者は「いやはや、これぞまさしく地域総合型だねぇ」などと調子に乗って好き勝手に要望したら、SEさんから「そんなの無理」と一蹴されてしまった。結局、ルーチンワーク中心の事務システムに落ち着いたのだが、どうやら、我々が普段何気なく判断している「◯◯のときは□□、だけど◯△になったら□×、さらに△◯となったら××」ということをコンピューターにやらせるのは、大変なことのようだ。
 人間の事務を肩代わりさせる道具としてのシステムでさえこうなのだから、人間らしい人工知能となるとそれはもうものすごく大変なのだろうということは素人なりに想像できる。近い将来、人間そっくりなロボットが出現するのだろうか。楽しみなような、怖いような…。
(尾原 陽介)

出版元:講談社

(掲載日:2013-05-27)

タグ:ロボット 
カテゴリ その他
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ホールシステム・アプローチ 1000人以上でもとことん話し合える方法
香取 一昭 大川 恒

 ホールシステム・アプローチとは、できるだけ多くの関係者が集まって自分たちの課題や目指したい未来などについて話し合う大規模な会話の手法の総称である。ホールシステム・アプローチが目指しているのは、トップダウンによる意思決定でもなく、多数決による「民主的」意志決定でもない。立場や見解が異なり相反する利害関係にある人々が、全員で納得できる合意に達するための話し合いの方法である。
 ホールシステム・アプローチにも様々な手法があり、ここではその総称として使われている。本書は、その中でもAI、OST、フーチャーサーチ、ワールドカフェという4つの手法について解説しているものであり、ホールシステム・アプローチを基本から学ぶには最適の教科書と言えるだろう。
 もともとは会社組織の問題解決の手法として使われることが多かったが、現在は教育現場やコミュニティー、スポーツの現場でも応用され、使われている。とくにスポーツチームで仕事をするアスレティックトレーナーの場合、選手や各スタッフとの橋渡しをしなければならない。このような問題解決の手法を知り、現場で実践していくことで、仕事の幅が広がり、よりよいチームビルディングが可能となるだろう。
(浦中 宏典)

出版元:日本経済新聞出版社

(掲載日:2013-06-14)

タグ:ミーティング 
カテゴリ その他
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スポーツマーケティングを学ぶ
広瀬 一郎

 歴史の流れの中で、社会におけるスポーツのあり方が変化してきたことを概観し、近年のマスメディアの普及によって、スポーツというコンテンツが「商品化」されるようになった経緯をまとめた。そしてスポーツマーケティングの定義を試みている。サッカーにおける、広瀬氏の経験に基づく記述は圧巻。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:創文企画

(掲載日:2007-07-10)

タグ:スポーツマーケティング スポーツビジネス サッカー  
カテゴリ その他
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復活 all for victory 全日本男子バレ-ボ-ルチ-ムの挑戦
市川 忍

 全日本男子バレーボールチームを、綿密かつ膨大なインタビューによって、エース、セッター、リベロ、監督など、個々が浮き彫りにされる全16章。選手自身の言葉も綴られ、苦悩や試行錯誤の様子がよくわかる。チームの一人一人にスポットが当たることによって、個性が際立ってくる。試合会場へ足を運び、あるいはテレビ観戦で目にするプレーは、こうした積み重ねがあってこそのもの。ひたむきな努力、個と個のぶつかり合いなど、すべてのエピソードが北京オリンピックへの挑戦の道程となるのだろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:角川書店

(掲載日:2008-05-10)

タグ:バレーボール  
カテゴリ その他
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スポーツ・インテリジェンス オリンピックの勝敗は情報戦で決まる
和久 貴洋

 本書は、日本オリンピック委員会(以下JOC)情報・医・科学専門部会委員である和久先生が、オリンピックで成績を上げるためには情報戦略がいかに重要かということについて述べている。
 ここ近年、オリンピックにおける日本人メダリストが少ない理由として、中国・韓国人メダリストと比べ20~24歳の選手が台頭していないこと、また世界ランク8位以内の選手が少ないことを挙げている。あらゆるデータを基に解析して、諸外国と比較した結果から、原因を推測し、情報を国や競技団体にフィードバックして競技成績につなげていくという情報戦略である。実際にはこれだけでなく、海外からの有益なスポーツ医科学情報をいち早くキャッチすることが重要である。
 スポーツ医科学に関する情報は諸外国を見ても、シークレットな部分であり、多くはオリンピックのプレ大会で発表されることが多いが、その時点で情報を得たところでもう遅い。普段あまり表に出ないシークレットな情報を入手するコツが記載されている。
 たとえば、2012年ロンドンオリンピックで有名になったマルチサポートハウス。この存在が日本選手団から多くのメダリストを誕生させるきっかけになったと言っても過言ではない。そのマルチサポートハウスの計画は2004年のアテネオリンピックで、アメリカが実施したという情報からスタートしており、ロンドンオリンピックで日本選手団独自のマルチサポートハウスを実現させるための過程が記載されている。
 リオデジャネイロオリンピック、東京オリンピックに向けて日本人メダリストを多く誕生させるためには、この情報戦略がキーであることを本書を読むと理解できる。
(鈴木 健大)

出版元:NHK出版

(掲載日:2015-05-29)

タグ:情報戦略 
カテゴリ その他
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なぜ人は走るのか ランニングの人類史
Thor Gotaas 楡井 浩一

 「ランニングの人類史」というサブタイトルの通り、「走り」の歴史が詰まった本です。古代はまさに命がけで走っていました。地球環境が変わり森の多くがサバンナになった時代、サバンナを走り獲物を追いかけたことが、活動領域という点において森にとどまった類人猿との決定的な分かれ目になったそうです。人類の繁栄に少なからず「走り」が関わっていたようです。
 時代は変わり、交通手段がなかった頃、伝令という重要な役割が「走り」に課せられ、そこで命を落とした者を記念してレースという競技の起源だそうですが、その残酷さ過酷さゆえに人々の熱狂を生み、今に至るまで人気競技の座を得ていることには考えさせられました。
 レースになり勝敗がかかる以上、人々は勝つためにあらゆる手段を駆使しました。お金も絡んでくるし、ドーピングの問題も発生するし、靴や時計などの関係用具の発達など、ランニングの光の部分と影の部分の双方が絡み合って様々な歴史を刻んできたようです。走りの歴史は人類の歴史とぴったり寄り添っているようにも見えます。
 日本で人気の駅伝という競技は個人主義に走らず団体の和を重んじる日本人の国民性ゆえに定着したようです。そういう意味では「走り」には文化も反映されるようです。
 歴代の有名ランナーのエピソードから一般人のジョギングの歴史まで、事細かに紹介されています。まさに「走りの百科事典」といえる一冊です。
(辻田 浩志)

出版元:筑摩書房

(掲載日:2015-07-22)

タグ:ランニング 歴史  
カテゴリ その他
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スポーツ哲学の入門 スポーツの本質と倫理的諸問題
シェリル・ベルクマン・ドゥルー 川谷 茂樹

 タイトルに入門とある通り、スポーツ哲学のトピックが網羅された労作だ。とくに現代社会におけるスポーツの価値や、ドーピングなどの倫理的問題について多くのページを割いている。
 すぐに目を通せる分量でも、結論を得られる分野でもないが、スポーツに関わるなら知っておくべき内容ではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:ナカニシヤ出版

(掲載日:2012-08-10)

タグ:哲学 倫理  
カテゴリ その他
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よくわかるスポーツ文化論
井上 俊 菊 幸一

 教科書のような体裁で、多岐に渡るトピックがコンパクトにまとめられている。欄外にて用語説明や文献紹介がなされ、基礎から発展までカバーする。
 教育、ビジネス、地域といった様々な視点を含み、調査法にまで言及している本書は、スポーツを学ぼうとする人にとって必携の書と言っても過言ではない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:ミネルヴァ書房

(掲載日:2012-08-10)

タグ:スポーツ文化  
カテゴリ その他
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Jリーグ20周年記念フォトブック


 最初の1ページから最後の1ページまで、写真によって魅せることが徹底されている。ストイコビッチなど前半にはプレー写真で、後半には監督として登場する人もいれば、三浦和良のようにユニフォームが変わりながらもピッチに立ち続ける様子が収録された選手もいる。また、シンプルなキャプションはその当時の熱はもちろん、読み手の思い出をも呼び覚ますのではないだろうか。
 スポーツ活動など身近なことについて写真などで記録し、1冊にまとめておくのもよいかもしれないと思えてくる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:東邦出版

(掲載日:2012-12-10)

タグ:サッカー 写真 
カテゴリ その他
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英国における拠点大学のスポーツ戦略 ラフバラ大学と国際スポーツ組織の動向について
久木留 毅

 ラフバラ大学のスポーツ教育は英国でも高い評価を得ている。そこで1年間研究活動と情報収集を行った著者ならではの1冊だ。大学内の設備や組織、さらに外部とも関わる事業内容が詳しく紹介されている。
 後半ではヨーロッパのスポーツ戦略と題して、地域に密着するプロクラブや、国際カンファレンスの様子、さらにヨーロッパに本部を置く国際スポーツ組織の取り組みにも切り込む。
 オリンピックを控える日本にとって参考になる情報が詰まっている。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:専修大学出版局

(掲載日:2016-02-10)

タグ:英国 スポーツ戦略 
カテゴリ その他
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低予算でもなぜ強い? 湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地
戸塚 啓

 日本のスポーツチームは、大企業にバックについてもらうか、それ以外は低予算でやりくりせねばならないとよく言われる。Jリーグ参加6年目にメインスポンサーが撤退、市民チームとなった湘南ベルマーレは後者だが、「今ある予算で何ができるか」という考え方はしていない。それを、J1昇格を決めた2014年前後に限らず、市民チームとなってからの約15年にわたって追ったのが本書だ。チームの会長、社長、監督、テクニカルディレクター、営業本部長、事業部長は、プロとして地域に何を与えられるかを出発点に湘南らしいサッカーを貫き、それを可能にするべく市場を広げてきた。低予算だからこそ甘えずに理念を極めた結果、成績もついてきつつあるのがわかる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:光文社

(掲載日:2016-03-10)

タグ:サッカー マネジメント 経営 
カテゴリ その他
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なぜ人は走るのか ランニングの人類史
トル・ゴタス 楡井 浩一

走る目的の変遷
 原題(Running: A Global History)の通り、古今東西のランニングの歴史である。人々が何を得るために走ってきたのかにフォーカスし、その変遷を探っている力作。
 ところで皆さんには、実生活において、足が速くて役に立ったという経験があるだろうか。私にはある。高校生の頃のことである。せっかく前夜に終わらせておいた宿題を家に忘れてきた。当時私は家から片道徒歩10分の高校に通っていたのだが、授業の休み時間(10分間)の間に家まで走って取りに行き、次の授業に遅刻することなく、事なきを得たのだ。私のマヌケな事例はさておき、古来より人々が走ってきた目的は何だろうか。金と名誉。この2つは今も昔も変わらない。
 古代から19世紀半ば頃までは、伝令走者が活躍した時代である。名誉ある職で、報酬もよい。貴族は駿馬や強靭な走者を抱えることを、実際上もステータスとしても重視した。走者が主人の名にかけて競争する見世物のようなレースも開催されて、優勝者には大変な名誉と賞金が与えられていたようだ。
 その一方で、下層階級の間で様々な賭けレースも盛んに行われていた。勝者には高額な賞金が与えられ、時には走者が自分に賭けることもあった。それに伴い不正やいかさま・八百長なども横行していた。わざと負けたり、調子の悪いふりをしたりしてハンディキャップや配当を操作したりもした。そういった下層階級の者たちが金を賭けて騙し騙されしながら走る姿に対抗した、上流階級の「あんな風にはしたくない」という気持ち、言い換えれば差別意識が生んだ倫理観が、19世紀後半から台頭するアマチュアリズムである。
 上流階級の紳士とは、労働をせず資産の利子や土地収入によって生活していた人たちのことであり、身につけた知識や技能を生活のよすがとするのは紳士失格を意味する。彼らにとっては、金を賭けたり賞金の授受などは唾棄すべきことである。紳士たちは、腐敗や不正のないスポーツ、「競技のための競技」を目指した。そういう背景から生まれたアマチュアリズムは、下層階級を近代スポーツから排除していった。

本当のプロランナーとは
 現在ではアマチュアリズムというのは死語に近い。報酬の多寡や地位にかかわらず、卓越した能力を持った者には「プロフェッショナル」として尊敬の眼差しを注がれ、「アマチュア」は大したことないとか低レベルの者といった、見下した表現に使われている。
 現代ではすっかり立場が逆転してしまった感のある「プロ」と「アマ」であるが、走ることで報酬を得てそれで生活するという、本当の意味でのプロランナーとはどういうものだろうか。私が本書の中で一番印象に残った一節を引用して紹介したい。「ヨーロッパから見れば、アフリカはランナーの国のように見えるかもしれない。しかし、アフリカでジョギングが流行ったことはないし、車を持っていない住民は走ることより歩くことを好む。ヘンリー・ロノの子どもたちは、ケニアの理想的なトレーニング場の近くに住んでいるにもかかわらず、走ってもいないし、体を鍛えることすらしていない。ハイレ・ゲブラセラシェが走ったのは、家計に余裕を持たせて、自分の子どもたちが父親のように走らなくてすむようにするためだった」
 結局、見世物レースが形を変え、今も続いていると感じるのは私だけだろうか。

いつかやめる日はくる
 私の指導するクラブの子どもたちはなぜ走っているのだろう。クラブの練習日には宿題を超特急で終わらせ、友達とも遊ばずにせっせと通ってくる。まさか、親が将来儲かることを期待して、というわけではあるまい。自分は走ることが得意だから、それを磨いて活躍したいと思っているのかもしれない。
 しかしいずれ、その子たちにも走ることをやめる日がくるだろう。楽しみとして走り続けることはあっても、競技者としていつまでも走ることはできない。そうなっても、クラブで速く走るために練習を続けた日々が、子どもたちにとって、よい思い出となってくれればそれでいいし、その経験が他のことにも参考になってくれたら、なおいいと思う。生活のために走るということの過酷さを思うと、金にもならないことに情熱を傾けられる今の境遇に感謝しなければならない。
(尾原 陽介)

出版元:筑摩書房

(掲載日:2013-04-10)

タグ:人類史 ランニング 
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新・野球を学問する
桑田 真澄 平田 竹男

正論の重みは変わる
「正論」とは道理にかなった正しい議論・主張と定義される。誰でもわかるような正論とおぼしき言葉が吐かれたとしても、誰がそれを放ったかでその重みは変わる。物事を大多数の人々と異なる視点からも眺められ、異なる立場に立った主張も慮り、客観的な現実をより理解する人が話す言葉なら、結局は元の道理と何ら変わらぬことであっても、真理を伴った正論と響くだろう。またそのような人であれば、多くが正論と錯覚しているものとは別の場所にある本質にたどり着くのだろう。ただ、それでも「正論」などこの世の中では取るに足りないとその存在力を失うことも多い。

師弟対談
 さて、本書は元プロ野球選手である桑田真澄氏と早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授平田竹男氏の師弟対談記録として2010年に刊行された「野球を学問する」を単行本化したものだ。対談記録であるので、全文会話形式である。ただ文庫化に伴って両氏による新たな対談が実現し、スポーツ界の体罰問題をはじめ、松井選手の引退や松坂選手に関する話題など、新たな語りおろしが後半に収録されている。
 読売ジャイアンツからピッツバーグパイレーツでの現役生活を終えた後、桑田氏は早稲田大学大学院平田ゼミの門を叩いた。社会人修士課程1年制第4期生として完成させた論文「野球道の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」が最優秀論文賞に選ばれたのは周知の通りである。同課程には現役アスリートや元アスリート、スポーツ指導者といったスポーツ現場出身の人材だけではなく、スポーツビジネスや報道関係、医療界の人々が卒業生として名を連ねている。

正論が照らし出す
 桑田氏の話にはごもっともといった言葉が並ぶ。輝かしい実績がある上に、未だに貪欲に学び野球界に貢献したいと考えている人だけに、それらは心地よく「正論」として響く。「練習量の重視」から「練習の質の重視」へ、「絶対服従」から「尊重」へ、「精神の鍛錬」から「心の調和」へ、それぞれ野球道を再定義した上で、その中心となる言葉に彼は「スポーツマンシップ」を挙げている。この言葉をあえて戴くことに野球界には根深い問題が存在する印象を受ける。「アマチュア野球をよくしていけばプロ野球は自然によくなる」と述べている部分もあるが、実際はプロ野球界を根本的に改革しなければならないことは、おそらく持論を持った上で考えているのだと思う。アマチュア野球界はともかく、プロ野球界こそ、この「スポーツマンシップ」という言葉を再認識しなければならないと考えているように感じる。
 だが人格と実績を兼ね備えた人がどれだけ説得力のある「正論」を吐いても、世の成り立ちはおいそれとは変わらない。「正論」より「旨味」や「実入り」のほうが、多くの人々にとってより魅力的であるということは世の常だろう。プロ野球界のように、他のスポーツ界とは一線を画す巨大な怪物たちの巣窟を根底から改革しようと思えば、平田氏の言うように、桑田氏が仮に将来プロ野球のコミッショナーに担がれたとしても、魑魅魍魎が跋扈するオーナー会議を掌握できるほどの力がなければ、何もできないままお飾りに終わるのだろう。そもそも年間144試合も行うプロ野球選手に、スポーツマンシップを要求することが現実的なのかもわからない。割り切って野球勝負師とでも呼称したほうがいいのかもしれない。

待たれる中心人物
 それでも、2011年にスポーツ振興法を50年ぶりに全面改定したスポーツ基本法が施行され、2012年には同法規定に基づき「スポーツ基本計画」が策定され、スポーツ省の設置も提言されている。プロ野球界を例外としない行政側からの尽力、スポーツマンシップの名に恥じない健全なるスポーツビジネスを展開する実業界からの尽力、それを支える存在としてのファンの尽力など、さまざまな領域の大きなうねりなしにはその巨躯を動かすことはできないだろうが、今は点在するそれらを、「正論」のみならず「旨味」や「実入り」をうまくスパイスとしてまとめ上げる中心人物、ないしは精鋭チームが存在すれば面白いだろうと、他人事として無責任に考えた次第である。
(山根 太治)

出版元:新潮社

(掲載日:2013-07-10)

タグ:野球 
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武術と医術 人を活かすメソッド
甲野 善紀 小池 弘人

とらわれない発想
 私事だが、亡父の故郷に祖父が建てたという一家の墓がある。近くを流れる斐伊(ひい)川の上流だかで手に入れたという大きな楕円の墓石は、およそ一般的なそれに見えない。しかも「山根家之墓」ではなく「総霊」と刻まれているのだからなおさらである。手前味噌ながら、まだ父が小さなときに亡くなったその祖父のセンスが私は大好きである。「つまらない常識とかしきたりなんかどうでもいい。固いこと言わんと、入ってきたいモンはみんな入ってきたらいいのさ」というおおらかさが感じられるからだ。おおらかさの中にも俺はこうだよという自分の立ち位置を持っているところがなおいい。
 いろいろと仕組みができ上がりすぎて、こうでなきゃならんという根拠に基づく常識とやらが跋扈し、どうにも型破りには生きにくいこのご時世である。そんな社会の恩恵をも感じる一方で、平々凡々たる我が身ながら人と違った自分の価値観を大切にしたいと感じるのはそんな血が関係しているのかもしれない。

新境地を切り拓く2人
 さて、武術と医療と銘打たれた本書は、武術研究家である甲野善紀氏と、統合医療を推進する医師である小池弘人氏の対談録である。武術と医療の関係性を語っているのではなく、固定観念に囚われない柔軟な発想で新境地を切り拓く物事の捉え方、考え方を語り合った内容である。
 冒頭で、甲野氏が自身で辿り着き磨いた技がスポーツ界になじまないことに疑問を呈す場面がある。その理由を、固定観念からの脱却を恐れ、伝統の縛りから抜け出せない指導者の不明と断じているが、このあたりには違和感を禁じ得ない。もちろんそんな側面があることも否定はしない。しかし、たとえば流れの中で多数対多数で戦うスポーツでは個々の技は活かしにくい上に、うまく工夫して取り入れようとしても単に他によりよい方法があるのかもしれない。スポーツの現場も常によりよくなろうとしているのだ。教条主義を否定しながらも、それゆえに教条主義の香りが漂う部分でもある。
 己が信じる確固たる考えを持っている場合、その思いが強ければ強いほどそうなるのかもしれない。それが、わかりやすく整理された論理によって統合医療を説明しようとする小池氏によってごく自然に軌道修正される。
 中盤から後半にかけては甲野氏の独創的な身体理論を基にした武術論や、その他の社会情勢に対する押し出しの強い持論と、懐の深い小池氏の「現代医療と相補代替医療の統合された医療体系」である統合医療の考え方が、相乗効果でうまくまとめられていく。対談の妙である。

覚悟が必要
「教条」から「折衷」へ、またこの先理想とする「多元」に流れをつなごうとする現代の統合医療は「患者さん中心の立場から、包括的・全体性を重視しつつ、個々の人にあった治療法ならびにセルフケアを自らが選択する医療」という側面も持つという。自分が鍼灸師であることも無関係ではないだろうが、この統合医療の考え方には共感する部分が多い。なによりこの医療は患者に甘えを許さない厳格なシステムだという見方もできる。自分の生き方、そして死に方に対して己自身の意志で覚悟を持って向き合うことにつながるのだ。これは周りの人たちとの横並びで納得できるものではないだろう。そして誇りを持って生き抜くためには、このことはそもそも避けては通れないことなのだ。
 本書に哲学者西田幾多郎の「最も有力たる実在は種々の矛盾を最も能く調和統一したものである」という言葉が引用されている。調和統一できる位置は人によってさまざまだろうが、それぞれの立ち位置を尊重しつつ己のあり方を自在に定める。まさに生き方の問題である。それにしても、さまざまな社会問題に翻弄されてはいるが、このようなことを考えられる余地のある社会に生まれたことはなんと幸運なことか。

己を定める鍛錬
 再び私事ながら、干支が4周りするこの年に先駆け、昨春から長男坊を出汁に空手を始めた。幼稚園児や小学生が中心の道場で白帯を締め、汗を流して1年余りが経った。形を覚えながらも形に囚われず、力みすぎる傾向にある我が身をいかにうまく使えるようになれるか探求の日々である。目標はあれこれ技を駆使できるようになることでなく、拳の一撃を、蹴りの一撃を、どれだけ強く速く打ち込めるようになるかである。それでいい。それがいい。こんな些事が、己の立ち位置を定め、日々の暮らしを覚悟あるものにする手助けとなる。
(山根 太治)

出版元:集英社

(掲載日:2013-09-10)

タグ:武術 統合医療 
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障害者の体力評価ガイドライン 脳血管障害・脊髄損傷
日本リハビリテーション医学会障害者の体力評価ガイドライン策定委員会

 障害を持つ人が運動を行う際、安全管理はとくに重要で、そのためには状態の把握が欠かせない。だが、傷害者の体力を評価する指針がこれまでなかったことから、議論を重ね、本ガイドラインがまとめられるに至った。そもそも「体力とは」まで立ち返り、各要素の評価法を紹介している。後半ではリハビリの現場で割合の多い脊髄損傷者と脳血管障害者の体力評価について、Q&A方式で解説している。
 運動を取り入れる際に抱きがちなためらいを取り払う一助となるだろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:金原出版

(掲載日:2013-09-10)

タグ:体力評価 障害者 
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スポーツ・インテリジェンス オリンピックの勝敗は情報戦で決まる
和久 貴洋

 国立スポーツ科学センターに情報戦略部門が設置されて以来、情報戦略分野において活躍してきた和久氏が、これまでの活動内容や展望をまとめた興味深い一冊だ。
 イギリスやオーストラリアを始めとした世界各国の取り組みはもちろん、日本の「マルチサポート・ハウス」についても、設置に至るまでの経緯が裏方のスタッフ視点で紹介されている。これらから言えるのは、現代のトップスポーツは選手発掘やスポーツ医・科学サポート、情報分析など総力戦であるということだ。総合的な強化を行うには時にイノベーションが必要になるが、過去の例をみてもオリンピックの自国開催は大きなチャンスだという。
 もちろんオリンピックなどのトップレベルに限った話ではなく、インフォメーション(生情報やデータ)とインテリジェンス(分析・評価された知識)の違いや扱い方のわかりやすい解説は、勝利に向けた戦略を立てる上で大いに参考になる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:NHK出版

(掲載日:2013-11-10)

タグ:情報 
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宇宙飛行士に学ぶ心の鍛え方
古川 聡

地球人がひとつに
 もう20年近く前になるだろうか。国際宇宙ステーション建設に伴う宇宙飛行士募集記事に強烈なインパクトを受けた。宇宙といえば、どこかに正義の巨人たちの星を含むM78星雲があるんだという夢の存在として出会い、空飛ぶ戦艦や汽車が旅し、機動歩兵を用いた地球人同士の戦争の舞台であったり、様々な異形の種族が入り乱れてこれまた戦争を繰り返しているような存在、つまりファンタジーの世界としての認識しかない場所である。
 もちろん一昔前にアポロ計画により人類はすでに月に到達していたし、スペースシャトルやソユーズは何度となく大気圏を離脱していた。宇宙ステーションや人工衛星などは当たり前のように地球の軌道を周っていた。しかしそれでも宇宙というよりまだ地球の周辺だという印象だった。そこへ「国際」という言葉が加わっただけで、その響きに、無限に広がる大宇宙に向かってとうとう地球人がひとつになり始めたのだと、SFテイストではあるがそんな印象を感じ取ったのだ。

宇宙空間という環境で
 さて本書は、医師でもある宇宙飛行士、そして国際宇宙ステーションにおいて連続宇宙滞在期間日本人最長記録(2014年1月現在)を持つ古川聡氏の著作である。「宇宙飛行士がリスクやストレスに打ち勝つため、そして『想定外の事態』に対応するためにどう『受け止め』、『考え』、『対処して』いるのか」を紹介、「宇宙飛行士の心の鍛え方」が学べる内容になっている。「人間関係からくるストレス」「組織に対するストレス」「リスク」「先が見えない不安」「理不尽な出来事」「想定外の危機」。これら心を揺さぶる様々な要因に対して、宇宙飛行士がどのように考え対応しているのだろう。
 各章の最後にはまとめがあって、それだけを読めば、どこにでも載っていそうなことが書いてあると感じる。しかし、第1章ではいきなり宇宙ステーションへ秒速数キロメートルで飛ぶデブリ(宇宙ゴミ)が接近するという深刻な警報から話が始まる。外へ投げ出されれば、そこはヒトにとっては死の世界。その環境で「平常心で向き合える『くせ』をつけることを心がける」なんてできるのだろうか。「宇宙飛行士はミッションを遂行する技術の習得と同時に、こうしたリスクやストレスへの対応を訓練によって学び、身につけていく」その準備を周到に重ねていたとしても。

最高のチームが支えるパフォーマンス
 古川氏は「身体を鍛えることで体つきががっしりして見た目も変わってくるのと同じように、『心を鍛える』事で得られるオーラとは、何事にも対応できるという『自信』」だと言う。おそらく訓練中のみならず、普段の生活の中で起こる様々な出来事などあらゆる場面で彼らはそれを磨いてきただろう。また、「選抜された宇宙飛行士候補生が」「宇宙飛行士を支えてくれる人々の存在を本当に理解する事で」「宇宙飛行士のオーラを出し始め化ける」との解説も紹介されている。考えてみれば宇宙飛行士は宇宙を実体験したことのない数多くのスタッフに支えられている。訓練中も、宇宙での任務遂行中も。彼らのその自信は、スタッフとの確固たる信頼関係にも支えられているのだ。
 オリンピックなどトップスポーツの大舞台に立つアスリートにも似たようなことが言えるのではないか。そこに立ったものにしかわからないうねりの中で、自分をいつもの自分に保つ心の力は、周りの人間にはちょっと想像がつかない。だからこそ、彼らのプレーはそのパフォーマンス以上に観ているヒトの心を揺さぶるのだろう。彼らは身体も心も鍛え抜いて、そこに立っているのだから。ただ、そこに至るまでに関わった様々なスタッフとの信頼関係も少なからず力を与えているのも事実だろう。最高のチームが最高のパフォーマンスを支えているのだ。

新たな適応の先は
 それにしても、惑星探査船が想像を絶する距離を旅して帰還する昨今、宇宙はヒトにとってどのような存在になるのだろう。
 重力に馴染み、毒性の強い酸素を利用することで地球という環境の中で命を育んできたヒトは、貪欲にもその環境を振りほどいて、自分たちが普通では生きていけない場所に挑んでいる。宇宙に出ることが叶えば、ヒトは遠い未来には今のヒトではなくなっているのだろう。地球環境に対しては退化する変化だったとしても、新しい環境への適応が起こるのだろう。そのとき、ヒトの身体と心は一体どうなっているのだろう。
(山根 太治)

出版元:マイナビ

(掲載日:2014-03-10)

タグ:メンタル 宇宙飛行士 
カテゴリ その他
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日本体育大学の底力
手束 仁

 近年は体育大学以外でもスポーツの強化に取り組んでいる大学が多い。その中で著者は、日本体育大学駅伝部の活躍に目を留めた。2012年の箱根駅伝では20校中19位だったのが、2013年には総合優勝。まさに「底力」と言える這い上がりぶりだった。
 だが駅伝だけでなく、体操や野球、バレーボールなど日本の伝統競技においても、「やはり日体」というような力が感じられる。それはなぜかと、各部の指導者だけでなく大学の理事長や学長にもインタビューして迫った。
 その結果、挨拶や絆といった精神的な要素も挙げられたが、「日体大生である」ということ自体が、それらを意識するきっかけになるようだ。何に取り組むにしても当たり前のことを積み重ねていくと底力になるのかもしれない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:日刊スポーツ出版社

(掲載日:2014-03-10)

タグ:大学 教育 
カテゴリ その他
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日本サッカーの未来地図
宮本 恒靖

外の世界を
 もう20年余り前に通っていた鍼灸専門学校で使用していた解剖学の本。骨や筋を初めとする解剖学用語の横には手書きで英語の名前が記されている。ご丁寧に発音記号付きだ。医学書専門書店に何度も足を運び、学費を自分で稼いでいる身としてはその高額さにためらいながら手に入れた分厚いステッドマン医学大辞典を相棒に、アメリカ留学を目標に重ねていた準備活動の1つだ。アメリカでトレーナー分野のバイブルとされていたArnheim's Principles of Athletic Trainingを注文し、2カ月ほど待ってやっと手に入れたときには小躍りした。毎日ほんの少しずつしか進まなかったが、コツコツと読み込んだ。
 インターネットの普及により、今ではそんな当時からは考えられないくらいに地球が小さくなった。皮肉にも留学生は減少していると聞くが、ネットにあふれる情報を前になんだかわかった気になってしまうのだろうか。人と少しでも違う存在になるために、外の世界を実体験するのは悪くないし、それを通じて母国に還元できることは少なくないようにも思う。

宮本氏の学びの軌跡
 さて本書は、かつてサッカー日本代表を率いた宮本恒靖氏による「FIFAマスター記」である。FIFAマスターとは、「FIFA(国際サッカー連盟)やIOC(国際オリンピック委員会)を初めとするスポーツ機関を支えていく人材の育成を目的に2000年から開設されたスポーツ学の大学院」である。日本人元プロサッカー選手として初めてこのコースを修了した宮本氏が「イギリス、イタリア、スイスを回って、10カ月間の課程でサッカーを中心としてスポーツの歴史、経営、法律を学」んだ過程が紹介されている。「イギリスにおいてサッカーがサッカー以上の存在感を持つ」ことを実感し、それはプレミアリーグの選手たちが「自分が社会的に影響力のある立場にいることを自覚し、サッカー選手の地位と責任を大事にしている」ことにつながると気づく。彼らが現役の間に関わる「社会貢献はセカンドキャリアにもつながる」ことを、もっと日本でも取り入れられないかと考える。やはり、身をもって気づき、感じたことで己が活性化される意義は大きい。
 度重なるテストに苦労した様子や、初めてパワーポイントを使った話、グループでのファイナルプロジェクトのテーマが「ボスニア・ヘルツェゴビナの民族融和に向けてユーススポーツアカデミー立ち上げの是非」だったことなど、充実した日々のエピソードはどれも興味深い。「広い視点でサッカーを観ることができるようになった」上で語る日本サッカー界への提言も最後に語られる。「日本のサッカーを、サッカー以上のものに」し、「サッカーを文化にする」という今後の取り組みに期待が寄せられる。実は宮本氏引退後からこのFIFAマスター入学までの間に、私は彼の公演を間近で聴く機会に恵まれた。お馴染みのルックスのよさに加えて、うまく構成されてわかりやすく語られる話術から感じるスマートさ、参加していた少年たちへの優しい眼差し、惚れ惚れするとはこのことだろう。語られるエピソードも、自立心や考察力、決断力に溢れており、カリスマ性を持った存在感だった。

増えてほしい人材
 こんな人材がスポーツ界にもっと増えて欲しい。スポーツをスポーツ以上の存在にするためには、よりよい文化とするためには、相応の人材が必要だ。宮本氏自身、FIFAマスターの入学審査の1つである6種の英語レポートの中で「スポーツを通して『人を育てる』という部分にもっとフォーカス」したいという内容を取り上げている。事実、彼がプロデュースするミヤモトフットボールアカデミーは「サッカーを通じて、子供達の人間的成長を目指し」すことをミッションにしている。「サッカーの『技』や『体』はもちろん、サッカーを楽しみながら相手を思いやる『心』も磨いていく」ことを重視しているのだ。「子供達が能動的にサッカーに取り組めるような環境を作る。その整備が『文化』を生み出す一つの手段になる」と信じて。
 このようなスポーツ既存の枠を越える存在を生み出すためには、幼い頃からひとつの競技ばかりに打ち込む子どもを増やすことはマイナス要因もあるように感じる。一流選手にするために早々に競技を絞るより、複数の競技に触れる機会を持ち、勉学も決しておろそかにしない、スポーツを通じて一流人間を育てる試みがもっとあっていいだろう。宮本氏は今後サッカーという競技の世界で重要な役割を担っていくだろうが、できうるならその枠を越え、より大きくスポーツ界全体に影響を及ぼせる存在となってもらいたい。若い世代のスポーツ留学などがもっと盛んになれば、よりおもしろい人材が輩出できるのではないだろうか。

次の世代へ
 私などは留学経験を活かしながらも目の前で直接関わる学生たちを育てることで精一杯だ。しかしトップアスリートたちの若い世代への影響力は計り知れない。
 私の知るラグビートップリーグの選手には「ラグビー伝道活動」と銘打って、忙しい中学生や児童相手の普及活動に精を出しているものもいる。彼らはラグビーの普及のみならず、ラグビーを通じて子どもたちが健やかに育ってくれることを願いながら活動しているのだ。競技記録だけでなく、大きな報酬だけでなく、十分な教養とグローバルな視点を持ち、スポーツという文化を担える人の育成に一役買う力を持った選手が今後ますます増えることを期待している。
(山根 太治)

出版元:KADOKAWA

(掲載日:2014-07-10)

タグ:サッカー セカンドライフ 
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応援する力
松岡 修造

 熱血応援のイメージが強い著者。選手として五輪に出場した際から各競技会場に足を運んでいた。そこまでするのは、海外での試合中声援に力をもらった経験、そして自分で自分を応援しようとしてもなかなかうまくいかないことを身をもって知っているからだ。
 ただ、本書は「自分がいかに応援しているか」ではなく、「応援することによっていかに力を与えられたか」に多くのページが割かれている。「応援」はスポーツに限ったものでなく、家族や同僚など身近な存在相手にも行える。ただ「頑張れ」と言うのではなく、状況やその人に合ったやり方を見極める、それが応援する力だ。
 応援は時に「苦言」と思える場合もある。それもポジティブに受けとめられる、「応援せずにはいられない人」であろうという著者のメッセージには、日々の取り組みを振り返らずにはいられない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:朝日新聞出版

(掲載日:2014-07-10)

タグ:応援 
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知って感じるフィギュアスケート観戦術
荒川 静香

 技術解説と注目選手紹介を中心とした本書。ソチ五輪前に発行されたものだが、内容はわかりやすい。また、今だから話せる五輪の舞台裏の話も興味深い。
 国内でフィギュアスケートに注目が集まっていくのを選手・解説者として体感した著者ならではの視点により、競技の新しい面が見えてくる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:朝日新聞出版

(掲載日:2014-08-10)

タグ:フィギュアスケート 
カテゴリ その他
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なぜ皇居ランナーの大半は年収700万以上なのか
山口 拓朗

 本書で紹介されている「RUNNET」というポータルサイトの調査によれば、男性皇居ランナーの54%がタイトルのように年収700万円以上だったという。このデータからスタートし、走る練習がいかに仕事の段取りに応用できるか、また土台となる身体のメンテナンスに役立つかを解説している。引用されている経営者たちの言葉を見ると、彼らは運動の効能に気づいている。運動の中でもっとも低コストに、気軽に行えるのがランニングというわけだ。
 一部の経営者に留まらず、東京マラソンなどで走ることに興味を持った社会人は、都内では珍しく信号に止められることなく5km走れるスポットである皇居外周に集まった。著者自身もランニングを始め、体調がよくなり、それによって仕事や人間関係も好転したそうだ。読者に「自分にもできるかも」と思わせるような説得力がある。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:KADOKAWA

(掲載日:2014-09-10)

タグ:ランニング 
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希望のトレーニング
小山 裕史

そもそもトレーニングとは
 トレーニングとはそもそも何だろう。鍛錬という言葉をあてるなら、それは「体力、精神力、能力などを鍛えて強くなること」ということになる。野生動物はトレーニングなどしないのに優れた能力を持つとよく引き合いに出されるが、彼らは常に生き死にを賭けた大勝負の中で生きている。全力で獲物を仕留めた後や、やっとのことで逃げ切った後は疲労困憊でひどい筋肉痛にしばらく悩まされているのかもしれない。
 それに彼らだって誰もが皆初めから狩猟や逃走がうまいということではないだろう。それでも栄養源を確保しなければ、あるいは逃げ切る力がなければ生き残る確率は急降下する。だからと言って無茶をして肉離れや腱の断裂でも起こそうものならそのまま死に直結するのだから、本番の中で最も効率的な動きを自然と探ることになる。本能の上に経験を積むうちに、無駄なく、より楽に、より安全に生き残る術を獲得するようになるのだろう。
 つまり、自らが存在するその環境に適応し、種を残すために生き残ることそのものが「体力、精神力、能力などを鍛えて強くなること」を余儀なくしているのだ。紛争もなく豊かな国に暮らすヒトは、野生動物に比べればはるかに安全な上、便利な道具たちに囲まれて大して身体を使う必要もない。そんな環境に適応(?)したヒトたちはブクブクと肥えていく。病気などではなく不摂生で重たくなった我が身を嘆いて痩せたいなどという悩みなど、どれほど贅沢なことか。そんな風に考えると、アスリートであれ一般の愛好家であれ、現代人がトレーニングを積む目的には、人間の限界を高めるということと裏表でヒトの本来あるべき姿への原点回帰という側面があるように感じる。

環境への適応
 ともあれ、世にトレーニング理論というものは無数に存在する。ある理論を唱える人がそれ以外の他者を否定するというのはよくある光景だが、未だに唯一無二のゴールデンスタンダードが確立されないのはなぜだろう。どれも決定的でないから、というより、それだけ多様なニーズがあるからだろう。
 環境に適応するということは、与えられたストレスによりよく対応できるようになるということだ。つまりストレスの種類によって進むべき方向が変わるのだ。それが人間本来の姿への歩みであれ、今までにない新たな姿への歩みであれ、自分がありたい姿になるための方法である以上、ヒトの数だけあってもおかしくはない。  本書は、鳥取から世界に独自のトレーニング理論を発信する小山裕史氏の「初動負荷トレーニング」という方法に出会い、その恩恵を受け、魅せられ、今も取り組み続ける人たちのインタビュー集である。ニューヨークヤンキースのイチロー選手を初めとする錚々たるトップアスリートの面々に加え、リハビリテーションとして取り組む方や、アンチエイジングの方法として取り組む高齢者の方々など、一般の人たちも紹介されている。

理想を求めて
 身体が発揮する力を変える要素としては、筋横断面積、筋の種類や構造、筋線維動員数や発火頻度、また伸張反射やそれに伴う相反性抑制など神経と筋のコンディション、大脳興奮水準、関節を支点とした負荷のかかる作用点と筋の停止である力点との位置関係、主働筋と共働筋や拮抗筋の協調性、身体部位同士の協調性、栄養状態、呼吸状態など、枚挙にいとまがない。しかしそれら全ての条件を整えたとしても、各部位が統合された身体全体の使い方を抜きには結局は語れない。筋肉は収縮することがその生理的機能だが、収縮することで関節を動作させることもできれば固定することもできる。50歳手前になって今一度その身体の使い方を磨きたいと空手を始め、ようやく2年半ほどになる私も、自分の身体と奮闘する日々の中、なりたい自分へのトレーニングを続けている。あくまで自分の感覚的な話になるが、正拳突きひとつとっても、末端である手から動作を開始すると、より近位である肩周りの筋はそれを支持しようとし、関節を固定する力が優位になるように感じる。代わりに下半身から腰、そして肩甲骨へと力を伝えることで結果的に拳が前に進むという感覚で動かせば、肩周りの筋肉は動作力が優位になるように感じる。動きの結果だけ見れば同じような形になるが、そのプロセスは拳が走るという感覚で大きく異なる。
 もちろんより大きな筋や関節で発揮した力をより小さな末端に伝えることでその速度が上がるのだが、介在する動くべき関節で筋の固定力が強く、固定すべき関節で動作力が強いとロスが大きくなり、その逆であれば効率的に全身が動作できるという感覚である。
 下半身で言えば、足から歩くのではなく股関節の動作の結果、足が前に進んでいく感覚だ。当たり前と思われるかもしれないが、私にとっては意外に難しい。自分の不器用さを棚に上げるならラグビーという強い外力がかかる競技でのトレーニングを長く行ってきたことも原因のひとつのように思える。外向きに発揮するための内力を効率的に高めるということであれば、先に挙げた中心から末端への感覚は非常に大切だと実感する。しかしラグビーのスクラムやタックルのように大きな外力を流すことなく受け止める場合には、関節の固定力を上げなければ対応できない。
 どちらがいいとか悪いとかではなく、必要なときに必要な使い方が自由自在にできることが理想だと思う。空手の形でも、動作力を高める使い方が多いが、しっかりと、しかも瞬間的に固定することも求められる。肩甲骨や骨盤の使い方を中心にした動きを掘り下げるほど、身体の使い方を習得するための形の価値が深まる。これは楽しい。
 ありたい自分に近づくためにトレーニングがあるなら、ありたい自分になり得る環境づくりや負荷の加え方が必要であり、それは基本的に自分で探り当て、またつくり上げていくものなのだろう。そしてイチロー選手が本書の中で自身が取り組む「初動負荷トレーニング」を指して言うように、「本来人間が持っている能力をさらに大きくできる」ものであるべきなのだ。己がどうあるかという生き方そのものに通じることでもあるのだから。
(山根 太治)

出版元:講談社

(掲載日:2014-11-10)

タグ:トレーニング 
カテゴリ その他
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xはたの(も)しい 魚から無限に至る、数学再発見の旅
スティーヴン・ストロガッツ 冨永 星

避けてきた数学
 数学というのは、学生時代は、できればおつきあいしたくないものの1つであった。
 それでも大人になるにつれ、さまざまな場面で数字で表わされる事柄を見ると、やはり逃れられないのだなと感じる。仕事に就いた今も、数字と向き合わない日はない。学生時代にもっとしっかり勉強しておけばよかったと今さらながら思っている。そういう負い目もあり、時折、数学や物理に関する本に手を出してみたりもする。
 書店でふと本書と目があってしまった本書の原題は「The joy of χ -a guided tour of mathematics, from one to infinity」。「χの喜び 1から無限の数学のガイドツア-」かぁ。なんだか難しそうだが、面白そうでもある。思った通り、難解な部分もあるが、エッセイとして読むのには文句なく面白く、ところどころにある例題に立ち止まり、じっくり考えてみるのも楽しかった。

導いた答えは
「1週間の休暇を取ることになったあなたは、出発する前に、ぼんやりした友人に弱っている植物に水をやっておいてくれと頼む。水やりを欠かすと、その植物は90%枯れる。そのうえ、ちゃんと水やりをしても枯れる確率が20%、さらにその友人が水やりを忘れる可能性が30%。このとき、(a)植物がこの1週間を乗り切れる可能性、(b)あなたが戻ったときに植物が枯れていたとして、友人が水やりを忘れた可能性、(c)友人が水やりを忘れたとして、戻って来たときに植物が枯れている可能性はどのくらいか」
 このような実際的な問題は、私たちの身の回りに数えきれないほどある。
 日々、好むと好まざるとにかかわらず、必要に迫られてどうにか対処しているのだが、どうも数学というのは実際とちょっと違うのではないかと感じるときもある。
 この友人に水やりを頼む問題も、どれとどれをかけ合わせるべきなのか、わけがわからなくなる。そこで私が導いた答えはこうだ。(a)(b)(c)ともに50%!。枯れるか枯れないか、水をやったかやらないか、2つに1つだからだ。
 水やりを欠かすとその植物が枯れる確率は90%ということだが、言い換えると10回に1回は水をやらなくても枯れないということである。しかし、タイムマシンでもない限り、同じ植物と条件で10回試してみることは不可能だし、そもそも、忘れる可能性が30%もある友人にこんな大事なことを頼んではいけないのではないか、とつい余計なことが気になってしまう。

わからないなりに楽しい
 科学的思考ができない奴だと言われるかもしれない。著者も「このような問題で正しい答えを得るには、全てが確率通りに起きるとみなす必要がある」と書いている。しかし、やはり、10回中1回の確率だとしても、最初の1回目だけが現実の結果なのだと思う。10,000回に1回の確率と言われていることが連続で起こることだってあるだろう。
 単純化することで、却って自分が感じている実感と数字との間に隔たりができる。なんとなくうまく言いくるめられているような妙な警戒感を持ってしまう。その挙句、数学など閑人が小難しい理屈をこねて悦に入っているだけなのではないかと思ってしまう。ついていけない者の僻みだろうか。「数学とは元から存在するものを人が“発見”するのだろうか? それとも人間による“発明”なのだろうか?」という議論が古くからあると聞く。eとかiとかπとか√とか、そういうものは人間が考え出したのであって「元から存在する」のではないだろうと思う。
 一方で、私が見えていないというだけで、実際にそこらへんにあるのではないかという気もしてくる。
 数学者たちには、私には見えない世界が見えていて、私には分からない言語(数式)で会話をしている。残念ながら私には「x」に喜びも楽しさも頼もしさも感じられないし、無限に微分積分に正弦波に指数・対数…とクラクラしそうなテーマが続く。それでも、ぐいぐいと読み進めてしまう力が本書にはある。きっと、著者が「ね、面白いでしょ」と無邪気に話しかけてきているせいだ。翻訳本によくある日本語の違和感も全くなく、読みやすい。
 この「ガイドツアー」で全く別の世界をのぞき見させてもらい、自分の知らない世界の存在を感じ、わからないなりにとても楽しかった。
(尾原 陽介)

出版元:早川書房

(掲載日:2014-12-10)

タグ:数学 
カテゴリ その他
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健康ブームを問う
飯島 裕一

 初版2001年3月19日。15年も前の本である。それにも関わらず内容が色褪せていない。驚きである。
「でもなぜ? なぜ色褪せていないのか?」。ぜひ、そのようなことを考えながら読んで頂きたい本だと思う。
 著者飯島裕一氏がこれまでインタビューされてきた中から「健康ブーム」をいくつかの角度で切り取っておられる。「健康ブーム」の「ブーム」という言葉からは偽物の香りが漂ってくる。健康ブームを見ていくことで、健康の意味を考えるきっかけになるだろう。
 医療関係に携わる一人として耳が痛いテーマばかりである。読み進めると医療関係者の端くれとしての言い訳が頭の中をよぎる。結果的に、私は自戒の念を持ちつつ本書を読むことになった。
 健康には各人各様の受け止め方がある。自分自身の健康観を見つめ直すきっかけとして、本書をご利用になってはいかがだろうか。
(脇坂 浩司)

出版元:岩波書店

(掲載日:2016-05-21)

タグ:健康 ブーム 
カテゴリ その他
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名言珍言108選 トップアスリート編
手束 仁 創部線の会

 1960年から2015年までにあったオリンピックやトップリーグ、全国大会における選手・指導者のコメントを紹介。1つの言葉に見開き1ページというシンプルな構成となっており、日本のスポーツの歩みのダイジェストのようにも読める。
 興味深いのは、現在は有名な選手が若手時代に発した言葉だ。「このときこう言っていたから、その後の活躍があったのかも」と思わせられる。発言がメディアに取り上げられるトップアスリートでなくとも、そのときどきで思ったことを記録しておけば、後に読み返して初心を思い出せるかもしれない。
 言葉の持つ力が改めて感じられた。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:日刊スポーツ出版社

(掲載日:2015-05-10)

タグ:言葉 
カテゴリ その他
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ご飯が食べられなくなったらどうしますか? 永源寺の地域まるごとケア
花戸 貴司 國森 康弘

医師からの問い
「ご飯が食べられなくなったらどうしたいですか?」「寝たきりになったら、病院か施設に入りたいですか?」。逆説のように聞こえるが、これは「最期まで自分らしく生きるために必要な準備」を整えておくためにと発せられる、医師からの問いだ。
 本書は「誰しも迎える必然の時である」“死”を、「命を受け継ぐ」ときとして「地域まるごと」の体制で見つめ、それぞれの「人生の最終章」をよりよく“生きる”ための手助けをしようとする診療所医師の活動の記録である。

上昇志向だけでは
 若いころ私は、“子どもから大人まで”“一般健常者から競技者までを対象とした健康の保持・増進を目指す”といった内容で授業を行えば、“すべての人を対象にした”体育が展開できるのではないかと考えていた。競技での成功など人生の輝ける一幕に助力することや、いつまでも元気に動ける身体づくりに対する助力といった、“体を育む”ことは、確かに体育の重要な役割の1つではあるけれど。
 しかし齢を重ねるうちに、体力には限界があり、命にも限りがあること、いずれ人は老化するし病気にかかることもあること、失われた機能を取り戻すことには限界があること等々、“上昇志向”だけでは人生は済まされないということなどを考えるようになった(何を今さら...だなあ)。
 一方で、マスターズ陸上というベテラン選手ばかりが出場する競技会に出るようになって、絶対的な速さだとか高さだとかいった“記録”のほかに何か別の魅力があるように感じられてきた。真剣勝負(命の交歓)であるが故の美しさ、というようなところは一緒だが、何か普通の競技スポーツとは異なった、齢をとったからこその美しさが表現されているように感じられるのである。とくに60歳を越えると、記録がどうしたとかとは異なる魅力が湧き出てくる、あるいはベテラン選手としての“味”が増してくるように思え、マスターズ陸上とはある種“芸事”と同じなのではないかと考えるに至った。
 価値観が変わると世の中が違って見えるものである。すなわちベテラン選手は齢をとることで記録が“低下する”ものとして映っていた世界が、実は、精進を重ね一味違うものに“変容する”世界だったのである。競技を通じて、記録だけではない何かを育んでいるのである。
 このような感覚を通して、“体で育む”体育というものを考えてみた。すると大きな可能性が体育の授業に内包されているように思えてきた。
 医学部の学生という、いずれは人の最期に直面するような職業に就こうとする人たちを前にして、“教養科目”の体育とはどうあるべきかなどと考えたとき、“体を育む”ことだけでは体育という科目に行き詰まりを感じずにはいられなくなっていたところに、一筋の光明が差した気分だった。“体で育む”体育は、身体を見つめ、身体の声を聴き、身体で表現することだ。歩けなくとも動けなくとも、介護者の手技や優しい言葉に触れること、家族と手を握り合うこと寄りそうことで、様々なことを体感することができる。身体を通して絆を育むことができる。
 体育の授業とは、命を見つめるものでありたいし、よりよく生きるためのヒントを学ぶ場であることができたらいいなと思う。しかしまた、学生や卒業生の姿を見るにつけ、学ばせてもらっているのは私たち教員のほうかも知れないと本音では思ったりしている。

初めての学生の一人
 本書の著者、花戸貴司は、私が初めて受け持った学生の一人だ。ラグビーを愛する、立派な体躯をした元気で優しい学生だったのでよく覚えている。先日、ほぼ20年振りに再会した。何とか私のことを覚えていてくれたようで、「あ、先生! お世話になりました」などと言う。いやいやそんなことはない、あなた方から学びのヒントを山ほどもらったお陰で体育を生業とすることができているんだ。むしろ感謝するのは私のほうで、それより当時の若気の至りの授業、思い出すだけでも恥ずかしく、冷や汗を隠すのが精いっぱいだった。
(板井 美浩)

出版元:農山漁村文化協会

(掲載日:2015-06-10)

タグ:医療 地域 
カテゴリ その他
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日本一わかりやすいマインドフルネス瞑想
松村 憲

 マインドフルネスとは仏教用語で「念」「気づき」などと訳され、瞑想の1つと捉えられるという。臨床心理士の著者は、このマインドフルネスを医療現場に応用した第一人者の定義を参考に「今この瞬間に心を集中させ、判断をしないでありのままを観察する」ことだと説く。1章ではマインドフルネス瞑想を行うことでもたらされる、一般の人が「効能」と思えること(集中力が増すなど)が列記されるが、瞑想に馴染みのない人はかえって「信じてよいか」といった判断をしてしまいがちだ。その場合、2章の具体的な瞑想のやり方、Q&Aを先に読み実践してみる手もある。
 何かが変わったように思うか、何も変わらないと感じるかは人それぞれだろうが、だからよい(悪い)と判断するのではなく、ありのままに気づくことが第一歩となる。トップアスリートは、身につけるプロセスこそ違えど、このような自分の心の扱い方を知っているのかもしれない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:BABジャパン

(掲載日:2015-06-10)

タグ:メンタル 
カテゴリ その他
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ヘンな論文
サンキュータツオ

研究、研究者への愛
 著者はお笑い芸人でありながら大学の非常勤講師も務め、さらにはアニメオタクでもある。そんな著者の趣味の一つである珍論文コレクションの中から、13本の論文を紹介しているのだが、本書の目的は内容について言及することではない。学問とは、研究とは、いかなるものなのかについて熱く語るための本である。本書全体から学問や研究、またそれに情熱を傾ける研究者への愛が感じられる。
 タイトルの「ヘン」以外にも、「ヒマなのか?」とか「どうでもいいことすぎる!」というような、どちらかというと失礼な部類の言葉を芸人さんらしい軽妙な文章に織り交ぜているのだが、それが全然不快ではないのは、愛情を感じるからである。

学者とは
 学問とは「問いに学ぶ」ことである。だから、「問いをたてる」ことがまず大切だ。それが役に立とうが立つまいが。「やりたいこと」「知りたいこと」がまずあって、それにもっともらしい理由を後付けするなんとも愛らしい人種、それが学者である。
 本書で紹介されている論文はどれも面白そうだが、中でも僕が好きなのは「『コーヒーカップ』の音の科学」である。「コーヒーカップにインスタントコーヒーの粉末を入れ、お湯を入れてスプーンでかき混ぜると、スプーンとコップのぶつかる音が、徐々に高くなっていく」ことに気付いた女子高校生と物理の先生がその謎を究明していくのである。
 まず、音が高くなっているのは気のせいでは? という当然の疑問に対し、何をしたかというと、コーヒーカップとスプーンの接触音を録音してパソコンに取り込み、その周波数特性を測定したのである。その結果、気のせいではなく本当に音が高くなっていることが確認されたのである。また、それはインスタントコーヒーは関係なくカップがお湯で温められたことが原因では? という可能性もきちんと実験により、そうではないことを実証している。
 そこから研究を進め、様々なものをひたすらコーヒーカップに入れスプーンでかき混ぜ、ついにあることをつきとめるのだ。詳しい内容は本書を読んでいただきたいが、私が魅かれたのは、立てた問いに対し愚直に向き合う、その清々しいまでの姿勢である。考えられる可能性を一つ一つ丁寧に検証してゆき、結論にたどり着く。それが「だから何?」と言われそうなことであろうと何だろうと、お構いなしに。

研究の面白さ
 著者は言う。「美しい夕景を見たとき、それを絵に描く人もいれば、文章に書く人もいるし、歌で感動を表現する人がいる。しかし、そういう人たちのなかに、その景色の美しさの理由を知りたくて、色素を解析したり構図の配置を計算したり、空気と気温を計る人がいる。それが研究する、ということである。だから、研究論文は、絵画や作家や歌手と並列の、アウトプットされた『表現』でもある」
 先ほどのコーヒーカップの音の研究も、それがわかったからと言って世の中が変わるものではない。だがそれを、不思議だと思うことを解き明かしてみたいという純粋な気持ちの表現だとすれば、これほど楽しい読み物はないとも言える。
 自分のことを振り返ってみると、論文といわれるものを書いたのは大学の卒業論文だけである。しかし確かに、そのときは楽しかったと思う。先行研究や本を読み漁り、実験をし、考え、の繰り返し。そこで味わった楽しさは、その後の自分のベースにもなっていると思う。
 その途中こそが最も楽しいということを知ってしまったので、締切の迫っている仕事でも、あえてわき道にそれてしまったりして時間が足りなくなってしまうこともしばしばある。「問いに学ぶ」という姿勢は、人生を豊かにしてくれると思う。今後私が何かの論文を書くなんてことは、まずないだろうが、知りたいことにまっすぐ向き合うという楽しさは、論文を書かずとも味わえるはずだ。
「なに、この、人生アウェーな感じ!」といわれるような「ヘン」な人に、私もなりたい。
(尾原 陽介)

出版元:角川学芸出版

(掲載日:2015-12-10)

タグ:研究 
カテゴリ その他
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「共感」へのアプローチ 文化人類学の第一歩
渥美 一弥

身体運動の文化的側面
 人が生活していく中で行う身体運動には、いくつかの側面がある。
 一つには、生命を維持するための行為で、ひとまずここでは “自然(nature)的身体運動”と呼ぶ。もう一つには、人々が構成する“社会”の慣習が反映された中で成り立ってきた側面があって、ここではこれを “文化(culture)的身体運動”と呼ぶこととして話を進めたい。
 たとえば、食物を摂取するという行為。これは、食物を咀嚼したり、嚥下したり、消化・吸収(これは運動というより活動か)するなど、“経口的に栄養物を摂取する”という行為そのもので、命を保つために必須の“自然的身体運動”であるといえよう。
 しかしこの“食物摂取”という表現を“ご飯を食べる”という表現に変えてみるとどうだろう。何を、どのように(調理して)“ご飯”として食べるのか、さらにその“ご飯”をどうやって(行儀や作法)食べるのか、などということが加味されてくると、話はややこしくなる。それはもはや“生命維持”のためだけでない、なにか別の価値観が加わった“文化的身体運動”ということになり、挙句は、ご飯の食べ方が悪い(つまり、お行儀が悪い)と“親の躾がなっていない”などと、本人ばかりでなく親まで引っ張り出され罵倒される(“社会”の最小構成単位は“家庭(家族)”だからだ)顛末となる。

身体運動に現れるもの
 では、“歩く”、“走る”、“跳ぶ”、“投げる”といった身体運動は、どちらに分類したらいいのだろう。
 何かに驚いて飛び退く、あるいは危険から身を護るため走ったり跳んだりして逃げる。これは、自然的身体運動だろう。では、狩猟という行為はどうだろう。獲物を捜し歩き、走って追いかけ、石を投げて仕留める。これは原始の社会では命を支えていくための行為ではあるが、狩猟の背景には文化の気配が濃厚にある。次に、歩きながら種を蒔くなど農耕に関する身体運動、これはどうか。これは“culture”の訳そのものだから当然、文化的身体運動ということになるだろう。さらには、スポーツのような身体運動や、踊る・舞う・演ずるといった表現活動は、明らかに文化的身体運動であるといえよう。
 このように考えると、人の身体運動はそのほとんどが文化的なものであって、そこには人それぞれの文化的背景が反映されているということになる。換言すれば、身体運動を見れば、その人となりがわかる、つまり“運動には人が出る”と考えることもできる気がするのである。
 人が運動する姿には、それぞれの個性が凝縮されて具現化する。たくさんの言葉を重ねるより、走る姿を一度眺めるほうが、よほど深くその人のことがわかるような気がするのである。
 このような身体運動の捉え方について、長いこと感覚的には気づいていたものの言葉では考察することができずにいたところ、大きなヒントを与えてくれる人が現れた。

捉え方が変わる
 さて、今回は『「共感」へのアプローチ 文化人類学への第一歩』である。著者の渥美一弥は、同じ職場に身をおく文化人類学の教授だ。あ、また内輪の書籍を取り上げているとお咎めの声も聞かれそうだが、仕方ない。面白いのだ。
 渥美は、「カナダ西部の美しい森と海岸線に沿って居住する集団(人類学では一般に『北西海岸先住民』と呼ばれる)の一つであるサーニッチの人々の文化復興運動と民族的アイデンティティの関係の研究」を専門とし、長いこと在野で研究を行ってきた文化人類学者である。私たち(いわゆる体育系の人間)とは明らかに異なる文化的背景をもって世の中を眺めている人である。
 だから、渥美との会話は刺激に満ちている。
 身体運動の捉え方について、感覚的には気づいていたものの言葉で考察することはできずにいたことに、様々な切り口で見るヒントを与えてくれるのである。己の肌感覚だけで分かっていた(と自己満足に浸るしかなかった)ことを“文(章)化”することで、人に伝えることができる醍醐味に気づかせてくれるのである。
 さらに言えば、本書を読むと、自然(nature)と文化(culture)という用語が、実はもっと深い意味を持って考察されるべき言葉であったことがわかる。
“身体運動”とは何か、その捉え方が昨日までと変わること、実に愉快である。モノの考え方が変わると、世の中が違って見えるからだ。
“運動には人が出る”ように、“文章には人が出る”。一語一語、噛みしめるように丁寧に綴られる本書には、渥美の人となりが凝縮されているようだ。日頃の付き合いの中で、分かったような気になっていた勘違いを恥じ入るとともに、この人の本質が垣間見ることができたようで嬉しい(これも早とちりかもしれないが)と、本書を読んで思うのである。
(板井 美浩)

出版元:春風社

(掲載日:2016-06-10)

タグ:文化人類学 
カテゴリ その他
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早稲田アスリートプログラム テキストブック 大学でスポーツをするということ
早稲田大学競技スポーツセンター

 早稲田アスリートプログラム(WAP)は、大学創立150周年に向け、スポーツの価値を高めていくべく2014年度に開始された。なぜ「大学」でスポーツをするのか、一大学の取り組み例として読み進められる。内容は、地域貢献やチームマネジメントをはじめとした求められるスキル、そして生活管理やメディカルケアなどの持っておくべき知識のテキスト化がメイン。さらには、メディアとの関わり方やセカンドキャリアといった、部員をどうサポートするかにも触れている。勝利を追求するだけでなく、社会のリーダーたる人間になる、育てる。スポーツ界全体が目指すべき方向が浮かび上がるとともに、選手が関わる各領域、その中におけるスポーツ医科学の位置づけも再確認できる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:BookWay

(掲載日:2016-09-10)

タグ:アスリート 大学スポーツ セカンドキャリア 
カテゴリ その他
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プロアマ共用 野球選手に贈る試合に勝つためのマル秘偵察術
神原 謙悟 大利 実

高校チーム、大学チームでアナリストを務め、プロ球団でゲーム分析を担当する神原氏。オリジナルの分析シートを公開し、その記録方法と、集めたデータから見えてくることを紹介していく。膨大な情報を収集し分析するというのは野球やチーム球技の特性かもしれないが、情報の活用という意味ではさまざまな種目に通じる。実際、試合毎に変わる要素がありデータが万能ではないこと、選手・指導者とのコミュニケーションのコツについてなども言及されている。また、「偵察」は敵に限らず、自チームの課題や長所を明らかにするものでもある。うまくデータを強化に結びつけたい。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:日刊スポーツ出版社

(掲載日:2017-03-10)

タグ:偵察 スカウティング 分析 
カテゴリ その他
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近代スポーツのミッションは終わったか 身体・メディア・世界
稲垣 正浩 西谷 修 今福 龍太

 一見、スポーツ科学の専門家が科学的な見解から書いている著書だと思いきや、著者は文化人類学者、フランス文学者、外国語大学のスポーツ史学者といった文系の専門家が近代スポーツとその向かう方向性について討論した内容が載っている本であった。
 1章は「スポーツからみえる世界」、2章は「オリンピックからみえる世界」、3章は「21世紀の身体」、4章は「グローバリゼーションとスポーツ文化」と、幅広いテーマで語られているが、討論形式である為、各章のタイトル以外にも様々な点について言及されており、読者の世界をどんどん広めてくれる構成といえる。
 私は従来、トレーナーとして、また医療従事者として、身体を科学し、クライエントや患者の抱えている問題を解決し、目標を達成させる立場にある。つまり、かなり理系の思考回路をもって人の身体やスポーツを見つめてきた。しかし、この明らかな文科系の第一線級の著者たちは、全く違う考え方でスポーツや人の身体を捉えており、彼らが論じたスポーツや人の身体の世界は、私に新たな考え方を提供してくれた。
 とくに、近代化、科学的根拠に裏付けられ過ぎたサイボーグのような近代アスリート、勝ちにこだわり過ぎたことでエンターテイメント性を失った戦略、スポーツが本来持つべきナショナリズムや政治性をはき違えた放映の仕方をするメディア、平和性や安全性を高めすぎた結果のリアリティ喪失について、危機感を持つ考え方は非常に新鮮であった。
 本書はスポーツ観戦をもっと楽しむためのアイデアだけでなく、この国のスポーツ産業活性化のヒントを与えてくれている。スポーツに関わる様々な職種(トレーナー、スポーツマーケティング関係者、監督、政治家など)の人にぜひともお勧めしたい。
(宮崎 喬平)

出版元:平凡社

(掲載日:2018-01-15)

タグ:スポーツ史 文化人類学 哲学 
カテゴリ その他
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人口の心理学へ 少子高齢社会の命と心
柏木 惠子 高橋 惠子

 少子は、確かに問題ではあるが、実はそれは解決方法でもあった、というのが本書を読んでの率直な感想である。 問題として提示されているものが、なにかしらの結果であるというのはよくあることで、少子化に限らず何かの課題、問題を理解するのに有用な視点であると言える。
 医療をはじめとした科学技術の進歩は、不慮の死を人類から遠ざけ、生活の糧を得る、子どもを育て上げるといった、旧来の価値からの解放をもたらした。現代的に言えば、自分らしく生きる、という時代になった。とくに、女性においての変化は大きく、かつてない価値観の変化がもたらされている。
 子どもを産むということが、授かるものではなく、選択するものになり、ある種のリスクとして捉えられるようになった。現代社会の課題とされていることの多くが、そこに至る背景やそこからもたらされる人々の心理を抜きには考えられないことが示されている。人類史上、だれも経験したことのないこの少子高齢化という事態に、しかもそれが、かつてあったどのような変化よりも短期間に起こっているということに、どのように適応していくかの答えは誰も持ち合わせていないのが現実である。ならば、まずは本書のように、目の前の世界の実際をつぶさに観察し理解することから始めなければならないと思う。
 本書の内容を、受け入れがたい人も大勢いるであろうが、少子高齢化を問題として捉えそれを解消しようとするのは、臭いものに蓋をするだけであろう。抗いがたいこの大きな流れの中で生きていくためには、これまでにない柔軟な思考や行動が求められる。それは、自分自身で考えていかなければならない、困難な時代であると言えるが、自分に見合った世界が見つけられるかもしれない機会に恵まれた時代でもある。
 意外と、生きやすい時代かもしれない。

(永田 将行)

出版元:ちとせプレス

(掲載日:2018-09-03)

タグ:少子化 少子高齢社会 
カテゴリ その他
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レジリエンス 復活力 あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か
アンドリュー・ゾッリ アン・マリー・ヒーリー 須川 綾子

 「レジリエンス」という言葉はあまり聞き馴染みがないかもしれない。直訳すると「回復力」「反発力」。辞書的には「外部から力を加えられた物質が元に戻る力」「人が困難から立ち直る力」を意味するとされている。外から力を加えられてへこんだボールが反発で元に戻る様子を想像してもらえるとわかりやすいかもしれない。

 本書では、はじめにレジリエンスとは何かについて例を挙げて説明し、本書内におけるレジリエンスの定義づけを行ったのち、レジリエンスの法則や原則、事態に対するアプローチの方法やもたらす効果について述べ、レジリエンスにおけるこれらの概念を多くの事例から考察し、特性について問い直して理解することを目的としている。

 実際に読んでいただかなければ、この本の本質は伝わらないと思う。非常に密度の濃い一冊となっており、一度で読み切ってすべてを理解することはまず不可能だろう。多くの時間をかけるだけの価値はある一冊だと思うので、章ごとや事例ごとに読み終えたら内容を自分なりにまとめて理解することを繰り返し、時間をかけてじっくり読み進めることをおすすめする。世界では困難や望ましくない状況がいくらでも発生し、時には予想だにしなかった困難がふりかかってくることもある。レジリエンスについて理解し必要な知識を積み重ねることができれば、所属する組織や集団、または自分自身が困難に立ち向かう際に役立つことだろう。

(濱野 光太)

出版元:ダイヤモンド社

(掲載日:2019-08-23)

タグ:レジリエンス 
カテゴリ その他
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スポーツ戦略論 スポーツにおける戦略の多面的な理解の試み
上田 滋夢 堀野 博幸 松山 博明

 スポーツにおいて、「戦略」という言葉が使われるのはどういう場合だろうか。一つの試合に勝つため、1点を挙げるための方策をそう呼ぶことがあれば(しばしば、この点では戦術との混同が起きる)、長期的なチームづくりのプランをそう呼ぶこともある。プロのチームであればマーケティングの戦略は必須であるだろうし、現代はスタジアムの建設や再開発と結びついた「スポーツとまちづくり」といった戦略も叫ばれる時代になってきた。

 本書では、スポーツにおける「戦略」の枠組みを明確にすることを目的に、16名の執筆者がさまざまな角度から論じている。ひとつの挑戦的な取り組みと言えるだろう。本書の面白さは、各執筆者のバックグラウンドや活動の領域が多岐にわたっているところである。そのため、同じ「スポーツ戦略」というキーワードのもとで論じてはいるが、全体として、スポーツの非常に幅広い領域をカバーしている。

 全部で5章、18講で構成され、歴史を紐解きながら戦略という概念を整理する講があれば、マーケティングの観点からリーグ機構の戦略を論じる講がある。また実際の大学サッカーチームを例に学生アスリートの組織構築の戦略を紹介する講があれば、柔道が戦後のスポーツ化の中で採用してきた戦略を紹介する講があるといった具合である。

 こうした構成であるため、読者は章題を見て、自分の興味のあるところから読み始めることができる。「スポーツ戦略」というキーワードをまず俯瞰的に眺めるための一歩目となりえる一冊であろう。

(橘 肇)

出版元:大修館書店

(掲載日:2019-09-18)

タグ:戦略 
カテゴリ その他
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ラグビーは頭脳が9割
斉藤 健仁

 2019年ラグビーワールドカップが始まりました。初戦で日本代表はロシアに勝利しましたが、前回のワールドカップで勝利するまでは24年間白星から遠ざかっていました。体格的に劣るといわれた日本が変わったのは「スマートなラグビー」を目指したからでしょう。コンタクトスポーツである以上、体格は重要な要素であることは間違いありませんが、日本人の持つスピードを活かすことで、日本人らしい戦い方を模索し始めたことが契機になりました。

 スマートなラグビーを支えるのは戦術。本書は日本代表、トップリーグ、大学、高校と強豪と呼ばれるチームがどのような戦術を立て強くなっていったかを解説したものです。チャートを使った戦術の説明は、ラグビー経験のない人でも容易に理解できます。選手たちの動きが頭の中で映像となって甦ってきそうです。

 単なる作戦の説明にとどまらず指導者の考え、悩みなどもドキュメンタリーな進行で描かれていますので戦術面のドライさと精神面のウェットな部分が本書を立体的なものにしていると感じました。

「頭脳が9割」とタイトルにはありますが、あくまでもプレーするのは人です。個人の考え方や特性と戦術が適合してこそ勝利に結びつくというもの。頭脳を使うというのは単に作戦を考えるだけではなく、チームとしての方向性を考え、プレーする選手の判断力を高めたものがチーム全体で機能するところまで考え抜かないといけないようです。「人があって方法があり、方法があって人がある」パナソニック監督のロビー・ディーンズの言葉通り、人と戦術が合致するところまで高められたチームのすごみが文章の中から伝わってきます。こういったラグビーの楽しさは実際にゲームを見るときに大いに役立つでしょう。

 スポーツは生き物です。今、高校生から代表チームまで日本中のラグビーが変わろうとしています。期待したいですね。

(辻田 浩志)

出版元:東邦出版

(掲載日:2019-09-24)

タグ:ラグビー 
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不合理だらけの日本スポーツ界
河田 剛

 2008年北京オリンピックでのメダル獲得数:25個。この集計の母数が何か、わかるだろうか。
 そう、これは、日本がこの大会で獲得したメダルの総数である。そして同時に、アメリカ・カリフォルニア州にある名門スタンフォード大学1校から、同大会で輩出されたメダリストの総数でもある。

 これが何を意味するか。「極論ではあるが」と前置きした著者の言葉を借りて説明するなら、一方は競技だけに集中してきた、また、そうすることが許される、またはそう仕向けられているアスリートがとったオリンピックメダルであり、もう一方は、将来を見据えたうえで、勉強などいろいろなことに取り組んでいる学生アスリートがとったオリンピックメダルである。

 イギリスの高等教育専門誌が発表しているThe World University Rankings 2020で、日本で最も高い順位にランクインしたのは東京大学の36位。それと比較して前述のスタンフォード大学は第4位と評価されていることからも、そこに通う学生たちがいかに日々勉学に励み、高いGPAを維持して卒業していくかは想像に易いだろう。日本で、ここまで世界トップレベルの文武両道を体現している競技アスリートは一体どのくらいいるのだろうか? それは、個人の努力や意識という範囲の責任ではなく、私たちの社会が、どれだけアスリートたちが、競技だけでなくセカンドキャリアにつながる勉強を両立させられる体制を整え、当たり前にサポートするシステムを作っていないかという問題なのである。

 この本の著者である河田剛氏は、日本でアメリカンフットボールの選手、コーチを経験したのちにアメリカに渡り、2007年からスタンフォード大学のアメリカンフットボール部のコーチとしてチームに勤務されている。冒頭で紹介した日本とアメリカでのオリンピックメダリストの生まれ方の違いがなぜ起こるのかを、日本で生まれ育ち、アメリカのトップ層を見てきた日本人の視点で解説し、タイトル通り「不合理な」日本スポーツ界の在り方に警鐘を鳴らしている。

 本書で言及されているアメリカのスポーツにあり、日本のスポーツにないもののいくつかを列挙してみよう。きちんとお金を集めて流すシステム。充実した指導者育成システム。先進的なスポーツメディカルチームによるサポート。メディアリレーションの専門家。マルチスポーツ(複数のスポーツ)をプレーする文化。引退後のセカンドキャリア支援体制…などである。いずれも、どんなレベルであれスポーツに関わる人であれば、関心の高いキーワードばかりではないだろうか。アメリカのスポーツ業界が日本のそれよりよっぽど成熟しているというのは、スポーツに深く関わりのない人でもなんとなくイメージできるだろう。本書では、それが実際どのような事実として違いがあるのか、多数の具体的なエピソードとともに丁寧に解説されている。

 本文中で何度も述べられているが、筆者は日本人の勤勉性や国民性、これまで培ってきた社会の仕組みを一切否定し、アメリカのやり方が全てよいと言いたいわけではない。しかし、いろんな局面で「合理的」とはかけ離れた日本のスポーツ界が、効率的に成果をあげるシステム構築が圧倒的にうまいアメリカの手法から学べることを積極的に吸収し、体制を変化させていくことが、きたる2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功と、その後の発展の鍵となることは間違いないだろう。

(今中 祐子)

出版元:ディスカヴァー・トゥエンティワン

(掲載日:2019-10-15)

タグ:教育 文化  
カテゴリ その他
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ことわざ比較の文化社会学 日英仏の民衆知表現
金子 勇

 本書は日本語のことわざ・英語のことわざ・フランス語のことわざをそれぞれ比較し、筆者の評論が続くという形式で書かれています。感想として国が変わっても似た表現というよりもほぼ同じ表現をしていることわざの多さに驚きました。
 「ことわざ」とは、風刺や教訓などを盛り込んだ言葉です。国や文化が変われば当然表現も変わるはずですが意外に類似のことわざが多く、洋の東西を問わず生きていくうえで気をつけないといけないことはさほど違いはないことに気づかされます。もっとも類似性の高いものを集めてきたということも考えられますので、多少は割り引いて考えた方がいいかもしれません。
 タイトルの通り本書はことわざの比較がメインではなく、文化社会学の方が主体となります。この着想は実に新鮮で、ことわざというフィルターを通じて文化社会学を語るという珍しいスタイルになっています。とりわけ筆者が専門分野とする項目では迫力を感じる論調になります。その反面社会学の範疇を通り越してお雑煮やベンチャーズ・王貞治の一本足打法などその時々の風俗についても話題が広がり、お堅い部分と穏やかな部分とのギャップが筆者の人となりを表しているように感じました。
 ことわざは古い時代から受け継がれてきた教訓ですが、現代の時事問題と重ねることでこの時代の課題も浮き彫りになり、昔の言葉が今の時代の言葉として生命を持つことが改めてわかりました。2020年を象徴する新型コロナウイルスの話題が昔からの言葉で表現されていましたが、ニュースなどを読むよりもリアルに感じてしまいました。

(辻田 浩志)

出版元:北海道大学出版会

(掲載日:2021-01-04)

タグ:ことわざ 
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日本武道の武術性とは何か サピエンスと生き抜く力
志々田 文明 大保木 輝雄

 武術は戦や狩猟の中から生まれたもので、戦の相手や動物を殺傷することを目的としていました。ところが徳川の安定した時代になると戦う機会もなく、一番必要とされた戦闘スキルも活躍の場を失います。軍隊でもあり兵士であったはずの武士も、その役割が政治であったり行政であったり仕事の内容も変わりました。そんな時代に武術に身が入るはずもなく、武術そのものの価値なり目的なりが見失われそうになりつつあるとき、新たな目的や価値観を見出し、戦闘の術から身心を鍛えるための武道へと変わっていくさまを学術的に記したのが本書です。
 価値観はその時代で変わるものですが、ここ200年ほどで「人権」という概念が生まれ、人を殺傷する行為は、すなわち人権侵害であり「暴力」と呼ばれ社会的に嫌われる行為となりました。もちろん私たちの時代は生まれながらに人権を持っていますので、ある時代から「人権」や「暴力」という概念ができたというのは驚かされました。それ以前の時代背景では敵をやっつけて戦に勝つということは名誉なことであり、それが「暴力」と呼ばれ否定されるという逆転の時代の中でどうやって武術の生き残りをかけて新たな価値の創造をしていくかが1つのテーマとして書かれています。
 戦うことこそが武術・武道の中心的要素なわけですから、精神的な修行とともに「武術性」にこだわるのはもう一つのテーマになっています。近代においてはスポーツとして存続している武道もありますが、「武術性」「精神修養」「怪我や事故を防ぐ」「暴力性の否定」などは今の時代も重要な問題点として議論されています。
 時代時代の環境にアジャストしなければ生き延びることができないという点で、武道もまた生物同様の難しさがあることを教えられました。中には、消えていった武術もあるはずです。文化や芸能もまた然り。長い時代を生き続けるものもあれば、ひっそりと消えていくものもあったでしょう。本書の核になるのは「臨機応変」という姿勢だと感じました。変化することで生まれる問題点も上手く取り込んでいくたくましさと知恵こそが最も学ぶべきところでしょう。


(辻田 浩志)

出版元:青弓社

(掲載日:2021-01-21)

タグ:武術 武道 
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スポーツにおける逸脱とは何か スポーツ倫理と日常倫理のジレンマ
大峰 光博

 副題の「スポーツ倫理と日常倫理のジレンマ」については、スポーツに携わり仕事をする一人として、私自身も考えたことはあるが、確信がもてるほどの答えを見出したことはない。スポーツ経験がある人であれば、自分自身と指導者との適合、チームの中での立ち位置、その競技をすることの意味など、一度は考えたことがあるのであろう。
 まえがきにある筆者のお気に入りの表現、「たかがスポーツ・されどスポーツ」は、スポーツが様々な社会問題に対して周辺に位置しているからこそ役立てることがあるという考えからだと述べている。それは、まさに私自身が日ごろ考えていたことと合致するものだった。
「多くの問題を抱えるスポーツから逃れられない人間」と自称する著者が、川谷茂樹氏や中島義道氏らの日本を代表する哲学者の知見と、カントなどの海外の歴史的な哲学者や、近現代の様々な発表や論文から、日本で問題になっているスポーツにおける問題を、哲学や倫理の面から解説・示唆している著書である。
 本編前半では、試合中のジレンマとして、バスケットボールのファウル・ゲームやサッカーのトラッシュトーク、野球の報復死球などについて解説されている。当該競技の指導に携わる者にとって、少なくとも一度は考える問題なのではないだろうか。 後半には試合外のジレンマとして、体罰や連帯責任を取りあげている。組織運営や日本特有の運動部活動の問題を、組織への従属メカニズムをもとに解説し、発展として、不祥事に対する対外試合禁止処分や無観客試合処分などの組織決定の是非を考える機会も与えてくれている。
 私が一番印象に残ったのは、哲学的には、スポーツにおける人種、性、身体障がい、階級などに対する差別は、むしろ社会で存在している差別がスポーツの場面で表面化しただけだが、この差別を生み出す、差別感情や差別意識はスポーツによってより多く生み出されるということだ。多くのスポーツの場合、この差別意識を生み出さないことは不可能ととも述べている。文中、筆者が衝撃だったと挙げる、「スポーツは勝者に優越感というより、敗者に劣等感を与える。人はスポーツに限らず、良いことを目指す限り差別はなくならない」という中島氏の主張は、私自身にとっても衝撃的なものだった。
 また、私自身の価値観と大きく違い、発見を与えてくれたのは、必ず人との比較において成り立つ競技スポーツにおいては、順位や優劣をつけることが目的であり、個人の「向上心」については、集団に属する限り、集団の目標達成にはなんら結びつかないということだった。哲学的に考えると「向上心」は向上心がない人を見下すことにつながる。深く考えず、美化され、推奨されるべきものとして認識していた「向上心」について深く考えさせられた。
 差別や偏見の根源は「よく考えないこと」と文中でも述べている。だが、やはり考えれば考えるだけ、スポーツと日常倫理の間にはジレンマも生まれる。トップアスリートは他者に対して容赦なく抜きん出る意志を持つことが必須であり、貪欲な姿勢と圧倒的なパフォーマンスが、我々に感動をもたらすことに疑いの余地はない。
 スポーツが包含する構造的特質を理解し、スポーツに対して、過度に美化せず、過度に卑下しない意識をもつことが重要とする筆者の考えに共感する。哲学的に考え、社会倫理と照らし合わせて考えることが、スポーツと日常生活のギャップで生まれるジレンマを考える手がかりになると実感することができた。
 スポーツ自体を考える大きなきっかけになる一冊となった。

(河田 絹一郎)

出版元:晃洋書房

(掲載日:2021-02-06)

タグ:倫理 
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近代スポーツの誕生
松井 良明

 イギリス発祥のスポーツは数多くありますが、イギリスのスポーツの歴史を紐解くことでスポーツそのものの歴史が見えてくるかもしれません。スポーツといっても近代におけるスポーツとはずいぶんイメージが異なるものであることがわかります。本書においては「闘鶏」と「拳闘」に焦点を当て、近代スポーツとは異質なスポーツの原点を解説し、スポーツの変遷がまとめられています。
 本書のカギとなるワードは「ブラッディ・スポーツ」。今の時代なら野蛮だと顔をしかめる方も多いとは思いますが、「流血」こそが人々が熱狂する要素だったようです。18~19世紀とは価値観も異なりますが、大っぴらに言えなくなっただけで人は血なまぐさいことが好きなのかもしれません。また今の時代、動物愛護の精神が社会規範にまで高まりましたが、キツネ狩りや闘牛などが行われてきたヨーロッパにおいてはアニマルスポーツは当然の存在だったようです。本書は単純にスポーツの歴史だけを見るものではなく、当時の社会の中のスポーツとして書かれていますのでスポーツを取り巻く環境がリアルに見えるのが大きな特徴となります。それとスポーツに向けられる興味が娯楽であったり賭博であったりスポーツそのものだけではなく付随する要素がスポーツのあり方に大きな影響を及ぼしているのがわかります。現代においても賭博という要素は法律上で枠組みが決められてはいますが、決してなくなったわけではありませんので現代にも通じる問題となります。
 人間の野蛮な一面も、昔の問題として切り捨てることはできません。それでもジェントルマンとして理性を保とうとする社会的なジレンマは今の時代にも共通するのであり、人間の本性と理性が拮抗する中でスポーツが変化を伴いながら存在してきたという歴史。あくまでも過去のイギリスが舞台として書かれていますが、むしろこれからのスポーツのあり方にも関わる歴史なのかもしれません。
 価値観は時代とともに変わります。未来のスポーツが現状のままではないことは本書に書かれた歴史を見れば想像できそうです。100年先200年先のスポーツがどのような変化を遂げるか気になってきました。

(辻田 浩志)

出版元:講談社

(掲載日:2021-06-15)

タグ:スポーツの歴史 闘鶏 拳闘 
カテゴリ その他
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MEDICAL YellowPage
水島 洋

医療関係者でインターネット環境を持っている人には待望の書。「お薦めWWWサイト」を中心に国内外2000件を超える情報アクセス先を紹介している。専門分野別、提供形態別と大まかな分類から、学問領域別までカテゴライズされており、まさに医療関係者のイエローページ、医学情報のエントランス。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:南江堂

(掲載日:2000-01-10)

タグ:情報源 
カテゴリ その他
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哲学的フットボール
マーク ペリマン Mark Perryman 見田 豊

「哲学」と「フットボール」をマッチメイクした面白い試みの本である。内容は、ポジションの特徴にそれぞれ哲学者のパーソナリティを当てはめていきながらゲームが展開されていくというもの。メンバーの思想なり主張なりをあらかじめ頭にインプットしてから、読み始めることをお勧めしたい。




(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:日経BP

(掲載日:2000-01-10)

タグ:哲学 フットボール 
カテゴリ その他
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現代スポーツ評論
中村 敏雄

スポーツは文化遺産
「スポーツは今どこにいるのか?」とサブタイトルが問う。この抽象概念を追求するとともに、スポーツを文化遺産として捉える視点を国民共有のものとしていくことの重要性を説いていこうと創刊された。編者は、長きにわたり文化とスポーツの関わりを論じてきた中村敏雄氏・元広島大学教授で、著者にはスポーツ科学者、ジャーナリスト、スポーツライター、スポーツチームの監督など様々なラインナップが並び、それぞれ現在のスポーツが抱える問題をシビアに見据えながら提言する。
 中でも、編者の中村氏と清水諭氏・筑波大学講師らが語らう「メディアが果たしてきた役割と責任」は、まさに今日的課題である。ロサンゼルスオリンピック(1984年)辺りを境にスポーツビジネスが加速度を増したが、その車軸にはメディアがあったことは周知の通りである。エンターテインメントとして誰もが楽しめるスポーツという点では、メディアの功は大きかったと言える。しかし、スポーツとメディアが並走しながら時を重ねるうちにスポーツシーンを「伝える」はずのメディアが、視聴者を「操作する」ようになってしまったとも彼らは言う。一方、そうした反省からあまりお金をかけなくても楽しめるんだよと言うのが、ワールドゲームスの誕生と発展だ。2001年に秋田県で開催されることでよく知られるようにもなってきたが、こうした価値を想像するような動きは大いに期待できる。それらを含めて、様々な視点からスポーツを眺めると同時に、骨太なスポーツジャーナリズムを模索する姿も興味深い。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:創文企画

(掲載日:2000-03-10)

タグ:評論 
カテゴリ その他
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運動分子生物学
大日方 昂 山田 茂 後藤 勝正

近年、遺伝子技術を駆使した筋細胞の分子生物学的研究が進み、筋に対する新たな知識が加えられている。この本では、運動によってもたらされた信号を受けた筋が、どう応答し特性を変えるのかというテーマを踏まえながら、運動器官としての筋の構造と構成分子、さらには仕組みについて述べられている。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:ナップ

(掲載日:2000-07-10)

タグ:分子生物学 
カテゴリ その他
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スポーツ・イヤーブック ウィナーズ2000


冒頭、ウィナーズ編集長は「どんな本かと問われれば、『暇をつぶすための本』とあえて答えたい」と控えめに述べているが、スポーツ版「現代用語の基礎知識」「知恵蔵」、もっと言えばスポーツ界のアーカイブスは、スポーツ・インフォマニアたちの必需品だ。ところで、2001年には『ウィナーズ2001』が出るそうだ。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:新潮社

(掲載日:2000-07-10)

タグ:記録 
カテゴリ その他
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感じがいい「そのひとこと」の言い方
今井 登茂子

特別なことではない、ごく常識的かつ基本的な「そのひとことの言い方」というものが乱暴だったり、あるいは忘れられてしまったりすることで、コミュニケーションがうまくいかないことがある。「そんなときどう言ったらよいのかわからない」という人のために、コミュニケーションのプロが著した本。




(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:講談社

(掲載日:2000-07-10)

タグ:コミュニケーション 
カテゴリ その他
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資料でみる女性とスポーツ2000
JWS「女性スポーツ白書」作成プロジェクト

女性のスポーツ参加を促進するための課題に迫る第一歩として、参加状況や教育、身体、取り巻く環境など、女性スポーツに関わる基本的なデータが詰まったレポート集。Japanese Association for Women in Sport(JWS)の活動と合わせて一読をお薦めする。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:

(掲載日:2000-11-10)

タグ:女性 
カテゴリ その他
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この方法で生きのびろ!
Joshua Piven David Borgenicht 倉骨 彰

「呼吸が止まってしまったとき」「大地震に遭遇したとき」「山で遭難したとき」「脚を骨折したとき」……。絶体絶命そのときどうすればいいのか、というテーマに答える40のサバイバル術を紹介。一風変わった本だが、突発事態にどう対処するかというスポーツにも通じるヒントがそこかしこに。


(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:草思社

(掲載日:2000-11-10)

タグ:サバイバル 
カテゴリ その他
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スポーツ倫理を問う
友添 秀則 近藤 良享

ドーピング、リンチ・暴力、セクハラ、補助金の不正流用、そしてスポーツ構造の変革──。この本は、そうした現代スポーツが投げかける、あるいは直面する様々な難問に対し、「感情論」「損得勘定論」ではなく、倫理的な立場から誠実に捉え直していこうとする友添、近藤両氏の共同レポートである。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:大修館書店

(掲載日:2000-12-10)

タグ:倫理 
カテゴリ その他
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研究者
有馬 朗人 松本 元 野依 良治 戸塚 洋二 榊 佳之 本庶 佑

成功するための“研究力”“独創力”を身につける方法について、第一線の研究者ら13名に聞いた内容が編まれている。成功する研究者に必要な資質、独創力を伸ばす方法、評価される研究者の条件などを収録。「ブレークスルーを生み出すカギはどこにあるか?」など研究者でなくても興味が湧く内容である。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:東京図書

(掲載日:2001-01-10)

タグ:研究 
カテゴリ その他
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スポーツ・ヒーローと性犯罪
Jeff Benedict 山田 ゆかり

スポーツ界でこれまであまり調べられなかった、「人気スポーツ選手の特殊なライフスタイルが女性に対する虐待行為を触発する」ということにメスを入れるために書かれた異色の本。性暴力に遭った女性、被告側弁護団、判事、陪審員、コーチやエージェントなどに対する綿密な取材から見えてくるものは何か。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:大修館書店

(掲載日:2001-03-10)

タグ:性犯罪 
カテゴリ その他
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20世紀スポーツの肖像 心に残るアスリートたち
日本スポーツプレス協会

ルイス、ペレ、アリ、コマネチ、ビット、ジョイナー、ナブラチロワ、長嶋、山下、野茂、セナ、ジョーダン……。20世紀のスポーツを飾ったアスリートたちの感動的な“瞬間”を切り取った──。単なるスポーツ写真集に留まらず、スポーツとともに移り変わる時代をとらえた珠玉の一冊。





(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:学研プラス

(掲載日:2001-03-10)

タグ:写真 
カテゴリ その他
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ちょっとした接客サービスのコツ すぐまねできる顧客満足100のヒント
今井 登茂子

顧客の心を満たし、「また来よう!」と思ってもらうためにはどうしたらよいか。初対面のお客さんの心を満たすにはどんな工夫が必要か。「説明にイメージワークをプラスする」「2人揃って食べ終わるまで待つ」「歓迎のコツは半歩前進」など、接客のプロが人間の心理を突いた100のヒントをまとめた。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:オーエス出版社

(掲載日:2001-03-10)

タグ:接客 
カテゴリ その他
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シドニー!
村上 春樹

「そんなもの、ただのメダルじゃないか。オリンピックなんてちっとも好きじゃないんだ」という帯にあるセンテンスは、必ずしも中身を象徴していない。シドニーオリンピックと並行して過ごした“村上氏の”Sydneyを、自身で懇切丁寧に記したものであるから、サイドストーリーを味わいたい人にはお薦めだろう。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:文藝春秋

(掲載日:2001-05-10)

タグ:オリンピック 
カテゴリ その他
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サッカー批評原論 ブラジルのホモ・ルーデンス
今福 龍太

2008年に出版された著書の再編である。タイトルの「ブラジル」は国名でなく、人間の身体を野生に向けて解放するユートピア。「ホモ・ルーデンス」は文化史家のホイジンガがヒトに与えた、遊ぶ人という意味の学名だ。ブラジルのホモ・ルーデンスが遊ぶサッカーに対して、近代スポーツとしてのサッカーは教育や政治やマーケティング、テクノロジーといった小世界に閉じ込められている。本書は、文化人類学者の今福氏が、起源、伝播、戦術、ファンダムなど 9 つの原論から、サッカーの遊び心や美学を探求し、考察していく。すっきり「わかった!」とはならないかもしれないが、「あれがそうだったのか」という発見がある。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:コトニ社

(掲載日:2021-01-10)

タグ:サッカー 
カテゴリ その他
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スポーツライフデータ2000
笹川スポーツ財団

「アクティブスポーツ人口は、1700万人(成人の6人に1人)で、その割合は8年間で約3倍に」「プロ野球観戦が一番人気で、マラソン・駅伝が2位」「増加傾向のスポーツボランティア、実施希望が高いのは若年層」など、SSF笹川スポーツ財団が隔年で行っているスポーツライフデータの集積結果。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:笹川スポーツ財団

(掲載日:2001-07-10)

タグ:データ 
カテゴリ その他
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十二番目の天使
Og Mandino 坂本 貢一

愛する妻と子どもの事故死という突然の不幸にさいなまれてしまった者が、リトルリーグの監督を引き受けたことによって再生を遂げていく物語。チームの“お荷物”的な立場にいた選手が、監督だけでなく周りの選手たちにまでも、「絶対、あきらめない」不屈の精神を宿す。特に、ジュニア期の指導者にお薦め。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:求竜堂

(掲載日:2001-07-10)

タグ:野球 
カテゴリ その他
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突然ですが、宮古島に行ってきます! トライアスロン200キロへの挑戦
峰岸 徹

 54歳になるまで、ほとんど運動経験がなかった峰岸氏が、映画出演を機にトライアスロンと出合い、そして挑戦、見事完走するまでを綴ったノンフィクション。合計200km以上にわたる宮古島トライアスロン大会という、あまりにも眩しい目標に向かって進んだ峰岸氏の記録。中・高年の方々にもお薦め。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:ランナーズ

(掲載日:2001-10-10)

タグ:トライアスロン 
カテゴリ その他
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健康観・健康づくり変遷の概論 民間型スポーツクラブ編
長掛 芳介

 サブタイトルに「民間スポーツクラブ編」とある。昨今のスポーツクラブブームを遡って整理しているのには「なるほど……」と思わされるが、それよりも前半にある「養生訓」などから受けた健康観が面白い。「健康の増進」「衛生」なんていう言葉がなかった江戸時代から、さらには太古にまで起源を探る。



(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:世論時報社

(掲載日:2001-10-10)

タグ:健康 
カテゴリ その他
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スポーツ文化の脱構築
稲垣 正浩

 優勝劣敗、勝利至上主義を押し出してきた一元的な欧州産近代スポーツの歴史は潰え、多様化したスポーツの時代が始まろうとしている。こうした認識に立ち著者は、再構築ではなく“脱構築”を唱える。ではいったい脱構築とはどういうことか? ややとっつきにくい口調ではあるが、深く読み応えのある本である。


(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:叢文社

(掲載日:2001-12-10)

タグ:文化 
カテゴリ その他
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よく効く! キネシオテープ療法 自分で貼って痛みや不快症状を撃退する画期的テープ療法
加瀬 建造

 1985年に刊行された『すぐ効くキネシオテープ療法』の最新版・第2弾。月日を経て、様変わりしたテープの貼り方や種類などを中心に解説している。腰痛、ギックリ腰、肩こり、膝痛、捻挫、坐骨神経痛、腱鞘炎……など、様々な症状に効果的とされるキネシオテープ療法のノウハウが詰まった本。






(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:マキノ出版

(掲載日:2001-12-10)

タグ:キネシオテープ 
カテゴリ その他
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游心流武術(ビデオ)
長野 峻也

 「游心流武術健身法」という活殺両面を体系化した武術の側面を紹介したビデオ。これまで、型稽古を主体とする中国武術、古武道、合気武道などの流儀は、常に“実用性”という疑問の目を向けられていたが、これを格闘技的な観点からではなく、武術的戦闘原理の観点から解析したという一巻。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:アートマン・プロジェクト

(掲載日:2001-12-10)

タグ:武術 
カテゴリ その他
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「次の一球は?」野球脳を鍛える配球問題集
川村 卓

 配球といえば、これまでは実践で経験を積むことで身につけるものだった。データの収集や解析が進んだ今、紙面で学べる問題集がまとめられた。ピッチャーの持ち球やバッターの特徴、ボールカウント、ランナーの状況などに応じて、望ましい配球を解説する。とはいえ、あくまで正答「例」であり、本書の内容を自分たちに「当てはめるのではなく考える元に」と著者も記している。ピッチャーとキャッチャーが本書を通して配球の基本を共通認識として持っておけば、心理状態に応じてアレンジしたリ、バッターの裏をかくことなどもできるだろう。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:辰巳出版

(掲載日:2021-03-10)

タグ:配球 
カテゴリ その他
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スポーツマーケティングの世紀
海老塚 修

 国際スポーツイベントが、メディア、企業、スポーツ用品メーカー、自治体・国家をどう巻き込んでビジネスを成しているのか。スポーツマーケティングの第一線で活躍してきた著者が、「世界陸上」を筆頭に数々のスポーツイベントのマーケティングをドキュメントタッチで紹介しながら、その面白さを示す。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:電通

(掲載日:2002-02-10)

タグ:マーケティング 
カテゴリ その他
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不幸に気づかないアメリカ人、幸せに気づかない日本人
小林 至

 当然のことながらスポーツ界にも影響を及ぼしている構造不況、リストラ。「そんなことで参っていることはないよ」というメッセージがこの本からは伝わってくる。それは、序文にある「それにしてもすごい国をつくったものだ」というアメリカから見た日本への賛嘆句からもわかる。ウェブ編集長や雑誌のコラムなども担当した小林氏だけに非常にテンポよく書かれており、「不幸に気づかないアメリカ人、幸せに気づかない日本人」がすんなり頭に入ってくる。
 さて内容だが、小林氏が1994年にアメリカに渡って感じたこと。そして、4年間住み着いたフロリダ州オーランドをさらなければならなかった理由から“物語”は始まり、オーランドを2000年9月25日に発って同年ワシントン州シアトルに着くまでの車の旅話が、アメリカの文化や経済を介して進んでいくのである。そのほとんどが、不幸に気づかないアメリカ人の話で、それがわんさか出てくる。アメリカに希望を抱いている人には、「別に行かなくてもいいか、日本に居よっと」と思わせてくれるくらいの情報量で、ちょっと間違えば毒舌と言われてしまうだろうが、観光ではなく実際に住み着いてわかることばかりだから棘がない。
 スポーツの話も、皮肉混じりに述べられているから読みやすいということもある。例えば、アメリカ人は実はオリンピックに無関心だったり(マスメディアの影響もあって)、ヨーロッパへのコンプレックスでサッカーに見向きもせず、マラソンや柔道にはまるでマイナースポーツ扱いであること、などなど。
 そして最後に、「今こそ日本の出番だ」ということになるが、日本のよさに比べてアメリカ批判が多いというアンバランスをさっ引かずとも面白く読める本である。もうそろそろ、スポーツ界でも両手を挙げての「アメリカ礼賛」をやめなければという声が聞こえてきそう。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:ドリームクエスト

(掲載日:2002-03-10)

タグ:文化 
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人民服を着た青年海外協力隊員 率先垂範、中国トップマラソンランナーまで育て上げた杉本コーチの実記録
小松 征司

「六・四事件」、通称「天安門事件」を挟んだ1988〜90年の間に、中国(内モンゴル自治区)で陸上競技・長距離選手の指導に「海外青年協力隊員」として携わった杉本和之氏の話と、それにまつわる“異文化交流”が題材となっている。
 ドキュメンタリータッチで綴られている内容は、早稲田大学・陸上競技部出身で、近代日本風あるいは体育界気質の運動部で育った中国人学生に暴力をふるってしまったという“事件”が小さな日中問題へと発展していくところから始まる。そして、事態を収束に向かわせるべく渡中した元海外青年協力隊員の著者が、懐深い中国で感じる文化の違いや、妙などをふんだんに織り込んでできあがっている。
 1つの事件を取り囲んでいる舞台は、杉本氏を迎え入れている体育工作第二大隊(マラソン分隊)。体育工作第二大隊長、選手たち、著者である小松氏、そして本人が登場する。「なぐった」という事実がある以上、一方的に非があるのは杉本氏なのだが、なんとも真相が曖昧な状況に納得がいかない著者は、思案し解決に導こうとするが、諮らずも中国の慣習となっている答礼宴(招待を受けたら必ずお返しをする習わし)で、当事者同士の和解を見ることとなる。
 本音と建前が明確に存在するという中国で、なかなか本音を見出せないでいた著者が、全中国夏季マラソン大会や北京国際マラソンで活躍する杉本氏の“心で走る”姿勢に、当地で協力隊事業を立ち上げた自らを投影させる。スポーツを通して異文化に接することのできる本。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:文芸社

(掲載日:2002-04-10)

タグ:文化 
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B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史
大島 和人

 2020年に5 年目を迎えたプロバスケットボールリーグ・Bリーグ。FIBA(世界協会)からペナルティを受ける状況の中、川淵三郎氏が日本協会会長となり、bjリーグとNBLを統一、と報道も多くされた。だが、単純に両リーグを合体させたわけではない。多数の関係者に振り返ってもらい、著者いわく「大河ドラマ」に迫る。 リーグやチーム、日本協会だけでなく、アマチュアの歴史が長いゆえに影響力の大きかった学生連盟や地方協会の動きにも触れている。さまざまな立場・考えの人が登場するが、共通して「日本のバスケットボールの未来」のためにもがいたことがわかる。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:日経BP

(掲載日:2021-04-10)

タグ:バスケットボール 
カテゴリ その他
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死の臨床格闘学
香山 リカ

Dead Man Wrestling
─そして、静かにレクイエムが始まった

 1999年4月17日。日本プロレス界の巨星ジャイアント馬場のお別れ会に献花を添えるため、東京九段の北の丸公園を訪れた著者香山リカ。ここから物語は始まる。そして、彼女は静かにこの忘れられぬ巨人(ひと)に向かってレクイエムを口ずさみ始めたのだ。
 テレビ放送が始まったのは昭和28年。この年の8月28日に日本テレビが民間第1号として本放送を開始している。ちなみにテレビコマーシャル第1号は「精工舎(現セイコー)の時計が正午をお知らせします」という30秒ものであった。そして、奇しくもその約1カ月前に力道山が日本プロレスリング協会を結成している。この両者の奇妙な符合が、その後テレビの普及とともにプロレスの隆盛を約束していく。まさにメディアの力によってプロレスは日本社会に大きな影響力を持ち始めたのである。しかしこのときからすでに彼女には、約半世紀後に日本のプロレスリングに向かってレクイエムを口ずさむ運命が背負わされていたのかもしれない。

プロレスという名の「身体論」
─たとえば、身体と精神の乖離について

 プロレスにはもちろん観客が欠かせない。ではなぜ観客はリングに足を運ぶのか。筆者はこれについて次のように語る。
「レスラーに感情移入するだけでは、自分の身体の実感を強め、“自分が存在している”という感覚を確実に手に入れることができないのだ。そうするために、全試合終わったあとに、今度は自分が手が痛くなるほどエプロンを叩き顔に水滴を浴びて、“これが私だ!”という実感を自らの感覚として確認する必要がある」
 現代社会では日常が極めて希薄な感覚認識の領域になり下がり、その結果、人々は自分の立っている場所の脆弱さに恐怖し始める。そして、自らの身体感覚さえも失い、幽体離脱的感覚に悩まされる。つまり、身体と精神の乖離が始まり、その溝は日増しに深くなっていくのである。その身体と精神の溝を埋めるために、ある者はリストカットや自傷行為によって辛うじて身体に精神が宿る感覚を維持し、ある者はレスラーと同じ痛みを得ることによって維持しようとしているのではないか。これはまさに、筆者の言うところの「自分と世界との境界を実感するために、あたかも身体の輪郭をなぞるがごとく」の行為そのものなのである。

二項対立的プロレス考
─もしくは、生と死の境目の問題

 現在日本のプロレス界には40もの団体が存在する。その中でもっともメジャーな団体は、いわずもがな新日本プロレスと全日本プロレスである。この両者とも源流は前述した日本プロレスであるが、1972年2月にアントニオ猪木が新日本を旗揚げし、ついで10月ジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げすることによって完全に両者は袂を分かつことになる。筆者によれば、その後馬場率いる全日本プロレスは王道中の王道的プロレスを頑なに守ろうとするが、時代の潮流はそれを許しはしなかった。時代は元全日本プロレス所属で後にFMWという新団体(後に倒産)を設立した大仁田厚のような涙あり怒りありマイクパフォーマンスありのタレントレスラーの出現を望んだのだ。この怒涛のような群雄割拠の時代を迎えて、馬場のレスリングが急速に色褪せ始める。と同時に、これは馬場プロレスの“死”が近いことを意味していた。プロレス本来の二項対立の構造、つまり敵と味方、善玉と悪玉、生と死の屹立といった構造から馬場は剥離していく。今後も、似たような剥離は延々と続いていくことだろう。そして、また新たな皮膚を持つ時代の寵児が次から次へとリングに上がってくるに違いない。プロレスラーの生死の境目はリングにあるのか。だとすれば多分、リングを降りる度にプロレスラーは死を予感するのではないだろうか。そんな感慨が読後に残った。

(久米 秀作)

出版元:青土社

(掲載日:2002-08-10)

タグ:プロレス 
カテゴリ その他
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スポーツイベントの経済学 メガイベントとホームチームが都市を変える
原田 宗彦

「キャタリスト」(触媒)としてのスポーツイベント

 本書のサブタイトルには、「メガイベントとホームチームが年を変える」とある。つまり、タイトルとサブタイトルを読む限り、本書はスポーツイベントが持つ経済的インパクトで新たな都市構築が可能なことを示唆しているように読める。
 確かに、本書の前半は古代ギリシャ、ローマ時代から現代にまで綿々と続くスポーツと都市構築の深い関わりについて詳しい。たとえば、著者は「ローマ時代のスポーツイベント」は、皇帝の威光を示し、娯楽としてのスポーツと政治的対話の場を提供するという性格を持っていた。しかし、現代のスポーツイベントには“経済効果”や“都市開発”といった新しいキーワードが付随している」と述べ、「すなわちイベントによって都市の知名度を高め、多くのスポーツ・ツーリストを呼び込んで消費を活性化し、スタジアムやアリーナの建設によって都市インフラを整備する「キャタリスト」(触媒)としての効果が期待されている」と言う。


「レガシー」(遺産)としてのスポーツイベント

 しかし、本書が言うように、現代においてスポーツイベントの誘致はあらゆる面で果たして特効薬となり得るのか。今の日本経済沈滞もスポーツメガイベント誘致で一発解消となるのだろうか。
 未だ日韓両国で行われたW杯の記憶は新しい。どの試合にも一喜一憂した感動は今も忘れがたい経験である。今までに多くの日本人が感動したメガイベントと言えばオリンピックくらいであったが、それをはるかに凌ぐ勢いでW杯は我々を感動の渦の中へと引き込んでいった。改めてスポーツの持つ魅力を認識した方も多かったのではないだろうか。
 では、W杯が日本に残した効果は何だったのであろうか。残念ながら、本書はW杯開催中に発刊されたようなので、その辺の検証はされていないが、私の拙い情報収集力だけに頼って言えば、あまり日本を再生させるような経済的インパクトはなかったように思える。しかし、本書にはこんなことも書かれている。「メガスポーツイベントの開催で重要なことは、短期的な経済波及効果だけでなく、都市経営の視点からイベントのレガシー(遺産)をどのように有効に活用し、長期的な利益を都市にもたらすかという新しい視点である」
 ある新聞にW杯に関するアンケート結果が出ていたが、一番国民が感じたことは共催国・韓国に対する認識だという。好感が持てるようになったというのである。ということは、韓国の、あるいは世界の日本に対する認識も変わったのかもしれない。これは誠に大きなレガシーではないか。もし、今回のW杯開催によって新たな日本のイメージが世界に発信されたとするならば、著者が言うように単なる短期的な経済効果に留まらない効果を生む下地ができたと言っても過言ではない。決算はまだ早いということか。
 このほかに、本書には都市活性のためのインフラとしてスポーツをどのように活かすか、スポーツの視点から見た都市再生論など傾聴に値する内容も豊富だ。スポーツの専門家のみならず都市デザイン、地域振興などに携わる関係者の方々に是非一読をお勧めする。







(久米 秀作)

出版元:平凡社

(掲載日:2002-09-10)

タグ:スポーツビジネス 
カテゴリ その他
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スポーツ技術・戦術史
新井 博 小谷 究 鵤木 千加子 榎本 雅之 後藤 光将 谷釜 尋徳 福井 元 山脇 あゆみ 秋元 忍 田村 大

 スポーツの技術についてまとめられた日本で最初の研究書は、1972年刊「スポーツの技術史」だという。その後2000年頃までスポーツ技術史研究はあまり進まなかったとのことだが、現在はさまざまな種目で取り組まれており、専門家たちが執筆を担当している。本書ではサッカー、水泳、スキー、テニス、バスケットボール、バドミントン、ホッケー、野球を取り上げる。
技術は用具の進化やルール変更、科学的なトレーニング、戦術のトレンド、さらには社会におけるスポーツの在り方によって変わっていく。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:流通経済大学出版会

(掲載日:2021-06-10)

タグ:技術史 戦術史  
カテゴリ その他
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勉強嫌い、集中力のなさは「眼」が原因だった 子供の知能を伸ばす視覚トレーニング
内藤 貴雄

 米国元大統領ジョンソン氏の次女ルーシーさんの成績不振を改善して世界の注目を浴びた「視覚機能」強化法。視覚の観点からアメリカで開発された、子どもの知能を伸ばす脳力活性プログラムをイラストとともに紹介。





(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:二見書房

(掲載日:2003-01-10)

タグ:視覚 
カテゴリ その他
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サッカーアナリストのすゝめ 「テクノロジー」と「分析」で支える新時代の専門職
杉崎 健

 データや映像分析を行うアナリストは、球技を中心にスポーツチームに欠かせない存在となりつつある。これまで担当者が手探りで行ってきたことを、次代のサッカーアナリスト育成という視点で掘り下げていく一冊だ。
 アナリストにはIT技術だけでなく、サッカーを見て、情報を的確にまとめ、それをわかりやすく伝える力が求められる。本書では試合の見方やデータの取捨選択、コミュニケーションのコツを説明していく。もちろんこれがすべてではなく、新たなツールを取り入れたり、スポーツ以外のスペシャリストと協力したりすることで、よりサッカーに貢献できるかもしれない。アナリストが持つ可能性を感じさせる。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:ソル・メディア

(掲載日:2021-07-10)

タグ:分析 
カテゴリ その他
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スポーツとしての相撲論 力士の体重はなぜ30キロ増えたのか
西尾 克洋

 相撲ライターの著者が、最新の大相撲事情をQ & A 方式で解説する。大相撲はテレビ中継などで目にする機会こそあるが、暗黙の了解と思えるものも多い。「横綱の品格」とは? 新人力士をどのようにスカウトするのか? といった素朴な疑問に答えていく。巻末には2021年時点の幕内力士42人の紹介もあり、格式張らず楽しく観てほしいという「相撲愛」が感じられる。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:光文社

(掲載日:2021-08-10)

タグ:相撲 
カテゴリ その他
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フツーの体育教師の僕がJリーグクラブをつくってしまった話
佐伯 仁史

 富山県にJリーグクラブをつくるにあたって交渉して回った様子が描かれる。著者は県立高校で体育教師として勤務する佐伯氏である。
 保守的だという地域的な特徴や高校閥が重視されるといった背景を踏まえて、著者の型破りな行動が随所にみられる。病院でのパブリックビューイングの事例を知るとすぐに企画書にまとめて回ったりと、交渉に必要な心構えや日々の行動とは何かも描かれている。大きなビジョンを描き、そこから多くの人を巻き込んでいく様子がわかる。著者を知るさまざまな人へのインタビューも紹介されている。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:徳間書店

(掲載日:2021-09-10)

タグ:交渉 
カテゴリ その他
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言葉はいかに人を欺くか 嘘、ミスリード、犬笛を読み解く
Jennifer Mather Saul 小野 純一

Jennifer Mather Saul、小野 純一『言葉はいかに人を欺くか 嘘、ミスリード、犬笛を読み解く』(慶應義塾大学出版会)
井筒 俊彦、安藤 礼二、小野 純一『言語と呪術 井筒俊彦英文著作翻訳コレクション』(慶應義塾大学出版会)


人を欺く言葉
 今回は2冊紹介したい。
 まず、『言葉はいかに人を欺くか』。「噓」「ミスリード」「犬笛」をキーワードとして「言われていること」に対して人はどのような過程を踏んで理解するのか、過去の「政治家」の発言をもとにして、そもそも論(哲学)的解明を試みたものである。
 人は誰しも「嘘」をつくことはいけないと教育されて育つ。ところが政治家の中には「嘘」ではないが本当のことでもないことを言い、「ミスリード」することで他人を本来の導きとは異なる方向に誘導する人がいるようである。
 一方で、政治家に限らず人は日常的な会話の中で意識的and/or 無意識的に「ミスリード」する必要に駆られることもあるらしい。
 たとえばこんな場合だ。「ある老婦人が死の間際に自分の息子が元気か知りたがっている」。「あなたは昨日、彼に会ったが(その時点で彼は元気で幸せそうだった)、その直後にトラックにはねられて死んだことを知っている」。さて、あなたはどうする?

①「彼は幸せで元気そうにしています」
②「昨日会った時、彼は幸せで元気そうでしたよ」

①では「嘘」をつくことになってしまう。したがって多くの人は、②と答える方が(「ミスリード」ではあるが)「善い」と考えることだろう。
 人が幸せになる「嘘」や「ミスリード」(少なくとも欺いたり不幸にしたりしない)ならいいじゃないかとも思うが、本書では善悪や正義といった「道徳」や「倫理」は置いておいて考察は進められていく。「嘘」と「ミスリード」の区別について人は「直観的」にわかるものらしいが、議論をきちんと進めるためには言葉を定義しておく必要がある。
 そのため「嘘をつくこと」の定義を導き出すために、まずは素朴な原案がつくられる。しかし吟味するとそこに矛盾が生じる。何かを加えるとうまく説明できたように見えるもまた新たに矛盾を生み、余計なところを削ったら解決した、と思ったら、という具合で実に8回に及ぶ見直しを経て(第一章すべてを費やして)ひとまず「定義」としての結論に至っている。かわいい装丁に欺かれてはいけない。これは相当ややこしそうな書籍だ。
 やはり“スポーツ”であれ「言葉」のことであれ、「直観的」感覚を言い表すことは難しいのだ。無理やりにでもこんなアナロジーを導き出せば、少しはこちらのフィールドに引き込めるのではないかと、自らの読解力の弱さを慰めつつ手ごわい本書を読み進めてみることにした。
「犬笛」とは「アメリカの政治ジャーナリズムで誕生した」用語だ。文字通り、犬が人間には聞こえないような周波数の音を聞き分けることができることから転じ、一般的な言葉の中に、ある特定の人にだけ届く特異なメッセージを載せ、「政治家(または、そのアドバイザー)によって、大衆の大部分に気づかれないように設計された故意の人心操作」を狙う物騒な行為のことを指す。
 物騒な話はあまり得意ではないので、これはもしかして、子どもの頃に唄っていた歌(小学校の校歌とか)の意味が大人になったらわかるようになり、数十年の時を経て詩に込められたメッセージが心に届いた、とかいうのと同じことか。と、ここでまた小欄の脳内景色はこちらの平和なフィールドに跳ぶ。
 小欄は小学 5 年生のとき遊びでやった棒高跳が面白く、以来ウン十年こよなくそれを愛する者だが、街中でキャリアに長い棒状のものを積んだ自動車を見かけると、いまだに胸がドキドキとときめく。これもある種の「犬笛」か(政治的な意味も意義もないメッセージだが)。あるいは逆に、子どもの頃あれほど感動していた絵本を見てもさっぱり泣けてこない。こんなことがあると、「犬笛」にはそれが届く年齢というものがあって、物事はやはり時期をとらえることが大切ということか。などと脱線ばかりしてなかなか読了できないのである。

言語の力を解き明かす
 2冊目は、『言語と呪術』。「言語は、論理(ロジック)であるとともに呪術(マジック)である」とあるとおり、言葉には「意味を伝達する」という機能だけでなく、情動を喚起する何かもともに伝えるという力がある。これを解き明かそうとして編まれた全 7 巻のシリーズの一冊だ。著者は日本人(井筒俊彦)だが、英文著作の翻訳本である。
 今回紹介するこの2冊は、実は同じ訳者(小野純一)の手になるものだ。異質に見える2冊であるが、言葉の意味はどうやって成り立っているのかという点で両者に同じルーツを感じたとの由。
 翻訳作業の中で生じたという小野の想いが興味深い。「活字に触れるようになって折りあるごとに、また勉学や研究のために、井筒俊彦の著作、そして彼の意味論に色々な形で向かうことはあったが、今回ほど濃密な取り組みはなかった。それはこの類稀な人物との対話に留まらず、その思索を辿る道行きでもあった。手渡された原著という地図を見ながら原著者の見た風景を追走しつつも、同じ旅程を経るというより、実地調査して復元し立体化してゆく行為に似ていた」と訳者あとがきにある。

時空を超越した対話
 実際の対面でない出会い(しかも井筒は故人である)の中に「濃密」な「対話」を紡ぎ出す言葉(文字)の力と、それに融合しようとする小野の姿が、ホログラムのようにここに浮かび上がる気がするのである。
 この情景は、小欄のテーマでもある体育・スポーツで交わされるノンバーバル(非言語)コミュニケーションの対岸にあるようでいて、その実は不離一体のものと直観され至極心地がよいのである。

(板井 美浩)

出版元:慶應義塾大学出版会

(掲載日:2021-10-10)

タグ:対話 言語 
カテゴリ その他
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身体療法の生理学とボディワーク ダニエル・マードン式フィジオセラピーメソッド
ダニエル・マードン 高橋 結子

 アロマプレッシャー(リンパマッサージ)に取り組んできたマードン氏が、フィジオセラピーメソッドについて整理した。日本の理学療法と欧米のフィジオセラピーの違いにも触れており、興味深い。リハビリをドライとウエットに分け、主なウエットリハビリであるハイドロセラピーについても詳しく書かれる。他にも、治療としてのマッサージやエクササイズが、写真とともにわかりやすく解説されている。セルフフィジオセラピーの紹介もある。
 また、身体の状態がよくなることでメンタルヘルスも改善することに着目しており、医学博士が脳の活動から身体と心の関係について説明した章もある。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:BABジャパン

(掲載日:2021-10-10)

タグ:マッサージ 
カテゴリ その他
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Change! みんなのスポーツ
みんなのスポーツ全国研究会

Change!
 1979年5月に、粂野豊先生(仙台大学名誉学長)の指導の下創刊された月刊「みんなのスポーツ」は、スポーツが社会的機能を有する文化であることを理論的ベースにして、いち早く市民による市民のためのスポーツ振興を訴えた月刊誌である。現在は、全国体育指導委員連合の機関紙として親しまれているが、その内容を支えたのは「みんなのスポーツ全国研究会」で発表された研究結果であったという。そして、この研究会のメンバーが中心となって最初に刊行されたのが「みんなのスポーツQ&A」(1985年)であった。
 今回刊行のはこびとなった「Change! みんなのスポーツ」は、「そして(研究会立ち上げから)20余年後の今、また1つの研究会の節目として、変わりゆく現代社会における市民スポーツ・地域スポーツへの指針を会員の総力をあげて打ち出したいとの総意から」企画された、いわば続編である。しかし、タイトルがやさしいからといって内容もそうかというと、なかなかこれが読み応えのある内容に仕上がっている。

何が足りないのか
 本書の前半はオムニバス形式で、現在の日本のスポーツが何から何にChangeしなければいけないのか、執筆者各々が乾坤一擲、各テーマに対し正面から取り組んでいる。
 本書で一貫して取り上げられているテーマは、「今日本のスポーツに足りないものは何か」であって、それを補うことがChangeに繋がるというのである。たとえば、執筆者のひとりは、指導者が足りないと説く。「日本のスポーツ集団は、指導者不在で簡単になくなってしまう。学校運動部がそのよい例で、熱心に指導する顧問教諭が転勤すれば、たちまち運動部はつぶれてしまう……」これは、一般のスポーツ愛好会やサークルでも同じことが言えるという。そこで、他の執筆者は、これからの指導者には指導型から支援型への意識変革が求められていることを行政担当者も認識する必要があるとしながら「スポーツ指導者の知識・技能審査事業の文部科学大臣認定制度」による認定指導資格取得者の確保をしようと提案している。また、「民間活用」が足りないと説く執筆者もいる。そこでは、公共施設の維持管理や事業運営を民間事業者に委託する、いわゆるPFI(公設民営)方式の推進を訴えている。そのためには、行政と民間の連絡協議会の設立を、という提案は傾聴に値する。

自立しよう
 結局、本書のねらいは市民スポーツ、もしくは組織としての地域スポーツの創出であって、具体的には「総合型地域スポーツクラブ」の設立に向けた理論構築であると思う。あらゆる年齢の人々が、自らが選んだスポーツを、所属するクラブで好きな時間に楽しむ。すでにヨーロッパに存在するこの組織を日本にも定着させようという試みが、近年盛り上がりを見せている。しかし、日本のスポーツは明治以来、学校や職場を中心に振興が図られ、仕事への意欲喚起装置としての役割が長かった。ヨーロッパのように日常生活の必需品としてスポーツが存在するのとはだいぶ訳が違う。この差を埋めるには、まだまだ長い時間を必要としそうだが、なによりもクラブの主体である参加者、あるいは国民の意識の変革が必要なのではないか。今まで行政主導でやっていたものを住民主導にする。もちろん財政的自立も視野に入れ、クラブ運営も自らが行う。こういった自立ができて、初めて“みんなのスポーツ”と言えるのではないか、こんな提案も本書に含まれている。スポーツを愛するすべての人々に読んでいただきたい、まじめな一冊である。






(久米 秀作)

出版元:不昧堂出版

(掲載日:2003-02-10)

タグ:スポーツのあり方 
カテゴリ その他
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武蔵とイチロー
高岡 英夫

天才の世界
 湯川秀樹という方を皆さんは覚えておられるだろうか。1949年に日本人初のノーベル賞受賞者となった物理学者である。その彼が、晩年になって出した本の中に『天才の世界』というのがある。これは、古今東西の歴史に残る偉業を成し遂げた人々、いわゆる天才と言われた人々の創造性の秘密を解明しようという意図の下に書かれた書物である。彼は、この本の「はじめに」の中で天才について次のように述べている。「(天才に)共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。それは外から見て異常かどうかということでなく、当人の集中的な努力が異常なまで強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである」
 では、今回の主人公のひとり、武蔵は天才か。私が知っている武蔵は、小説家吉川英治氏が描いた武蔵のみであるが、これを読んだ限りでは、どちらかといって愚直なまでの努力家タイプに思える。むしろ、彼と巌流島で決闘した佐々木小次郎のほうが天才タイプでなかったか。しかし、前述した湯川氏の天才論で言えば、異常なまでに強烈に剣術を持続して磨いたという点では、間違いなく武蔵は天才だ。
 もうひとりの主人公イチローはどうか。これには誰もが天才と口を揃えるだろうが、ではなぜ? おそらく、皆イチローのセオリーを無視したようなバッティングフォームとその結果を見て、いわゆる天才肌的なものを覚えるからであろう。しかし、ここでも湯川論に従えば「外からみて異常かどうか」が天才の判断基準になるのではない。あくまでも異常なまでに強烈な集中力がイチローには見て取れるところに彼の天才たる所以があると、この著者は見たようだ。

ユルユルとトロー
 著者がこの二人に共通して着目したものに「脱力」がある。著者は、まず武蔵については、彼の肖像画から類推して、彼の剣を構えたときの身体には無駄な力が入っていないと指摘する。しかし、その脱力はフニャフニャしたものではなく、トローとした漆のような粘性を持った脱力だと言う。武蔵が残した有名な書物に『五輪書』があるが、この中で武蔵は「漆膠(しっこう)の身」ということを書いていると言う。そして、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないこと」だとも書いていると言う。つまり、相手の動きに粘り強く着いていくには、トローとした脱力が必要だと言うわけである。これはイチローにも当てはまる。本来、バッティングとは投手が投げてくる球に対して自分のヒッティングポジションが合致すれば、クリーンに打ち抜けるものだ。したがって、投手は打者の得意なヒッティングポジションに球が行かないように、球種を変えコースを変えてくるのである。しかし、イチローはトローと脱力した身体で、あらゆるコースの球に密着してくる。だから、イチローには特に待っているコースもなければ決まったヒッティングポジションも存在しないと言うわけである。

天才と凡人の違い
 私は、今回この本を読んでいて、どうも近年のスポーツ科学者は、私も含めて客観的事実というマジックにとらわれすぎたようだ、という反省を覚えた。客観的事実の積み重ねの上に真実が現れるという科学的分析手法は、誰もが理解し納得いくという点では優れた手法であることは認める。しかし、簡単に言ってこの手法で明らかになるのは、大方が同じ結果になるから真実だという結論にすぎない。果たして、それは真実なのか。大方とは違う結論の中にも真実はないか。データでは見えてこない真実。ここを見て取れるか否かが天才と凡人の違いではないか。特に、指導者には耳を傾けていただきたい。「日本スポーツ天才学会」や「日本スポーツ異端児の会」などあってもよくないか。
 最後に、再び湯川氏の天才論をご紹介したい。「──、私たちは天才と呼ばれる人たちを他の人たちから隔絶した存在と思っていない。(中略)ほとんどの人が、もともと何かの形で創造性を発現できる(つまり天才的)可能性を秘めていると考える」


(久米 秀作)

出版元:小学館

(掲載日:2003-03-10)

タグ:指導 
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日本はライバルか コリアンアスリートからのメッセージ
山田 ゆかり

民族とは何か
 このところの世界情勢をつかむためには、「民族」というキーワードが外せなくなった。スポーツの世界においても、競技成績を左右する身体的特徴に代表される人種以外に、慣習的、風土敵、さらに政治学的意味合いを色濃く含む「民族」という言葉の理解が必要となってきている。
 民族とは何かという答えを見つけることは容易ではないが、民族の違いを考える基準を示すことはできる。たとえば、先に述べた人種や使用している言語、宗教や文化がそれである。これらの違いが、たとえ地理的には隣接していても、ある意味で民族の違いを意識させる決定因子になることは確かなことである。
 この点、日本は島国という特殊な地理的環境を持つため、歴史的に自分と他者との違いを特別意識する必要がなかった。つまり、人種的にも、言語的にも、さらに宗教においてもほぼ単一の、いわゆる国家を形成する集団(ネーション)と文化を共有する集団(エトノス)がほぼ重なり合うという特殊な歴史を日本は続けてきたわけだ。このため、日本人の「民族」に対する意識はあまり強くない。
 ところが、最近日本ではこの「民族」あるいは「民族的アイデンティティー」という言葉が積極的に使われ始めてきているように思う。多分、2002年の日韓共催ワールドカップ大会あたりからではないだろうか。他国の選手やサポーターが強烈な民族性を全面に押し出してきたことに、大半の日本人は驚いてしまった。もちろん最初に「民族」の問題がクローズアップされたのは、言うまでもなく米ソ冷戦終了後の共産主義体制の崩壊に端を発する東欧諸国の民族意識の噴出からであるが、こういった世界事情も、多少不謹慎な発言をさせていただければ、日本人にとっては単なる対岸の火事にすぎなかったのである。
 しかし、ワールドカップは違った。他国民の「民族」というイデオロギーに裏付けられたゲームへのこだわりや勝負へのこだわり方は、日本人にはちょっと理解の度を越えたスポーツへの関わり方として映った。そして、その斬新なスポーツへの関わり方は、結局平和的意味での「愛国心」という日本人が忘れかけていた日本人のアイデンティティーを蘇らせる結果となったのである。

近くて遠い国
 ワールドカップでは結局日本と韓国の直接対決は叶わなかったが、両国は間違いなく今後もライバル関係を続けるだろう。では、他の種目においてはどうか? この問いに答えてくれるのが本書である。本書には、サッカーだけではなく、マラソン、ホッケー、スケート、野球、ゴルフそしてテコンドー、障害者スポーツに至るまで、幅広い種目におけるライバル一人一人にインタビューがされている。お互いに名指しでライバルと呼びあう選手たち。それぞれの国へのあこがれとライバル心が混在する選手。韓国が日本に持つ歴史的な感情を率直に述べる選手。日本生まれの韓国選手。
 老若男女、様々な環境に育った選手達へのインタビューを通して、いかに両者が近くて遠い国の存在なのかが明らかになっていく。と同時に、本書に登場する選手たちの、特に韓国選手たちの民族意識の高さに驚かされる。科学的トレーニング理論や技術論では説明つかない「民族の血」による“心理的限界”がこれからのスポーツの理解には欠かせないのではないかということにも本書は気づかせてくれる。本書は、今後日本人選手が海外で活躍したり、国際競技力を向上させるためのヒントを示していると言ってよい。
 著者が最後に言っている。「日本と韓国の関係を線に喩えるなら、決して交わることのない平行線のようなものだ」と。どうやら、両国は永遠のライバルのようだ。

(久米 秀作)

出版元:教育史料出版会

(掲載日:2003-04-10)

タグ:ライバル 
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ザ・スコアラー
三井 康浩

 この書籍の著者は、読売巨人軍のスコアラーとして40年間務められた三井氏です。どのように試合からデータを収集し、そこから選手に言語化してどのように伝えるかというスコアラーの経験をまとめた一冊です。
 序章では、あの伝説として謳われる09年WBC決勝の韓国戦にてイチロー選手が放ったセンター前ヒットの逸話から始まります。
 第1章では、スコアラーになる経緯やそのときのエピソードが中心です。第2章では、スコアラーから見たバッターの特性。第3章では、スコアラーから見たバッテリーの特性を知ることができます。第4章では、スコアラーの視点から編成部や外国人スカウトの手法を知ることができます。
 著者がスコアラーとして動き出したのは1980年代中盤です。今の時代でこそ、ITソリューションが発達して映像やデータのやりとりが活発に行われます。しかし、当時はビデオカメラが主流です。逆を言えば、昔の方がデータの収集が大変だったはずです。現代と過去の違いにも著者は隔世の感があると述べています。昔を思えば莫大なデータの扱いの大変さは容易に想像がつきます。
 昔は予告先発がなかった時代で、誰が先発か、またバッターが待っている球種は何かをスコアラーが呼んでいました。相手先発バッテリーの配球から傾向を読んだりと、アナログにデータを集めていた苦労を感じ取ることができます。
 ちなみに本稿の著者は島根県の出身です。私も島根県出身ですが、この書籍を手に取るまで存じ上げませんでした。同じ県の出身者で、野球界に寄与した方で大変嬉しくなりました。山陰にちなんで裏方で活躍されたのは納得です。
 野球の真髄を別角度から感じ取ることができ、プロ野球を何倍にも楽しむことができるお勧めの書籍です。

(中地 圭太)

出版元:KADOKAWA

(掲載日:2021-12-02)

タグ:スコアラー データ 
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シン・フォーメーション論
山口 遼

 サッカーはゲームであるゆえに戦術が重要であり、情報化社会の現代において戦術はどんどん進化している。本書ではまず、サッカーの特徴を改めて分析し、元は同じフットボールであるラグビーや、将棋などとの比較を行う。その上で、現代サッカーのフォーメーション論を展開していく。選手(駒)をどのように配置すると、どんな戦術を遂行できるか。よく「4 - 4 - 2 」といった数字の並びで表現され、確かにそれが基本ではあるが、現代では動的かつ複雑な配置構造となっている。それをネットワーク科学の考え方で解説し、フレームワークを提示している。本書を読んでからサッカーの試合を見たら、きっと違った見え方になるだろう。





(月刊トレーニング・ジャーナル)

出版元:ソル・メディア

(掲載日:2021-11-10)

タグ:サッカー 
カテゴリ その他
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好きになる生理学 からだについての身近な疑問
田中 越郎

 知っているようで知らない生理学の疑問を、面白い喩えとマンガを用い、わかりやすく解説。楽しく読んでいるうちに、知らずに生理学の基本が身についてくる一冊。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:講談社

(掲載日:2003-08-10)

タグ:生理学 
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体育・スポーツ系大学生のための論文・レポートの書き方
国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科 山本 徳郎 西山 一行

 体育・スポーツ系大学生を対象に、論文やレポートを書くうえでの基本的に知っておくべき事柄と手順を紹介。資料の収集、資料の整理、レポートや論文のまとめ方や執筆の手順について具体的に説明。主な体育・スポーツ系学会一覧も掲載。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:アイオーエム

(掲載日:2004-02-10)

タグ:論文 
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スポーツ留学 in USA
岩崎 由純 峠野 哲郎

アメリカでプロアスリートになる
 本書はアメリカに留学したい、それもスポーツ選手としてアスリートとして留学したいと希望している高校生あるいは大学生に向けて、長年の留学サポート実績を誇る「栄陽子留学研究所」の代表・栄陽子氏が中心となって書き下ろしたアメリカ留学実用書である。
 それにしても今回この本を手にして、単なる留学ではないスポーツ留学だの「アメリカでプロアスリートになるには」(第一章)といったタイトルを目にして、正直おじさんは驚いている。われわれの時代には(というと古臭く聞こえるかもしれないが)、単なる異文化散見程度で留学と認識されたのとは違い、自らを相手国の文化の中に埋没させ、そこで職を得て生活する覚悟(?)を持って渡航しようとする現代の若者のバイタリティには、おじさんは畏怖の念を持って見つめざるを得ないのである。多分この本が出版される背景には、すでに一般の人々(とくに若者)の間ではこういった新しい留学の概念が市民権を得つつあるという著者の鋭い先見性によるところが大であると思うが、しかしこの場に及んでもこのおじさんは、“留学”に対し一種偏見としか思えない古臭いイメージに憑かれていた。ところが、早速序章のところで著者はこのおじさんの古い頭を思いっきりひっぱたいたのである。

「留学」とは勉強することなり
 序章のタイトルは「アスリートを目指す留学生が知っておきたい三つの事柄」。なんの変哲もないこの章には、実は本書の根幹を成す内容がエッセンスとなって詰め込まれていたのである。著者は、「アメリカの大学でアスリートとして生きていくためには、まず三つのことを理解する必要があります」と前置きして、①勉強が第一であること、②専攻を自由に選べること、③アメリカではスポーツはすべてシーズン制であること、を強調している。これらの内容は、本文中にも繰り返し出てくるのだが、とくに①の勉学については日本とアメリカの大学教育システムや理念の違いや、アメリカ社会が学生スポーツをどのように受け入れているかなどについて多くの紙幅が割かれている。簡単に言えば、アメリカでは日本と違って大学という場は勉学の場であり、個人の自立を促す場であること、したがって、勉強についていけない学生はたとえオリンピック級のアスリートであっても退学処分になること。また、②専攻が自由に選べることについては、裏を返せば自分の好きなことは自分で探せということで、これも結局のところ自分自身が学業に熱心でないと難しいこと。そして③に至っては、シーズン制をとっているため毎日の、毎週の、シーズンの練習時間に厳しい取り決めがあり、それを越えてコーチについて練習することは許されないこと。したがって個人の努力が大きなウェイトを占めるという、これまた個人の自立精神に大いに関係することなどが強調されているのである。ライバル校に勝ちたければ相手よりたくさん練習しろ、という日本流の極意はアメリカでは通用しそうにない。結局のところ、アメリカでは自分の力ですべて切り拓けということらしい。こういったことをすべて理解し、リスクも承知でアメリカへ留学しようとする若者とそれを手助けしようとする著者。両者の熱意にささやかではあるが本書を通して触れることができて、ようやくおじさんの頭は“新しい留学”へと切り替わりつつある。そして、この留学生たちがいずれ近い将来日本に“復帰”して、日本のスポーツシーンを劇的に変えるであろう予感もおじさんはこの本を読んで感じるのである。

(久米 秀作)

出版元:三修社

(掲載日:2004-04-10)

タグ:留学 
カテゴリ その他
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オリンピックを知ろう! 21世紀オリンピック豆事典
日本オリンピックアカデミー

 アテネオリンピックが開催される今年、オリンピックの原点を探る本として、オリンピックの仕組みや古代オリンピックからの歴史的背景、オリンピックで活躍した選手、さらに世界のオリンピック教育の取り組みなど、オリンピックを正しく理解できる、オリンピックを学ぶための一冊。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:楽

(掲載日:2004-06-10)

タグ:オリンピック 
カテゴリ その他
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エール大学対校エイト物語
ステファン キースリング Stephen Kiesling 榊原 章浩

The Shell Game
 自らの人生においてスポーツがいかほどの価値を持つか、という問いに真面目に答えようとしたとき、あまりの真実の残酷さに呆然と立ち尽くす人は多いのではないか。考えれば考えるほど、スポーツを行うという純粋な行為とて人生における価値とは無縁なものに思えてならないからだ。が同時に、アリストテレスの言う“理性こそがわれわれ人類の特質であり、また他の生き物と区別する証である。その結果、肉体は理性の下に位置づけられた。”という意見を聞くに及んでは、凛然とその理不尽に抗議し、スポーツに内包される価値について延々と述べる用意を厭わない。スポーツをこよなく愛する者にとって、この二面性から逃れることは不可能に近い。
 主人公のスチーブ・キースリングは、身長6フィート4インチ。「古典文学、急進主義、離婚、ホットタブ、心霊現象、スポーツカーといった環境で育ち、そして漕手になった」そうだが「もっと手際よく自己紹介できる才能があれば、こんな物語を書くこともなかっただろう」というように、本書の著者でもある。その主人公の“私”は、1980年に卒業するまで東部の名門エール大学の漕艇部に所属し、エール対校エイトの中心的人物として活躍する。「根っからのスポーツマンでは著者は、エール大学入学後にボートと巡り合ったことにより、アスリートへと変化をとげていく。あらゆるスポーツで米国最古の伝統を誇る対校戦、エール対ハーバードのフォー・マイラーと呼ばれる過酷なボート・レースに勝つために、学生生活のすべてを懸けて戦う。その模様が本書の縦糸となって活き活きと語られている」と訳者は本書を解説している。

ヘンレー・レガッタ
 正式名は“ヘンレー・ロイヤル・レガッタ”。英国のオックスフォードとロンドンの間にあるヘンリーオンテムズという田舎町で行われるこのレースは150年の伝統を持ち、「アメリカの大学クルーにとって憧れの的」だ。ここでのレガッタは「この町の園遊会」であり、「宣伝などしなくても、10万を超える人々が詰めかける。ウィンブルドンの狭苦しいスタンドにうんざりした観衆は、ブレザーとかんかん帽を引っ張り出して、テムズ川の土手にくりだす」のである。そして、エール・クルーは、ここでオックスフォード大学、カリフォルニア大学、英国ナショナル・チームを相手に、最も栄誉あるグランドチャレンジ杯をめざして戦うことになる。試合当日、エール・クルーにはまだ笑う余裕があった。ただし、「それもわれわれが(もっとも不利といわれる)6レーン引きあてるまで」。かくして、「誰もフランス語を話すものがいないのだが、国際レースの規則をかえるわけにもいかず」「パルテ!」の合図でレースがスタートする。果たして、エール・クルーの賞賛は!?
 本書の訳者は『カシタス湖の戦い』(東北大学出版会)で、ダブル・スカルの金メダリストを見事に描いた。今回も同じボート競技をテーマにしたノベルだが、前回のような派手な表現があるわけでなく、むしろ文章に抑制をきかせることでいっそうの真実感を持たせることに成功している。ここのところは大学時代、著者同様対校エイト漕手であった訳者の力量が見逃せない。前回の書評では、ファンタジーなスポーツ・ノベルと書いたが、今回の作品を読んで、ファンタジーとは決して単なるおとぎ話ではなく、本当は真実の中にあることに気づかされた次第である。

(久米 秀作)

出版元:東北大学出版会

(掲載日:2004-07-10)

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指定管理者制度ハンドブック
地域協働型マネジメント研究会

民間でできることは民間で
「あっ、それって小泉首相のキャッチフレーズでしょ、郵政民営化のときの」
「別に郵政に限らず、これからはいろいろな公共物が民間の手で管理されるようになるけどね」
「公共物!? たとえばどんなもの?」
「うん、たとえば河川とか道路とか、身近なところだと公園、福祉会館や健康センター、体育館や公民館などもそうなるな。昨年、そういった制度が整備されたんだよ」
「へぇー、なんでそうなるの?」
「結局、国に財政的余裕がなくなったことが一番でしょ。だから、余計な経費は削りたい。たとえば、施設のメンテナンス料や人件費などをさ。これらを民間にお願いしたいわけさ」
「とすると、そういった施設を民間に払い下げちゃうわけ?」
「いや、そうじゃない。管理を代行させるんだよ」
「管理の代行ね……。じゃ、今まで国や地方公共団体はどうやって管理してきたの?」
「直営で管理しているところもあるけど、だいたいは第三セクター方式といって民間と地方自治体の共同経営組織が管理をしてたんだ」
「それじゃ、だめなんだ」
「そういうこと。結局経営の見通しが甘すぎて、けっこう破綻する法人が増えてきているんだよ」
「また、国の借金が増えるってことか」
「だから、国は民間の資金とノウハウを積極的に活用していこうと考えるようになったわけだ」

NPOの活動拠点づくり
「でも、民間企業側には公共施設を管理・運営すると何かメリットあるのかな?」
「もちろんだよ。たとえば、公共スポーツ施設の中にはけっこう収益事業として成り立つような立地条件持っているところはたくさんあるんだ。でも、今までは行政の委託条件が窮屈だったり、行政が顧客の志向に基づいたサービスを怠ったりしたもんだから慢性的な赤字経営になってしまったんだな」
「ということは、公共の施設を使って商売できるわけだね」
「商売というよりは民間企業と地方公共団体が協働する、いわゆる公民パートナーシップを結ぶことで、企業側は住民へのコマーシャルやイメージづくりを期待できるし、行政側は住民の持つ多様なニーズに対してもっとも価値あるサービスを提供できることになるね。これは地域活性化にも効果がある。ちなみに、パートナーシップを結べるのは企業だけじゃない。うちのようなNPO法人もオーケーなんだ。この場合は活動拠点づくりにメリットがあるかな」
「そうなんだ。じゃあ、収益事業もできるんでしょう。企業と同じように。そうなると会の運営も楽になるんだけどな」
「大丈夫。利用料金制の導入によって、利用料は直接管理者の収入にできる。だからこそコスト面の効率化やサービスの向上が不可欠なわけ」
「なるほど、ビジネスチャンス到来っていうわけだ。だったら、さっそくうちでもそれやろうよ、その管理代行っていうやつ」
「正確には、指定管理者による公の施設の管理代行というんだ。誰が指定管理者になるかは公募プロポーザル方式によって決まるんだ」
「公募!? そんなの僕らにはやり方全然わからないよ。やっぱり、僕らのような市民団体には応募は無理だな」
「まあ、心配するなって。はい、これ。この本読めば公募のポイントも詳しく書いてあるし、実例も載っているんだ」
「へぇーこの本? 指定管理者制度ハンドブック……か」

(久米 秀作)

出版元:ぎょうせい

(掲載日:2004-12-10)

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科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点
佐倉 統

役に立たないという現実を知って
「世の中にはな、ふたつのものしかない。役に立つものと、これから役に立つかもしれないものだ」。
 本稿の締め切りが迫る某日。焦るとつい他のことをしてしまうのは人間の性だ。ベッドに転がって iPad を開き Kindleに逃避。たまたま開いたのが『竜の学校は山の上』(九井諒子)というファンタジーコミックだ。ああこれ、今回の『科学とはなにか』じゃん、と思った。こういうのをセレンディピティというのかな(たぶん違う)。舞台は現代日本。竜が絶滅危惧種に指定され保護されているが、年々予算は縮小されている、という世界。国内唯一の竜学部がある宇ノ宮大学には竜の利用方法を模索する竜研究会がある。新入生のアズマ君は竜が好きで、将来は竜に関わる仕事がしたいと思っているが、竜は役に立たないという現実を思い知り落ち込んでしまう。冒頭のセリフは、そんな彼に部長のカノハシ女史が言った言葉だ。カノハシさんは続ける。「なくしてしまったものを、あれは役に立たなかったってことは言えるけど、それは所詮、狐の葡萄。だから簡単に捨てちゃいけないんだ。でも役に立たないと諦めたら、それでは捨ててしまうのと何も変わらないだろ」。

科学を外側から
 今回取り上げる『科学とはなにか』は、竜ではなく科学技術をどう飼い慣らす(使いこなす)かを、つかず離れずの外側の視点から見ることがテーマである。著者はチンパンジーの研究で理学博士号を取得したが、その過程で、科学が社会と無縁ではいられないことを痛感し、学者にはならず科学技術と社会の関係を研究する道を選んだという。科学者としての側面を持ちつつも、あくまでも「外側」の方である。
 副題に「三つの視点」とある。明確には分けて書かれていないのだが、この「視点」が本書を読む上での重要な骨子であると思うので、私なりに三つにまとめてみた。
 まず、一つ目。科学技術とは何か。科学とは自然界の成り立ちを知ること、技術とは人工物をつくること。本書では、両者の融合体という意味で「科学技術」という言葉が多用されている。科学の成果は普遍的で客観的である。ニュートンの力学法則は、日本だろうがアメリカだろうが、どこでも等しく成り立つ。しかし、いつでもどこでも「正しい」知識というのもまた、存在しない。我々は、場面や状況に応じて、それに適した知識を使い分けているのだ。たとえば、今では天動説を信じている人は珍しいだろう。しかし日常的には「夕日が沈む」というように、天動説的表現が普通に使われている。「地球の自転によって現在地が影の部分に入りつつある」とは言わない。日常生活における知識の目的は、「便利」「幸せ」「安全」など、とにかく日々の生活を安定・充実させることが第一。科学的な正確さは、そのための参考情報の一つに過ぎない。
 二つ目は、科学技術は誰のものか。科学者というと、知的好奇心に突き動かされ、損得や善悪に無頓着で、純粋に世界の成り立ちを解き明かしていく人というイメージがある。一方、フランシス・ベーコンが「知識は力なり」と言ったように、科学や知識は利用するものである、という認識もまた一般的だろう。実際に我々は、多くの場面でその恩恵を受けている。しかし「力」は良いことばかりではない。不幸な例の最たるものは戦争利用だろう。2 度にわたる世界大戦での悲惨で凄惨な経験を経て、1999年「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(ブタペスト宣言)において、「知識のための科学」「平和のための科学」「開発のための科学」「社会における科学と社会のための科学」の 4 つの宣言が採択された。しかし、科学研究分野にも民間企業が台頭し、そのあり方が大きく変質してきている。科学を駆動する原理が、知識の獲得や公共への貢献から経済活動へと変わってきているのだ。
 最後の三つ目は、科学技術をどう飼い慣らすか。科学の成果は普遍的・客観的ではあるが、それが生み出されるプロセスも、それが世に出てからの扱い方も、文化システムが違えば大きく変わる。一方、文化や文脈に依存する暗黙知的な「場の力」から離れ、科学的知見を活用できるような社会的なデザインも必要だ。
 さて、「竜研究会」。竜の使い道についてのカノハシさんたちの結論は、作品中では語られていない。どうかそれぞれに明るい未来が訪れますように、と願わずにはいられない。

(尾原 陽介)

出版元:講談社

(掲載日:2021-12-10)

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メジャーリーグをナマで見る熱球英語
根本 真吾

 アメリカ三大スポーツであるMLB、NBA、NFLから、現地やテレビ中継での観戦に頻繁に出てくる英語のフレーズをもとに楽しみながら英語を学ぶ1冊。スポーツファンや英語を学びたい人にもおすすめ。

(月刊トレーニング・ジャーナル)

出版元:技術評論社

(掲載日:2005-11-10)

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企業スポーツの栄光と挫折
澤野 雅彦

絶滅寸前の“企業スポーツ”
 今回の本の出版元である青弓社というところは、なかなか“骨太”な本を出すところだ。たとえば、その中の一冊に「運動会と日本近代」という本がある。この本は、1874年(明治7年)にイギリス人将校の提案で始まった“近代”の運動会が、いかに日本人独特の祝祭的性格にマッチし、日本社会に融合され、近代化教育の中で有効な身体教育装置として機能したかを書いたものだ。今日ではごく当たり前の学校行事が、実は初期の日本近代化政策を推し進める上で大変重要な役割を果たしたというわけだ。青弓社には他にも近代日本の成立過程をスポーツというキーワードを使って解き明かそうとした作品が多い。
 今回ご紹介する本書もこの流れに沿ったものだ。「本書では、『企業スポーツ』を考えてみたい。(中略)オリンピックの商業化を契機に、世界中がスポーツを支援しはじめている。(中略)もちろん日本も例外ではなく、選手のスポンサーになって、冠大会を開いて会場の宣伝用のプレートを掲げ、メディアを通じて企業名を宣伝している。だがしかし、本来の意味の『企業スポーツ』は、産業構造の変化とともに、また、企業収益の低下とともに、衰退の道を歩み始めているのである」。ここで言う“本来の意味の企業スポーツ”とは何か。筆者はそれを日本の文明と言う。「どのようなスポーツをどのような世界観に基づいておこなうかというスポーツ文化(ソフトウエア)の研究よりも、そのスポーツがどのような装置や仕組みを通しておこなわれるか、といったスポーツ文明(ハードウエア)により興味がある」。さらに、筆者は「『企業スポーツ』とは何だったのかについて、消え去ってしまう前に書き留めておきたい」と言う。今、日本の文明のひとつが絶滅寸前なのである。

「企業スポーツ」は日本を救えるか?
 スポーツが日本の企業の中で注目され始めたのはいつの頃であったか。筆者は「『日本型』労務管理が黎明期を迎えるのが第一次世界大戦の時期、つまり1912年ごろ(明治末期から大正元年)のこと」であって、「大正期に入ると、雇用状況の変化に応じて、企業主の温情としての福利厚生制度が出現しはじめる」と言う。なぜなら、産業技術が新段階を迎えるにあたり“現場での熟練工”の重要性が認識され始め、終身雇用的な労務慣行が意味を持ち始めたからだ。そして、経営者のなかに「経営家族主義」なるイデオロギーが浸透し始める。つまり、社員はみな家族というわけだ。このイデオロギーはストライキなどの労働運動の抑制にも効果があったと言われる。
 今年のプロ野球界には激震が走り続けている。IT産業による企業の買収・合併攻勢のなかで親会社が揺れているからである。が、プロ野球の成立過程を考えればこれは宿命だ。所詮親会社の広告塔なのである。しかし、企業スポーツは違う、と筆者は言う。「本書で扱おうとしているものは労務部・人事部所管の企業スポーツであり、従業員の福利厚生または教育訓練としての企業スポーツである。決して、広告宣伝部のそれではない」。つまり、会社の根幹をなす人材教育の受け皿として企業スポーツは存在価値があるというわけである。筆者の専門である経営学の古典的理論に“満足化理論”というのがあるそうだ。これは極大利潤を目指してぎりぎりのことをやる企業より企業が存続できる程度の利潤を目指す(満足化利潤)企業の方が社会的イノベーションが起こしやすいとう理論であると言う。「組織は常に余剰を抱えるべきで、余剰の有効活用をしようとするときに革新が起こる」という筆者の提案に素直に耳を傾けたい。その意味で「企業スポーツは日本を救う」的解釈は新しいと思う。

(久米 秀作)

出版元:青弓社

(掲載日:2005-12-10)

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スタジアムの戦後史
阿部 珠樹

カクテル光線
 誰がネーミングしたのだろうか。このまことに素敵な響きを持つ言葉を耳にすると、必ずといってよいほど私はある空間へと引きずり込まれていく。私の父は決して野球好きのほうではなかったが、小学生の頃私を何回か野球場へ連れて行ってくれた。今でも忘れない。初めて後楽園球場に連れて行ってもらったときのことである。確かオールスター戦だったと思う。父の後について球場のスタンド裏手の通路を歩き、自分の席に最も近い階段を上ってスタンドに出たときのことである。私は強烈で真っ白な、そして妙に暖かな光線に全身を包まれてしまい、一瞬目が眩んでしまったのである。それ以来、「目が眩む」という表現に出会うと、私の頭脳はこのときの情景を再現するようになった。初夏の、涼やかな、そしてまだ青みを僅かに残した空を背景に輝くこのカクテル光線の群れは、私が父と過ごした幸せな思い出とセットとなって、今でも私の中に大切に保存されている。
「1937年(昭和12年)に完成し、1987年(昭和62年)まで、本家後楽園の隣でプロ野球のホームグランドとして観客を集めた後楽園球場は、日本を代表するスタジアムだった」。こんな話から始まる本書だが、主役は決してスタジアムそのものではない。「最初は主だったスタジアムの来歴とそこで演じられた試合中心に話を進めるつもりだったが、調べてゆくうちに、選手や試合よりも、スタジアムを作った人物、そこを訪れた人々、そしてスタジアムの栄枯盛衰と時代の空気とのかかわりのほうに関心が移り、そうした話が中心になった」と“あとがき”にもあるように、本書は後楽園球場と正力松太郎、両国国技館と春日野理事長、東京スタジアムと“永田ラッパ”で名を馳せた永田雅一など、いわゆるスタジアム建設の立役者とその時代が主役なのである。

伝統と国際化の相克
 1964年(昭和39年)10月10日に開幕した東京オリンピックは、日本の戦後の完全復興と国際社会への仲間入りを世界にアピールする役目を担って開催されたといっても過言ではない。そして、この大会で初めて種目に採用されたのが柔道である。「敗戦後、占領軍によって学校教育での実施が禁じられた武道(柔道、剣道、なぎなた、弓道)だが、徐々にその禁も解かれ、1950年代後半には中学、高校での科目にも取り入れられるようになった。こうした武道復興の動きの一方、1964年のオリンピックの東京開催が決まり、スポーツへの注目度が高まる。この二つの流れを受ける形で『武道の大殿堂』建設の声が国会議員の間で高まった」結果、現在の武道館建設が実現する。ところで、この武道館という建物は建築家山田 守の作品で「正八角形の床面に八面の屋根を持つ屋内競技場としては珍しい形状で、屋根の頂点には金色の義宝珠(ぎぼし)が置かれるユニークなもの」であるが、この武道館建設には東海大学創立者松前重義が大いに采配を振るったという。「富士の裾野を連想させるゆったりした流動美」を持つこの純日本的建物に、松前は「日本的テイストに彩られた山田の設計案のなかに、国際的にも通用する普遍性を見て」とり、彼が柔道の未来のためにぜひ必要と考えていた伝統的性格と近代的、国際的性格を合わせ持つスポーツへ移行させる考え方と合致すると踏んだようだ。まさに伝統と国際化の相克が、見事に武道館建設によって昇華されたわけである。
 スタジアムの建設というものが始まったのは紀元前450年頃らしい。この古代ギリシャの1単位であったスタジオン(約180m)の競争路を持っていたことを語源とする建物は、以来、古今東西で数多くの人間ドラマを生んできたに違いない。本書もこうしたスポーツのハードウエアーとも言うべきスタジアムの建設をわが国で画策し、人生を賭した人々をテーマに据えている。そこには、カクテル光線に包まれたグラウンド上にはない人間ドラマがあることを、別の意味でのスポーツの魅力をわれわれに教示してくれているように思えてならない。


(久米 秀作)

出版元:平凡社

(掲載日:2006-01-10)

タグ:スタジアム 歴史 
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季刊 Life Saving(ライフセービング)
NPO法人日本ライフセービング協会

 人命救助や水辺の安全指導という確固たる指針の一方で、ビーチフラッグスに代表されるスポーツ競技的な要素も多分にあるライフセービング。救命、スポーツ、教育、福祉、環境などさまざまな角度から「命の尊厳」を追求するマガジン。年4回発行。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:舵社

(掲載日:2006-07-10)

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スポーツMBA
広瀬 一郎

 スポーツ産業の特質、スポーツ経営戦略論、マーケティング・コミュニケーションとITの活用、顧客志向施設整備、法務のケース・スタディー、スポーツチームの人事実務などの章を設け、スポーツビジネスを図やグラフを用いてわかりやすく解説。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:創文企画

(掲載日:2006-09-10)

タグ:経営 スポーツ産業 
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スポーツゴジラ
日本スポーツ学会

 フリーペーパーによるスポーツ総合誌が創刊。種目を問わずスポーツそのものの魅力や価値を語り合うことを目的をしている。第 0 号、創刊パイロット号は、特集「スポーツ中継に演出は必要か?」、対談「岡田武史 愛の5カ条」ほか。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:

(掲載日:2007-02-10)

タグ:フリーペーパー 
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アイロンと朝の詩人 回送電車 III
堀江 敏幸

走り方に出てくるもの
 走り方には人が出る。
 人それぞれの個性を特徴づけるものはいくつもあるが、私にとって極端に違いのわかるのが全速力で走ったときのフォームだ。言葉をどれだけ重ねるより、その人が走っている姿を見ればいっぺんにどんな人かがわかるような気がする。頭で理解するとか言うのでなく(科学的でない表現を承知のうえで言えば)肌で感じるのである。
 走るフォームには人それぞれの身長や体重、手足の長さあるいは筋の出力特性といった解剖学的・生理学的特性も関係しているのはもちろんだが、しかしそれ以上に性格とか気質あるいはもっともっとプリミティブなものが深く関わって「ホントウノワタシ」が表出するように思う。
 豪放磊落で通っている人が几帳面で神経質な走り方をしていたり、逆に普段は穏やかな紳士と認識されている人格者が、走ってみたら気性の荒さが丸出しになったりするのが判って面白い。顔や名前は忘れてしまっても走るのを見たら誰だったかどんな人だったかが思い出せた、などということもよくある。

なぜわかるのか
 この感覚はしかし私に限ったものではないと思う。とくに多くのスポーツ関係者、とりわけコーチやトレーナーなど選手の動きをよく観察する立場にいる人たちならより鋭い解読能力を持っているだろう。走り方に限らず、跳ぶ・投げる・打つ・舞う、などの運動動作から応用することも可能であるに違いない。さらには書画や陶芸、音楽などの芸術作品の中にも、見る人が見ればわかる作家の個性が潜んでいることに異を唱える人は少ないと思われる。
 なぜ、そんなことが見たり聞いたりするだけでわかるのか?
 それは“全力で走る”あるいは“全力で表現する”ということは小手先の技術や理論では武装できないところであり、その人に染み付いた“身体のクセ”のようなもの、すなわち、つくり手の生の姿が身のこなし方や作品に投影されてくるからではないかと思う。
 文章も例外ではなく、言葉として書かれている内容とか意味とかとは別次元のところ、つまりリズムやテンポ、字面からただよう空気感などから、作者の趣味嗜好品格人柄が浮かび上がってくるような気がする。

組み合わせが創造に
 さて今回紹介する書籍だが、体育の本でもトレーニングの本でもない。散文集だ。
 ただし、いたるところに身体や動作についての詳細な観察場面が出てきて、独特の清潔感と静けさの中で語られて行く。
 1つひとつの題名からは、トレーニングとの関連どころか、それらが何を意味しているのか連想することさえ難しいエッセイが並んでいる。しかし一見無関係で妙な組み合わせに思える話が、読み進むに連れてそれぞれの関係性が解き明かされ、ジグソーパズルをはめるように最後にはちゃんとつじつまが合って決まる。そして何となくだが、だんだんとなぜこの本が「アイロンと朝の詩人」という題名なのか、副題にどうして「回送電車」とあるのかが伝わってくる。
 “創造とは組み合わせの問題である”と誰が言ったか知らないが、よく言われることである。組み合わせとは基礎の応用であって、何かと何かを組み合わせることでそれぞれにはなかった新しいものを生み出すことができたとしたら、それは何か1つの創造をしていることになる。
 こういう人が身体動作について考える文章の中に、新しいトレーニングのヒント(組み合わせ)が隠れていないだろうかと思って読みながら、「文章がすうっと身体に入ってきた」なんていう表現を創りだす人が、いったいどんな走り方をするのか見てみたい衝動に駆られるのだ。

(板井 美浩)

出版元:中央公論新社

(掲載日:2008-08-10)

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真剣
黒澤 雄太

 著者にとって真剣とは、比喩ではなく真剣のことを指す。真剣を使った道場(日本武徳院試斬居合道)を開き、後進への指導を行っている。自らも修行を重ねており、雑念が入ったり、考えては斬ることができないこと、そしてその 1 回ごとの結果は斬れたかどうかですぐに明らかとなる。これは禅に通じるものがあるという。対象とどのように向き合うかは、実は自分自身と向き合うこと。この深い対峙によってパフォーマンスが決まる。それはまさに真剣勝負であり、本書から学ぶところは大きい。

(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:光文社

(掲載日:2008-09-10)

タグ:居合 
カテゴリ その他
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いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか
内藤 朝雄

子ども世界だけでない「いじめ」
“イッキ飲み防止連絡協議会”というのを皆さんご存知だろうか。毎年、年度初めに貼られる一気飲み防止キャンペーンのポスターを大学生なら見たことのある人が多いと思うが、そのポスターを作成・配布しているのがこの団体だ。“イッキ飲ませ”で息子さんを亡くした親御さんが中心となって1992年に設立された団体である。
 あろうことか、その7年前、1985年の流行語大賞に“イッキ!イッキ!”が選ばれている。以来24年の間に、119名もの人が一気飲みなどの大量飲酒による急性アルコール中毒などで命を落としているのだ。1991年の13名(!)をピークに漸減してはいるものの、昨年度(2008年3月~2009年3月)1年間で、5名もの大学生が亡くなっており、悲しい事件の犠牲者は後を絶たない(アルコール薬物問題全国市民協会のHPによる)。
 複数の人間で囃したて、ある特定の一人を吊るし上げて酒を飲ませるといった馬鹿げた行為は、“アルハラ(アルコール・ハラスメント)”という名を借りた、大人の「いじめ」にほかならない。“アルハラ”に限らない「いじめ」は、子ども世界の専売特許ではなく、大人の世界でも容易にそして頻繁に生じる恐れは常にあるのだ。中でも、部活動や寮生活で閉ざされた人間関係を構築しやすい体育・スポーツの現場では細心の注意を払う必要があるだろう。

逃げることができない世界で
 本書は、主に「学校のいじめについて、分析を行い、『なぜいじめが起こるのか』について、いじめの構造とシステムを見出そうとする試みの書」である。
「学校」とは「逃げることができない出口なしの世界」だ。「学校では、これまで何の縁もなかった同年齢の人々をひとまとめにして(学年制度)、朝から夕方までひとつのクラスに集め(学級制度)、強制的に出頭させ、全生活を囲い込んで軟禁する」。そして「狭い生活空間に人々を強制収容したうえで、さまざまな『かかわりあい』を強制する。たとえば、集団学習、集団摂食、班活動、掃除などの不払い労働、雑用割り当て、学校行事、部活動、各種連帯責任などの過酷な強制を通じて、ありとあらゆる生活活動が小集団自治訓練になるように、しむける」のである。皮肉っぽい表現のようだが、確かに「学校」にはこのような側面がある。
 そんな「学校という狭い空間に閉じ込められて生きる生徒たちの、独特の心理-社会的な秩序(群生秩序)を、いじめの事例から浮き彫りに」し、「閉鎖的な小社会の秩序のメカニズムを明らかに」していく。それらを踏まえ「生徒たちを閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせる学校制度の効果」による「『生きがたい』心理-社会的な秩序(筆者注:すなわち“いじめ”か?)をなくしていくための」「『新たな教育制度』」を論じている。

他者コントロールという幻想
「いじめは、学校の生徒たちだけの問題」ではなく、「昔から今まで、ありとあらゆる社会で、人類は、このはらわたがねじれるような現象に苦しんできた」問題である。いじめる側の動機は、「他者をコントロールすることで得られる」「曖昧な『無限の』感覚」すなわち「全能感」で説明がつくことがある。
 とりわけ、体育教師やコーチ、アスレチックトレーナーといった職業は、学生や選手に対する“教育的”な側面が強調されやすい立場であり、「世話をする。教育をする。しつける。ケアをする。修復する。和解させる。蘇生させる」といった場面に身をおくことが少なくない。ややもすると、「他者コントロール」をしている幻想にとらわれ、勘違いをして「全能感」を求めるようにならないとも限らない。
 とくに、やる気や情熱にあふれた“指導者”ほど、この「全能感」を求めている自分に気づかない状況に陥りやすいのではないだろうか。だからこそ、「ケア・教育系の『する』『させる』情熱でもって、思いどおりにならないはずの他者を思いどおりに『する』ことが好きでたまらない人」にならないよう心がけていたいものだ。
“紙一重”の世界に私たちは住んでいるのである。

(板井 美浩)

出版元:講談社

(掲載日:2009-10-10)

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Return to Life Through Contrology ピラティスで本来のあなたを取り戻す!
ジョセフ・H・ピラティス 日本ピラティス研究会 武田 淳也

 ジョセフ・ピラティス氏によるバイブル的な著 書、『Return to Life Through Contrology』原著第2版(1945年)を翻訳したものである。
 34のエクササイズとともに、「自然に基づく身体教育の基本原則」が掲載され、これが本書の核となっている。この文章は、ピラティス氏の考え方を今に伝えるものであり、古さを感じさせることなく、どのような気持ちで動作を行い、呼吸すべきかをガイドしてくれる。
「あとがきに代えて」の部分では監訳者・編著者からのメッセージには、よい動きや姿勢のイメージを、イメージの通りに行うための方法としてコントロロジー(コントロールに接尾辞-gyがついた語)があり、それがピラティスの醍醐味であると紹介している。
 ピラティスの歴史についても年表形式でまとめてあり、よい指導者を選ぶためのガイドブックともなっている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:現代書林

(掲載日:2011-06-10)

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働かないアリに意義がある 社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係
長谷川 英祐

働かないアリの存在意義
「働かないでお金儲けできるってよくないですか」。少し前に卒業した教え子が突然こんなことを言い出した。ビジネスで成功し、将来的に左うちわで過ごしたいというのではあれば、まあ面白いかと話を聞いた。どんな壮大なビジネスプランが飛び出してくるのかと思いきや、何のことはない。マルチ商法にはまってしまっただけだった。久方ぶりに文字通りの落胆というものを味わった。
 さて本書の著者長谷川英祐氏は、アリやハチなど「真社会性生物」専門の進化生物学者である。読者はまずタイトルである「働かないアリに意義がある」を一見して、どう感じるだろう。よく働くものだけを取り出してコロニーをつくった場合と、働かないものだけでそうした場合とを比べると、双方とも「同じような労働頻度の分布を示す」という、いわゆる「2:8の法則」や「パレートの法則」と呼ばれるものを思い出すかもしれない。確かにある種のアリでは、それが真実として認められるそうだ。
 では、なぜそうなるのだろう。働かないアリは本当に働きたくないから、楽をして生きていたいから働かないのか。巣に引きこもって外に出ようともしない彼らに一体どのような存在意義があるのか。本書で非常に興味深い説明がなされている。トレーニングに詳しい人には、運動生理学で学んだ「サイズの原理」がヒントになる。筋肉を筋線維のコロニーだと考えるとわかりやすいはずだ。
 本書の読後は人間の個体もいわば60兆からなる細胞のコロニーだという感覚を新鮮に持つこともできる。個体の中に、生殖細胞を維持するための完全な社会を持つのだと。

アリとヒト、それぞれの社会
 同じアリやハチでもその種類によって生態は異なり、全ての種にその法則が当てはまるわけではない。全てのコロニーメンバーが完全な遺伝的クローンとなる「クローン生殖」や、社会システムにただ乗りし、働かずに自分の子を生み続ける「フリーライダー」など、興味深いさまざまな「真社会性生物」の生態を、本書では生物学者のハードワークに舌を巻きながら楽しむことができる。著者が「人間から見ると信じられないような、他者を出し抜いて自らの利益を高めるような生態」と呼ぶ行動も、自分の遺伝子を残すための工夫だと思えば、まだ許されるようにも思えてくる。それより、お金のためにそのような行動に出ることのある人間のほうがアリには信じられないだろう。
 ヒトは本来、過酷な環境を生き残り、自分の遺伝子を次世代に伝えるために働いたのだろう。より効率的かつ安全に生活するために群れをつくり、社会が生まれた。生物としては奇跡的な進化を遂げてきたヒトは、そこで膨大な付加価値を創造してきた。それらの価値の重要な尺度となる貨幣は、社会で生活するための必需品で、自分が分担している労働価値を他の価値に変換することができるツールでもある。しかし貨幣そのものが働く目的となり、貨幣が貨幣を生むような構図は、その是非はともかく、よほどの良心が存在しない限り、さまざまな問題をも生み出してしまう。
 その卑小な例であるマルチ商法に没頭している元教え子は、フットサルやバスケットボールのスポーツイベントと称した集まりを企画し、自分に縁のある同窓生をかき集めている。彼らが信じる「素晴らしい考え」を多くの人に伝えたいと称してはいるが、将来自分が楽をするためのカモを身近なところで探しているわけだ。遺伝子を伝えるためにではなく、自分の金づるとなる子や孫をせっせと増やそうとしているその行動は、アリには到底理解できないだろう。「利他者」の顔をした「利己者」は、自分が本当に「利他者」と思い込んでいる分、性質が悪い。自分の考えに賛同してくれない人間は付き合う価値がないとたたき込まれているようなので、在校生や他の卒業生を守るための手を打ちながら、その本人とは一線を置き、指導者としての苦みをかみしめながら放置せざるを得ない。ただ、この本は読んでみてもらいたいとは思う。



(山根 太治)

出版元:メディアファクトリー

(掲載日:2011-09-10)

タグ:進化生物学 
カテゴリ その他
CiNii Booksで検索:働かないアリに意義がある 社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係
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エチ先生と『銀の匙』の子どもたち 奇跡の教室 伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀
伊藤 氏貴

型破りな授業
 かつて私立灘高校において、型破りな国語の授業が展開されていた。エチ先生こと橋本武氏が担当する学級では、小説「銀の匙」(中勘助著)を 3 年間かけてじっくり読み、その世界を追体験するのである。それは「なんとなくわかったで済まさない」という徹底したもので、主人公が近所の駄菓子屋に行く場面では、生徒たちに小説と同じ駄菓子が配られたり、凧上げのシーンでは実際に凧を作って校庭であげたり、小説中の「丑紅」の言葉で立ち止まって十干十二支や二十四節気の話に脱線したり、といった具合なのである。そして、その授業ではいつも、ナビゲーターとして、エチ先生が工夫を凝らした手づくりのプリントが配られていた。
 本書を読み終え、すごいなぁと感動すると同時に、ある違和感を感じた。本書の帯にこう記されている。
「文庫本1冊×3年間=東大合格日本一」
「21世紀に成功するための勉強方『スロウ・リーディング』の極意に迫る」
 これが本書の内容を的確に紹介しているとは、とても思えない。本書で紹介されているデータでは、エチ先生の「銀の匙」の授業を受けたことをきっかけに、生徒たちは東大や京大の合格者数を急増させ、灘高を一流進学校へと押し上げるのだが、それはエチ先生が求めた「結果」ではないことは本文でも触れられている。また、各章の後にある「HASHIMOTO METHOD」というコーナーも違和感の原因だと思う。この授業について解説するというものであるが、「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」というエチ先生の言葉が重要なキーワードとして本文中に記されているのにもかかわらず、「スロウ・リーディング」はこんなに役に立つんですよ、というような内容なのだ。

本当の結果とは
 本書にケチをつけようという気は毛頭ない。だが、違和感を感じていることは事実である。私はこの違和感を、エチ先生と本書が投げかけている波紋ではないかと思っている。
 知識とは何か。学校の授業は、教師と生徒の関係はどうあるべきか。そして、教育が目指すべき本当の「結果」とは何なのか。そのヒントを本文から引用して紹介したい。卒業文集に編集後記として掲載されたエチ先生の文章の一部である。本書の中で、私が最も好きな一節だ。
「教室での関係はすでに終わつた。授業料でつながれていた束縛はなくなつた。目に見えない校則でしばられていた枷は外された。嘗て教室で国語を手がかりとする教師と生徒であつたという、精神的な連帯感だけとなつた。これから、諸君と私との間に、新しい楽しい関係が生じなければならないと思う。是非、そうしてほしいと思う。しかし、たとえそうならなくても私は嘆かないつもりである。私のために諸君の自由を束縛することはできないからである。私はまた、自分の手許から飛び立つていつた小鳥たちのことは忘れて、新しく“灘”という巣へやつて来た小鳥たちのために、夢中になつて餌ごしらえをすることであろう。その小鳥たちも、私の手の及ばなくなるほど成長した時に、私の手から飛び立つていくだろう。私はだまつて見送るだろう。そうして私は老いていく。それが私の一生である。」
 要するに、教師の役割は生徒を巣立たせることだけであり、その仕事は巣立つまでの餌ごしらえなのだ、というエチ先生の腹のくくり方が軽やかでもあり、重くもある。数年後には何の関係もなくなってしまうかもしれない小鳥たちのための餌ごしらえを、休まず丹念に情熱を込めて続けてきたことこそがエチ先生の本当のすごさなのだ。スロウ・リーディングという方法論だけが注目され一人歩きをしてしまっては、肝心なことが見過ごされてしまうような気がする。私が本書に対して感じている違和感は、このことなのだと思う。
 親であれ職業教師であれボランティアのスポーツ指導者であれ、小鳥たちの餌は、自分で探し、自分の身体で運び、自分の手で与えるべきだ。きっとそれが、子どもを育てるということなのではないだろうか。
 エチ先生の言う「結果」とは、生徒たちが卒業して還暦を過ぎても前を向いて歩いていることであり、そのために小鳥たちに与えた餌が『銀の匙』と授業プリントである。さて、私は小鳥たちにどんな餌を見つけられるのだろうか。そして、私が関わった子どもたちは、どんな大人になるのだろうか。
(尾原 陽介)

出版元:小学館

(掲載日:2011-10-10)

タグ:教育 
カテゴリ その他
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科学コミュニケーション 理科の〈考え方〉をひらく
岸田 一隆

 科学的な知識を身につけることが容易な人と、そうでない人がいる。そして、理系と文系の間には深い溝があるというのである。筆者は、物理学がなぜ難しいのかについて、日常感覚でとらえることが難しいほど高度に抽象化されているためであると言う。そして科学は蓄積によって進んでいくために、前提となる知識が膨大になってしまっていることもある。ここに科学コミュニケーションが求められる理由が浮かび上がってくる。本書では、共感・共有の科学コミュニケーションを実現するために対人コミュニケーションの力とエピソードの力を総動員して伝えることの大切さと、その方法について丁寧に言葉を重ねている。
 ここで指摘されていることはスポーツ医科学の分野においても当てはまる部分がある。むしろ筆者としてはサッカーの指導に学ぶところがあると述べている。知っている側からの押し付けにならず、知りたい側が自発的に知識を得るためにはどうすればよいかという模索は続くようだ。




(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:平凡社

(掲載日:2011-11-10)

タグ:コミュニケーション 指導 
カテゴリ その他
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気概と行動の教育者 嘉納治五郎
嘉納治五郎生誕150周年記念出版委員会

小学生向けの講義
 私が住む街の主催事業で“子ども科学講座”というのがあって、“人間を科学する”という今年度のテーマのもと“カラダの動く仕組みを知ると駆け足が速くなる!”と題して1コマ持たされ、小学生を相手に講義と実技をセットでやってきた。
 その中で、“重いオンブ・軽いオンブ”というのをやったら大いにウケた。“寝た子は重い”の原理で、“重いオンブ”は上になった人が脱力するのである。その際、グターッと落ちそうになったりするとさらに重くなって好ましい。“軽いオンブ”は逆に力を入れてごらんと言うだけ。上の人は適度に緊張し、腋と内股を締め、背負う人を押さえるようにすればよい。
 交代交代でやって、ひとしきり盛り上がった後、同じ人でもオンブの仕方でその重さが全然違って感じられること、同じもの(人)でも見方を変えると別の側面が見えて面白いねと説明すると一同目を輝かせて頷いてくれ、日頃相手にしている大学生の授業よりむしろ緊張して臨んだ講師としては大いに溜飲を下げたものだ。もっとも、ウチの次男坊(幼稚園生だが特別に参加させてもらっていた)にも覚えられ、“軽いオンブ”作戦を使っては外出のたびオンブをせがまれるのには閉口したけれど。
 大学生に同じ課題をやらせると、お!  何をやるんだとばかりに興味津々で試してくれるのが三分の一、戸惑いながらもやってみる者が三分の一、残りは恥ずかしいのかバカバカしいのか面倒くさいのか、突っ立ったまま何もしないでいる。
 しかし中には“軽いオンブ”でうまく息を合わせ、体重差50kgもありそうな体格の相棒を軽々とオンブして歩き回っている者もある。何とかして皆の注目をそこに集め、体重は、ちょっとしたオンブの仕方の違いで重くも軽くも大いに異なって自覚されること、オンブごっこをやった意義は、体重(測定された値=科学的数値)は1つだが、見方によって全く異なった印象で認識されるということを身をもってわかってほしかったからであると、種明かしまでしてやっと納得してくれるのである。というか、それをもっと早く言えよ的態度をとられることもあり、大人になると感性が鈍るなあ、でもちゃんとわかるような授業ができない私が悪いんだよなあ反省しましょうそうしましょうと、ついつい晩酌の量が増えるのである。

数値では把握できない大きさ
 さて、本書『嘉納治五郎』だ。その名を知らない体育関係者は少なかろうと思う。講道館“柔道”の創始者であり、日本人(アジア人)初のIOC委員として第12回オリンピック東京大会(1940年開催と決定するも日中戦争の影響で返上)の招致を成功させた、体育・スポーツ・教育界の巨人である。
 ところが嘉納は、そもそも学問のほうが得意で運動はむしろ苦手だったらしい。嘉納が柔道(柔術)に興味を抱いたのは12歳の頃で、「幼少の頃に虚弱な身体であったので強くなりたくて柔術を学ぼうと決心した」ようである。
 しかも勝ちさえすればよいというのではなく、後に柔術からの学びを「柔道」に発展させたとき「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である」「身体精神を鍛錬修養し」「己を完成し世を補益するが柔道修行の究極の目的である」と説いているところが凄い。
 一方で、「柔道は国際化していくなかで、カラー柔道着に象徴されるように、本来の柔道の考えが薄れつつあるといわれてきた」が、「嘉納が創始した講道館柔道の技と精神の原点は何であったかということを求める傾向」が強まってきており、「原点である嘉納治五郎の柔道思想に回帰しようという動きも出てきている」ようである。
 嘉納は「成人時でも一五八センチ、五八キロ」だったというから、当時の日本人としても決して大きいほうではない。しかも晩年「彼はわずか一○五ポンド(四七.二五キロ)に過ぎなかったが」「ニューヨークを訪問した折に」「二○○ポンド(九○キロ)のリポーターを床に投げた」のだという。
 生誕150周年を迎え、嘉納治五郎という人間が、数値を超えた巨人として蘇ってくるのである。
(板井 美浩)

出版元:筑波大学出版会

(掲載日:2011-12-10)

タグ:教育 
カテゴリ その他
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実はすごい!!「療法士」の仕事「自分の人生」も「相手の人生」も輝かせる仕事
POST編集部

 POSTとは理学療法士(PT)・作業療法士(OT)・言語聴覚士(ST)のこと。ポータルサイト「POST」へ寄せられた質問の中から100問を選び、POST編集長を始め現役のPT・ST・OTが回答した。基本的な仕事内容から、学校選びや就職・転職・復職の実態についても踏み込んでいる。今後高齢化が進むにつれPOSTの活躍も求められる。まずPOSTを知ってもらい、さらに目指してもらいたいという熱意が伝わってくる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:BABジャパン

(掲載日:2016-12-10)

タグ:理学療法士 作業療法士 言語聴覚士 
カテゴリ その他
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哲学な日々 考えさせない時代に抗して
野矢 茂樹

哲学とは
 フィールド種目(陸上競技の)体質なので、トラック種目のようにピストルの“ドン”に合わせてスタートさせられるのはどうも苦手だ。どうして他人の都合に合わせて走り出さなければならないのか。その点、フィールド種目は、制限時間の範囲内であればいつ試技を始めてもいいのだ。自由じゃないか。
 こんな話を、トラック種目が専門の同級生としていたら、妙な答えが返ってきた。
“あれは、自分で鳴らすんだよ”。さらに、“フィールドの方こそ、いつ自分の番が回ってくるか分からないのにどこが自由なんだ。”と言った。
 つまり、トラック種目はスタート時刻が決まっているからタイミングが図りやすい。場合によってはその時刻に、あたかも自分が引き金を引くがごとくピストルを鳴らす、と考えることもできる。それに比べフィールド種目は“パス”することもあったりして、他の選手の都合によって、試技は名簿順に回って来るとは限らないから、どうやって集中を高めたらよいかわからないじゃないか。というのだ。なーるほど。
 先日、あるトップスプリンターの話を聞く機会があったので、そのあたりのこと、つまりスタートラインに立ったとき何を考えているのか、どんな集中方法をとっているのか質問してみた。
 返ってきた答えは、“ピストルの音に合わせなければならない、という条件は皆一緒だから仕方ありません。気にしないように努めています”、また、“あまり自信が持てるほうではないので、スタートはできるだけ開き直ることにして、「自分」に集中するようにしています”というものだった。
 は? どういうこと?
 この人なら“自分で鳴らす”以上の、“オレサマ”的すごいことを言うんじゃないかとの期待も込めて尋ねたのに、あくまで謙虚、というよりむしろ新鮮だったのは、ネガティブな表現も厭わず使うその姿だった。
 ポジティブな言葉で語ることが是とされる昨今、この、冷静で、ニュートラルな位置に身を置くこの選手の存在に、非常に“テツガクテキ”なものを感じた。哲学とは“気づき”の学問であると(はなはだ単純ではあるけれど)私は思うからだ。

スプリンターと論理の必要性
 さて今回は、『哲学な日々』。著者の野矢茂樹は、「哲学は体育に似ている」という(ま、そう書かれた部分を私が引用しただけなんだけどね。しかし、「身をもって哲学を体験する」という表現も出てくるから、私の短絡も決して間違ってはいないと思う)。
 たとえば野矢は、「論理の必要性」を説き、「ある主張を解説したり、その理由を述べたり、そこから何かを結論したりする。あるいはまた、主張を付加したり、補足したり、先の主張に反論したりもする」と言い、それを言葉で伝える訓練が重要であるとしている。
 スプリンターにも、この力の必要性が当てはまるのではないか。
“スプリンターは生まれるもので、育てるものではない”という素質論的な考え方があって、強く異論を唱えるつもりはない。しかし一方で、10年におよぶ長い期間を日本の(世界の)トップスプリンターとして活躍する選手も近年では増えている。そういう選手は、だからこそ“才能一本”では決して走っていない。緻密なトレーニング計画(推論)のもとに、丁寧に丁寧に、才能に磨きをかけ、スプリンターとして自らを“育てる”作業を根気よく続けているように私にはみえるのである。
「論理的」とは「推論が正確にできること」だ。100メートルを速く走りたいという想い(「妄想」)を脹らませるだけでは、足は速くならない(「哲学にならない」)。100メートル走という古典的な種目ではあるけれども、「それを新しい見方、新しい考え方のもとに説明」し、しかも「その説明は、きちんと理屈の通ったものでなければならない」。また、そういった“論理的知性”の重要性は、100メートル走という、ある意味“単純な”種目だからこそ、より高いものが求められるに違いない。
 今回、引き合いに出させてもらったトップスプリンター氏は、別の質問者による問いに対し、自身の身体的特徴を踏まえた上で考え抜かれたオリジナリティの高い(少なくともボルトとは全く異なる)観点から、自らの理想とする“走り方”について述べた。それは、謙虚であるけれども、確信に満ちているものであった。
 彼のような選手が、新しい世界を切り拓き、日本の短距離界がさらに発展していくことを切に願う。
(板井 美浩)

出版元:講談社

(掲載日:2017-02-10)

タグ:哲学 
カテゴリ その他
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「お客様をやめさせない」スクール&教室運営の仕組み
水藤 英司

 フィットネスクラブやヨガ教室、ダンススクールなどのスクールビジネスにおいて、会員の継続率は成功の鍵となる。スクールの講師の視点と経営者の視点を持って、解説していく。まず会員心理を把握した後、顧客満足度を高める要素をプライス・サービス・クオリティ・クレンリネス・アトモスフィアの5つの面から分析。それを踏まえ、やめさせない仕掛けを6つに整理して提示した。それを実現すべく、スタッフのやる気のマネジメントにも言及している。トレーニング指導者にとってはスクール経営者の考えを垣間見ることもできる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)

出版元:同文舘出版

(掲載日:2017-04-10)

タグ:経営 運営 
カテゴリ その他
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アスピーガールの心と体を守る性のルール
デビ・ブラウン 村山 光子 吉野 智子

通過儀礼
 私が身を置く大学は47都道府県すべてから学生を受け入れ、“医療の谷間に灯をともす。”という理念の下、へき地医療を中心とした地域医療を支える医師を育てることを目的としている。
 卒業後それぞれの出身地に戻り、地域の中核病院で研修医として 2 ~ 3 年のあいだ働いて力をつけた後、各地の町・村・離島・山間の診療所へと赴くことになっている。
 そこで多くの卒業生が大変なカルチャーショックを受ける。これまで学んだ最先端の医療を施してやろうと意気込んでイナカに乗り込んだにもかかわらず、まったく住民から受け入れてもらえないからだ。
 そのような通過儀礼を経て初めて、地域のニーズに合った(患者のための)医療とはどんなものかと原点に返って医学を学びなおし、医師としての本当のスタートを切ることになる。
 これと似たようなことを、私は赴任したての頃この大学で味わったことを思い出した。
 東京で数々の一流選手を見てきた経験から最高のアドバイスをしているつもりが、ウチの学生にはちっとも通じないのだ。なぜ理解できないのだと最初は怒りに震え、これまで会ってきた一流選手たちは一瞬でわかってくれたぞと声を張り上げてはみるものの、学生たちは困惑の表情を浮かべるばかりだった。
 これでは駄目だと自分の実力(数々の一流選手に会えたのも決して自分の力ではなかったことも併せて)に気づくのに鈍感な私は数年かかったが、“体育界”の人たちにしか通じなかった感覚を言葉として表す試みを続け、少しずつ分かってもらえるようになった頃やっと“体育教師”としての生活が始まったという実感を得ることができた。

「性のルール」
 さて今回は、『アスピーガールの心と体を守る性のルール』。著者のデビ・ブラウンはスコットランド在住で、「アスペルガー当事者」でもある自閉症の研究者だ。
「アスピーガール」とは「アスペルガーの女の子や女性」のことを指している。彼女たちは「こちらが常識やある程度の知識を持っていることを前提として」「曖昧な教え方」をすると理解できず、「誤解して受け取ってしまうことも」ある。だから(世間の考え方に合わせているつもりで)“あたりまえ”の行動をすると、“とんでもない”と世間から批判を受け、「批判されることに敏感なので、深く傷つく」ことが多いという。
 とくに「性」に関することは、「体の中で最も敏感で繊細な部分を他人にさらす行為であるため傷つくリスクも高く」なるので、「アスピーガールを守るために」「正しい知識」を身に付けることが重要になる。さらにたとえば「絶対に彼氏にしてはいけない人」の筆頭に「家族や親戚。(父親、義父、叔父、祖父、兄弟など)」が挙げられている。アスペルガーでない者にとっては少々驚く記述だが、アスピーガ ールにとっては「基本的であっても一から確認すること」が重要なのだという。
 デリケートな話題だからこそ、丁寧に、可能な限りわかりやすく、しかし直接的な表現は極力用いず淡々と綴られていく。

当たり前の確認
 読み進めていくうちに「性」についてこのような、解剖学的・生理学的“以外”の方法による説明に触れる機会は、アスピーガールか否かにかかわらずなかなかないのではないかということに気がついた。また、「性」に関することに限らず様々な“あたりまえ”について、「基本的であっても一から確認」し考え直してみることも人生(職業人としての人生も含め)のなかでは必要なのではないかとも思った。
 翻って、今年も全国から末頼もしい学生たちが入学し学園生活にもだいぶ慣れてきたころである。彼ら、彼女らとの年齢・世代的な隔たりがますます大きくなる私にとって、「アスピーガール」に対するのと同じくらい慎重に言葉を選び、学生たちに向か い合っていくことが、これからの課題としてあげられると思うのである。
(板井 美浩)

出版元:東洋館出版社

(掲載日:2017-06-10)

タグ:人生 性教育 アスペルガー 
カテゴリ その他
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スポーツとしての相撲論 力士の体重はなぜ30キロ増えたのか
西尾 克洋

 昭和から平成にかけて激変した相撲。スポーツ誌やビジネス誌などで相撲ライターをしている筆者が、大相撲を「決まり手」「体格」「ケガ」「指導」「学歴」「国際化」「人気低迷」の7つのキーワードで読み解いた一冊。相撲に対する様々な疑問に答える形式で書かれており、力士の入門から引退まで、一日の生活、相撲界独特の風習など、満遍なく解説してあります。
 そして相撲に関する問題が起こるたびに「神事」なのか「スポーツ」なのかが議論されていますが、これはあくまでも2021年現在の大相撲を「スポーツ」としてみた場合なので、ストレートでわかりやすく「あれはそういうことだったのか」と相撲への理解が深まりました。
(山口 玲奈)

出版元:光文社

(掲載日:2022-04-07)

タグ:相撲 
カテゴリ その他
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天気痛を治せば頭痛、めまい、ストレスがなくなる
佐藤 純

 天気の変化で痛みや気分障害が起こる病気を「天気痛」として、さまざまな対処法を紹介している。
 古来より天気と人のからだの関連は指摘されてきた。東洋医学の古典にも記述があるし、この本によれば、ギリシャ時代にもあったとのことなので、洋の東西を問わず、昔から知られていた現象なのだろう。
 天気が悪くなるとき、低気圧への変動がストレッサーとなって、交感神経が過剰反応するために起きてくる頭痛、めまい、古傷の痛みなどが天気痛の典型例だが、人によって症状は異なる。また、高気圧に変動する場合に症状が出る人もいるということなので、気圧の変動による自律神経の乱れというのが、本書でいう「天気痛」の病態だ。面白いのは、低気圧に変動するときに「躁状態」にスイッチが入る人もいるというところ。台風や時化などを見に行きたがる人はそちらのタイプらしいが、どうだろう。
 天気は変えようがないが、できることはたくさんある。まず、自分の症状がどんなときに出るのかを把握するだけで、大きくストレスが軽減する。本書では「痛み日記」をつけたり、「頭痛〜る」というアプリを使った方法が紹介されている。他に、症状が出やすいタイミングで、漢方や酔い止め薬を服用したり、ツボ(手首にある内関、耳周りの完骨、頭竅陰、翳風、足の人差し指にある厲兌)を刺激する。刺激する方法は、爪楊枝の頭を使ったり、ホットのペットボトルに熱湯を入れ、熱さを感じるまで当てるなど。
 あとは、頚部の筋緊張を軽減させるためにストレッチや、テニスボールを使った筋膜リリース、抵抗運動を使ったマッスルエナジーテクニックなど、普段、頸肩部への施術で行うようなことが紹介されている。痛みを記録し、自覚を促す点なども含め、切り口が違うだけで、痛みに対する手当てとしてやっていることは同じなのかもしれないと感じた。
(塩﨑 由規)

出版元:扶桑社

(掲載日:2022-05-12)

タグ:痛み 天気 
カテゴリ その他
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ざんねんないきもの事典
今泉 忠明 下間 文恵 徳永 明子 かわむら ふゆみ

 動物界・昆虫界の生き物の特徴を面白おかしく解説する本書。まず、キャッチーなフレーズが魅力だ。たとえば、

・サイの角はただのイボ
・アライグマは食べ物をあらわない
・ワニが口を開く力はおじいちゃんの握力に負ける
・コアリクイの威嚇はまったくこわくない

などなど。
 副題にあるように、どうしてそうなった!?と思わずにはいられない。専門的には様々な議論があるのだろうけれど、ユーモアあふれる切り口で生物の進化をざっくり説明してくれるのが、この本の魅力だろう。
 個人的には、ユカタンビワハゴロモの頭はからっぽ、というのがなぜか一番印象に残った。
(塩﨑 由規)

出版元:高橋書店

(掲載日:2022-05-30)

タグ:生物 
カテゴリ その他
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ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと
村上 靖彦

 著者は冒頭でこう言う。

「本書では、身体医学と精神医学を連続的に扱い、医療や福祉、ピアサポートなども連続的に扱う。さらには、心と身体と社会も連動的に語られることになる。特に身体については、医療行為の対象となる『臓器』としての側面ではなく、私たちが内側から感じるあいまいな〈からだ〉としての側面にクローズアップしていく。
 内側から感じる〈からだ〉の感覚や動き、好不調、気分といったものは、日常的に『心』と呼ばれているものと混じり合う。つまり、私たちの内側からの感覚という視点に立ったとき、身体は客観的に扱うことのできる『臓器』ではなくなり、心と〈からだ〉の区別はあいまいになっていくのだ。」

 あいまいなものはとかく排除されがちだと思う。とくに、客観的な指標が重視される現代医学では、画像で表れないもの、数字で示せないものは、「無い」に等しい。しかし、その原因がどうしたってわからないものでも、症状があるという状態はある。とすると、指の隙間からこぼれ落ちるもの、それはささいな、取るに足らないことかもしれないが、見逃すべきではない。
 人が発するどんな表現であれ、キャッチする人がいて初めてサインとなる。それは「SOS」として聴き取る人にとってのみ、サインとしての機能を果たし、そしてしばしば、聴き取ることそのものが、ケアとなる。
 それは存在を認める、という応答なのだろうと思う。
 責任:responsibilityは、レスポンス(反応)するアビリティ(能力)を持ったひとが負うものだと、聞いたことがある。
 イヴ・ジネストによって提唱されたユマニチュードという認知症ケアの技法では「目を合わせること」を重要な要素としている。なぜかというと、相手を見ない、ということは、「あなたは存在しない」というメッセージを送ることになる。「あなたは、ここにいるのですよ」というメッセージを送ること、これがユマニチュードの原点だという。
 ケアするひと、ケアラーには一般には考えられないほど、感覚の鋭敏性が光る。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の母親を看病する川口さん(逝かない身体)の場合を、著者はこう書く。

「母親の身体は動かないが、娘は代わりに身体の発汗や熱を〈からだ〉のサインとして読み取る。〈中略〉発汗や発熱は生理的な現象であって、意図的な意思表示ではない。それでもこれらがサインたりえているのは、身体の生理現象を〈からだ〉からのサインへと翻訳するケアラーの側の感受性ゆえである。生命を感じ取るという仕方で、川口は母親との〈出会いの場〉を開き続けている。」

 ある本で、ALSの患者さんを数人で介助しているグループの対談を読んだ。印象に残っているのは、介助している人たちの「発声の仕方」が、静かにお腹から声を出している、というインタビュアー側の感想だった。
 受信モードに徹する介助者には、自身の声でサインをかき消してしまわないように、という配慮が板についている。
 ケアの視点で見たときに、身体医学と精神医学を区別する必要は必ずしもない。本書で用いてきた〈からだ〉という概念は身体と心の双方にまたがる経験だ。心身の区別は、そもそも西欧医学が学問的に導入した人為的なものにすぎない。
 不眠に悩んだり自傷行為に走る女性たちが、ボディワークとグループセッションによって、身体性と過去のプロセスを再確認し、自らの言葉を獲得する例や、ユージン・ジェンドリンの「フォーカシング」によって、悩みを思い浮かべたときの身体感覚に着目し、言語表出することで、イメージが変容し、実際に身体が楽になる、という例などは、心と身体は分けられないということを示している。
 著者はケアについてこう語る。

「ケアは人間の本質そのものでもある。そもそも、人間は自力では生存することができない。未熟な状態で生まれてくる。つまり、ある意味で新生児は障害者や病人と同じ条件下に置かれる。さらに付け加えるなら、弱い存在であること、誰かに依存しなくては生きていけないということ、支援を必要とするということは人間の出発点であり、すべての人に共通する基本的な性質である。誰の助けも必要とせずに生きることができる人は存在しない。人間社会では、いつも誰かが誰かをサポートしている。ならば、『独りでは生存することができない仲間を助ける生物』として、人間を定義することもできるのではないか。弱さを他の人が支えること。これが人間の条件であり、可能性でもあるといえないだろうか。」

 紹介しきれなかったが、ミルトン・メイヤロフのin place、ドナルド・ウィニコットのホールディング、熊谷の、自立は依存先を増やすこと、など、ケアを読み解くヒントとなるキーワードが溢れている。
(塩﨑 由規)

出版元:中央公論新社

(掲載日:2022-06-06)

タグ:ケア 
カテゴリ その他
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命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業
イチロー・カワチ

 世界トップクラスの平均寿命を誇る日本。その理由はソーシャルキャピタル(社会関係資本)にある。つまり、人びとの「絆」や「お互い様」といった日本語表現にもみられるような人間関係が、ひとの健康に大きく影響しているという。
 パブリックヘルスは川の上流で何が起きているのか、鳥の目で俯瞰することによって、人びとの健康に与える要因を見定める。なぜ、アメリカでは健康意識が高いひとが多いにもかかわらず、不健康なひとが多いのか? という疑問を追ってきた著者は、まず格差の問題を挙げる。所得が健康に与える影響というのはわかりやすいかもしれないが、実は所得が多いひとにとっても、格差があることによって健康に悪影響がある。
 所得格差は健康格差に直結する。そして、その影響は次世代にも引き継がれる。低所得の親の子どもは肥満になりやすく、糖尿病、うつ病などの罹患率も高くなる。筆者は所得の再分配は健康政策でもあるという立場だ。
 また、12年以上教育を受けた場合と、そうでない場合には死亡率に2倍もの差がつく。幼少期の教育は100万円投資したとすると、年間17万円もの利益が出るらしい。ほかに、マシュマロテストやペリー就学前プログラムなどを引きつつ、早期教育の重要性を訴える。
 なぜ不健康なひとが多いのか? 1つには健康に影響を与える民間企業の努力があるという。ここには、ひとは必ずしも合理的にものを考えるようにはできておらず、その時々の直感や感情によって行動を決定している、ということが関わっている。そこを巧みに利用してきた民間企業の広告・宣伝の力が、人びとの不健康に一役買っている。行動変容には個人の思考、心理によるところが多いと思われてきたが、実は身のまわりの人々や、環境によって意思決定していることが少なくない。そこで、社会全体として人びとの健康リスクを下げる取り組み(ポピュレーションアプローチ)が必要になってくる。
 さまざまな興味深いデータを示しながら、ひととひととの関係性が、個人の健康、ひいては人生の幸福につながる、という主張と読んだ。すこし日本を褒めすぎな気もした。
(塩﨑 由規)

出版元:小学館

(掲載日:2022-07-20)

タグ:健康 格差 公衆衛生 
カテゴリ その他
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はみだしの人類学 ともに生きる方法
松村 圭一郎

 ひとをどんな存在としてとらえるか? それが、世界の成り立ちを理解することであり、現在直面している問題を考えることでもある。この問いを出発点にして、本書は始まる。
 ひととひとがいれば、そこには関係が生まれる。これを「つながり」とする。さらに「輪郭が強調されるつながり」と「輪郭が溶けるつながり」のふたつに大別する。
 文化人類学は、どちらかといえば後者を大切にしてきた、と著者はいう。自分が揺さぶられ、境界線がわからなくなり、自分自身の変容を迫られる。とくにフィールドワークで異なる文化圏に長期参与する場合は、そうでなければ生活できない、と。
 他者に開かれていること。自分を維持しながらも、他者との出会いによって新しい自分が引き出され、つい境界線をはみだしてしまうような関係性、それが正しい、というのではなくて、その方が生きやすいのでは? と著者はいう。
 細胞膜を、思い浮かべた。細胞膜は半透膜だ。通すものと通さないものが、条件によって変わる。あるいは、膜の一部とともに物質を出し入れしたりもする。その働きによってホメオスタシス、つまり生体の恒常性は維持される。一定に保たれる、というより、ある範囲でゆらいでいる、というイメージの方が近い。細胞は常に外部と接触し、しなやかな境界面を変化させながら、場合によっては異物を内部に取り入れ、途方もない時間をかけて進化してきた。
 もし細胞膜が、硬直した構造と機能しか持たなかったら、いきものは存在しない。そんな、ちょっと飛躍したことを考えた。
(塩﨑 由規)

出版元:NHK出版

(掲載日:2022-08-02)

タグ:文化人類学 
カテゴリ その他
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仮面の家
横川 和夫

 実際にあった事件のルポルタージュ。事件の詳細については書くのを避けたい。読んでいる途中、ほんとうに胸が苦しくなった。事件の経緯をなぞっていくと、まるで八方塞がり、残る道は最悪の選択しかない、という心境になる。加害者は、ひとに尊敬されるような人格者で、誠実なひとだ。被害者の息子は、まるで最後の結末を招き入れるかのようにもみえる。あくまで、そう描かれているだけで、ほんとうのところは分からない。しかし、このルポが現実感をもって眼前に迫ってくるのは、間違いない。ひとごとではすまない、という気がする。
 無意識下で抑圧された感情が、もっとも身近で大切なひとに、思いもしない形で反射する。誰も自分はそうならない、なってはいない、とはっきり言明することができない。そう言えるとしたら、逆説的ではあるけれど、この病理の前兆ともいえるからだ。自分の中に潜む、固定観念からの脱却以前に、思考の枠組みという前提に、自身が気づくことの難しさを感じた。
(塩﨑 由規)

出版元:共同通信社

(掲載日:2022-09-01)

タグ:家族 ルポルタージュ 
カテゴリ その他
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世界は四大文明でできている
橋爪 大三郎

 本書でいう世界の四大文明、それは、ヨーロッパ・キリスト教文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、儒教文明のこと。この本のもととなる講義をした時点では、それぞれ25億人、15億人、10億人、13億人を擁し、もろもろ足して世界人口73億人が現在地球で生きているらしい。
 まず、自分が小学生のときは世界の人口およそ60億人と習っていたのに……と、少し気になったのでググってみると、なんと今年(2022年)11月15日で世界人口は80億人に達する見込みだという! 恐ろしい。
 閑話休題。まず文明とは、というところで、筆者は文化との対比から説明する。文化と文明の違いはなにか。文化は、民族や言語など、自然にできた人びとの共通性にもとづく。対して文明とは、多くの文化をまとめる共通項を、人為的に設定することだという。
 人びとが同じように考え、同じように行動するための装置が宗教だ、という作業仮説にもとづき、それぞれの文明を、宗教を補助線にして腑分けしていく。そうすると、現在の世界、ありとあらゆる分野でみられる特徴や傾向に、宗教的といえる思考の鋳型が、見え隠れする。なんとなく当たり前だと思っていることが、どれだけ多いか、そして、自分とは違うバックボーンをもつ他者の目にはどれだけ奇異に映るか。一般的に、ひとの悩みやストレスの原因は、人間関係がほとんどだといわれる。たとえ同じ文化圏であっても、ひととひとがすれ違うのは日常茶飯事だ。他の文化圏同士であれば推して知るべし、といったところだろうか。しかし、もしお互いに納得しあえないことであっても、相手の視座に立つよう想像力を働かせて、対話をやめなければ、今まで見えなかった共通点が浮かびあがってきたり、落としどころが見えてくるのかもしれない。本書のようなものを読み、他者の視点を追体験することも、その一助になると思う。
(塩﨑 由規)

出版元:NHK出版

(掲載日:2022-09-02)

タグ:文明 
カテゴリ その他
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1Q84
村上 春樹

 青豆と天吾、小学生のときに2年間同じクラスであっただけの2人。しかし、分かち難く結ばれた縁によって、次第に接近していく。ストーリーは、1984年現在の世界ではなく、青豆が言うところの「1Q84」、天吾が「猫の町」と呼ぶ異世界で、進行していく。ただ、単純なパラレルワールドではない。それは、ふかえりという、女子高生と、天吾が共作した小説の世界だ。ものごとは、オーバーラップしながら、ひとと、ひとならざるものが織りなす世界を描く。
 回路を辿り、あちら側とこちら側を行き来するリトルピープル。リトルピープルが作る「空気さなぎ」。知覚するもの、パシヴァと、受け容れるもの、レシヴァ。実体であるマザと、分身ドウタ。鍵は「さきがけ」という宗教組織と、そこから逃げ出してきた女子高生、ふかえりが握っていると思われたが、話の重心は、だんだん青豆と天吾に移っていく。
 いくつかは、実際の事件が下敷きになっているのがわかる。他の設定についても、もしかしたら鋳型となるものがあるのかもしれない。ふかえりの父、リーダーは、はるか昔から人々は、リトルピープルと呼ばれるものと交流してきた、というようなことを、死ぬ間際、青豆にたいして言っていた。レシヴァである彼を介して、彼らはこの世界になにかしら、働きかける。彼が回路であり、後継者として天吾はいた。パシヴァとしてのふかえりは媒介者として存在する。
 話は、青豆と天吾と、小さいものが、1984に戻ってきたところで終わる。
 ああ、もしかしたら、そういうことってあるのかも。村上春樹を読むと、随所でそう思うことが多い気がする。
(塩﨑 由規)

出版元:新潮社

(掲載日:2022-09-20)

タグ:物語 
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まあちゃんの文芸評論・スポーツ論ノート
山村 正英

 文芸評論として書かれている本書には個々の文芸・文学から時代や歴史が垣間見えます。独仏英文学、ヨーロッパ言語研究家、文筆家である筆者はその道の専門家ですので、それぞれの文学を紹介されるその奥にはそれらの成り立ちにも踏み込まれています。
 わずか70頁に満たない本の中に百科事典並みの奥行を感じてしまったのは、サラッと触れられている時代背景や当時の思想が気になってしまい、いろいろ調べているうちに時間が経過したからかもしれません。
 スポーツ論に関しても総論部分で歴史的にスポーツが抱えてきた問題点に触れられていました。スポーツの語源であるラテン語の「deportare」も調べてみればスポーツの本質的な役割が見えてきましたし、「スポーツと賭博」「プロ・アマ問題」「戦争とスポーツの関連」などについてもサラッと数行で書かれてはいますが、それぞれで一冊ずつの本が書けるほどの大きな問題といえるでしょう。
 流し読みすれば1時間もあれば十分読めますが、どこかではまってしまうと離れがたい面白い本だと言えそうです。
 余談ではありますが、「書く」という表現方法の伝達範囲の広さと、時間の経過にかかわらず存在する特性により、文化にまで昇華したのではないかと想像を働かせました。
(辻田 浩志)

出版元:創栄出版

(掲載日:2022-10-03)

タグ:評論 
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KGBスパイ式記憶術
カミール・グーリーイェヴ デニス・ブーキン 岡本 麻左子

 記憶することは技術であること、筋肉のように反復刺激によって発達することは、証明されている。
 本書は記憶法のワークブックとして優れている。また、記憶に関わる理論的な説明も充実している。キーワードを挙げると、トニー・ブザンのマインドマップ、ミハイ・チクセントミハイのフロー、エビングハウスの忘却曲線、ツァイガルニク効果など。
 本書では記憶法をストーリー記憶法と、場所記憶法に大別している。ストーリー記憶法は、覚えたい対象を頭の中で視覚イメージに置き変え、物語にすることだ。場所記憶法は、自分が日頃過ごしている環境(自宅、職場、学校など)を想像し、覚えたい対象をそこにあるものと結びつけていく。応用編として身体各部位と結びつける方法も紹介されていて面白かった。
 記憶することのポイントは3つあるという。

①関連づけ
②イメージ
③感情

 自分が知っていることがらと、結びつけることができれば忘れにくい。ものごとを類推すること。記憶すればするほど記憶しやすくなるということでもある。さらに、ひとの感覚中、もっとも得意な視覚イメージに変換することが、記憶するには有効だ。たとえば数字を覚える場合、0→ボール、8→めがね、と置き換えるなど(ほかにも発音の関連で置き換えたり、数字の場合チャンク化することもできる)。感情を伴った記憶というのは忘れにくい。なので、奇抜でインパクトのある覚え方などは、ばかげていると思うかもしれないが、逆説的に賢い方法だ。
 場所法は古代ローマの時代から使われてきた方法らしい。知っているかぎりでは、あの悪名高いハンニバル・レクター博士とか、メンタリストのパトリック・ジェーンも賭けポーカーで利用していた。抜群の記憶力を持つソロモン・シェレシェフスキーは数字などを視覚イメージ化したり、単語を地元の街の通りに配置したりして、覚えていた。もうひとつ、彼には共感覚があった。文字に色を感じたり、音の手触りや、形の味を感じたりする感覚だ。なんと、嗅覚以外の五感がすべて結びついていたらしい。
 共感覚についてはダニエル・タメット「ぼくには数字が風景に見える」をおすすめしたい。さらに脳・記憶などについては、最新のエビデンスとともにわかりやすく解説してくれる池谷裕二さんの著作を推したい。
(塩﨑 由規)

出版元:水王舎

(掲載日:2022-10-04)

タグ:記憶術 
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名文どろぼう
竹内 政明

 小説、俗謡、俳句や川柳、詩や落語などから、至言、金言、名言を集めた。いや、盗んできた。ここでは、孫引きならぬ孫盗みをする。

「上司から〈働くとはハタ(周囲)をラクにさせることなんだぞ〉と陳腐な言い回しで説教をされたとき、ただうつむくのもいいけれど、それなら『ジダラク』(自堕落)の方が、自他ともに楽になるから、一層よいのではないか。」
田中美知太郎

 うまい。だけど、きっと火に油だ。

「『痛い』
すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか
だから
こんなに痛いのか」
工藤直子

 これだけ短く的確に、恋するひとの心情を表したものはないのではないかと思った。

 並はずれた洞察力を持つ猫、かと思いきや、次のは吾輩の言葉。いずれにしても、さすが漱石。
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」
夏目漱石『吾輩は猫である』

 次のような人生訓もある。
「才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるという奴には叶わない。」
谷沢永一『人間通』

 ミもフタもない。が、真実味がある。

「夢は砕けて夢と知り
愛は破れて愛と知り
時は流れて時と知り
友は別れて友と知り」
阿久悠

 あたりまえの日常に流されずに、有り難みを感じることのむつかしさをおもう。

「琴になり下駄になるのも桐の運」
江戸川柳

 気の利いた言葉には、ユーモアによって現実をいなすようなものが数多い。ある哲学者によれば、ユーモアとは「理性の微笑」のことだという。これもまた、忘れがたい名言だ。
(塩﨑 由規)

出版元:文藝春秋

(掲載日:2022-10-27)

タグ:人生 
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池田晶子 不滅の哲学
若松 英輔

「死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である。」哲学者の言葉を引きながら、ここでいう言葉は、色や形、音、芳香や、まなざしをも含めた「コトバ」であると著者の若松英輔氏はいう。
 コトバは言語的形態として、たしかにある。しかし、それは一形態としてであって、苦しいとき、悲しいときに魂にふれ、寄り添うものはそれだけではない。
 コトバを通じて他者と交わる。本を読むという行為もそのような営みにほかならない。
「書き手の生む言葉は、いわば可能性を秘めた炭素の塊に過ぎない。それに、読むという営みを通じて圧力を加え、固い、輝く石に変えるのは読者である。」
「私たちは小説を読むように、詩を読むように、哲学の文章を読んでかまわない。あるいは、音楽を聴くときのように、絵を見、彫刻にふれるときのようにヘーゲルの言葉を、あるいは池田晶子の言葉を「読む」ことがあってよいのである。」
 そして、考える。池田は考えれば、悩むことはないという。悩まれている事柄の「何であるか」を、まず考えなければならず、「わからないこと」を悩むことはできない、というのがその理由。えー難しい。
 考えることで、見えてくる地平とは如何に。
「旅先で、自分の魂のありかを教えてくれるような『場所』に出会う。人が固有名をもつのは、『場所』が地名をもつ意味においてである。固有でありながら、大地はどこまでもつながっている。それは異界にもつながっている。人も同じである。」
 個に徹すれば普遍に通ず。哲学者と著者が共有しているのは、そんな確信に近い感覚だ。
 考えて、わかる。では、わかるとは何か。
「『わかる』の経験において、自他の区別は消滅する。それは、対象が言語に表出された感情や観念である場合に限らない。未だ言語に表出されていない、すなわちまさしくいま『わからない』事柄を、『わかろう』とする動き、これが可能なのは、それを『わかる』と思っているから以外ではない。」
 池田晶子の「月を指す指は月ではない」というコトバから著者(若松氏)は、この月を観る目を、魂と呼ぶ。ソクラテスによれば、生きることとは「魂の世話をすること」だ。生きることとは、月を観る眼を養うこと、こう言い換えても、差し支えないだろう。
(塩﨑 由規)

出版元:トランスビュー

(掲載日:2022-11-14)

タグ:哲学 
カテゴリ その他
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聞く技術 聞いてもらう技術
東畑 開人

 ひとの話を「聞く」ということの難しさ、に悩むひとは多いのではないか。ではまず「聞いてもらう」からはじめたら? というのが著者の提案。なぜなら「聞く」は「聞いてもらう」に支えられている、話を聞けないのは、話を聞いてもらっていないからだという。
 印象に残ったのは、孤独と孤立の違いに関しての部分。孤独は、心の中に部屋があるとして、そこに内から鍵をかけ、ひとりになれる空間を持つこと。たいして、孤立というのは、その部屋に、嫌なひと、怖いひとがひっきりなしに入ってくる状態をいう。孤独には安心が、孤立には不安がある。ひとは孤独になってはじめて、ひとの話を聞くこともできる。
 話す、聞くというのはとても日常的な行為だ。しかし、だからこそわからなくなる。
 ケアというのは圧倒的に民間セクターの割合が大きいという(ヘルス・ケア・システム理論,クラインマン)。しかし、民間の世間知だけで対応できないものもある。そういったとき、専門知を持つ専門職のひとが、そのひとが今どういう状態かということを見立てることで、周りもそのひとに配慮することができる。
 あるアメリカの先住民の間では、悩みや悲しみを周りに話せる状態は正常、ひとりで抱えるようになると病気とみなされるらしい。
 とくに一緒にいることが多いひとのことは、話さなくてもわかっている、と思いがちだ。毎日顔を合わせていると、だからこそ見えなくなってくる部分がある。
 話を聞いてもらうこと、聞くこと、その塩梅に正解はないかもしれない。でもとにかく、身近なひとが気になったら「なにかあった?」と声がけすることを大切にしたい。
(塩﨑 由規)

出版元:筑摩書房

(掲載日:2022-11-15)

タグ:コミュニケーション 
カテゴリ その他
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質的研究の考え方 研究方法論からSCATによる分析まで
大谷 尚

 質的データ分析手法SCAT(Steps for Coding and Theorization)の考案者である著者による、質的研究の解説書である本書。もちろんSCATの解説や、用例なども記してある。
 量的研究のように数値化はできなくても、世の中には意味や価値がある事象がある。即時的に一般化はできなくとも、質的研究の結果を受けた各人の比較や翻訳という行為を介して普遍に迫ることができるというのが質的研究だ、という主張に、なんとなく共感を持った。
 本書によれば、そもそも量的研究と質的研究には、思想や哲学的なスタンスの違いがある。
 量的研究の立場は客観主義的実在論であり、真実は妥当な手順を踏むことで、誰の目にも明らかな事実として存在している。対して質的研究の立場は、相互行為論や社会的構成主義といったような、ひととひととが関わりあいながら、解釈することによって現実は成り立つといった立場に立つ。
 そのため、SCATの言語分析のアウトカムは、インタビュイーが言ったことのみならず、言おうとしたが言えなかったこと、さらに思ってもみなかったが、分析した結果、得られた内容までをも含んでいる。ある個人、一事例に深く切り込み、そこから普遍的な核のようなものを剔出するような方法といえるだろうか。
 考えてみれば、芸術の世界が近いのかもしれない。例えば、小説や映画、絵画であっても、そこに示されているのは、具体的な“一つ”にすぎない。しかし、優れた表現であればあるほど、鑑賞する側の多くのひとに共感され、支持を受ける。それは、具体的なケースを描いているようでいて、誰しもが持っている普遍的なイメージが共有されるからではないだろうか。
 統計的な有意差では測れない妥当性の側面も、この世界にはたくさんあるのだろうと思う。
(塩﨑 由規)

出版元:名古屋大学出版会

(掲載日:2023-01-16)

タグ:質的研究 
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質的研究のための現象学入門
佐久川 肇

 本書で言う現象学的研究とは、その人だけにしかわからないその人固有の「生」の体験について、できる限りその人自身の意味に沿って解き明かすことをさす。
 対人支援のための現象学では、あくまで現象学の一部を援用するのであって、哲学科の学生が現象学を学ぶのとは異なる、と前置きがあり、ホッとする。正直、ハイデガーやフッサール、メルロ=ポンティやレヴィナスの原著はハードルが高すぎる。でも現象学は前から気になっていた。現象学の、事象そのものへ! というスローガンなどからも、肘掛け椅子の画餅の理論とは、対極に位置するような印象を受けてきた。客観から実存へとピボットするのは、より深く現実にコミットしよう、という誠実さを示しているように感じてきた。
 現象学ではあらゆる前提を排して、「生」の経験の意味と価値を問う。クールでドライな量的研究の切れ味はないかもしれないけれど、歯切れのわるい人間味や、眼差しの温かさがある。理解が間違っているかもしれないが、そんなふうに感じる。
(塩﨑 由規)

出版元:医学書院

(掲載日:2023-01-17)

タグ:質的研究 現象学 
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東大教授が教える独学勉強法
柳川 範之

 家族の仕事の関係で、子ども時代は海外で過ごすことが多かったという著者。基本的にひとりで、しかも非日本語圏で、さらに、今と違って自由に書籍も手に入らない環境下で、学習してきた著者の視点から眺める勉強法は、一般のそれとは一味違う。
 まず、どれだけ有名な本でも、自分には合わないものがある、という。
 さらに、理解するのに時間がかかっても、とても深く理解するひともいれば、そうでない、ありとあらゆる理解の仕方が、ひとにはある。
 いわゆる勉強ができるひとというのは、自分に合った勉強法を身につけているひとなのだという。なので著者はまず、自分が理解しやすい本を探すところから始める。
 基礎がない場合、書いてある内容を素直に受け入れることは必要。しかし、と著者。ある程度知識がある場合は、むしろ本に書かれていることに、ケンカを売りながら読むのが好ましい、という。というのも、著者にとって学びのプロセスとは、一旦押し返してみること、だからだ。それを「加工業」ともたとえる。一旦仕入れたものを熟成させたり、手を加えたりしてアレンジする。あるいは、他の分野の知識と、比べたり合わせたりして、いろんなものに応用可能なセオリーを抽出してみる。その作業こそが、勉強ではないかという。
 また、ノートやメモに関しても、著者のいうことはユニークだ。「書かないと大事なポイントが頭に入らないのなら、そもそもそれは自分にとって必要ではないと思う」という。
 とはいっても、日常的に重要事項をメモすることは著者も行う。つまり、なんでもかんでも頭に入ってしまう超人的な記憶力を持っているというわけではないのだ。
 勉強で大切なのは、読んだ内容を一字一句再生できることではなく、よく考えて理解をすることだ、というのが、ざっくりしたまとめになるかと思う。
(塩﨑 由規)

出版元:草思社

(掲載日:2023-01-30)

タグ:勉強法 
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ことわざから出会う心理学
今田 寛

 大学で心理学を履修しました。様々な履修科目の中でもっとも興味があった学問でした。「人の心理がわかる」というすごく単純な興味は幻想に近いものだったというのが、実際に授業を受けた感想です。私が授業で学んだ心理学は実に淡々とした研究結果の集積みたいなものがほとんどで、私が期待していた「人の心が読める」的なHow to本によくある人の興味をそそるものとはかけ離れていたのです。
 本書を手にしたときには、ことわざに表現される状況の心理描写を書いたものだと思ったのですが、予想に反してしっかりした学術的な理論が紹介されているのに驚きました。普段よく使われることわざを、学術的な心理学の研究と結びつけるというギャップは、あたかも水と油を結びつける界面活性剤にたとえても面白いかもしれません。
 さらに本書を読むにしたがって、ことわざが主役ではなさそうなことに気が付きました。むしろ様々な研究を結びつける役割をことわざが担っているに過ぎないという感じすらしました。ひょっとしたら筆者の意図はそれぞれ異なる心理学の研究をことわざというワードで関連性を持たせているのかもしれません。ことわざを読み解くツールとして心理学を引っ張り出してきているんだと思い込んで読み始めた私は、筆者に一本取られたのでしょうか。
 私が学生のころ学んだ心理学はあくまで基礎中の基礎であり、単品の研究を教わっただけで、それらの関連性がなかったがために面白みもなく興味が薄れていった記憶があります。ところが本書のように馴染みのあることわざに絡ませて小難しい心理学の知識を展開することで、身近なものとするばかりかそれぞれ単品の研究がことわざを介して関連性を持たせようという筆者の思惑を意識せずにはいられませんでした。さらには一つのことわざに関連して数多くの研究が登場するところは、筆者の懐の深さを垣間見た気がします。
 私が感じたことが的を得たものなのかも疑問ではありますが、ひょっとしたら私が感じ取れなかったもっと別の何かがあるのかもしれません。
 プラシーボ効果や血液型と性格など興味を引く題材が多かったので読み始めとは別の角度からの興味がわいてきました。学問も切り口を変えるだけでこんなに面白いものであることが証明されたのではないでしょうか。「活きた学問の断片」を見たような気がしました。
(辻田 浩志)

出版元:ミネルヴァ書房

(掲載日:2023-01-31)

タグ:心理学 ことわざ 
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動かして学ぶ! はじめてのテキストマイニング フリー・ソフトウェアを用いた自由記述の計量テキスト分析 KH Coder オフィシャルブック
樋口 耕一 中村 康則 周 景龍

 フリーで使えるソフトで、テキストデータをもとに様々な分析ができる。
 とくに、語と語の関係性などを「共起ネットワーク」として可視化できるのがおもしろい。
 KHコーダーのホームページでは、夏目漱石の「こころ」を題材に分析している。たとえば、一章から分析していくと、フォーカスされる登場人物が章によって変わっていくのがわかったり、どんな話題が頻出しているのかが、もとの文を確認しながら抽出できる。細かな表現の違いがある言葉も、設定を行うことで同じ概念として取り出すことができるため、漏れなく当該データの分析ができる。
 この本では旅館の口コミデータから、どんな点が、どの年齢層の、男性・女性に支持され、またウケがよくないのか、という実際的な分析を行っている。
 現在勤務している養成校で、国家試験対策の分析に使えないか、と色々いじくっている最中だが、いかに設定して、どんな点を明らかにするかが問題。すごく便利でおもしろいソフトなのだけれど、そこが一番難しい。
(塩﨑 由規)

出版元:ナカニシヤ出版

(掲載日:2023-02-06)

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語りきれないこと 危機と傷みの哲学
鷲田 清一

 東日本大震災のことを主題として、語ること、聞くこと、待つこと、の重要性を指摘する。それはとくに有事の際、危機的状況の中で、より際立つのだという。
 なにかしてあげたい、そう誰しもが思う。しかし、悲しみや絶望の渦中にあるひと、底知れぬ闇を抱えたひとに、なにができるだろう。よかれと思ってすることが、裏目に出てしまうことも、ケアの現場では多いのではないかと思う。反面、ただ一緒に居てくれるだけで、救われることもある。
 かつてイヴァン・イリイチは、ケアのプロのことを「ディスエイブリング・プロフェッショナルズ」と呼んだ。ケアのプロから提供される高度なサービスと反比例するように、市民一人ひとりが、命の世話をする力を失っていくさまを、揶揄した言葉だ。
 医療や教育の現場を、ビジネスの指標で測るといけないのは、この「間」をこそ、もっとも大事にしなければいけないからではないだろうか。余白を埋めるような効率化の概念が塗りつぶしてしまう、いきいきとした生。イリイチが脱学校、脱病院と言ったのもその意味だったように思う。
 とはいえ、いろいろなものに依存しなければ生きていけないのが現実だ。著者は、相互に支え合う関係(インターディペンデンス)を他者と築くことを勧める。抱え込むことなく、押し付けあうでもない、持ちつ持たれつの関係性といえばいいのだろうか。
 前提として、お互いのことをある程度わかっていること、さらに損得を基準にしないこと、などは含まれるのだろうと思う。
(塩﨑 由規)

出版元:角川学芸出版

(掲載日:2023-02-07)

タグ:哲学 ケア 
カテゴリ その他
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ドクターも納得! 医学統計入門
菅 民郎 志賀 保夫

 n数、t値、p値、標準偏差、信頼区間、リスク比、オッズ比、ロジスティック回帰分析…。
 これらの単語、よく見るものの、正直全然わかっていない。論文を読んでも、わかるところだけを飛ばし読みしていた。数学なんか将来使わないでしょ! と、たかをくくっていたダメ学生の典型だった自分。しかし! 伊能忠敬の人生のように、あるいはスタンリー・ボールドウィンが言ったように、志を立てるのに遅すぎることはない。ということで、本書を手にとった。
 t値は棒高跳びのバー。p値はリンボーダンスのバー。そこで、グッと心を掴まれた。噛み砕き方が秀逸だ。いや、そもそもわかっていないので、それが正しいのか、適切なのかは判じかねるものの、たとえがイメージしやすく、忘れにくい。MRとドクター、統計学の講師が登場し、レクチャーと質疑応答が展開される。全体的に字数はかなり少なめだ。章末には練習問題もついている。
 これなら、今まで統計学の本に挫折してきたひとも、読み通せるのではないかと思う。自分も繰り返し読んで理解に努めたい。
(塩﨑 由規)

出版元:エルゼビア・ジャパン

(掲載日:2023-06-23)

タグ:統計 医学統計 
カテゴリ その他
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はじめての沖縄
岸 政彦

 若い頃、沖縄病(沖縄にハマること)に罹患したという著者は、沖縄を専門とする社会学者になる。そして、かつての自分のように沖縄を過度に理想化したり、イメージで語ることを諫める。
 この本は沖縄の、歴史や風土、社会や観光スポットの、いわゆる解説本ではない。戦後沖縄を生きたひとたちの断片的な語りの集合になっている。著者の沖縄についての語りも、そこには含まれる。著者はいう。激戦の渦中にいたひとだけではなく、九州に疎開していたひとも、北部で無事に生活していたひとも、それぞれの沖縄戦の経験を持っている。そこを区別したくない、と。
 印象的な場面がたくさんある。著者の言葉を借りれば、見たわけではないのに、目に焼き付いて離れないシーンがたくさんある。とてもリアルだからだと思う。語りの細部にリアリティがある。沖縄戦の凄惨さはあらためて、すごいものがある。筆舌に尽くせるものでは到底ない。しかし、そのなかにも間違いなく、ひとびとの生活があった。今を生きる我々と同じひとの営みがあった。語りからはそのことがわかる。沖縄戦はより身近になり、そしてその悲惨さはより、想像を絶するものになる。
 もともと別の国だった沖縄は、日本になり、戦争では捨て石にされ、アメリカに占領される。日本復帰後も日本にある米軍基地のほとんどは沖縄にあり、基地に関連する事件もいまだ、後を絶たない。沖縄には、沖縄と、沖縄以外の日本を示す言葉がある。うちなーんちゅ、ないちゃー、がそれだ。そんな言葉があるのは、見えない壁があるからだ。そうなった歴史や社会構造の必然がある。はっきり差別といえるほどのものであれば、まだ易しいのかもしれない。
 著者は、戦後本土に就職して、その後沖縄にUターンしたひとたちへの調査を通じて「他者化」という言葉で表現した。見えないからこそ、はっきりした分厚い壁の存在、今も北緯27度線はある。
 好きだからこそ、その境界を簡単に乗り越えたくない、と著者はいう。断片的な語りのなかで、沖縄ってなんだろう。沖縄ってほんと、なんだろう。と、著者は考え続ける。
(塩﨑 由規)

出版元:新曜社

(掲載日:2023-07-21)

タグ:沖縄  
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ヤンキーと地元
打越 正行

 ヤンキーのパシリになって10年間、沖縄の若者と生活を共にし、調査したのがこの本だ。
 原付にまたがり、改造車で58号線を暴走する若者に追走し、声をかけ話を聞く。著者は彼らの生活を知るために、自ら建設現場で働くようになる。そこには過酷な労働環境がある。やっと仕事を終えても、しーじゃ(先輩)と、うっとぅ(後輩)という人間関係のしがらみがある。そのなかでひとは処世術としての立ち居振る舞いを身につけていく。
 建設業はこのしーじゃとうっとぅという人間関係に支えられている。それは不安定なものだ。建設業自体、受注がなければ仕事がない。見通しが立たない。だからこそ、しーじゃは強くうっとぅを束縛する。ときには暴力も振るう。その関係性はかなり固定的だ。その一方的である関係は、建設現場の作業において安全性や効率の面で機能的ともいえる。しかし反発も生む。
 著者は、男性同士の下品な会話、悪ふざけや賭けなどに乗りながら、話を聞き、のっぴきならない人間関係や状況を描く。それは歴史的な経緯や、社会的な構造によって選ぶと選ばざるとにかかわらず、沖縄の若者が投げ込まれてしまったような世界にも見える。出ていけばいい、辞めればいい、と簡単には言えなくなる。
「沖縄」のひとの温かさや、きれいな海。とかく理想化されがちな「沖縄」だが、現実はもっと複雑だ。
(塩﨑 由規)

出版元:筑摩書房

(掲載日:2023-07-24)

タグ:社会学 エスノグラフィー 
カテゴリ その他
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客観性の落とし穴
村上 靖彦

 客観性という概念はたかだか200年くらい、特に西洋文化のなかで言われはじめたに過ぎず、まるで統計や数字が、事物や事象、あるいは人そのものを表しているような風潮は行き過ぎではないか、それらが有用なデータであるのは確かにそうだが、その尺度だけでは測れないものがあるだろう、というのが、大雑把なまとめになるだろうか。
 実際のインタビューではだいたい2時間くらい、話を聞く。そのときの話の流れで、即興的な語りを聞く。
 意識せずに口をついて出てくる言葉から、浮かび上がってくる、それぞれの経験。交わらないリズムとして表現される生々しいリアリティを読む。それではじめて分かることがある。
 統計や数字をみてわかる傾向と、個別の視点に立ちはじめて腹落ちする現実があると思う。
 数年前、あるひとに話を聞いた。アメリカで海洋生物学を学んでいた大学時代、難病を発症し、帰国を余儀なくされた。そこから闘病生活に入り、手術をするかどうかの決断を迫られることになった。医師からはかなり高い確率の成功率と、きわめて低い失敗率を伝えられた。
 でもそれってなんの慰めにはならない、自分にとっては生きるか死ぬかであり、コインの裏表どちらがでるか、つまり半分なんだ、とそのひとは言った。それはとても、説得力のある言葉だった。
 統計や数字でわかることがたくさんある一方で、今を生きる現実存在を取りこぼすことも多々あるのではないだろうか。客観性のみを真実とすることはかなり危うい。
(塩﨑 由規)

出版元:筑摩書房

(掲載日:2023-07-25)

タグ:客観性 
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日本バッティングセンター考
カルロス 矢吹

 題材にもいろいろな切り口があるもんだと思いました。私のような昭和の人間にとって、バッティングセンターは身近な存在。どことなく牧歌的な雰囲気だろうと読み始めて最初に登場するのは、東日本大震災で被災した方のストーリー。予想に反してヘヴィーな出だしに心が引き締まります。そう、客の立場だった私には昔懐かしいレジャーにしかすぎませんが、事業を立ち上げ営業される方にとっては一世一代のビジネスだということに気づかされました。日本中、北から南まで多くのバッティングセンターを取材されて成り立ちや時代時代の運営を中心に物語は進みます。どちらかといえばバッティングセンターを舞台とした人間のドラマといった方が的確かもしれません。
 時代は昭和の中頃、終戦から少し時間がたって落ち着くと、国民はレジャーや娯楽を楽しむ余裕を持つようになりました。そんなとき長嶋茂雄が巨人軍に入団し9連覇を成し遂げ野球が盛んになります。横綱大鵬や力道山などが国民のヒーローとなったのは敗戦が影を落とした国民の心のよりどころだったからかもしれません。彼らの強さに憧れたのも自然な流れだったのでしょう。観戦するだけではなく自分たちもプレイすることで野球熱は次第に高まりました。何といっても打撃は野球の華。本来なら球場に行って選手が集まって用具があって初めてバッティングができますが、バッティングセンターに行けば気軽に楽しめる。楽しめたかどうかは腕次第ではありますが、お小遣い程度のお金で体験できるバッティングセンターが流行らないわけがありません。
 日本最初のピッチングマシーンが紹介されていて、カタパルト式のマシーンは中日ドラゴンズが使っていたそうです。話はそれますが「巨人の星」で大リーグボール1号を破るためドラゴンズのアームストロング・オズマがそのマシーンで特訓をしていたのを思い出しました。
 バッティングセンターの歴史だけだったらたぶんのめり込まなかったはずです。そこに人間のドラマが綾なす物語として進行します。バッティングセンターで練習した野球少年がプロ入りしたとかいうエピソードは野球少年の心をくすぐります。今風にいえば「聖地」ってところでしょうか。イチローが練習したバッティングセンターなんて、私でも行ってみたいです。
 昭和で大ブームになった球技といえばボウリング。70年代初期はディズニーランドの人気アトラクション並みの待ち時間だったといえばご理解いただけるでしょうか。そんなボウリング場もオイルショック後に激減し、バッティングセンターに変わっていったそうです。かつてよく行っていたバッティングセンターもホームセンターになっています。全国で軒数が減ったのは人気スポーツの多様化ゆえ。それでも地元には一軒だけバッティングセンターが残っています。十数年前に息子を連れていって以来ご無沙汰ですが、十年後くらいには孫を連れていくことにしましょう。本書を読んでみて、ふとそう思いました。
(辻田 浩志)

出版元:双葉社

(掲載日:2023-07-26)

タグ:バッティングセンター 
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問いかけの作法
安斎 勇樹

 読み始めると冒頭に「誰も意見を述べないお通夜ミーティング」というくだりがありました。「自由に意見を言ってください」「アイデアを出してください」とリーダーが呼びかけてもシーンと静まり返ったまま。多くの方が「あるある」と思われたことでしょう。私自身もご多分に漏れずこういったミーティングや会議を経験しています。私の場合、最悪だったのはリーダーだったことも多く、こういう事態を想定して自分自身が用意していたアイデアをご披露し、反対意見もなくシャンシャンで終わったものでした。これってミーティングでも会議でもなくリーダーの一人よがり以外の何ものでもありません。冒頭から昔の経験を否定されたように打ちひしがれながら、それならどうすりゃいいんですか? とばかりに読み進めていきました。
 本書の原点がファクトリー型ではなく、ワークショップ型の組織をつくり、構成員全体からのボトムアップによる意見交換をしようというのが主題となります。ファクトリー型とはトップダウンの組織で定型的なモノづくりをしようとする前時代的な組織ととらえ、ワークショップ型はトップの理念と現場の問題点をすり合わせながらモノづくりをする組織と説明してもいいかもしれません。
 筆者は一概にファクトリー型がダメでワークショップ型を推奨しているわけではないことを留意すべきです。でないとこの後展開されるワークショップ型の組織の必要なノウハウが膨大なので誤った印象を受けかねません。これからの時代どんな変化が待ち受けているかもしれない不確定な社会の中、従来通りのファクトリー型の組織では変化に耐えられないとの懸念に対抗すべくファクトリー型の組織を提案しているという前提は忘れてはいけません。
 筆者がいうところの「孤軍奮闘の悪循環」というのが冒頭にお話しした「ありがちなパターン」なんですが、ボトムアップのファクトリー型のミーティングをするために「問いかけ」をすることによりメンバーの考えを引きだそうとしています。「忌憚のないご意見を」と言われても範囲が広すぎるので、逆に論点を絞った問いかけをすることでメンバー個々の意見を引きだしやすくするというものです。そういってみれば簡単そうに見えますが、「問いかけ」に対する筆者のスキルの高さに圧倒されたのが正直な話。本書を丸暗記して同じことを試みようとしてもミーティングはメンバーや議題などそのときそのときで変わるはずで一から通用するとも考えにくいのです。
 私なりに本書を読んでみて筆者のノウハウを実行するために必要なものを考えてみたんですが「俯瞰力」「問題抽出能力」「ユーモア」「観察力」「抽象化と一般化」「状況を整理する力」「自由な発想」「想像力」などいろんな能力が必要だと感じました。
 だから「絵に描いた餅」とあきらめるのも選択肢の一つですが、やってみなきゃ何ごともできないのは世の中の理。物まねでも猿真似でもやってみて体験してみたところからしか筆者の言ってることを体感できないでしょう。別にこの本に書いてある方法がすべてではなく、むしろ筆者の体験談が書かれているに過ぎないと感じたらもっと気楽に実践できるかもしれません。そのうちにそれぞれのオリジナルのノウハウが生まれてきてこそ、本当のワークショップ型になったといえるのではないでしょうか。
(辻田 浩志)

出版元:ディスカヴァー・トゥエンティワン

(掲載日:2023-08-28)

タグ:チームビルディング 
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B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史
大島 和人

 本書は近年のプロバスケットボールリーグの変遷が書かれたドキュメントです。さほどバスケットボールに詳しくなかった私でもリーグが分裂し、そこからの対立により国際バスケットボール連盟(FIBA)から国際資格停止処分を受けるかもしれないといった問題があったことは記憶にありました。「内紛」「主導権争い」といえばその通りなんですが、本書を読むことでその背景であったりスポーツの在り方の変化、さらには90年代のバブル崩壊が絡んでいることがわかり、単なるお家騒動として片づけられる問題ではなかったことに気づきました。本書で記されるバスケットボールリーグの内紛も、遡ればオリンピックにおけるアマチュアリズムの変化が根底にあるように思えました。今日オリンピックにはプロのアスリートが出場することに違和感を覚えなくなりましたが、80年代まではプロ・アマの論争がありました。日本においても一部のスポーツを除いては企業がクラブ活動みたいな体裁としてチームを保有し、少なくともスポーツそのもので利潤を上げるという形態ではありませんでした。そのころはオリンピックに準じた感じでアマチュアスポーツとしてバスケットボールが当たり前だと思っていましたが、チームを保有する企業がバブル崩壊とともにスポーツに資金を投じる余裕がなくなり雲行きが変わります。
 本書ではそこのところの事情はサラッと触れられている程度でしたが、問題の背景は、それまで安泰だったチームがプロスポーツとして利益を上げることで存続する必要が生まれたことだと感じました。NBLとbjリーグが悪者でB.LEAGUEを誕生させた人たちが正しいという単純な図式ではなかったことを踏まえて読めば、これまで企業のクラブチームとして運営してきたNBLと純然たるプロリーグを作ろうとしたbjリーグの資金力の乏しさ、それぞれの問題点のぶつかり合いが本書の紛争を生んだのではないかと考えられそうです。そこにFIBAからの条件付き処分があったことでB.LEAGUEの誕生を加速させたことは間違いなさそうです。
 本書ではプロリーグ誕生のロールモデルとして描かれていますが、むしろ今後の運営に注目したいものです。サッカーやバスケットボールやバレーボールなど、スポーツがビジネスとして変革をとげました。これからはどうやって軌道に乗せていくかで未来のスポーツ界が変わるでしょう。
(辻田 浩志)

出版元:日経BP

(掲載日:2023-10-20)

タグ:バスケットボール 
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狙われた身体 病いと妖怪とジェンダー
安井 眞奈美

 まず、次のような場面を想像してみましょう。あなたはいつも通り、日課である散歩をしていました。そのとき、ふいに腰の痛みに襲われます。「この痛みはなんだ?」と不安に思い、病院で医者に診てもらいましたが、原因は何も分かりませんでした。ただ、腰の痛みは確かに今も存在しています。あなたは痛みの原因を明確にするために、色々な病院を回り、色々な検査を受けました。それでも原因は分かりません。「もしかしたら原因はこれかもしれない」と医者から指摘されたので、それらを手術で取り除いてもらい、一時的に痛みの緩和が得られたりはしましたが、またすぐにぶりかえしてしまいます。今となっては、もはや八方塞がりな状態で、痛みは医学的な理解可能性・説明可能性を超えたものとして立ち現われています。
 なぜこのような例をはじめに上げたのかというと、医学的な理解可能性・説明可能性に閉じられている病いは時代を問わず存在していたということを、まずは現代の文脈に即して例示してみたかったからです。もちろん、このような経験は現代人だけがしているのではなく、少なくとも有史以来、似たような場面は人々の生活の中に存在していたと考えられます。古来から、医学的実践は呪術的・宗教的実践と複雑に絡み合いながら発展してきました。いわゆる「未開社会」などでは、外傷と結びつけることが困難な痛みは、外部から「何か」が身体内に入り込んだことによって引き起こされるものなどと理解されていました。それは悪魔の仕業かもしれませんし、他人による呪いの類いの可能性もあります。自分に恨みを持った他人が、呪術によって「呪力の込められた物体」を知らぬ間に私の体内へと打ち込んだことによって痛みが生じたのだと考えられたりしていたのです。今を生きる私たちは、医学的な理解可能性・説明可能性を超えた病いや身体感覚を語る言葉を、一体どれほど持ち合わせているのでしょうか。あるいは、仮にこのような語りが現代においては妥当でないことを認めたとしても、その根底にある「何か」から医学の本質のようなものを知ることができるのではないか、と私などは考えてしまうのであります。
 前置きが長くなりましたが、今回の書評で取り上げる安井眞奈美さん(以下、敬称略)の『狙われた身体 病いと妖怪とジェンダー』は、医学的な理解可能性・説明可能性を超えた病いや身体感覚を、私たちの祖先はどのように認識し、語り、対処してきたのかという点について、豊富な資料をもとに分析した書物であります。安井は、この本の「はじめに」で、小林和彦の「神や妖怪は『不思議』の説明のために存在しており、とくに『災厄・不幸』の説明に利用されてきたのが妖怪たちであった」という指摘や、伊藤龍平が「妖怪」を「身体感覚の違和感のメタファー」と定義したことなどをもとに、「妖怪に『狙われた身体』の伝承を、身体に『不思議な現象』が生じたときの説明と対処の方法である」と読み直し、分析することを目的としていると説明しています(7-8頁)。それによって「『狙われた身体』の伝統や習俗は、人々が自らの身体をどのように捉え、襲われる危険と折り合いをつけながら生きてきたのか、その足跡を伝える情報として解釈できる。それゆえ、時代に応じた危険や問題への対処法を併せもった伝承として読み解いていくことができる」のです(206頁)。これは、非常に興味深い視点だと言えます。「『狙われた身体』の伝承や習俗は、狙ってくる相手や敵を可視化し、あらかじめ備えることを可能にした」という安井の指摘は、非常に示唆的であり(同上)、このような「狙われた身体」という概念は、現代の文脈にも存在しています。例えば、安井は第1章で、2020年以降に流行した新型コロナウイルス感染症の事例を引用し、そこでは「戦争」や「戦い」というメタファーが用いられていたことを指摘しています(10-11頁)。まさに私たちは、「見えない敵」としての新型コロナウイルスによって攻撃される「狙われた身体」を防衛するための「戦い」を繰り広げてきたと言えるでしょう。また、上述の未開社会の例のように、外傷と結びつけることが困難な痛み、例えば腹痛や頭痛がどのように理解されてきたのかという点なども分析しています。このような分析によって示唆されることは、私たちがそれを「何である」と認識するかによって、その対処法として「何を用いる」かが規定される可能性があるということです。「外から来る何か」が原因であれば、それが入ってこないようにする方法が取られるでしょうし、もし既に入ってしまったのであれば、それを追い出したり、内部で沈静化させるなどの方法が取られることになるでしょう。
 このように考えてみると、もしかすると現代医学も似たような構造を備えているのではないかという問いが立ち現われてきます。「がん」や「病気になった臓器」は取り除かれるし、身体内に侵入したウイルスは抗ウイルス剤によって沈静化されます。あるいは、入ってくることを未然に防ぐため、「予防」的な手段がとられるでしょう。私たちは決して、安井が分析しているような例を「昔の人たちの考えにすぎない」と簡単に切り捨てるべきではないし、実際のところ、そのような認識の延長線上にいるにすぎないというと過言かもしれませんが、非常に多くの示唆が得られることを認識し、詳細に分析するべきなのでしょう。
 また、安井はそれだけではなく、伝承や習俗がどのように語られてきたのか、誰によって語られてきたのかなども分析しています。1930年代に流行した「蛇に襲われる女性」の例などは、社会的弱者とみなされていた女性の物語が、男性や村の物知り、医者などによって語られたというジェンダー的・認識論的、あるいは死んだ者と生きた者という存在論的な「語りの非対称性」を明らかにしています。このような「語る者-語られる者」という認識論的・存在論的な非対称性や権力構造に基づく非対称性は、現代医学の現場における「医師(医療従事者)-患者」の非対称性という構造を分析する際にも役立つ可能性があるため、非常に示唆的であると言えるでしょうし、それらに付随するであろう多くの倫理的問題を自覚するためにも重要であると考えられます。
 私たちは、単に「前近代的であるから」といって、このような身体観を切り捨てるべきではありません。そこでは、現代とも共通する多くの構造が共有されており、現代の文脈における医学的・倫理的な問題を解決する糸口を掴むことができる可能性が含まれているということを、豊富な資料に基づく詳細な分析によって提示したことは、本書が多くの人に読まれるべきものであるということを示しています。また、ジェンダー論的な問題点も多く指摘されていることから、本書で扱われているのは単に「医学的」な問題ではなく、もっと広く「社会的」に開かれた問題であるという点で、本書は非常に多くの示唆に富んだ書物であると言えるでしょう。


(平井 優作)

出版元:平凡社

(掲載日:2023-10-26)

タグ:身体 妖怪   
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フランス現代思想史 構造主義からデリダ以後へ
岡本 裕一朗

 本書は、フランス現代思想を通史的に描くことを目的とする新書である。特筆すべき点は、著者も述べているように「それぞれの思想を、いわば外から眺めるような態度で相対化している」(p.iii)ところだと言えるだろう。その利点は、本書を読み進めていく中で明らかとなってくる。
 まず一際目を引くのは、「ソーカル事件」を踏まえて、いわば「ポストソーカル事件」的な視点を持ってフランス現代思想を捉え直そうとしているところである。著者は、1995年に「ソーカル事件」を起こしたソーカルが、その2年後にブリクモンとの共著として出版した問題作『「知」の欺瞞』から、彼らの次のような言葉を引いている。「われわれの目的は、まさしく、王様は裸だ(そして、女王様も)と指摘することだ。しかし、はっきりさせておきたい。われわれは、哲学、人文科学、あるいは、社会科学一般を攻撃しようとしているのではない。それとは正反対で、われわれは、これらの分野がきわめて重要であると感じており、明らかにインチキだとわかる物について、この分野に携わる人々(特に学生諸君)に警告を発したいのだ。特に、ある種のテクストが難解なのはきわめて深遠な内容を扱っているからだという評判を『脱構築』したいのである。多くの例において、テクストが理解不能に見えるのは、他でもない、中身がないという見事な理由のためだということを見ていきたい」(本書p.5-6に引用されている文章を再引用)。
 著者は、このようなソーカルとブリクモンによる重要な問題提起を引き受け、次のように述べている。「フランス現代思想を問題にするならば、『ソーカル事件』は何よりも出発点に据えるべきであろう。なぜなら、『ソーカル事件』を真剣に受け止めなければ、フランス現代思想は『ファッショナブルなナンセンス』として、全く意義を失うように見えるからだ」(p.5)。このような筆致からは、現代における「フランス現代思想」の持つアクチュアリティを語ろうと奮闘する、著者の決意が感じ取れるだろう。
 そして著者は、マルクスがヘーゲル哲学にとった態度を参考に、フランス現代思想を浄化する方法を見つけようとする。その試みから「“濫用された数学や科学的な概念” を取り除いて、その “合理的な核心” を引き出」すという試みへと繋がり、フランス現代思想の「精神」を見定めることになる(p.7)。そこで明らかとなるのが「『西洋近代を自己批判的に解明する』態度」であり、筆者はこれを「フランス現代思想の『精神』」と呼ぶ(p.8)。本書はいわば、このような「精神」を補助線として展開されているフランス現代思想史なのである。
 本書の構成は、「フランス現代思想をどう理解するのか」を問い直すプロローグから始まり、第1章から順に、レヴィ=ストロース、ラカン、バルト、アルチュセール、フーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダというように、構造主義からポスト構造主義への構造主義的運動が思想史的に記述され、第6章では「ポスト構造主義以降」の思想の展望として、新たに現れてきた「転回」について述べられている。そして最後には、そのような転回が開く可能性と我々に残された課題について語るエピローグを置くという形で締められている。
 第1章では、レヴィ=ストロースの構造主義について記述されているが、それは「一般の入門書では定石となっているが、ハッキリいって、実像とはかけ離れている」構造主義のイメージを解体することから始まっている(p.14)。「ソシュール言語学が構造主義の起源とみなされていいのか」や「『実存主義から構造主義へ』という流れは本当なのか?」、「構造主義の四銃士、あるいは五人の構造主義者たちを十把一絡げにしていいのか」などの問いが検討されている。
 この中で最も注目に値すると考えられるのは、最後の問いについてである。「構造主義」や「ポスト構造主義」が語られる際、ともすればそこに含まれる思想家たちの差異は無視され、同じような思想を持つものたちとして一挙に語られがちである。入門書ともなれば、よりそのような事例も増えることだろう。しかし、本書はそのような傾向に警笛を鳴らし、より実像に即した理解を提示している。例えば、第1章から第2章にかけて、レヴィ=ストロースが初期の頃に提示していた(つまり、最初期の構造主義でイメージされていた)「構造」とソシュール言語学の影響を受けたその後の構造主義者達が語る「構造」の違いを明確にしている。こういった点を詳述できるのが、いわば相対化して俯瞰的に見ることの利点だと私は考えている。その意味では、本書は「懇切丁寧」な入門書なのである。
 この書評を読んでくださっている方々は、もしかすると自分たちの分野と本書の繋がりが希薄であると感じられているかもしれない。しかし、その点については改めて検討してみる必要がある。
 著者も述べているように、現代を理解するためには西洋近代への問い直しが必要になってくる(p.8)。まさしく、それを試みたのがフランス現代思想の思想家たちだったのであり、その仕事から我々が学び取れることは、現在においても数多く残されていると考えられる。医学の文脈においても、近代医学との影響関係は頻繁に指摘されているし、それらはさらに「科学」という営みにまで拡張できるかもしれない。あらゆる決定において「Evidence-based(証拠に基づく)」ということが優先されるようになってきた現在、改めて「フランス現代思想」を眺めることで何かしらのヒントを得ることができるだろう。その見通しを通史的に描いた本書は、医療やスポーツの関係者にとっても必読の書なのである。

(平井 優作)

出版元:中央公論新社

(掲載日:2024-01-16)

タグ:現代思想 
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反哲学史
木田 元

『反哲学史』といういささか奇妙な表題を掲げる本書は、一見するだけでは何を目的として書かれたものなのかが了解できない。著者も冒頭において、それが哲学史に対する反=アンチ(つまり、反-哲学史)であるのか、それとも哲学に対する反=アンチの歴史(つまり、反哲学-史)のいずれであるのか、と問われることだろうと述べている。しかし、著者曰く「反哲学史」はそのどちらでもない。それではいったい、著者はどのようなことを想起しつつ、この表題を掲げたのであろうか?
 この点について、著者は次のように述べている。「私のねらいは、哲学をあまりありがたいものとして崇めまつるのをやめて、いわば『反哲学』とでもいうべき立場から哲学を相対化し、その視点から哲学の歴史を見なおしてみようということ」である(p.9)。つまり、反-哲学史でも反哲学-史でもなく、それは「反哲学的観点からの哲学史」を描こうとする試みなのである。
「反哲学」という言葉の由来は、20世紀の哲学者(少々ややこしいので、著者は「思想家」と呼んでいる)たちが行ってきた思想的営みにあり、彼らは自らの営みを「哲学」とは表現せず、むしろ「哲学の解体=脱構築(déconstruction)」を目指していたことが述べられる(pp.10-11)。それは、「『哲学』というものを『西洋』と呼ばれる文化圏におけるその文化形成の基本原理とみなし、この西洋独自の思考様式を批判的に乗り越えようと」する克服の運動なのである(p.10)。このような視点に連なる系譜として「反哲学史」を記述することが可能なのであり、著者の試みは、そのような観点から哲学史を再構成することへと向けられているのである。
 それでは、本書の内実はどのようなものとして語られているのだろうか。まず本書は、ソクラテスの思想という「哲学」の誕生の場を振り返ることから始まっている。そこでは、彼は愛知者(ho philosophos)であり、アイロニストであったことが語られる。そして、彼のアイロニーは「無限否定性」とでも呼ぶべきものだったことが明かされる。しかし、彼の哲学は、その無限否定性の故に新しいものを持ち出すことはできなかったのである。
 それでは、彼はなぜこのような無に立脚した否定性を自らの哲学的手段としたのだろうか? それは、この否定性が「新しいものの登場してくる舞台をまず掃き清める」ための武器だったからである(p.63)。そこで清掃されたのは、「当時のギリシア人がものを考え、ことを行う際に、つねに暗黙の前提にしていたもの、つまり彼らがありとしあらゆるもの、存在者の全体を見るその見方だった」(p.63)。したがって、次に疑問となるのは「古いもの」としての初期ギリシア哲学者たちが問題としてきた「存在者の全体を見るその見方」である。それは、「自然(physis)」という概念に注目しながら、次のように述べられている。「彼らにとって自然とは、人間や、神々をさえもふくめた存在者すべてのことであり(...中略...)より正確には、そうしたすべての存在者の真の本性、つまりすべての存在者をそのように存在者たらしめている存在のことなのであって、彼らの思索はまさしくこの存在がなんであるかを究めることにむけられていた」のである(pp.69-70)。しかし、本性としての「フュシス」は仮象としての「ノモス」との緊張関係の中に置かれることとなり、ソフィストにあっては、もはやフュシスは祭りあげられてしまい、そこで目を向けられるのは人間社会としてのノモスだけであり、このような堕落した形で自然的存在論は引き継がれることになった。ソクラテスがアイロニーの刃で切り裂こうとしたのは、まさにこのように堕落した存在論だったのである(p.80)。
 その後、プラトンからアリストテレスを経る西洋哲学の歴史が記述されていくのであるが、ここで専ら問題となるのは「新しい存在論」を巡る議論の歴史であり、そこから明らかにされる「形而上学的思考様式」である。これが本書において、非常に重要である。なぜなら、「その超自然的原理、形而上学的原理は、その時どき『イデア』と呼ばれ、『純粋形相』と呼ばれ、『神』と呼ばれ、『理性』と呼ばれ、『精神』と呼ばれて、その呼び名を変えてゆきますが、この思考パターンそのものは、その後多少の修正を受けながらも一貫して承け継がれ、それが西洋文化形成の、いや少くとも近代ヨーロッパ文化形成の基本的構図を描くことになる」からである(p.114)。ヘーゲル哲学において完成される(と本書においては考えられている)この「形而上学的思考様式」こそが、西洋を一貫して支えてきた文化的根源なのであり、このような思考様式を解体=脱構築し、根源的自然=フュシス的存在の生成力を復権しようとする運動こそが、後期シェリングの哲学からキルケゴールの実存哲学、マルクス、ニーチェの哲学に脈打ち、20世紀の思想家たちが継承した「反哲学」なのである。そこから、いわば逆照射した結果、本書が描く「形而上学的思考様式」が垣間見えてくるのであり、そのような相対化された視点を用いて哲学史を眺めてみることは、非常にスリリングな試みである。
 また、このように前景化された形而上学的思考様式は、それと並行して形作られてきた文化としての「西洋医学」、あるいは西洋的な知の様式をその始原とする「科学的思考様式」とも決して分離することはできないのであって、私たちのような医療・スポーツ関係者が本書から学び取れるのは、そのような西洋的伝統を一旦は相対化し、汝自身がいったいどのような地点にいるのかを把握することであり、本書の試みはその手段の一つとなるであろう。その意味で、哲学史(さらには、反哲学的観点からの哲学史)を学ぶことは、非常に有意義なことである。そのための入門書として、比較的平易な言葉で語られる本書は最適な門であるだろう。
(平井 優作)

出版元:講談社

(掲載日:2024-01-26)

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言語と呪術
井筒 俊彦 安藤 礼二 小野 純一

 言語とは情報伝達のツールである。今の時代に「呪術」なんて漫画や小説などのフィクションの中にしか存在しない。そういう考え方をされる方も少なくないかもしれません。実際私自身も本書を手に取ったとき「怪しげな本」という第一印象を持ちました。これを偏見といいます。読んでみると大真面目に言語の呪術性を説かれています。帯には「言語は論理(ロジック)であるとともに呪術(マジック)である」と書かれていますが論理面ばかりが目につく昨今、言語のルーツをたどっていけば呪術としての側面があり、我々が気づかないだけで、というよりもむしろ当たり前になりすぎて呪術としての側面が見えなくなっているだけであると筆者は述べます。ここで正しい理解の障壁となるのはご大層な儀式が呪術であるという認識だと思います。さらに科学の発展により昔の呪術的な儀式は否定されていることも筆者の意見に耳を傾けることの邪魔になっているかもしれません。
 もともと言語は自分の願いを表象することが最初の目的なのでしょう。赤ん坊が「まんま」と言ったりするのも食べて命を長らえたいという願いであり、自らの希望を伝える手段を呪術と捉えるのであれば理解も容易になることでしょう。今の時代においても文化の中に取り込まれた呪術は存在します。大安や仏滅などの六曜もいまだに書かれたカレンダーがありますし、ごはんを食べるときに「いただきます」というのも立派な呪術であるという目線があれば本書をしっかりと読めるはずです。そして筆者の目的は宗教的なものを肯定するのではなく言語を哲学するところにあるのだと確信します。
 本書の肝は言語として発したワードには、発信者の心にある「何か」を聞き手の心の中に呼び起こすと言われ、その「何か」を「内包」と称し研究の対象としているところにあります。言葉の中には発信者のイメージや経験あるいは思想などが含まれたものとしている点に、心であったり魂という部分までもが言葉だと考えることで呪術性の正当性を裏付けています。本来人の心の中にあるものなんて容易にわかるものではないはずなんですが、4つの要素に整理して考察を進めます。「指示的」「直観的」「情緒的」「構造的」と発信者の心の裡にある要素を分類しています。4つの要素に対する説明も様々なジャンルの文献を引用しながら進められていますので、筆者個人の意見という感じではなく客観性を感じました。
 本書は「英文著作翻訳」となっておりますが、翻訳者の言葉の選択もすごく繊細な印象を持ちました。
(辻田 浩志)

出版元:慶應義塾大学出版会

(掲載日:2024-02-06)

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本を読めなくなった人のための読書論
若松 英輔

 本は決して、速く多く読むことによって情報を得ることだけが目的ではない、と著者はいう。
 それは、「情報」を入手することで終わる読書ではなく、「経験」としての読書。さらに、「生活のための読書ではなく、人生のための読書」であるという。
 息を深く吐けば、自然に深く吸えるように、読めなくなったときは、書くことから始めるとよいと、著者は教えてくれる。そして、書くという経験でもっとも重要なのは、「うまい」文章を書き上げることよりも、自分という存在を感じ直してみること、であるという。
 著者は、「言葉」と「コトバ」という表現をする。あたりまえだが、「言葉」は言葉である。それに対して「コトバ」は、画家にとっての線や色であり、音楽家にとっての旋律であり、舞踏家にとっての動きである。文章にも、言葉のあいだにコトバがある。言葉は、つねに言葉にならないコトバと共にある、という。
 ふと思い出して、祖母の歌集を手にとった。家族や友達のこと。田畑や飼っていた鶏のこと。毎年家に巣をつくる燕のこと。戦争中、校庭の二宮金次郎まで招集されたこと。自分の分身とまでいう原付を、引きとられるまで何度も何度もなでたこと。夫である祖父が亡くなった後も、愛用の時計は遺影の前で動き続けていたこと。侘しくて、その遺影の前で茶漬けをすすったこと。津波に家財を流されて、残る位牌に涙する父をみて家をつぐと決めたこと。

津波にあひ命拾ひしその日より吾の一生決まりたるらし
此の家と位牌と老いたる親をみて当り前のこと過ぎてはるけし
地震くる津波くると言へど此の里に生きていつまでも世話なりたし

 子どもの頃、潮の匂いがするその町に、遊びに行くことが楽しみだった。躓いたことを必死に隠す叔父のことを、2人でお腹がよじれるくらい笑ったことを思い出す。

(塩﨑 由規)

出版元:亜紀書房

(掲載日:2024-02-17)

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社会的処方 孤立という病を地域のつながりで治す方法
西 智弘 藤岡 聡子 横山 太郎

 日本の高齢者の3割が社会的なつながりを持っていない、というデータがある。
 超高齢社会に突入して久しい日本において、高齢者の3割というのはかなりの数にのぼる。ほかにも、貧困やヤングケアラーなど、おそらく一昔前までは見えやすい、だからこそ地域社会のなかでケアされ、表出されることのなかった問題がいま、“見えづらい”という点を含めて、顕在化している気もする。もちろんその一昔前だってその時なりの問題はあっただろう。現在に至る過程には核家族化、価値観の変様、高度化したサービスなど、さまざまな要因があるのだろう。
 ところで、本書によれば研究上では「孤立」と「孤独」は明確に区別されているという。

社会的孤立:家族やコミュニティとほとんど接触がないこと
孤独:仲間づきあいの欠如あるいは喪失による好ましからざる感じをもつこと

 孤独は主観的な状態を示すのである。
 孤立を示すデータには少し驚く。まず国勢調査では2015年の単身世帯は35%となっている。生涯未婚率は男性23%、女性が14%である。ちなみに1990年はというと、それぞれ23%、6%、4%であった。
 高齢単身男性では、会話の頻度について、15%が2週間に1回以下。さらに、日常のちょっとした手助けを頼るひとがいない、という割合が30%にも及ぶ。孤独死という言葉が頭に浮かぶ。
 本書は社会的処方というキーワードであらたな枠組みをつくる、ということを意図している。一昔にあった“おせっかい”を“社会的処方”という概念でくるんで、活動を促すことを目的としている。すべてのひとをリンクワーカーとしてとらえる。そして、それが文化として根ざすことで、より良い社会につながっていくのではないか、という提案である。
 当然孤独を好むひともいる。それらは尊重しつつも、どんなに細い糸でも絶たないことで、孤立を防ぐことが必要だと。医療機関に持ち込まれる相談の2、3割は社会的な問題といわれる。心身の訴えというのは氷山の一角である。その水面下の文脈抜きでは、そのひとの話を聞き、診ていることにはならないのかもしれない。
(塩﨑 由規)

出版元:学芸出版社

(掲載日:2024-02-22)

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リベラルとは何か
田中 拓道

 保守とリベラルの対立に関する分断などが様々なメディアを介して煽られていたり、ソーシャルメディアにおけるエコーチェンバーやフィルターバブルが問題になっている現代社会において、改めて「リベラルとは何か?」と問い直すのは極めて重要な作業だと言えるだろう。ともすれば、本書でも指摘されているように「『リベラル』という言葉を語ること自体、どこか偽善的で、時代遅れであるようにすら感じる人もいるだろう」(p.iii) 。しかし、私としては、本当にそのような態度でいいのだろうか、という疑念が拭えない。私たちは社会の中を生きているのであるし、社会について考えることは自らについて考えることでもあるはずだ。本書は、そのような思考に同伴してくれるコンパクトな案内図として、17世紀における自由主義の起源から現代日本のリベラルまでを通覧させてくれる。
 本書の目的は「『リベラル』と呼ばれる政治的思想と立場がどのような可能性を持つのかを、歴史、理念、政策の観点から検討すること」であるが、そのために2つの方法が採用されている(p.i) 。ひとつは「歴史的な文脈の中で、リベラルと呼ばれる考え方が登場し、何度もの刷新を遂げてきた経緯を明らかにすること」、もうひとつは「リベラルをできるだけ具体的な政策と結びつけて理解すること」である(p.iv-v)。これらを起点に描かれる本書の内容はまとまっており、大まかな歴史の流れを把握しやすいようになっている。しかし、この書評では本書の内容を要約することはしない。ここでは、本書を読むにあたっての一つの関心を提示することで、読者の興味を喚起することを目指しつつ、評することにさせていただこう。
 私が本書に関心を持った理由を提示することは、スポーツ関係者や医療関係者にいくつかの興味を喚起することに役立つかもしれない。そのような関心のひとつが、本書で扱われている思想的背景が、人間の「統治」というものに、どのような影響を与えてきたのかを考察するということである。
 19世紀イギリスにおける産業化による負の帰結をいかにして社会問題として解決するのかという問いと、そのような反省の少し前に確立されていたエドウィン・チャドウィックを先頭に進められた公衆衛生政策の問題、あるいはそのような公衆衛生政策運動と功利主義哲学の関係や、フランスの哲学者ミシェル・フーコーがリオデジャネイロで行った有名な社会医学についての講演の冒頭で取り上げた「べヴァリッジ計画」の思想的問題(フーコー, 1976: 2006)、エリオット・フリードソンが医療社会学の古典的名著『医療と専門家支配』の序章で記している「自然科学的な疾病概念を社会的逸脱行動へと一層拡大して適応しているのは、自由主義的イデオロギーをもったブルジョアジーである」(フリードソン, 1970=1992: 7) という指摘について考察することなど、実に重要な興味深い問題が多数あるが、それらについて考えるためには政治哲学に関する思想史的知識は外せない部分だろう。人々が社会についてどのように考えてきたのかという歴史は、人々が人間をどのように理解していたのかということと切り離すことができない。そのような歴史の中で生じた諸事象の帰結と過程の中を、現代に生きる私たちも歩んでいる。そのため、これらの歴史について知ること、社会について知ることは、私たち自身について知ることでもあると言えるだろうし、私が先ほどから述べているのは、このような意味においての重要性なのである。私たちスポーツ関係者や医療関係者の実践が、どのような認識の上に成り立っているのかを理解することは、現在の在り方を考える一つの契機となりうるだろう。
 たとえば、本書の第1章で述べられているが、自由主義的な思想の起源には医師であり、ブルジョワジーでもあったイギリスの経験論哲学者ジョン・ロックの哲学が重要な寄与をしていた。彼は自己主権論を唱えたのであるが、それは封権的な支配勢力と格闘する革命派のブルジョワジーの見解としてであり、個人の自由や自律を推進する彼の思想は、自分自身を管理する経済的余裕などを有するブルジョワジーにとっては望ましい思想であったが、そうでない人々にまでそれを強いる自己責任論を帰結してしまうという限界を内包していた(日野, 1986: 43-53)。その後、様々な福祉形態の検討がなされてきたが、未だに自己責任論は根深くわれわれの中に浸透している。私たちは、それをどのように把握し、対処すればよいのであろうか?
 どこまで個人の自由や自律を保障し、どれだけの介入を国家に許すか、そして、その介入形態はどのようなものにするかなど、これらの問題は依然として切迫した問題である。「1970年代以降、リベラルはさまざまな挑戦を受け、今なお刷新の途上にある」ということを顧みれば、これらはまだ生きた問題であるし、私たちそれぞれが取り組んでいかねばならないのである (p.v) 。
 リベラルについて問うことは、単に政治経済的な問題を狭小的に考えることではなく、私たちの諸実践に考えを巡らせることでもある。それらは、市場経済の内部における問題だけではなく、家庭内におけるケア労働の問題や医療実践に関わる私たちの認識を広く問うことでもあるのだ。「政治における思想とは、それ自体、人びとを動かす一つの『力』である」 (p.v) 。そのように考えれば、本書が提示する問題は実に多くの人に開かれた問題であることが理解できるだろう。

参考文献(本文内での掲載順)
ミシェル・フーコー, 小倉考誠. (2006). 「医学の危機あるいは反医学の危機?」, 『フーコー・コレクション4 権力・監禁』, 筑摩書房, pp. 270-300. (Michel Foucault. (1976). Crise de la médecine ou crise de l'antimédecine?, Revista centroamericana de Ciencias de la Salud, nº 3, pp. 197-209.)

エリオット・フリードソン. (1992). 『医療と専門家支配』, 恒星社厚生閣. (Eliot Freidson. (1970). "Professional Dominance: The Social Structure of Medical Care", Atherton Press.)

日野秀逸. (1986). 『健康と医療の思想』, 労働旬報社.

(平井 優作)

出版元:中央公論新社

(掲載日:2024-04-18)

タグ:社会 リベラル  
カテゴリ その他
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印象派とタイヤ王
林 洋海

 主人公は石橋正二郎氏。といってもその名をご存じの方は多くないかもしれません。足袋にゴム底をつけて地下足袋を考案。ブリヂストンの創設者。そして元総理大臣鳩山由紀夫氏の祖父。そんな石橋正二郎氏の物語なんですが、本書に書かれているのはもう一つの顔である絵画のコレクターとしての同氏にスポットライトがあたります。
 大正から昭和の激動の時代に、自動車が普及するとともにタイヤ王として成功をおさめたのですが、ブリヂストン美術館を設立するほどの愛好家であったことはあまり知られていません。様々な絵画の中でも印象派の名作を集めました。芸術を愛する情緒豊かな人物像が浮かんできそうですが、実際は超がつくほどの合理主義者でとにかく仕事人間。絵画の収集ももとはといえば税金対策であったり、その当時は世間では考えられなかった絵画の資産としての価値に目をつけたあたりは、ビジネスマンのお手本みたいな人物だったようです。
 本書には石橋正二郎氏の周りにいた人物のエピソードもありますが、印象派の画家たちが日本の浮世絵に影響を受けたというのは驚くべき事実です。今では有名な画家の作品が歌麿の半額程度の価値だったというのも知られていないことだと思います。ある意味、印象派の画家を育てたのは日本からフランスへ日本画を持ち込んだ画商だと言えなくはありません。
 時代背景としては第二次世界大戦があり敗戦後の混乱期も大きなドラマを生み出しています。ただ私が親の世代の人たちからさんざん聞かされた戦中・戦後の話とはまったく違うものであったのが印象深いです。同じ時代を過ごしてもそれぞれの環境や立場によって受け止め方が変わるのは少し考えたらわかることですが、本書を読むことで今さらながらそういうことに気づかされました。
 明治から昭和初期には破天荒な芸術家や文芸家がいて、太宰治や島崎藤村など今の時代だったら受け入れがたいエピソードもあったようですが、正二郎氏は合理的なビジネスマン気質でそういう人物を嫌ったというのもむしろ今の時代に近い感覚があったのかもしれません。時代による人々の価値観の変化も考えさせられました。
(辻田 浩志)

出版元:現代書館

(掲載日:2024-04-30)

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他者といる技法 コミュニケーションの社会学
奥村 隆

 昨今の“グローバリズム”というのが大変難しい概念に思えてならない。ロシアによるウクライナ侵攻はじめ、昨年度にはイスラエルによるガザ地区への過度な攻撃などの世界各地での争いごとや、毎年生まれる新たなエンタメ作品など、我々は長方形の片手サイズの電子機器を通して見聞きする。加えてどこかの国の大手エンターテインメント会社の会長のスキャンダルが自国のメディアではなくBBCの報道により世に広まるというお粗末な世界線も存在していた。
 そんな一個人の身体を大いに飛び越した情報の濁流にのまれることにより暇がない日々を送っている現代人にとって、今一度“コミュニケーション”について考えるというのはそこまで無駄な営みではないように思える。どれだけ長方形の電子機器とにらめっこしていても、目の前にいる生身の”他人”との時空間の共有は避けられない。まぁbitの単位としての“他人”という存在もあるが、どちらにせよ“他人”っていうのが生きていくうえでは厄介にならざるを得ないのは、これを読んでいるあなたにも理解できるだろう。
 しかし“コミュニケーション”と一口にいっても様々な文脈がある故、いまいちピンとこないと思っていた矢先に今回題材とする本書を見つけた。
 本書は序章~第六章構成となっている。
 第一章では、「思いやりとかげぐちの体系としての社会」というテーマで、社会の「原形」をモデリングし、その中で起こる困難さを描いている。奥村は存在証明という視点から、他者による承認の体系を論じそこから派生せざるを得ない葛藤の体系を描出する。この「承認と葛藤の体系としての社会」を「原形」とし、この「原形」が抱える問題を解決する体系として、「思いやりの体系」を論じる。しかし「思いやりの体系」も同様に体系自身が作り出してしまう問題があり、それを解決するために「かげぐちの領域」があると展開する。このような「承認と葛藤の体系としての社会」というモデリングを基点とすることの良し悪しを大局的に描いている。
 第二章では、「『私』を破壊する『私』」というテーマで、第一章に引用していたR・D Laignの統合失調症についての議論を用いて、「存在論的不安定においての他者による承認によってもたらされる“危機”に対する戦術」について論じられている。そこからそもそも「存在論的不安定」な状態に置かれるコミュニケーションパターンとは何かという問いから“家族という存在”について展開していく。
 第三章は、「外国人は「どのような人」なのか」というテーマ。“異質性”を前にしたとき私たちはどのような「技法」を身につけているのかという問いから始まる。朝日新聞と週刊誌の記事から「外国人─女性労働者・留学生、就学生」というジャンルで分析をし特徴を紹介した後、それらから抜き出せたマスメディアのラベリングの特徴を「客体−主体・ネガティブ−ポジティブ」のマトリクス表で整理。そこから「異質な他者のまま」その”主体”と向き合う技法は何かと展開していく。結語としては、その技法が何かはマスメディア分析では見つからなかったが、考えていくべき対象であることには違いないというものだった。
 第四章、「リスペクタビリティの病」は、社会学者ブルデューの高級ホテルでの振る舞いから見る階級別の特徴から、中間階級の病である「いまある私」と「あるべき私」のズレを論じた話を、同じく社会学者のホックシールドの「The managed mind」の感情管理における「表層演技」「深層演技」に繋げて、「リスペクタビリティ(きちんとしていること)」から陥る病を繋げて論じるというダイナミックな展開であった。また、リスペクタビリティのもう一つの病として、リスペクタビリティを他者に強いることを挙げ、歴史学者のMooseがナチズムと関連づけて展開しているものを引用していた。
 第五章、「非難の語彙、あるいは市民社会の境界」では「自己啓発セミナー」に関する週刊誌の記事分析から我々の持つ技法と「社会」を編成する様式を検討するというものであった。セミナー記事の語彙分析から、「過剰な効果」として非難する傾向と、「過小な効果」として非難する傾向を見出した。それらを踏まえて、現在の「私」をつくる技法が「コントロール不可能性」を基軸とするのか「コントロール可能性」を基軸にするのかという問いを考察する展開があり、「市民社会」という概念を巡るエリアスの議論を用いて「コントロール不可能なもの」を処理する空間についても考察していた。最後に「自己啓発セミナー」に対する非難の性差について言及していたが、データの偏りや不十分さからあくまでの仮定の話をしたに過ぎなかった。
 そして第六章。「理解の減少・理解の過剰」。「他者といる技法」というタイトルを見て購入を検討した人はこの章を読めば満足できるだろう。「他者と共存することはいかにして可能なのか」という大きな問題を「理解」という技法に限定して展開している。議論のたたき台としてアルフレット・シュッツの「理解」についての構図を紹介した後に、他者を理解することの構造や「理解の過小・過剰」による苦しみ、それらと「暴力」「差別」の関係を考察していく。その過程で他者と「共存」するためには「理解」という技法にとらわれず別の技法、「わかりあえないままいっしょにいるための技法」について検討する必要性を論ずる。そして最後その技法について述べていく。
 大まかな構成はこのような感じだ。各章はそれぞれ独立した文章を基にしているため、どこから読み始めても問題はない。筆者のコミュニケーションにおける大局的な視点が十分に盛り込まれている書籍となっている。
 各章毎に疑問に思ったことや言いたいことはたくさんある。しかしこの世の中は各個人毎の欲望で成り立っているわけではないことはあなたも重々承知だろう。
 各章の外面を書きだすだけで一杯になってしまった。そこで最後の悪あがきとして、第六章で「わかりあえないままいっしょにいるための技法」として筆者から提示された、「話しあう」について思ったことを垂れていく。
 筆者はこの技法は、「いま『理解がない場所』にお互いがいることをはっきりと認めることなしに始まらない」(p294)と述べる。これを前提として「話しあう」というのはある2つで構成されているという。
 1つは「尋ねる・質問する」。これは「わからなさ」に付き合っていこうとするときにのみ開かれる。もう1つは「答える・説明する」。これは相手が私を「わかっていない」と感じるときにしか始まらない。この2つで構成されている「話しあう」は、わかりあうという「理解」を進めるための時間ではなく、「わかりあわない」時間の過ごし方についての技法であると筆者は述べる。
「わかりあわない」というのは「他者」を「他者」のまま発見するという回路が開かれているというもので、居心地は良いとは言えないがたくさんの発見や驚きを与えてくれるとも述べていた。
 本書は「他者といる技法」をビジネスライクに呈示する易しいものではなく、我々が普段何気なく行っているコミュニケーションパターンを概念を通して再認識かつ再検討していく構成となっている。そしてその過程でいかに我々が「理解」という技法に固執しているか。というのが本書の核心であり、そうでない技法について考えていく土台となるような意図が込められている。そのため、タイトルに吸い付いた私みたいな輩は「話しあう」というのが展開されたときポカンとするだろう。
 しかし、コミュニケーションというのはそんなものなのかもしれない。私と他者の間に何か強力な装置をおいて進歩していくものではないのだ。
 本書でも述べられているように、「理解」における“原理的”な基準と、“実践的”な基準は全くもって異なる。アルフレット・シュッツが言うように、コミュニケーションは原理的には不可能だが、実践的には不都合がないのだ。だからこそ「わかりあえなさ」を忘れて「理解」の沼にとらわれてはいけないのだ。私と他者の間の谷は大股で跨げるようなものではないのだ。それを数百ページにわたってちゃんと考えさせてくれる書籍であった。


(飯島 渉琉)

出版元:筑摩書房

(掲載日:2024-05-14)

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水中の哲学者たち
永井 玲衣

「わたしの問い」からはじまる「手のひらサイズの哲学」、それは「大哲学」みたいな大それたものではなく、「なんだかどうもわかりにくく、今にも消えそうな何かであり、あいまいで、とらえどころがなく、過去と現在を行き来し、うねうねとした意識の流れが、そのままもつれた考えに反映されるような、そして寝ぼけた頭で世界に戻ってくるときのような、そんな哲学」だ(5-6頁)。優しく、美しく、柔らかく、そして曖昧でとても魅力的な文章の数々。それでいて、思わずハッとさせられる文章にも出会う。私はこの本を読み始めると共に、すぐに永井さんの世界に引き込まれていた。
 とにかく、まずは一旦落ち着いて、本の表紙でも眺めてみよう。白と水色を基調とした美しい装丁の中にある「水中の哲学者」という言葉が目につく。私はふと、ヴィトゲンシュタインの名を思い浮かべた。この20世紀を代表する偉大な哲学者は、「水泳では人間のからだは自然に水面に浮かび上がる傾向がある。人間は水中にもぐろうと努力せねばならない。哲学も同じようなものだ」とよく言っていたようだ(ノーマン・マルコム)。このエピソードに「たとえ問いに打ちひしがれても、それでも問いとともに生きつづけることを、私は哲学と呼びたい」という永井さんの言葉が共鳴する(116頁)。たとえ水面に浮かび上がろうとも、それでも潜り続ける努力を止めたくない。それは、ときに苦しいかもしれない。しかし、それでもなお…。
 「宇宙のバランス」を気にかけて「いや、でもさ」とばかり言ってしまい友人から怒られ、逡巡した挙句「ごめん、すぐアウフヘーベンしたくなっちゃって」と「意味不明な言い訳を」してしまう永井さんを、私はとても素敵だと思った(223頁)。考え続けることはときに苦しいが、どうしても考え続けてしまう人というのが世の中には一定数いる。そういう人は「哲学病」を患っているなどと言われたりもするが、その人たちが病に侵されているのではなく、世界の方が、あるいは生の方がどうかしてるのではないか? 気がついたときには既に世界があり、ほかでもないこの私が生まれてしまっている。ほんの少し何かが違えば、広大な宇宙の中の一つの惑星である「地球」は存在していなかったかもしれないし、私の先祖の誰かが1人でも早く死んでしまっていたら、私は存在していなかったかもしれない。いや、もっと脆かったであろう現在の存立、あのとき、あの先祖が、あの場所に行かず、あの人に出会っていなかったら、という無数の可能性、途方もない偶然性、そして、ここで「あの」と呼ばれている何かの存在それ自体の脆さ。明日、突然世界中のテレビがハイジャックされて「明日で地球サービスは終了します。よって、地球上に存在しているあらゆる存在は12時間後に消滅します」なんて放送が、宇宙人によって流されたっておかしくない。映画『トゥルーマン・ショー』のように、私を取り巻く全ては作り物かもしれない。全くもってめちゃくちゃだ。でも、めちゃくちゃなことの想定よりも、さらにめちゃくちゃなのがこの世界、この生なのかもしれない。それについてどうにか考え、無理しながらも言葉にしてみる。そうしたら、どうしても言葉は曖昧で、意味不明なものになってしまうかもしれない。それでも、なんとか語ってみる「手のひらサイズの哲学」。全てのことが論理的一貫性を持って語れるのか。世の中は、そういう論理、いわば「健やかな論理」を求めている。人類は、それに手が届くと信じてもいる。でも、もし世界そのものが病んでいるのだとしたら? そしたら、それを語れるのは「病んだ論理」の方なのでは? なんて、そんなことも考えてしまう始末。
 私は本書の中で、永井さんの祈りに触れた。「わたしは祈る。どうか、考えるということが、まばゆく輝く主体の確立という目的だけへ向かいませんように。自己啓発本や、新自由主義が目指す、効率よく無駄なく生をこなしていく人間像への近道としてのみ、哲学が用いられませんように。それらが見せてくれる世界は、甘い甘い夢だ。いつか、その甘さはわたしたちを息苦しい湿度の中で窒息させる」(125頁)。皆が同じ方向へと邁進する社会。コスパ、タイパが志向され、無駄なものは排除されていく。ついには、その魔の手は人間という存在にも忍び寄る。その一方で、加速していく社会の中で、どうしてもその速度に追いつけない人たちというのもいる。皆がせかせかと働き、何か目的を持って行動しているような世の中で、そういう人たちは一々何かに引っかかっては、波に乗ることができないでいる。本書は、そういう人たちに寄り添う優しさを持った本でもある。そういう人たちと共に、世界をゆっくりと眺めまわしてくれる。こんなにもめちゃくちゃな世界を一緒に鑑賞して、「ヤバすぎない?」と嘆き合ってくれる。そして、共に頭を悩ませてくれる。
 「衝撃的な他者性の告知こそが、哲学対話の醍醐味なんだと信じている」(241頁)。その「衝撃的な他者性の告知」によって、私は破壊される。新たな問いを抱えざるをえなくなる。しかし、それは決して不幸なことではない。むしろ、それは他者との出会いの証左であり、哲学であると私は言いたい。かつてメルロ=ポンティが言ったように、「哲学とはおのれ自身の端緒が更新されていく経験である」のならば、まさに「衝撃的な他者性の告知」は哲学のはじめにこそ置かれるべきものなのかもしれない。
 本書の文字通り最後には、「このめちゃくちゃで美しい世界の中で、考えつづけるために、どうか、考えつづけましょう」と書かれている(265頁)。これが本書が最後に語った言葉である。これを読んだとき、わたしは「なんてめちゃくちゃな文章なんだ」と思ったと同時に、「なんてこの本らしく、素晴らしい文章なんだ」とも思ったのであった。考え続けるためには、問いを持ち続けなければならない。安住していても、新たな問いとは出会えない。対話へ、他者のもとへ、勇気を持って一歩を踏み出そう。ポケットに本を突っ込んで、街中に出かけよう。人類初の月面着陸を成し遂げた、あのアームストロング船長が言っていた言葉が頭に響く。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」。そんな励ましの声が、この本からも聞こえてくる。

ノーマン・マルコム, 板坂元.(1998).『ウィトゲンシュタイ 天才哲学者の思い出』, 平凡社, 70頁.




(平井 優作)

出版元:晶文社

(掲載日:2024-06-15)

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ダーウィンの呪い
千葉 聡

 現代社会を一瞥してみると、様々な「呪い」が見えてくる。われわれの間を「『進歩せよ』を意味する “進化せよ”」、「『生き残りたければ、努力して戦いに勝て』を意味する “生存闘争と適者生存”」、「『これは自然の事実から導かれた人間社会も支配する規範だから、不満を言ったり逆らったりしても無駄だ』を意味する、“ダーウィンがそう言っている”」という、千葉氏がそれぞれを順に「進化の呪い」、「闘争の呪い」、「ダーウィンの呪い」と呼ぶ、3つの呪いが跋扈しているのだ(5-6頁)。こんなにも「拘束感を滲ませたメッセージ」、あるいは「順守しないといけない、ある種の規範」が溢れかえった世界は、大変に生きづらい(5頁)。何をするにしても、個人主義的な「成長=進化」が望まれ、休む暇もなく努力し続けることが、あたかも義務であるかのようにすら感じられる。私たちは、ナチスドイツによるユダヤ人の大虐殺や相模原障害者施設殺傷事件を経た世代であり、それらに並々ならぬ危機の様相を感じ取ってきたのではなかったのか? このままでは色々とまずいのではないだろうかという猛烈な違和感に私たちは襲われ、その危機の感覚は20世紀に様々な哲学者によっても語られてきた。その一方で、巷では「マッチングアプリ」なるものが流行し、人間がいわば商品化され、片手ほどの大きさの「スクリーン」という名のガラスケースの中に陳列されている。みなが見栄えの良い写真を用意し、他者から好かれるであろう文言を自己を規定するために並べ立てる。世界は、人間という存在が指先一つで選別されるような場所になってしまった。さらには、MBTIなるもので自分を飾る始末である。私たちは、どこかで何かを根本的に間違ってきたのではないか?
 「呪い」のもとにおいては、私を取り巻くそれぞれの他者は、もはや他者一般となり、みなが「敵」であるとみなされてしまう。なぜなら、私は彼ら/彼女らに勝ち、生存せねばならないからだ。進化しないものには、即ち「敗北」という烙印を押されることになる。生の全体が闘争の場となり、一瞬たりとも気を抜かず、皆を出し抜かなければならない。なぜか?「ダーウィンがそう言っていたから」だ。あるいは、マッチングアプリを例にとれば、他者はみな消費者である。私は、消費者たちから選ばれる存在となるために、常に自己をより良い製品に作り替える必要がある。つまり、「進化」であり、私は私自身の生産者となる。そのような生は、なんと空しいことだろうか。しかし、その一方で、全てが無目的かつ盲目的な運動にすぎない、つまり偶然的な運動だと見限るや否や、未来に対する希望は消え失せる。何をしようが、どのように努力しようが、その結果は偶然にしか左右されず、ある意味では無意味な努力となるからである。このような、ある種の楽観的な闘争と生産、悲観的な偶然性の間で、我々は揺れ動き続けている。
 しばしば、企業などが打ち立てる「適者生存」の理念に対して、「ダーウィンはそんなこと言ってない」という批判の石が投げられる。しかし、ことは言った/言ってないというような、単純な二分法のもとで明らかになることではないのだ。ダーウィンが出版した『種の起源』の原著初版においては、「適者生存」という語は使われていない。だが、1869年に出版された『種の起源』(第5版)で次のように言っている。「個体の違いや変異のうち有利なものを維持し、有害なものを駆逐することを、私は自然選択、あるいは適者生存と呼んできた」(50頁からの再引用)。確かに、ダーウィンは「適者生存」という言葉を使っているし、時期によってはその考えに接近していたこともあるようなのだ。「進化論を守るために、修正と妥協を重ねている時期」であったという事情もあったのだろう(50頁)。その一方で、ダーウィンの原理は排除的なもの、つまり適者が生存し、その他は絶滅するといったものではなく、創造的なものに向けられていた。そこにスペンサーがいう「適者生存」との差異があった。しかし、何らかの包含の原理は、常に鏡像としての排除の原理を付き従えている。包み含めるということは、それと同時にその外部を作り出すことでもある。進化論に価値の問題が結び付けられ、適者による未来のユートピアの実現が結びつけられた場には、すでにディストピアが実現している。進化論がイデオロギーと化したとき、我々は常に誤った轍を踏んできた。では、われわれは進化論をどのように引き受ければよいのか。歴史から学び、未来を展望するために向き合わなければならない問題は山積している。本書は、その旅路に付き添う良き伴走者となってくれることだろう。


(平井 優作)

出版元:講談社

(掲載日:2024-06-17)

タグ:進化論 
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暴力をめぐる哲学
飯野 勝己 樋口 浩造

 私は電車に乗っていると窓から見える風景を見たくなってしまう。それが使い倒している路線だとしてもだ。自分の内側と外側の“天気”によって、眼に入ってくる景色が折々の表情をするのが面白いからだ。
 しかしそんな私の観察を目の前に座っている人間は知りもしない。その人からしてみれば、私は「ジロジロ見てくる若造」にしか映らないだろう。実際過去に目の前に座っていた外国人に「こっち見るな!」と語気荒く言われたことがある。他人というのは外見だけではよくわからないものだ。こうしてあらゆる争いが始まるのかもしれないなと思う。こうした出来事から「暴力性」について考えているなかで、タイトルに釣られてこの書籍に触れた。
 この書籍はある勉強会で集まった様々な分野の研究者たちが「暴力」というテーマで議論して形にしたものである。
 序章〜第9章までそれぞれの専門分野から分析した論稿が記載されている。といってもランダムに散っているわけではなく、大まかに3部にわかれている。
 第1章〜第3章では暴力の根源的ありようについて。第4章〜第6章では具体的な社会状況で起こった暴力の語られ方について。第7章〜第9章では言葉や表現といった構造的暴力と物理的な暴力の違いから再度根源的な暴力について考察されている。
 私の備忘録かつまだ本書を手に取っていない方のために各章毎の要約をすることは一定の範囲においては有益なのかもしれないが、本書の出版社ならびに蔵書している書店さんの利益への微々たる影響を気にして(という盾に面倒な気持ちを隠して)、本ページでは編著者である飯野勝己先生(以下飯野)が書かれた序章と第7章に焦点を当てていく。
 序章において飯野は哲学的問題としての暴力について2つ挙げる。
 1つは「“ただそうなっているだけ”の世界から、人間的な“この世界”が立ち上がる一契機としての暴力」(p.5)。我々が蟻塚のアリを観察するかのようなメタな視点で暴力的な行動を見ようとしたとき、それは自然のうねりの力としての「ただ、そうなっているだけ」と捉えることができないだろうか。
 では我々が想起する“暴力”が立ち上がったのはなぜか。その段階として飯野は「心の理論」の発達へのアプローチや「内面の誕生」を論ずる思索的探索などを挙げる。他人に心や意図を認めないなら暴力にならないのではないかと。他者がいるから暴力があり、暴力があるから他者がある。そのように捉えることができるのが1つ目の哲学的問題。
 2つ目は、一般的な「力(force)」の観点からの暴力。様々な「力」がバランスを保ちほどよく安定している場所、それが「私たちの世界」であると飯野は述べる。「暴力が暴力として際立つ背景条件として、“大筋のところの安定”があり、特異点としての“暴力”は、背景であるNormalな秩序との連続性にある」というのが2つ目に挙げた哲学的問題だ。
 飯野は建物を例に挙げて説明する。静かに佇む建物には絶え間なく力がみなぎり動いている。しかし地震のようなイレギュラーな事態が起こると潜在的な力が顕在化する。このような構造が個人間のコミュニケーションにおいても、社会制度においてもあるのではないか。
 この2つの哲学的問題をまとめると、暴力は私たちの世界に深く食い込み、繋がっているといえる。そして表象されている暴力に対する対処は単純ではない。暴力の根深さ、多様性、概念的多層性、これらをリアルに捉えることは簡単ではないからだ。そのような探求の実践が本書の内容となっている。
 第7章「ひとつの暴力、いくつもの暴力ー「場所への暴力」試論ー」で飯野は、哲学・社会思想の領域での暴力を巡る思考には「国家論−法論的枠組み」が貫徹していると述べる(p.217 命名は飯野)。WeberやBenjamin、Eliasらを挙げ、私戦や決闘などがあった中世的世界から暴力の独占と集中管理が進展した近現代の国家がどのように生成してきたかを辿る研究の営みを紹介する。「国家論−法論的枠組み」の大枠として挙げているのが「暴力の独占」。物理的暴力の圧倒的優位性、むきだしの暴力を「法」という正当性という装いで見えにくくする。その力は領域内の時空に張り巡らされ、人々のふるまいに合法/違法の線引きをほどこす。
 我々の平穏な日常のなかでは、わかりやすい暴力が見えにくい。普通の暮らしをしていれば法に触れることはない。しかしもとを正せばその“普通”の水準を定めているのは、「特段の正当性なしにただ事実として独占された暴力なのである。」(p.219)。国家は暴力から切り離せないし、暴力は国家から切り離せないのだろう。
 では国家が独占している暴力とはなにか。Weberらの議論から、あくまで国家が独占しているのは「物理的・実力行使的な暴力である」(p.220)。集団の内に対しては逮捕や死刑などの正当化された力、外に対しては戦争行為などの正当化された力を排他的に独占する。しかし、そこに「言葉の暴力」などの抽象的なものは入らない。
 国家を支える暴力は抽象的なあれこれを含むことのない物理的な暴力であるから、暴力一般の概念も物理的なものに限定して考えるというある種の「一元論」が展開される。 「国家論−法論的枠組み」は真正な「ひとつの暴力」だけがあり、「暴力のようなもの」は抽象であり比喩であり、意味の拡張に過ぎないというのが見方となる。
 しかし、近現代国家のシステムにおいて物理的な暴力が減少してきた我々の生活に立ち返ってみると、「言葉の暴力」や差別などの物理的な暴力以外の暴力が顕在化していると直感的に思われる。 「国家論−法論的枠組み」での一元論とは対照的に暴力の「多元論」、「いくつもの暴力」が知覚されるのだ。第7章では「いくつもの暴力」の視点を掘り下げ、底のところで「ひとつの暴力」に繋がっているのではないかと論じる構成となっている。 「いくつもの暴力」のありようの描き方として飯野は、暴力の典型例にそなわる5つの概念層を挙げる。「危害」「危害への意図」「人為」「責任」「身体の動作」。
 暫定的な作業仮説として、これらの5つの概念層からあれこれ抜いてみた暴力の描写を試みている。これらの描写の試みから、飯野は以下のことを述べる。「すなわち暴力とは単純な概念ではまったくなく、様々な概念層がからみあってようやくある行為や出来事に帰属される複雑な概念であり、もしくは評価観点ではないか」(p.230)。
 このように「ひとつの暴力」から「いくつもの暴力」に軸足を移すと、「暴力はどんな形態であれ、白黒くっきり線引きできるものではなく、”暴力性”の濃淡さまざまなグラデーションを描くものであり、物理的なものもその他のものも、そのグラデーションのどこかにそのつど位置づけられる」(p231)というのが見えてくる。飯野はこの試みの中で「危害」という概念層に手をつけなかった。
 では「危害」抜きの暴力というのは存在しないのだろうか。強靭な体をもつ人にパンチをしても暴力とはならないのか。罵詈雑言を浴びせられた人が強い精神力をもっていたら暴力とならないのか。
 直接的危害とは「別の危害」について「ヘイトスピーチ」を例に取り上げる。
 ヘイトスピーチの法的規則を主張する法哲学者のジェレミー・ウォルドロンの「安心」という概念を引用して展開する。「何か明示的なもの」(警察など)にあからさまに頼らなくていい、意識的に確保する必要がないというあり方自体が安心の重要な構成要素として考えられるが、ヘイトスピーチはこの安心を脅かすという。標的となるマイノリティだけでなく、第三者にも苦痛(怖い、嫌な感じがする、こんなもの見たくないなど)を与える。この第三者や環境を傷つけるヘイトスピーチ、言葉の暴力は「場所への暴力」という性格を持つ。実際ヘイトスピーチの中にも「ここはお前たちの“居場所”じゃない」などという文言なども見受けられるケースが多い。この「場所への暴力」が「いくつもの暴力」と「ひとつの暴力」の底をつなぐものとなる。
 では、なぜ“場所への危害”は個々人への危害に直結するのか。「それはもちろん私たちが物理的かつ身体的な存在であり、この世界に存在するためには否応なくどこかの場所に居なければならない境遇だからである。」(p.236)と飯野は述べる。 「ひとつの暴力(物理的な暴力)」は様々な形態の暴力に、比喩や抽象ではない真正な性格を与える。「ひとつの暴力」から「場所への暴力」を介して「いくつもの暴力」が多元論的に現出すると、飯野は展開した。
 ここまでが序章と第七章のざっくりとした内容である。
 今回飯野の文章を書評の中心に置いた理由は、「暴力」について考える際に立ち返らざるを得ない地点がハッキリするからだ。
 今こうして私が静かな住宅街の中で快適な温度の部屋の中でタイピングしている傍ら、海の向こう側では理不尽とも取れる爆撃が起こっていて、それを巡っての激しいnegotiationが起こっている。それは私のような日々を過ごしている人にとっては“暴力的な異常な状態”と見えるのだろう。
 しかしもし我々の国がそのようなある種の戦争行為をせざるを得ない状況にあるとしたらどうだ。手垢まみれの液晶画面内で完結していた情報が、自分の目の前で行われているという状況であったらどうだ。飯野が展開していた「物理的な暴力」。我々が物理的で身体的な存在である限り、このシンプルな暴力が我々の生に内包されていて、我々がその手段を何も考えずに行使することが出来るというのは世の理なのだ。自分が気に入らないと思った対象が目の前にあるとき、あなたはどのような選択をとるだろうか。逃げるか? 黙ってもらうように交渉するか? それともどちらかが死ぬまで戦うか? 加害者−被害者という二項を生むのが「暴力」なのか。
 加害者を取り締まる“法”の暴力性についてはどう考えるか。“法”でも“神”でも何に頼ってもよいが、我々の一挙手一投足が誰の血にも染まらずにいられることをどう証明しようか。 誰の涙も流さないようにいられることをどう証明しようか。
 本書の第3章でスティーブン・ピンカーの「暴力と人類史」が取り上げられている。そこに書かれているように、国家というシステムでは集団間での致死的暴力は先史時代の死体分析から推測される当時の集団間での致死的暴力の数よりも減少しているという示唆がある。
 また集団間だけでなく個人間における致死的暴力の割合も減少傾向にあるという(p.104)。詳細な精微については一旦置いておく。人類全体的に致死的な暴力が減少しているというデータがある一方で、今日も誰かが暴力によって死んでいる。この当たり前を様々な視点で考えさせてくれる本書であった。
(飯島 渉琉)

出版元:晃洋書房

(掲載日:2024-08-30)

タグ:哲学 暴力 
カテゴリ その他
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自殺の思想史 抗って生きるために
ジェニファー・マイケル・ヘクト 月沢 李歌子

 小林秀雄は「Xへの手紙」の中でこう書いていた。
「言うまでもなく俺は自殺のまわりをうろついていた。このような世紀に生れ、夢見る事の速かな若年期に、一っぺんも自殺をはかった事のないような人は、よほど幸福な月日の下に生れた人じゃないかと俺は思う。俺は今までに自殺をはかった経験が二度ある、一度は退屈のために、一度は女のために。」
「人は女のためにも金銭のためにも自殺する事は出来ない。凡そ明瞭な苦痛のために自殺する事は出来ない。繰返さざるを得ない名付けようもない無意味な努力の累積から来る単調に堪えられないで死ぬのだ。死はいつも向こうから歩いてくる。俺たちは彼に会いに出掛けるかも知れないが、邂逅の場所は断じて明かされてはいないのだ。」
(『小林秀雄初期文芸論集』「Xへの手紙」岩波文庫)
 この論稿は1932年『中央公論』の9月号に掲載された。今から92年前、小林秀雄が30歳の年である。

 なぜこの文章を紹介したのかというと、私の騒がしい心を静めてくれたからだ。
 カツカツの生活費、路頭に迷っているかのように先行きが見えぬ将来、数多の理由で私は生きている心地がしていなかった。常に私は見えない何かに追われていた。その先が崖であるというのにもかかわらず。
 そんなときこの文章に出会った。
 肯定された気がした。騒がしい私を。
 自分が憧れを抱く対象の一語一句が髄にまで響く感覚を知っている人は多いかもしれない。
 私にとってこの文章はそれだった。

「自殺」という文字の羅列を見てあなたはどのようなイメージを抱くだろうか。そこにあなたが自分自身をどう捉えているのかを紐解くためのほつれた糸があると私は思う。
 古今東西問わず、我々は「生と死」について考えてきた。そして愚かな者はその答えを求め続けている。答えなど決まっているではないか。生きとし生けるものはいずれ死ぬのだ。
 ただ「生と死」についての問題はこんな単調な事実を通り越して大きく絡まってきた。その絡まりを思想史として紐解こうと奮起しているのが今回題材とする「自殺の思想史」という書籍である。

 紀元前6世紀のルクレティアというある女性の死を起点に、古代ギリシャ、ローマ帝国、聖書、神話における”自殺”の描写を論じ、中世の長きにわたるキリスト教支配下における“自殺”の捉え方、ルネサンス期を迎えてからの宗教以外での“自殺”の捉え方の変化を歴史学的に論じる。
 その後、社会科学的な視点で“共同体”としての視点からの”自殺”を論じる。この巨視的な本書を概説するのは一端の凡人である私にとっては無理難題であるため、それはよす。概説を知りたいものは今すぐ書籍を買ってみることを勧める。

「解説はむり。各々買ってみてくれ。」というだけであればこんな文章を書き始めていない。こいつを土台に何か思ったことがあるから今こうして書いている。がしかしその何かっていうのはえらく感情的になってしまっているため、今から私が文章にすることは本書の中身から大きく外れてしまう可能性がある。念のため自制に励んでみるが、「おや?」と思ったらどうか読むのをやめてほしい。こんな稚拙な文章よりもよっぽど本書は読む価値があるから。
 拙いながらも私が感じたことをなるべく素描してみる。この営みによって私はある種救われる側面があるのだ。
そのためおそらくこれは“書評”とはなっていないだろう。得体の知れない者による散文である。“書評”としての体裁の中に奥底の感情をぶつけるというテクニックを私は持ち合わせていない。だからどうか、“書評”として機能していないこの駄文を冷ややかな目で読み続けてほしい。

「死にたい」という感情はどこからやってくるのか。
 それは己の思想からか?
 では己の思想はどこからやってくるのか。
 己の位置する環境によってか?
 では環境を変えれば“死にたくなくなるのか”?
 こんな堂々巡りを味わったやつのみる希望は、なんて輝かしいのだろうか。
 その輝きを周りの“オトナ”は「やみ」と言うのだろうな。

「死にたい」「眠れない」「全て投げ出したい」と現時点思っているのであれば、この書籍を最初のページから最後まで通読してほしい。「自殺」について人類は長い時間をかけてどのように捉えてきたのかというabstractをあなたはたった数千円で知ることができるのだ。そして書籍で展開される一つ一つの物語を反芻しながら読み進めてほしい。
 これにはかなりの時間がかかる。漫画のようにわかりやすい描写ではなく、文字の羅列だからな。だが読書するのが好かない人ほど、これをやってみてほしい。
 読み進めていくと疲れてくるはずだ。
 その疲れを忘れないでほしい。
 我々には“疲れ”がある。そしてその“疲れ”を回復しようと身体の方から歩み始める。
 この感覚を忘れないでほしい。
 あなたは眠ることができるのだ。一旦自分のモヤモヤにケリをつけて一日をやり過ごすことができるのだ。
 この書籍のダイナミックな議論の中身を覚えるよりも、はるかに豊かな感覚を得ることができるのだ。
 それだけでもあなたがなけなしの身銭を払って本書を買う価値がある。
 このことを私は伝えたいのだ。

 この”疲れ”を感じるようになったら、本書の議論に着目してみてほしい。本書の中で著者の目的が散りばめられている。
 著者はなんとか自殺を否定したいのだ。自殺にまつわる思想史的な流れを踏まえて、社会科学的なデータを用いて。自殺を肯定するような議論さえ用いて。
 彼の主張を受け入れるか否か、好むか否かの評価を一旦脇において彼の論理を読み進めてみてほしい。その後にあなた自身の考えと向き合ってみてほしい。
 余裕がある人は、読む前後の自分の考えとの違いにも向き合ってみてほしい。

 私がここで述べたいのはこのことだけだ。
 本当は本書の議論を流れを追って概説しようとしたが、そんなことはこの文章に辿り着いた人にとってはガラクタでしかないだろう。だから私は長い時間をかけて準備した概説を捨てた。
 そんなことよりもあなたがあなた自身の変化と向き合うことの重要さを、稚拙ながら感情まかせにぶつけることの方が私がしたいことだったからだ。
 その点、私は利口ではないな。ただ利口というのは疲れる。時には自分自身の言葉を信じることも大切だ。

 本書の和訳サブタイトルは「抗って生きるために」である。
 原タイトルは「Stay」。
 どうか裏切られたと思って、本書を手に取ってみてほしい。
(飯島 渉琉)

出版元:みすず書房

(掲載日:2024-09-05)

タグ:自殺 
カテゴリ その他
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オリンピックは平和の祭典
舛本 直文

 人類の歴史は裏から見たら戦争の歴史なのかもしれません。何百年たっても何千年たっても戦争はなくなりません。ただ人類もそれを良しとしていたわけではなく戦争を拒む人はそれぞれの時代にいたわけです。オリンピックが「平和の祭典」として位置づけられたのも戦争を拒む人たちの強い意志が感じられます。
 古代オリンピックの時代から「エケケイリア=聖なる休戦」として象徴的な行事とされ戦争行為が禁止されたそうです。「エケケイリア」とは「手を置く」というギリシア語だそうで、開催期間中は戦争行為のみならず死刑判決までもが凍結されました。
 もちろん平和の祭典という理念も、時代時代の政治に翻弄され続けたというのが現実です。1980年のモスクワオリンピックは東西冷戦時代のまっさなかで日本も含めた多くの国が政治的な理由でボイコットしました。日本国内でも盛り上がってきたタイミングでのボイコットは、選手のみならず楽しみにしていた国民も大きなショックを受けました。現実にそういう問題に直面した経験があるからこそ、いくら踏みにじられても諦めることなくオリンピックが平和の祭典であることを忘れてはいけないのだと思います。
 本書の冒頭に2018年の平昌大会にて、スピードスケート女子500メートルの決勝後に日本の小平奈緒選手と韓国の李相花選手がお互いをリスペクトするシーンが紹介されています。競い合うライバル同士が互いをリスペクトするということが「平和の象徴」であり「戦争の抑止」になるはずです。フィクションではなく現実にそういうシーンが見ることができるのがオリンピックの底力でありスポーツの意義だと思います。オリンピックが始まるとメダルの数や勝敗が優先的に報道されるのも自然なことかもしれません。しかし観ている私たちを本当の感動に導いてくれるのは、選手たちの国家を超えた勝敗を超えた姿なのだと思います。

(辻田 浩志)

出版元:大修館書店

(掲載日:2024-11-05)

タグ:オリンピック 平和 スポーツ 
カテゴリ その他
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著者
Mel Boring American Medical Association C.B. Mordan 島沢 優子 日本スタビライゼーション協会 足利工業大学・健康科学研究室 銅冶 英雄Adrian WealeAlan GoldbergAndrea BatesAndrew BielAnne KeilAviva L.E. Smith UenoBernd FalkenbergBoris I.PrilutskyBrad Alan LewisBrad WalkerCarl PetersenCarole B. LewisCarole B.LewisCaroline Corning CreagerChad StarkeyChampagne,DelightCharland,JeffChartrand,JudyChris JarmeyClive BrewerDaniel LewindonDanish,StevenDavid A. WinterDavid BorgenichtDavid E. MartinDavid EpsteinDavid GrandDavid H. FukudaDavid H. PerrinDavid JoyceDavid SumpterDavies,George J.Digby, MarenaDonald A. ChuDonald T KirkendallEddie JonesElizabeth Best-MartiniEllenbecker,Todd S.Everett AabergF. バッカーFrank BakkerG. Gregory HaffG.D.ReinholtzGeorge BrettGray CookGregory D. MyerH・ミンツバーグIñigo MujikaJ.G.P.WilliamsJ.W.SchraderJWS「女性スポーツ白書」作成プロジェクトJacqui Greene HaasJamJames C. RadcliffeJames StudarusJari YlinenJeanne Marie LaskasJeff BenedictJeff CharlandJeff LibengoodJeff RyanJennifer Mather SaulJerry LynchJiří DvořákJohn GibbonsJonathan PrinceJoseph C. MaroonJoshua PivenJulian E. BailesJ・ウィルモアKahleKarim KhanKarin WiebenKim A. Botenhagen-DiGenovaKim A.Botenhagen-DiGenovaL.P.マトヴェーエフLawrence M.ElsonLeon ChaitowLeonhardtLeslie DendyLorne GoldenbergM. デュランM.J.SmahaMarc DurandMarilyn MoffatMark PerrymanMark R. LovellMark VerstegenMattyMcAtee,Robert E.Megan HineMelvin H. WilliamsMichael GleesonMichael J. AlterMiguel Angel SantosMurphy,ShaneM・ポラックNPO法人日本ライフセービング協会Nadia ComaneciNational Strength and Conditioning AssociationNina NittingerNorm HansonOg MandinoP.V.カルポビッチPOST編集部Pat ManocchiaPaul L. GreenhaffPete WilliamsPeter BruknerPeter N. CoePeter TwistPeter WoodPetitpas,Al.PlatzerR. ザイラーR.H.エプスタインR.J.CareyR.N.シンガーRainer MartensRaymond M. NakamuraRein TideiksaarRene CaillietRichard BrennanRichard GoldRobert C. FarentinosRobert E. McAteeRobert MoorRobert S.BehnkeRoger W.EarleRoland SeilerRon MaughanRuben J. GuzmanS. ビドルS.T.FleckSAGE ROUNTREESander L. GilmanSandy FritzSharon MoalemShephard,Roy J.Soccer clinicSports Graphic NumberStephen KieslingSteven J. FleckStuart BiddleSue HitzmannS・パリッシュS・フォックスTerease, AmandaThomas R.BaechleThomas W. MyersThor GotaasTil LuchauTrevor WestonTudor O. BompaVladimir M. ZatsiorskyVladimir M. ZatsiorskyVáclav DvořákW.E.シニングW.J.KraemerWilliam J. KraemerWynn KapitY. ヴァンデン‐オウェールYves Vanden Auweele「運動器の10年」日本委員会いとう やまねかわむら ふゆみけいはんな社会的知能発生学研究会ふくい かなめまつばら けいみづき 水脈みんなのスポーツ全国研究会わたなべ ゆうこアタナシアス テルジスアタナシアス・テルジスアダム フィリッピーアテーナプロジェクトアメリカスポーツ医学会アメリカスポーツ医学協会アメリカ医師会アレックス・ハッチンソンアンゲリカ・シュテフェリング エルマー・T・ポイカー ヨルグ・ケストナーアンドリュー ブレイクアンドリュー・ゴードンアンドリュー・ゾッリアンドリュー・ビエルアンバート・トッシーアン・ケイルアン・マリー・ヒーリーイチロー・カワチイヴ・ジネストウイリアム ウェザリーウサイン・ボルトウドー アルブルエディー・ジョーンズエドワード・フォックスエバレット アーバーグエリザベス ノートン ラズリーカイ・リープヘンカミール・グーリーイェヴ デニス・ブーキンカルロス 矢吹カレン・クリッピンジャーカーチ・キライカール・マクガウンキム テウキャロリン・S・スミスキャロル・A.オ-チスクラフト・エヴィング商會クリス カーマイケルクリス ジャ-メイクリストフ・プノーグレン・コードーザケイトリン・リンチケニー マクゴニガルケネス・H・クーパーケリー・スターレットケン ボブサクストンゲルハルト レビンサイモン・ウィクラーサカイクサンキュータツオサンダー・L. ギルマンサンドラ・K・アンダーソンシェリル・ベルクマン・ドゥルーシルヴィア ラックマンジェア・イエイツジェイ マイクスジェイソン・R・カープジェイムズ・カージェニファー・マイケル・ヘクトジェフ ライベングッドジェフ・マリージェリー・リンチジェームス・M・フォックスジェームス・T・アラダイスジェームズ アマディオジェームズ・アマディオジェーン・ジョンソンジェ-ン・パタ-ソンジム・E. レーヤージャン=マリ・ルブランジュリエット・スターレットジョセフ・H・ピラティスジョン エンタインジョン・スミスジョン・フィルビンジル・ボルト・テイラースタジオタッククリエイティブスティーヴン・ストロガッツステファン 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書評者
三嶽 大輔(9)
三橋 智広(48)
上村 聡(4)
中地 圭太(19)
久保田 和稔(8)
久米 秀作(53)
今中 祐子(5)
伊藤 謙治(14)
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加藤 亜梨紗(1)
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塩多 雅矢(2)
塩崎 由規(1)
塩﨑 由規(52)
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大洞 裕和(22)
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山下 大地(3)
山下 貴司(1)
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山際 政弘(3)
岡田 真理(1)
島原 隼人(1)
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平松 勇輝(5)
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戸谷 舞(3)
打谷 昌紀(2)
曽我 啓史(1)
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月刊トレーニング・ジャーナル(16)
月刊トレーニング・ジャーナル編集部(758)
服部 哲也(9)
服部 紗都子(11)
村田 祐樹(4)
松本 圭祐(3)
板井 美浩(46)
柴原 容(5)
梅澤 恵利子(1)
森下 茂(23)
椙村 蓮理(1)
榎波 亮兵(3)
橋本 紘希(24)
橘 肇(4)
正木 瞳(1)
比佐 仁(1)
水浜 雅浩(8)
水田 陽(6)
永田 将行(6)
池田 健一(5)
河田 大輔(16)
河田 絹一郎(3)
河野 涼子(2)
泉 重樹(3)
浦中 宏典(7)
清家 輝文(71)
清水 歩(6)
清水 美奈(2)
渡邉 秀幹(6)
渡邊 秀幹(1)
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田口 久美子(18)
石郷岡 真巳(8)
磯谷 貴之(12)
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脇坂 浩司(3)
藤井 歩(18)
藤田 のぞみ(4)
西澤 隆(7)
越田 専太郎(2)
辻本 和広(4)
辻田 浩志(90)
酒井 崇宏(1)
金子 大(9)
鈴木 健大(6)
長谷川 大輔(3)
長谷川 智憲(40)
阿部 大樹(1)
阿部 拓馬(1)
青島 大輔(1)
青木 美帆(1)
飯島 渉琉(3)
鳥居 義史(6)